私の事を知らないあなたへ―中園詩視点
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「醒めてるよね」
良く言われるのは、その言葉。
「空気読めよ」
次に言われるのは、この言葉。
自分が醒めているのかどうかは、わからない。好きな事は好きだと言える。努力もできる。だから醒めている、とは少し違う気がする。ただ、おしゃれに励む女の子と話が合わない。男の子の噂をしている子たちとも話が合わない。興味がないからだ。単にそれだけ。
空気を読め、というのは、もっとわからない。必要な時に必要な事をする。必要とされる時に必要とされる言葉を口にする。自分がしているのはそれだけだ。それでどうして、空気を読め、と言われるのか。
「そりゃ、あんたがあたしらと平気で話ができるからっしょ、ウタ」
さやかが言った。茶色の髪。スカートは長い。爪はどぎついピンク色。
「あんた、あたしにも早坂にもフツーに話しかけてるし。呆れてたよ、あいつ。嘗められないようにってぎんぎんに睨みきかせてんのに、あんた、箒押しつけて掃除させたって?」
「掃除当番だったのに、帰ろうとしてたから」
そう言うと、さやかはにやりとした。
「怖くなかったの? あの見かけ」
私は少し、首をかしげた。早坂君の事を思い浮かべる。
脱色した髪を妙な形に立てている。
耳にピアスをつけている。
眉を剃っているので何となく、平べったいような、間の抜けた感じの顔に見える。
だぼだぼのズボンはいつも、ずり落ちそうだ。
「大丈夫かなって思ったけど」
「何が」
「ズボン、落ちないかなって。ズボン吊りをつけるように忠告するべきかなって思った」
さやかの顔が奇妙に歪んだ。
「ズボン吊りねえ……他には?」
「眉をそった顔って、おじゃるって感じだなーとか」
「おじゃるぅ?」
「平安時代の人の顔ってこんな感じかなって思った。早坂君初めて見た時」
真面目に答えたのだが、さやかはゲラゲラ笑い出した。背中をばんばん叩かれる。
「あんたサイコー、ウタってば! ナイスすぎ〜〜〜っ!」
目に涙まで浮かべている。
さやかとは、高校に入ってから知り合った。中等部もある桜花学園。私はそこに、高校から外部入学した。入学式の日にはホームルームがあって、新しいクラスに入る。新入生は全員、担任の挨拶を聞いて、クラスメートと顔を合わせる。私の名前が中園詩、さやかの名前は中島さやか。名簿の上で並んでいたので、席順が前と後ろだったのだ。
その日、クラスにはさやかと早坂君もいた。なぜか不機嫌そうな顔をしていた。二人とも、だらーっとした感じで座っていた。プリントを配布されて、メモを取るように、と担任に言われたので、シャーペンを取り出してメモを取った。そこでふと、さやかが何もしていないのに気がついた。
筆記用具、忘れたのかな。
そう思って声をかけた。シャーペン、貸そうか? って。
「貸してくれんの?」
「うん。あ、消しゴムもいるね」
相手の手元を見て、消しゴムも持っていない事に気がついた。だから持っていた自分の消しゴムを半分に割った。高校生になったから新しい消しゴムをと思って、大きいのを持っていた。色気も何もないと知り合いから言われた、でも良く消える白い消しゴム。
「はい」
そう言って渡すと何だか、びっくり、という顔をされた。どうしたんだろうと思ったら、黙って手を出して受け取ってくれた。
「新しいんじゃないの、これ」
「うん。だから汚れてないよ」
「いや、そうじゃなくて。新しいの、いきなり半分になるの、嫌じゃないの」
「消しゴムは使ってたら減るものだよ。割れる事だってあるし。ないと困るでしょ。使って?」
そう言うと、さやかはなぜか、神妙な顔になった。そして、「ありがと」とぽつっと言った。
ホームルームが終わると、さやかは「新しいの買って返す」と言った。
「え? 別に良いよ?」
「だってあんた、まっさらのやつ……」
「うん。新しくしといて良かった。前に持ってたの、すごーく小さくなってたから、あれだと割れなかったよ。こんなんになってたもの」
