転生者は裏切り者を許さない
転生するはずだった体に生まれかけていた生命に心を奪われ、転生ではなく、寄り添い見守る事を選んだ“私”。
弱い生命力ながら、心優しい娘に育った“あの子”。
“私”がベースで生命力を補う限り、“あの子”が消える事は無い。……余程の事がなければ……そう、思っていた……。
学園の裏庭にある、周りからの目を隠すような薔薇に囲まれた一角で、私の美しい婚約者と、桃色の髪を持つ女生徒との逢引を見てしまった。
「ミリア……何て愛おしい」
「ジュリアス様……お慕いしております」
お互い愛おしそうに見つめ合い、そのまま唇が重なる。
「………」
血の気が引き、目の前が真っ暗になった気がした。
悲鳴を上げなかったのが不思議な位だ。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
頭の中がぐちゃぐちゃになっている。
「ジュリアス様……クラリッサ様は良いのですか…?」
「あぁ、あいつは俺に惚れているから大丈夫だ。……ミリアを正妻にする事は難しいが……公爵家に婿に入れば、私の好きに出来る。……寂しい思いをさせる事があるかもしれないが私が真実、愛しているのはミリアだけだ…」
「嬉しい……ジュリアス様……」
衝撃的な会話内容と繰り返される口付けに、頭の何処かが焼けついているように熱い。
――…このまま聞いていては駄目………ここから離れなさい。
混乱する頭に不意に浮かんだのは、逃げる事だった……。
「……ここは……?」
ふと、目を覚ますと見慣れない天井が見えた。
「あぁ、お嬢様! 目を覚まされたのですね!」
「………アリー? ……私…?」
ふと顔を向けると、侍女のアリーが側で手を握っていた。
少し涙の浮かんだ目を拭うと、そっと手を離し私の手を布団に戻す。
「お嬢様は、廊下で倒れている所を救護室に運ばれたのです」
「廊下で……倒れていた?」
「はい。偶然通りかかったカイル様が運んで下さったそうです」
「カイルが……そう…」
「今、先生を呼んで参りますね」
そう言うと、アリーはベッドサイドを離れた。
……カイルは『クラリッサ』の幼馴染にあたる、伯爵家の次男だ。
“あの子”がジュリアスと婚約した後も、近付き過ぎない距離で、気にかけてくれていたのを知っている。
……………………何故、“私”が表層に出ている?
“あの子”は何処? 表層には“あの子”が居ないとおかしい。
……あんな混乱の中で……? ……あの時“あの子”はどうだった?
おかしい。おかしい。おかしい。
どこ? どこに居る? “あの子”が居ないなんて……!
……あっ……待って! 行っちゃダメ! 何で?! ここに居て!
『ごめん…なさい…。でも…もう、ダメ…なの。心が……壊れちゃった…』
――ダメじゃない! 休んでていいんだよ? あんな奴の為に壊れるなんて……!
『でも、……好き…だったの……愛してたの…。すごく。……もう、頑張れない…』
――待って! 置いていかないで!
『ずっと……助けてくれてた…んだよね…? …ありがとう……』
――いやだ! もっと貴女と居たいのに!
『…今頃……気付いちゃって…遅いよね。……もっと、早く、知りたかった……会いたかった……』
――遅いなんてない! まだ……っ!
『ありがとう……。これからの…私を……よろしく…ね』
――いやあぁぁぁ!!!
