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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
白き学都の双子姫
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第五章

「陛下、準備が整いました」 

「うむ」


 信頼に足る腹心の言葉に頷いて椅子から立ち上がる。

 重く煩わしい豪奢な服に身を包み。眩しいほどの光が降り注ぐ王城の一角へと足を踏み出す。

 眩暈すら覚えそうなほどに眩しい白い町並み。遠く広がる空と海の青。大地に根付く深い緑。

 暦は源生暦1275年の、年の初めより四つ目の月……ウィルンドの末日。今日この時を祝福してくれる世界と、国と……そしてそれらを支える民達に感謝をして。

 眼下よりざわめいて聞こえていた微かな声の重なりに手のひらを出せば、時が止まったかのように沈黙が染み渡っていく。

 これは通過儀礼。そしてなくてはならない今日限りの特別。

 確かな事実を今一度胸に抱き、大きく息を吸い込んで妖精力の発露と共に宣言する。


「これより、誕生祭を開催するっ!!」


 町中に設置された拡声用の妖精力の宿った道具を介して、己の声が遠く響く。

 刹那に、カリーナの城下町から大地を割らんばかりの歓声がここ、白皙城(ヴァイスシューレ)まで空気を震わせて届いた。

 打ち合わせ通りの始まりを告げる空への咆哮が打ち上がり、カリーナの国旗と今年の花であるツクバネソウが青い画布に彩られる。

 さぁ、湧き立つ大地と共に、歴史には()したる(さわ)りのない乱痴気騒ぎの始まりだっ!




 既に煩いほどに賑やかな城下の声を聞きつつ一息吐く。すると傍に我輩の専属の使用人であるエドワール・ノーマがやってきた。


「もう少し休ませて欲しいのだが……」

「お戯れもほどほどに」


 これからの予定を思い出し憂鬱になる。

 先ほどどうにか終えた自分の誕生日会の開催宣言。自らの誕生日をほぼ強制的に祝わせるなど、ある種主賓に対する拷問ではなかろうかと思うのだが、さてどうだろうか?

 そうでなくとも人前で大々的な事をするのは苦手な性分。出来うる事ならひっそりと目立つ事なく生きて行きたいのに……どうしてこんな椅子に座っているのだろうか。この身を推薦してくれた先代を呪ってやりたいほどだ。

 などと、愚痴を垂れたところで時が止まるわけもなく。始まってしまった後悔処刑に大きな溜息を吐いて、それから諦める。


「……で、次はなんだったかな?」

「中庭にて各所からのご祝儀の贈呈式典でございます」

「…………どうしてここには影武者がおらんのかね?」

「皆様既にお待ちですのでどうかご容赦ください」

「はぁぁ…………」


 本当、何故我輩が国王なのだろうか。もっと相応しい人物が居るような気がするのに。

 ……それでもきっと民が認めてくれているからここに座っているのだろう。ならばせめてそれだけの責務は果たして、出来る限りのんびりと今日と言う日を過ごしたい物だと叶わぬ願いを抱きながら。

 儀式用の杖を突いて立ち上がり、重い足取りでゆっくりと歩き出す。

 傍らに、現実逃避の戯れ。


「……あの子達は立派に任をこなしているだろうか」


 呟きと共に見上げた窓からは、二羽の鳥が自由な青空を飛び回っていた。




              *   *   *




「以上が注意事項です。何かあれば直ぐに連絡する事。なにより、皆さんが問題を起こさない事。その事をしっかりと胸に抱いて、テトラフィラ学園の名に恥じない行いをしてください」


 儀礼用の正装に身を包んで目の前の生徒達が元気よく「はいっ!!」と答える。希望とやる気に満ち溢れた顔と声に頷いて、それから解散を伝えればそれぞれに町へと散って行く。

 カリーナの主、グンター・コルヴァズ大統領陛下の誕生祭。本日その警備がテトラフィラ学園に任された仕事だ。

 教育の一環として、一年を共にする生徒同士の集団……クラスター単位で町の身周りを行うのが今回のするべき事。基本的に午前中は生徒が、午後からは教員が担当するという役割分担で、煩雑な祭を(つつが)無く進行する為の裏方だ。

 生徒達に任せると言っても彼らがするのは小さな問題の解決まで。特別大きな騒動が起きた際には我々教員が出向いて、他と協力しながら混乱を収拾するのが通例だ。

 中でも多いのが妖精と人との折衝事だ。

 誕生祭は楽しい事に溢れている。その賑やかさにつられて、普段は自然の中に潜んでいる野良の妖精達が人里に下りてくるのだ。当然、妖精は妖精の世界で生きている。人の価値観とは違う文化圏の、異なる感性を持った存在だ。

 物を得る事に金銭のやり取りはなく、悪戯が生き甲斐な彼女達。そんな者達が起こす様々な問題に対処するのが主な内容となるだろう。

 一応注意事項としてよく言って聞かせたが、言葉で説明するよりも実際に経験した方が早い。それもまた教育として、彼らのいい成長の助けになればと言うのが学園側の思惑だ。

 さて……とりあえず我々教員は何かあるまで待機だが、今回私にはこれからすべき大事な使命がある。

 覚悟を決め、気持ちを入れ替えて町に出ようとする一組のクラスターを引き止める。


「第六班、ピス・アルレシャ、ケス・アルレシャ、ロベール・アリオン、シルヴィ・クラズ。あなた達は私と一緒に来てくれるかしら?」

「ジネット先生……?」

「なんだよ、まだ何もしてないぞ? 町に出て見回りするんじゃないのかよ」

「それはもう少し後よ。貴方達にはこれから城に向かってもらうわ」

「お城?」

「どうして?」


 呼び止めれば、振り返って足を止めた四人。その顔ぶれに、返った声に特別任務を言い渡す。


「これから催される陛下の城下巡覧の相伴(しょうばん)に参加してもらうわ」

「え……えぇえええっ!?」


 悲鳴のような声を上げるシルヴィ・クラズ。

 それがきっと正しい反応よ。……だって私も未だに信じられ無いもの。




 四人の生徒を引き連れてカリーナ城へとやってくると中庭まで案内された。そこでは名のある家の者達が集まって、直接陛下に祝辞を述べたりしているようだった。


「……そ、それで先生。あたし達一体何をすれば……」

「予定ではこの後陛下は城下町をゆっくりと見て回られる事になってるわ。その巡覧に、護衛の妖精騎士(フィリット)と一緒について回ってもらうの」

「そりゃあまた随分と大役だな」

「途中で他の班と交替するから、そこからは最初に話した通り町中の巡回を頼むわね」


 遠巻きに見つつ疑問に答えれば、ようやく実感が湧いてきたらしい彼女達が目的を正視する。

 実際のところ、私だってまだ受け止め切れていない部分がある。何せこの任は今朝いきなり決まった物なのだ。何でも今年は事前の情報で例年より妖精の来訪が活発になるらしく、人員を増やして欲しいとの事。その役目として白羽の矢が立ったのがテトラフィラの生徒達だったと言うわけだ。

