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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
白き学都の双子姫
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第三章

「まじかぁ…………」


 思わず飲み込んだ感嘆と驚愕の声を隣の幼馴染が零す。もし彼が口にしていなければ今頃似たような事を自分も言っていただろう。

 それもそのはず、今あたしとロベールの目の前には我が国、カリーナ共和国の象徴である城……白皙城(ヴァイスシューレ)の別名を持つ白亜の城が(そびえ)え建っているのだ。

 一体何故こんな事になったのか。話は今朝……いや、昨日にまで遡る。

 昨日一日掛けて登った山での課外授業。途中予想外の事も起きたその後に、きっちり四人でリゼット先生に怒られて反省して。学園まで帰って後は解散を残すのみとなったその時に先生が告げた宿題の変更。

 元の予定では個人で書いて提出予定だった感想文を、一緒に行動したクラスターで協力して纏め、週明けの授業で発表会をすると言う話。もちろん想定外に幾つかの声は上がったが、これもまたクラスターとして共に過ごす仲間との絆を深めるためだと説明されれば頷くほか無くて。

 そうして渡された発表に使う感想資料の例が描かれた紙を貰った際に気付いた。そんな配布物があるという事はそもそもそうするつもりだったと言う事。つまりは最初からクラスターで感想文を提出するために、クラスターで行動をさせた。それが出来ていなかった組はきっとこの感想文の製作に苦労すると言う、これは仲間内での協力や集団行動を試す授業だったのだと。

 気付いてしまえば、出発前に先生が口うるさく言っていた意味もよく分かる。

 さすがはカリーナ一の……()いてはフェルクレールト一とさえ言われる学び舎だ。子供相手でも容赦なく、約束も守れない、言葉の裏も読めないような生徒がいい成績で卒業出来るような生易しい場所ではないと言う事だ。

 ならばと、幼馴染に燃やしていた対抗心の向きと色を変えれば、確かな意欲として納得する事が出来た。

 その帰り道。週明けの発表なら学院の授業が無い週末に皆で集まって作らなければならないと相談をして。するとピスとケスの二人がいい場所があるからそこを使おうと提案をしてくれた。

 その場所の指定が今朝になって家に手紙で届いていて。書いてあった文面に二度以上読み直して真実である事を確認し。更にロベールとも照らし合わせればいよいよ緊張以上の何かが込み上げてきたのが少し前の事。

 それから、けれども足踏みしていても仕方ないと覚悟を決めてやってきたのが、ここカリーナ城だ。

 二人の招待には、城門のところまで来て欲しいと書かれていたが、今はそれどころではない。

 何せここはこの国の中心。何の理由も無く子供が足を踏み入れる事の出来る場所ではない、大人の世界。一応それなりの家であるロベールのアリオン家や、あたしのクラズ家でも、必要が無ければ呼ばれもしない聖域だ。

 そこに、ただの学生の身として、彼女達のクラスターとして招かれたのだ。緊張しないわけが無いだろう。しすぎて、正装がどうとか母親に確認し、制服でいいのだと(さと)されたくらいには動転していたほどだ。

 一歩を踏み出せば、そこからは未知の世界。擦れ違う人達は世界を動かす大人で、ともすれば次代の大統領候補や、そも現大統領であるグンター・コルヴァズ陛下を直接お目にする機会だってあるかもしれない場所。

 そんな城を目の前にしていつも通りでいればいいなんて、大人が簡単に言う無茶は不可能だ。

 隣のロベールも普段のやんちゃはどこへやら。横顔にはらしくない焦りが今更に浮かんでいて、彼がそうであると言う事実にあたしまで喉の奥が渇いて来る。


「ロベール・アリオン様。シルヴィ・クラズ様でいらっしゃいますでしょうか」

「へっ……は、はいっ!」


 唐突に響いた声。呼ばれた名前に肩が跳ねて反射的に返事する。首が痛くなるほどに城に向けて上げていた視線を目の前に向ければ、いつの間にかそこには人立っていた。

 白と黒の仕着せに身を包んだ女性。使用人なんて、家にもいて見慣れているはずなのに……。目の前の彼女は自分の知るそれらとは違うと感じてしまうのは、ここが憧れ以上の意味を持つカリーナ城だからだろうかと益体も無く考える。


