第四章
カリーナ共和国にとって春は豊穣と祭の季節だ。寒い冬が開け、自然の命が芽吹き、世界がゆっくりと動き出す暖かさ。その始まりと共に催されるのが現カリーナ共和国大統領の誕生祭である。
カリーナでは国の主の誕生日は祭日に定められており、椅子に座る者が変わる度に制定し直してきた歴史がある。その所為か、過去には一年に三度……戴冠の式典も合わせれば五度も国を挙げてのお祭り騒ぎとなった事もあるそうだ。
そんなお祭り騒ぎは、けれどもフェルクレールトにある四大国のうち最も南に位置するカリーナの温暖な気風に人柄も影響されたお陰か、格式に厳しい反面、様式美には拘る風土が合わさってどんなときでも賑やかに催されてきた。
……まぁそうでなくても浮き足立つお祭りだ。楽しい事は幾らあっても文句はないだろう。
大人も子供も面倒な軛から解き放たれる一日。準備の忙しさには、普段にない活気とやる気が満ち溢れる。
変わらず今年とて、第二次妖精大戦が終結後ずっと大統領の椅子に座り続けている私の父親、グンター・コルヴァズの誕生祭に向けて国が胎動し始める。
春の暖かな日差しと微かな海風、花などの自然香りに人の営みが混じる栄えの盛期のような白皙城のお膝元では、数日後に迫った祭日に向けて各々様々な準備を進めている最中だ。
因みにだが、誕生祭であって生誕祭ではない。生誕祭とは既に亡くなった人物の誕生を祝う日の事だ。年甲斐も無く元気な父親に少しばかり気遣うような感情こそあるが、流石に不幸を願ったりはしない。彼の治世は当人があれでも一般的には安定しているのだ。
「足元気をつけるんだぞ?」
「うん」
「大丈夫」
人の往来の激しい石畳の上より。擦れ違う人達は既に心なしか浮かれている空気を纏いながら、普段の仕事からは感じられないほどに活気に満ちて忙しなく歩き回る。
道端には町を彩る装飾の準備がずらりと並べてあり、ともすれば足を引っ掛けて転んでしまいそうなほどに流れが動いている。
そんな雑踏の中を、両手に愛すべき双子の手を握ってゆったりと歩く。今日の目的は久しぶりの休日を利用した娘たちとのお出掛け。兼、自分は公務で忙しいからそれとなく町の様子を見て来て欲しいと言う父……グンターからの願いを片手間に叶える事だ。
特に父であるグンターの事や、余り無理の利かない体に仕事に精を出すその胆力に辟易しているわけでもないのだが、父と娘を天秤に掛けたら数の勝利で彼女達に思い入れが傾くのは……父親として当然の事だと思いたい。
ピスとケスに関して言えば、実の息子であるわたしよりも溺愛しているかもしれないあの髭面の事だ。下手をすると公よりも私を選び取り、感けて放恣し兼ねないほどに双子の事を愛している。わたしと同じ立場ならきっと似たような選択をするはずだ。……それを血の為す物だと言うのならば、あそこまで心酔する彼と同列には語られたくないものだ。
「お父様」
「今年の花は?」
「……確かツクバネソウだったな」
こちらを見上げて娘達が問うてくる。今年の花、と言うのは誕生祭に纏わる話だ。
カリーナの誕生祭では、毎年その主賓……国王が一つの草花を選ぶ。基準は様々……と言うか殆ど独断と偏見だが、その花に込められた意味を一年の指標とする、ある種の指針表明だ。
今年はツクバネソウ。簡単に調べた限りだと、友情などが秘められた意になるだろうか。そこから類推するに、各国との関係改善が目標と言ったところだろう。
第二次妖精大戦が終結して今年で十七年。不戦協定である四大国による人質交換が為されてから十二年。それでも尚燻る他国との折衝事や懸念要素は拭いきれるものではなく。幾ら世界が平穏に向けて歩いている最中と言っても、何か一つ大きな変革が訪れれば再び戦の歴史を繰り返してしまいかねない状勢だ。
もちろんあの悲惨で沈痛な憂いを残した大戦を経験した国々がそう簡単に同じ過ちを犯そうとは思わないだろう。けれども未だに世界に恒久的な終わりはなく、日々前を向きながら生きている現状。四大国で為された人質交換が各国に戻っていないのがその証だ。
その不安定な平穏の上にある今を良い方向に変えようと、カリーナだけでなくそれぞれの国が全力を尽くしている。
今年もまた、それに連なり……叶う事ならば大きな前進を望む声が、ツクバネソウに秘められた父の思いなのだろう。
「ツクバネソウって、どんなの?」
「花は咲く?」
「自然の花はもう少し後だが、我が国には他国の追随を許さない温室栽培技術があるからな。当日はこう……杯のような小さな淡黄緑が沢山見られるはずだ」
両の手のひらを開き、手首の辺りをくっつけて指を開いた形を作りながら説明する。それほど目立つ花を開くものではないが、その小さきいじらしさは可愛らしい姿をしている。
「それから、二人が通う学園……テトラフィラと言う名前だが、あれは四葉と言う意味でな。ヨツバやツクバネソウのように四枚の葉をつける草花を指す言葉なんだ」
「ヨツバは、知ってる」
「幸運の証」
実際のところ、テトラフィラの名前の由来はヨツバカタバミと言う植物で、そこに秘められた意味は輝く心。生徒の自主性を重んじ、未来に光溢れる成長を遂げて欲しいと言う想いを込めた由来だ。
南に位置するカリーナ共和国は温厚な気候に応える様に様々な草花が見られる。だからか、地名や建物には植物に由来する名前も多く、家名にその恩恵を受けている家もあるほどだ。
実り豊かな南の楽園。そう呼ばれる事も多いカリーナの特産品。しかしながら、当然それ一つで語りきれるはずもなく。
他国にはないような植物の他にももう一つ、カリーナを代表する産業がある。
「お魚もいっぱい」
「食べたい」
「それじゃあ昼は魚料理にしようか」
「うん」
「楽しみ」
それが海洋貿易だ。温暖な気候は何も地上だけに留まらない。カリーナ共和国の南には広大に果てなく広がる大海。温かく綺麗なその巨人の杯のような大海原には、多種多様な魚介類が生息している。その恩恵に肖り、乱獲しない程度に命の恵みを分けてもらっているのだ。
沖に出れば未だ手付かずの魚礁が数多く眠っている。だからこそ造船技術も盛んで、その流れで海上運送を用いた貿易が国益の一部を担っているのだ。