 当然生徒達だけで陛下の身の周りをに賑やかすわけにはいかない為に、お目付け役として教員が一人同行する。……あのくじは仕組まれていたのではなかろうか。

 結果論に少しだけ疑念を抱きつつ中庭でのやり取りが終わるのを待って。最後の一人が陛下に祝いの品を贈呈し終えると同時、一人の騎士が声を掛けてきた。


「えっと、テトラフィラの人、でいいか?」

「あ、はい」


 声に振り返ってそこにあったのは獣のような巨体。思わず見上げれば、鍛え上げられた肉体がこちらを見下ろしていた。


「アラン・モノセロスだ。今日はよろしく頼む」

「モノセロス……って、もしかして白角(はっかく)騎士団の……!」

「一応団長なんて物をやってるがな。そんなに期待しないでくれよ?」


 隣のロベール・アリオンの声で思い出す。そうだ、どこかで見覚えがある顔だと思っていたが、カリーナの海上警邏を任された海の騎士団と謳われる白角騎士団の団長、アラン・モノセロスその人だ。十数年前の第二次妖精大戦でも活躍した強者で、その功績を称えられて騎士団の纏め役に抜擢された、カリーナ一とも噂される騎士。

 騎士団の象徴とも言うべきこの町と同じ純白の鎧を身に纏いながら、その戦いぶりは傷一つ負わないとさえ言われる国を、世界を代表する存在の一角。

 その圧倒的な存在感に、自分が事実以上に小さく思える。


「そっちのお若い女性は先生でいいのかな」

「え……あ、はい。テトラフィラ学園のリゼット・ヌンキです。今日はよろしくお願いします」

「そんなに畏まらなくてもいい。堅苦しいのは苦手なんだ。面倒だってそれほど頻発して起きるものでもない。気楽に任に当たってくれ」

「は、はいっ」


 人のよさそうな快活な微笑み。話に聞いていた以上に飾り気のない、騎士と言う存在が人の形になったような人物。

 頼りがいのある物言いは、彼生来の物か。豪快な性格と鍛え上げられた肉体……物語の騎士そのままな彼に、少しだけ女性としての憧れが刺激される。

 もし彼のような騎士に身も心も救われたのならば、きっと間違いなく────


「城の入り口に馬車が用意してある。こっちだ、ついてきてくれ」

「うん」

「わかった」

「おっと、そう言えば二人もいたんだったな。大丈夫か?」

「学園生だから」

「負けないよ?」

「言うようになったじゃねぇか。じゃあしっかり勤めを果たしてくれよっ」


 歩きながら答えた双子が親しげに言葉を交わしている事に、横道に逸れそうになった思考が戻ってくる。


「……モノセロスさんはこの二人とは……」

「アランでいい。二人の事は子供の頃から知ってる。よく城に遊びに来てたからな」

「仲良し」

「お酒に弱い」

「しかたねぇだろ? 生まれつきだ」


 まるで我が子でも可愛がるように二人の頭を撫でる彼。考えるに、彼女達の事を姪のように思っているのだろう。

 普段は無類の強さを誇る戦士でありながら、子供に優しくお酒に弱い……少し年は離れているけれど、いいとおもいますっ。


「先生に迷惑掛けるなよー?」

「い、いえ。優秀な子たちですから。私としても身の引き締まる思いです」

「ちょいと癖があるからなぁ。何かあった時は容赦なく叱ってやってください」

「わ、わかりましたっ」

「……先生?」

「な、なにかしら……?」


 隣を歩くシルヴィ・クラズが何かに気付いたような視線を向けてくる。

 あ、貴女達にはまだ少し早い話です。学生らしく勉強をしていなさいっ。


「っと着いたな。後ろは俺達が担当するから前の方をお願いする」

「はい、わかりましたっ」

「そう緊張すんな。問題なんて早々起きないし、起きたら俺達が対処する。何か気付いたら知らせてくれるだけでいい」

「おうっ」

「では、よろしくお願いします」


 学園を代表して今一度折り目正しく挨拶をすれば、爽やかな笑みを浮かべた彼。頼り甲斐のある姿に思わず息を詰まらせて、それから逃げるように任に意識を傾ける。

 ……とりあえず今はやるべき事を。個人的な話は全てが終わった後でいい。


「それじゃあ失礼のないように、全力で頑張りましょうね」

「ん」

「頑張る」


 双子はいつも通り。他の二人は陛下の付き添いと言う事で緊張しているようだが、それは私も同じ事。それに、適度な緊張感は必要だ。迷惑を掛けないように、いつも通りが発揮出来ればそれでいい。

 そうでなくとも彼女達は名家の子息に子女だ。将来的にそういう場には立たされる必然、ここから経験してゆっくり歩んでいければいい。学び舎とは、教科書通りに勉強するだけの場所ではないのだから。

 そんな事を考えていると、にわかに騒がしくなった城内からコルヴァズ陛下が姿を現す。

 間近で拝謁するのはこれが初めてだが……大丈夫。成すべき事は簡単だ。


「皆、よろしく頼む。では行こうか」


 温かい響きに無駄なものを全て吐息に乗せて吐き出せば、きっと今日一番緊張をするだろう仕事の幕がゆっくりと上がっていくのを感じたのだった。




              *   *   *




 思いがけない始まりを迎えた誕生祭。流れ流されて何故か陛下の巡覧のお供をする事になった時は、緊張の余り呼吸さえ苦しかったが、今はどうにか落ち着いている。

 と言うのも前を歩く二人……ピスとケスがいつも通り過ぎて逆に恥ずかしくなったのだ。

 彼女達にとっては国王と言うよりも祖父との時間。ただ家族とそう接するように当たり前の空気に、過剰な緊張は毒だと気付かされた。とは言え友人に接するようなそれではいけないと、少し悩んだ末に導き出した答えはこれまたいつも通り。

 それはクラズ家に様々な用があってやってくる客人を相手にする時と同じ、特別な事をしないと言う事だ。

 あたしはまだ子供だから、大人の世界には入れてもらえない。けれど邪魔をする事はもっと出来ない。だから大人の真似をして、せめて目障りにならない程度の振舞い方を身につけた。

 それと同じように、目上の人に接するやり方で……それよりもう一つ引いた位置から今に従事する。

 ともすれば時折普通に辺りを見渡して散歩をしているとさえ錯覚するほどの距離感。頭の片隅にはちゃんとやるべき事が残っているのに、直ぐそこに陛下がいるという緊張感はとても薄い。

 きっといざとなったら体は動くだろう。だから多分、これでいい。

 回した視線が、偶然か馬車を挟んで向こう側のロベールとぶつかる。

 彼もあたしと同じか、それ以上にいつも通りを見つけたらしく、重要任務だというのに当たり前すぎて何だか少しだけむかつく。


「疲れていないかい?」

「えっ!? あ、はいっ、大丈夫です」


 掛けられた声はこの国の主から。思わず上ずった声に恥ずかしさを感じながら答えれば、陛下は優しく笑って続ける。


「前に城に遊びに来てくれた時にはちゃんと挨拶が出来なかったからね。次の機会があれば是非にと思っていたんだ。あの二人と仲よくしてくれてありがとう。少し変わってるが、これからもよろしく頼む」

「もちろんですっ!」


 愛しさに溢れた声。それはまるでこの国の民全てが彼の家族で、慈しむような響き。

 こんな事を考えると不敬に当たるのかも知れないが、カリーナの国王であるグンター陛下はよく国王らしくないと言われる事がある。それはきっとカリーナが共和国で、他の三国のようにその椅子が明確な国の主としてのものではないからなのだろう。

 共和国と言う形式上、カリーナは特別な王を頂けない。この国は、様々な有権者の互助関係によって成り立っている、言わば物語の中の円卓のような存在だ。けれどもそれだと他の三国と対等に渡り合えないから、象徴的に王の椅子を作り出して肩を並べる有権者の中から一人を選び出しているに過ぎない。

