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幸運の代償

作者: 谷中英男
掲載日:2019/12/11

 まるで失明でもしたかのように真っ暗で、宇宙に放り出されたかのように静かな部屋で、電気椅子を思わせるような簡素で冷たく固い椅子に、死刑囚のように僕は縛り付けられていた。僕が向かう豪奢で希望にあふれた幸福な未来への当てつけとしか思えない。しかし、この設備を整えた技術者、それを開発した科学者、その他大勢の志願者の身になれば仕方ないのかもしれない。誰もが羨む偉業を、指をくわえて見ていることしかできないのだから。

 その偉業を達成する栄誉を仰せつかったのは、この僕だ。幼いころから望むものすべてを手に入れ、思うがままに、自由に生きてきたこの僕。何の苦労もせずに、願えばすべてを叶えるこの僕。誰もが羨み、妬む、神に愛されしこの僕。そんな僕に彼らは世界初のタイムトラベルという偉業を譲ることになるとは思いもしなかっただろう。宇宙飛行士や有名な学者のように誰もが認める優秀な人物ならば納得もいったろう。しかし、選ばれたのはこの僕。

 誰よりも幸福で、誰よりも満ち足りた僕に、誰もが言う「あいつはいずれ思い知るだろう。現実の厳しさを」と。しかし、どうだろう? 僕はこうして、世界初のタイムトラベラーになろうとしている。全人類に平等に与えられた機会を、僕は自分の幸運で射止めたんだ。「自分の幸運」はちょっとうぬぼれが過ぎたかな。「神から与えられた幸運」が正しいだろう。ちなみに、これは比喩でもなんでもない。事実なんだ。今まで叶わなかった願いはない。強く願い、信じるだけですべて叶ってきた。

 望めばなんでも叶う僕が言うのは何だが、僕以外の人間は実に滑稽だ。自分の幸福を願い、望んでいるのにもかかわらず、心のどこかで、「どうせ叶わぬ願いなんだ」と思っている。そんなちんけな考えだから彼らは何も叶えられず、妥協し、自らの苦渋に満ちた生活を受け入れ甘んじている。そんなことでは真の幸福など得られない。得られるはずがない。自らの幸福を何よりも願い、成功を固く信じていなければ。全ては信じることから始まる。未来の成功した自分を固く信じ、それが来るべき未来なのだと受け入れる。それが重要なんだ。確かに僕は神様から力を授かったかもしれない。それにしても、彼らは自分を信じることが出来ていない。そこが僕と、僕以外の人間の違いだ。


 暗闇の中、世界初のタイムトラベルという偉業をなすことのできない僕以外の人類へ、届くことのないメッセージを心の中で述べていると、僕を未来へ導く手助けをする先導役の声が耳に聞こえた。

「座り心地はどうかな? タイムトラベラーさん。君が今、座っているのが君を未来へと送り届けてくれるタイムマシーンの居住空間兼、操縦室だ。まあ、実際にタイムトラベルが始まってから、そこで生活したり、タイムマシーンを操縦するなんてことは起こりえないんだけどね」

 僕を安心させようとでもするかのように軽妙な語り口で話しかける。どうも彼は心配が過ぎる。自らが携わっている仕事なのにどこか信用できない部分があるようだ。僕とは明らかに違うネガティブな考えを胡散臭げに払い除け、彼の言葉に意識を集中する。

「あらかじめ用意されたプログラムが自動で実行されていくことによって、タイムトラベルは安全に実施される。二十世紀の映画みたいに人工知能が暴走して、乗組員を殺した挙句、未知の存在へと昇華するなんてことはないから安心してくれ。それと、船内での過ごし方だが、ほとんどは眠っていることになるから、あまり気にしないでくれ。君が今いる空間が居住空間を兼ねていると言ったが、君がタイムトラベルを終えるまで、コールドスリープするための生命維持装置にもなっている。これももちろん全自動で、君が知っておくべきことは特にない。強いて言えば、快適な睡眠を提供できることくらいかな」