草花にも季節があるように、海の幸にも旬はある。この時期だと暖かくなる気候につられてやってくる魚が、寒い冬を越えて淡白ながらも舌鼓を打つ歯ごたえを有している事が多い。
夏になれば色鮮やかな体色の魚達を海水浴がてらに見る事が出来るし、秋に差し掛かると多くの種類は産卵の時期で卵を持ち脂ののったものが多くなる。そして冬には厳しい寒さを耐え抜くために大きな影が次々と水揚げされる。
カリーナでは一年を通して新鮮な魚介類が流通し、それを他国へ売る事で利益としているのだ。もちろんその他にも、気候を生かした様々な食べ物を出荷している。
当然だが、魚介類は鮮度が命。他国で饗されるそれとカリーナのものでは確かに違いがある。その為か、食通の者達はよくカリーナに来ているとの事。外からの来客もまた、国を支える一助だ。
北を緑に、南を青に挟まれた白い町、カリーナ城下町。白亜の学び舎とも呼ばれるこの地は、大地と水の都なのだ。
「昼までには少し時間があるな……。港まで行ってみるか?」
「うん」
「お散歩」
提案に頷いた双子が一つ強く手を握る。港への訪問も、今回の目的の一つ。
水は命の源。動植物の生活を支える柱の一つ。だからこそ祭祀においても重要な意味を持つ事が多く、よき隣人である妖精を分類する際にもその一つに名前を連ねる。
今回の誕生祭でも例に漏れる事なく港の方に出向く予定もある。命を育む自然への感謝の意も含めた祭だ。
特に祭事においてグンターは並々ならぬ情熱を注ぐ人物。祝い事は盛大にやってこそ意味があると言って憚らないその性格に、けれど楽しい事が嫌いな者が早々いるはずもなく。大戦後のカリーナではそれ以前にも増して賑やかになったように思う。
……少しだけ下世話な話をすれば、熱は世界を動かす。早い話が、物や金の巡りがよくなるのだ。流れが活性化されれば、その波に乗って……はたまた背中を押されて自然と歩みが弾む。そうすればカリーナ自体も潤うし、その影響は国外にも意味を成す。
彼がそこまで考えているかは当人のみぞ知るところだが、いい事なのは間違い無い。
何よりの言い訳をするのならば、この世界は妖精と共に紡いでいるのだ。楽しい事が生き甲斐な彼女達との良好な関係のためにも、盛り上がるべきは大いに踏み出しても間違いはないだろう。もちろん、破目を外し過ぎなければ、だが。
そう言えばそっちの話は彼女達は聞いているのだろうか?
「ピスとケスは祭当日は予定はあるのか?」
「学園はお休み」
「でもクラスターで見回り」
「ふむ、そうか」
日常の鬱憤の捌け口とばかりに盛り上がる祭事。しかしその裏では折衝も頻発する。その仲裁や、未然の防止に一役買うのが学園生達だ。
国の祭日と言う事もあって学園自体は休みにはなるが、その傍らで彼女達には学院から任が下る。それが祭の見回りだ。
クラスターと呼ばれる生徒同士の班で行動し、問題があればその場で解決か、事の大きさによっては大人達に引き渡す。ある種の社会勉強の一つであり、いい実習の場だ。
が、分かりきった話……子供達の気概がそう長続きするわけもなく。様々な誘惑に打ち勝ち午前中いっぱい頑張れば合格点と言うのが一般的な線引きだろう。そう言う意味での勉強や試練でもあるのだ。
「まぁ大きな揉め事は大人が解決してくれる。二人は祭りを楽しみつつ、それとなく気を配っていればいい」
「ん、分かった」
「頑張る」
そしてなによりも求められるのはクラスター内での協力だ。
人の世界は一人では生きていけない。人生も然りで、協力は不可欠だ。
一年を共に過ごす仲間との絆は、時に互いを助ける力になる。今を助け未来を望む協力関係を養う為の場でもあり、肩書きが物を言うカリーナだからこそ、人の輪には重きを置いているのだ。
そうでなくとも彼女達は現大統領の孫と言う特別な立場の、子供だ。必要以上の安全は大人が請け負っているが、それでも万難を排するとまではいかない。時には彼女達が自らの判断で選ばなければならない道もあるだろう。その時大人では出来ない味方として、一緒に悩み歩む友人と言うのはなくてはならない存在だ。
特に言えば、彼女達は人付き合いに周りとは違う何かを求めるきらいがある。だから少し懸念していたのだ。例えクラスターと言えども、本当の意味で友となるような同級生が出来るのだろうかと。
けれど蓋を開けて見れば彼女達も立派な子供で。二人なりに何か興味があったのか、それとも学園入学と言う背景が影響を及ぼしたのかは分からないが、少なくとも同じクラスターの子達を内側に認めるには至ったようだ。その事に関しては娘達よりもその相手の子達に感謝をしたい。情けない話だが、親でも教えられない事はあるのだ……。
大切な友や仲間との時間を過ごす事も目的の一つ。その中でしか得られない物をしっかりと手に入れてもらいたい。
「クラスターの友達とも仲よくな」
「うん」
「分かってる」
特別言い含める事でもないのかもしれない。けれど言葉にすれば気持ちが固まる。それは将来の夢然り、曖昧な選択肢然りだ。そしてそれは、わたし個人の矜持でもあるのだ。
言葉にした事は違えない。有限実行が自分を貫く秘訣だ。
叶う事なら私と同じでなくともいい。彼女達にも自分に見合った誇りを持って生きて欲しい。疑わない強ささえあれば、迷う事など必要ないのだから。
「お父様」
「あれ食べたい」
そんな内に秘めた親の思いが勝手に伝わるはずもなく。いつもの調子で話題から話題へ軽々と跳び次いで行く足取りにどうにかついて行く。
見れば彼女達が指を差すその先には食べ歩きの出来る軽食を販売している店が。祭りにも出店するのだろうが、日の常として構えた軒に暇などない。慌しい喧騒の中でも変わらない色で開かれた客への道は、準備に汗を流す者達の腹の拠り所となっているらしい。
「買うのはいいが、食べ歩きは危ない。約束できるか?」
「もちろん」
「だからお願い」
待ちきれない様子で催促してくる双子に仕方ないと笑みを浮かべて店主から包みを三つ貰う。そのまま脇に避けてほろ温かいそれに齧り付く。
アップラと呼ばれる保存の利く、元は丸く茶色い塊根を使った揚げ物。熱を通すと柔らかく、そして甘くなる物で、潰して捏ねた後成型して揚げたそれは、小腹が空いた時に食べるのに丁度いい物だ。好みで味付けを選べば食べられないという者は殆どいないだろう。
