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2.



【おるすばん】



 第六感、霊感、虫の知らせ?

 不穏な空気、嫌な予感、ただならぬ気配?


 これを言表するには色んな言葉があるけれど、僕の場合は「無性に怖い」が、一番しっくりくる。


 この世の心霊現象は、その99パーセントが科学的に解明できると言われている。

 不可思議な現象やお化け、霊感や幽霊なんてものも実は偶然の積み重なりであったり、捉えた側の心情が見せる能の錯覚だったりとね。


 残りの1パーセントに()()が混じっているとは考えたくない。


 例え僕が今感じている「怖さ」がそれに連なるものであろうとなかろうと、100パーセントでない以上、それがどちらに属しているかは誰も説明できないのだ。


 簡単に云えば、僕の「怖い」は心霊現象なのか否なのか。


 それがとてつもなく知りたい。






 部屋の中が―――とても怖い。


 僕は時々こうなる時がある。


 それがいつ、何時(なんどき)、どのタイミングでどれくらい続くかはその時によって違う。

 それが起きる前触れは無く、突然襲う頭痛のように時を選ばない。


 だけど、それが起きる条件だけは分かる。

 もう何十年もそれに悩まされているのだからね。決して慣れる事はないのだけど。


 その条件は単純。


『僕がたった独りきりでいること』


 ただ、それだけだ。



 時たま僕はたった独りきりで部屋にいる時、それが例え何をしていたとしても関係なく、「無性に怖くなる時」がある。


 怖い映画や本を読んだ夜、その内容を思い返して怖くなり、なかなか寝付けない時ってないかな?