指で小さく示すと、さやかは変な顔になった。
「変な奴だね、あんた」
「そう?」
「変だよ。あたし見て何も思わないわけ?」
「何を?」
「だから、髪の色とか」
言われて相手の髪を見た。
「荒れてるね」
「はあ?」
「傷んでるよ、髪。ばさばさ」
ビールで脱色したらしく、さやかの髪は水気がなくてばさばさだった。
「椿油とかが良いって聞いた事あるけど、試してみる?」
真面目な顔で言うと、さやかは絶句して。それからもう一度、あんた変だ、と言った。
「名前、なんだっけ」
「中園詩。自己紹介の時に言ったよ?」
「タルいから聞いてなかったんだよ。ウタか。ウタね」
口の中で繰り返すとさやかは、ちょっと笑った。何だか可愛い笑顔だった。
「新しいの買って返す。あんた気に入った」
そう言って次の日、本当に新しいのを渡してくれた。私が割ってあげたのと同じものだった。それから何となく、一緒にいるようになった。
さやかの言う事は良くわからない事もあった。私の言う事も、さやかには時々、わからないらしい。でもさやかは、私が何か言うと、それを最後まで聞こうとしてくれた。
「さやかは、私の言う事ちゃんと聞いてくれるんだねえ」
そう言うと、呆れた顔をされた。
「あんたがあたしの言う事、聞いてくれるからっしょ。わかんない事もいっぱいあるのに、聞いてくれるじゃん。あんたがそうしてくれてんのに、あたしの方が無視なんてできないよ」
そうだっけ? と首をかしげると、そうだと言われた。義理がたいんだねえと言うと、ため息をつかれた。
「ウタ。あんた、天然」
良くわからなかった。
早坂君は、いつもむっとした顔をしていた。教室の中で一人でいる事が多い。でもプリントを渡したり、連絡事項を話さないといけない時もあって、そういう時、クラスの子はなぜか私に頼んだ。
「中園さん、これ、早坂君に渡して?」
「中園さん、早坂に伝えてほしいんだけど」
「中園さん、自由研究のグループなんだけど。うちに早坂君がいるんだけどね。中園さんのグループの田宮さんが、うちに来たがってるの。代わってもらえない?」
プリントは渡した。伝言もした。でもグループについては、
「早坂君にも話をしないと不公平だよ。田宮さんと早坂君で話してよ」
と言ったら、田宮さんにすごい顔で睨まれた。
「あんな人と話ができるわけないでしょ。いいからさっさとトレードしてよ!」
「当事者なしで勝手に決めたら、早坂君だって気分悪いよ。話ができないって、それなら今言えば? 早坂君!」
大声を出して呼ぶと、のそっとした感じで彼がこっちに来た。私を睨んでいた田宮さんと、話を言いに来た大沢さんが慌てた顔になった。
「えっ、ちょっと」
「なんだ」
早坂君が言うと、二人は黙った。話をするかと思ったのに何も言わないので、仕方なく私が言った。
「田宮さんが、大沢さんのグループに移りたいんだって。で、早坂君に私の方のグループに代わって欲しいって言ってる。そうだね、田宮さん?」
確認すると大沢さんは青ざめた。田宮さんは泣きそうな顔になった。
「早坂君はどうする?」
「俺はどっちでも」
ぼそっ、と言った早坂君に、「そう」と私は言った。
「ほら、田宮さん。移りたいのはあなたなんだから、自分で頼まないと」
そう言うと、田宮さんは本気で泣きそうになりながら、「あの……お願い」と言った。
「おう」
と早坂君が言った。
「じゃ、これでトレードね。大沢さん、これで良い?」
そう言うと、大沢さんは無言でこくこくうなずいた。
「早坂君、よろしくね」
そう言うと、早坂君はもう一度、「おう」と言った。その後大沢さんと田宮さんは立ち去り、早坂君は手持ち無沙汰という顔でそこに立っていた。
「で、……何すりゃ良いんだよ、俺は」
「グループがうちになったから、レポートの提出とか、一緒にやるんだよ。がんばろうね」
「……おう」
「あ、それと今日、掃除当番当たってるよ。化学室。悪いけど、一緒にやってね」
「タルいな」
「埃があると危険なんだよ。パソコンの裏に溜まった埃に、コンセントから火花が散って、火事になった家もあるんだよ。掃除は大事だよ」
