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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
雪の葉踏み散らす白銀の十三夜
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第五章

 白きは冬の化粧なり。蓄えこそが鏡なり。

 樽の水面に揺蕩(たゆた)って。底に響くは飢餓の声。

 貯蓄の知恵を啜り笑い。富を食らって腹鳴らす。

 厳しさこそが冬の掟。寂しさこそが夜の常。

 伏して喘いで渇望し。春を望んで今に生きる。

 死する大地と実りの中で。生きる命が恵みとならん。



              *   *   *



「ではよろしいですね?」

「あぁ。頼む」


 覚悟と共に頷いて差し出せば、書類を一枚受け取ったエドが部屋を出て行く。

 律儀に礼を一つ置いて扉を閉めたその音を聞き届けると、知らず重い吐息が腹の底から漏れた。


「幾重にも重ねた議論の果てとはいえ、いつになっても慣れは来ぬな……」


 独り言ちて窓の外へと視線を向ける。そこには我輩の胸の内を現したような曇天が冬の空を覆い隠していた。


「これだけの異常事態だ。雪が降っても不思議ではないが……」


 ある種の憩いさえ求めながら呟いた瞬間、その楽しさを嗅ぎつけたように窓が小さく叩かれた。

 こういう時は少しくらい自由を求めても許されるかと。言い訳を探しながら僅かに窓を開けて客人を招き入れる。


「おぉ、ここはあったかいな」

「外が寒いだけだろう」

「これ貰っていいか?」

「好きにしろ」


 付き合いの長さで言えば右腕であるエドワール以上。もう50年以上共に歳を経てきた我輩の相棒。

 だというのにその容姿は契約した頃のままというのは、些か不公平ではなかろうかと種族の違いを恨めしく思いながら。

 殆ど冷めた紅茶を体いっぱいを使って傾けるはんぶんに問いかける。


「それで。今日はまたどうした」

「用事がないと遊びに来ちゃ駄目なのか?」

「ここは遊び場ではないんだがな……」


 とはいえ危急の用件があって顔を見せた訳ではないようだ。その事には一安心。

 今以上の面倒事が舞い込むのはやめてもらいたいからな。


「まぁ、気にならないことがないわけじゃないぞ?」

「ヨウラスヴェイナルの事か」


 音にすれば、小さな体で満足したらしい相棒が頷く。


「どうするんだ? そろそろ何か手を打たないと城下町が混乱に陥るぞ?」

「それに関してはついさっき指示を出したところだ。早ければ今日中に動き出す」

「お、ようやくか。いつもの事だが出足が遅いな。もう半分終わってるぞ?」

「カリーナの政治は議会で採決される。他の国のように一人が絶対的な権力を持ってるわけではない。我輩も、席に着けば発言者の一人だ」

「よくもそれで国が成り立ってるものだな。王を頂かない国ってのは相変わらずよく分からん」

「妖精がそれを言うか?」

「勘違いするなよ? 妖精にだって王様はいる。君たち人間が知らないだけだ」


 妖精従き(フィニアン)として心躍る文言だが、そんなことに首を突っ込んでいい個人は既に持ち合わせていない。

 相変わらずそこだけは折り合わない契約関係に、けれどもそんなものかと思いつつ小さく息を吐く。

 妖精従きと契約妖精は何もかもが噛み合っているわけではない。中には折り合わないことで噛み合っているという不思議な関係の者達もいる。

 完全なる鏡写しなどこの世には存在しない。

 ……であれば、彼女達はどうなのだろうかと。

 採択した結論に無関係ではない双子の愛しい孫の顔を思い浮かべ、思案する。

 傍から見れば違いなど殆ど存在しない。そんな二人は、今回の事態に一体どのような形で関わる事になるのか。はたまた、似すぎているが故に一切の無関係で終わってしまうのか……。

 ともすれば唯一の不安要素として考えながら呟く。


「ユールは、どうする?」

「どうもこうもないさ。妖精はいつだって魂に導かれて楽しい場所に現れる。それだけだ」

「そうか……」


 冷めたような。それでいて熱に浮かされたような響きに納得を導いて窓の外へと視線を向ける。

 沖の方では、波乱の予兆のように微かな白波が立っていた。




              *   *   *




 下がり揺れるは獣の匂い。血肉を詰めた(わた)の匂い。

 残さず余さず食べ尽くす。知恵と貪欲食べ尽くす。

 梁から見下ろすその先に。滴る雫は富への礼儀。

 命を食らうは悪徳の限り。自然に歯向かう大地の怒り。

 勝手が求めた豊かの代償。飲んで下せば罰へと下る。

 業を千切って噛み千切る。罪と知らしめ良かれと嗤う。




              *   *   *




「ロベール、ユールの事なんだけど」


 自分の席に座り次の授業の準備をしていると、直ぐ傍から聞き馴染んだ幼馴染の声が響いた。

 顔を上げれば、そこに立っていたのはシルヴィ。そしてその後ろに、鏡合わせな二人の顔があることに気が付いた。


「おう、どうなった?」

「二人もいいって。後は先生だけ」

「そうか。なら授業終わりだな」


 預けていた話題が一つ纏まったことに小さく安堵しつつ、最も大きな壁を見据えて覚悟と共に呟く。

 そうこうしているとリゼット先生が教室に入ってきて教室内の生徒達に言い渡す。


「ほら、席について。早く始めて早く終わるわよ。その方が皆も嬉しいでしょう?」


 この授業が終われば昼休み。長い休息時間が更に伸びるのであれば嬉しい話だ。

 まぁ、その分今の休憩時間が減るのだから、差し引きは関係ないのだが。


「先生が早く終わらせたいだけだったりしてな」

「そうね。なら最初の問題は協力的なアリオン君にお願いしようかしら?」

「うへぇ……」

「頑張って、ロベール。後でね」

「おう」


 不必要な事を言ってしまったと後悔しつつ、号令に合わせて席を立ち礼をする。

 まぁいい。とりあえず授業を終わらせて、本題はその後だ。

 どうにかして先生を口説き落として見せるっ!




 リゼット先生の担当教科は自然科学。妖精からは縁遠く、そして密接なその学科は、立派な妖精従きになるために欠かすことのできない知識だ。

 過去の歴史を紐解けば、人間はいつだって自然と共に在り、その恩恵と災いと一緒に辿ってきた。

 遠い昔に比べると沢山人の手が入り開発されたフェルクレールトの大地だが、それでも未だ未知の自然は多く残り、自然の息吹が占める面積の方が圧倒的だ。

 町を一歩出れば、街道の傍には鬱蒼と茂る緑が……今の時期だと冬色の大地が広がる。であれば当然、自然の驚異に対しても理解が必要で、そしてそれは同時に妖精への歩み寄りにも繋がるのだ。

