表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪夢祓いの職人

作者: 赤森千穂路

連載候補作品になります。

感想やご意見をいただけると嬉しいです。

 世の平穏を、切り裂く者がいる。


 それは、人間が見た悪夢から生まれる異形のもの。物理法則を破り、生み出した人間たちを襲う怪物。

 人々はそれらを「怪夢(かいむ)」と呼び、眠ることを恐れた。


 だが、人々の恐怖は、とある者たちが現れたことでやや払拭されることとなった。

 その者たちは自ら特殊な武器を作り出して怪夢と戦い、日々人々を恐怖の底から救い出す。


 そんな彼らを、人々は「職人(しょくにん)」と呼んだ。






◇◆◇◆◇






 花の都。そこは色とりどりの花が街中を囲み、常に清潔な空気と柔らかな風が流れている、人々にとって癒しの街。

 しかし、そんな街でも、異形のものは現れる。


「だから俺がここに来たんですよ。ほら、ちゃんとここに来た理由の説明もしたし、とっととビルの中に入れてください」


 雲一つない青空の下。とあるビルの前で、1人の職人がイカつい警備員2人にそう訴えていた。

 職人の名は晴宮未空(はれみやみそら)。未空がビルに入れない理由は、彼のツンツンに跳ねた茶髪のせいではなく、先ほどまで腰に着けていた刀によるものだった。


「駄目だ。刀は物騒すぎる。俺たちに預けるか、この場に置いていけ」


「いやなんでだよ。身分証明書も見せたし、刀の検査も散々やっただろ? 俺が正真正銘の職人だってアンタらも分かってる筈だ」


「それでも駄目だ。ビルの中へ入りたいのならば、刀は私たちに預けろ」


「いやいや、そこをなんとか……」


「「駄目だ」」


「もーーーっ!! 俺、暇じゃないんスからね!?」


 未空は憤慨した。何故なら、このようなやり取りを既に20分は繰り返しているからだ。


 未空は幼い頃に観たアニメの影響で、自分だけの武器がずっと欲しかった。

 そんな彼の夢の実現に、職人という仕事はピッタリだった。何故なら、職人は怪夢を討伐する為に自分に合った武器を自ら製作するからだ。

 だが、それにはある程度の実践経験と怪夢に対する膨大な知識、そしてプロの職人から一人前であると認められることが必要なのだ。この一連の流れを通して、ようやく職人として自立することができ、自分の武器を製作することを許される。


 通常、5年はかかるその工程を、一刻も早く自分だけの武器が欲しかった未空は僅か2年でクリアした。

 そして、そんな子供のような理由の下、未空が完成させた武器が、今警備員に取られてしまっている刀、「朝焼(あさやけ)」である。


 愛刀を初対面のおじさんにベタベタ触られたうえに、目的地へ一向に進むことができない未空は、いよいよ我慢の限界が近づいていた。


「あのー……そろそろ刀を返して、ここを通し」


 その時、未空の背後で突如閃光が走った。次の瞬間、建物が吹き飛ぶ爆音と同時に白煙の中から現れたのは、手足が異常に細長く、薄汚れた白髪をダラリと垂らした、まるで山姥のような姿をした怪夢。


『ヒョッヒョッヒョ……』


 怪夢はニタリと口を歪め、しわくちゃの顔を左右へ振る。そして、近くで悲鳴を上げながら逃げ惑う通行人たちに狙いを定め、両手に持った出刃包丁を振り回し始めた。


「悪い、返してくれ」


 道路を挟み、暴れる怪夢をポカンと見つめる警備員たちの手から朝焼(あさやけ)を奪い取った未空は颯爽と駆け出し、4車線の道路を白いガードレールを踏み台にして跳び越えると、怪夢の前に華麗に降り立った。

 鞘から刀を引き抜くと、鈍色だった刀身が朱色に淡く光り出した。それはまるで、日が登り始めたばかりの空のような色。


「お前の相手は俺だよ、お婆ちゃん」


『ヒョッ……ヒョ、ヒョ……ヒョオッヒョヒョヒョヒョヒョオッ!!』


 刀の切っ先を向けられたことで、未空のことを敵だと認識したのか、怪夢はよりいっそう激しく包丁を振り回しながら未空へ向かって走り出した。

 それに一切慌てず、未空は刀を素早く動かし、怪夢の斬撃を次々と捌いていく。


『ヒョオオオッ!!』


 怪夢は右腕を大きく振りかぶると、未空目掛けて勢いよく突きを放った。今までの攻撃よりずっと速い攻撃。

 しかし、未空はそれよりも速くその場で地に伏せ、突きの攻撃を躱していた。


「悪いな」


 勢いよく立ち上がると同時に、怪夢の股下に滑り込ませた刀を一気に斬り上げる。ゴリゴリと硬いものを削るような音が聞こえなくなった時、真っ二つに割れた怪夢は不快な断末魔とともに爆ぜ、跡形もなく消え去った。