「…クラリッサ様、お目覚めと伺いましたが……」
「……あ……」
「お嬢様?! 涙が…っ! どうなさいました?!」
アリーが救護の先生を連れて戻った時、私は横になったまま涙を流していた。
「……ごめんなさい、何でもないの。……少し、怖い夢を見たのかも…」
「大丈夫ですか…?」
“あの子”が居なくなった虚無感に襲われ、体に力が入らない。
涙を拭く為に、手を上げる事すらままならない。
そんな私にアリーは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
「失礼しますね。……少しだけ熱があるようですが、どこか痛い所や吐き気などありませんか?」
「特に……少し身体が重く感じる位です」
涙を拭き終えたアリーが下がり、先生が軽く診察をしてくれた。
実際、倒れた時に少し打った位で、体は問題ない。心の方が辛い。
「そうですか…もう少し休んで行きますか? それとも戻られますか?」
「ええ……家に戻りたいと思います」
「一人で歩けますか? ゆっくり起き上がってみて下さい」
「…はい」
アリーが手を添えてくれ、ゆっくりと体を起こす。
一瞬軽い眩暈がしたが、問題無いだろう。
………久しぶりに自分の意志で動かす身体は、酷く重く感じられた。
「失礼します。……クラリッサの見舞いに来たんですが…」
救護室のドアが開き、カイルの声が聞こえてきた。
「……カイル」
「クラリッサ! もう起きて大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫。……運んでくれたと聞いたわ。ありがとう…」
「礼なんていいよ。もう、帰るのか? 送っていくか?」
「心配し過ぎじゃない? ……でも、お願いしようかしら」
「ああ、任せとけ」
「ふふっ、ありがとう」
ベッドから立ち上がる私にカイルが手を差し出してきた。
こんな風に女の子に気を使える男性になっていたなんて…気付かなかったわ。
救護の先生にお礼をし、カイルにエスコートされたまま馬車寄せに向かう。
「お前……倒れるとかどうしたんだよ。本当、ビックリしたよ」
「ごめんなさい。貧血……だったのかしら? 頭を打ったのか、ちょっと記憶が曖昧なのよね」
曖昧な訳じゃない。
あのシーンを見せられて、絶望した“あの子”の心が壊れたからだ。
足元が崩れ落ちる感覚、真っ暗闇の中落ちていく感覚だった。
「ホント大丈夫なのかよ…」
ブツブツ呟きながらも、私の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれるカイルを見る。
少し見上げる横顔に、身長差を感じた。
「……大きくなったのね…」
「? 何だ?」
「いいえ? 少し身長差がついたと思っただけよ」
「そうだな…最近身長の伸びがいいかもしれない」
ニカッと笑うカイルに、少しの眩しさを感じ、目を細める。
「…どうした? 具合、悪いか?」
「ううん、大丈夫」
目を奪われていた事に気付かれない様、微笑んでから前を向く。
程なくして馬車寄せに着き、乗り込もうとした時に、後ろから声がかかる。
「クラリッサ! 倒れたと聞いたが…」
「………」
ゆっくり振り返ると、ジュリアスが居た。さも心配そうな顔をして。
見えない位置に居るつもりか、少し後ろに桃色の髪が見えるから、ミリアも居るらしい。
…………こんな時間まで、二人でゆっくり………ね。
「……クラリッサ?」
何の反応も返さない私に、少し眉を寄せジュリアスが顔を覗き込む。
ハッと気付き、困ったような顔を作り、私は口を開く。
「あの………どちら様でしょう……?」
「……は…?」
ぽかんとした顔をしたジュリアスに笑いそうになる。美形が台無しだ。
頑張って困惑顔を続け、カイルの袖を引く。
「カイル……」
同じく驚いた顔をしていたカイルが我に返る。
「あっ…と、クラリッサ、ジュリアスだよ? ……君の婚約者の」