 質問を促すような間を彼は設けたが、僕は沈黙で答え、彼は再び話し出す。

「未来へ行きたくてワクワクしているようだね。それじゃあ、先に進めよう。お待ちかねのタイムトラベルの方法だ。君自身、このタイムトラベルに志願した際に、説明を受けていると思うが、人工的にブラックホールにある事象の地平線を作り出し、そこにできた強大な重力場を使って、タイムトラベルをするという、いたって簡単なものだ。君も知っての通り、事象の地平線が生み出されるほどの強大な重力では、周囲の時間がゆっくりと進み、中心部では時間が止まってしまう。これを利用して、君は事象の地平線を超えないギリギリのところで水平移動しているだけであっという間に未来へとタイムトラベルすることが出来る。簡単に言えば、君の時間を強大な重力によって、引き延ばし、君の一日を、一時間を、一分を、一秒を途方もなく長大なものにしてしまうんだ。君自身はそんなことに気づきはしないけれどね。こんな方法で君は未来へとタイムトラベルする」

 彼は一気に話し倒すと、深呼吸して気まずげに付け足した。

「この方法だと君が出発した時代に戻ることはできないんだけどね」そう言うと、僕の反応を窺うように彼は黙りこくった。

何をそんなに気まずそうにする必要がある。未来へと向かうのはこの僕なんだ。自分の望むものすべてを手に入れてきたこの僕。その僕が未来へ行くのならば、過去へ戻る手段なんて労せずに手に入るに決まっている。それに、人工的に事象の地平線を作り出し、そこで生じる強大な重力にさえ耐えうる技術を開発することが出来るのであれば、遠くない未来ではワームホールや宇宙ヒモを使って過去に行く方法なんて発見済みだろう。なんだったら、人類は電車や飛行機を使って旅行するように、自由に未来や過去に行っている可能性さえありうる。そんな世界へと僕は旅立つ。人類初のタイムトラベラーとして。

 楽観的な思考が僕を支配し、未来へと思いを馳せる。

 タイムトラベルのパイオニアであり、最高に幸運な男である僕の到着を待ち受ける大勢の人々。盛大な式典。僕を歓迎するための様々な出し物が催され、何日もお祭り騒ぎが続く。

皆の興奮が一段落してくると、僕はVIP待遇でホテル住まいだ。僕の望むものはすべて用意され、何の不自由なく生活できる。どこかの王様や富豪のように。

 時には様々な国の要人たちと面会し、その模様も世間へ配信されるだろう。そんな雑務をこなしつつ、僕の身の回りの世話を焼いてくれる魅力いっぱいの素敵な未来人たちと素敵な日々を過ごす…。

最高の未来予想図だ。もしかしたら、僕は未来が気に入り、もとの時代へ戻らないかもしれない。もしそうなれば、自伝でも書いて、一財産作ろう。いつまでもVIP待遇が続くわけでもないだろうから。そして、僕の時代を教える教師にでもなろう。もしくは僕の時代の文化を流行させ、もう一財産作るのも手だ。ファッションや思想、習慣、風習、考えればいくらでも出てくる。それか、学生として未来の進んだ技術を学び、僕を歓迎してくれた未来人のため、社会に奉仕できるように努力するのもありだ。

 そんなふうに来るべき幸福な未来に思いを馳せていると、僕の注意を向けるように先導役の咳払いが聞こえる。僕の思考は一気に、宇宙空間を思わせるほど真っ暗な場所へと引き戻される。

「もうそろそろ未来へ向かう時間だ。最後にこのタイムトラベルの行程をおさらいしておこう。君はその電気椅子のような椅子に、もう十分ほど座っていることになる」

 やっぱりあいつらも僕が座る椅子が電気椅子みたいだと思ってやがる。まったく性根の腐ったやつらだ。

「そうすると、重力発生装置が起動し、ブラックホールのように強大な重力場が作り出され、いままで感じたことのない強烈な重力を君は感じるだろう。君が訓練の時体験した9G近い重力だ。君の身に危険が迫ることはないが、一時的な失明、失神は覚悟してくれ。そして、その強烈な重力を感じなくなると、君はいよいよ現代には帰れなくなる。ただ未来へと進み続けるだけだ。そこから、重力発生装置が緩やかに停止に向かい、事象の地平線から脱出すれば、君は何百年も先の未来へ、本当の意味で足を踏み入れる。ちなみにだが、コールドスリープに完全に移行するのは、事象の地平線ギリギリの地点に到達し、強烈な重力を感じなくなってからだ。私からすれば、途中で失神した方がはるかに楽だと思うよ。すべて自動で、ことは成り立つわけだからね。苦痛に耐える必要は一切ない」