「おぉ……」


「スゲェ……」


「これで分かったろ? 俺が刀を振るうのは怪夢にだけだって」


 再び車道を飛び越えてきた未空は、戦闘の一部始終を唖然と眺めていた警備員たちに駆け寄り、笑顔で話し掛けた。

 刀を腰に携えた鞘へとしまった後、警備員2人の肩をポンと叩く。


「んじゃ、俺は今からこのビルの最上階に居る人と約束があるから、これで」


 警備員たちの間をすり抜け、ビルの中へ向かってズンズンと進む。ビルの自動ドアのセンサーが未空に反応し、ガラスの扉が横へ滑らかにスライドした時、背後からガッと肩を掴まれた感覚があった。

 振り返ってみると、警備員の1人が未空の肩を掴んでいた。口をポカンと開けていた先ほどとは打って変わって、今は険しい顔をしている。


「……まだ何か?」


「お前の腕は本物で、お嬢の役に立つ人物だということは分かった。だが、やはり刀は物騒だ。お嬢に会うのならば、その刀はここに置いていけ」


 飽きるほど聞いた警備員の言葉に、ピキ、と未空の額に青筋が浮かんだ。

 もう我慢の限界だった。


「だーかーら!! 俺は職人だから、怪夢が出たらすぐに行かなくちゃならねぇの!! そんな時に刀が無かったらすぐに現場に向かえないだろーが!!」


 というのは建前で、本当は愛刀を肌身離さず持っておきたいだけである。が、先ほど、鮮やかな動きで怪夢を討伐した職人がらしいことを言ったからか、警備員たちは一瞬、言葉を詰まらせた。


「……し、しかし、やはり刀は危険なものだ。万が一お嬢が触れて怪我をするようなことがあれば……」


「あ゛ん!? アンタらの雇い主は他人の刀で遊ぶようなガキなのか!?」


「なに!? 貴様……いくらお嬢が依頼した者だからと言って、お嬢への悪口は聞き逃せんぞ!!」


 互いに熱が入り込み、やがて取っ組み合いの喧嘩に発展しそうな雰囲気になってきた時、パンっと手を叩く音が未空の背後から聞こえた。

 音とした方を振り返ると、そこには1人の女性が立っていた。歳は20代半ばだろうか。艶のある長い黒髪を頭の後ろで束ね、淡い青のスーツをピシッと着こなしている。


「2人とも、止めなさい」


「「お、お嬢!」」


 警備員たちは未空を突き飛ばし、「お嬢」と呼んだ女性の元へ一目散に向かう。途端、警備員たちは分かりやすく、ヘコヘコと手でゴマを擦り出した。

 しかし、お嬢にはそれが逆効果だったようで、彼女は警備員たちをジロリと睨みつけた。


「2人とも、職人さまにいったい何をしているんですか?」


「お、お嬢……これにはワケがありまして……」


「言い訳など結構! 忙しい中、わざわざ時間を割いて出向いてくださった方に暴力を振るおうとするなど、言語道断です!」


 お嬢はピシャリと言い、警備員たちを押しのけ未空の前にやって来ると、未空へ向けて深々と頭を下げた。


「申し訳ございませんでした! 私の部下たちが、とんでもない失礼を……!」


「いやいや。別に怪我とかしてませんし、気にならさないでください」


 顔を上げ、未空のことを不安げに見上げる彼女へ向けて、ニコリと笑い掛ける。


「それよりも、アナタの依頼の話をしましょう」






◇◆◇◆◇






 彼女の名は雪村旭(ゆきむらあさひ)。父親が早くに亡くなって会社を継ぎ、3年前から社長をしているらしい。

 そんな彼女から昨日、未空の元にメールで依頼文が送られてきた。その内容は、「私から出る怪夢から私を守ってほしい」というもの。

 依頼文を読み、違和感を覚えた未空は旭の依頼を受け、彼女の会社のあるビルにやって来た、というワケだ。


 未空は8階建てのビルの最上階にある社長室へと案内された。

 社長室は未空が思っていたような、一面がガラス張りで、そこから絶景が見える、というような部屋ではなく、シンプルなソファやテーブルに、高級そうな執務用の机に椅子。その向かい側の壁には巨大なモニターが埋め込まれており、部屋の隅には観葉植物が置いてあった。