「ジュリアス…様…? ………………婚約者?」
「ああ。二年前に君と婚約をしている」
「そう……なのですか…?」
初めて聞きました、と言わんばかりの不思議顔を作り、首を傾げる。
「………何をふざけているんだ?」
「ふざけてなど……」
「失礼します、ジュリアス様」
「……アリーか。何だ」
「お嬢様は先程倒れた際に頭を打たれたのか、記憶が少し曖昧の様です」
「……そうか」
「申し訳ありません、…ジュリアス様。……少し頭が痛いので、失礼させて頂きます」
「ああ…引き留めて悪かった。……私が送って行こうか?」
「いえ、カイルに頼みましたので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
少し怒りを含ませた顔のジュリアスは、アリーの説明に納得したのか怒気を霧散させた。更に、婚約者らしい行動をと思ったのか、今までは言わなかった様な気遣いを見せるが、作った笑みを添えキッパリと断らせてもらう。
「そうか…。気を付けて」
「失礼します」
貼り付けた笑みで儀礼的に返し、カイル、アリーと共に馬車に乗り込む。
窓の外は見ない。
「……クラリッサ…、……ジュリアスの事…」
「うん……全く思い出せないの。……考えると、少し頭も痛くなる……」
「……今日は何も考え無い方が良いかもしれない。安静にして本調子に戻れば、きっと思い出すさ」
「そう…ね」
少し疲れた様に微笑めば、カイルがそっと頭を撫でてくれた。
「まぁ、俺の事は憶えていてくれてるから、いいよ」
「え?」
「さっきのジュリアスを見てて、同じ事が自分に起きたらと思ったらゾッとした」
「やだ、カイルったら。……忘れるわけ…ないじゃない」
「だってよ、お前にあんな怯えた顔で『どちら様』とか。……辛すぎる」
「……私、そんな怯えた顔してた?」
「してたしてた。アイツ、あんな顔向けられた事無いだろうから、ショックだったろうな」
「……何か嬉しそうじゃない?」
「いいや? そんな事無いぜ」
「ふーん…」
“あの子”がジュリアスに向けていた顔。間違いなく、恋する乙女の顔。
学園に入り、美しく、王子様の様なジュリアスに恋をした“あの子”が、両親に婚約を強請ったのだもの。
公爵家の一人娘に対し、侯爵家の三男。婿に取るには丁度良かったのもあり、両親からの反対は無かった。
ジュリアスは然程“あの子”に興味が無かったのは透けて見えたけど、公爵家の婿に入る為、最低限、婚約者としては行動していたと思う。
いつの頃からか、二人で会う時間が少なくなってきていた。忙しいと口癖の様に言い、公爵家の婿としての教育も身が入らなくなっていた。……元々勉強もあまり好きでは無いようだったし。
偶に会っても“あの子”の方から話しかけなければ会話も続かず、上の空。不機嫌に切り返される事もあった。“あの子”は自分が悪いのだと落ち込んでいたけれど…。
プレゼントをくれるのも誕生日位で、手紙も3回に1回戻ってくれば良い方。……エスコートを断られた事も何度かあった。
そして、今日の決定的な場面だ。
確かに“あの子”の心が壊れてもおかしくは無い。
何故もっと干渉してやらなかったのかが、悔やまれる。
しかし、“あの子”を取り込む可能性がある干渉は、どうしても出来なかった。……本来なら“私”のせいで消滅するか、吸収する筈の“あの子”だったから……。
“あの子”の人生を生きて欲しかった。
混ざりものの無い、“私”の前世約19年の記憶に引っ張られない人生を……。
「何か…今日のクラリッサは、少し大人びて見えるな」
窓の外に目線をやり、思いに耽っていた私にカイルの声がかかる。
「……そう? …頭痛のせいで大人しくしてるからじゃない?」
「それもそうか。……今日はすぐ休めよ?」
「うん。そうね……今日は何か…疲れたわ…」
また優しく頭を撫でられ、……ゆっくりと瞼が落ちていく。