「そうか」
「うん」
わかった、と言って早坂君はその日、化学室の掃除をした。その後なぜか、田宮さんを私がいじめてグループから追い出した、という噂が流れた。中園詩は不良だとか何とか。
面倒だったので放っておいた。
「早坂君、そこ違ってるよ」
「ああ? どこだよ」
「ウタ、ちょっとこれ教えてよ」
一ヶ月も立たない内に、私は早坂君やさやかに勉強を教える係になっていた。二人とも数学と英語が苦手だった。試験前に悩んでいたので、放課後、二人に授業のおさらいをしてあげると、それからなし崩しに私が先生役をやらされる事になった。「ウタの教え方はわかりやすいよ」とさやかに言われ、そうかな、と思った。
「あ、できてるよ! 早坂君がんばったね!」
そう言うと、彼はぼそっと「うん」と言った。
「じゃあ、練習問題やってみてね。今度の試験、良い線行くと思うよ」
「ウタ。あたしは?」
「さやかはもうちょっと……あ。そろそろ美術室行かないと」
そう言うと、さやかはちらっと早坂君を見てから私に視線を戻した。
「良く続くよね。美術部って、全然活動してないじゃん」
「そうだねー。部員はたくさんいるんだけど、誰も出てこないんだよ」
「部員がたくさん? ああ。王子狙いか」
さやかはピンクの爪で、髪をくるくるといじった。綺麗な栗色で艶がある。入学式に傷んでいると言われてから、髪の手入れを変えたのだそうだ。マヨネーズがどうとか言っていたが、どんな手入れなのだろう。
「王子って、ジェシー君?」
「そ。すごい騒ぎだったじゃん、王子が美術部に入部した時」
たくさんの女の子が入部届けを出した。でもジェシー君は運動神経が抜群なので、運動部から良く、助っ人を頼まれる。野球部もバスケット部も、臨時の部員として彼を欲しがった。結果、彼はあちこちの部をかけもちするという離れ業をする事になった。美術部の方は時々しか顔を出さない。
それがわかると女の子たちは、誰も美術室に来なくなった。今では美術室に来るのは、熱心な先輩と私だけ。女の子たちはジェシー君の後をついて回って、きゃーきゃー声援を送っている。
「私、絵を描くの好きだから。選択授業は音楽取っちゃったから、部活は美術をしたいんだ」
「そっか。悪かったね、時間使わせて」
「良いよ? 二人と話してると楽しいもの」
そう言うと、さやかは黙った。頬がピンクになっていた。
「あんたって、ホント天然」
「そう?」
「早坂。固まってないで、帰るよ。ウタの邪魔できないだろ」
「ああ」
早坂君はぎくしゃくした感じで教科書をしまった。
「明日も……教えてくれ」
「うん。早坂君、数学むいてるみたい。計算とか早いし。今度の試験、絶対大丈夫だよ。宿題ちゃんとやるんだよ」
「ああ」
早坂君は、小さく笑った。うれしそうだった。さやかはそんな早坂君の背中をばしっと叩いた。
「ニヤケるなよ、早坂」
「……ニヤケてない」
「その顔で? 説得力ないよ」
「さやか、この後どうするの?」
「ぶらぶらして帰る。あんたが一緒なら、カラオケ行くのもありだけど」
私は首をかしげた。
「流行してる歌とかわからない。私の知ってる歌、古いから」
「どんなの?」
「『おじいさんの古時計』」
さやかがぐはっと言って笑いだした。
「サイコー。マジ天然」
「え? なにが?」
「いや、良いよ。今度カラオケでそれ歌ってよ。ほかにはどんな歌知ってるの」
「ええっと。『菩提樹』とか。『鱒』とか。音楽の教科書にあったやつ。後は賛美歌ぐらいしかわからない」
「はー。そう言えばあんた、教会行ってるんだっけ」
「うん。歌うのは好きなんだけど、知ってる歌、賛美歌になっちゃうんだよねえ。『荒野の果てに』とか」
「なにそれ。どんな歌?」
一番を歌うと、ふーん、と言われた。
「良くわからんけど綺麗だね」
「ありがとう」
「でもカラオケにはそれ、なさそう。ま、いっか。今度一緒に行って、あんたの歌えそうな歌、探そう。期末が終わったらなんてどう?」
「うん。早坂君も来る?」
「……おう」
ぼそ、と早坂君が答えた。ちょっとうれしそうだった。