「わたくしアルレシャ家にお仕えする使用人のジネット・シンストラと申します。ピスお嬢様とケスお嬢様のご学友のお出迎えに参りました」

「あっ……と……。シルヴィ・クラズですっ」

「………………」

「……ロベールっ」

「はぇ……? ……あ、あぁ! えっと、ロベール・アリオンです」


 呆けていた様子の幼馴染を横肘で軽く突いて再起動させる。慌てたように名乗った彼に、目の前の彼女は静かな一礼をして踵を返した。


「それではご案内致します。どうぞこちらへ」

「あ、はいっ」

「お、お願いします」


 敬語は滅多に聞かないロベールの口から。それほどに彼も呑まれていると言う事だろうか。

 そう考えると隣に彼がいる事に少しだけ冷静さを取り戻す。人間、自分より混乱している存在がいると少し平静を保てるらしい。

 そんな事に気付くの同時、前を歩くシンストラさんが優しく音にする。


「学園ではお嬢様と仲良くしてくださりありがとうございます。お二方の事はお嬢様から幾度かお話に聞いております」

「あ、その……こちらこそ色々助けられてて……」

「これからもお嬢様の事をよろしくお願いしますね」

「……はいっ」


 実を言えばまだまだ二人の事を理解出来てないの方が多い。……いや、それが殆どだろう。けれど少なくとも、嫌いにはなれない……。だって彼女達は、何時だって正しいと信じているから。その一端が、どこかにあるから。

 周りから見ると二人は突飛押しも無くて常識外れなのかもしれない。しかし、少しの間でも隣で見てきたからなんとなく分かる。彼女達は、真実しか追い求めていない。真っ直ぐで、危なっかしいほどの言動は、何時だって何かにとっての正しさなのだ。

 その事さえ分かっていれば、友達だと言ってもいい気がする。そう理解してあげたいくらいには、あたしが友達になりたいのだ、と……。胸の内で燃える思いを自覚して小さく息をすれば、シンストラさんが足を止める。どうやら目的の部屋に辿り着いたらしい。

 考え事をしていたせいか、道中不必要に緊張して恥知らずな事をしなくて済んだようだ。


「お嬢様。ご学友の方々をお連れいたしました」

「うん」

「どーぞ」

「失礼致します」


 言葉の端から聞いて取れる主従の関係。信頼さえ滲ませたその音に、もしかしてすごい人に案内されたのではと内心で思いながら。開かれた部屋に通されれば、中には窓から外を眺める二人の背中を見つけた。


「えっと……おはよう」

「おはよう」

「いらっしゃい」

「お、おはようっ」


 緊張しきった声は、けれども先ほどとは違う色。見れば隣のロベールがいつもの盲目を振りかざしていた。

 ……ロベールの事は嫌いじゃないけど、このロベールは嫌。


「ジネット、お茶」

「美味しいの」

「畏まりました。しばしお待ちを」

「座って」

「始めよう?」


 そんな事を考えていると二人に促されて腰を下す。

 そうだ、今日の目的は出された課題の製作。まずはそれを終わらせるのが先決だ。

 頭を切り替えて小さく拳を握る。そして可能ならば、今日でもっと仲良くなるのだっ!




