魔界編:魔物の町7
「明日、例の魔族のもとへ向かう。」
「……明日ですか。」
ご主人様の言葉に、私は急速に思考を巡らせる。偵察という目的で連れてきた勇者たちの連絡を待たずに魔貴族のもとへ向かう意味とはどのようなことなのだろうか。
「……そういうことですか。」
これはご主人様のやさしさだ。いくら勇者の称号を持っていたとしても、魔貴族が相手では命を落とすかもしれない。だから私たちが先に向かい、事態を収拾してしまうほうが良いという考えだろう。
「あやつらは、今は世界を見て回る時期なのだ。」
椅子に座り窓から魔界の夜の空を見上げながらそのようなことを言う。その手には魔界で作られたワインがあった。魔界にくることなどほとんどないのでせっかくだから飲んでみたらしいのだが、グルンレイド領で製造しているワインの方がおいしいといっていた。私はあまりお酒は好きなほうではないので、とりわけ飲んでみたいとも思わないが。
「ここにも星があるのですね。」
以前魔界に来た時もそう思ったのだが、ご主人様に聞く前に人間界に戻ってしまった。
「これは星ではない。瘴気の結晶だ。」
「瘴気……ですか。」
それにしては綺麗だと思った。私が持っているこの世界の通貨でもある魔力の結晶、すなわち魔石よりも輝いているように感じる。
「魔石とは、何が違うのでしょうか。」
私は袋から魔石を取り出して、ご主人様に見せる。
「その名の通り、形成している物質が違う。魔力は純度が高く、圧縮することで魔石とすることが可能だ。」
確かにこの大きくて純度の高い魔石も、最初は小さな米粒ほどのものだった。それにメアリーが魔力を加えて圧縮した結果このような大きさまで成長したのだ。
「しかし瘴気は圧縮し結晶化することなどほぼ不可能だ。だが理論上は強大なエネルギーがあれば可能だ。」
瘴気の結晶を作ることはほぼ不可能……しかし、結晶化すれば人間界の夜空に浮かぶ星のように輝かしいものになる。人の力では実現できない物質ということだろう。
「ご主人様なら、可能なのではないでしょうか?」
「ふっ……それは分からん。」
……否定しないあたり、実はすでに瘴気の結晶化を実現しているのかもしれない。たとえ本当に実現していたとしても私はそれくらいでは驚かない。
「それでは明日朝に出発いたします。」
「うむ。」
「私が勝手に動くことを奴らはおこるだろうな。」
「そんなことはございません。ご主人様の判断は絶対です。」
ご主人様の意向に背くものは誰であろうとこの私が許さない。特にマーク、彼はたびたびご主人様に対して失礼な言動を行うので目を光らせておかなくては。
「場所は把握しているな?」
「もちろんです。」
アシュリーの観測魔法は魔界にも有効だ。それにあたって大量の魔力を消費するのでいくらかメアリーから魔力をもらっていたようだった。
「場所はザヴァル領、ここよりはるか北に存在する魔貴族の領土です。」
「ふむ。」
そんなことは百も承知だという表情だ。
「今回の襲撃者はザヴァル=ガーナード、魔界に七人存在する魔貴族の一人です。」
ザヴァル家はガーナードを含め三人、イル家も三人、スミス家が一人で合計七人という構成になっている。
「魔王はこのことを知っているのか。」
「知らないと思われます。客観的に見て今回起きていることは『人間の貴族のメイドを攻撃した』ということです。このようなことは珍しいものではありません。」
この世界には魔王というものが存在している。簡単に言えば、この魔界において最も力を持った存在だ。
「まあ、何が出てきても問題はない。」
その言葉に心から安心を覚える。圧倒的なその実力を知っている私としては、その言葉が虚勢などではないことは十分に分かっている。
「それでは、メアリーとハーヴェストにも伝えておきます。」
失礼しました、といって部屋を出ようとする。しかしこのせっかくの機会を逃すのはもったいないような気がして、もう一言付け加える。
「もう少しだけ、この部屋にお邪魔してもよろしいでしょうか。」
グルンレイド領では次から次へとやってくる仕事に追われて、このようにゆっくりとご主人様と会話をする機会も少なくなってきてしまった。
「お前を邪魔だと思ったことは今まで一度たりともない。命令だ、ここにいろ。」
「はい……!」
私が初めてご主人様に仕えた日の夜を思い出す。あの日も、今と同じように心地よい空気が流れていたことを思い出した。