美術室に行くと、静かな空間が私を迎えてくれた。誰もいない。
「朝霞先輩、いないんだ」
穏やかな三年生の顔を思い出す。朝霞先輩は入部した時から、下級生の面倒を見てくれていた。デッサンの事とか、油絵具の事とか、こんな事尋ねたら恥ずかしいかな、と言うような事まで、尋ねたらていねいに教えてくれた。
ついでにお茶も淹れてくれた。家が紅茶関係の仕事をしているらしい。そのせいか、先輩は良く紅茶の茶葉を持ってきて、『一息つこうよ』と言って淹れてくれた。
ジェシー君みたいに物凄い人気ではないが、『癒し系』と呼ばれて人気のある人だ。私も少し憧れている。
アグリッパ像やマルス像を見てから、何をしようかと考える。デッサンが良いかな。スケッチブックを取り出して、椅子に腰かける。今日はビーナス像を描こうと思った。
美術室に置いてあるビーナス像の顔はどことなく、朝霞先輩に似ているのだ。穏やかな雰囲気の所が。
すると、がらっと戸が引かれた。女の子が勢い良く入ってくる。
「ああ、いない。あ、ちょっとごめん。ジェシー来てない?」
B組の田中優奈さんだ。音楽の授業で一緒になっている。
「いないよ。探しているの?」
「うん、あ」
そこで私の顔を良く見たらしい。なぜか気まずげな顔になった。
「ええっと。ありが……きゃっ」
美術室から出ようとして、入って来ようとした誰かにぶつかった。
「あっ、ごめん」
「気をつけてよ! あ、あんたたち」
入ってきたのは、ジェシー君の友だち二人。確か、国分君と、早川君。
「ぶつかってきたの、そっちだろ。あれ、ジェシーいないんだ。こっちだと思ったのに」
早川君が言って、美術室を見回す。後ろから、国分君が顔を出した。
「ねえ、美術部の人?」
にっこり笑って話しかけてくる。
「そうだけど」
「ふーん。俺、国分元春。君、名前、なんて言うの?」
「中園 詩」
答えると、びっくり。という顔をされた。早川君が思わずという風に言った。
「F組の不良?」
はあ?
国分君と田中さんが、ぎょっとした顔になった。早川君も言ってから、あ、という顔で手で口を抑えた。
「失礼だぞ、祐太」
この馬鹿、という顔で国分君がべしっと早川君の頭を叩いた。
「違うに決まっているだろう。良く見ろ、真面目な美術部員だ。ねえ、中園さん。詩って、珍しい名前だね」
にこやかに言われる。私はまばたいた。
「F組の不良って、……中園詩が、不良って話なの?」
「あー、いや。それは君とは違うし」
「F組の中園詩なら、私だよ」
沈黙が落ちた。早川君の顔色が良くない。田中さんは明らかに引きつっている。
「あー、その。でも君はタバコ吸ってないようだし」
「タバコ、吸ってる事になっているの?」
困った、という顔で、国分君が頭を掻いた。
「絶対君とは違うと思うんだけど。不良を顎でこき使って、クラスメートからお金を巻き上げたり、ひどい事をしほうだいだって。噂」
「そうなの」
そんな話になっていたのか。
私は田中さんに目をやった。
「田中さんも、私がここでタバコを吸っていると思ったんだ?」
私だと気がついた時のあの表情。
「え? いやあたしは! それだったら匂いがするし……そうじゃなくて!」
慌てた感じで、田中さんがばたばた手を振った。
「中園さん、噂されてる感じじゃないのは見てたらわかるし。音楽の授業でも真面目じゃない。えーと、でもね、あれ、まずいと思うのよ。ほら。不良の子といつも一緒にいるじゃない。だから誤解されると思うの。あれがね。悪いのよ」
一瞬、頭をなぐられたような気がした。
「……悪い?」
私は田中さんを見つめた。
それから立ち上がった。
「何が悪いの?」
「え? ちょっと、……中園さん?」
私の様子に田中さんは驚いた顔になった。早川君と国分君も。
「さやかは、見た目は派手だけれど。筋はきちんと通す人よ。掃除もさぼった事なんかないわ。他の子はさぼって帰ってしまうのに、あの人はちゃんと残って掃除しているわよ。早坂君だって同じよ。彼、服装はああだけれど、何をするべきか、何をしたらいけないのか、良くわかっているわ。試験の前にはきちんと勉強しているし、実験の時にもふざけた事なんかない。危険だとわかっているからよ。むしろ他の人の方が、先生の言う事を無視したり、わざと危険な事をやってみようとしたり、危ない事をしているわ。