 自然と共に生きる。それは人だけでなく、妖精にも言える事。否、妖精の方が自然と密接に関わり合っていると言える。

 野良の妖精達は基本的に人の手の入っていない場所を好んで過ごす。それはその環境が妖精達にとって心地の良い場所だからだ。

 つまり、自然への理解とは人の世を回すだけでなく、共に歩む妖精への造詣を深めることとなるのだ。

 妖精を知り、その付き合い方を心得ているのは正しき妖精従きの在り方。学問に貴賤を付ける訳ではないが、自然科学は世界を知るうえで欠かせない扉なのだ。

 そんな教科を担当するリゼット先生の授業は楽しい。ただ教科書に沿って話をするだけでない、脇道にそれた内容も魅力の一つだ。

 ただ学ぶだけならば、他人に聞くまでもない。だからこそ、その外側の話に興味が湧いてしまうのだ。

 気付けば時間を忘れて聞き入ってしまう授業に耳を傾ければ、今日もまた早々と時が過ぎ去ってしまう。

 授業の終わりを知らせる鐘はまだもう少し後。しかし宣言通りに少し早く授業を切り上げたことにより、教室内がにわかに熱を持ち始める。

 とは言っても、ざわめく話題の殆どは授業以外の事。先生も、振るっていた教鞭から解放されて小さく吐息を吐いていた。

 そんな彼女に、幼馴染と目配せをして立ち上がると声を掛ける。


「先生」

「なに? 質問?」

「質問と言えば、質問です。先生ユールはどうしてますか?」


 単刀直入なシルヴィの声に、一瞬息を呑んだ先生。けれども直ぐに呆れたように溜め息を吐いて答える。


「ユールって……昨日陛下が仰られたことをもう忘れたの?」

「それは覚えてるって。そうじゃなくて、本当だったらユールの日はどうする予定だったんだろうって思ったんだ」


 昨日、カリーナの大統領であるグンター・コルヴァズ陛下が君主として強制力を孕んだお願い(・・・)を告げたことは記憶に新しい。

 その内容は単純で、ここ最近噂になっているユールラッズについて触れ、その存在を事実として認められたこと。付随して、危険が及ぶのを避けるため、ユールの日には外を出歩くのを控えて欲しいという旨の発言が国内に向けて発信されたのだ。

 もちろんこれがただのお願い(・・・)でないことは殆どの者が理解している。

 直接的な言葉を使ってしまうと共和国の大統領としての立場が危うくなる。その為のお願い(・・・)なのだ。


「……そうね。学園は休みに入っているし、のんびりしてたんじゃないかしら」

「誰かと一緒に過ごしたりはしないんですか?」

「あまり声を大きくして言う事ではないけれど、学園に勤める教師はその殆どが軍属を経験しているの。それで理解できるかしら?」

「……そっか」


 声の調子を落とした、顰めた響きに納得する。

 場合によっては国からの命令で戦力として駆り出される可能性がある。軍で言うところの、所謂非番という扱いなのだ。

 そうでなくても今回のユールラッズの話には、グリーラやユールキャットの影がちらついている。その被害がどこまで広がるか分からない以上、もしかしたら頼る手段として備えておく必要があるのだ。

 仕事がないからと言って、遊んでいいわけではないらしい。


「それじゃあユールアフトンは?」

「同じよ」


 ユールアフトンはユールの前日の事だ。

 この日の夜に贈り物を交換し、翌日のユール当日は飲んで食べて歌っての賑やかな一日となるのが一般だ。

 その為、恋人のような特別な相手とはユールアフトンに過ごすのが通例であり、大人の時間として憧れられているのだ。

 そんなことを考えていると俯いたシルヴィ。それから彼女は何かを考えるような間を空けて言葉を重ねた。


「……あの、先生。今年はあんまり外に出歩かない方がいいんですよね?」

「そうね。ユールラッズの事もあるし、当日はそれ以上に危険よ。身を護るためにも、家から出ないようにして欲しいわね」

「それじゃあやっぱりユールアフトンに誰かと過ごしたりするのもやめた方がいいですか?」

「できれば控えた方がいいけれど……そういう特別な相手がいるの?」

「あっ、いえっ、そうではない、というか……なんというか…………」


 何故か尻すぼみになりながら曖昧な言葉を零しつつこちらを伺うように視線を幾度か向けて来るシルヴィ。

 一体何が……そう考えた直後、彼女の言いたいことを幼馴染の呼吸で察して後を継いだ。


「先生は知ってるよな、ぼくとシルヴィが幼馴染だって」

「えぇ、それが?」

「実は毎年ユールアフトンは一緒に過ごしてるんだ。で、今年もそうしようと思って既に贈り物も準備してて、ピスとケスも一緒にってことになってる」

「そうだったの。けど……」

「そこでなんだけどっ」


 先生の言葉の先を遮って切り込む。


「ぼく達だけが外を出歩くのはまずい。先生はいざという時に動かないといけない。だったら、先生が保護者としてぼく達と一緒にユールアフトンを過ごすってのはどうだっ? もちろん先生の言うことはちゃんと聞くっ。何かあったらすぐに家に帰る」

「……ずるい事を言うわね。でもやっぱり外を出歩くのは」

「あ、町を歩き回るわけじゃないから安心して。ジルさんのお店でみんなで集まって過ごすんだっ」

「ジルさんの…………」


 『胡蝶の縁側』。ぼくやシルヴィの幼馴染であるジルさんが営む、城下町の奥まった場所にあるお店だ。

 先生も面識があって、店主のジルさんはどうやら先生に気があるらしい。

 そこに言い訳をくっつけて二人をユールアフトンに一緒に過ごさせる。シルヴィの言いたいことはずばりこれに違いないっ!


「な、どうだっ?」

「……………………」


 実際のところ穴だらけな説得なのは承知している。だが、ここで食らいつかなければユールラッズの事を理由にぼく達が集まることも出来なくなる。

 先生がいればぼく達も安心できるし、先生は不安の一つを監視できる。

 いいところだけ見れば、これは互いに利のある提案だ。

 ……あとは先生がどう判断するかだが…………。


「……何かあったら必ずわたしの言うことを聞くこと。いいわね?」

「もちろんっ」

「……いいんですか?」

「話を聞いた以上、無視はできないでしょう。それに、ジルさんの様子も少し気にはなっていたから、何かあった時に対処できるようにってことよ。あのお店、結構気に入ってるの。なくなると寂しいもの」


 シルヴィの声に仕方ないとばかりに答えた先生。次いで彼女は、シルヴィの耳に口を寄せて小さく告げる。

 教室内の喧騒に紛れそうになったが、どうにか聞き取れた。


「それに、わたしは教師だけれど、女としては貴女の味方だから。折角のユールアフトンだものね」

「せ、先生っ……!?」

「……何の話だよ」

「ろ、ロベールは黙っててっ!」

「はぁ?」


 何故か理不尽に突き放されて目を丸くする。

 そんなシルヴィとのやり取りを、楽しそうに小さく笑った先生が改めて言葉にした。


「折角楽しい場所にお邪魔するのだから、わたしも何か用意するわ。楽しみにしてなさい」

「ん、おうっ!」


 こういう、話の分かるところがリゼット先生のいいところだと思いながら。

 賭けに買ったことに気分を良くしながらシルヴィと席へ戻る。


「やったな。これで先生とジルさんを一緒に過ごさせることが出来るっ」

「…………そうだね」

「なんだよ、それが目的だったんだろ?」

「……まぁいいや。先生の許可も貰えたことだし、楽しい時間になるといいね」

「そうだなっ」


 なんだか少しシルヴィが落胆した様子だったが、もしかして先ほどの無理筋なこじつけが気に入らなかったのだろうか?

