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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
宵風に奔走する炎色のアボボラ
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第四章

 グランドも下旬になると町中の空気が一段と騒がしくなる。その理由は当然、間近に控えたハロウィンとサウィンだ。

 古い暦ではハロウィンを一年の終わり。サウィンを一年の始まりとしていたそうだ。

 一日の始まりは、夜中月が天頂を過ぎてから。つまりは夜の内に暦は刻まれ、明け来る朝へと移り変わるのだ。

 そこで一年を一日に例えて、まだ陽の昇らない夜中を作物の育たない冬。日の出と共に命が目を覚ます朝を春。日が昇り大地が最盛を向かえる昼間を夏。再び夜へ向けて日が傾き空気が澄んでいく夕方を秋と捉えて、季節の巡りを日々と重ねていたらしい。

 そんな時の流れがいつかどこかで変化を生み、今の暦へと変化する。一年の終わりを約二月後のフィーストの末日に、一年の始まりをその翌日であるフェリンドの初日に。

 どうしてそんな事になったのかを調べた事もあったが、明確な根拠のようなものは見つからなかった。

 ただ、ある時を境にそう変わった、と言うことだ。余り納得出来る話ではなかったが、調べても分からないのだから仕方ない。

 そんな、古い暦での年末と新年初日に催されるのがハロウィンとサウィンだ。

 昔から冷たい風の吹く冬は作物が育たなかった。今では栽培技術も発達して幾つかの植物は冬でも食べる事が出来るが、それは第二次妖精大戦が終わってからのこと。源生暦と言う大きな流れで見れば、ほんの僅かのまだまだ新しい価値観だ。

 だから食物……命の(にえ)が芽吹かない時節は、大地が眠りに着く時間と考えられ、人の手の及ばない世界……異世界の影響を受けやすい季節だと恐れられたのだ。

 ここで言う異世界とは悪霊や悪魔といった存在の住まう場所。このフェルクレールトでは口にすることも(はばか)られる、()み嫌われる概念だ。

 と言うのも、悪魔は物語にも沢山登場し、主人公たちを苦しめる。その際に、道理の及ばない未知の事象……価値観の向こう側の理屈である、魔法を振りかざすのだ。

 魔法とは読んで字の如く魔の法。悪魔が使う不可思議な力であり、その理不尽には過程や理屈と言ったものが存在しない。つまりは、結果だけの、認めることの出来ない存在だ。

 種を植えなければ植物が育たないように。全ての事には理由が存在する。その過程を全て放り投げて結果だけを現実の物とする魔法は、自然にはありえない悪魔の理と言われたのだ。

 そんな魔法を使う悪魔や悪霊。道理の通らない理不尽が蔓延(はびこ)る異世界。その考え方が、人の手ではどうしようもない自然の驚異と重なって、冬を夜と……悪魔の時間と例えたのだ。

 しかし幾ら理不尽の権化とはいえ、対策をしないわけにはいかない。冬を越して春を迎えなければ、全てが終わってしまうからだ。

 そのための儀式がハロウィンとサウィンだ。

 厳しい冬を越す為に収穫した食べ物を貯蔵し、恵みを与えてくれた大地に感謝を捧げる。冬の間は農作を休み、世界を眠らせることで自然の怒りを買わないようにする。

 同時に冬を歩き回る悪魔達を退ける為に、その物達に仮装して悪霊達からの干渉をやり過ごすのだ。

 一年の終わりに(やく)と別れを告げることで、新たな年の始まりを祝う。ハロウィンが終わればサウィンが始まり、厳しい冬の到来と新年の始まりを祝うのだ。

 これらは全て妖精と出会う前には既に人の文化の中で確立していた儀式で。やがて時代が下り妖精との出会いを()て友好的な関係が築かれると、賑やかな事が好きな彼女達も加わってハロウィンとサウィンが様変わりを始める事になる。

 一説には、冬の間に起きる様々な問題は、妖精達の悪戯だったのではないかと言われているが、事実は定かではない。

 何せ妖精と人が出会ったのも突然の事。元々そこにいた彼女達をある日認識できるようになったのか。それとも何処からかやってきた妖精達が人の目に止まったのか。

 人が先か、妖精が先かと言うその議論に、未だ答えは出ていないのだ。

 ただ、人の手の届かない自然の奥に不自然な自然がこれまで多数見つかってきた事から、妖精は最初からどこかにいて、偶然人の目の前に現れたのだという説が有力らしい。

 それ故に、冬の災いが妖精の悪戯だったのではないか、と言われているのだ。

 一応、根拠……と言うか理由の一つとして、妖精達は自然が深まるほどその身を隠すのが上手になる。その為人の手の殆ど及んでいない場所では目に見えない悪戯をよくされるというのは有り触れた話で。そんな風にして知覚出来ない干渉を受けていたのならば、昔の人がそれを悪魔や悪霊の仕業と考えてしまうのもおかしくはないはず。

 肯定も出来なければ否定も出来ない。過程の曖昧な、それこそ魔法のような推論。

 だからこそ、目に見えない悪魔を恐れる人たちが、目に見える妖精に悪戯をされないようにお願いをする、と言う構図が出来上がるのも無理からぬ事。

 結果、妖精との出会いから、彼女達がハロウィンやサウィンに関わり始めると。異能を扱う彼女達の機嫌を損ねないようにと言う理由から、彼女達に食べ物を分け与えたりしてより友好的な関係を築くようになっていったのだ。

 妖精にとっては楽しく人の文化に触れられ、人は妖精との絆を結べる。互いに利のある関係は、急速に広まって…………そうして今のハロウィンとサウィンが形作られるのだ。

 だから技術の発達により食に困らなくなった事も含め、古い時代ほど悪霊や悪魔といった概念に対して恐れを身近に感じる事はなくなってきているのが現状。年の終わりと始まりの日が変わった事も含め、今では儀式的な意味合いも薄れ、単純にその年の豊作と仮装を楽しむというただ賑やかなだけのお祭りと言うのが、ハロウィンとサウィンの実態だ。

 もちろんそれが悪いというわけではない。あたしとしては賑やかに楽しめて嬉しい話だ。

 そんなハロウィンとサウィン。今年も例年通り開催される催しは、ともすれば一年の中で最も盛り上がるお祭りかもしれない。

 食べ物は豊かで、人々は仮装をし、町中も秋色に彩られる。まるで町丸ごとが異世界に飲み込まれたかのような雰囲気の変貌(へんぼう)は、他のお祭り事にはない盛り上がりを演出するのだ。