 最初からコールドスリープさせて、苦痛を感じないようにしてくれと思うところだが、不満たらしく文句を垂れるのはやめておいた。未来へ行けるだけで儲けものだし、嫉妬に狂った彼らからの贈り物は受け取っておくべきだろうから。

 説明が終わり、彼は不安なことはないかとしつこく聞いてきた。僕は何度も「何もない」とぶっきらぼうに言った。いったい何を心配しろというのだろう。僕は死刑囚のように椅子に縛り付けられているし、ほとんどの行程で意識はない。それに未来のことは誰にも分らない。だから心配のしようがないし、不安も思い浮かばない、思い浮かべたくもない…。

 思い浮かべたくない? どうやら僕の心のどこか片隅に不安が芽生えているようだ。今まで不安なんて感じたことはないが、喉に魚の骨が引っかかっているような、どこか違和感のある感じは、俗にいう不安なんだろう。これまで、どこまでも澄み渡り、陽光冴えわたる理想郷のように完璧だった僕の心に、陰りが忍び込み、陰湿で暗澹たる世界が広がろうとしているようだ。

 僕は一体どうすればいいのだろう。いまさら誰かに相談することもできない。もし、相談できても、この気持ちを正確に伝えられるだろうか? もし、伝えられたとしても彼らは深く考えないだろう。誰もが陥る典型的なメランコリックとでも判断して、月並みな言葉で場を濁すのが関の山だ。

 ならば、僕自身で何とかしなければ。僕ならできるはずだ。タイムトラベルの権利を射止めることができた幸運な僕にならば。そして、いつものように自分の望む未来を、成功を勝ち得た未来を想像する。派手な歓迎、豪華な暮らし、未来人との甘いロマンス……。しかし、想像する輝かしい未来の片隅にも、不穏な影が忍び寄ってくる。派手な歓迎に見える群衆は、僕を迎え撃つために派遣された軍隊。抵抗虚しく捕らえられ、薄汚れた独房にぶち込まれる僕。そして、見世物にされ処刑される……。

 最悪のシナリオが沸々と湧きあがり、希望に満ち溢れた僕の想像を塗りつぶしていく……。一体どうすればいいんだ。不安が不安を呼び、希望は風前の灯火。これが僕の望む未来なのだろうか? 暗く陰惨な未来を望んでいるのか? 

 低く揺さぶるような機械音に思考は中断され、先導役が声をかける。

「ついに未来へ出発だ。幸運を祈ってるよ」

 僕の不安を打ち明ける暇はなかった。通信は途絶され、深い闇と静寂だけが僕を包み込む。身動きも取れず、何も見えないという事実が僕を不安の谷間へと突き落とす。

 重力に耐えられず死んでしまうかもしれない。拘束が解けず飢え死にしてしまうかもしれない。事象の地平線から脱出できずに延々とこのままかもしれない。コールドスリープが失敗するかもしれない。未来人に殺されるかもしれない。未来には何もないかもしれない……。

 身体が砕け散ってしまうかもしれないくらい強烈な重力が襲う。一秒ごとに苦しみは増し、僕の不安の連鎖は中断され、地獄の苦しみに耐え続ける。いっそ失神してくれればいいのに、無駄に受けた訓練のせいで失神もできない。全身の血液が沸騰し、眼球が飛び出し、内臓が破裂しているかのような苦痛。苦痛は増し続け、苦痛が和らぐことを願う余裕もない。ただ苦痛を受け入れるだけ。そしてあまりの苦痛に、僕の身体はおかしくなってしまったようだ。全身を攻め抜いていた痛みが徐々に消え始めた。そして、苦痛が快楽に変わり、全身を包みこんでいく。僕は何の抵抗もなく快楽を享受し、むさぼった。すると、苦痛は煙のように消え去った。僕の意識も道連れにして……。