 そして、肝心の絶景が見えそうな窓は執務用の机の後ろ側にあるにはあったが、真っ黒な遮光カーテンによって覆われてしまっていた。


 ソファに座った未空の前に、コト、とコーヒーが入った白いティーカップと、角砂糖が入った小瓶が置かれた。


「あ、すみません。コーヒー苦手でしたか?」


 と、焦った様子で尋ねる旭にクスリと笑ってから、未空は体の前で手を横に振った。


「いえいえ、大好きですよ。特に、砂糖がた〜っぷり入ったヤツがね」


 カップの中に角砂糖を8個ほど入れ、スプーンでカチャカチャとかき混ぜた後、もはやコーヒーとは呼べないであろう味の液体を喉の奥に流し込んだ。

 それを飲み干し、ふぅ、と息をつくと、未空はテーブルを挟んで向かい合って座ったお嬢へ話を切り出した。


「さて……じゃあ聞かせてもらいましょうか。昨日、アナタがメールで送ってきた依頼文の意味を」


 未空の言葉に、ビクッと肩を震わせて反応した旭は、顔を俯ける。

 まるで証拠を容疑者へ突きつける刑事かのように、未空はコピーした旭からの依頼文を上着のポケットから取り出し、彼女に内容が見えるように開いた。


「『私から出る怪夢から私を守ってほしい』って……どう考えてもおかしいですよね」


 怪夢とは、人々の悪夢から生まれる怪物のこと。だが逆にいえば、悪夢以外の夢からは怪夢は発生しない。

 怪夢が発生する条件が限られているからこそ、未空は彼女の依頼を疑問に思ったのだ。


「既に出現していたものの、まだ倒されていない怪夢の討伐依頼なら分かる。でも、『私から出る』ってことは、アナタはこれから、悪夢を見ることを分かっているみたいだ」


 未空が指摘すると、旭の俯いた顔がさらに沈んだ。眉を歪める彼女は、とても辛そうだった。

 長い沈黙を挟んでから、旭は口を開いた。


「……10日前から毎日、同じ夢を見るんです」


「それは、毎日同じ悪夢?」


「はい……同じと言えば同じなんですけど。少しだけ夢の結末が違っていて」


「……と言うと?」


「……夢の中で、私は街中をあるいているんです。ごく普通に。ですが毎日決まって、突如怪獣が現れるんです。オオトカゲみたいな見た目なんですが……」


 そこで、旭の声は途切れた。顔は青褪め、噛んだ下唇が細かに震えており、「その先は言うのも恐ろしい」などと言いたげな様子だった。

 だが、できるだけ詳しい話を知りたい、というのが未空の本音だ。旭は辛い思いをするかもしれないが、夢の中で何があったかは、彼女の口から聞き出すしかない。


「……それで?」


 だから、会話を促した。

 大きな深呼吸を幾度か繰り返した後、とうとう旭は未空の質問に答えを述べた。


「……私は毎日、そのトカゲに殺されるんです。その瞬間にいつも目が醒めるんですが、殺され方が毎日違っていて……。1日目は踏み潰されました。2日目は炎で全身を焼かれて、3日目は噛み殺されて……っていう感じに」


 旭の話を聞いて、未空は首を捻った。


「……変だな。怪獣の怪夢が出たなんて、見た覚えも聞いた覚えもない」


 人間が見た悪夢からは必ず、怪夢が生まれる。だから旭が怪獣の悪夢を見たのならば、必ず怪獣の怪夢が生まれている筈なのだ。

 しかし、そんな情報は未空の目からも耳からも入っていなかった。


 未空のその疑問に、旭は簡潔な答えを示した。


「……まだ、出てないんです。私の中から、その怪獣の怪夢が……」


 彼女の言葉に、未空は目を見張った。


「……なるほど。いつその怪夢が出るか分からないから、出た時すぐに倒せるよう、職人の俺に護衛を頼んだワケだ」


「そうです。すみません、お忙しいのに……」


 旭は顔を俯けたまま、消えそうなほど小さな声で言った。しかし彼女の声からは、未空に対する謝罪の気持ちよりも、怪夢に対する恐怖の色の方が多く含まれているように聞こえた。


「夢が怖いなら、ずっと起きてようとは思わなかったんですか?」


「それは……考えはしましたが、実行には移せませんでした」


 旭は首を横に振った。しかし未空は、彼女の言葉に疑問を覚えた。


「なんで? 夢が怖いなら見なきゃ良い。実際、怪夢を怖がる人の中には、敢えて夜更かしをしてから、夢を見ないほどグッスリ眠るって方法を取ってる人がいますよ?」


 少しの沈黙の後、旭はゆっくりと顔を上げ、未空のことを見つめると、右手を自身の胸元に添えた。


「これでも私はこの会社の社長です。社長は社員たちを導き、彼らとの交流をより深め、社内の様子を逐一観察し、この会社を経営し続けられる為の方針を練らなければなりません。これらを毎日おこなうには、私の寝不足の頭では事足りませんから」