 結果論上手くいったのだから今更根に持たれても困るのだが……。

 まぁ、何はともあれユールアフトンの予定は埋まった。シルヴィの言う通り、楽しい時間にするとしよう!




              *   *   *




 瞬く星は瞳の中で。寒暖隔てる奥に捉える。

 富は乞われて願いが募る。思いの結晶包まれる。

 物は秘められし心の形。故に贈り物は豊かさの証。

 厳しき冬への捧げもの。貢ぎ崇める夜の糧。

 なれば貰うは自然の摂理。応えるべきは責務の道理。

 覗き伺い垣間見て。窓は儚く欲を映す。




              *   *   *




 ユールラッズ……ヨウラスヴェイナルへの対処に関して、大統領の名前で明確な指針が発表された。

 内容は大まかに分ければ三つ。内一つが国民に向けて大々的に告げられている。何事も、端的に分かりやすくというのが無用な混乱を避ける大前提だ。

 その大枠が、ユールラッズの存在の肯定であり、それに纏わる個々人の徹底した対策だ。

 浮足立つ子供を諫めるための使い古された物語。良い子にしていないとユールラッズがやってきてその身を攫い、食べてしまうというなんとも陳腐で、だからこそ鮮明な脅し文句。

 今までは躾けの方便としてその実在を誰も信じていなかった残虐さの過ぎる妖精達。けれども国の代表である陛下が認めてしまえばそこに唱える異議こそ存在を抹消される。その強制力は、カリーナ故のものだ。

 共和国という国の成り立ち上、(まつりごと)は議会に籍を置く複数人の総意で決定される。そこに国を代表する者の強権は介入しない。つまり他の国々のように最終的な決定権が一人に委ねられているわけではないのだ。

 その為、様々な意見の上に最善策を見つける大統領の発言は、基本的に民意に基づいている。これは、灯台の灯りにはなろうとも列の先頭で旗を振るようなことにはなり辛いのだ。

 だが、時にはその舵取りを委ねられることもあるのが国を背負うという責任。

 その責任を……覚悟を、今回陛下が選択されたのだ。

 ユールラッズの噂に不安を感じる国民へ向けての注意喚起。ユールに懸念される回帰種(フィーリス)、ユールラッズへの政策。

 ユールには基本的に外出を控え、妖精からの悪戯を控えろというお達しだ。

 本来であれば、ユールの日は町に人が溢れる。恋人に、家族にと、冬の寒さに挑むようにして身と心を温め合う、仲睦まじい光景がそこかしこで見られる。

 そんな楽しい雰囲気に自由を愛する妖精達も誘われるようにやってきて、共に楽しい時間を過ごす…………と言うのが例年の姿なのだ。

 それを真っ向から否定した上で、可能な限りこの言いつけを守って欲しいという陛下のお言葉。そうせざるを得ないくらいに状況が切迫しているというのが、カリーナ全体を音もなく震わせているのだ。

 無理強いすれば反発が起きてもおかしくはない。それを押し通してでもという覚悟が、陛下の発言には宿っていて。

 普段はそんなことをしない人だと誰もが知っているからこそ、願いは殆ど理想の形で聞き届けられ、民は厳しい冬に更なる忍耐を受け入れたのだ。

 この結果は、(ひとえ)に陛下の人徳のなせる業だろう。

 さて、そんなカリーナ全土へ向けての発表と同時に、わたし達研究者や軍関係者に周知された情報が二つある。

 グリーラとヨーラコットゥリン。そして明確な対処法に至る解決策だ。

 前者はユールラッズの物語にも登場する存在だ。彼らの母親であるグリーラーと、その飼い猫のユールキャット……ヨーラコットゥリン。その二つの存在は、ユールに捉えた悪い子を食べてしまう張本人。いわば躾けの核を為す妖精達だ。

 話を追って考えれば、この二つの魂はユールに姿を現す。その為慎重を期すならば、その存在を断定しない上で、何らかの対策を講じるというの筋だ。

 しかし陛下からのお話では、この二つの存在を、ユールに災いを齎す存在として確定し、襲い来る牙や爪を退けることが決定づけられている。

 つまり、根拠を無視して結果を見据え、その先の理想の未来を手繰り寄せろと言う命が下ったのだ。

 これは本来、妖精と言う存在を相手にする上でしてはならない事。理解こそが歩み寄りと共感の第一歩であり、過程を無視した行いは、まさしく悪魔の所業とされ、忌み嫌われるのだ。

 だからこそ陛下の決断がどれほど覚悟に満ちたものなのかというのがよく分かる。少なくともわたしには取れない選択肢だ。

 そして、その対応策…………彼女達がユールに狙う対象に先回りして対策を施す為の手掛かり。これの周知が為されたのだ。

 どこからそんな都合のいいものが湧いて降ったのかと言えば…………実はわたしの契約妖精、ニッセの口からだった。

 彼は聖農夫……トムテの妖性を持つ存在だ。トムテはユールに深い関りを持つ存在で、農夫の別名が付いている通り、大地に属する恵みと(わざわい)の支配者だ。

 この時期になると活動が活発になり、他の妖精を凌ぐ力を一時的に発揮できるようになる。これは存在の在り方が環境に左右される魂によくみられる光景で、専門分野だけで輝くと言った、尖った力なのだ。

 それ以外となると、ともすれば妖精憑き(フィジー)よりも妖精術の行使が不得手になるほどに存在が曖昧になってしまうのだが……だからこそ限定的な環境の上では誰よりも先を行く。

 お陰で、普通の妖精にはない知覚や深い知識を有していることがよくあり、今回はそれが高じて方針の手助けへと相成ったのだ。

 ニッセ曰く、ユールには対であることが特別性を帯びるという。恋人や家族……。言われてみればそれは、一対の噛み合った形なのだ。

 福と禍の力を併せ持つニッセだからこそという説得力もある。朝の対は夜。

 過酷な冬と最も対を為すのが、逆境の中で輝く温かさだ。

 死せる大地を蘇らせる芽吹きの力……。それは次なる春を夢見て果敢に前を見据える、人の生の形そのものなのだ。

 だからこそ、寒さに真っ向から歯向かう温かさこそが、ユールラッズ達の標的となる。

 その象徴と対を為す存在達。形は様々なその生きる在り方の中には、わたしにも無関係な形式が存在する。

 ────妖精従きだ。

 人と妖精が並び立つ姿。人の暦が600年を数えた頃に発見された存在の形。以降今に続くまで1000年以上もの間、不変の理として紡がれ続けてきた関係だ。

 契約によって繋がることで互いに恩恵を受け、様々な結果を残してきた。その技術革新は妖精と出会う前と比べると別世界とも言うべき進歩だ。

 そんな妖精と人間の共に歩む姿。それは歴史がそう示している通り、躍進の……前進の衝動そのものだ。

 苦難を乗り越える術。手に手を取って前を向くその姿が、今回ユールラッズ達の標的へと相成ったわけだ。

 特にグリーラとヨーラコットゥリン……軍の中では枯山姥と黒猫と呼び習わされるその存在達が最も対処に力を割くべき相手であり、向こうにとっても相対する妖精騎士(フィリット)達が格好の獲物になってしまう。