 目の前に広がる光景に見覚えがあった。不規則に並ぶ高層ビル、その間を高速で走り抜ける無数の自動車、不規則にうごめく人間の群れ。

 それをあたかも神にでもなったかのように、傍観する僕。しばらくの間、無数にうごめく人の群れを眺めていると、ふと我に返った。家に帰ろう。こんなところで油を売っている暇なんてない。明日にはタイムトラベルに出発するんだ。やるべきことがたくさんある。これだけ人通りが多いと、僕に気づいた人で大騒ぎになるかもしれないが、致し方ない。これも世界初のタイムトラベラーの宿命だ。人類の夢と希望を担っているのだから。

 人混みを歩き出して十分ほどたった。いまだ誰にも声をかけられない。昨日までは道行く人々に声をかけられていたが、それが嘘のようだ。まるで、取るに足らない有象無象にでもなったような気分だ。今まであれだけ迷惑に思っていたのに。もしかして、僕に気を使っているのだろうか? だとしたら、この世界も捨てたもんじゃない。僕に対する気遣いは相当なもんだ。誰も言葉や視線さえ投げかけない。まるで無視……。

 なんだか腹が立ってきた。普通なら少しぐらい騒ぎになってもいいはずだ。僕をうわさする声や、遠くから写真を撮る人ぐらいいてもいいはず。これじゃまるで、昔の僕に戻ったみたいだ。ただ幸運の女神に愛されただけの、孤独な男に。それを嫌って、有名になるためにタイムトラベラーになることを願ったのに……。

 まぁいいさ。家の近くまで行けば誰もが僕に声をかけるだろう。タイムトラベルをすることが決まってからというもの、町ぐるみで僕を応援してくれた暖かい人たち。彼らなら励ましの声くらいかけてくれるだろう。

 そんな僕の期待は脆くも消え去った。誰も声をかけてくれず、町はいつもの静けさを取り戻していた。顔なじみの店の前を通っても、誰も出てこない。昨日までだったら、誰かが外に飛び出し、店に引きずり込まれてタイムトラベルについて根掘り葉掘り聞かれていたのに。顔なじみに声をかけても、意外な顔をされて挨拶を返されるばかり。

 僕はそんな空気が我慢できずに、逃げるように家に帰った。ここだけが僕を受け入れてくれる場所。静かで平穏に包まれた安息の地。勢いよくソファーに倒れこみ、息を吐く。こんなことなら、普通の人間でいられれば良かった……。願いを叶える力なんていらなかった。こんな力さえなければ、普通の人間のように妥協して、現状を仕方なく受け入れられたのに。あれだけ願った名声が、今では霧のように瞬く間に消え去った。誰もが憧れる存在。あの感覚を知ってしまったからにはもう普通じゃいられないのに……。

そして、僕は幸運を授けてくれた神を呪い、願いを叶える力が消えることを願った。


 瞼を突き抜けて、真夏の太陽のような鋭い光が瞳を刺激する。周囲を確認しようとするも虚脱感が全身を襲い、怠惰が心を支配する。自分の置かれた状況が気にはなるが、腑抜けた身体に鞭打って確認するほどでもない。尽きることのない願いを胸に抱き、それを成就させるために幾度となく願い続けた日々。そんな毎日に僕も疲れてしまったのだろう。今は十分に休息を取ろう。何もすることはないのだから……。

そんな僕の休息を鋭い光が邪魔をする。不承不承、固くふさがれた瞼を無理やりこじ開け、辺りを見渡す。目の前には、新雪に覆われた大地を思わせるほどに真っ白な空間が広がるだけ。あまりにも白すぎる空間のせいでこの空間がどこまで続いているのか、どれほどの大きさなのかわからない。この状況を少しでも理解するため、立ち上がろうとした。掌が氷のように冷たく無機質な物体に触れ、その感触で僕はすべてを思い出した。