材料のアップラは疲弊した大地でも栽培できる事から古くより人の生活を支えてきた植物で様々な料理に用いられている。同じアップラでも地域によって違いがあるらしく、特に涼しい地域で栽培された物は甘みが強いらしい。四大国で言えば北の大地であるスハイル帝国で最も多く栽培されている食べ物だ。
そんな揚げ物を食べ終えて僅かな休憩と共に再び歩き出す。
海に向けて山の裾を広げるような地形をしたここカリーナの城下は、その道の殆どが坂となっている。だから歩くだけである程度体力を使うのだが、遊びたい盛りの子供達にとっては大きな問題にはならないようで。
普段余り運動をしないこの身を置いて、二人が早くとこちらを見上げながら前を歩く。大人になるとは色々大変なのだ。羨ましい。
そのうち時間が出来たら定期的に運動の予定でも組んでみるとしようか。ふくよかな体型は富の象徴とも言われるが、男として見た目は格好よく居たいのも事実。自分で出来る事はしっかりと子供に見せていたいのが親心だ。帰ったらジネットにでも相談してみるとしよう。……などと個人的な事を考えつつこれもまた運動と割り切って歩みを進めれば、やがて道が平坦になって海の匂いが香る地区にやってくる。
この辺りは山肌を吹き下りる強い風とべたつくような海の風に応じた建築が多く、城の近くとはまた違った景色を拝む事が出来てそれなりに楽しめる。ここから見上げる白皙城も緑を背景に映えて美しい。
人々の生活を肌に感じる通りを抜ければ、広がる視界には遠くまで果てのない青い床と青い天井。そして遠くから聞こえてくるのは店の前に出て客を呼びこむ店主達の声。
直ぐ目の前の海から獲ってきた海の幸を威勢よく叩き売りしている光景は、上の方では見られない一幕だ。
カリーナの城下町には大きく分けて三つの区画が存在する。一つが城周辺の、上層区画。権力者や名家が住む政の中心地で、アルレシャ家があるところだ。学び舎や研究機関も建てられており、実物よりも情報が動く区画。
次いで二つ目が中腹に広がる居住、商業区画。三つある区画で最も広く、数多の民が城の庇護の下日々を過ごす場所。人口が多いのは当然で、城下町の生活基盤が存在する。
最後に今いるここ、沿岸区画。カリーナ城下町の玄関口でもあるここは、活気に溢れる市場だ。その日に水揚げされた魚介類や採れたての野菜が並び、同時に商人が集まる貿易交渉の場でもある。
それぞれが作用し合い国を、世界を回す一助としている。その一端に身を置きながら自分の小ささを呻くのが人間だ。
そんな世界の歯車の輪の中から少し外れている気がする双子は、余り来た事のないこの区画に興味津々のようで。既に傍を離れて忙しく仕事に精を出す大人達を離れたところからじっと見つめている。
「どうだ、何か面白い物はあったか?」
「うん」
「楽しい」
具体的に何が、と訊いたところで彼女達は答えないか、答えても私には理解できない世界の話だろう。父親として情けない話だ。
けれども彼女達が楽しいと言うのならばそれ以上はないし、こちらも安心する。いつも短い興味とは言え、そこから得る物もあるだろうて。
「あれ、二人とも……何でここに?」
「ロベール」
「おはよう」
ぼぅっと絵画を眺めるように立ち尽くす二人に声を掛ける影。次いで響いたのは聞き覚えのある名前。
顔を向ければ、そこには娘たちよりも少し背の高い少年が立っていた。
「あぁ、君がロベール君か」
「えっと……」
「すまない、まずは自己紹介からだな。私はルドガー・アルレシャ。この二人の父親だ」
「あっ! っと、はじめまして! 娘さんと仲よくさせていただいているロベール・アリオンですっ」
「話は聞いてるよ。いつも娘が迷惑をかけてすまないね。今後とも二人の事をよろしく頼む」
「は、はいっ」
声を掛ければ返ったのは礼儀正しい声。アリオン家はアルレシャ家ほどではないが大きな家だ。もう一つか二つ何かあれば、大統領候補に名前を連ねてもおかしくはない。
そんな実績ある家のご息子だ。幼さはあっても間違いはない様子。
「ロベールは何してるの?」
「それなに?」
「あ、これは雑務って言うか、うちのお父さんが猟師の人と知り合いで、時々手伝いをしてるんだ。と言っても使い走りばっかりだけれどな」
ふむ、社会勉強の一環か。彼女達にもまた今度……いや、二人が言い出すまではやめておこう。押し付けるのはよくない。
「二人こそどうしてこんなところに?」
「久しぶりの散歩」
「今日はお父様も一緒」
「あぁ、なるほど。もしよかった案内を……って差し出がましいですね、すみません」
「いや、構わないよ。あまりこの辺りは詳しくなくてな。良かったらお願いしてもいいかい?」
「えっと、ぼくで良かったら是非に!」
実のところそれほど目的があった訳ではないのだ。
ようやく休みらしい休みが出来て、いつも構ってやれない愛娘の為にと父親らしい事を言い出してはみたが、向かう先は彼女達に任せっきりだったのだ。そこに願ってもない申し出。断る理由はない。
「ロベール遅い、って、こんなところで何を……あれ、ピスとケス、と…………」
そうしているとロベールの後ろから女の子が姿を現す。どうやら彼を探しに来たらしい。ピスとケスの名前を親しく呼んでいる、と言う事は恐らく彼女は────
「あぁ、シルヴィ。この人、二人のお父さんだって」
「っ! し、失礼しました! シルヴィ・クラズですっ。えっと二人……じゃなかった、娘さんとは学園で仲よくさせて頂いてて……あぁ、そのっ、学園でクラスターで……!」
「まぁ落ち着きなさい。とりあえず深呼吸をして」
「あ…………はい……」
慌てたように腰を折った彼女は、ロベールと一緒に聞いていたもう一人の二人の友人。ジネットの話ではロベールとシルヴィは幼馴染だとか。先ほどのやり取りだけでも仲がよさそうに感じられた。
そんな彼女に自己紹介をすれば、どうやらこちらは緊張以上に緊張して背筋を正す。
クラズの家の名前もよく聞くが、彼女自身は随分と固いと言うか……それにしたって気を張りすぎだろう。個人的にはロベールのようにある程度親しく接して欲しいのだが、目に見えない立場がそれを邪魔しているのだろう。まぁ彼女の気持ちも分からないではないがね。