 その為に求められるのが、かの残虐な妖性を持つ存在達を如何にして攻略するかという具体策だ。

 そもそもこれまでその存在を確認されていなかった魂の、しかも回帰種として本能の限りを尽くすような未知の暴力を相手にしなければならないのだ。

 対抗策などあってないも同然の状況。そこをどうにかしろ……なんていう無茶振りが、わたし達研究者のところへと回って来たというのが、今に至る顛末だ。

 日常的に妖精に関する未知を探求しているのだからその知見を活かして解決策を模索するというのは、別に間違った言い分ではないのは分かるけれども。だからって役割分担を言い訳に丸投げと言うのはどうにも納得しかねる話だ、というのは理解してもらいたいところだ。

 ……そうでなくても妖精変調(フィーリエーション)以降、頻発する問題に巻き込まれて東奔西走させられているというのに。年明けにはミドラースへの大遠征が控えていて、本来なら今頃はその準備に追われているはずだったのに、と……不満ならば幾らでも尽きることはない。

 とはいえそう暗い感情ばかりを垂れ流していたところで状況が勝手に進展するわけがないと諦めて、改めて手元の資料を精査する。

 実際問題、その名前だけで考えればこれほど有名な妖精も他にいないかもしれない。ユールと言う日に纏わる子供を躾ける為の物語。その悪役として描かれる彼らは、妖精の見えない者達にも周知されているほどなのだ。

 しかも国を跨いでも知名度や呼び方は変わらない。期間限定で話題に上がる存在だからこそ、その名前が記憶に残りやすいのかもしれない。

 それくらいに名前だけは有名な妖精だから、情報自体はすぐに集まった。特別古い文献に頼らなくてもいいというのは、とっつきやすさで言えばとても楽な部類だ。

 ……問題があるとすれば、その情報に深みが一切ないという事だ。

 これまで存在をしているかどうかすら殆ど取り扱われなかった妖精だ。国が認めるまで噂として広まっていた頃も、ユールラッズと言う有名な話によく似た悪戯、程度の認識だった者もいるはずだ。

 それくらいに信じられていなかった存在……。言ってしまえば物語の中の存在なのだ。

 これまでその存在を認知されていなかったのだから当然文献にも残っていない。だから集まる情報と言えば名前やそれぞれがする悪戯の内容ばかりで、具体的な対策まではどこにも書かれていないのだ。

 まぁ、悪戯が分かっているところを逆手に取れば、ユールラッズに関しては対処が出来ないこともない。そっちはわたしに任された仕事ではない。

 問題は、ユールにやってくる枯山姥と黒猫だ。


「首無しと同等よね、これは……」


 首無し……そう呼ばれるのは畏怖の象徴である死の概念そのものの妖精、デュラハンだ。

 あれに出会ったら諦めろ。そう言われるほどに対抗策など分からない未知と既知。

 そんな埒外と肩を並べる程の理不尽が、グリーラとヨーラコットゥリンなのだ。


「防ぎようがないのは厄介ね」


 彼女達の目的は、素行の悪い子供を連れ去って食べてしまうというなんとも分かりやすい物だ。だが、だからこそその裁定基準は彼女達に委ねられており、こちらから先回りすることが極端に難しい。

 何をもってして悪い子供とするのか。もしそれが分かったとして、今から町中の子供たちの今年一年の行動を事細かに調べて照らし合わせ判断するなど、まず無理だ。

 この事から、出先を(くじ)くのは難しい。


「……けどまぁ、何もできないわけではないわよね」


 沢山の者がその手段を探して頭を悩ませている。

 そんな中で少し光明が見えているわたしは、きっとただ幸運なだけだと自惚れをその辺に捨て置いて。

 はんぶんがニッセな事に感謝をしながら彼の今朝の言葉を思い出す。


『無いなら作る。そういう物だろ?』


 結構な無茶だが、無理ではない。

 即ち、枯山姥と黒猫が狙う標的をこちらから用意すればいいのだ。そうすれば対処に割く力を幾らか集中できる。


「さて、なら一体どうした物か、よね…………」


 その具体的な解法を求められているというのが(いささ)か面倒ではあるのだが。仕方ない……どうにかしてその理屈を押し通してみるとしよう。

 わたしの策が全てを変えるとは思わないが、少しでも城下町の平穏を守る一助になれるのであれば、知識をより良き方へ導くという研究者の面目躍如だと思う事にして。

 残り少ない時間に己の全てを傾けるためにと、胸の奥底から空気を入れ替えて思考を回し始めたのだった。




              *   *   *




 漂う香りが空気を揺らす。貧困飽食境を区切る。

 死に(あら)ざる馥郁(ふくいく)の証。辛苦ならざる恵みの匂い。

 そぐわぬ行いは非難され。者共は押し並べて冬を享受する。

 大地に抗うその罪を。悪しき(とが)には報いの業を。

 豊かなる葉は枯れ落ちる。象徴食らって夜を知る。




              *   *   *




「聞きましたか?」

「あぁ。あんまり信じたくはないがな」


 向かいで神経質に鍋の中を見つめる眼鏡が声を潜めるようにして落とす。

 それに合わせるように語調を静かにして頷けば、若き陸軍大佐殿が言葉を続けた。


「大丈夫ですかね……」

「俺達が頭抱えたところでどうなる。それに、今向き合うべきはそこじゃないだろ?」

「……そうですね」


 腐れ縁の戦友、エルヴェ・フォルナシスの言葉に返せば、彼もようやく地に足付いたように小さく息を吐いた。

 ブランデンブルクで死神──デュラハンとの接触があったらしい。

 死神と恐れられるかの妖精は、理不尽の象徴として最も有名な存在だ。

 死の概念そのもの。出遭ったら最期とまで言われるその猛威に、隣国の騎士が曝されたというのだ。

 名前だけでも音にすることを忌避される存在との出遭い。一体どんな結末を迎えたかなんて想像するだけ野暮と言う話で、事実現場にいた複数の騎士がその刃に(さわ)ってしまったようだ。

 詳しいところは俺もよく知らないが、どうにも直ぐに現場復帰することは難しい程に深刻らしい。

 そんな死神の存在に、本来であればここカリーナも備えるべきな状況で。けれども俺達はかの理不尽について割くだけの余裕を今現在持ち合わせていないのが実態だ。

 その理由は、ここ数日頭を悩ませている目の前に迫った騒動。ヨウラスヴェイナルへの対処のためだ。

 ユールに纏わる妖精。その知名度は、このフェルクレールトでは死神にも劣らない。

 ユールに行いの悪い子を連れ去ってしまうと言われる、冬の厳しさの象徴。様々な情報から、最早その存在は誰もが認めることとなった、過去確認をされていない妖性との接触。

 その準備に、目の前のエルヴェが属する陸軍は当然の事、俺がいる海軍や空軍までもが人員を割いて準備を進めているのだ。


「そちらはどうですか?」

「変わらずだ。海にヨウラスヴェイナルが姿を現すことはない。つまり、物語通り陸の管轄だ。俺達は、ユール当日が本番だ」

「空の方も同じことを言ってましたよ」

「遠征も控えてるってのに、全く面倒な時に騒動を持って来てくれたもんだな」


 年明けには妖精変調の根本的な解決策を探るための大遠征が控えている。その準備も進めなければならない為、ヨウラスヴェイナルや枯老婆、黒猫の対処には普段期待できるだけの戦力を割けないでいるのだ。