 つまるところカリーナの王とは、国の総意を外に向けて発信する拡声器のような物……と言うのが一般的な見方だ。

 だから重要な(まつりごと)は国中から権力者や有識者が集まって話し合われる。その為今隣にいる陛下に最終的な選択の全権が委ねられている、と言う訳ではないのだ。この点は、他の三国と比べて最も特別な点だろう。

 だからこそここカリーナでは、妖精憑き(フィジー)妖精従き(フィニアン)の実力よりも、家柄や爵位と言う物が重要視される。逆に言えば、それさえあれば妖精が見えなくとも国政に参加する事だってできるのだ。

 大人な話をすれば、様々な思惑があって、限られた人しか踏み入る事の出来ない領域かも知れない。けれども望めば誰だってその一歩を踏み出せる環境が、カリーナには存在する。

 その一歩の為に、大人になって。大人になる為に学んで。学ぶ為に選んで……。そんな道をなぞるように、今あたしはここでこうしているのだろう。

 今を無駄に出来ない……。子供な事を言い訳に遊んでいては、周りに置いていかれてしまう。それこそ、ロベールにだって……。


「シルヴィ、これあげる」

「へ……?」


 そんな事を考えていると目の前に突き出された包み。思わず間の抜けた声を上げて、いつの間にか俯いていた顔を上げれば、そこにはケスが一人立っていた。

 彼女はいつもと変わらない無表情で手に持った何かをこちらに差し出す。受け取れば、程よく温かい中身に少し驚いて封を開ける。すると中にはおいしそうな狐色をした揚げ物が一つ入っていた。


「えっと……?」

「さっき貰った。食べない?」

「あ、うん。食べるよ」


 どうやら行きずりに渡されたらしい。きっとお店の人の好意なのだろう。ならば無碍(むげ)には出来ないと、受け取ったそれに一口かぶりつく。

 途端、口の中に広がった温かい甘さ。これはアップラをほぐして固めて揚げた物……クロッカーと言っただろうか。

 クラズ家は家が家なだけに、こう言った庶民の食べ物は余り食卓に並ばない。だから無性に食べたくなる時があるし、そういう物を食べている時は少しだけ幸福感に浸れる。

 家庭では細かくした肉や野菜を入れたりと、様々な工夫がなされる食べ物で、それぞれに楽しみ方があるらしい。

 そんなクロッカー……今回のこれは基本に忠実に、潰したアップラを成型して揚げただけの簡単な物だが、どうやらこのお祭りにも出店しているらしい。

 気付いて見渡せば、お祭りらしい露店がそこかしこに軒を連ね、子供心を刺激される。と、その視界の中に、ピスの姿を見つける。彼女はロベールの傍で賑やかに話をしていた。どうやらケスがあたしにクロッカーを持ってくるのと同時、ロベールにはピスが渡していたらしい。

 そこでようやく、いつも一緒な二人が少しだけ別行動をしている事に思い至った。……とは言ってもしている事は馬車を挟んで鏡映しなのだから、いつも通りと言えばそうかもしれないが。


「……ありがと、美味しいよ」

「お祭りは、楽しむ物。考え事は後回し」

「っ……!」


 顔に出ていただろうか。胸の内を言い当てられて肩を跳ねさせる。

 けれども彼女の言う通りだ。折角の年に一回の大騒ぎ。するべき任はあるけれど、楽しまなければ損と言う話だ。


「……ん、そうだね」


 ケスに気付かされて、ようやく目の前に焦点が結ばれた気がした。

 大人になるのは大切だ。でも子供でいるのは今しか出来ない。だったら今しか出来ない事を目一杯楽しむとしようっ。




 それから、どんどん賑やかになる気がする祭りの中、巡覧のお供をこなしつつ少しだけ破目も外して。

 やがて上層区画から居住、商業区画までやってくると先生の判断で他の班と交替し、本来の目的である城下の巡回へと遅ればせながら参戦した。

 当然面子はクラスターであるロベールにピスとケスを加えた四人。ようやく大役から解放されて、目に見えない重さが肩から落ちた気がした。


「よぉしっ、最初はどこ行く?」

「何言ってんの? まだ午前中。その間はまだ巡回任務があるんだから。例え遊ぶとしてもそれが終わってから」

「んだよ、細かいなぁ……。誰も見てないんだからいいだろ?」

「他の先生に会ったらどうするつもり?」

「その時はちょちょいと嘘で切り抜ければいいだろ?」

「あたし嘘言わないから」

「けっ、いい子ぶってまた点数稼ぎかよ……」


 早くも遊びたいらしい幼馴染に苛立ちを募らせる。あたしはただ彼のためを思って言ってるのに……。

 ……もういい、分かった。これでもあたしはこいつの幼馴染だ。一緒に過ごした年月で、どうすれば彼が意見を変えてくれるかはよく知っている。少し卑怯だけど、それを使って無理やりにでも……せめて午前中だけは任務を全うしてもらおう。


「クラスター内の責任は皆の責任っ。もしロベールが一人勝手な事したらあたしにも……それからピスやケスにも迷惑が掛かるんだけどっ?」

「………………んだよ。分かったよ。やりゃあいいんだろ、やりゃあっ!」


 ……やっぱり。二人の名前に手のひらを返した事には不服だけど。でもこれで少なくともロベール一人の所為で連帯責任を負う事は免れた。

 後は彼が大きな問題を起こさないように見張りつつ町を巡るだけだ。

 考えつつ。それから最後の駄目押しを一つ投下。


「それに巡回の名目で午後から回りたい場所の視察も出来るでしょ?」

「……なんだよ。シルヴィにしてはいいこと言うじゃねぇか。よしっ、そうと決まれば早速出発だ!」


 調子のいい事で。扱い易い幼馴染で大助かりだ。

 こんな説得に無駄な力を使いたくなかったと小さく息を吐き出しながら彼の後を追えば、ピスとケスがじっとこちらを見ている事に気がついた。


「二人ともどうかした?」

「ううん」

「シルヴィすごい」

「……それは褒められても嬉しくないよ」


 変なところで尊敬された。でも大丈夫、二人ならきっとあの馬鹿を簡単に手玉に取れるから……。だからお願い……早くそれに気付いてもうちょっとあたしを楽にさせて?


「シルヴィ」

「いこ」


 目的の火が灯ったらしい二人に手を引かれて歩き出す。……まぁいいか、あたしには二人をどうにか出来る気はしないし、四人でいる時間は楽しい。何より今はお祭りの真っ最中。ロベールに言ったようにそれとなく興味の候補も探さなければ。


「そんなに引っ張ったらこけるってば……!」


 まるで妖精のような二人に導かれるように一歩を踏み出せば、世界が少しだけ鮮やかに輝いた気がした。




              *   *   *




 いつもは自分の店で出している品を、今日は露店を構えて出張開店。少し入り組んだ場所にある我が居城、『胡蝶の縁側』にはいつも常連しか顔を見せない。だからこういう場での集客や店の宣伝は大きな効果を齎すのだ。

 去年もこれでお得意様が増えた。今年は去年の反省を踏まえ更なる躍進を秘めている。

 目標っ、誰かを雇えるくらいの稼ぎ!