 特に子供が嬉しいのは、ハロウィンでお菓子を沢山もらえることだろう。

 悪霊などに扮した子供が家を訪れ、悪戯かお菓子かと問いを投げかける。家人はお菓子をあげることで悪霊を遠ざけ、厳しい冬に厄災が降りかからないようにするのだ。

 これに関しては今のハロウィンで、最も儀式らしい部分かもしれない。

 因みに、悪戯とお菓子の二者択一を迫られるが、答えはお菓子一択だ。そもそも悪戯と言う選択はない。生か死かと問われて死を選ぶような輩はいない。そう言う事だ。

 全ては冬を越し、新たなる芽吹きの春まで耐え忍ぶ為の準備なのだ。


「ま、今は悪霊よりも余程面倒な問題があるけどな」

「まだ国は発表してないんだから。あんまり大きな声で言わないでよ」


 目の前の配慮のない声に、(いさ)めるように告げる。すると返ったのは鬱陶しそうに(すが)められた視線だった。

 折角人が注意してあげてるのに……。


「でも(ほとん)どの奴らは知ってるだろ?」

「知ってても言わないのが普通なの。公式発表がされてなければそれは噂。変に話を大きくして不安を煽ってもいいことないんだから」

「煽ってるつもりはないっての」


 不貞(ふて)腐れるように呟いた幼馴染。そんな彼に溜め息を吐く。

 しかしながら彼……ロベールがそう言葉にするのも理解が出来ない話ではない。

 妖精変調(フィーリエーション)。まだ明確に発表されたわけでは無いが、殆ど公然の秘密として世界に浸透しつつある騒動の名前だ。

 内容は単純に、妖精が本能のままに行動を起こすと言うこと。言葉にすれば簡単で、事実はそれ以上に厄介だ。

 楽しい事を生き甲斐とする妖精は、悪戯を好む。その際の悪戯と言うのは、主にその魂……妖性と呼ばれる個の形に大きく左右される。

 例えば(フェリヤ)属性(エレメント)に愛された子は、気紛れに旋風(つむじかぜ)を起こして行き交う人々に(けしか)ける。その結果手に持っていたものが宙を舞ったり、衣服の裾が捲れあがったりと言うのはよくある話。もちろんそれだけに留まれば、妖精とは無関係な自然現象としても片付く話だ。

 が、妖精変調は違う。かの影響下にいる妖精達は、その悪戯に歯止めが利かなくなるのだ。

 それは、魂のまま人を誘惑して連れ去ってしまったり。はたまた妖精ならざる姿形で顕現し、破壊の衝動を辺りに振り撒いたり。

 それこそ、まるで悪魔や悪霊の仕業と言いたくなる様な、実害のある問題だ。

 あたしも少し前に被害に遭ったから分かる。あれは警戒してどうにかなる(たぐい)のものではない。その気になれば妖精の気紛れ一つで命だって脅かしかねない、直ぐ傍に潜む無差別な危機だ。

 妖精達の悪戯は彼女達の生き甲斐であり感情の発露。だからこそ無益な(いさか)いを無くす為に友好な関係をこれまで築いてきたが、妖精変調はそれさえも簡単に崩してしまう。

 だからこそ危機感と共に噂話が絶えなくて、その事にあたしは危惧もしているのだ。

 妖精の機嫌を損ねれば悪戯をされてしまう。妖精変調とは無関係に存在するその事実が、風評と言う誹謗(ひぼう)や中傷で彼女達の気持ちを傷つけ、本能を刺激しかねないからだ。


「じゃあ滅多な事は言わないで。あたし達は妖精憑き(フィジー)。いずれ気の合う妖精と出会って契約して、妖精従き(フィニアン)になるんだから。妖精の事を悪し様に言うくらいなら、彼女達に寄り添ってあげる方がいいでしょ?」

「けど、だからって不必要に触れ合うとそれこそ危険だろ?」

「だから直接的な話じゃなくて、気持ちの問題。妖精に寄り添えない妖精憑きが立派な妖精従きになんかなれないんだから」

「お説教かよ」

「ロベールっ」

「トイレっ」


 知らず白熱した言い合い。直ぐに冷静になれば、周りの視線に気付いて静かに腰を落ち着けた。

 別に彼を言い負かしたいわけでは無いのだと。

 胸の奥の気持ちを今一度見つめて小さく息を吐き出す。その頃にはこちらに向いていた周りの視線も消えていた。


「シルヴィ」

「喧嘩?」


 問い掛けは目の前に腰掛ける鏡合わせの少女達から。平坦な口調はいつもの事だと、こんな時でさえ調子を崩さない二人にようやくあたしもいつも通りを取り戻した。


「ううん。違うよ。ちょっと議論してただけ」

「うん」

「仲良し」


 飾らず真っ直ぐ言われて思わず口を閉ざす。

 ピス・アルレシャとケス・アルレシャ。ここカリーナ共和国の双子姫はあたしが学園に入ってから出来た友人であり、一方的な恋敵であり、それを知っていながら気に留めている様子のない不思議な少女達。

 彼女達があたしの気持ちに気付いたのは今年の夏のこと。……いや、もしかするともっと前から気付いていたのかも知れないが、彼女達に知られているとあたしが知ったのが夏だった。

 あたしが幼馴染であるロベールに想いを寄せている事に、彼女達は気付いている。だと言うのにロベールから向けられている感情には無関心と言うか無頓着で。少しだけ彼の事を不憫に思ったりもするが、この二人ならばそれも致し方なしと納得さえしてしまう。

 ピスとケスは二人で完結している。そこに余人の入り込む隙はない。だからロベールの気持ちもきっと届かない。……筈だ。


「そういえば二人の予定は?」


 疑問には首を振って答える彼女達。どうやら今はまだ特に用事もないようだ。


「それじゃあまた四人で楽しもっか」

「うん」

「わかった」


 四人で。そこには先ほど席を立った幼馴染が既に換算されている。あれだけ食い違いがあったのに……あたしも大概だなぁ。

 そんなことを考えるのと同時、お手洗いから戻ってきたその少年が首を突っ込んでくる。


「なら仮装は絶対な」

「仮装かぁ。今年は何にしようかな……」

「去年は確か、悪魔みたいな格好してたよな。黒い服で、羽と尻尾を妖精術で生やして」

「覚えてたんだ…………」


 先程の口論も何処へやら。直ぐに未来へと目を向ける。

 そうすれば付いてくるやり取りはいつもの呼吸。

 だからこそそんなことはどうでもよくて。彼が去年の仮装を覚えてくれていた事に少しだけ胸が跳ねた。

 別に嫌な思い出があるわけではない。ただ、彼は例年の事で興味がないと思っていたから驚いたのだ。特別褒めてもらった記憶も無かったから、寂しさよりも諦めの方が強かったのだが。