 うとうとするけれど本能的に暗闇が怖くて眠れない。電気を点けて布団を被るけど、目を閉じたら浮かぶ映像に恐怖する。

 あれと似たような感じだ。


 僕の場合、映画を見ようが見まいが関係ない。

 それが昼夜問わず起きるって事。


 そう頻繁ではない。

 ただ、いつそれが起きるか分からないから、対処の仕様がなくて困ってもいた。

 だってその「怖さ」に襲われる時、僕は震え上がって何も出来ないのだから。

 その場に固まってしまい、時が過ぎるのを待つだけになってしまうのだ。


 何が起こるワケでもない。

 ただ僕がやたら「怖がって」いるだけで、お化けや幽霊の(たぐい)が出てくる事も無し、ポルターガイスト現象に襲われるも無し、ラップ音やお経が聞こえるのも無い。

 昼間であれば、外の音などは普通に聞こえる。子供たちの遊ぶ声や車の通る音、鳥の囀りなんかも。


 傍から見れば、ちっとも怖い事なんて起こらない。


 ただ、尋常じゃないレベルの「恐怖」が襲ってくるだけなのだ。


 この現象は僕がたった独りきりで部屋にいる時に限って起こる。

 僕以外の人がその場に居る時は、絶対に起こらない。だが、その人が別室に居たりして、僕が独りきりとなると話は別だ。

 お風呂やトイレなどはどうしても一人にならざるを得ないし、例え同室に誰かがいても、相手が寝ていたりして意識がなければそれは『一人』と認識するみたいなのだ。


 不思議なのはペットの存在は加味されないという事。

 僕は在る時からこの現象に悩まされているけれど、実家にいた頃は犬と猫が常に傍にいたし、結婚してからはウサギが共にいた。

 なのにこの子らは元気に動き回り、僕の目の前で自由気ままに過ごしているにも関わらず、その「怖さ」は起きるのだ。


 こうなってしまえば、ペットは無意味。

 彼らをぎゅっと抱きしめて、「怖さ」が無くなるのを待つのみになる。




 それが起きた時はすぐに分かる。


 不穏な空気に包まれる―――とはよく言ったもので、まさに部屋の空気が一瞬で変わるのだ。

 何も変わった様子は無い。

 だけど明らかに、何かが「ある」感覚がする。


 途端に心臓が跳ね上がり、自分のバクバクする鼓動を聴きながら、身体は既に竦んでいる。


 僕に襲い掛かるのは漠然とした「怖さ」という感情であり、それは何事にも耐え難い苦痛を生んだ。

 僕はその苦痛を味わいながら蛇の生殺しのようにその空気が去って行くのを待つしかないのだから、たまったものじゃない。


 僕はその恐怖の正体が何なのか、全く分からないでいる。

 ただ「怖い」だけなので放っておいてもいいのかもしれないが、それだけでは済まなさそうな気もするし、いい加減しつこくてうんざりする。





 何の前触れも胸騒ぎも理由も罪もなく、突如現れた怖さ(これ)が【霊感】だとすれば、神様はなんて意地悪なんだと思ってしまう。

 だって僕は何の変哲もない、ごく普通の一般人で。お化けと戦う術もなければ使命なんて持ち合わせていないのに、どうしてこの力を与えたのか問い詰めたいくらいある。



 基本的には無害なこの現象は、ある時を境にして起こり始める。


 たった一度だけ、「現象」を起こした事をきっかにして、それは始まった。


 いうなればそれは不可解な心霊現象。



 それを語ってみたいと思う。





 あれは僕が二十歳もそこそこの頃。

 怖がりの癖に早く独り立ちしたくて、職場の近くにアパートと借り、念願の一人暮らしを満喫していた時だった。


 初めての一人暮らしで気が大きくなった反動で心細くなり、その不安な心情が「怖さ」として現れた――と思うかもしれないが、既に半年間住んでいるけれど超常現象なんて微塵も起こらず、その生活は平穏そのもの。

 僕が初めてその「怖さ」を認識したのは、狭くて汚いワンルームの僕の牙城なんかじゃない。

 たまたま用事があって訪れた、勝手知ったる住み慣れたかつての居城…【実家】だったのだ。



 その日、僕は父から連絡を貰った。


 住民票は移していたけれど、警察署に行く時間がなくてそのままにしていた免許証の更新ハガキが実家に届いたから、さっさと取りに来いというものだった。

 どうせ免許の更新の時に住所変更すればいいやと考えていたから、休みである日曜日に実家に取りに行ったのが、そもそもの始まりである。


 当時一人暮らしをしていたのは僕だけで、2個上の兄と5個下の妹は両親と実家で暮らしていた。

 それと猫と犬がいる。

 実家を出て早半年。僕の部屋はすでに物置となっている。ベッドを置いていったから辛うじて寝るスペースはあるみたいだけど。


 実はこの時だけ、母はいなかった。

 母はなんとひと月もの長い間、僕の小学生時代のママ友と一緒にヨーロッパのとある国に旅行に行っていたのだ。

 いまだママ友と付き合いがあったのも驚いたし、現地の人の家にホームステイして長期滞在する行動力にも驚いた。


 家事を母に任せきりだった父が、ひと月も文句を言わずよく行かせたものだ。

 父と兄と高校生の妹。その3人で交代にご飯を作ったり家事をしたりと、何とか上手くやっているようだった。


「今日、ハガキ取りに行くけん。ついでに泊まろうかな」

「泊まってもいいけど、誰もおらんぞ」


 一人暮らしをするようになって、僕は携帯電話を買った。

 ちょっと前までポケベルが主流だったのに、なんて進歩だろうと思う。

 パソコンも一人に一台の時代になった。回線がタダになる23時以降は凄く重くなるけど、ネットサーフィンだけなら問題なく時間を潰せる。僕は一人暮らしを始めてから夜更かしが酷くなった。


「兄ちゃんと妹は?日曜やけどおらんの?」

「あいつは車で東海まで行っとる。妹は部活の合宿でおらん」

「そうなんだ」


 今日は三連休の中日の日曜日。

 兄はドライブと電車が好きで、まとまった休みがあるとよく一人で車に乗って遠出している。

 遠出の範囲が僕と兄では大違いだ。

 僕は県内の都市部に出掛けるだけでも気が張って疲れてしまうのに、兄は日本全国を走りまくる。

 その地方にしかない変わった駅や電車を見るのが好きで、必ず特産品を食べて帰ってくる。食費にお金を掛けるから、寝泊まりは車の中だ。

 兄はそれがしたいが為に、車を国産のでっかいボックスカーにしている徹底ぶりだ。


 妹は良く分からない。

 高校生の年頃の女の子にあれこれ構うのは嫌がられてしまうから、僕は付かず離れずの態度で接している。

 一応、真ん中の僕は暴君の兄よりは好かれているみたいだけど、今はむさ苦しい男連中と過ごすよりも友達と一緒にいる方が楽しそうだ。


「俺は仕事やからな。帰りは夜になるぞ」

「いいよ。オレオの散歩、しとってあげるよ」

「それは助かるな。二人しかおらんし、今日は飯食いに行くか」

「ホント?やった!じゃあ、適当に家で時間潰しとくね」

「ついでに風呂掃除と、チコとオレオの餌やりもやっとけよ」

「……ご飯、期待しとるけ」


 高校を卒業して、大学にも行かずに就職して2年。高卒でそこそこ名の売れた企業に入社できたのは奇跡に近いけど、それでも大卒とのあからさまな待遇の差は歴然だ。

 一人で暮らしていけるだけのお金はあるけど、決して贅沢はできない。

 外食は贅沢の極みと避けていたけど、正直コンビニのお弁当に飽き飽きしていたのだ。


 だから外食のお誘いは嬉しかった。

 一方的に苦手意識を持っている父とはあまり会話が無い。そんな父と二人きりなのは少し居心地が悪いけれど、外食の誘惑には勝てなかった。


 父は何を食べさせてくれるかな。

 滅多に食べれない焼肉だったりして!