 そんな折に、王国での死神での話。そっちもどうやら妖精変調絡みだったともなれば、いよいよ俺達の方も楽観視は出来なくなってくるというわけだ。


「しかし、本当にうまくいくでしょうか……」

「さぁな。前例がないんだ。当たって砕けろだ」

「アランは相変わらずですね。私に貴方ほどの豪胆さがあれば、今頃はもう少し気が楽だったでしょうか」

「今更な話だな。……けどな、勘違いするなよ?」

「はい?」

「俺が信じてんのは計画の成否じゃない。お前がそうして頭悩ませてくれてるからだ。だからお前も──」


 あまり一人で抱え込むなと。学び舎時代からのよしみでわざわざ言葉にしようとした、その先を。エルヴェは分かりやすく溜め息で遮って口を開いた。


「そっくりそのままお返しします。それこそ、今更な話、ですよ」

「…………そーかい。ならいい」

「はい」


 エルヴェと肩を並べる機会などそうあるわけではない。だからこそ、彼と一緒ならば何とでもなるのだという、他人には理解されない自負がある。

 そしてそれを、彼も同じように感じているのであれば……。結果最後に手繰り寄せるのは、少なくとも最悪な可能性ではないと、そう信じられるのだ。


「なら、『風変り』な同窓会だな」

「……貴方、同窓会の誘いが来ても顔出さないじゃないですか…………」

「うるせぇ」


 一々細かい奴だな……。


「じゃあ食うか」

「あっ、それ私が入れた肉ですよっ」

「知るか。減らず口の礼代わりだ」

「いつまで子供なんですか、全く……」


 溜め息と共に胸の奥を吐き出す彼に笑って戦利品を口の中に放り込む。

 さて、ユールも二日後だ。しっかりと英気を養って来る波乱に備えるとしようっ。




              *   *   *




 犠牲の釣り針宙を舞う。逆さの脚が燻り香る。

 生きた自然に眩んだ眼。毛皮骨肉貪り散らす。

 情けなくして恵みは在らず。欲に報いる相応の罰。

 尊厳なき命に救いの鉤爪を。煙突き刺し空へと昇る。

 大地の同胞(はらから)大地へ還り。死して世界は巡り行く。




              *   *   *




「それじゃ、かんぱーいっ!」


 聞き馴染んだ元気な声が店内に反響する。こんな時でも生来の明るさは変わらず、だからこそそれに救われていることを実感しながら、掲げられたグラスに自分のそれを軽くぶつけた。

 小気味いい音に追い立てられるように中身を喉の奥へと送り出せば、仄かな明かりに照らされた一夜が幕を開けた。

 ユールアフトン。冬の真っただ中に存在する境界線、ユールの前日。冬の寒さに歯向かうように人々が身を寄せ合い、愛し合う者達と一時を過ごす例年の景色は、けれども少しばかり寂しさを纏って紡がれ始める。

 ここ『胡蝶の縁側』の店内には、普段から比べると幾分か賑やかな人の温もりが集っていた。

 言い出したのは僕も幼い頃から知る妖精憑き、シルヴィとロベールの二人。

 今年のユールは、ここ最近巷を騒がしているユールラッズのことがあって去年までのように歌って踊って食べて騒いでのような大々的な催しを開くことはできない。

 だがそれはユールの日に危険があるからであり、ならばその前日ならば問題はないという、当然と言えば当然の理由に裏打ちされた我が儘だった。

 ユールラッズ達は毎夜現れては一つずつ悪戯を行っていき、ユールの日に素行の悪い子供を攫って食べてしまう。

 であれば、警戒すべきはユール当日であり、前日であるユールアフトンはいつも通りに過ごしても問題ないというのは、別に間違っていない発想。

 加えて、今日に至るまでユールラッズは知らぬ間に交わされた約束を守るように、その日取りを間違えることなく順に悪戯を行ってきた。

 だからこそ、逆説的にユールアフトンはまだ大丈夫だと、勝手に信じられるというのが二人の言い分であり。そしてその言い訳染みた説得に、教師として普段彼らを導いている先生までもが折れてしまえば、一介の店の主に抵抗する術など存在しないのが悲しい結果だ。


「すみません、ジルさん」

「いえ。もう悩むのはやめました。こうなった以上、楽しむ以外にありませんから」


 豪勢に盛り付けられたユールの食べ物に目を輝かせる四人を眺めつつ、隣で諦めたように零す先生──リゼットの声に肩を竦める。

 彼女の監視の元。そして信頼のおける会場として僕の目の届く場所。この二つの条件を達して開かれた今日のささやかな宴は、子供らしい熱気と共に空気をうごめかせる。


「先生も、今日はお酒は勧められませんが、楽しんでください」

「……えぇ。そうさせてもらうわ」


 大人二人、何かあれば全力で子供たちを守ると言外に誓って。約束のようにグラスを小さく鳴らし、もう一口呷る。

 年少者達に合わせて振る舞われる飲み物が、舌の上で小さく刺激的に跳ね回った。




 ユールアフトンの小さな宴。シルヴィとロベールが中心になって準備したこの時間には、監督役の僕とリゼット先生。そして二人の学友であるピスとケスの六人でのささやかな盛り上がりとなった。

 不思議な縁で、気付けばよく目にするようになった双子の顔にも既に特別な感慨はなく。感情の起伏が少ない点を除けば、仲良く机を囲んで気に入ったらしいハゥンギキョートを食んでいる姿は周りと変わらない子供だと安堵さえ抱く。

 王孫殿下なんて肩書きは、きっと周りの方が必要以上に意識しているだけなのだろうと。年相応な光景に胸の奥を温かくしつつ、密かにもう一つの熱を胸の奥に燻らせる。

 空になった瓶を回収し、次の一本を用意しながらちらりと向ける視線の先には、優しい瞳で子供たちを見つめながらルイヴァブルイズを口に運ぶリゼットの姿。

 普段店に来る時とは違う、冬らしい暖かそうな私服に身を包んだ彼女の横顔は、店内の淡い光が反射していつも以上に魅力的に映る。

 あまりじろじろと見るのも失礼だが、どうやら今日は化粧をしているらしい。

 お陰で、濡れた口元や目尻に差した微かな色合いが大人の魅力を香らせ、一人静かに落ち着かなくなる。

 ……極個人的に言えば、役得な時間かも知れないが。だからと言って保護者役を放り出すわけにもいかないと難しく思いつつ瓶を机に置けば、丁度目の前にいたシルヴィが悪戯が成功したように小さく口元を吊り上げた。


「ジルさんも楽しんでくださいねっ」

「……そっちこそな」

「むぅ」


 周りから見れば分かりやすい恋心の行く先へと目線を向ければ、年頃の少女は面白くなさそうに口を尖らせる。

 僕よりも余程大変な恋路だろう。乞われない限り手助けをするつもりはないが……今日くらいは幸せな思い出が新たに積み上がることを願ってもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、既に半分ほど減っているラソスィスの補充に戻る。