「なぁ、当日まで秘密にしないか?」

「別にいいけど、どうして?」

「その方が楽しみだろ?」


 また思いつきで…………。

 けれどもしかし、これまでは被りを避けてある程度仮装の方向性を事前に決めていた。そう言う意味では新鮮味があっていいかもしれない。……少しだけ、勝負をしてみようかな。


「……わかった。ピスとケスもそれでいい?」


 頷く双子。彼女達の了承も取り付けたし、今年はそれで決定だ。


「じゃあまずは、思いっきり楽しむ為に試験を無事終えないとね」

「思い出させるなよなぁ……」


 今日は勉強の為に図書館に来ている。目的は間近に控えた試験対策、と……。


「試験の前に」

「発表会」

「ん、そうだね」


 ピスとケスの声に頷く。

 発表会。それはこの前の職業体験学習を終えてのものだ。

 学園に入って最初の実戦形式での社会勉強。その経験をこれから活かす為、良かった所、悪かった所を自分なりに判断して纏め、授業で発表するのだ。

 それぞれが望んで選んだ体験先だ。何かを得ていないと意味がない。

 もちろん発表の形はそれぞれ。文章に起こせないのであれば、物として提出するのもありだ。


「それが終わったら試験で、ハロウィンにサウィン。やる事が山積みだねっ」

「忙しすぎるのもどうかと思うけどな」


 悪態を吐く幼馴染は、どうやら目まぐるしく色々な事をするよりは、一つの事に集中して取り組む方が性にあっている様子。あたしは彼とは逆かもしれない。

 色々な事を経験して、それが一つに繋がった時に遣り甲斐や達成感を覚えるのだ。

 それに気付けたのもジルさんのお店で働いたから。感想を纏める際にはその事もしっかり書いておくとしよう。


「けど、ハロウィンとサウィンが終わったら今度は四大国会談だろ? 今年はカリーナで開催だし、町も結構忙しくなるよな」

水箒(ウィルン・バレ)もあるしね」

「あぁ、そうだった。……でもあれは楽しみだな」


 城下町の大清掃。町全体が海に向けて下り坂となっているカリーナ城下町を、上から大量の水で押し流してあちこちの汚れを取り払う、一日がかりの大仕事。

 上から下へ、一年で溜まったゴミと、汚れと、落ち葉が流されていく様は見ていて面白い。あたしも楽しみな行事だ。

 今年は学園生となったロベールも、(ウィルム)の妖精術で参加する。前々から意欲を燃やしていた彼は、何だか微笑ましかった。


「年末の前には」

「ユールもある」

「そうだな。今年は雪が降るといいなっ」

「降るわけないでしょ、カリーナなんだから」

「分かんないだろ? 妖精が気を利かせてくれるかもしれないしさっ」

「冬に縁のある妖精は、この時期寒いスハイルの方に移動するんだからありえないって」


 妖精は楽しさを生き甲斐とする種だ。だから過ごし易い地域を求めてフェルクレールトの大地を自由に移動する。

 特にこれからの時期は冬と言う寒さに、好きな者は北のスハイルへ。苦手な者は南のカリーナへと集まっていく。

 例え妖精が雪を降らせてくれたとしても、それは冬の好きな子達が、北の地で起こす現象。カリーナではまずありえない。


「けど妖精変調の事があるだろ? あれで例えば────」

「ロベール」

「……悪い」


 流石に言っていい事と悪い事がある。妖精が本能に正直になった所為で被害が出ている所もあるというのだ。まるでそれを肯定するような話は、例え想像でもするべきではない。

 確かにその可能性はあるかもしれない。しかし妖精変調と言う状況が絡むそれを笑顔で容認し、期待するのだけは違う。


「その話し合いも近々行われるんだから、冗談でも言わないで」

「……うん」


 反省して、(わきま)えて。思いつきで言葉を発する幼馴染だけれども、己を(かえりみ)みる事の出来ない馬鹿ではない。

 その素直さは彼の美徳であり、あたしが好きな部分でもあるのだ。


「ほら、宿題終わらせたら発表会の作文も書かないとなんだから。早くやろ」

「そうだな」


 焦点を目の前に向けて集中を傾けながら、少しだけ頭の片隅で思う。

 ……ハロウィンもサウィンも一年の中で最も盛り上がるお祭りなのだ。お願いだから変な騒動とかは起きないで欲しい。

 純粋に楽しみたい。それはきっと妖精たちも同じはずだと。

 願いを胸の奥に灯しながら、手元に意識を落としたのだった。




              *   *   *




 グランドも下旬。学園での生活にも慣れてきた生徒達が、目前に控えたハロウィンやサウィンに最も浮き足立ち易い時期。

 学園の側でも対策として、衝動が一人歩きして学徒の本分を(おろそ)かにしないようにと幾つかの時間を設ける。

 その一つが学園での小規模なハロウィンだ。

 教室単位でハロウィンに因んだ出し物を行い、学び舎全体で彼らの願望を昇華。同時にハロウィンとサウィンへの理解を深めると言う、学びにも通ずる特別学習。

 しかしながらただ楽しい事ばかりを与えるわけにもいかないのが教育と言うもの。

 学園では、ハロウィンの少し前に試験を行い、そこである程度の成績を修めなければ催しには参加できないと壁を設ける。これのお陰で生徒達は勉学をしっかりとこなし、その上で達成感と開放感を催しにぶつけると言う、ある程度こちらの意図に沿った道を歩いてくれる事になるのだ。

