1話 真っ向から
――目が覚めると、そこには何も無い白が水平線のように続いていた。
「ねえ、君に頼みたいことがあるんだ」
ふわふわとした白い空間で、誰かにそう告げられた。
誰だ、と周りを見渡しても、俺以外誰もいない。
はて、と首を傾げたが、俺に話しかけてきている存在にとって、そんな疑問はどうでもいい事なのか、気にした様子もなく続ける。
「今から僕は君を特別に生まれ変わらせてあげるんだ。で、君が今から行く世界は滅亡の危機に瀕しているんだけど……世界を救うはずのとある男の子が、このままだとどうしても力及ばず死んでしまう」
それは鍛錬が足りないだけな気もするが。
そう思っていると、相手は苦笑したような雰囲気を醸し出した。
「それは君が特殊だからね。そんな君に頼みたいんだ。彼を強くして欲しい」
剣を教えろと?
「それはもちろん。でも、それだけじゃダメだ。何か衝撃的な……ショッキングなことが起きないと、彼は本当の意味で強くなれない」
つまり?
「君と彼の仲が極限まで深まった時にね」
相手がニヤ、と笑った気がした。
「君に死んでもらうんだ!極力悲惨に、無惨に、可哀想に!それにやっぱり、男ってのは、男が死ぬより女が死ぬほうがツラいだろう。だから、君には女になってもらう。まあつまりそういうことさ。わかってくれたね?」
――要約すると。
俺はもう一度、己の剣を鍛える時をもらえるらしい。
「君らしい」
ただ、条件だ。
「……条件?」
声が少し低くなった。
俺は死が嫌いだ。だから、例えお前が俺の死の運命を定めていたとしても、俺はそれに真っ向から刃向かう。
「君は君のやり方で世界を救うと?」
そうだ。
「いいよ。うん、いいね。そういう君だからこそ頼んだのさ」
声は、朗らかのそう答えた。
「だから、彼を頼むよ――剣聖」
承った。
「……次は全てを救えるといいね」
最後の囁くような声は、残念ながら聞き取れなかった。
★
パチリと、目が覚めた。
久しぶりの目覚めだ。
俺の子孫は繁栄しているだろうか。王は魔王を倒しただろうか。というか、どれぐらいの時が経ったのか。
そんな風にボンヤリと考えながら、深呼吸をすると、
「――!?ッゴホッ」
空気が信じられないほど臭かった。汚かった。
埃の舞う空間。視界は最悪。景色はほとんど見えないが、全体的にくすんだ世界だった。しかも、見慣れない服装の人々が狂ったように走って、逃げて行っている。
そして、びるが倒れるぞ!などどこかから声が聞こえた。
まあ、なるほど。こういう状況は何度か経験している。魔物が出たか。びるというのはよく分からないが……
黒色の、妙に硬い地面を踏みしめて、気配を感じながら敵がいるであろう場所へ駆ける。
しかし、妙だ。ここら辺は大きな……岩石のようなものに囲まれている。
最初は魔物かと思ったが、どうにも生物ではない。例えるならば、建造物。そんな存在だ。
色は灰色というか……白色というか……銀色っぽくもある。そして、埃にまみれていたが、随分と透き通るようなガラスがあった。
最も、これが建造物だとしたら、ここは王都以上の大都市ということになる。王都にはこんな建造物はなかった。だからありえないはずだが……
試しに一枚のガラスに触れようとすると、ウィーンと音を立ててどこかへ消えた。俺は少し転けた。
うーむ。ますます分からないな。
とりあえず謎の岩石とでも呼んでおこう。
……おっと。今はそれ以上に優先するべきことがあるのだった。
そうして少し走ると、巨大なドス黒い存在と、それと戦っている存在を察知した。
騒ぎの原因はこれらしい。
そして、戦っていた存在は魔物に吹き飛ばされて、謎の岩石にぶつかって静止した。
ズリズリとその岩石から落ちて、尻もちを着いた黒髪赤目の男子に、俺は話しかける。
「助けは必要か?」
「……民間人か!こんな時に……僕のことはいい!早く逃げるんだ!」
……む。俺の声ではない。なぜか、俺が喋ろうとした言葉が女の声で出た。喉に手を当てる。
……ああ、そういえば白の空間で何かを言っていたな。
そうか。俺は女になったのか。道理で視線が低いと思った。