「お嬢様。朝でございます。体調はいかがですか?」
「……う……ん。……ん?」
アリーに起こされ、気付けば自分のベッドに寝ていた。
「あら…? 私……昨日……」
「帰りの馬車の中でお休みになってしまい、起こすのも忍びないとカイル様が運んで下さいました」
「あぁ……」
やってしまった。昨日だけで二回もカイルに運ばれるとは……。
「お召し替えだけ行い、そのままお休み頂きましたので、夕食を抜いてしまいましたが……」
「そう。……お腹は…少し空いているかしら」
「畏まりました。消化の良い食事をご用意いたします。医師を呼んでありますので、先に診察を受けて頂きます」
「わかったわ。よろしくね」
「はい、失礼致します」
医師の呼び出しと、食事の指示の為にアリーが部屋を出ていく。
……これから…どうしようか…。
医師の診察を終え、倒れた際の少しの打ち身はあるものの、大きな怪我などは見受けられない事、記憶に関しては時間を置いてみないと何とも言えない事を聞き、少しの安静を言い渡された。
丁度良いので、少し学園を休み、これからの作戦を考える事にした。
朝食を食べ、休むから、と人払いをする。
両親は今、領地に戻っており、こちらに帰ってくるのは2週間後の予定だ。……倒れた情報が行けば、急いで帰ってくるかもしれないが……。
その間にジュリアスとの婚約を解消する方法を考えなくては。
“あの子”を傷付け、消してしまったジュリアスを許す事は出来ない。
出来れば、あのミリアもどうにかしたい。どちらも見たくすらない。
……二人揃って、どこか私の目の届かない所に行けば良いのに……。
とりあえず、ジュリアスから送られた手紙やプレゼントを纏めてみる。
二年間、婚約者であったとは思えない程の少ない量だ。
手紙の内容も最初は兎も角、素っ気ない物も数多い。エスコートを断る手紙もある。
ジュリアスの事を忘れている設定なので、ついでにミリアの事も忘れてしまおう。
明後日からは学園に通い、ジュリアスを思い出す為に、と情報収集をしよう。
噂好きの者を選べば大丈夫だろう。きっとミリアとの話を嬉々として、してくれる筈だ。
本人達は隠れているつもりだろうが、結構色々な所から噂は聞こえていた。
……“あの子”は、無意識に避けていたけれど。
その情報と戻らない記憶と手紙の数々、思い出そうとすると頭痛がする、私から無理矢理の婚約なら、解放してあげたい、と両親に泣きついてみよう。
素直に『逢引の現場を見た!』と声を上げても、きっと取り合ってもらえない。ジュリアスは公爵家に入りたがっている。上手く誤魔化そうとするだろう。
それに、私が嫉妬に狂っている様に見えるのも駄目だ。『クラリッサ』の評判を落とす事は本意ではない。
婚約者の記憶を失い、それを補完する為に情報収集をし、『真実の愛』を知り、自分から身を引く様に、婚約の解消をする。
『クラリッサ』の評判は問題無いだろう。
“捨てられた”のではなく、あくまで“身を引いてあげた”のだから。
無事婚約が解消された時、ジュリアスとミリアはどうなるのだろう?
障害の解消された真実の愛は永遠なのだろうか?
それとも地位ありきの打算の愛なのだろうか?
ジュリアスはきっと、侯爵家から見放されるだろう。自分が惚れられていて、公爵家の婿になるという立場に胡坐をかいて、家族…特に兄弟にも横柄な態度を取っていたようだから。
男爵家はどうだろう? ミリアは庶子と耳にしたことがある。公爵家婿の愛妾と、侯爵家から見放された三男とでは天地の差があるだろう。それなら裕福な商人か、金持ち貴族の後妻などに行かされるかもしれない。
二人で逃げて、平民として暮らす。……という選択肢もあるが、多分無いだろう。ジュリアスは典型的な貴族だ。貴族生活に慣れ切った者が平民に、なんて考えもしない筈だ。
……ああ、楽しみだ。どんな顔を見せてくれるのか……。
「クラリッサ! 婚約解消とはどういう事だ!」