 大人のやり口はずるいと思うが、これも彼らが誇りと責任ある一人前になる為の試練。

 それに、苦難を越えた後の楽しみの方が満足感もあるというものだ。彼らにとっても悪い話ではない。

 そんな、ハロウィンの催しと、試練である試験。

 加えてメゾン級の彼らには、今月の頭くらいから特別実習として励んでもらった職業体験学習の発表会も存在する。

 生徒達にとっては酷な日程かもしれないが、しかし後回しにするわけにもいかない。残念だが頑張ってもらうしかないのだ。

 ……なんていう教師の期待に、それぞれが大変ながらも応えてくれたお陰で、今年の発表会は誰も欠ける事無く予定通りに終わる事が出来た。

 今年は本当に優秀な子ばかりだ。担当する側としても嬉しい話。

 さて、そんな教え子が提出してくれた様々な形での報告だが、一番大変なのは彼らの提出してくれた結果にしっかりと目を通して成績を付けないといけない事。

 まぁこれはどんな事に関しても言える事なのだが……担任と言うのは受け持つ生徒一人一人にしっかりと向き合わなければいけないのだ。

 特に今回はそれぞれが違う道を辿り、行き着いた結果。基準があってそれを参考に評価を下す試験とは根本的に違う。

 だからこそ、言葉通り一つ一つを判断しなければいけないのだ。これと比べたら、自らの体験を報告としてまとめ、発表するくらい簡単な事だろう。……大人って大変だ。

 生徒に向けた矛先の分だけ反撃を貰うのだから、教師も楽ではないのだ。


「ふぅぅ…………」


 とりあえず一区切り。とりあえず授業の入っていないこの時間中に出来る限り進めておかなければ。

 職業体験学習の発表もまだ半分しか済んでいない。早くしなければ第二波に押し潰されてしまう。

 終わったら試験問題の作成に、更にはハロウィンの準備も…………。あぁ、考えただけで眩暈がしてくる。

 これは今夜も飲まないとやってられないかもしれない。ここ最近の唯一といってもいい癒しを脳裏に描きつつ、自分の机で伸びを一つ。すると授業中だと言うのに部屋の扉を叩く音が響いた。


「失礼します」

「あ、いた。リゼット先生」

「どうかしたの?」


 職員室の出入り口から部屋の中を見渡して視線が合ったのは、私が受け持つ教室の生徒、シルヴィ・クラズとロベール・アリオンの二人だった。

 この二人は今年入学したばかりのメゾン級でありながら属性妖精術を少し使え、普段の成績や授業、生活態度も申し分ない模範生。今後が楽しみな生徒達だ。

 そんな二人が授業中に抜け出して職員室にやってくる。なにやら問題でも起きたのだろうかと二人に向いたところで、少し困ったように視線を交わした後真っ直ぐに告げる。


「どうしたって、先生。それはこっちの台詞だって」

「先生が来てくれないと授業が始められないんです」

「え…………?」


 二人の言葉に一瞬思考が止まる。呼吸を思い出せば、慌てて手帳を確認した。

 が、そこに授業の予定は入っていな────


「あ、そうか。昨日急遽変更になったんだったわね……。ごめんなさい、直ぐに準備して行くから先に戻っていてくれる?」

「わかりました」

「先生、しっかりしてくれよな」

「えぇ。呼びに来てくれてありがとう」


 先生が来ないのをいい事にそのまま授業を一つなかった事にしない辺り、彼女達の正直さは高潔だとさえ思いながら。

 幾ら忙しかったとはいえ、今回の事は予定の確認を(おこた)った私の責任だと反省する。

 この時間は本来、別の先生が別の教科の授業を受け持つ予定だったのだが、都合がつかない為に昨日その先生の授業と時間を入れ替えたのだ。

 その場で予定を書いておけばよかったのに……後回しにしたまま忘れていた。

 お陰で授業の準備も全く出来ていない……が、そんな事を理由にこの時間を無駄にするわけにはいかない。出来る限りはしなくては。


「大丈夫ですか?」

「えぇ。行ってきます」


 隣に座る男の先生に心配されながら教材を持って教室に向かう。

 既に授業の行われている校内は張り詰めたように静かで。教室の前を通ると時折聞こえる教鞭に、何となく居心地の悪さを覚える。

 まるで自分が授業を抜け出しているような違和感。私が現役で通っていた頃には終ぞ成しえなかったある種の憧れ。

 ……しかしながらこの歳になってある程度自由が利いても、この胸に湧き上がるのは居た堪れなさと焦燥感。どうやら私にとって授業を抜け出すという行いは未知であり恐怖の対象らしい。

 思い返せば至って平凡で真面目な、少し勉強が周りより出来ただけの子供だったのだと過去を目の前に幻視する。この性根は年月を経ても早々変わる物ではないらしい。

 お陰でこうして立派な職に就けているというのであれば、それは胸を張るべき事かもしれないが……。


「ふぅ……。…………よしっ」


 ならばこそ責務はきっちりと果たさなければならないと。

 担任として受け持つ教室の扉を前に小さく息を整え、気持ちを切り替えて中へ。


「遅れてごめんなさい。直ぐに授業を始めるわね」


 私の顔と声に、微かに見えた落胆の色。その辺りは子供らしい事だと少しだけ安堵もしながら、記憶を頼りに前の授業の続きから始める。

 ……大丈夫。別に計画を立てていなくたって、授業は教科書があれば…………いや。その気になれば教科書さえなくても出来るのだ。いつも通りにやるべき事を成すだけだ。




 そんな風に時折心配をしながらも。完璧とは程遠い日々を過ごせば、やがて生徒達にとっても大変な日々がやってくる。

 まずは残りの生徒たちの職業体験学習の発表会。それぞれに興味の湧く仕事を選んで実際に経験し、そこで得たもの、感じた事をこれまたそれぞれの形でまとめて発表を行う、社会勉強の集大成。

 彼らにとってはやはり少しだけ憂鬱なこの時間は、これまでの準備も中々大変だったようだ。

 実際に仕事をするという事に関しては、慎重さと熱意の丁度いい天秤の先に慣れを手にして真新しい世界を垣間見る。好奇心旺盛な年頃の彼らにとっては勉強である以上に娯楽としての意味が強く、その時間はきっと価値のある物だったはずだ。

 が、それが終わり、今度は経験を知識として落とし込もうとすると、そう簡単にはいかない。

 有体に言えば、一つ大きな壁を越えたことで熱が冷めて、それを今一度見つめ返す事が億劫になってしまうのだ。

 その気持ちは私もよく分かる。時間を掛けて試験を作れば、殆ど間を開けずに今度は答案の採点。そこまでで一区切りという言い分は分かるのだが、やはり何か隔たりを感じてしまうのだ。