それにあの人たち、すごく優しいわ。困っている人には必ず手を差し伸べている。早坂君、この間遅刻したの。クラスの人はみんな、サボリだって言ったけど。あの人、転んで怪我したおばあさんを見かけて、おんぶして送ってあげてたのよ。だから遅刻したの。本人、何も言わないけれどね。そういう事ができる人なのよ、彼。さやかだってそうよ。電車の中で、怪我している人に席を譲っているのはいつもさやかよ。他の人が知らん顔している時でも、さやかはそうしているわ。
私はそんな二人と友だちなの。それを誇りに思っている。なぜそれを悪いと思わなければならないの?」
一気に言った。頭に血が昇っていたのもあったが、あの二人の事をそんな風に言われたのが悲しかった。
「でも、あの二人は不良で」
「何をもって不良と言うの。服装が違うから? 言っておくけれど、あの二人が誰かのお金を盗った事はないわ。私もよ」
田中さんは、唇を噛んだ。言い負かされた気がするのか、私を睨んでいる。
「不良は不良よ」
「それならあなたには、私も不良ね。面と向かって言われたのは初めてだわ」
静かに言うと、うっ、という顔をされた。
「なんで、あんなのを庇うのよ!」
「庇ってなんかいないわ。私は友だちを友だちと言っているだけ。恥じる事はないし、いつでも胸を張っていられる。あなたはどうなの? あなたの友だちを不良だと言う人がいたら、それで付き合いをやめるの?」
「あたしがそんな事、するわけないでしょうっ!」
怒鳴るように言う。早川君の顔色はどんどん悪くなっていた。おろおろしている。国分君も、どうしようという顔をしている。
「おまえが悪いよ、田中」
そこでそう言う声がした。全員が後ろを見る。
「ジェシー」
国分君がほっとしたように言った。
桜花学園の王子さまだ。相変わらず背が高い。きらきらの金髪に青い目。
「なんであたしが悪いのよ!」
噛みつくように言う田中さん。ジェシー君はふう、と息をついた。
「謝ってしまえよ。自分でも悪い事言ったって思ってるんだろ」
そう言われて田中さんは、うっ、という顔をした。追い詰められたような顔をしている。気の毒になって、私は言った。
「別に良いわ。田中さんは、自分が正しいと思う事を言っただけだもの。それは私には正しい事ではないけど、田中さんはそう思っているのだし。私が友だちを捨てる事はないから、何も変わらないわ」
すると田中さんはさらに、ううっ、という顔をした。
「やめてよ! ひどいわ! あたしが悪人みたいじゃないっ!」
「どうして?」
本気で不思議に思ったのでそう尋ねると、田中さんは口をぱくぱくした。
「だ、……だって、ひどい……」
「私がひどいの?」
私は首をかしげた。
「あなたは私を不良と言って、私の友だち二人が悪いと言ったわ。その上で、ひどいのは私なの?」
田中さんは黙ってしまった。
赤くなったり青くなったりを繰り返して、そうして涙目になってから、小さな声で、
「あ、……あたしが悪かった、わ。ごめんなさい……」
と言った。
「別に、謝る事はないのよ?」
「謝らせてよ! お願いだから! ああもう、信じられない……」
泣きそうになっているので、気の毒になってしまった。
「悪く言われるのには慣れているの。あなたのせいじゃないわ」
そう言うと、もう、どん底。という顔をされた。頭を抱えてその場に座り込んでしまう。
「やめてよ。あたしが悪口言いまくった挙げ句、イジメをしてるみたいじゃない〜っ」
「でも、事実よ? 私、嫌われるのよ。空気読めない女って良く言われたわ。別に気にしなかったけど」
「確かに読めないな」
「なんかすごい人だよね」
ぼそぼそと国分君と早川君が言った。
「空気読めないってどうして?」
ジェシー君が私に尋ねる。
「さあ? 私は普通にしていただけだから」
「中園さんの普通か……」
ジェシー君はくすっと笑った。