宇宙のように真っ暗な空間、タイムトラベルへの思い、耐えがたい苦痛、不可思議な夢……。

 目を覚ましたということは、僕のタイムトラベルは成功したのだろう。でなければ、先導役の声が聞こえるはずだし、僕は目を覚ましていないはず。

 何か時を知るすべはないかと辺りを見渡してみるが、あるのは電気椅子のような簡素な椅子だけ。

僕は徐々に湧きあがってくる好奇心を満たすために、タイムマシーンの出口へ向かう。出発時には気にも留めなかったが、確か椅子の後方からこの空間に入ったはず。僕を未来へと送り届けてくれた質素な相棒に触れながら、出口の方向へ歩みを進める。いまいち力の入らない足で十歩ほど壁に近づくと、滑らかだった壁面がわずかに窪み、まだ見ぬ未来への扉を開いた。

 僕は恐る恐るタイムマシーンから顔を出し、辺りを窺う。目の前に広がるのは赤茶けて荒涼とした大地だけ。僕が想像した未来とはずいぶん違う。僕の想像した未来には空飛ぶ車や、天空を突き刺すほど高く奇抜な形のビル群、その間を縫うように通された透明な遊歩道、人間と共生するロボットなんかが入り乱れながらも、どこか規則的にうごめく、そんな未来だ。だが、そんなものはかけらも見当たらず、もちろん僕を歓迎する未来人もいない。

 この世界には人間の痕跡が見られない。それどころか、大空を自由に飛び回り、にぎやかにさえずる鳥や、僕にしつこくまとわりつく虫、甘美な芳香で僕を魅力する花々、緑の生い茂る木立や、しぶとく生き延びる雑草さえ見当たらない。

 辺りは虚無に支配され、何の音も聞こえないさまが死をひたすらに連想させる。そして、僕の心は悲劇的な考えで満たされていく。知らぬ間に起きた核戦争。全てを焼き尽くす炎。降り注ぐ死の灰。消えゆく人類。道連れにされた生物達…。

 奈落の底へ落ちていくような絶望的な思考を無理やり終わらせ、少しでも希望的な方向へ舵を切る。

もしかしたら、この周辺だけが気候変動や、人災によって荒れ果てているだけなのかもしれない。もしくは本当に核戦争が起こったのかもしれないが、人類は放射能汚染から逃れるために地下へ逃れたのかもしれない。

 いずれにしても、ここでうだうだと考えているわけにはいかない。タイムマシーンに食料は積み込まれていないのだから。


 僕は役目を終えた相棒に別れを告げ、何が待ち受けているのかわからない荒涼たる大地へと踏み出した。

 大小さまざまな大きさの石が僕の歩みを遅らせ、体力を奪う。いくら歩けども景色は変わらず、何も現れない。直射日光が遮るもののない大地に狂ったように降り注ぎ、僕をじりじりと焼いていく。何かあるかもしれない、誰かいるかもしれないという、淡い希望だけが僕の足を突き動かす。

 慈悲のかけらもない暑さが、身体の水分を追いはぎのように容赦なく奪い去り、のどの渇きは限界を迎えようとしていた。心の片隅には、誰も、何も待ち受けていないという絶望が増していく。依然として辺りには何も見えず、僕の人生はこの荒野で終えようとしている。

 今では、人類や人類のたどった歴史などどうでもよかった。ただ、喉の渇きを癒すのだけが僕の目的だった。そこで、僕は思い出した、自分の力を。願えばすべてを叶えられる力を。なぜ忘れていたんだろう。すぐさま願っていれば、こんな苦痛を味わう必要なんかなったんだ。愚かな自分にあきれ返りながら、純真無垢な子供がサンタクロースにプレゼントを願うように、一心に願った。僕の喉の渇きを癒すすべを……。