 だから前の達成感と満足感が、次への足踏みへと変化してしまう。

 分かる。よく分かる。……けれどもこちらとしてはやはり形として残してもらわなければ、彼らの頑張りを判断する基準がなくなってしまうのだ。

 評価のされない努力は意思を(くじ)く。報われなければ意味がない……報われる為の努力は然るべき。何事も、過程無しではありえない。

 そのためにも、彼らの頑張りを評価するのが私の責であり、判断材料として報告が欲しいのだ。

 …………なんて、そんな私の本音を彼らにぶつけたりはしない。代わりに(もっと)もらしい言葉で言い飾って、彼らには彼らの責務を全うしてもらうのだ。


「準備できてない人はいるかしら?」


 確認には、緊張の混じった無言が返る。……よし、第一関門突破。

 毎年では無いが、結構な頻度で一人か二人発表が出来ない子がいるのだ。そういう時は後日改めて個別で……なんて、脅すつもりはないけれど、当人にとっても気の重い話になってしまう。

 事前にその話をした事をきっちり覚えてくれていたのか、そもそもこの子達が優秀なのか。今回はそう言った子は居ないようで一安心だ。

 私としても一度で終わる方が気が楽なのだ。立派な生徒達に恵まれて嬉しい話。


「それじゃあ前の続きから順番にいこうかしら。発表会の感想文とかはないから気負わずにね」


 返事を聞いて頷きながら思う。

 これ以上の強要はしない。

 ただ、望みとして。他の人の発表を聞いて知らない世界の一端に触れ、興味を持ってくれたら……と言うのはある。

 職業体験学習は自分だけの授業ではない。知識と経験を養い、更なる未来への興味を持ってもらう、全員で作る時間だ。

 世界は誰かを中心に廻っているわけではない。その、別の誰かと共に手を取って生きていく為に、理解と興味を深めるのだ。

 誰だって、自分のことは自分だけの問題では無いのだから。

 そんな風に考えながら、始まる発表会に耳を傾け始める。

 ここからしばらくは彼らが主役の時間。その真新しい感性に、私も刺激を受けるとしよう。




 発表会が終われば、次は試験。

 今回は彼らにとって三度目であり、慣れと不安が入り混じり始める不思議な空気を醸し出す。

 二学期の試験は、その授業日数が多いことから必然修めるべき範囲も広くなる。そうすれば試験の問題も多岐に渡り、作る方も解く方もより一層の集中力が問われるのだ。

 とはいえ一つ作ってしまえば後は数を複製するだけ。大変なのは答案が返ってきて採点をするときだ。

 それまでに私は、先の発表会で提出された生徒達の結晶を一つずつ精査し評価を下さなければならない。

 メゾン級を受け持つ度に思う。一年を通して最もこの仕事が忙しい時期。何でこんなに日取りを詰めているのか……。もう少し考えて一年の計画を立てて欲しいものだ。

 なんて、言えもしない愚痴を胸の奥で渦巻かせ、仕方無しに溜め息へと換えて吐き出しながら。

 同じくメゾン級の生徒を受け持つ先生と(つら)さを共有し合ってどうにか目の前に臨む。


「ヌンキ先生」

「はい」

「あの二人はどうでしたか?」

「あぁ…………」


 ただいま、しばらくの休息時間。先輩の男の先生と一緒に無理だけは禁物だと励ましあっての、その合間。

 隣で湯気の立つカップを置いた彼が、何とはなしに尋ねてくる。

 あの二人、と言うのは最早確認するまでもない子達のこと。

 ただ同じ属性に愛されているというだけで、主席入学の特権である教室選びを決めてしまった双子の少女。特別扱いは出来るだけしないようにとお達しを受けた、陛下のお孫さん。ピス・アルレシャとケス・アルレシャ。

 この学園にいる間は二人も周りと変わらない一生徒。しかしながら気にするなと言われて全く意識しないと言うのは無理な話で。年下ながら立場は上の生徒と、平等、そして個性と言う三方の壁に圧迫されながら、どうにかここまで頑張ってきた。

 そのお陰か、先生としてある程度信頼してもらえているようで、学園内で気になったことがあれば真っ先に私を頼ってくれている事に関しては、少なからぬ自負と自信があったりなかったり。

 ……と言うか、他の先生と話をしているところを見たことがないと言うのが実際のところで。だったらもう私が全て受け持てばいいと、同僚からも厄介払いのように一任されている節を感じてはいる。

 なんで私だけ…………と思わなくもないが、折角だ。私が彼女達を立派に進級させてあげるとしよう。成し遂げられればきっと今以上の自信に繋がるはずだ。


「あの子達は特殊と言うか、なんと言うか……。よろしかったら見てみますか?」

「では少しだけ…………おぉ……これは、また…………」


 件の二人の発表に使われた作文を隣の彼に渡す。するとそれに目を通した先輩教師は、感心したように言葉をなくしてくれた。

 想像通り、ピスとケスは全く同じ文言で作文を提出してくれた。発表会に至っては、みんなの前に立って互いに視線を交わすことも無く同じ呼吸で同じ言葉を朗読のように語ってくれたほどだ。