「あ、ジルさん。こんにちは」


 と、そうして意気込んだ直後、聞き馴染んだ声を雑踏の中から捉えて出鼻を挫かれた気になる。

 とは言え無視するのも後が面倒だと諦めて声の主を探せば、当然のようにそこにシルヴィ・クラズとその愉快な仲間達が立っていた。


「冷やかしならお断りだぞ?」

「見回りしてるんですっ。なに売ってるんですか?」


 見周りならこんなところで油を売るなよと思いつつ、少しのあわよくばを期待して答える。


「クランプーズって菓子を知ってるか?」

「あれだろ? 薄く焼いた生地で肉とか魚とか乾酪(チーズ)を包んで食べるやつ」

「あぁ。それの今日だけの特別版っ。名付けて、王様の焼き菓子(ケーニヒスクーヘン)だ!」


 言って四人に見せると、彼女達の瞳が驚いたように開かれた。相変わらず双子ちゃんに表情の変化はないけれど、身を乗り出している所を見るに興味はあるらしい。


「これパイですか……?」

「クェン風味の生地に乾燥させたビティスやカントウを入れて焼いてある。当たりには幸運を招くと言われるフェーヴって言う小さい人形が入ってるんだ」


 クェンは黄色い果物でそのままでは酸っぱくて食べられない柑橘。ビティスはスハイルで好まれる葡萄酒(ワイン)の元となる果物で、カントウはクェンと同じ柑橘だが、橙色で甘いのが特徴だ。

 それらをパイ生地で包んで焼いたのが、この王様の焼き菓子(ケーニヒスクーヘン)と言うわけだ。


「陛下の誕生日に王様の焼き菓子……ぴったりだろう?」

「狙いすぎじゃないですか……?」

「食べたい」

「だめ?」

「もちろん売りもんだ、食べてもいいぞ。但し……そうだな…………」


 子供らしい声にそれから大人の考えが働いて交換条件を提示する。


「幾ら君達でもお客はお客だ。対価は払ってもらう」

「むぅ……」

「ただ、もし金も払わずに食いたいってんなら、広告塔になってもらおう」

「広告塔……って、宣伝して来いってことか?」

「理解が早くて助かる」


 クラズ家とアリオン家の子息子女に加えて、目の前には今回のお祭りの主賓……グンター陛下の孫であるピスとケスがいる。もし彼女達が少し力を貸してくれれば、『胡蝶の縁側』と言う店の名前は瞬く間に広がるだろう。

 一度来店してもらえればお客を繋ぎ止めるだけの自信は当然ある。その最初のきっかけに、この交換条件だ。


「さぁ、どうする?」

「もちろん……」

「ロベール待って。取引をもう一つ足させてください」

「ほう?」


 シルヴィの幼馴染が簡単に釣れそうになったが、流石に彼女まではそうはいかないか。こう言う時に嫌に冷静なのがシルヴィ・クラズと言う女の子だ。


「祭りの最中、これまでのことで構いません。何か変わった事はありませんでしたか? 特に妖精絡みで」


 じっと見つめる強い瞳の色に、子供と(あなど)っていたかも知れないと成長を嬉しく思う。この様子ならクラズの家を彼女が背負う日も近そうだと考えつつ。


「生憎と僕は妖精が見えないんだけれど」

「知ってますよ。いつからジルさんと付き合ってると思ってるんですか。だからこそ聞きたいんです。ジルさんの目から見て、何か気付いた事はありませんでしたか?」


 試すような物言いに、想像通りの答えが帰ってきた事にまた一つ成長を楽しみながら。着々と妖精従きへの階段をのぼっている彼女に答える。


「……そうだなぁ…………。僕個人としては悪戯をされた感じはないけど、ちょっとした噂は聞いたな」

「うわさ?」

「どんなの?」

「友人と逸れたってのをよく聞く気がするぞ」

「そりゃあこれだけ人がいれば普通にしてても逸れるだろ」

「それが例えば、女性に限定されてるとしたら?」

「女性だけ……?」


 これはうちに来た客にも聞いた話だが、何でも今年の誕生祭は既にそう言う事が頻発していて、そちらの対応に追われているらしいとか。


「人を惑わせるってのは確か妖精の得意分野なんだろ? もしそれが向こう側の悪戯なら妖精の仕業って事になるな」

「…………女性だけ……」

「そうでなければ何か企んでる碌でもねぇ輩が動いてるってことだな。……どうだい、参考になったかい?」


 何か引っかかるのか、考えるように呟くシルヴィ。そんな彼女達の前に切り分けた王様の焼き菓子を差し出せば、受け取るより先に行儀悪くかぶりついた。


「あ、美味しい……」

「だろ? ほら、こっからはきっとあんた達の領分だ。問題が起きてるなら解決して、その上でしっかりと宣伝して来てくれ」

「分かった」

「ありがと」

「期待してるぞ」

「任せとけっ。いくぞシルヴィ」

「え、あ、うん。それじゃあまた」

「おう、危ない事だけはすんなよっ?」


 まだ何か言いた気だったシルヴィだったが、ロベールに連れられて人ごみの中に消えていく。彼女達にも言ったが、出来るのはここまでだ。妖精の見えないこの身には直接どうにかする事は出来ない。

 だから託すのだ。彼女達ならどうにかしてくれると。無責任に頼るほかないのだ。

 打算的な事を言えば、うちの客層は女性客が多い。だからその絶対数が減るような話は見過ごせない、と言うのが経営主としての意地汚い考えだ。

 客が減っては店が立ち行かなくなる。そうすれば彼女達の憩いの場が一つ減ってしまう。未来ある子供を育む環境を整え優しく見守るのは大人の役目。だからこそ大人には大人のやり方があるのだ。

 もし解決してくれたら何かお礼でもしてあげようと。そんな事を考えつつ気持ちを入れ替えて客寄せを始める。

 と、まだ宣伝効果は出てないだろうが、やってきた友達の集まりらしいお客さん達に商品の受け渡しと共に小さく囁く。


「お客さん達可愛いからおまけだっ」

「本当に?」

「その代わり、変な男について行ったりするんじゃないよ?」

「お祭りだからってそう言うのどうかと思うよー?」

「わたし彼氏いるからお兄さんは駄目ですよ」

「おっと、そりゃ残念だ」


 少しでも記憶に残ってくれれば踏み留まってくれるかも知れない。そんな期待を込めつつ、気恥ずかしさを押し殺して呼び込みを始める。

 僕には僕の出来る事を。それが巡り巡って彼女達の助けになるようにと願いながら…………。




              *   *   *




 陛下の巡覧も折り返し地点。今度は城に向けての上り坂。さぁ気合を入れなおすとしよう。

 心地よい海風を受けて気分を入れ替える。と、今回の護衛に生徒達の引率として同行してくれているテトラフィラの先生が声を掛けてきた。


「今日は海が綺麗ですね」

「よく晴れてるしなぁ。風もそこそこで過ごし易い、いい天気だ」

「そうですね」


 眼鏡が印象的な若い先生。軍属と言う立場上よく声を張っているからか、俺の声は大きく女性相手には萎縮されてしまうことが多々ある。のだが、どうやら日頃から教員として元気に満ちた子供達を相手にする彼女にそんな様子はないようで。とても親しく話題を振ってくれる彼女とは、まだ少ししか一緒に過ごしていないが随分と友好的な関係が築けたように思う。