「いじめられてる人に、普通に話しかけたりしたんじゃない?」
「そうだったかしら。だって、プリントは渡さないといけないでしょう?」
「他の人がシカトしてる時に、堂々と『普通』にしてたりしたんじゃないの?」
「当たり前の事でしょう?」
ジェシー君はくすくす笑った。田中さんはぽかんとした顔でこっちを見ている。国分君と早川君は、ほへえ〜、と妙な声をあげた。
「すげえ。マジ天然」
「天然ってこういうのを言うんだ……」
私は眉をしかめた。
「それも良く聞くけど。私は違うわ。天然って言うのは、朝霞先輩みたいな人の事を言うのよ」
沈黙が落ちた。
ぶはは、とジェシー君が大笑いを始め、国分君と早川君が『あ〜』という顔をした。田中さんは何が何だかわからないらしく、きょとんとした顔で私たちを見比べた。
「あさか先輩って?」
田中さんの疑問にジェシー君が答える。
「美術部の三年。うん。そうだね。中園さんが男性になったら、あの先輩みたいだ」
「そっか。この人はあの人の女性バージョンか」
何かしみじみとした感じで、国分君が言った。私はちょっと、むっとした。
「それ先輩に失礼よ、ジェシー君。私はあんなに上手に紅茶を淹れたりできないわ」
気にするのそこなの? と早川君が言った。
「前に淹れてくれた時、美味しかったよ」
ジェシー君が言った。朝霞先輩に教わって、紅茶を淹れた事がある。その時の事を言っているらしい。
「あれは、先輩の教え方が良かったのよ。私じゃまだまだ……そうだ。お茶、飲んでいく?」
ふと思いついてまだ座り込んでいる田中さんに尋ねると、目を丸くされた。
「え? え?」
「先輩がお茶の葉を置いているから。モデルとしてティーセットも置いているの。お湯を沸かしたらすぐに出せるわ。どう?」
「え、あの? どうしてそこでお茶?」
あわあわしている田中さんに、ホントに天然だ、と国分君が言った。それって田中さんが天然って事?
「ボクにも淹れてもらえる?」
うれしそうにジェシー君が言った。
「良いわよ。そちらの人たちも……」
「あー、いや。俺たちは……えっと。田中、何でここに来たの?」
国分君が咳払いをしてから田中さんに尋ねる。田中さんは、あっ、そうだ、と言って立ち上がった。
「あんたを探していたのよ、ジェシー、……ええと。ジェシー君」
ジェシー君は、そう言われて目を丸くした。
「ボク? 何か話?」
「そうなの。ええっと」
困ったように私たちを見比べてから、田中さんは言った。
「できれば二人で話がしたいんだけど……」
「そうなんだ? ……元春、祐太も。ここでしばらく待っていてくれる?」
ジェシー君はちょっと考えてからすぐにそう言った。別の部屋に行こうと言って、田中さんと一緒に出て行く。
「あの……ホントにごめんね。あたし、そういうつもりなくて」
出て行く時に、田中さんは気まずそうな顔で私にそう言った。私は笑った。
「かまわないわ。時間があったらまた来て。お茶を淹れてあげる」
「うん……あの。ありがとう」
なぜかぺこりと頭を下げられた。何でだろう。
結局、田中さんは戻って来なかった。国分君と早川君は居心地悪そうにしていたが、私がお茶を淹れる支度を始めると、国分君が、
「手伝うよ」
と言った。ティーセットを出してもらって、先輩に教わった通りにお茶を淹れた。ポットとカップを温める。葉をスプーンで量って入れて、勢い良く湯を注ぐ。
「これで三分」
お茶請けに何かないかと探して、ビスケットの缶を見つけた。三枚だけ残っていたのでそれを出す。私は食べない事にした。ティーコゼーを探したが、見つからなかった。仕方がないのでタオルをポットに巻いた。砂時計をセットして言うと、早川君が不思議そうに言った。
「なんでタオル巻くの?」
「ティーコゼーっていう、ポットに被せる帽子みたいのがあるの。見つからないから、その代わり」
「ティー……何?」
「ティーコゼー。綿を入れてある帽子よ。それを被せると、お湯の温度が下がらないの。ほら、ダウンジャケットって、綿を詰めてるでしょう。あれと同じ原理。空気を含んだものを被せておくと、温度が下がりにくくなるの。葉を蒸らすのには、熱いお湯の方が良いから。ここ、地下にあるから気温が低めでしょう?」