              *   *   *




 茶器を持ってお嬢様のいるお部屋に戻れば、既に今日の目的である資料作りが始められていました。

 ここに来るまでは随分と緊張されていた様子のお二方でしたが、目の前のやるべき事には真剣に取り組まれる未来溢れる方々のようです。少々声にぎこちなさも感じられますが、まだ知り合ったばかり。これからきっと、もっと、親密な間柄になられるのだと、そんな予感に少しだけ口元が緩んでしまいます。

 よいご友人に恵まれましたね。


「……ジネット?」

「どうかした?」

「いえ、何でもございません。お手伝いをさせていただきますので、お二方も必要であれば遠慮なくお申し付けください」

「ありがとうございます、シンストラさん」

「どうぞお気軽にジネットと呼んでくださって結構ですよ」

「はい、分かりましたジネットさん」


 言動の端から感じられる育ちのよさ。お嬢様の身の回りを預かる身として失礼ながら幾つか調べさせて貰いましたが、お二方とも名のある家柄に育った御子息と御息女でございます。

 お嬢様とはまた違った環境でご成長されたお二方は、名家の跡取りとしてその名に恥じない振る舞いを身につけているご様子。ともすれば一般的に名家の出と言えばお二方の方がそれらしいかもしれません。

 ですがお嬢様はお嬢様。誰と比較するでもなく、アルレシャ家の鏡写しの珠玉として才気に満ちたわたくしの愛すべき主でございます。

 そんなお嬢様にお仕え出来る幸運を光栄だと思いこそすれ、不満を抱いた事などこれまで一度もございません。


「あの……」

「はい、いかがなさいましたか?」

「その……定規を」

「しばしお待ちを」


 わたくしとした事がとんだ失念を。直ぐにと腰を折って廊下に出れば、目的の物を手に持って戻ってくる最中、廊下で大統領陛下をお見掛けしました。

 当然の事として端に寄り、静かに一礼をします。すると────


「む、ジネットか。……そう言えばピスとケスが来ているのだったな」

「はい。ただ今テトラフィラ学園のご学友と共に課題の製作をなさっておられます」

「いつごろに終わりそうかね?」

「早ければお昼過ぎには。よろしければご連絡を差し上げましょうか?」

「あぁ、頼む。二人に頼みたい事があるでな」

「承りました」


 新たなる命を受けて確かに刻み込めば、陛下をお見送りしてわたくしも目的地へと足を出します。

 わたくしは、元々このカリーナ城で奉仕させていただかせておりました。その折に、陛下の命を受けて現在のご主人様であるアルレシャ家に仕える身となり、そこでお嬢様に出会ってお二方の身の回りのお世話を仰せつかりました。

 だからと言えばその通り。元々わたくしがいたのはこの場所であり、もちろんの事今でもこの国の主であらせられるグンター・コルヴァズ大統領陛下の事は是非も無く頭を垂れるお方として敬服しております。

 どこかで何かが違えば無かったかもしれない今。既にお嬢様のいない生活など考えられない身からすれば、それ以外なんて想像も出来ない事ではありますが。あの時この身に目を掛けていただいた事には感謝をしてもしきれません。

 だからこそアルレシャ家の侍従として、そしてそれ以上にカリーナに仕える使用人として、立場に恥じぬ矜持を胸に主の日常を陰ながら支える者であれればと今を生き続けるのです。




 お嬢様が宿題に励んでいらっしゃる部屋に戻ると、椅子から離れて忙しそうに話し合いをしておられました。


「定規をお持ちいたしました」

「あ、ありがとうございますっ」

「それじゃあ早速始めるわよ」

「シルヴィが仕切るなよっ」

「うるさい。早く下書き通りに線引いてっ」


 どうやら随分と仲がよろしい様子です。そう言えばお二方は幼い頃からの付き合いでしたか。

 残念ながらお嬢様に幼少の(みぎり)より親交を深めていらっしゃる同年代のご友人はございません。しかし、時に友のように他愛ない話やお付き合いをさせていただいた身からすれば、きっとわたくしがその関係に最も近しい人物なのでしょう。

 主従であり、友人である不思議な関係。他の家には存在しないだろう曖昧で確かな関係に、少しだけ満悦感を得ます。なぜならそれは、自惚れとしてお嬢様の最も信頼するに足るお相手と言う名誉を戴ける身分でございますから。