 最初はその不思議さに教室内が驚いていたが、途中から全くずれる事無く声が重なる光景に不気味さを覚えたのか、別の意味で静まり返っていた。

 発表が終わった後の拍手も、私がしていなければ誰もその最初を踏み出してはいなかっただろう。

 同じクラスターで普段を過ごすシルヴィ・クラズとロベール・アリオンは、どこか納得したように微かな笑みを浮かべていた。


「……それで、どうしたんですか?」

「実は城勤めの使用人に一人知り合いがいまして。その人にお願いして二人の仕事の様子を事前に伺っておいたんです」

「なるほど」


 今回の件でジネットさんにはお世話になった。彼女とは、夏の前にいなくなった二人を探した時に知り合って以来だが、それなりに信頼をしていたのだ。

 ともすればもう一人の保護者と考えてもいいほどに、二人のお世話を日頃からしている人。きっと私よりも色々な事に詳しいと、無理を言って話を訊いておいたのだ。


「なのでそれを参考に評価をつけようかと。……逆にそうでもしないと本当に判断がつきませんので」

「……お疲れ様です」

「先が楽しみでもあるんですけれどね」


 過去、あの二人ほど妖精に愛された子と言うのを私は見たことがない。

 だから彼女達が卒業時どんな風に成長を遂げているかと言う想像が、全く出来ない楽しみがあるのだ。

 一体どんな道を辿り、何処に行き着くのか。彼女達でなくとも、その行く末を見守る事が出来る嬉しさも、教師をしていて得る事の出来るもの。

 確かにあの二人の担任は大変かもしれないが、それ以上に期待もあるのだ。


「様々な経験を経て、立派な妖精従きに成長してくれれば、それが何よりの願いですから」

「そうですね」


 それはどんな生徒にも言えること。だからこそ大変でも、この仕事が好きなのだ。


「……さて、生徒達も試験を頑張っている事ですし、私達がだらけていても駄目ですね」

「頑張りましょうかっ」


 互いに励まし合い、休憩を終えて再び作業に取り掛かる。

 教師の仕事は楽しいが、だからと言ってそれで仕事が減るわけではない。一つずつ、着々と。挫けずに片付けていくとしよう。




 試験が終わると学園の雰囲気が一転する。

 その要因は、開放感に折り重なる期待の所為だ。

 試験を終えた彼らは、後は手放しで結果を待つのみ。その達成感に重ねるようにしてご褒美の如くやってくるのが、学園で催すハロウィンだ。

 準備はそれほど長い時間が取れるわけではない。が、普通の授業とは異なる特別感で、世界で最も盛り上がるその一端を仲のいい友人たちと堪能できると言う非日常感が、彼らを突き動かす衝動となるのだ。

 実際の所、発表会に試験と、立て続けに気の重い特別が続いた、彼らへの生き抜きでもあるのだ。もちろん常識的な範囲内で、しかし目一杯楽しんでもらえればそれに越した事はない。

 とはいえただ遊ぶと言うわけに行かないのが学園の行事として認められている理由。生徒達には、ハロウィンやサウィンに纏わる歴史や知識を学んでもらう事が目的の一つ。当日の賑やかしさにばかり目が向けられるが、これも立派な授業なのだ。


「と言うように、ハロウィンは元々悪霊や悪魔と言った存在から身を守る為の儀式なの。仮装をすることにも意味がある、歴史の深いお祭り。だから皆もその気持ちを忘れずに、やってくる冬に向けての準備の意味も込めて、催しを成功させましょうね」