 最後に困ったような笑みを浮かべた旭を見て、未空は自分の浅はかな発言を呪った。

 両手を膝につき、旭へ向けて頭を下げる。


「……すみません。偉そうなことを言ってしまって……。俺の考え足らずでした」


「いえ、そんな! ……私は、晴宮さんのおっしゃることが正しいと思います。最近は私の様子がおかしいせいで、社員たちがピリピリしてるんです。本当に会社のことを思うなら、私が夢なんか見ないくらいぐっすり眠れば良いんですよね……」


「……仕事、お好きなんですか?」


「ええ。父から引き継いだ仕事ですけど、やり甲斐がありますし。それに、この会社の人たちは、すごく優しい人たちなんです。自分たちの仕事で忙しい筈なのに、今日も夢のことで悩んでいる私に気を遣ってくれて……」


 そう語る旭の表情は、先ほどまでよりも少しだけ和らいでいるように見えた。本当にこの会社が、社員たちが大切なのだろう。

 良い人なんだろうな、と未空は思った。それと同時に、彼女みたいな人ばかりが依頼人だといいのにな、とも。


「……じゃあ、これから作戦を立てなきゃいけませんね」


「え?」


 未空はソファからスッと立ち上がると、不思議そうな顔で未空のことを見つめる旭へ右手を差し出した。


「俺が、アナタから出てくる怪夢を倒してみせます。必ず」


 未空は怪夢をぶっ倒したいだとか、美人相手に格好をつけたいだとか、そんなことを思っている訳ではない。

 職人として、助けたいと思った人を助けようと、そう思っただけだ。


 旭は眉を歪め、目尻に涙を浮かべた後、差し出された未空の手を取った。


「……ありがとう、ございます……!!」


 改めて、旭の依頼は無事に受理された。






◇◆◇◆◇






 その日の夜。

 旭は会社の1階にある宿直室に泊まり、未空は隣の部屋で彼女を一晩中見張ることになった。

 深夜2時。部屋の真ん中で横になってゴロゴロしていると、ガタン! と宿直室から物音がした。

 家鳴りにしては音が大きすぎる。しかし、旭はもう眠っている筈なので、彼女が立てた音ではないだろう。


 ならば、残された可能性は1つしかない。


 未空はすぐそばに置いてあった刀を手に取ると、この部屋と宿直室とを繋ぐ扉を乱暴に開き、宿直室へと駆け込んだ。


「雪村さん、大丈夫ですか!?」


「あ……」


 未空の目に飛び込んできたのは、オオトカゲの怪夢ではなく、蛍光灯の光によって照らされた、下着姿の旭だった。

 彼女の両手に薄いピンク色のパジャマが握られていたことと、彼女の足元に置かれているリュックサックのチャックが開いていたことから、着替えをしようとしていたことが窺える。


 未空の脳内時間で1分間。しかし、現実世界ではほんの2秒ほどが経過した時、ようやく未空は刀を下ろし、クルリと後ろを向いた。


「すっ、すすすみません! も、物音が聞こえたから、てっきり……」


「い、いえ! こちらこそ、お見苦しいものを……!」


 お見苦しいなんてことはなかった、なんてことを思って頬をほんのり染めつつ、未空は場の空気を少しでも和ませようと、話題を切り替えた。


「ゆ、雪村さん。こんな時間に何を……?」


「ごめんなさい。こんな時ですので、いつでも起きられるようにスーツで眠っていたんですけど、どうしても寝辛くて……」


「それで、き、着替えていたと……」


「は、はい……」


 結局、話は逆戻りし、2人の間には相変わらず気まずい空気が流れていた。

 しかし、次の旭の一言が、未空の停止しかけていた思考に再びエンジンをかけた。


「起きていてくれたんですね」


 ほんのりと喜びが混じったような、そんな声色で、彼女は未空に声を掛けた。

 未だに高鳴る心臓の鼓動を感じつつ、未空は落ち着いた声を出すよう、努める。


「……そりゃあ、仕事っスから」


「……ありがとう」


「……っ! ……はい」


 ただ、それだけのやり取りだった。けれど、未空はそれに思わず口角が緩みそうになっていた。

 昨今の職人は「怪夢を倒して当然だ」と言われんばかりの扱いを人々から受けるようになってきている。確かに、職人とは怪夢を倒すプロフェッショナルだ。だが、それはつまり、命を賭けた戦場の最前線に常に立たなければならないということ。