 と、載り切らなかった分をリゼットのところへ持って行くと、彼女が見覚えのある瓶を一本持っていた。


「あ、それ……」

「ユールエールよね、これ」

「後でこっそり飲もうと思ってたんですが……」


 彼女が手にしていたそれは、ユールエール。この時期にだけ流通する季節酒で、通常の物より酒精と風味が強いエールだ。

 折角のユールだからと、ユールラッズの噂が出る前から狙ってようやく一本手に入った貴重品だったが……飲めないからこそ目敏い彼女に見つかってしまったらしい。

 咎めるような……期待するような視線を注がれ、やがて負けたように小さく笑って応える。


「ユール当日に、とはいきませんが、よかったら今度どうですか?」

「折角の申し出だもの。断るのは失礼よね?」


 視線で催促しておいて……などとは言わない。

 折角の一本だ。彼女と飲めるならばより一層美味しく感じる事だろう。


「学園も冬期休暇に入るから、そうしたらまた来るわね」

「はい、お待ちしております」


 大人には縁のない話かと思っていたが。どうやら今年は僕のところにもトムテが来てくれるらしかった。




              *   *   *



 焦げる匂いに焦がれて請われ。揺らめく灯りに見惚れて呆ける。

 叡智と貪欲のその狭間。闇への蛮行戒める。

 灯火篝火食い消して。冬の靴音轟き鳴らす。

 悪行有りて悪果在り。聞こえぬ賛歌に悪辣下す。

 見聞きし定めた応報は。母なる大地の怒りなり。




              *   *   *




 フィーストの月のその日。世間一般でユールと呼ばれる一日は、一年で最も陽の恵みから遠い暦となる。

 灯り無くしては大地は通えず。息吹は(ことごと)く鳴りを潜める。

 冬の最盛とも言われる一日。故に大地は夜を迎え、そしてここより陽は復活の時へと歩みを進め始める。

 ユールは炎の復活祭。厳しい冬が春の芽吹きに向けて目に見えず胎動し始める、その境界線だ。

 冬と春が擦れ違う日。それ故に境界線は揺らぎ、人ならざる世界との交わりがより顕著となる。

 この場合の人ならざる世界……異世界は、悪霊などが住まう場所とされ、古くはそこに共に歩む前の妖精なども含まれていた。

 そう考えれば、今年のこれも別に間違っていないのかもしれないけれども……。

 生まれた時から妖精が直ぐ傍に居て。悪戯はされどもそれなりに友好的に過ごしてきた、まだまだ世間知らずの学生少女にとってはどうにも拭い難い違和感だ。

 もちろん、今回の噂であるユールラッズが今年の夏以降になって世界の問題として提起された妖精変調に端を発していることは理解しているつもりだ。

 妖精の本能そのままに行動を起こす回帰種。彼女達の行いと合わせて考えても、今のフェルクレールトの大地にとってユールラッズと言う存在は別に特別な事ではないと言える。

 ……それでも胸の奥に違和感が(わだかま)ってしまうのは、ユールラッズと言う存在を良く知っているはずなのに、実際のところどうしていいか分からない不安なのかもしれない。

 これまでユールラッズは、想像上の概念的な存在だった。

 冬の寒さに身を寄せ合い、宴を開いて沢山の食べ物と共に過ごすユール。その祭日には、愛する人と一時を共にするという風潮や、大切な誰かに贈り物をするという慣習から、浮足立つことが多い。

 特にあたしのような学生は、ユールを迎えると同時に学び舎が冬期休暇に入り、夏季休暇以来の纏まった自由が得られることとなる。

 それらの、楽しい事、嬉しい事が重なれば、(いや)が上にも気分が高揚して少し気が急いてしまうのは仕方のない事だと思いたい。

 そんな子供たちを(たしな)める文言こそがユールラッズであり、その実態は伝説のように語り継がれる空想上の御伽噺。もしくは、躾けの代名詞とも言うべき方便……だと思われていた。

 けれども今回、妖精変調にユールと言う時節が重なって起きた現実は、幻想の存在であるユールラッズが実際に姿を現し、夜毎言い伝え通りの悪戯を重ねていくと言う物だった。

 もちろんそれだけならば、既に世界の常識となりつつある妖精変調の一つとして片づけられたはずだった。

 だが、あたしがそうできないで焦燥感に駆られているのは、彼らの狙いが素行の悪い『子供達』であり、ともすれば自分がそこに含まれるかもしれないという不安故の物だ。

 悪い子はユールラッズやその母親であるグリーラ、そして飼い猫のユールキャットがやってきて連れ去り、食べてしまう。そういう妖精だという伝承は、フェルクレールト全土に存在していて、内容に殆ど相違のない一般知識だ。

 そんなお話に、妖精変調……回帰種が交わって。そして最後の隠し味のように、『これまで気に病む後ろめたい事をしては来なかっただろうか?』という自問が重なれば、きっと誰もが抱いてしまう感情に苛まれるはずだ。

 ただの妖精の妖精変調絡みならば、その時は事故で済まされる。

 けれども、ユールラッズに関しては己の過去そのものの写し鏡であり、責任はあたし個人だけのものだ。

 もしあのことを見咎められたら……。あの時の事は、今になって思えば間違っていたかもしれない……。

 そんな風に考えてしまうのは、きっと冬の所為と胸を張るには根拠薄弱で。何より自己責任から目を背ける事こそユールラッズ達に目を付けられる要因になりかねないと抱え込んでしまう。

 逃げ道などなく、想像が現実にならないようにと怯えながら祈るしかない。

 これまで軽視してきた罰に怯える……目に見えない恐怖が、嫌な空気となって胸の奥に溜まっていくような錯覚を感じる。

 こんなに息苦しいユールは生まれて初めてだ。


「それで、その……本当にいいの?」


 吐き出す吐息に迷いを乗せつつ、目の前の背中に問いかける。

 すると彼女──鏡合わせの片割れたる姉、ピス・アルレシャが振り返らずに答えた。


「大丈夫。ついて来て」

「…………」


 陽も落ち、ユールラッズの噂の所為で静まり返った城下町。周りには人の気配など殆どない……まるで、城下町によく似た別のどこかに迷い込んでしまったような錯覚さえ感じる景色の中。空に溶けて消える白い言葉に疑念を抱きながら着いていく。


「その、一つだけいい?」


 本来、出歩いてはならないはずの今年のユール。噂通りならグリーラやユールキャットがやってきて子供を攫ってしまうと言われるその当日に、あたしはピスに連れられてこうして一人町中を歩いている。

 彼女が家にやってきたのはつい先ほどの事。グンター陛下の命で、理由なく外へ出ることを制限されているあたしを連れ出した学友は、見れ慣れない黒い服に身を包んで玄関で立っていた。


『軍令。一緒に来て』


 あたしを呼び出したにもかかわらずその存在を認めないように一方的にそう言って彼女が取り出したのは、騎士として軍に所属する者のみが身に着ける事を許される軍の階級章だった。