 小さい頃から知る陛下のお孫さん……あの双子の担任教師と言う話らしく、どうやら俺と同じくあの学園の卒業生らしい。後輩と言う事になるのだろう。

 年も少し離れていて異性だと言うのに話は弾むのはきっと彼女のお陰に違いない。


「小さい頃のアルレシャさんはどんな子だったんでしょうか?」

「そうだなぁ……基本今と変わらないと言うか…………二人以外といるところを殆ど見かけた事がないくらいにずっと一緒で。口数が少なくて、表情が一つで……まるで人形みたいだったな。だからクラスターを組んで仲良くしてるのを見た時は少し嬉しくなったよ」

「私も同じです。あの子達はどこか人を寄せ付けない雰囲気がありますから。クラスターを組む時も少し心配をしてたんですが……クラズさんとアリオン君の方から声を掛けたみたいで、思いのほかあっさりと決まってましたね」

「変に(さと)くて、感情の起伏は少ないけど思いのほか直情的でな。考えた事がそのまま言葉や行動に出るから意外と分かり易いんだ。あと怒らない」


 生まれた時から知っているが、彼女達が怒ったところを見た事がない。目に見えないだけかもしれないが、感情を余り表に出さない彼女達はその部分が分かり辛い。


「代わりに……ちょっとばかし頑固だな。妖精が絡む事に関しては天性の物を発揮するけど、小手先の技術的な事となると余り得意じゃないみたいでな。前に剣を振りたいってんで握らせたら、藁の人形が一人で斬れるようになるまで毎日通いつめて来やがってな。お陰で仕事が手につかないままお守りさせられる破目になったな」


 こちらをじっと見つめて耳を傾ける先生。どうやら生徒に関する情報収集らしい。確かにあの双子は慣れるまでは大変だ、彼女達を知る事は無駄に振り回され辛くなる事に直結する。


「まぁ一番は根気よく理解する事だろうな。あいつらの言動にはあいつらなりの理由がある。それを聞いてからでも叱るのは遅くないと俺は思いますね」

「叱る、ですか……。学園長にもよく言われますね。叱ると怒るは違う、と。教育者たる者、正しき道に叱って教え導きなさい。聞き過ぎて覚えちゃいましたけど」

「あの婆さん今学園長やっんのか……。頂きの純白(エーデルヴァイス)なんて名前ただの白髪だろうに……」

「学園長の事、御存知なんですか?」

「有名人だよ。俺の時はまだ普通の先生だったけどな。全く、叱る叱る言いながら一体何度怒られた事か……」


 苦い記憶を思い出して愚痴を零せば、くすりと笑った先生。まぁ笑い話にしてくれるならこちらも救われると言う話だ。


「っと、そんな話ばかりしてたら示しがつかないな」

「そうですね。お話はまた後にでも」


 しっかりと公私を分けた上で次の提案を用意してくれる楽しさに彼女の真面目さを知りながら。そうして任に従事しようと前を向いたところで、つい先ほど話題に挙がっていた顔を見つける。


「アラン」

「お仕事お疲れ」

「なんだぁ? 遊ぶには少し早いんじゃないのか?」

「遊んでない」

「探し物してる」

「探し物?」


 駆け寄って来た双子は問いにさも当然と言った様子で答える。彼女達は嘘を吐かない。つまりそれは妖精と同等に疑いようのない信実であるという事だ。

 どうやらそこには既に至っているのか、彼女達の先生であるリゼットが訊き返す。


「女の子が消えてるってジルが言ってた」

「妖精が悪戯してるかもって」

「……そりゃあ初耳だな。詳しく聞かせてくれるか」

「えっと、まだ噂程度で妖精の見えない人からのお話なので、単純にこの人の数に迷子になっているだけ、と言うのも考えられるんですが」

「何だか嫌な予感がするって言うか……そう言えば改めてみると妖精の数が多い気がして」

「ふむ…………」


 ピスとケスの簡素な答えに、具体的な説明が後からやってきた彼女達の友人から紡がれる。

 賑やかな祭りの中での事だ。そんな話は枚挙に(いとま)がないのだが……。


「二人はどう思う?」

「妖精の悪戯」

「もしかしたらあの子かも」

「心辺りがあるの?」


 リゼットの声に頷く二人。驚いているのはシルヴィとロベールも同じのようで、どうやら四人の中でも共有されていなかった情報らしい。自己完結をよくする二人の周りでよく見られる光景か。

 しかし、彼女達の感性を全て理解する事は出来ない。きっと二人の中では既に答えが出ているのだ。それを尊重してあげるのも大人の務めで、彼女達の力を借りれば問題の解決も近付くかもしれない。

 何より、この祭りは彼女達学生にとっていい教材だ。


「…………先生、彼女達の力を借りてもいいですか?」

「あまり危険な事には……」

「いい機会ですよ。少しくらいこう言う事に慣れておかないと、下手に純粋培養なんてしたらそれこそ妖精に弄ばれます。大丈夫です、彼女達にはこれを持たせますから」


 心配は(もっと)もだが、子供は冒険する生き物だ。特に二人は妖精のように興味が原動力の大部分を占めている。その芽を摘む事は、可能性を押し付ける事と同義だ。

 考えながら取り出したのは緑色の小さな鉱石。


「これは軍で使われてる遠距離連絡用の道具だ。遠隔での通話と、持っているだけで居場所の把握が出来る。いざとなればこれを使ってこちらから探して助けに行く事が可能だ。……それでも尚心配なら、護衛の一人か二人付けましょうか?」


 彼女達を昔から知るからこそ、甘くなってしまう気持ちはあるかも知れない。けれど二人のやりたい事は尊重してあげたいし、経験則もあるのだ。


「それに、こう言う時のこの子達はやってくれるんです。どうですか?」


 彼女達は自由そのものだ。けれど一度決めた事は貫こうとするし、それに妖精が絡んだ時は大抵何かしらの結果を齎すのだ。

 そんな子供ならではの行動力を助けて、何かあった時の尻拭いをするのが大人の役目だろう。

 出来る事なら簡単に否定せずに真っ直ぐに育ててやりたい。我が子を可愛がるような面持ちで告げれば、声が上から降り注ぐ。


「構わんよ。我輩が許可する。何かあればアランが手を貸してやれ、いいな?」

「承りましたっ」


 大きな意味を持つ言葉は、どうやら話を聞いていらしたらしい陛下の物。力ある果断な物言いに、他が口を挟める事など殆どない。何より彼女達の祖父である彼が許可を出したのだ。それ以上の答えなどありはしない。

 やがて味方がいないと悟ったらしい先生が、覚悟を決めて四人に向き直る。


「……分かりました。その代わり、決して無茶はしない事。終わったら直ぐに戻ってきて報告する事。いいわね?」

「うん」

「分かった」

「任せとけって!」

「……クラズさん、よろしくね」

「はいっ」


 ピス、ケスに続いてロベールが請け負う。その返事を聞いてリゼットが言葉を向けた先はシルヴィだった。どうやら四人の中で一番信頼されているのが彼女らしい。クラズ家の一人娘ならば、確かに預けても問題はないだろう。