「そうだね」
「夏には涼しいけれどね」
「美術部って、お茶飲んだりするんだ」
国分君が言う。私はちょっと笑った。
「朝霞先輩がいるから。あの人、優しげだけれど、我が道を行く所あるでしょう」
「そうだなあ」
うんうんと国分君はうなずいた。
「知り合いなんだ? 元春」
「うちの近所に、あの人の家がやってる喫茶店があるんだよ」
「そうなんだ」
話している内に、砂時計の砂が落ちきった。ポットからカップに紅茶を注ぐ。早川君と国分君にカップを渡すと、二人は神妙な顔で受け取った。
「あ、……おいしい」
「うん。サイコー」
二人はにこりとした。
「ジェシー、いつもこんなの飲んでるんだー」
「いつもじゃないわ。朝霞先輩がいないと、淹れる人がいなくて」
「君は淹れないの?」
「描いていると夢中になってて、気がつかない事もあるの」
そこへジェシー君が帰って来た。国分君が声をかけた。
「お帰り。あれ? 田中は?」
「帰った」
ジェシー君は何だか困惑したような顔をしている。
「告白でもされたのか?」
「いや」
ちら、と私の方を見てから首を振った。
「別に何でもない話。ボクにももらえる? 中園さん」
「良いわよ。……私、この後デッサンをするけれど」
「ボクもデッサンをしたいな。今日は」
ジェシー君は紅茶のカップを受け取った。
「何だ。一緒に帰ろうと思ったのに」
「ごめん、今日は部活」
国分君は呆れた顔になった。
「ジェシー。おまえの絵って、落書きがちょっと進化したみたいに見えるんだけど。なんで美術部なわけ?」
「別に良いだろ」
むっとした顔になってジェシー君が言う。落書きがちょっと進化。言いえて妙だ。ジェシー君の絵は確かに、上手じゃない。
でも、一所懸命だ。
「国分君。描きたい気持ちがあれば、誰でも美術部に入れるわ」
そう言うと、国分君は息をついた。
「モテる奴はいつも、女の子が庇ってくれて良いよな」
「元春。中園さんはそんなのじゃない」
ジェシー君がきっとした顔になった。国分君は、ん? という顔をした。早川君がそこで口を挟んだ。
「そうだよ、元春。中園さんが言ったのは、おまえが言うような意味じゃないよ。選択授業の時、俺たちが遊んでる時でも、ジェシーは真面目に絵を描いてるじゃないか。下手だけど」
「そう言えばそうだな。下手だけど」
「おい、おまえら」
ジェシー君がむっとした顔になる。かまわずにやにやしながら国分君が言った。
「つまりあれだな。下手だけど、心があれば美術部員。そう言いたかったの、中園さん」
「そうね」
あっさり言うと、ジェシー君はがくん、と顎を落とした。早川君と国分君は、爆笑した。
「ひでえ!」
「マジに言った。うわすげえ」
「なかぞのさん……ボク、そんなにへた……?」
「バランスが良くないのよ」
私は言った。
「ジェシー君の色、私は好きよ。面白い選び方してる。すごいなって思う事もあるわ」
そう言うと、ジェシー君はぱっ、と赤くなった。
「そう?」
「でも、バランスが良くないの。うまく言えないけど」
「バランス?」
「たくさん良い物を見て、練習したら上手くなると思うわ。あなたの色の選び方は、あなた独自のものだもの」
そう言って笑うと、ジェシー君は何だか眩しそうにこっちを見ていた。
ジェシー君に告白されるのは、それからしばらくしてからの事。
詩の周囲に不良がいる、というのと、ジェシーが美術部員、というので、つじつまを合わせるのにちょっと苦労しました(笑)。オリジナルのキャラクターばんばん出してるし(汗)。ジェシーくんが部員だったら、女の子が殺到するのではと思って、彼が、他の運動部の助っ人をしていて、美術部にはあまり顔を出せない、としてみました。そうじゃないと、二人きりの美術室は無理っぽい(汗)。
詩がどう返事したのかは読者さまのご想像にお任せします。
……って言うか、詩の場合、相当しつこく口説かないと理解してもらえない気がするよ、ジェシーくん。