 とはいえ軍の命令と大統領陛下の厳命ならば後者の方が優先されるべきだとと言う反論は、彼女が自らを指さした一言で封殺された。


『許可も取ってる』


 多くを語らなくともそれだけでわかる。王孫殿下と言う肩書きを持つ少女が許可を得て、軍令……この場合は勅令を帯びてあたしを召喚している。

 それだけの権威に裏打ちされた言動に、ただの学生であるあたしが背くことなどできるはずもなく。結果、こうしてピスに連れられて危険を孕んでいるはずのユールの夜に町へと出てきているのだ。

 先ほどから嫌に覚えている不安のきっかけが現在進行形のこの状況なのはまず間違いないだろう。

 そんな、これから何が起きるかも定かではない中で。ピスという友人を幾らか知っている身として、この状況下で最も重要だろう事を尋ねる。


「ケスはどこにいるの?」

「軍令。機密保持。……でも、直ぐに分かる」


 淡々とした物言いも相俟って、厳格な騎士の雰囲気さえ纏ったピスの答えに。けれども少し安堵する。

 ピスはケスの事を知っている。だがそれは今明かせなくて、この後で否応なく知ることになる。

 その事実だけで、安堵が芽生える。微かな心の余裕が、それから冷静さの引き金になって盤面を俯瞰する。

 だからこそ、気付いた事を無意味に音にせず呑み込む。

 鏡合わせの双子なのだ。ピスがあたしを呼びに来たという事は────

 そんな風に考えながら痛い程の夜風に晒されつつ歩き続けると、その足はやがて町の外へと向かい、ピスが巧みに手綱を握る馬の背に跨って夜の街道を疾駆した。

 しばらく、自分よりも小さな同い年の女の子にしがみついて馬上に揺られると目的地に到着した。


「これ……」


 そこに広がっていたのは、初めて間近で目にする張り詰めた空気の中陣形を整えた騎士たちの姿だった。

 前に体験学習で軍の仕事を見学した時とは全く違う、緊張の糸が首を絞めるような圧倒的な存在感。本気の軍人だけが発する、臨戦態勢の雰囲気……。

 場違いさから脚が(すく)んで立っていられるのも不思議なほどの息苦しさに、思考さえも奪われて立ち尽くす。

 こんなところにあたしを連れてきて一体何を……。

 そう考えたのとほぼ同時。忘れていた呼吸を意識した瞬間、すぐ隣にもう一頭馬の姿があることに気が付いた。

 野戦基地として設営された灯りの一つが照らすそこには、同じく確証と共に呆然とした幼馴染のロベールの顔があった。


「あ、ロベール……」

「やっぱりシルヴィか」


 その言葉の意味が、考えなくとも分かる。

 彼もきっと、あたしと同じように至ったのだ。

 ピスがあたしを、ケスがロベールを迎えに向かい、この場所に連れてきたことに。

 ……けれども、理由だけはさっぱり分からない。

 幼馴染と言葉なく視線を交わして「どうして?」と確認し合っていると、いつの間にかピスとケスが一人の男性の隣に並んで立っていた。


「え、あれ……?」

「陸軍の、エルヴェ・フォルナシスさん……?」

「初めまして、のはずですが。もしかしてどこかでお会いしましたか?」

「あ、いやっ、そうじゃなくて」

「ゆ、有名人ですから」

「あぁ、なるほど。学生に覚えて貰えているとは光栄ですね」


 どこか場違いに微笑むその人は、エルヴェ・フォルナシス。現役の軍人であり、陸軍大佐。

 その名前と顔は、海軍のアラン・モノセロス中佐と並んで民にもよく知られている人物だ。


「改めまして、エルヴェです」

「ろ、ロベール・アリオンですっ」

「シルヴィ・クラズです……!」


 反射的に名乗って返せば、彼は変わらず優しい微笑みと声音で続ける。


「ご家族で過ごされていたところ、急に呼びつけてしまい申し訳ありません。実はお二人に協力していただきたいことがあって、ピスとケスにお願いして連れて来て貰ったのです」

「協力、ですか?」

「一体何を……」


 温かくも寒い景色を微かに見渡して尋ねる。

 あたしとロベールを出迎えてくれたのはエルヴェだけ。その他の騎士たちは陣形を崩さないまま一様に臨戦態勢を保ち続けている。

 物々しく、物騒な雰囲気。次の瞬間には命のやり取りが始まってもおかしくないような、そんな空気の中であたしに出来ることなどあるのだろうかと。隣の幼馴染と言葉なく同じ疑問を抱けば、目の前の彼が(きびす)を返した。


「ここは寒いでしょう。詳しい話は天幕の中でしましょう。温かい飲み物の用意もありますので」

「こっち」

「きて」


 害意がない事を証明するようにピスとケスもエルヴェについていく。

 まだ理解が追い付いていないが、どうやら説明はしてもらえるようだ。とりあえず、素直に従うとしよう。

 考えながら足を出せば、不意に掌を包む微かな感覚。歩きながら視線を落とせば、そこには繋がれた掌があった。


「行こう、シルヴィ」

「……うん」


 その手の主。事実以上に温かく感じるロベールとの繋がりに一拍遅れて握り返せば、言葉にならない安心感が胸の奥に湧き上がる。

 ……大丈夫。一人じゃない。だから行こう。

 そう奮える胸の奥に、ようやく踏みしめる地面の感覚を思い出した気になれば、三人の後を追うように天幕へと足を踏み入れたのだった。




 天幕の中で語られたのは、今現在陸軍の面々が直面している状況についてだった。

 簡単に言ってしまえばユールラッズ……グリーラとユールキャットへの対応。既に確認された情報として、回帰種となったユールを司る妖精達に対する、武力をもっての直接的な対処だ。

 こうして話に聞いても、あたしやロベールが呼び出される理由には至らない。

 何故ただの妖精憑きをこんな危険なところに連れて来たのか。募る疑問を隠す事すら難しくなり無言のまま彼の言葉に耳を傾け続ける。

 するとやがて、丁寧に分かりやすく前提を語り終えたエルヴェがようやく本題に入った。


「そしてその枯山姥と黒猫が標的とするのが、互いに補い合っている……『足りた者達』なんです」

「『足りた者達』?」


 枯山姥と黒猫と言うのは、それぞれグリーラとユールキャットの軍内部での通り名らしい。もっと言えば、ユールキャットと言う名前も仮初で、あの飼い猫の本当の妖性はヨーラコットゥリンと言うのだとか。まぁ、今回はそこまでは関係ないとの事だから横に置いておくとしよう。

 それよりもエルヴェの語った『足りた者達』という聞き慣れない響きについて尋ねる。


「それって何なんですか?」

「……二人はユールラッズ達の目的を知っていますか?」

「素行の悪い子を探し出して浚うんじゃないのか?」

「ロベール、それは枯山姥と黒猫の役割だよ。……あれ、でもそうすると前の十三人って一体…………」


 いい子にしていないとグリーラとユールキャットが浚いにやってくる。それこそがユールラッズの中核をなす脅し文句だ。

 だが、本当にそれだけならば、話は件の二つの魂だけで語り切れる。彼女達に至る篝火の如き十三人の妖精達については役割が無くなってしまう。

 もちろん、彼らは夜毎(よごと)悪戯をしては回るのだが、それはユールと言う日に対するもので…………。


「ユールラッズとグリーラ達が繋がらない……?」

「いえ、そこは一つです。ただ、それぞれの行動を考えたら別に見えてしまいますね。ですが、動機に関してはどうでしょう?」

「動機……」


 まるで謎解きの推理をするように突き付けられた問い。口の中で繰り返しながら頭の中に答えを探す。

 が、あたしが答えるより先に隣から音が響いた。


「ユールを妨害する事、か?」

「はい。ユールラッズは夜毎ユールに必要な道具や食べ物を標的にし、枯山姥や黒猫はそもそも宴を開く人間を狙うんです。それぞれ別々の手段で、同じ動機と目的をもって行動を起こします」