自分の胸をチラリと見ると、白色のラフな服が、ほんの少しだけ盛り上がっていた。もう少しでBのAと言ったところか。……まあ、これぐらいの大きさなら邪魔にはならない。許容範囲だ。
俺の横では、10mほどの黒狼が唐突に現れた俺に警戒していた。
いつ襲ってくるか分からない。剣を抜こうと右手を左腰に当てたが、そこで気がついた。
そう、剣を持ってないのだ。
「おれ……私も戦える。ただ、剣をよこせ」
「無茶だ!相手はA級!僕ですらこのザマだ!」
話を聞かないな。
こんな状況になっても、自分一人でどうにかしようとしているらしい。
似たような性格の友人がいたのを思い出す。ちっぽけで、弱っちいのに、自分で全てを抱え込もうとするバカなヤツ。
その面影に、この男を重ねてしまった。
ため息をつく。初戦はこの狼らしい。
消耗が激しいから使うのは好まないが……致し方ない。
「こい、龍刀・吉祥丸」
龍刀とは。偉大なる龍の試練を突破し、その龍を己が手で殺め、それを刀として利用する、神代より続く伝統。
龍刀に力を飲まれた者は、体を龍に貪られ、龍は刀より開放される。
俺の龍刀は他のと違って特殊な能力も何も無い。
ただ硬い。ただ折れない。ただ鋭い。
だから――俺に合う。
龍刀が俺の手に。
無骨。見た目はそれ一言に尽きる。装飾はなく、東洋の太刀によく似ているらしい。
長い刀身は、背が縮んだ俺にはさらに扱いづらそうだ。
「行くぞ」
強敵の前では常に共にあった相棒に話しかける。
返事はいつもない。もしかしたら独り言というのかもしれない。
「ま、待て!死にたいのか!」
男が焦った声で俺を止めようとする。
その声に俺は軽く振り向いて、そして白の空間での言葉を、思い出した。
『その男の子についてだけど、すぐ近くに君は生まれてもらうからね。名前だけ伝えておくよ。その子の名は――』
可能性としては有り得る。
「お前……名は?」
「……正司だ!千羽崎正司!それが!?」
なるほど。
俺はこいつを鍛えればいいわけだ。
……俺は、人に教えるのが得意ではない。稽古には何種類かある。説明を受けて実践するものだったり、見て覚える、いわゆる技を盗む、といったような稽古だったり。
俺ができるのは、弟子に技を見せることのみ。
では、見せてやろう。
剣の頂きは未だ遠い。剣聖などという呼び名は過大評価甚だしい。だが、それでも。
目の前にある幸せを守れるほどの強さは、ある。
抜刀。
集中しろ。
剣において重要なこととは。まず、剣の技術よりも、相手の剣を避けるという技術。
つまり、相手の攻撃線上に立たない、攻撃予測能力。正直な話、これさえ出来れば一定の評価は得られる。
――世界が、色褪せた。
余計な情報がカットされていく。
あらゆる色素が抜け落ちた灰色の世界で、敵対者である狼だけが異彩を放っていた。
そして
「見えた」
赤のラインとして狼の攻撃線が表示される。
シンプルな牙の攻撃。それは、俺の胴体を食い破ろうとする攻撃だ。
このまま突っ立っていれば、俺の胴体には穴が空き、直ぐに死ぬだろう。
「獣は嫌いだよ」
力技で行く。
俺を喰らってやろうと、轟速で俺に向かってきている狼に、引くことなく俺も駆ける。
少し、狼の目が驚愕で開かれた。その巨体ゆえ、今まではあらゆる生き物を蹂躙してきたのだろう。だから、正面から向かってくる敵に、驚く。
横を通り抜けた。刀を納める。
一秒の空白の後、狼の体はズタズタに引き裂かれた。
血飛沫が雨のように降った。元の亜空間へ刀を戻す。
そして、ズシンとその巨体を地面を伏せた狼。既に息絶えている狼のまぶたに手を当てて、目を閉じさせた。目を開けたままの死体よりかは、いいだろう。
「い、一体、何が……」
ショージの震えた声が耳に入った。
「――」
何か言おうと、声を出そうとするも、声が出なかった。
いや、それどころか、体に力が入らない。
確かに吉祥丸だったり、灰色世界だったり、消耗する戦い方をした。だが、こんなに具合が悪くなるはずは……
「だ、大丈夫か!?」
体が崩れる。ポタポタと地面に血が垂れる。これ、鼻血か……
それに、やっぱり慣れない空気に咳き込むと、吐血した。
あ、これ、結構まずいや、つ、だ……