突然教室に現れたジュリアスに腕を掴まれ、人気のない空き教室にクラリッサは連れてこられた。
「突然何です、ジュリアス様。それに、どういう事とは?」
「私との婚約が解消されたと聞いた! 何故だ!」
ジュリアスの手を振り払い、掴まれていた腕を擦る。
そして怒りのまま声を荒げるジュリアスに冷たい目を向ける。
「何故と申されましても……」
「記憶が無くなったのが原因なのか? そんなもの、これから一緒に作っていけば良いだろう。そうすれば、思い出すかもしれないだろう?」
殊勝な事を言い出したジュリアスに溜息を吐く。
「……それだけではございません。ジュリアス様との記憶が失われてから、婚約者の記憶が無いのは申し訳ないと、取り戻すべく努力を致しました」
「なら…」
「そうしましたら、色々な事が見えて参りました」
ほっとした雰囲気を出したジュリアスの言葉を意識的に遮る。
「……色々…?」
疑問を顔に出し、首を傾げるジュリアス。
「頂いた手紙の内容や、家の者に聞いた私達の様子。学園でのジュリアス様の事。私からの懇願で決まった婚約だという事。そして、ジュリアス様が親密にされている女生徒が居る事」
「……なっ…」
私の語る内容にジュリアスの顔から血の気が引く。
「私の記憶にジュリアス様が居ない今、無理に婚約を続ける必要性を感じなくなりましたの。……真に愛する二人を引き裂く行為なんて、私には出来ませんわ」
「ちが…違う! 私の事を妬んでいる者にでも嘘を吹き込まれたのだろう!」
続ける私の言葉にジュリアスは否定を返す。
「そうなんですの?」
「そうだ! クラリッサという大事な婚約者が居るのに、懇意にしている女性なんて居ない!」
きょとん、と首を傾げる私にまだ大丈夫と思ったのか、ジュリアスは更に否定を続ける。
「そちらの…ミリア様…でしたか? 両親に頼んだ調査でも、かなり親密だと情報が挙がってきているのですが…」
「えっ……ミリア…?!」
「……ジュリアス様……?」
私が連れていかれるのを見ていたのだろう。少し前から中の様子を窺おうとする桃色の頭が見え隠れしていた。中を窺おうと思ったのか、少し扉を開けた時に、存在を明らかにする様に声をかけた。
「ごめんなさいね、ミリアさん。私のせいで、ジュリアス様との仲を妨害していた様で……でも、これからは二人、何の障害も無く一緒に居られますわ」
ミリアに近付き、手を取って応援してやれば、ミリアの顔に喜色が浮かんだ。
「クラリッサ様…ありがとうございます!」
「いや……ちが……」
嬉しさを漲らせ、満面の笑みでミリアは応える。
ジュリアスは言葉を無くしているようだ。
「ジュリアス様! これで、普通に結婚できるんですね!」
「違う違う! 俺はクラリッサと結婚して、公爵家に入るんだ!」
「………え?」
ジュリアスの腕に抱き着こうとしたミリアを突き飛ばし、ジュリアスは酷い宣言をした。そしてそのまま私に近付き、腕を取る。
「……ジュリアス様?」
「お前は私に惚れているのだろう? 今忘れていたとしても、後悔する筈だ! 婚約の解消は認められない!」
腕を掴む手に力を籠められ、痛みが増す。
痛みが出てしまい、顔を作れない。
「しかし…ジュリアス様は、ミリアさんを愛してらっしゃるのでしょう…?」
「妾としてに決まってるだろう?! 公爵家のクラリッサとは比べ物にならない!」
やはり、ジュリアスはクズだった。悪い意味での、貴族らしい貴族だ。
「ジュ……ジュリアス…様…? 嘘…ですよね…?」
「ジュリアス様…それは…」
ミリアは突き飛ばされた格好のまま、茫然とした瞳をジュリアスに向ける。
流石に少し、ミリアに同情する。彼女は純粋にジュリアスが好きだったのだろう。ミリアからではなく、ジュリアスからアプローチして落としたらしいとの噂だ。
「クラリッサとの婚姻あってこそのミリアだ。ただ可愛いだけの、地位も無い女と結婚する気は無い!」
「……そんな……いや……」