 声にシルヴィが頷いて、それから鉱石を受け取り去っていく。遠ざかる後姿を眺めつつ、少しだけ落ち着かない様子の先生に声を掛ける。


「大丈夫です。信じてあげましょう。どう転んでも、いい勉強になります」

「…………はい」


 心配性だが、優しい先生だ。彼女の下でならあの二人も立派な妖精従きを目指せる事だろう。


「さて、俺達もしっかり仕事をしましょうか」

「そうですね」


 子供達ばかりに頼っていても仕方ない。彼女達が尊敬する大人として、期待に恥じない大人らしさを貫くとしよう。




              *   *   *




「な? 言った通り楽しいだろう?」


 微笑めば彼女はそれは楽しそうに頷いてくれる。

 妖精は嘘を吐かない。そう人間達が言うように、嘘を吐くつもりは毛頭ない。

 ただ少しだけ、彼女達が浮かれてしまうだけ。何かを見落としてしまうだけ。けれどそれは彼女達の責任だ。

 声を掛けた事に答えたのは彼女達。言葉を受け取って頷いたのは彼女達。楽しいと感じているのは彼女達。全て彼女達が選んだ結果で、この身は妖精だ。許された自由を大いに使って何が悪い。

 こちらを見つめる瞳に今以上の期待が宿る。今のままではもう満足が出来なくなったらしい。尤もらしい事をのたまう癖に、自分の感情には正直だ。人間はなんとも楽しい生き物だなっ。


「見つけたっ!」


 祭りは楽しいっ。人の生み出した有の中で一、二を争うほどに価値がある。

 そんな風に考えながら、更なる楽しさを求める女性に手を差し伸べる。そこへ無粋にも割って入った声が一つ。

 けれどもそれもまた女性だと。疼く胸の内に期待を秘めてそちらを向ければ、こちらを見つめる姿と瞳に見覚えがある事に気付いて楽しさが倍増した。


「君は……!」

「あの時は綺麗な景色をありがとう。けど今回はあなたに話があってきたの──ガンコナー」


 ガンコナー。無礼にも胸の奥の核を擽られて流石に気分が傾ぐ。

 妖精の本質……妖性を暴き立てるのは褒められた事ではない。人に例えれば、土足で自分の家に、部屋に上がりこまれる事と同義だ。そんな配慮のない行いを許せるほど妖精だって甘くない。

 ……けれど一回は見逃そう。何せ彼女は……彼女達はあの森で時間を共に過ごした友人だ。


「おいおい、そんな楽しくない呼び方はしないでくれよ」

「あなたの行いは目に余るわ。折角のお祭りを掻き乱さないで」

「掻き乱すなんてとんでもないっ。ただ本能に従って楽しい事を追いかけていただけだろう? そんなに目を吊り上げるなよ。可愛い顔が台無しだぞ?」


 するりと歌うように零れる賛辞の言葉。音にする度になにより自分が楽しくなる響きに笑みが浮かぶ。

 けれどどうにも、彼女はお気に召さない様子。……あぁそうか。隣の男に言われたいのか。

 いやぁ、それは失礼な事をした。恋する乙女は美しくていけないねっ。つい興味が疼いてしまう。


「一緒に遊んだ子達はどこ?」

「連れ去るのはだめ」

「連れ去るだなんてそんな外聞に響くような事は言わないでおくれよ、鏡映しの愛し児達よ。楽しい事を望んでいたから手を貸しただけ。全ては彼女達の望みだ。無理強いなんてしていない」

「だったら早く返せよ! どこにいるんだ!」


 せっかちで煩い男だ。あーまったく、これだから嫉妬に狂う姿は嫌になる。自分が振り向いてくれないからって周りに当り散らすのは楽しくない。美しくない。


「ロベール、だめ」

「お話するのはケス達って決めた」


 そうそうっ。男と話したって何も楽しくはない! 花を咲かせる相手はそんな花弁でさえ蕾に戻ってしまうような純真可憐の恥じらう生娘でなくては!

 そう言う意味では目の前の彼女達は少しばかり棘が鋭すぎるかも知れないけれど。なに、そう言う気丈な花を手折るのも楽しみの一つだろう?


「……あなたの言い分は分かった。けれどそれで悲しんだり心配したりする人がいるの。だからお願い、彼女達を返してあげて」

「なんでだい? みんな楽しくて一緒に遊んでくれるのに。折角のお祭りなんだろう? (しがらみ)なんて投げ捨てて楽しむのが一番じゃないかっ」


 返す言葉が見つからないのか、微かに曇る彼女の心。あぁ、悲しませるつもりはないんだ。ただ、楽しい事を望む彼女達にその時間を提供したいだけなんだ。それが何より、この身の楽しさだから。


「……そうだっ! だったら君達が付き合ってくれよ! これまで遊んだ子達よりも楽しい時間を紡げたなら、君達の言う事を聞こうじゃないかっ!」

「ほんとう?」

「嘘吐かない?」

「あぁっ! 妖精は嘘を吐かないっ」


 一度は逃してしまった蝶。その子達が今目の前にこうして舞い戻ってきてくれたのだ。この偶然を逃すなんて、そんな惜しい事は出来ないっ。

 顔を見合わせる少女達。やがて一つ頷いた健気な花は、こちらに一歩を踏み出してくれる。


「…………分かった。その代わり、約束は絶対だから」

「もちろんだとも! 可愛い伴侶の顔を翳らせるつもりはない。この身に、そして君達の美しさに誓おう!」

「ロベール、先生に報告をお願い」

「……あぁ、気をつけろよ」


 進んで不必要な男を切り捨ててくれる少女達。なんと健気で美しい事だろうか。

 彼女達の期待に応えるべく、全身全霊を()ってその思いを受け止めよう!


「さぁ、楽しい楽しい唯一の時間の開幕だっ!」




 祭りは、人が作り出した叡智であると思う。儀式や式典なんて堅苦しい話は抜きにして、破目を外し鬱屈とした日々からの解放感を全身で楽しむ。

 見た目を飾り、腹を満たし、疲れたら眠る。そんな放埓な自由が当然のように許されるたった一時の夢のような空間。

 妖精の身からすれば毎日が祭りであった方がどれだけ過ごし易くて嬉しい事か。全く、辛い日常に身を(やつ)すなんて馬鹿げてる。人はいつまで経っても蒙昧で愚かだ。

 とは言えそんな人に興味以上の本能が疼くのがこの身だ。人はこの性分をガンコナーと呼ぶ。

 美しい乙女に囁きかけ、一歩を踏み出させて連れ去ってしまう女の敵。言い出したのはきっと女に囃されない醜い男共だろうか。勝手な事を言ってくれるものだ。

 ただ楽しい事を共有しようとしているだけなのに。普段は経験できない自由を知って欲しいだけなのに。一体何が不満なのだろうか。そんなにきっちり何かに嵌って流され続けるだけでいいなら、その場に根でも張って風に揺られていればいいのに。その方がよっぽど気楽だろう。

 ……まぁそんな人が生み出す有に興味があるのも事実で。だから精々悪戯止まりで満足しようとしているのに。この頃どうにも自制が緩む時がある。あれは一体なんだろうか……?

 まるで胸の内側から衝動が皮を破って表に出てくるような、不思議な感覚。身を委ねれば、二度と戻ってこなくなれそうな強い欲求。

 けれども直感で、それは嫌だと理性の部分が告げている。本能のままに何も考えずに思考を放棄すれば、自ら選んで楽しむ良さがなくなってしまう……。手当たり次第に目に付いた花を手折るだけの、嵐のような存在になってしまう気がする。そんな予感が胸を突くのだ。

 妖精は嘘を吐かない。それはただ正直なのではなく、自分に嘘を吐いてまでの行いに楽しさと言う原動力を……存在意義を感じないからだ。だから正しくは、嘘を吐けないが適当だろう。

 例えば、嘘と言う言葉を理性と言い変えれば、人にも分かり易く時折胸の奥で渦巻くその衝動と言う形のない何かを伝えられるだろうかと。

 しかしそれは、この身の問題だ。

 何より今は祭りの場で、楽しさを追い求める少女達が三人も共に同じ景色を見て歩んでくれている。そんな些細な問題に振り回されて今を見失うほど、まだまだ退屈していないっ!