「シルヴィ、出来た」

「貼る?」

「うん。じゃあ、えっと……そっちの角に」

「分かった」

「ジネット、のり」

「こちらに」


 お嬢様の申し出にお答えしつつ、その端に聞いた友好の証に小さく笑みを浮かべます。

 お嬢様がお名前を覚えると言うのは極めて稀なお話です。それはお嬢様にとって言葉以上の印であり、信用の証なのです。

 今までにお嬢様が口にされた名前は少なく、お爺様であるグンター・コルヴァズ大統領陛下。お父上であるルドガー・アルレシャ様、お母上であるジャスミーヌ・アルレシャ様。伯父上でいらっしゃるアロイス・コルヴァズ様。そしてわたくし、ジネット・シンストラと、僅かの人物のみと記憶しております。

 そこに今回、シルヴィ・クラズ様と、そしてロベール・アリオン様が加わったご様子で。それらの方々がお嬢様に認められた特別でいらっしゃいます。

 また、お二方に関しては学園で勉学を共にするクラスターの──同じ年のご学友でもございます。その点で言えば、年の近いご友人が出来たと言う事実はとても喜ばしい事だとわたくしも嬉しくなります。

 願わくば、お二方が末永くお嬢様の良き友として隣を歩んでくださる事をこれ以上無く期待しているのです。


「ジネット」

「喉渇いた」

「直ぐに準備致します。お二方はどうされますか?」

「……じゃあお願いします」

「畏まりました」


 提案には顔を見合わせたお二方がそれから一つ頷いてご返答を下さりました。一礼して承れば、慣れた仕事を初心に帰って丁寧にこなし、四人分の紅茶をご用意致します。

 立ち昇る湯気。天井を反射する深い琥珀色の水面。青い線で模様の描かれた白いカップを揃えて課題の妨げにならない場所に差し出せば、焼き菓子と一緒に口に運びながら宿題に一層没頭されていきます。

 そんな四名をお傍で見守りつつ、必要とあらばご用命にお答えして時が過ぎていきます。

 休憩と共にお昼を挟み、それからまたしばらく机上の課題に取り組まれれば、もう少しで完成となった頃に少しだけお時間を戴いて部屋を離れます。

 さて、ではわたくしも仕事と参りましょう。……今し方のお嬢様のお手伝いが仕事ではないのかと言われればそれは否定する事柄でございますが、わたくしにとってはお嬢様のお相手は仕事と言うよりも毎日の異なる日課でございます。

 言ってしまえばお嬢様を中心に回っているわたくしの生活。切っても切り離せないその関係に、無粋な感情を挟むつもりはございませんが、仕事以上の達成感を得ているのは確かでございます。

 役得、と申せばよろしいのでしょうか。わたくしにとってはお嬢様にお仕えする事が至上の喜びなのです。

 だからこそ、それ以外の仕事もきっちりとこなせますし、苦など感じないのです。

 ……あぁ、お嬢様。わたくしはお嬢様が信頼を預けて下さるその限りまで、この身を賭してお仕えする事を誓いましょう。叶う事ならば、この先の全てをお嬢様の傍で見守らせていただきたいのです。

 そのためにも、今は今を。ジネットはジネットとして歩みを進めるのでございます。




              *   *   *




「……できた…………」


 疲労と満足の音が自然と口から零れる。軽く眩暈を覚えて椅子に腰を下せば、天井を仰いで溜め息が漏れた。


「うん、いいね」

「かんせー」

「お疲れ様」


 続いた声は幼馴染のシルヴィと、同じクラスターとして共に作成した双子、ピスとケスのもの。彼女達の声にそれからようやく実感が湧いて来る。


「お疲れ様です皆様。紅茶をいれましたのでどうぞ」

「ん、ありがとジネット」

「いただきます」


 ずっと傍で見守り、時に必要な手を貸してくれた使用人……ジネットさんが労いの言葉と共にカップを用意してくれる。

 この紅茶も、味さえ気にせず何度飲んだか分からないほどに集中していた課題。意見の衝突も幾度もあって、気付けば遠慮なく話し合える間柄になった事に、終わってから気付く。