「宴を開く人間…………」

「妖精は」

「楽しい事が好き」


 ピスとケスが当然のことを、だからこそ今必要なのだと告げるように補足する。

 そのいつも通りな響きに、思考が噛み合う。


「……そっか。本来はどっちもユールって言うお祭りに惹かれてやってくるんだ。その中で楽しさに紛れて悪戯をする」

「はい。ですが今回は回帰種となってしまっています。その為、目的や手段が少し想定外の方にずれるんです」

「それが、『足りた者達』を標的にする理由……。つまり『足りた者達』ってのは──」

「ユールを形作る人間達ってことですね?」

「えぇ。しかしそれでは半分です」

「ユールは」

「どんな日?」

「え?」


 再び双子に問われて、今度は困惑する。

 ユールがどんな日か? そんなのはユールである以外に他に何も…………いや、違う。

 二人の質問はそういう事じゃない。

 ユールの日における『足りた者達』というのは具体的にどんな人達かという事だ。

 ユールを満喫する者達。ユールをユールたらしめる者達。そういう、『足りた者達』。それは────


「ぁっ……」

「贈り物を用意し合うような、仲のいい奴らってことか」


 あたしが気付くのとほぼ同時、隣のロベールも真実の一端に到達して告げる。

 ……でも、それだけではない。


「『足りた者達』。……エルヴェさん、きっとその言葉は少し違います」

「ではどう言い換えましょうか?」


 きっと分かっていて尋ねている彼に、真っ直ぐな視線で答える。


「『冬を否定する者達』です」

「それもまた、正しいでしょうね」


 冬。そう言われて最初に想像するのは、自然の眠った寂しい景色だ。

 きっとそこには身を寄せ合う誰かもいなくて。死した大地に独り取り残されたような、そんな孤独。

 そんな恐怖に対抗するために、人々は寄り合って、願うのだ。

 死んだ大地が蘇ることを。落ちた陽が再び昇ることを。厳しい冬を越えた先の、春の訪れを。

 だからユールは、炎の復活祭。灯りの、温もりの傍で助け合い、過酷な冬を乗り越える。そういう祭日なのだ。


「冬だというのに食べ物に溢れるから、彼らは悪戯をして盗んでいく。裕福な暮らしをしているから、物が無くなっていく。自然の猛威から逃げるように戸口を閉ざすから、扉に悪戯をしていく……」

「冬を否定するように身を寄せ合う者達……『足りた者達』がいるから──引き裂きにやってくる」


 それは、家族かも知れない。恋人かも知れない。

 けれどもきっと、あたし達に……この世界にとってはもっと身近な、足りない部分を補い合っている関係が存在する。


「妖精従きと」

「契約妖精」


 半身を分け合ったようにロベールと補い合えば、その途端、背筋を黒く冷たい衝動が駆け昇った気がして、体中が震えた。


「枯山姥と黒猫の目的は『足りた者達』を引き裂くこと。もちろんここには妖精騎士が……妖精従きが沢山います。けれどそれだけでは彼女達を惹き付けるには不十分なんです」

「だからピス達」

「だから二人がいる」


 双子と言う、唯一無二の家族。互いが互いの鏡写しのようなピスとケス。

 そして、ユールの日に贈り物を用意し合うような、仲のいい男女。

 ……まぁ、あたしとロベールは恋人ではないから、そこは少しずれているかもしれないが。

 それでも、掛け替えのない──過去に命の危機さえ共に乗り越えた幼馴染であることには間違いない。

 グリーラとユールキャットが標的として求めるのは、そういう片割れなくしては成り立たない関係の者達だという事だ。

 二人はあたしとロベールの過去を知っている。だから今回の件に適任の囮役として選んだのだ。


「もちろん無理を強いるつもりはありません。矢面に立つのが怖ければ、より後方に安全地帯を用意してますのでそちらにお送りします。ですがもし、ご協力願えるのであればお返事を聞かせてください。その場合は、私が全力をもってあなた方をお守りいたします」


 そう言って、エルヴェは右の肩章に左手を添えてじっとこちらを見つめた。

 肩章に掌を添えた誓い。それは、自らの矜持に……陸軍としての誇りに賭けて行われる宣言だ。公的な場での陛下や上官へ行う最敬礼の次に尊いとされる行動。

 つまりエルヴェは、一騎士として、剣に懸けてあたし達を守り抜くと誓ったのだ。

 ともすれば、夢見がちな少女が憧れ、夢想さえするその光景に。実際に立ち合って……けれどもそんな戯言は脳裏に浮かばなかった。

 そこにあるのは、ただただ純然な覚悟だけ。誓いを守れなければその場で命を共にするという覚悟さえ当然のように滲ませた、自らの全てを賭ける気迫だった。


「二人が決めて」

「ここからは命令じゃない」


 ピスとケスが、全てを委ねるように念を押す。

 同じ年齢の、自分よりも背丈な少女に淡々と凄まれて息が詰まる。

 彼女達もまた、王族の系譜に連なる魂の持ち主なのだと。ここぞという時に決断を下せるだけの胆力を秘めた、確固たる自分を持った器なのだと、改めて知る。

 場違いにもほどがある。今すぐこの場から逃げ出したい。

 そんな目に見えない圧迫感が重く足をその場に縫い留めて、思考と行動を乖離させる。


「シルヴィ」


 と、隣から響いた声に、気付けば視線を向けていた。


「怖いよな」

「………………」


 言葉にならず──きっと微かに涙さえ浮かべながら、静かに頷く。

 そんなあたしを見つめ返して、彼がずっと握っていた掌を今一度握り込んだ。


「けど、二人なら、大丈夫だろ?」

「ぁ────」


 浮かべた笑顔は、きっと虚勢。その証拠に、繋いだ掌が微かに震えている。

 それでも彼は、言ってくれたのだ。

 あたしたちは、一人ではないと。二人だから、ここにいるのだと。

 気付けば大好きな幼馴染の手を、同じだけの熱で握り返していた。

 その瞬間、不思議と彼の震えも止まっていた。

 息を呑んで、応える。


「──やりますっ」

「ぼく達を連れてってくれ」

「ありがとうございます。心から、感謝します」


 安堵したような笑みと共にエルヴェが差し出した掌に、握ったままの手を重ねると。その両脇からピスとケスが鏡合わせに小さな手を被せた。

 ここにいる意味を、求められている。それがきっと、あたしの胸の中にあるたった一つの勇気。

 さぁ行こう。たとえこの先に無謀が待っているのだとしても、あたしはあたしを見捨てたくないから。

 怖いからこそ、進め。知らない何かが、そこにある。

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