ロベールが掻い摘んで説明している傍ら、ちらりと向けた視線で双子の興味が移った事を知る。
「……気になるか?」
「うん」
「だめ?」
「迷惑を掛けない事が約束出来るなら……いい経験だ、行ってきなさい」
「ありがと、お父様」
「がんばる」
親心は杞憂だったか。彼女達はしっかりと成長して、自分で決めた道をしっかりと歩んでいる。その事に嬉しくなる。
と、説明が終わったらしいロベールとシルヴィがこちらに向き直って、それから先ほど言い掛けていた事を思い出したようにシルヴィが口を開く。
「ってそうだ。ロベールが遅いから呼びに来たんだった」
「ちょっと話してただけじゃねぇか……。ってな訳で二人とも悪い! まだ手伝いが残ってるから案内は後で……」
「うん」
「大丈夫」
「ピス達も手伝う」
「いい?」
「え……?」
驚いたように声を上げてこちらを伺うシルヴィ。そんな彼女に笑顔を浮かべて言葉を加える。
「もし都合が悪いなら断ってくれて構わない。そうでないならお願いできないだろうか?」
「えっと、多分大丈夫だと思いますけど……」
「シルヴィ、先に戻って訊いて来てくれる?」
「…………もぅ。ロベールも早く戻ってきてよね?」
「分かってる」
「それでは失礼します」
「あぁ、気をつけて」
礼儀正しく腰を折ったシルヴィが踵を返してその場を後にする。ロベールもそうだが、どうやらいい友人に恵まれた様子。この分なら学園の生活もそれほど苦ではなさそうで安心した。
「それで、えっと……まずはこれ片付けないと。その後で手伝ってもらうってことでいい?」
「うん」
「分かった」
「じゃあ少し待ってて。すぐ終わらせてくるからっ!」
そう言い残して駆けていくロベール。彼の背中を見送る二人に優しく語りかける。
「いい友達だな。仲良くするんだぞ?」
「分かってる」
「だいじょうぶ」
少なくとも大人が口を挟まなければならない事態に発展するまでは見守るべきか。過保護にして嫌われるのも悲しいしな。
そんな事を考えていると遠くから聞き覚えのある声が響く。
「旦那様っ」
振り返ってそこにいたのは少し急いだ様子の使用人、ジネットだった。
「どうした?」
「今し方屋敷にお客様がお見えになりました。旦那様にお話したい事があるそうです」
「……全く久しぶりの休みを不意にしてくれて。それで、その客と言うのは?」
「シャム家の御当主様です」
「あの爺さんか…………」
思わず悪態を吐いて、それを溜め息と共に押し流す。すると次の瞬間には頭が切り替わっていて、愛する双子に向き直っていた。
「すまない、急な仕事が入ったみたいだ。二人に付き合ってやれなくてすまない」
「ううん、平気」
「お仕事も大事」
「いつも悪いな。また今度埋め合わせはしっかりとするから」
聞き分けのいい……ともすれば納得さえ通り越した達観をしている娘達に申し訳なく思いながら頭を撫でる。
折角の親子の時間に水を差されて少しだけ気分を傾がせながら彼女たちによく言い聞かせる。
「友達には迷惑をかけないように。それから余り遅くならないように。いいね?」
「うん」
「わかった」
多くを言わなくとも彼女達ならば分かってくれるだろう。もしかしたら顔に出ないだけで鬱陶しがられているかもしれない。
けれども例えそうだとしても、だ。親としての務めは、出来うる限りの事はしてやりたいと思うのがいかんともし難い本心だ。だから…………。
「大丈夫」
「急いで」
「……うん、ありがとう。愛しているよ」
彼女達に優しさに甘えて頷きながら、せめてもの償いにとその頬に口付けを落として。
それでもいつもと変わらない様子で見送ってくれる双子に別れを告げ、ジネットに付いて歩き始める。
「……少しお話は変わりますが、お嬢様との休日は過ごせましたか?」
「あぁ。事が片付き次第、夜にでも少し付き合ってくれるか?」
「それはご命令でしょうか? でしたら従わなければなりませんね」
憂さ晴らしにと提案すれば、楽しそうに答えたジネット。彼女は、いい使用人でありながら、数少ないわたしの理解者だ。だからこそ、あの二人の傍付きを任せているのだけれども。
「丁度頂き物の果実酒がありますので、よろしければそちらもご一緒にどうでしょうか?」
「……今夜は晴れそうだ。いい空が見れそうだな」
「はい」
マツリには悪いが黙っているとしよう。これは、そう言う楽しみだ。
* * *
荷運びを終えて戻ってくると、防波堤に腰掛けて海の果てを見つめながら足を揺らすピスとケスの姿を見つけた。
「おーいっ」
一体どこから登ったのだろうかと、高い塀の上を見上げながら声をかければこちらに振り返った彼女達がそのまま跳び降りて来る。お嬢様らしからぬ身軽で行動的な姿に驚いて数歩下がれば、それから服を叩き合う二人に疑問を口にする。
「あれ、二人のお父さんは?」
「お仕事だって」
「先に帰った」
「そっか、残念だな……」
ピスとケスはアルレシャ家の令嬢だ。一応名のある家である家のアリオン家でも、時折こう言った突然の事は起こる。
もちろん理解はしているつもりだ。大人の仕事。家を……国を支える大事な役目。それらが時に、家族との時間よりも大切な事は、分かってはいる。分かってはいるが、だからって全てを納得している訳ではない。忙しいからこそ約束をしていて、折角の時間なのに。それを反故にするのは、分かっていても遣り切れない。その遣り切れなさを、だからと言って大人にぶつけるのも、それは困らせるだけだと理解している。
そんなのだから余計に積もって、どうしようもなく無力に感じるのだ。
だから二人が、顔には出さなくても寂しい思いをしていると言う事は、痛いほど分かるのだ。これはきっと、そう言う立場だからこその、仕方のない事なのだ。……そう、諦めるしかないのだ。
子供は、無力だ。
「二人は帰らなくてよかったのか?」
「うん」
「約束」
約束に順番はない。優劣はない。そう語る二人が自分よりも大人に見えて、自分が小さく思える。
けれどもそんな反省は後でいい。今はただ、今があるだけだ。
「…………分かった。それじゃあ行こっか。説明は歩きながらするから」
「うん」
「お願い」