 最初は武器欲しさにこの職についた未空もいつしか、そんな現実が当たり前になってきていることに疑問を覚えていた。命を賭けるということの重みを人々が忘れてきているように思えて、彼らの非常識さに不快感を覚えることもあった。


 だから、旭のたった一言の感謝が、未空にとっては嬉しかった。


「そ、それじゃあ俺は戻りますね。何かあったら呼ぶか、物音を立ててください。すぐに駆けつけますんで」


 照れ臭さを覚えつつも、緩んだ顔を見られまいと、未空は隣の部屋への扉のノブに手をかけた。

 そんな彼の背中へ向けて、旭は微笑んだ。


「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」


「……おやすみなさい」


 背中に旭の柔らかな声を受け、再び隣の部屋へと足を踏み入れた時だった。


「ゔっ」


 低い呻き声とともにドサリと音を立てて、旭が倒れた。その音に異変を感じた未空は、すぐさま振り返り、畳の上でうつ伏せに倒れているパジャマ姿の旭へ向けて声を掛ける。


「……雪村さん?」


 反応がない。先ほどとは違って、短く声を発することもしなかった。

 眠った? という疑問が一瞬浮かんだが、そんな筈はないと頭を振り、馬鹿な思考を掻き消す。


 その時だった。


 ブチャ、という柔らかいものが潰れたような音とともに、旭の体から黒い液体がドロドロと溢れ出した。やがて液体は、気を失って倒れている彼女の横で集まり出し、少しずつ生き物の形を成していく。

 黒い塊は、全長1メートルほどのオオトカゲの怪夢へと変貌を遂げた。ただし、その全身は真っ黒で、目だけが赤黒く不気味に輝いている。


『シュルルルル……』


 チロチロ、と血塗られたような真っ赤な舌を出しながら、辺りを目だけで見回すトカゲの怪夢。

 それを見て、未空の中の警鐘が今までにないほど激しく鳴らされた。


 次の瞬間、怪夢は旭を喰おうとしたのか、彼女へ向けて飛びかかった。あんぐりと開けられた歯の無い口は旭の頭などスッポリと呑み込んでしまいそうだった。

 しかし、未空は咄嗟に刀を振るい、怪夢の胴体を真っ二つにした。旭の体を挟むようにして落下した怪夢を見下ろし、動かなくなったことを確認すると、刀を鞘へ収めた。


「ふぅ〜……」


 一瞬肝を冷やしたが、今回の仕事も上手くいった、と思い、伸びをしたところで、未空は違和感を覚えた。


「……なんで、消えないんだよ」


 そう。真っ二つになった怪夢は()()()()()()()だけ。通常の怪夢ならば、昼間の山姥怪夢のように倒した後、ただちに消滅する筈なのだ。


 おかしい。


 そう思った時には、もう始まっていた。


『シィィィィィィィッ!!』


 トカゲ怪夢の上半身と下半身が勢いよく接着すると同時に、その体がボコボコと膨れ始めた。やがてその体は宿直室を丸々埋め尽くすほどの大きさにまで膨張し、未空たちを見下ろした。


「くそっ!」


 未空は足元で横たわっていた旭を肩で担ぎ上げると、宿直室の扉を体当たりで破り、1階の通路へ転がるように脱出する。そしてすぐさま起き上がると、ビルの外へ向かって走り出した。

 怪夢は宿直室の壁を突き破ると、ドス、ドス、と重厚感のある足音を立てながら、車のようなスピードで未空たちに迫る。


 このままではすぐに追いつかれてしまう。ただでさえ怪夢の足が速いうえに、細身の女性とはいえ、未空は人を1人担いで走っているのだ。

 どうにかしないと、と思っていた未空の目に入ってきたのは、通路の壁に設置されていた防火シャッターのスイッチ。それを叩くように押し、またすぐに中央玄関へ向かって走り出す。


 ゆっくりと下がって来たシャッターが通路を完全に塞ぐ直前、ガシャアン!! という破裂音が未空の背後から聞こえてきた。走りながら振り返って見てみると、シャッターは大きく凹んでいたが、怪夢の動きを止めることには成功したようだ。