 人の世界の話。彼女達の秘密。美味しい食べ物、面白い見世物。普段抑え込まれている人の欲求が解放されるからこそ、そこに作り出される様々な有の形はどれも新鮮で楽しいのだ。それこそ、妖精の悪戯らしく時を忘れてしまうほどに。


「いやー、しかしっ。君達みたいな子と契約が出来たら楽しいのだろうけれどもね」

「そう言えばまだ契約はしてないの?」

「あぁ。契約してしまえばこうして健気に揺れる花を跳び回って愛でることが出来なくなるだろう? だからせめて、心の底から傍にいて楽しいと……この相手の傍にいたいと思える相手に出会うまでは契約は見送ってるのさ」


 まだまだ若く、人の世界でははんぶんを持たない妖精憑きと呼ばれる彼女達。もう数年してようやく相棒を捕まえる彼女達にとっては、妖精従きと言うのはやはり大きな目標で、憧れらしい。

 妖精としても人と契約をすれば長く存在できるようになる。妖精の寿命は長くて三十年だ。それまでに契約して妖精力の供給を受けなければ自然消滅をして転生してしまう。転生をすれば前の生の記憶はなくし、胸に刻まれた本能に従ってまた美しい花を追い駆け始める。それが宿命染みたこの身の意味だ。


「契約しても自由な子もいるよ?」

「契約が全てじゃないよ?」

「そうだなぁ。だからきっと、契約する時は傍にいて飽きないながらも、この性分を尊重してくれる相手と契りを結ぶんだろうな。そんな奇特な奴がいればの話だけど」


 人は妖精との契約でその力の恩恵を得る。具体的には強力な妖精術が使えるようになり、それを用いた生きる術を見つける。大抵はその人の都合に付き合わされて共に過ごすのが契約をした妖精の定めだ。代わりに妖精は、人の生み出す有を……楽しいを追いかける時間を得るのだ。

 しかし時には妖精の自由を第一に考えてくれる者もいるし、そういう出会いがあればそれに越した事はない。


「……8だね」

「……3だよ」

「ん…………あぁ、そうだな。この身は(フェリヤ)だ。だから契約相手も何か間違えない限りは同じ属性を持つ人間だろうな」


 8で3。双子の声に少しだけ考えてそれから気付く。

 彼女達にはどうやら妖精の本質が知覚できるらしい。この身の核……ガンコナーは(フェリヤ)に属する妖精だ。そこのシルヴィと言うお嬢さんと同じ根源を持っている。

 向けた視線に彼女は少しだけ顔を顰めた。


「……あたしも風が得意だけど、あなたが相手はお断りさせて貰います」

「そりゃあ残念だ。こうしてこっちの都合にも付き合ってくれるし、意外と気に入ってたんだがなぁ」

「クラズ家の後取り娘が言い寄り魔と契約してるんなんて知れたら大問題ですからっ」

「こっちは可憐な女の子をこれだけ愛しているというのに、受け入れてもらえないなんて世知辛い話だねぇ……」


 くるりと身を(ひるがえ)せば、無視をするように視線を逸らした彼女。……まぁこんな軽薄な妖精よりもご執心なお相手がいるようだしな。言葉ほど期待してない話だ。


『双子ちゃんはどうかね? 属性こそ違うが君達の特別さはきっと妖精の誰もが羨む物だろう。実を言うと意外と本気なんだがね』

「ごめんなさい」

「だってあなたは一人だから」


 普段は人相手に使わない真実の声まで使ったのに……あぁ、だからこそ余計に手を伸ばしたくなってしまう。

 けれども彼女達の言う事もよく分かる。二人の間に、一人の妖精が割って入る事は出来ない。彼女達がもし契約をするのであれば、この二人のように双子の妖精しかいないだろう。

 しかしながら双子の妖精なんて聞いたことがない。親から生まれない妖精には家族と言う概念が殆どない。それに妖精は個を尊重する存在だ。全く同じなんて気味が悪い……。考慮の余地があるのはエインセルくらいだろうが、そもそもこの二人が契約をするのかすら疑問を抱くところだ。この二人は完成されすぎている。


「……ま、分かってたけどね。でも君達と話をする時間は尊いものだ。だからまた今度、どこかで出会う機会があればその時も楽しい時間を期待しているよ」

「もう満足したの?」

「満足なんてしないさ。けれどまぁ、今日のところは楽しかったからこれにておしまいだ。君達の前に誘った子達への干渉はさっき解いた。今頃友人や家族と再会しているだろうね」


 何だか一方的に喋り倒して時間を浪費してしまった気がするが、そう言う悪戯だ、仕方ない。人の感覚ではようやく一刻と言った頃合いだが、今以上に引き伸ばしても目新しい反応は得られそうにないと気付いてしまった。だから今回はこれでおしまいだ。

 失敗と言う目的を得て貴重な時間を使い切った事を告白すれば、シルヴィは随分と意外そうにこちらを見つめてきた。けれどこれがこの身の本質だ。花を巡る蝶のように数多もの女性に声を掛けて楽しむ。それは裏を返せば、一人にそこまで固執しない、淡白で薄情な事の証明だ。それこそ本気で傍にいたいと願わない限り、まだ理性の働くこの身では迷わせた挙句に命を奪うような事はしない。


「ん、分かった」

「またね」

「あぁ、またいつか。妖精の尻尾を追いかけた先に運命の出会いがあらん事をっ!」


 そう告げて、三人に別れを告げてその場を去り森へと返って行く。

 あぁ、楽しかった! さて、明日は一体何をしようか!




              *   *   *




 シルヴィに呼ばれてピスやケス達とも合流すれば、何だか納得いかない様子で幼馴染が待っていた。


「なに、どうしたんだ?」

「……何でもないよ。ただ妖精の悪戯に振り回されただけ」

「ふぅん……」


 長い付き合いの勘で何となく察する。こう言うシルヴィは拍子抜けと言うかまだ納得出来ていない時の彼女だ。恐らくあのガンコナーにいいように遊ばれたのが尾を引いているのだろう。


「一応聞くけどあの妖精は?」

「森の方に帰ったよ。彼に誘われた人達も元に戻ってる。妖精は、嘘を吐かないから」

「そうか。よかったじゃねぇか。祭りの問題を解決したんだぞ?」

「……ん、そうだね」


 今回男のぼくはいるだけで場を掻き乱すと言われ、仕方なく引き下がった。本当は二人の前で素早く解決して格好いいところを見せたかったが、ガンコナーが相手では分が悪い。

 それにこの策はシルヴィの案。こう言う理詰めな作戦を立てる時は、彼女が間違える事は殆どない。だからこれでよかったのだ。……やっぱり少し消化不良だけど。


「あぁ、あと先生から伝言で、残りの時間は好きに楽しんでいいってさ。問題を解決したご褒美だって。アランさんからもほら、お小遣い貰ったぞっ。これで美味しい物でも食べに行こうぜっ」