頼られた事に少しだけ気をよくしながら、二人と共に海を眺めつつ歩き始める。
「手伝いって言っても連絡とか、物を運ぶとかばっかりだよ。水揚げされた魚も朝市で殆ど捌けて、残ってるのはその片付けと、明日の準備。それも今日は終わってて、今は誕生祭の準備だな」
この辺りは子供でも知る通りカリーナの玄関口。そこからカリーナ城のある上まで城下全体を使った催しが数日後に行われる現カリーナ国大統領……つまるところピスとケスのお爺さんであるグンター・コルヴァズ陛下の誕生祭だ。
「屋台とかの手続きや準備。誕生祭の中で行われる様々な催し事の段取り決めや練習。やる事は沢山だけど、一個ずつ片付けて、本番当日に盛大に楽しむんだっ」
「楽しみ」
「今年は特に」
「特に? 何か気になる物でもあるのか?」
返った声に問えば、二人はじっと見つめたままさも当然のように告げる。
「ロベールと一緒」
「シルヴィと一緒」
「お仕事と」
「お楽しみ」
「……あぁ、そうだなっ!」
今年からはテトラフィラ学園の一員として、祭中の見周りの任がある。クラスター単位で行動を共にするそれは、当然ロベールも期待以上に胸を膨らませている事だ。
なにせ見周りと言う命があるとはいえ、二人と……それからついでのシルヴィと一緒に祭りを見て回れるのだ。それだけで、勇気を出して彼女達をクラスターに誘った意味があるとさえ思う。
あの時、誰もが距離を測っていた中で、一番に踏み出す事が出来て幸運だった。覚悟と勇気の先に得た折角の繋がり。その関係を、このままで終わらせるつもりはない。
「…………なぁ……」
「なに?」
「どうしたの?」
「誕生祭……見周りが終わったら、少しだけ時間ないか? 話があるんだ……」
「いいよ」
「大事な事?」
「……あぁ…………」
気付けば踏み出していた足。遅れて自分の行った事の大きさに気付いたが、今更引き下がれないと覚悟を決める。
「分かった」
「見回り終わったら」
「あぁ……約束な」
まるで生きている事を実感したように胸の奥が高鳴る。まだその時でもないのに……。でも、振り上げた脚はもう止まりそうにないから……。
自分の言葉に責任を持てと、親に言われて育ってきた。だからこれはきっと、正しい事。そう信じ続ける限り、間違わないはずだから。
* * *
「もう、やっと戻ってきた……」
「いいだろ、別に。それでおじさんは?」
「手伝いが増えるのは嬉しいからよろしく頼むってさ」
「そっか、良かった」
ようやく戻ってきたロベール。心なしかさっきと違う気がしながら、けれどもそれ以上にやるべき事へと意識を向ける。
「とりあえずこれの運搬。重いから二人とも気をつけてね」
「分かった」
「頑張る」
いつもと変わらない様子のピスとケス。そんな二人に早速仕事を説明すれば、素直に頷いた。どうやらここに来るまでにロベールが説明してくれていたらしい。そう言うところはしっかりしてるのに……どうして時々どうしようもなくなるのかな。それが無ければ理想なのに。
考えていると、何を言うでもなく一番重い箱を持ち上げるロベール。こう言うところはいいのにね。
「あれ、二人のお父さんは?」
「お仕事」
「先に帰った」
「そっか……分かった。じゃあ手伝いが終わったらこの辺見て回ろっか」
「だったら喋ってないで早く運べよ」
「重いの持ってやってる、みたいな偉そうなのやめてくれるっ?」
「そんなんじゃねぇよ。早く終わらせたいだけだっての」
二人で手伝っていた時には見せなかったやる気。その変化に、ほぼ確実と言っていいほどピスとケスが関わっていると思うとやるせない気持ちになる。
……全く、一体何がそこまで彼を追い立てるのかが分からない。
そもそもそれが異性に対する好意だと言うのならば、どちらに対するものなのだと詰問したいくらいだ。
身分けがつかないほどに同じ身形。鏡映しとさえ言われる双子に抱く恋愛感情は、ともすれば最も不誠実な想いだ。彼がどちらかを選ぶと言うのなら……応援はしなけれども、これほどまでに食って掛かりはしない。気持ちが動く事に理由を求めるほどあたしだって馬鹿じゃない。
けれどもとても曖昧に、区別などないあわよくばでその想いを抱いているのならば、あたしはロベールを軽蔑するし、何より二人に失礼だ。それは、恋愛感情なんかではない。ただの憧れだ。
だから、出来る事なら問い質したい。しかし、その答えが本気で選んだ末の物だったらと思うと、彼の覚悟に対する恐怖もある。
まぁ少なくとも玉の輿のような下種な話ではないのは確かだろう。そんな事を考える幼馴染でないというのは、あたしが一番よく知ってる。
覚悟の末なのか、そうではないのか。今までのようにただ上っ面なのか、何かを賭けられるほどに本気なのか。分かるようで分からないのが……多分悔しい。
「……二人は、どこか見て回りたいところはある?」
「ない」
「お任せ」
「じゃああたしのお気に入りの場所教えてあげる」
逃げるように隣の双子へと声を向ければ、無関心とも取れる返答。もし彼女達の事を遠巻きに見ていたのなら主体性のない事に苛立ちを覚えたかもしれない。しかし一緒の時間を過ごしてみれば何と言う事はない、それが彼女達の性格と言う事だ。
だからってきっと言葉の裏の本心を探すような事は多分間違い。素直に、心の底からそうであると言う事は、幼馴染の事で一喜一憂するより余程気が楽な事もある。
別にロベールの相手に疲れている、と言う訳ではないが。彼女達の前では飾らなくていいだけ気疲れしない、素でいられる心地よい場所だ。
「お気に入り?」
「どこ?」
「まだ秘密、ついてからのお楽しみっ。だから早くお手伝い終わらせようっ」
とっておきの憩いの場。ロベールとは何度も遊びに行っているが、きっと彼女達は知らない場所。
あたしにとってそこは気を許した相手にしか教えない、秘密基地のようなところだ。そこでの時間は大変な手伝いの疲れも直ぐに吹っ飛ぶ。
だからこそやる気がわいてくると。目的を明確にすれば幼馴染の事で悩むよりも新しい友達との楽しい時間の方が余程有意義と思えたのだった。