 季節は冬。いつまでもグダグダしてるとすぐ暗くなる。

 飼い犬のオレオの散歩は少なくとも1時間以上掛かるから、もたもたしていられないぞ。



 こうして僕は実家に向かった。

 アパートから実家まで車で40分ほど。これから向かえば15時までには着くだろう。


 そこで僕は、不可解な現象に遭遇する羽目になるのだ。




 オレオの散歩を終え、風呂掃除もちゃちゃっとして、ついでに掃除機もかけた。

 褒められはしないだろうが、父の機嫌を損ねることはなさそうだ。

 オレオと猫のチコのご飯はカリカリと缶詰だから、そう慌てなくてもいいだろうし。


 そうこうしているうちに、父から電話があった。


「19時頃帰るけん。そのまま飯食いに行くけ、チャイム鳴らしたらすぐに出てこいぞ」

「分かった」


 時計は18時前10分を指していた。言い直すと17時50分。

 あともう少しあるな。


 当時はようやく携帯で白黒の通信が出来始めた頃だ。今はスマホで幾らでも時間潰しは出来るけど、僕の私物も何もない実家で一人時間を過ごすとなると、もっぱらテレビ鑑賞しかない。


 僕はコタツに入ってテレビをつけ、日曜の国民的有名アニメをぼんやりと眺めながら、父が帰ってくるのを待っていた。

 犬のオレオは庭に。そして猫のチコはコタツの中で丸くなっている。


 何も無い、穏やかな夕暮れ。

 遠くに野球の練習の声が聴こえる、それ以外はとても静かな、いつもの実家の風景だ。

 家の前に斜面の丘があって、その奥は森だから人通りもない。信号避けの近道として、偶に車が通るだけ。


 僕の今のアパートとは大違いだな。

 そう思いながら、ぼうっとしていた。


 独り立ちしたかった癖に一人の孤独が怖かった僕は、今のアパートを選ぶ時は敢えてうるさい場所にした。

 小さい頃に『時空のおじさん』と出会ったトラウマをずっと引きずっていて、たった独りきりになるのを避けていたからだ。


 時空のおじさんとの出会いはちょっと前に話した事があるから割愛するけど、要は僕の感知する範囲内に、僕以外の誰かが居れば彼に遭遇する事はない。

 つまり、人や動物が立てる物音は()()()()()()()なので、それが例え四六時中暴走族が走り回っていても、朝っぱらからトラックのエンジン音が鳴り止まなくても、隣の部屋の大学生カップルの大喧嘩する声が聴こえても、僕にとっては安全な場所なのだ。