 いくら歩けども僕の願いが叶う気配はない。人々に踏みしめられた雪のように灰色な雨雲も、泥の混じる薄汚れた水たまりでさえも見当たらない。どういうことなんだ? これまで、これほど願って叶わなかったことはない。何かがおかしい。こんなはずじゃないのに。

 これじゃただの有象無象と一緒じゃないか。叶うかもわからない願いの為に中途半端に願い、努力する人間と。僕はそんな哀れな存在じゃない。神に愛され、すべてを手に入れてきた人間だ。そうやって、何度も自分に言い聞かせた。

 何の希望も訪れない大地を牛歩のごとく歩みながら自分に問いかける。何がいけなかったのだろう。自分の力を欲望のために貪欲に使い、努力を怠ったせいなのか? その為に力を取り上げられた? もしそうなら、なぜこんな力が僕に与えられたのだろう。こんな力があれば誰だって僕と同じ道をたどるはずだ。誰もが自分の幸福を一番に願い、そのためには何でもするはずなのだから。

 なぜ今僕の力を取り上げたんだろう。しかも、こんな場所で。こんなやり方なんてしなくてもいいじゃないか。僕がタイムトラベルに選ばれる前でも、いつでも機会はあったはずだ……。

自問自答を繰り返し、疲労を無視していたが、もう動けそうにもない。容赦なく降り注ぐ日差しと、足場の悪い地面、希望の見えない未来のせいで僕は限界だ。こんなことになるなら、願いを叶える力なんていらなかった。平凡で退屈な毎日を過ごすだけでよかった。

 無意識に、僕は幸運を授けてくれた神を呪い、願いを叶える力が消えることを願った……。

 そこで、ある記憶が蘇った。未来に来る途中に見た夢の中で、幸運を授けてくれた神を呪い、願いを叶える力が消えることを願ったのを……。

 僕は自分の愚かさに愕然とした。僕をここまで導いてくれた力を、自ら放棄するなんて。そして、今まで馬鹿にしてきた人々と同じ立場になって、初めてわかった。彼らの苦労を、苦痛を、無力感を。彼らだって叶わぬともしれない願いの為に必死に努力し、願い続けていたのだ。それなのに、僕は彼らをあざ笑い、非難していた。

 こんな状況になって、初めて彼らから託されたモノの重さを知った。未来への希望、成功の喜び、タイムトラベルへの思い……。

 彼らの思いを初めて理解し、僕は決心した。彼らの思いに報いる為に、僕は進み続けると。彼らのように、願いが叶わぬと知っていても。言うことを聞かない体に鞭を打ち、無様に這いつくばりながら、希望も何も待ち受けていない荒野を進む。一メートルでも、十センチでも、一ミリでも前に進まなければ。僕は皆の希望を背負ってここまで来たのだから……。


 雫のような流線型の物体が雲一つない青空の中を、太陽の光を跳ね返しながら氷の上をすべるように進んでいく。その物体の中から、容赦なく降り注ぐ日差しに目をしかめつつ、何かを探す人影が見える。気怠そうに辺りを見回していた彼らの目に何か映ったのだろう、日差しで光り輝く流線型の物体はスピードを緩め、見つけた何かの近くへふわりと舞い降りた。

 舞い降りた物体の、継ぎはぎのない側面に溶けるように穴が開き、中から二人の人間が下りてきた。二人は軍服のように機能的で統一された格好をしている。そのうちの片方が、見つけた何かを見つめつつ口を開いた。

「生きていると思いますか?」

 そう問われたもう片方は、所在なさげにつぶやく。

「ダメだろうよ。こんな場所を、こんな距離歩いたんだ。誰だって生き残れない」

 そう言いつつも、うつぶせに倒れた人間に歩み寄り、生死を確認する。

「やっぱりダメだ」首を横に振りながら言葉を紡ぐ。「まったくこいつも哀れなもんだ。こんな何もない 方向へ歩き続けるなんて。逆の方向に進んでいれば、今頃VIP待遇で迎え入れられていたというのに。本当についてないよ。お前さんは」

 そう言いながら、彼は若い方に何か指示を出し、世界初のタイムトラベラーを悲しげに見つめた。


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