そんなやる気を見透かされたのか、いつもより少し多い手伝いを任されもしたがそれもどうにか終えて。二人の希望で魚を使った昼食を食べて既に太陽が半分ほど傾いた頃。山の斜面に栄えたカリーナの道を港湾区から上に向かい商業区へ。
城まで続く目抜き通りより少し外れた道の通りにある喫茶店が今回の目的地。『胡蝶の縁側』と言う名前を掛けた木製の扉を開けば、来客を知らせる鈴の音が店内に響き渡る。
「おや、シルヴィ。いらっしゃい」
「お久しぶりです、ジルさん」
落ち着いた雰囲気の店内に一人佇む男性。その彼がこちらを見つけて嬉しそうに笑いながら歓迎してくれる。
ジル・モサラー。あたしの家、クラズ家と良好な関係であるモサラー家の次男で、家督を兄が継いだ事をきっかけに小さい頃からの夢だったらしい自分の店を構えた人物だ。
あたしにとっては幼い頃からの付き合いで、血こそ繋がっていないが兄のような人物だ。
「しばらく来てなかったけど何かあったのかい?」
「忘れたんですか? 春からテトラフィラに通い始めたんです」
「おっと、もうそんな年か……。って、もう子供扱いしない方がいいかな」
恐らくあたしの事を生まれた時から知っている彼にしてみればその感慨も当然のものかも知れない。年の差は縮まらないから、きっといつまで経ってもあたしは子供なのだろう。
けれど子供である以上兄妹のようなそれで接してくれる彼はあたしの強い味方だ。これまで何度世話になった事か。今更恥ずかしがる相手でもないが、やっぱりそろそろ子供扱いはやめて欲しい。
「久しぶり、おじさんっ」
「だから何度言ったら分かるんだ。おじさんはやめてくれ、そんな年じゃない。ここならマスターって呼んでくれ」
「なんでそんな洒落た言い方しなくちゃなんねぇんだよ。おじさんはおじさんだっ」
あたしとの付き合いが長いと言う事は、幼馴染であるロベールも同じで。彼の物怖じしない……人に対する気さくな性格は例え年上であっても当然のように発揮される。
まぁ顎鬚の所為か、少しだけ威厳があるように見えるが、彼が訂正する通りおじさんと言うほどではない。まだ二十代の、世間一般ならお兄さんだ。
後、あたしにもよく分からないが、ここ『胡蝶の縁側』ではマスターと呼んで欲しいと触れ回っている。とは言えマスターと呼ぶほど貫禄があるかと問われれば頷き難いと言うのはロベールとの数少ない同意見だ。
「ジルさん、奥の部屋使えますか?」
「あぁ。今日は予定はないが、急な来店があったら空けてくれよ」
「うーい」
「注文は?」
「いつもの」
投げやりに答えてロベールが一人先に店の奥へと入っていく。相変わらず自由奔放な幼馴染だ。こっちが恥ずかしくなる。
「そんで、そっちのお二人さんはシルヴィの友達かい。……何だか見覚えのある顔な気がするけど」
「紹介します。ピス・アルレシャとケス・アルレシャ。テトラフィラでロベールと一緒にクラスターを組んでる友達です」
「アルレシャ、って…………まさか……!」
「はい。現大統領、グンター陛下のお孫さんです」
「まじかよ……!」
手のひらで目を覆うジル。うん、多分その反応が一般的だよね。初対面で飾らずに話しかけたロベールがおかしかったんだよ。
認め難い現実から目を背けるように天井を仰いだジル。それから彼は長い息を吐いて大人の仮面を被った。
「……はじめまして。ジル・モサラーだ。お父さんやお爺さんとは、そうだな……時々顔を合わせるくらいだ。ここで喫茶店の店主をしてる。よろしく」
「ピスはピス」
「ケスはケス」
「…………おぉう、話に聞いてた通りほんとに鏡映しだな。髪型以外で見分けがつかん」
ジルの反応に安心する。彼のお陰で自分が間違っていないのだと再確認させられる。彼が普通でよかった。
「っと、そうだ。ご注文は何にするかね?」
「なにがある?」
「おいしい物がいい」
「とりあえず飲み物はあたしと同じのを二つ。と……一緒にマグケーキで」
「ん、分かった。奥で待っててくれ」
「ありがと、ジルさんっ。いこ?」
いきなりで品書きは分からないだろう。とりあえず外れはないはずのいつものを注文して二人を連れ喫茶店の奥へと向かう。
薄暗く細い廊下を少し歩いて突き当たりの扉を開けば──そこには野生が広がっていた。
四方を白い壁に囲まれた空間の中に、そこだけ大地の香りが漂う。広葉樹が緑の絨毯と色とりどりな顔を揺らす花に囲まれ、天井からは透明な硝子越しに空の光が降り注ぐ。
扉から伸びる道の先には、中心にぽつんと設えられた机と椅子。上品な装飾のそれらは、まるで最初から自然の中にあったように溶け込んで主張と同化を繰り返していた。
宛ら絵本の中の、森の茶会に出てくる特別な異界のようだ。
「ここは?」
「庭?」
「上客を持て成す為の秘密の部屋だ。自然は全部作り物だけど、まるで物語の中の妖精の国みたいだろっ?」
二人の声に先に来ていたロベールが、あたしが脳裏に思い描いた感想と似たような答えを零す。
彼の言う通り、ここは作り物の庭園だ。けれどどこか世界からは隔絶された、時の流れさえ曖昧な空間。家の親や、二人のお父さんやお爺さんが小さな会談に利用するような特別室だ。
「虫や鳥は入ってこない、不自然な自然。時々妖精は遊びに来てるみたいだけど、主に立場のある人が使うお部屋だよ」
「きれい」
「いい匂い」
「気に入って貰えたかな? だったらよかったっ」
昔からの付き合いの特権で、使う予定がない時はこうして遊びに来ている大人の世界の片鱗。知る人ぞ知る町中の秘境だ。
どこか妖精のような雰囲気の二人にはきっとよく似合う風景だと思っていたが、どうやらそれは想像以上で。カリーナの技術で温室管理された草花を愛でる彼女達は、まるで妖精が人型を取ったように小さな自然を散策し始める。
そんな二人を眺めていると背後で扉を叩く音。振り返れば丁度戸が開いて、四人分の飲み物とマグケーキを運んできたジルが顔を見せた。
「なんだ、まだ座ってなかったのか?」
「折角ですから楽しんでたんです」
「そりゃあ失礼したね。……こちらご注文の品です。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとっ」
少しだけ言葉を交わして。それから店員らしく腰を折った彼が机に注文を置いて下がる。