絶望の瞳で涙を流すミリアに、更に追い打ちをかけるジュリアス。
不確定の情報としてもあったが、やはり純潔も捧げてしまった後なのだろう。絶望の度合いが酷い。
……地位に固執する貴族とは、こんなにも醜いものなのか……。
どうにかジュリアスの手を振り払い、笑みを消し、ジュリアスに向き合う。
「ジュリアス様、その言いようはミリアさんに失礼です。それに、既に婚約は解消されましたし、再度婚約を結ぶ事もございません」
「クラリッサ!!」
縋ろうと近付くジュリアスを制し、最後通牒を突き付ける。
「……私の事を『公爵家』としか見てくれない方も、婚姻前から妾の選定をする方も、必要ありません」
「…あ……」
「それと、呼び捨てにするのもお止め下さい。……もう、婚約者では無いのですから」
「ま……待ってくれ…」
「あと、多分…後悔もしないと思います。今までお付き合い頂き、ありがとうございました。お元気で」
「ク……クラリッサ…」
最後に微笑みを残し、崩れ落ちるジュリアスと、床に座り込み泣き続けるミリアをそのままに、空き教室を出る。
見たかったものを見られた筈なのに………少し虚しさを感じた。
空き教室を出て、少しするとカイルが現れた。
「……大丈夫か?」
「あら? カイル。どうしたの?」
「怒鳴り込んできたジュリアスに連れて行かれたと聞いて、探していたんだ」
心配そうなカイルの顔に、少し笑みが漏れる。
「そうなの? 心配させてしまったのね。ありがとう」
「何か言われたのか? 少し疲れたように見える」
「ええ。婚約の解消について、ちょっとね」
虚しさを感じたのが、疲労に見えたのだろう。……確かに予定外の事もあり、疲れたかもしれない。
「……本当に良かったのか?」
「そうね……どう頑張っても好きだった記憶も戻らないし、色々話を聞いた後だと、婚約を続ける意味を見つけられなかったから…」
本心を探る様なカイルに、返事をしながら苦笑を返す。
無理をしているのでは無いと感じたのか、カイルの緊張が少し解けた気がする。
「そっか……。……じゃあこれから、周りが煩くなりそうだな」
「ああ……新しい婚約話は増えるかもね。姿絵と釣書がいっぱい来るかしら?」
カイルの少しふざけた問いかけに、こちらも軽く返す。
「そりゃそうだろう。ジュリアスが居ても来てたろ?」
「そうなのかしら? 両親から聞いた事は無かったけど…」
「多分、クラリッサに行く前に断ってたんだろう」
「気遣って貰ってたのね。……でも、両親からも焦らなくて良いって言われてるし、少しゆっくり考えるわ」
「そっか…それも良いな」
両親の気遣いに感謝しながら、自然と微笑みが漏れる。
それにつられるように、カイルも自然と笑顔になる。
「うん。行き遅れと言われない程度にゆっくりするわ!」
「それはどうなんだ?!」
私の発言に、カイルは思わずと言ったようにツッコミを入れる。
「ふふっ、いいじゃない。女公爵ってのも良いでしょ?」
「そりゃこの国は女でも爵位を継げるが……俺が…嫌だ」
「ん? 何?」
尻すぼみになったカイルの言葉に、聞き返す。
「何でもない。……俺も頑張らないとな!」
「? とりあえず頑張って!」
「おう! 負けられない戦いだからな!」
「う? うん?」
よく分からないけど、何かに向かって頑張るようだからいいのか?
カイルは心配そうな顔より、笑顔が似合うから、出来るだけ応援しよう。
……とりあえず、復讐はうまく行ったのだろう。これから先、ジュリアスがどうなるのかはもうどうでも良い。これ以上叩いた所で、虚しさが募るだけだ。……“あの子”にやりすぎと怒られるのもごめんだしね。
今はまだ、この先の事を具体的には考えられないけれど、“あの子”に託された『クラリッサ』として、“あの子”のしたかった事をしながら、“あの子”に恥じない生き方をしていきたいと思う。
――後日、山となった釣書の中にカイルの物を見つけ、赤面するのはまた別のお話。