「美味しい物」

「うん、行こう」


 心なしか弾んだ気がする双子の声にこちらまで嬉しくなって歩き出せば、遅れてシルヴィが溜息を吐きながら足を出す。


「はぁ…………ちょっとぉ、置いてかないでよ。迷子になったらどうするの?」

「そん時は、そうだな……おじさんの屋台の前で待ち合わせな?」

「ロベールが一番に逸れそうだけどね……」

「なんだとぉ?」

「ロベール、シルヴィ」

「早くいこ」

「もうっ、だから待ってってば」


 いつもの調子でシルヴィの声に反応しながら。そうしてようやく始まった気がするぼく達の誕生祭に向けて、楽しい一歩目を踏み出したのだった。




 それから町を見て回りながら沢山買い食いもして。途中近くに寄った際におじさん……ジルさんに問題の解決を告げれば、褒美にと王様の焼き菓子(ケーニヒスクーヘン)をまた一欠片くれた。どうやら繁盛しているらしかった。美味しいから店の方でも出せばいいのに。

 そんな事を考えつつ妖精のように楽しそうに前を歩くピスとケスに振り回される祭りの時間を過ごして。最後の締め括りにカリーナ城へ戻ったグンター陛下の挨拶を聞いて、夕日に輝く町中に響いた大歓声と共に日中の誕生祭は終わりを迎えた。

 この後夜の部として大人達が大いに盛り上がる祭りも催されるが、子供であるぼくが参加したところで面白い事は殆どない。だから少し名残惜しいが今年はここまでだ。……早く大人になりたい。

 簡単な片付けだけ済ませると、大人の雰囲気に変わっていく町並みに少しだけ寂しさを感じて足を出す。行く宛ても定まらないままに彷徨えば、やがてやってきたのは城下町の一番下に位置する市場区画。目の前に広がる海原から町を守るように立てられた防波堤によじ登って、まだ少し高揚感の残る吐息を落とす。

 トゥレイスの方角に沈む陽が燃えるように色づいて微かに揺れる。潮騒の音が風と共に心地よく耳から入り込んで体の熱を奪っていく。

 ……明日からまた学校かと思うと少し憂鬱だ。その点に関しては、ガンコナーの行っていた事に少しだけ同意する。


 ────折角のお祭りなんだろう? 柵なんて投げ捨てて楽しむのが一番じゃないかっ


 けれど遊んでばかりもいられないのが人の世界だ。何かを守れるような、立派な妖精従きになる為に。アリオン家の後取りとして、立派な大人になる為に。弱音など吐いてはいられないのだ。


「ロベールだ」

「なにしてるの?」


 自らを鼓舞するように未来を描けば、不意に聞こえた二つの同じ声。振り返ってそこにいたのは、ピスとケスの二人だった。


「ぼくは……ちょっとぼーっとしてた。二人は?」

「そこいきたい」

「どうすればいい?」


 問いかけにはずれた答え。こんなやり取りにももう慣れてしまった感があると思いつつ、手を引いて二人を防波堤の上へと引き上げる。


「海だ」

「きれい」

「だろ? ぼくのお気に入りの場所なんだっ」


 昔から手伝いをしていた中で見つけた絶景。特別秘境と言うわけでもないただの防波堤の上だが、あまり好んで登る者など居ないここからの景色は何だか特別さを感じる。


「二人はどうしてここに?」

「お父様のおつかい」

「帰り道」

「そっか」


 さして重要でもない案件は後学の為にぼく達子供に任せる。名のある家柄の子供にはよくあるおつかいだ。

 もしかして、と言う淡い期待ではなかった事に少しだけ落胆したけれども、こうして出会えたのは確かな事で、嬉しくなる。


「ロベール、約束」

「お祭り終わったら話があるって」

「っ……あ、あぁ……」


 唐突に音にされて、遅れて言葉の意味に気付き息を詰まらせる。

 そうだった。そんな約束を交わしていたのだった。今日一日色々ありすぎてすっかり忘れていた。

 けれど約束は約束だ。彼女達が覚えてくれていて、それを果たそうとしてくれている。ならばそもそもこちらからの提案に、ぼくが向き合わないでどうする……!

 自覚して、それから急に胸に競りあがってきた感情に喉の奥が熱くなる。

 落ち着け、深呼吸だ。一度やるって決めたんだから自分に嘘を吐くな、ロベール・アリオン……!


「……ま、祭り、楽しかったな」

「うん」

「ロベールも?」

「もちろんだっ。ジルさんのパイも美味しかったしなっ。あれまた食べたいな」

「うん」

「今度お願いしてみる」


 双子の希望なら直ぐに通りそうな気がして肩を揺らす。そうして笑えた事に少しだけ緊張がほぐれた。

 呼吸さえ聞こえそうな隣で鏡映しな双子が何かに魅入られるように水平線のその先をじっと見つめる。その、夕日に照らされた横顔に、手のひらに汗を掻く。

 今更に思えば、二人とこうして一緒の時間を過ごすのは初めてかも知れない。いつもは口うるさい腐れ縁が傍に居たから、行動となれば四人でが普通だった。そんなお節介な幼馴染は、今は居ない。

 そんな些細な事でさえ自覚する毎に体が何かに締め付けられるように硬くなる。痛いくらいに口の中が渇いていく。

 脳裏を巡るのは、彼女達に出会ってから今日までの事。まだ一月も経っていないと言うのに、鮮烈で初めての経験ばかりな過去が、怒涛のように押し寄せてくる。その全ての景色に居る、二人の女の子。ふと、初めて言葉を交わした時の事を思い出す。


 ────ぼ、ぼくとクラスターを組んでっ!


 あの時踏み出した勇気の一歩が、いつの間にかこんなところにまでやってきていた。

 もちろん、まだまだ知らない事は沢山ある。理解しきれていない事の方が多いだろう。けれど、それとこれとは話が別で。少なくとも今この胸に燻っている感情は嘘ではない。

 気付けば立ち上がって、防波堤の上で彼女達を振り返っていた。何事かと答えを求めるように、同じ顔の、同じ(あま)色の瞳がこちらを射抜く。

 ……もうだめだ。止まらない。この気持ちは、今しかない。


「ピスっ、ケスっ……!」

「なに」

「ロベール」


 面と向かって名前を呼ばれて、喉の奥に熱い物がこみ上げてくる。吐きそうなほどのその衝動を、けれどまたひとつ踏み出す原動力に変えて、思いのままに告げる。


「ぼく、二人の事が好きなんだっ! 二人の傍に居たいんだ!」

「それが」

「お話?」

「あ、あぁっ。ふ……二人は、どうなんだっ?」


 勢い任せに音にする。波の音はどこか遠く、目に映る景色はどこか曖昧に色褪せる。そんな景色の中で、目の前の女の子達だけが鮮烈に存在感を示す。

 天色の双眸がじっとこちらを見つめる。


「ん、ピスも」

「ケスもだよ」

「…………ほ、ほんとに?」


 返ったのは簡素にして真実の言葉。次いで二人が顔を見合わせ、再びこちらを向いて頷く。と、それから思いついたように立ち上がって、彼女達は────踵を返した。


「じゃあね、ロベール」

「また明日」

「………………………………え?」


 何かの聞き間違えかと思うほどに淡々とした言葉。それから彼女達は返事を待つ事なくゆっくりと歩き出す。

 訳が分からない。そう理由を求めるうちに二人は既に防波堤から降りて手の届かないところにいた。


「あ、うん。また…………。………………………………え?」


 えっと……答えは?

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