彼が退室するのを見送って、そろそろ二人をこちらの世界に連れ戻そうかと視線を戻すと、既に彼女達は椅子に座っていた。現金と言うか、変わり身の早い事で。
興味の向く先に次から次へと飛び回る蝶のような双子に小さく笑いシルヴィも腰掛ければ、最後にロベールも座ってようやく喫茶店らしくなる。
「マグケーキ?」
「どんなの?」
「ただのフェアリーケーキだよ。ここのはマグカップに入れて焼いてあるの。だからマグケーキ」
フェアリーケーキとは一人分の小さなケーキの事だ。昔はこのマグケーキみたいにカップに入れて焼かれる事が多かったから、カップケーキとも呼ばれていたらしい。妖精と歩むこの世界では彼女達のように小さなケーキと言う事でフェアリーケーキと呼ぶのが一般的だ。
「でもただのフェアリーケーキじゃないんだよ? 中に小さく切って乾燥させた果物が入ってて、甘酸っぱくておいしいんだっ。あたしが知る限りここだけで食べられるの」
そんな説明を、ケーキを見つめながら聞く双子。をよそに、薀蓄以下の話など最早聞き飽きたといった様子のロベールが一人先に食べ始める。
相変わらず空気を読むよりも食う気の方が勝っているらしい幼馴染に視線を一瞥しつつ、それから自分の分を一口齧る。
柔らかく香ばしい生地には甘い粉砂糖が振りかけてあって口の中に優しい味が広がる。加えて中に入っている凝乳と、そこに混ざる果物の欠片が甘さの暴力となって舌の上を支配し、最後に噛み締めた果物から零れる深い旨味に自分の頬が染まるのが分かる。
これ以上に至福な時間をあたしはまだ知らない。そう確信出来るほどにこの店のフェアリーケーキは絶品で、お気に入りだ。
最後にすっきりとした味わいの紅茶を一口飲めば、嫌な事を全て忘れて幸福感に浸れるあたしの憩いの場だ。
「おいしい」
「これ好き」
「ほんとっ? よかったぁ!」
「別にシルヴィが作った訳じゃないだろ?」
「自分の好きな物を褒められて嬉しいのは当たり前でしょっ?」
何故か突っかかってきたロベールに反論すれば、そもそも言い争うつもりもなかったのか話題はそこで途切れて。それからしばしの間、焼き菓子の至宝とも言うべきフェアリーケーキと、それに合う紅茶を楽しむ。
本当なら自分で作ったり持ち帰りがしたいのだけれど、製法の公開はもちろん、持ち帰りも何故か断られ続けている。曰く、持ち帰りは本当の上客だけとの事。だったらあたしはなんなんだっ!
大方大人になって親のように仕事の立場ならと言う事に違いない。……お店の為に広めてあげようと思ったのに。だからいつもお客が少ないんじゃないかなっ?
などとどうでもいい事を考えつつこれ以上ない幸福を味わって。最後に一杯紅茶をおかわりしながら雑談に花を咲かせる。
「お祭り」
「楽しみ」
「そう言えば陛下は今年何歳になるんだ?」
「はちじゅう?」
「ご?」
「多分ね」
なんで陛下の孫である二人が曖昧なのだろうか。……と、考えて。けれどもそんな物かも知れないと気づく。身近だからこそ改めて明確に記憶していないという話だ。
「このままだと当分はグンター陛下が大統領かな」
「だな。特にこれと言って不満は聞かないし、ぼく達はよく知らないけど、第二次妖精大戦から随分よくなったって大人達も言ってるし」
「うちのお母さんがカリーナの歴史上一、二を争うくらい平穏な時代だって言ってたよ」
「そんなもんかねぇ」
あたしもロベールも名家で育った身。知らずの内に大人の会話が聞こえてきて、学園生らしからぬ話を聞くとはなしに覚えてしまっている。
将来有望と言えばそれまでだが、何だか変なものを背負わされている気がして複雑な気分だ。
「おいしい物がたくさん」
「豊かなのはいい事」
「……そうだね」
少し跳んだ二人の話題に、けれどもそんなものなのだろうと納得をする。と、それとほぼ同時扉が小さく叩かれてジルが姿を現した。
「おや、歓談中邪魔をしたかな?」
「いいや、そろそろ腰を上げようと思ってたところだ」
「と言う事みたいなのでまたその内遊びに来ます」
「ここは君達の秘密基地じゃないんだがなぁ」
頭を掻いてぼやいたジル。そんな彼に双子が告げる。
「おいしかった」
「ごちそうさま」
「ん……そりゃよかった。二人のお父様やお爺様にもお礼を言っておいてくれるかな? またここを使ってくれるとこっちも嬉しいって」
「わかった」
「またね」
当然の話。ここはそもそも貴賓室。この国の頂上の椅子に座る陛下達が使わない理由はない。少なくともその候補に名前が挙がるくらいには、ここは特別な場所だと言う事だ。
二人のお陰で、改めてここが凄い場所なのだと認識する。他にはない贅沢だ。
子供の娯楽にしては少し浮世離れし過ぎているかと思いつつ店を後にすれば、陽も大分傾き、白亜の町並みを茜色に染め影を長く伸ばしていた。そろそろ今日はお別れだ。
「ねぇ」
「明日は?」
「明日……って、手伝いか?」
「うん」
「あるなら、がんばる」
声はピスとケスのもの。一応休日はもう一日。明後日から再び学園が始まる。
そんな貴重な休日は、祭りを目前に控えたこの時期とても貴重だ。その時間を手伝いに割こうと言ってくれている事に嬉しくなる。
「仕事なら沢山あるけど……でもいいの?」
「いい」
「手伝いも楽しい」
平坦な中に熱を感じる語調にロベールと視線を交わして。手が増えるのはありがたいし、何より明日も二人と一緒に過ごせると言うのであれば断る理由はない。
「ならお願いしようかなっ。明日の朝、荷揚場のところに集合でいい?」
「うん」
「わかった」
「よしっ! 明日もがんばるぞっ!」
気合を入れるロベールには、別の何かがありそうだが……もういい。彼の問題だ。幼馴染だからと言ってあたしが一々悩む必要はない。もし何かあれば止めればいいだけだ。
何だか一つ仕事が増えた気がしながら話を纏めて、それからここより更に上に住む二人を見送るとロベールと共に帰路につく。
「はぁ……楽しかったぁ……」
「ねぇロベール。よかったの?」
「何がだよ……。何か言いたい事でもあんのか?」
どこか喧嘩腰な彼にどうにか感情を殺しつつ、恐らく今日一番の馬鹿を指摘する。
「今日習い事、あったんじゃないの?」
「へ────あ、あぁああっ!?」