 が、たった一度の突進でシャッターが半壊するほどの威力。破られるのも時間の問題だろう。


 中央玄関口の自動ドアを刀で斬り裂き、建物の外へと脱出した。が、まだ油断はできない。まずは旭をどこか安全な場所まで運ばなければならない。

 そう思い、再び走り出そうとした未空の耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「おい!」


「何があったんだ!?」


 と、未空に駆け寄ってきたのは、昼間の警備員たちだった。そういえば夜中も見張っておく、などと言っていたのをたった今思い出した。

 が、丁度いいところに現れてくれた。


「なぁアンタら! 雪村さんのこと、頼んでいいか?」


「あ、ああ……それよりも、何があった? お嬢は無事なんだろうな!?」


「無事だ。恐らく気を失ってるだけ。何があったは、もうアンタらも分かってるだろ?」


 警備員たちの顔を交互に見つめると、彼らは頷き、未空から旭を受け取った。


「……お嬢のことは安心しろ。私たちの命に変えても守る。だからお前は……」


「あー、皆まで言うな、任せとけ。なんせ、俺の本職は護衛じゃなく職人だからな」


 刀を再び抜き、警備員たちに背中を向けると、未空は身構えた。建物の中から、再び破裂音がした。恐らく、シャッターが破られた音だろう。

 ドス、ドス、と地響きのような音が近づいてくる。自分より大きなものと相対するのは、やはり怖い。

 だが、その恐怖を振り払うように、自分に言い聞かせるように、未空は言った。


「悪夢を祓うのが、俺の仕事なんだよ」


 中央玄関口の自動ドアの残骸を吹き飛ばし、トラック程の大きさになった怪夢が未空の前に現れた。それと同時に、未空は警備員たちへ向けて大声で叫ぶ。


「行け!! 早く!!」


 未空の予想通り、ポカンと口を開けて怪夢を見つめていた警備員たちは正気に戻ると、慌てて未空たちへ背を向け、走っていった。


『キシャァァアアアアアアアア!!』


 怪夢の咆哮が、深夜の街に響き渡る。幸いこの辺りには人が住んでいるような住宅街は無い。それに、すぐ側の車道には車が走っている様子は無い。

 周りに遠慮せず、思い切り戦える。


 だからこそ、未空は本気を出せる。


「“形態(モード)深撃(しんげき)”」


 未空の言葉と同時に、刀身の色が朱色から水色に変化した。これぞ朝焼(あさやけ)の真骨頂、“形態変化(モードチェンジ)”。形態によって刀の性能が変化する。

 深撃形態は刀と怪夢との距離が10センチ未満になると刀身が5倍に伸びるというもの。より深く、効果的な攻撃をすることができるのだ。


「さぁ、始めようか」


 その声と同時に、未空は怪夢へ向けて一直線に駆け出した。怪夢は接近する未空へ向けて口から炎を放射する。

 しかし、火炎放射の攻撃は範囲は広いが、一直線に炎を吐いているだけなので、攻撃が読みやすい。未空は襲いくる炎の追撃を掻い潜ると、怪夢の腹の下へ滑り込んだ。

 そして真っ黒な腹へ向けて、勢いよく刀を突き刺す。刀身の伸びた刀は怪夢の胴体を突き抜け、刃先が背中から飛び出した。


「らぁぁぁぁああああ!!」


 突き刺した刀を頭の方へ向かって振り下ろし、怪夢の体を左右真っ二つに斬り裂いた。


『シィィィィァァアアア!!』


 怪夢は地面を震わせるほど大きな断末魔を上げ、今度こそ消滅したーー、






 かに思われた。


 怪夢の体は再びくっつくと、またボコボコと膨れ始めた。トラックほどの大きさだった怪夢はみるみるうちに巨大化し、やがて、周囲のビルと同等の大きさにまで膨れ上がった。

 その姿は旭の言った通り、まさしくーー、


「……怪獣だな、こりゃ」


『ギジャァァァァアアアアアアアアア』


 怪夢は吠えながら前足を上げると、未空を踏み潰さんばかりの勢いで振り下ろしてきた。踏みつけの攻撃を右に飛んで躱す。その瞬間、先ほどまで未空が立っていた場所を怪夢の足が派手に叩き、爆音がした。アスファルトの地面が豆腐の如く、簡単に砕け散っていく。