 もちろんこんな話は彼らも知っているほどに有名。しかし教師として、やるべきことはきっちりとこなさなければならないのだ。退屈だろうが話はしっかり聞いて欲しい。

 そんな願いに応えるようにこちらを向く視線に返事が重なる。うん、やっぱり今年はいい子達ばっかりだ。


「それじゃあハロウィンの由来も分かった所で、どんな催し物をするか話し合いましょうか。何か意見のある人はいる?」


 そろそろ集中力が切れ始める子も出てくる。一応必要な事は話し終えたし、ここからは彼らも望む楽しい話へと道を移るとしよう。

 そう考えて本日の本題その二。ハロウィンでの出し物へと話題を変える。

 すると待ってましたとばかりに瞳を輝かせた生徒達が我先にと手を高く挙げて意思を示した。

 基本はいい子達だけれども、やっぱりこういう時は年相応かと小さく笑って。元気のいい彼らに負けないように気持ちを切り替えて臨むのだった。




              *   *   *




 学園でのハロウィンの催しは、仮装喫茶に決定した。思い思いの衣装に身を包み、お客さんをもてなす。

 案を出している途中で、ある女の子が言った一言が教室内の空気を一つに纏めたのだ。

 曰く、この前の職業体験学習でお世話になった人たちを招いてお礼がしたいと。

 学園でのハロウィンには、校外からのお客さんもやってくる。もちろんそれ相応の宣伝はしないといけないが、学校内で収まると言った閉鎖的な行事では無いのだ。

 ならばそれを利用するのも悪くないと。その子の言葉に全員が頷けば、直ぐに方向性も固まって催しが決まったのだ。

 食べ物と仮装はハロウィンにも欠かせない要素。ぼくとしてもジルさんのお店で働いた経験が生かせるから文句はない。

 そうと決まれば次は早く。品書きなどを皆で議論していく。

 既に教室内は授業の様相を呈しておらず、各々に席を立ってあれやこれやと煩雑に話し合っている有様だ。が、リゼット先生が何も言わないからいいのだろう。


「シルヴィは何か案があるのか?」

「案って程じゃないけど、とりあえず食べ物と飲み物だよね。食べ物は簡単に作れて数を作りやすいもの。飲み物も同じかな」

「やっぱりお菓子か?」

「喫茶って名前がついてるから椅子や机は用意するんじゃない? もちろんお菓子でもいいけど、もっとしっかりした食べ物でもいいかも。お菓子なら少し大きいものとか」

「そうだな」


 幼馴染の言葉に頷く。きっと彼女も思い浮かべているのは、ぼく達が職業体験学習を行った喫茶店、『胡蝶の縁側』の雰囲気だ。

 あそこまでしっとりとした雰囲気でなくてもいいから、真似すればそれなりの物にはなるはずだ。


「ピスとケスはどうだ? 何か案はあるか?」


 幼馴染同士で話をしていてもこれ以上の進展はないと。新たな価値観、想定外の特別を求めて尋ねる。

 向けた視線と声には、鏡合わせに首を振る仕草。そんな彼女達に安堵さえ覚えながら変わらないいつも通りを見つめる。

 異なるのは頭の横でそれぞれに括った亜麻(あま)色の長髪。それ以外は、瞳も、背丈も、雰囲気も、言動さえもまったく差異のない不思議な双子。

 ぼくが想いを寄せる少女、ピスとケス。同じクラスターで学園生活を共にする、理解と無秩序の間に住まう女の子だ。


「ピス達は使用人」

「接客がお仕事」

「そっか。けどそれなら注目は集めるかもね。陛下のお孫さんが接客してくれる唯一のお店。いい売り文句じゃない?」

「友達を売るのかよ」

「もちろんピスとケスがよければだけれど」

「大丈夫」

「頑張る」


 幼馴染、シルヴィの声にこくりと頷いた二人。陛下のお孫さんが接客……確かに宣伝文句にはいいかも知れないが、逆に人が集まらない気がする……。


「目玉にするのはいいけどさ、二人の為の喫茶店じゃないんだからそれを大々的に掲げるのはどうかと思うぞ? 皆で作る催しだろ?」

「……ロベールの癖にまともな事言ってる」

「言っちゃ悪いかよっ!」


 よく知る呼吸。本当に怒っているわけではないと互いに知っているからこそ、(たしな)める様なその意見にシルヴィも反省する。


「ん、ってことでさっきの話はなしね。やるならみんなで頑張ろう」

「シルヴィさ、ジルさんのところで働いてからそういうずるい事ばかり思いつくようになったよな」

「ずるいって……。商売は戦場なんだから、使えるものは使うのが当然でしょ?」

「一体何と戦ってるんだよ…………」


 呆れて呟けば、シルヴィはくすくすと肩を揺らした。

 別に売り上げを競っているわけではない。繁盛したからといって見返りもないのだ。

 ……まぁ商売で売り上げを気にしないで何を目標にするのかと言われればその通りなのだが……。


「大丈夫。本気でそんなこと考えてる訳じゃないから。ジルさんのお手伝いが楽しかったのは事実だけどね」

「まぁな」


 そこに関しては同意する。大人の世界でしっかりと働くという経験は貴重で為になった。学生でなければ、あのまま働き続けるというのも楽しいだろう。

 が、残念ながらぼく達は学徒であり、将来は家名を背負う立場にいる。そう言う家系と繋がりを持たない限り、ありえない未来だ。


「さて、冗談はこれくらいにして、本気で話し合わないとね。時間が幾らあっても足りなくなるよ」

「誰の所為だよ、誰の」


 悪態吐きつつ話に本腰を入れる。

 ハロウィンまで余り時間もないのだ。無駄話をせず、手早く準備に取り掛かるとしよう。




 案を出したその日の内に詳細まで決めれば、後は当日に向けて準備を進める日々だ。

 当然学園の授業はあるが、ハロウィンに合わせて催しを準備する為の時間もしっかり取られる。

 事前に決めた予定通りにそれぞれが動き出せば、他の教室も賑やかになり学園全体がにわかに熱を帯びた気がした。


「これで全部か? 結構少ないな」

「今日は試作だから。決まれば先生に言って、学園を通して材料を大量発注するんだって」

「なるほど」


 そんな学園から飛び出して、ぼく達のクラスターは買出しへと町に出ていた。

 頼まれたのは喫茶店で出す食べ物の材料。シルヴィの言う通り、これは試作品を作る為のものだ。

 制作時間や、そもそもおいしい物が作れるか。そんな色々を確認して、可能であればそのまま本格的な材料調達へと、と言うことらしい。


「シルヴィ、こっち頼んでいいか?」

「え、うん。いいけどなんで……?」

「だってそっち粉だろ?」

「………………」

「なんだよ」

「なんでもないっ」


 じっとこちらを睨んでくれた幼馴染。よく分からないまま重い袋を手に持つ。

 シルヴィは今日よく咳をしていた。彼女曰く単に空気が乾燥していて喉が痛いだけらしい。熱もないようだから、風邪を引いているわけでもないようだ。

 まぁこれも毎年の事。シルヴィは秋から冬の時期にかけてこういうことが多いのだ。もちろん対策もよく知っている。きっと明日にはある程度よくなっていることだろう。

 重篤(じゅうとく)な病気でないことは確か。だが、咳で辛そうにしている彼女に重い荷物を持たせるのは見ているこちらの心が痛む。もしそれで落として破けたりしたら面倒な事になる。

 だからこうして彼女に代わり重い荷物を肩代わりしているのだ。

 逃げるように足を出したシルヴィに追い着けば、彼女はまた一つ咳を落として小さく呟いた。


「……ありがと」

「おう」

「ロベール」

「優しい」

「当然の事をしてるだけだって」


 言うならもっと面と向かって言えばいいのに。一体何が恥ずかしいのかと、けれども詮索はしないまま足並みを揃えて学園への帰途に着く。

 そんな道中、雑談の端に映った景色の微かな変化を音にした。


「そう言えば妖精が増えてきたな」

「ハロウィンは楽しい」

「楽しい事が生き甲斐」

「だな。町も少しずつハロウィンの準備がされてるし、当日は沢山の妖精も遊びに来るだろうな」


 ピスとケスの声に頷く。

 元々は授業でも聞いた通り人の世界で生まれた儀式。けれども今では妖精と共に楽しむお祭りだ。

 自然の権化のような妖精達は、少し視点を変えると豊穣の守り手でもあるのだ。今の友好な関係を続けていく為にも、彼女達に感謝すべきことはたくさんある。

 妖精の協力があって今の豊かさがある。彼女達のお陰で今年も沢山の実りに恵まれた。そのお返しとして、ハロウィンの一端では彼女達のもてなしも目的に含まれているのだ。

 それを知っている子達は、こうしてハロウィン当日を今か今かと待ち侘びるように人の世界に姿を現し、当日になればそれは楽しい空間を演出してくれたりもする。

 妖精と関わればもちろんそれだけ多くの問題も同時に起き易くなるのだが……基本的に楽しさを優先する彼女達との時間は、陽気であればあるほど平穏という不思議さ。

 ならばぼくたちも思いっきり楽しんで同じ時間を共有するだけだ。

 そんな風に考えながら掌に食い込む袋の取っ手を持ち直す。と、不意に掌に掛かる力が無くなるのと同時、どさりと言う重いものが落ちるような音が直ぐ傍から響いた。

 見れば袋の底が刃物のように切られ、中に入れてあった粉の袋が地面に落ちていた。


「……ロベール」

「いや、ぼくじゃないって。これは…………」


 拾い上げながら行き交う人の流れに視線を向ければ、そこには口元を押さえて小さな体を揺らす妖精の姿があった。

 通りすがりに悪戯で袋を切られたようだ。風の妖精術だろうか。中の粉の袋まで破けなくて助かった……。


「でも、これも少し問題かもね」

「仕方ないだろ。彼女達の生き甲斐だ」


 ぼく達と目が合ったその妖精は、笑い声を残して逃げるように人の合間へと姿を消す。一々こんな事で怒っていては妖精と歩む世界で生きてはいけないと溜め息を吐いて腕の中に担ぎなおした。