分かりきっていた事。彼は浮かれて忘れていた。その事に気付いていながら、彼の責任だと黙っていただけ。怒られるのは彼だけだ。
「な、何でもっと早く言ってくれなかったんだよっ!」
「忘れてる方が悪いよ。それよりも早く帰ったら?」
「そ、そうだっ! じゃ、また明日っ!」
「はいはい。がんばってー」
あの二人に感けているいい罰だと見送って。一人になった事に少しだけ憤る。
「……どうせ怒られるならあたしのこと送って行ってよ、ばか…………」
そうすればあたしから少しは取り直してあげようと思ったのに。ほんと、鈍感っ。
* * *
旦那様のお客様をお見送りし終えてしばらく。そろそろ夕食の準備を始めようと思っていた頃、二階の窓からご帰宅なされるお嬢様の姿を見つけました。直ぐに裾を翻し、わたくしにとっての第一義を果たさんとお出迎えに上がります。
丁度門のところについたところで、仲よく手を繋いだお嬢様が到着なさいました。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま」
「ジネット」
心なしかいつもより弾んだ声音。その事に気付きつつ屋敷まで連れ添ってお召し物を預からせていただきます。
「お父様は?」
「お仕事終わった?」
「はい。先ほどお見えになっていたお客様をお見送りし、ただいまは書斎にてご休憩をなさっておいでです」
「お話したい」
「いい?」
「何か楽しい事でもございましたか?」
「あのね」
「シルヴィがね」
旦那様には申し訳ないと思いつつ興味が勝って先に尋ねれば、熱の篭った視線で昼間にあった事をそれは嬉しそうに語ってくださるお二方。
言葉少なでありながら、その場にいなくとも鮮明に想起できる様な冒険譚を綴ってくださいます。その声に耳を傾けながら屋敷の中を歩き、お話が一区切りついたところで旦那様の書斎の前までやってきました。
「続きはまたの機会にお聞かせ願えますか?」
「うん」
「わかった」
確かな言葉を頂いて一つ微笑み。それから扉を叩き旦那様に愛すべきお客様がいらした事をご報告致します。直ぐに返った声に断って扉を開けば、傍を縫うようにして駆けたお嬢様が旦那様を挟むようにしておりました。
「では後ほどお飲み物を準備致します」
「あぁ、ありがとう」
恭しく一礼して扉を閉めれば、抑え切れない思いが表に出たのか小さく足音が鳴ってしまいました。
「おっと、いけませんね。アルレシャ家の使用人足るもの、何時も完璧でなければ」
自分に言い聞かせるように音にする。けれどもそれでも隠しきれない嬉しさが自然と口角を持ち上げてしまいます。
この家に仕えられる事が……お嬢様のお世話を任せていただける事が何よりの幸せ。ともすればお給金など貰わなくともそれだけで満たされてしまうほどに、お二方の事は大切に思っております。
そんなお嬢様方が外の世界に踏み出して、友人に恵まれ、楽しい日々を送っていらっしゃる事に関して感無量と言う他はありません。
加えて数日後にはわたくしをこの家に推挙してくださったこの国の主……グンター・コルヴァズ大統領陛下の誕生祭が催されます。当日はきっとわたくしも城の方に借り出され忙しなくなる事でしょう。
その点に関しては、学園の任に励み、楽しい時間を謳歌するお嬢様の姿を目に収められない事が寂しく思いますが、仕方ありません。
その分、その日紡がれるお二方の色とりどりな冒険譚をお嬢様の口から一言一句聞き逃す事無く受け止めて差し上げようと、今一度願いと覚悟を固め直しながら。そうして手早くお飲み物の準備を終えて、再び旦那様の書斎の扉を叩きます。
「お茶のご用意が出来ました」
「あぁ、入ってくれ」
「失礼致します」
息を吸うように生活の一部になったやり取りを経て入室すれば、部屋の中央では机に向かってお嬢様方が筆を取っておられました。
どうやらわたくしが空けている間に自主的に始めておられたようです。
「課題でございますか?」
「うん」
「簡単」
普段の言動は只人と隔絶された、お二方だけの世界で紡がれる特別なものですが、それ以外は至って普通のお嬢様です。
薄い表情の中にも感情があって。好みがあり、聡明で、運動もそつなくこなされる。今年の学園入学生の中でも、最優秀生徒として選ばれ、全校生徒の前で挨拶を述べたとも聞き及んでおります。
その昔、旦那様が申しておられました。現大統領の孫として、二人には必要以上の責務を背負わせてしまうかも知れないと。その事に気付いた時、お二人の事が心配だと。
アルレシャの、コルヴァズの名前は、この国では特別な意味を持ちます。わたくしも、この家に仕えている事を理由に様々なものを経験してきました。
期待、羨望、嫉妬……。そんな不躾な感情の波に、お嬢様方は耐えられるのでしょうか、と。
けれど蓋を開けてみれば、そんな心配は杞憂でございました。
変わらずお二人の世界で完結された空気は、周りの視線など意にも介さない様子でこれまで通りを演じるでなく振舞っておられました。野暮な勘繰りを一つすれば、お二人にとって家の重圧など考慮にすら入らない瑣事なのでございましょう。
周囲からの全てを跳ね除け、自由に望む。どこまでも自分本位で、そしてどこまでも相方本位なお二方。その、言葉では言い表せない繋がりに割って入れるものなど、きっとこの世界には存在しないのかもしれません。
「ジネット」
「お菓子は?」
「もうしばらくすれば夕食のお時間ですので。因みに今日の夕食にはフフキとヒットーサイが手に入りましたので、そちらを使った料理を作ろうと思っております」
「たのしみ」
「待ってる」
どちらもこの時期に取れる山菜だ。調理には一手間掛かるが、美味しい春の味覚。夕食とは別に、旦那様とのお約束である晩酌のお供にも丁度いいかもしれません。
そんな事を考えながら紅茶を準備し終えて、そのまま夕食の準備に取りかかろうと台所へと向かいます。するとそこには奥様がいらっしゃいました。
「どうかなさいましたか?」
「珍しいものが見えたからつい。よかったらお手伝いしてもいいかしら?」
「はい、是非に」
「今日の献立は?」
奥様の疑問にお答えしつつ夕食の準備を進めてまいります。
さて、使用人としての腕の見せ所でございますね。はりきって参りましょうっ。