 久方ぶりに味わう静けさも、チコとオレオがいれば怖くない。

 父はあと30分ほどで帰宅するだろう。


 その前にトイレ掃除でもサービスでしておこうかなと、ぬくぬくのコタツから抜け出したその時だった。


 ふいに、それは起こった。




「……?」


 始めは妙な違和感だった。


 コタツから抜け出そうと中腰の姿勢のまま、僕はなぜか居間の向こう側――台所のある方面に、いつの間にか目を向ける事が出来なくなってしまっていた。


 身体はカチリとガチガチに固まり、心臓がバクバクと早い鼓動を鳴らしている。

 テレビは付いたまま。見もしないアニメの軽快な主題歌が耳に入ってくる。


「え…なに…」


 そう思った瞬間だった。


「怖さ」―――が、僕を襲った。


 今まで体験した事のない、全身を生腸でゆっくり撫でまわされているような、皮をゆっくり剥がされているような、そんな感覚だった。


 もう、なんと表現したらいいのか。

 さっきまで何もなかった、何も感じなかった空間に、「ナニカ」がある。


 居る、のではない。

 不穏な空気が、()()のだ。


 ドッドッドと、忙しなく心臓が鳴る。

 僕は意味が分からなくて、一人で狼狽えている。


 怖い。


 なにかが、怖い。

 分からないけど、この部屋がこわい。

 この部屋に隣接している台所もこわい。

 何だか知らないけど、とにかく怖いんだ。


 まるでホラー映画の演出された場面のようだった。

 怖い音楽で場を盛り上げて、あたかもそこから幽霊が出てきそうな雰囲気を演出するここ一番の見せ場が、いまここに存在する。


 怖い。

 ここがこわい。


 どうして動けないんだ。

 それはこの禍々しい雰囲気に、体が変だと拒絶反応を起こしているからだ。


 それでも何とか身体を動かして、とりあえずコタツから抜け出す事には成功する。

 でも、そこから先はダメだった。


 こわいこわいこわいこわい。

 怖い怖い怖い怖い。


 耳を澄ます。

 まだ、野球の練習の声は聴こえている。

 アニメの方はCMが終わり、本編が始まった。


 僕の身動ぎに、コタツの中のチコが顔を出した。

 そうだ、猫は霊感が強いというんだし、これが霊障だったらチコの様子が変わるはず!


 するとチコは大きな欠伸をクワッとして、てちてちと怖い台所に向かって歩きだす。

 じっと見守る僕を後目に、チコの様子は至って普通だ。

 僕の怖さなど全く感じていないようで、のんびりと水を飲み出した。


 大丈夫なのかな…。

 でも、恐怖はちっとも薄れない。


「チコ、こっちにおいで!」


 チコは僕をチラリと一瞥した後、奥まった台所に姿を消した。

 それから階段を昇る音がしたから、僕の願いも虚しく一人で二階に行ってしまったようだ。


「え…薄情者…」


 でもチコの様子を見る限り、一点を見つめたりしなかったし警戒もなかったからそこにお化けがいる訳ではなさそうだ。

 本当にそんな存在を感知しているかどうかは別として、僕は今感じている「怖さ」が、何でもない気のせいである可能性に賭けたいだけなのだ。


 犬のオレオは庭にいる。

 18時も過ぎてすっかり暗くなってしまったから、勝手口の自分の小屋に入っているのかもしれない。


 そこで泥棒だったり、誰か不審者が家の中にいる可能性も消えた。

 オレオは他人の気配に敏感だ。

 僕がたった半年実家から離れていただけなのに、すっかり忘れて吠えられまくったからね。

 声をかけてようやく僕だと認識したオレオは、はち切れんばかりに尻尾を振ってきゅんきゅん言ってくれたから許しちゃったけど。



 なにもない場所に、なにもない空間。

 そこに絶対的な逆らえない「怖さ」があるだけ。


 僕の不安な心情と、テレビから流れてくる能天気なアニメはひどく相対的で、ソノアンバランスさも怖さを増していた。

 僕は怖くて怖くて、いっそのこそ幽霊でもなんでも現れてくれと思った。

 でもその願いも虚しく、お化けも幽霊もなんにも出てこなくて、ポルターガイストやラップ音、発光現象なんかも起こらなくて。

 僕はずっと怖くて緊張し続けるのがとてもしんどくなってきた。


 そして、だんだん腹が立ってきた。


 一体何だというの。

 僕が何をしたというんだ。


(怖い)


 お化け?幽霊?

 変な空気を作って怖がらせるだけ怖がらせておいて何もなし?


(怖い)


 ずっとこうしているのも疲れるよ。

 ほら、そろそろ出掛ける準備をしないと、父が帰ってくる。

 鍵の確認をして、オレオとチコにご飯をあげないと。


(怖い!)


 トイレ掃除は諦めよう。やると言ってなかったから別に構わない。


(怖い!!)


 テレビを付けても、手元にあった雑誌を見ても、この恐怖はちっとも収まらない。

 僕がいるこの居間の真上の二階に猫のチコがいて、勝手口付近で寝そべっている犬のオレオがいるにも関わらず、心臓が鷲掴みにあったかのような「怖さ」が僕を襲っている。


 動こうと思った。

 でも、部屋から一歩も出れない。

 というより、ここから全く動けない。

 身体はすっかり竦んでしまって、僕は一人泣きそうになっている。


 父が帰ってきてくれさえすれば、この状況からは逃れられる。

 父の不器用で不愛想な声で「ただいま」と言ってくれさえすれば、この怖さから一気に解放され、何事も無い日常が戻ってくる。


 だから僕は念じた。

 早く時が過ぎれと。

 このまま何もなく、早く時が過ぎ去れと。



 そして、それはついに起こる。


 唐突に、始まったのだ。



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