「ハロウィンが始まるまでの辛抱だ。そうすれば悪戯も減る」

「報告だけはしとかないとね」

「あぁ」


 学園に報告すれば、話は巡り巡って軍などに行く。妖精変調と言う状況下だからこそ、些細な情報でも何かの役に立つと、色々な情報を集めているのだ。

 研究者が調べ、対策し、軍の人たちが実践する。これまでと何も変わらないその流れの為に、妖精と共に歩む身としてどんな小さなことでも糧になるようにするのだ。

 と言うか、妖精の悪戯を受けたという被害は学園に報告する義務がある。必要であればそれ相応の対処もしなければならない。国や世界のため、なんて大義名分より、まず自分の身を守る為の行動なのだ。


「これなぁに?」


 と、一難去ったところでまた一難。声を掛けてきたのはこれまた妖精で、どうやら今し方のやり取りを見てぼく達が妖精の見える側だと気付いたらしい。

 妖精の悪戯は基本的に相手を選ばない。その対象には妖精の見えない者も含まれる。

 が、やはり反応があった方が彼女達も悪戯をして楽しいのだろう。だから見えない相手よりも見える相手の方がよく標的にされやすいのだ。

 まぁ、契約しているとそれも随分と減る……。つまり、契約をするまでの妖精憑きとしての日々が、最も自由な妖精と関わりを持ちやすい時期なのだ。


「食べ物の材料だよ。ハロウィンにお菓子作るから、よかったら遊びに来て」

「んー、気が向いたらねっ」


 シルヴィが毅然(きぜん)と興味の矛先を逸らす。すると熱し易く冷め易い彼女達は疑う事無くその言葉に乗って直ぐに離れてくれた。

 妖精との付き合い方の勉強、と言えばそれまでだが、一々矢面に立たされる身としてはやっぱり少し面倒だ。


「早く戻らないとまた絡まれそうだな」

「急ごっか」


 学園に向けて足を出す。その後も何度か妖精に興味を持たれ、その度に色々言い訳を振りかざしてどうにか切り抜けた。




 学園の敷地に入ると、シルヴィと二人溜め息を吐く。

 学園には基本野良の妖精は入ってこない。別に結界があるわけでは無いが、妖精の方が避けているのだ。

 恐らく妖精従きが沢山いるからなのだろう。

 野良の妖精達にとって妖精従きはある種の憧れだ。

 契約をすればそれを介して妖精力を受け取り、興味を満たす時間が大きく延びる。妖精従きの傍で自由を縛られると言う側面もあるが、波長の合う相手と契約をすればそれも最低限で済む。

 事実、ぼく達の担任であるジネット先生は殆ど契約妖精と一緒にいることはない。それが二人の関係であり、互いが納得していることだからだ。

 目立った(いさか)いのない今の時代だからこそ、と言うのもあるかもしれないが。そう言う自由を得られる契約は、彼女達にとっても得のある話なのだ。

 それに付随するように、人の側は人生の伴侶とも言うべき相棒を見つけて、その身に宿った力との向き相方を更に明確にしていく。

 互いに利のある関係……その前提がなければ成り立たない契約だが、だからこそその先にある物を求めて縁を結ぶのだ。


「にしても多かったな。去年こんなだったか?」

「もっと少なかったよ。今年は多分、妖精変調があるから」

「まぁそうだよなぁ……」


 妖精が理性の(くびき)から解き放たれ、本能のままに行動するという現象。ぼくが知る一番新しい情報では、その兆候が見られるのが契約をしていない妖精だけと言う事だ。

 ハーフィーやクォーター。契約をした妖精はそこに含まれない。異種族であり精霊術と言う特別な力を使うエルフにも今のところ影響はないという。

 つまりこれは何処とも繋がりを持たない妖精にのみ起こる現象。そしてハロウィンにはそんな妖精が楽しさに惹かれて沢山自然の中からやってくる……。


「ハロウィン、何事も無く開催できるといいな……」

「不穏なこと言わないでよ…………」


 同じ事を思っていたのか、シルヴィの声にも覇気はない。

 楽しさに惹かれてやってくるということは、その熱に浮かされて人と同じように箍が外れやすいと言う事だ。

 盛り上がり過ぎれば新たな問題も起き易くなる。そこに妖精変調が絡んだら……。そう考えると不安になるのも仕方ないのだ。

 ぼく達にとっては学園に入って最初のハロウィンやサウィン。学園での催しもあるし、無事に楽しく過ごしたい。


「……とりあえず早く戻ろう。ここだっていつまで安全か分かんないし」

「シルヴィこそ怖いこと言うなよ……」


 学園はある種心の拠り所。もしこんな人の沢山いる場所で騒動が起きたら……。過ぎった想像が、冬の近付きつつある空気を風に乗せて首筋を嫌に生々しく撫でた気がした。




              *   *   *




「そうか……」


 彼女達から貰ったお菓子を食みつつ語られる話に相槌を打つ。

 家主に隠れての夜毎(よごと)の会談は、しかしここ最近でとても有意義な時間だ。


「分かった。おれももっと注意しておく。何かあったらまたこれで」


 言って取り出した小さな石炭を彼女達に渡す。掌の中で淡く橙色に熱を放つそれは、おれの代名詞だ。


「お菓子美味しかった。じゃあな、ピス、ケス」

「うん」

「またね」


 同じ調子で小さく手を振る双子に別れを告げて宵闇の下を彼の下へと飛ぶ。

 ピスとケスから聞いた話。それは近頃多数目撃されている妖精達の言動だ。

 人の世界ではハロウィンとサウィンが近い。その為普段は人前に姿を現さない自由を愛する者達も楽しさに惹かれて顔を覗かせる。

 もちろんそれだけなら問題ないが、今は微妙な時世だ。聞いた話では、誰も彼もがその可能性を秘め、知らぬ間に一歩を踏み出しているという妖精変調。

 自覚するのはしでかした後。彼女達の多くはそれに気付かない。

 だからこそ胸の奥のざわめきを無視出来ないのだ。

 揺らめく炎は魂の一片。悪辣と、本能と、石炭と。この身、この魂を形作る本懐は、最早おれ一人では片付けられない。


「急がないとな……。もう待ってくれないぞ……!」


 昂ぶる焦燥が燃える。

 その燻りが、平穏に降り注ぐ火の粉にならない事を祈りながら、憂い抱えて道を見据える。

 足りない、あと少し……どうする?

 篝火(かがりび)の様に点在する町の中の不穏を見ながら、唇を噛み締めて心のままに願う。

 揺らめく境界線が、直ぐそこに見えていた。

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