メルテ・ローズ2
「おはようございます。アドルフ様。」
目を開けるとそこには絶世の美女がいた。……いや違う、奴隷だった。
「だから、顔が近い。」
そういって、メルテを遠ざける。
「申し訳ありません。」
本当に申し訳ないと思っているのか?反省の色が全く見えない。
「本日は午前が魔法の訓練、午後は算術の授業になります。」
算術は嫌いではない。ただ、魔法は若干苦手である。周囲の貴族に比べれば、この年で扱える魔法の数や魔力密度は高いのだが、ヴィート家に求められる水準よりかは少し劣っていた。
「朝食はこちらに。」
朝食はいつも俺の部屋で食べる。俺の起床は遅いわけではないが、父が早すぎるのだ。俺が起きたころには父は朝食を食べ終わっていて、仕事をしに王都へ向かっている。
「お前はどうして奴隷になったんだ?」
柄にもなくそんなことを聞いてしまう。奴隷ことをそこまで知る必要もないのに。けどやはり、こんなに気品があり美しいこの立ち姿を見ていると、とても奴隷だなんて信じられない。
「私は『お前』ではありません。」
片目しかない目でこちらを見据える。
「メルテ、とお呼びください。」
主人に向かって指図するとは……が、メルテだったら仕方ないと思ってしまう自分もいた。もはや彼女は奴隷であって、奴隷ではない。そう思えるほどに、彼女は別の存在に感じた。
「メルテ……はどうして奴隷になったんだ。」
彼女は少しうれしそうに微笑んだ後、話し始めた。
「私はとある小さな村で生まれました。いたって普通の平穏な村でした。」
食事の手を止め、話を聞く。
「私が十二の年になったころ、村が魔物に襲われました。魔物に襲われること自体はよくありましたが、その日は少し様子がおかしかったのです。」
村が魔物に襲われるという話はよく聞く。昔からあることであるため、対策は十分にしてあったはずだ。
「意思持ちの魔物がいました。それによって、魔物は統率され、作戦が立てられ、チームを組み村が襲われたのです。」
意思持ちの魔物……。俺も授業で習ったことがある。人間に近い思考能力や知識を持ち、本能でのみ動く魔物に知恵を与える存在である。意思持ちの魔物が一体いるだけで、戦況は大きく変わることは容易に想像できる。
「私も命からがら逃げだしましたが、最後にはつかまってしまいました。その時にこちらを失ってしまいました。」
そういって眼帯が付けられているほうの目を触る。その表情は、どこか悲しそうだった。
「村からの支援要請を受けた近くの貴族が来てくれたおかげで、私は生き残りました。」
奴隷になるという条件と引き換えに。と付け加えた。
「それがグルンレイド辺境伯か?」
「いえ、違います。別の貴族です。おそらく私が奴隷になってから一年、または二年後にご主人様……いえ、今は違いますね。グルンレイド様に出会いました。」
俺とは正反対の人生だな、そう思った。しかし、このような人生の方が世界にはありふれたものなのだろう。俺が恵まれすぎているだけなのだ。もっと俺は世界を知るべきなのかもしれない。
「お前……メルテは今何歳だ?」
「正確な年齢は分かりませんが、おそらく二十は過ぎていると思われます。」
約十年近く、グルンレイド辺境伯のもとで奴隷として生きて言ことになる。
「お前のその強さの秘密は、その十年にあるのか?」
「そう、だと思います。」
奴隷が保持しているにはおかしすぎる魔力密度は、やはりグルンレイド辺境伯が関係しているようだ。
「グルンレイド様は崇高なお考えのもと、さまざまな場所から奴隷を買い、または拾ってきております。私もその一人です。メイドとしての作法をはじめ、学問、剣術、そして魔法についての教育を十年間受け続けました。決して楽なものではありませんでしたが、今となっては、自分に必要不可欠な財産となっていると感じます。」
「……すごいな。」
本当にすごい。なんというか、経験してきたことの量が圧倒的に違う、そんな感じだ。
「ほかの奴隷も、お前のようなものなのか?」
「そうですね。このバッジをつけているものは例外なく。」
はっきりとそう答える。だから父は『あのバッジをつけているというだけで、そこらの下級貴族よりもよっぽど価値があるのだ』なんてことを言っていたのか。確かにその通りだ。学問、剣術、魔法のすべてが使える存在は貴重だ。
「そして、このバッジをもらうとともに、ローズを名乗ることを許されます。」
だからメルテ・『ローズ』。
「本日は、いつもよりも私のことについて聞いてくださいますね。」
話が途切れると、メルテがそういってきた。
「っ……!別に、気が乗っただけだ。」
『メルテのことが知りたかったから』などとは口が裂けてもいえない。火照り始めるほほを隠すように、下を向いて食事を再開した。……本当に嫌な奴だ。それを見て微笑んでいる姿が、また美しいと思えてしまうのも気にくわなかった。