「ちっ!」


 飛んでくる破片を斬り裂き、未空は更に後方へ飛び退いた。怪夢の攻撃範囲が先ほどの比ではなくなっている。少しの迷いが死を招く。

 再び刀を構えて怪夢の動きに注目しつつ、未空はブツブツと唱え、勝ち筋を考える。


「真っ二つに斬っても意味ないのか……なら、あのデカブツを丸ごと消滅させるしかないよな」


 勝ち筋はイメージできた。ならば後は、それを上手いこと実行するだけ。


 未空は刀を一度鞘へ収め、構えをとった。それを見た怪夢はチャンスかと思ったのか、未空へ向かって突進してきた。

 まんまと誘いに乗ったな、と思いつつ、未空はジッとその時を待つ。

 ズシン、ズシン、と大きな音がリズミカルに近づいてくる。だが、まだ刀は振れない。


 まだ。


 まだ。


『ギシャァァアアアアッ!!』


「ここだっ」


 怪夢の前足が未空の体を潰す直前、彼は刀を振るった。闇に白い光が一直線に描かれ、斬撃音が辺りに短く残響する。

 直後、怪夢の右の前足に白い亀裂が入り、足先が消滅した。そのせいで着地の位置を変えられた怪夢はバランスを崩し、未空の後ろのビル街へ突進の勢いそのままに突っ込んだ。辺りのビルを次々と破壊し、その残骸をクッションにして、怪夢はようやく停止した。


 この時を、未空は待っていた。


 逆さを向き、思うように動けなくなった怪夢にトドメを刺すべく、瓦礫の飛び散った道路を全力で駆ける。

 が、怪夢もタダではやられてくれない。逆さを向いた状態でも手足や長い尻尾をジタバタと動かして未空の接近を拒む。


 しかし、未空にとっては手足や尻尾など、障害にすらなり得なかった。怪夢へ向かって跳び上がると同時に刀を振るい、激しく動かされていた尻尾や手足を次々に斬り落とす。


 未空が怪夢の腹の上に着地すると、怪夢が「降りろ」と言わんばかりに大きな図体を左右に激しく揺すり始めた。

 必死の抵抗なのだろう。怪夢もこの世に生まれたからには生き物だ。好きに生きたいという気持ちは未空にもよく分かる。

 しかし、それで周りの者たちに多大な迷惑を掛けるのならば、倒すしか無い。


「“形態(モード)炎撃(えんげき)”」


 未空の合図とともに、水色の刀身が真っ赤な炎を纏った。斬っても意味がないのならば、全身を燃やし尽くせば良い。

 そんな考えの下、勝負を決めるべく、未空は炎を纏った刀を大きく振り上げた。


『キシャァァアアアアアアア!!』


 突如、怪夢が頭を起こし、未空へ向けて口から炎を噴射した。未空は咄嗟に跳び上がり、火炎放射を回避する。


 ーー死ぬのは嫌だよな。


「でも、ごめん」


 空中で体を捻り、怪夢の頭の上へと降り立った未空は、今度こそ刀を振り下ろした。刀身が赤い弧を描いた直後、怪夢の体を灼熱の炎が包み込んだ。


『ギシャァァァァアアアアアアアア』


 轟々と唸る炎に踠き、苦しむ怪夢。その姿を、未空は少し離れたところで、ただ眺めていた。






◇◆◇◆◇






 2週間後。

 未空は旭に招かれ、再び彼女の会社へと足を運んでいた。以前訪れた時には遮光カーテンに覆われていた窓から夜景を見ながら、未空は旭と話をしていた。


「本当にありがとうございました、晴宮さん」


 未空の隣でペコリと頭を下げた旭に笑い掛け、手を横に振った。


「いやいや。職人として当然のことをしたまでですよ。それより、今日は何のご用で?」


「以前、私が見た夢は何だったのか。それを聞きたくて」


「……と言うと?」


「10日間、同じ夢をみたことについてです。何か、特殊な理由があったんじゃないかと思って……」


「あー……アレは、ただの偶然ですよ。別に変なことじゃない」


 答えを述べた未空に対して、旭は「は?」とでも言いたげに顔をしかめた。

 今の説明に全然納得してなさそうな旭に、未空は慌てて詳しい理由を付け加える。


「た、たまにですけど、二度寝とかした訳じゃないのに前に見た夢の続きを見ることがあるでしょ? それに似たようなことが偶然10日間続いただけですよ」


 焦って言ったせいで、いかにも言い訳がましい言い方になってしまったが、これは未空が知る限り、限りなく真実に近しい事実なのである。だから、これ以上の説明をしようがないのだが、それでも旭は腑に落ちないのか、難しい顔をしていた。


「そうなんですか?」


「そうそう。臨床心理によると、何かのメッセージを夢が伝えたがっているんだとか、なんとか……まぁ、難しいことは俺には分かりませんけど」


「……なるほど。晴宮さんがそうおっしゃるなら、それが事実なんでしょうね」


 ようやく納得してくれたようだ。顎に手を当て、頷く彼女を見ながらホッと安堵の息を吐き、視線を窓の外の絶景へと戻す。

 花の都の中心部であるこのビルからは街のネオンがより鮮明に見え、まるで星空を街中に転写したかのようだった。


「晴宮さん」


 ふいに、旭が未空の苗字を呼んだ。

 未空が彼女の方へ顔を向けると同時に、彼女は続きの言葉を発した。


「……大丈夫ですか?」


 ハッと目を見開き、未空は旭を見つめた。心の中を覗かれたような、見透かされたような、そんな彼女の物言いに驚いて。


「どこか、辛そうな顔をしている気がして」


 今まで誰にも悩みを吐いたことはなかったが、もしかしたら、今までも顔に出ていたのかもしれない。

 少なくとも、今この場では顔に出ていて、悩みを抱いていることが旭にはバレているのだ。


 彼女に心配を掛けた償いをするべく、未空は自身の抱いた悩みを旭に打ち明けることにした。


「……俺、本当は怪夢を殺すのは嫌なんです」


 夜景を眺めつつ、未空は言った。


「奴らは人を襲う悪い存在だ。でも、アイツらだってこの世に生まれたんだから、命がある。でも、人々は俺たち職人にその命を奪うことを当たり前だと言ってくる」


 人間に害を及ぼすから殺す。それがこの世では当たり前になってきているのだ。

 だから、せめて自分の中でだけは殺しが当たり前にならないよう、「悪いな」や「ごめん」と怪夢を倒す時に言うことにしている。

 けれど、それが何かの役に立った覚えはない。むしろ、そうやって怪夢を倒し続けているせいで、世間での当たり前の基準が変わってきているのではないのか、と思うようになってきていた。


「怪夢を殺すことと人を殺すこと。その罪の違いが、俺には分からない」


 怪夢を倒して当たり前。同じ人間である職人に対しても、同じ生き物である怪夢に対しても、人々が抱く価値観は歪んでいる。それとも、未空が歪んでしまっているのか。未空自身でも、それが分からなくなってしまっていた。

 そんな未空を黙って見つめていた旭は、クスリと笑った。


「……やっぱり、アナタは職人という仕事には向いていませんね」


 旭が笑った理由が、自分がやけに真剣な内容を語ったからだと思った未空は、思わず頬を赤らめ、彼女から顔を背けた。


「そ、そんなこと、俺が一番分かってますよ。俺が職人になった理由は、ただ自分だけの武器が欲しかっただけですし……」


「でも、アナタはその武器を持っている限り、怪夢を倒し続けなければならない。どれだけ辛くても、それが職人としてのアナタの使命」


 そう。旭の言うことは最もなのだ。

 人々の視線がどれだけ不快に感じようと、怪夢を殺す際にどれだけ辛い思いをしようと、職人になったからには当たり前のように怪夢と戦わなければならない。

 そんな事実を改めて突き付けられた気がして、未空は悔しくなって下唇を噛んだ。


「そんな日々に疲れた時は、また此処にいらしてください」


 旭のその言葉に、未空の心臓がトクン、と高鳴った。俯けていた顔を再び旭へと向けた時、彼女はそこで、はにかむように微笑んでいた。


「私でも、晴宮さんの本音や弱音を聞くくらいには、役に立てると思います」


「……そんなことしてて、仕事はいいんスか?」


「もちろん。あれからはもう、ぐっすり眠れていますから」


 そう言い、最後にニッコリ笑った旭の顔を見て、未空は頬を緩ませた。

 未空が怪夢を倒すことで、救えた人がいるのだと気付くことができたから。未空のことを応援してくれている人がいるのだと、知ることができたから。


「……そうですか。じゃあお言葉に甘えて、また来させてもらいますよ」


 今日一番の明るい口調で告げると、未空はクルリと旭へ背を向け、通路へと続く扉へ向かった。

 そんな未空の横顔を目で追いつつ、旭は彼へ質問を投げ掛ける。


「今日はまた職人のお仕事ですか?」


「ええ。この辺の地区、今晩は俺が見張ることになってるんスよ。徹夜で。夜はどうしたって怪夢が多くなりますから」


「徹夜で怪夢の相手を……お一人で大丈夫なんですか?」


「問題ないですよ。なんせ俺はーー」


 扉のノブに手を掛けた未空は、首を後ろへ回し、旭へ向けてニコリと微笑んだ。

 不安げに尋ねる彼女を、安心させるために。


「ーー悪夢祓いの職人ですから」


 それが、未空が自分で選んだ道。その道がどれだけ険しくても、もう逃れることはできない。

 けれど、今日はいつもよりもほんの少しだけ晴れやかな気持ちになれたから。険しい道のりの中に、憩いの場所を見つけることができたから。

 だから未空は笑って、今日も踏み込んでいく。


 悪夢が蔓延る世界の中へ。

お読みいただき、ありがとうございます。

よろしければ、広告下の☆マークで評価や、ブックマークの登録をお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