 けれどそれさえも少し遠い事のように、今は達成感が体を支配していた。


「……あぁ、でもまだ昼を少し過ぎたくらいなのか…………」


 窓から見えた陽の位置におおよその時間を確認して独り言のように零す。すると返ったのはジネットさんの声だった。


「間食を用意しておりますので、どうぞそちらをお召し上がりになってからご帰宅ください」

「え、でも……」

「大丈夫」

「おいしいから」


 シルヴィの逡巡に答えた二人。少しだけずれた声に、こみ上げてきた笑みを零せばこちらを見つめた二つの視線が首を傾げた。


「いいじゃねぇか。シルヴィだって疲れただろ? 休憩して帰ろうぜ」

「んー……。……うん、分かった。お言葉に甘えます」

「ジネット」

「今日は何?」

「本日はフラガリアのケーキをご用意しております」


 フラガリア。春に旬を迎える円錐状の赤い果物で、甘いその実は程よい酸味と調和して口の中に広がる芳香が特徴的な、苦手な者の殆どいない食べ物だ。よくお菓子や果醤(ジャム)に使用されていて、近い種には様々な色や形、味をした物が存在する。

 ロベールもよく山に生っている野生のそれを千切っては口に放り込んでいて、好きな果実の一つだ。


「後ほどご用意致しますのでお楽しみにお待ちください」

「分かった」

「手作り?」

「城仕えの菓子職人が飴細工も駆使して拵えた一品になります」

「ん」

「分かった」


 説明に、思わず腹の奥がくすぐられて音が鳴りそうになるのを我慢する。紅茶や焼き菓子もそうだったが、ここはカリーナ城。一級以上の物が集まるこの国の要。彼女達が現大統領であるグンター・コルヴァズ陛下の孫であると言う事も相俟ってか、出てくるもの全てが普段とは違うそればかりだった。

 その事を考えれば贅沢以上のケーキが出てくるのは想像に難くない。自慢をすれば羨望と共に嫉妬さえ集めるものだろう。

 ……が、答えたジネットさんの声に返った二人の声は、どこか小さく響いて。それがロベールにはがっかりしているように聞こえたのは、まだ彼女達と付き合い初めて日が浅いからだろうかと少しだけ邪推する。


「それから、お嬢様に一つご連絡が」

「なに?」

「どうしたの?」

「間食を終えた後に、コルヴァズ大統領陛下がお話があるとの仰せです。ご足労願えますでしょうか?」

「お爺様?」

「分かった」

「ありがとうございます」


 次いで跳び出した陛下の名前。そしてそれ以上に、二人が何がしかの理由で指名された事実にこちらの肩が知らず跳ねる。

 ……いや、二人は陛下のお孫さんだから別におかしな事ではないのだろうが、だとしたら急ぎの用でもない限り今する話ではないように思う。彼女達と同じ側に立って考えて見れば、内々の家族の話を友人のいる前でするだろうかと言う話。

 無粋な勘繰りだというのは承知の上。けれどだからこそ、そう言った類の話ではなく、()つ二人の意見が必要な案件が直近に控えていると言うことだ。

 これでも将来は名のある家を継ぐ身の上。まだ学園に入ったばかりの子供と侮る無かれ。簡単な大人の話くらいは推察出来るのだ。


「……ロベール、いらない事言わないでよ」

「分かってる」


 小さく耳打ちして来たシルヴィに頷く。どうやら彼女も気付いたらしい。

 逃れられない宿命だ。今更あがこうとは思わない。ならばこそ、その未来のために今から少しでもその才気を養っておくべし、と言うのが常日頃から父さんに言われているアリオン家の訓示の一つだ。

 武の家ではないが、常在戦場。学園だって立派な社交場。これからの五年間で重ねるものは、卒業後にも大きく影響してくると知っている。その勉強も怠る事無く、学生である事を満喫して来いと言うのが入学式の朝に母さんに言われた事だ。

 だから勇気を出して、今ここにいる。

 二つの勉強の両立。もう戻る事の出来ないその最初の第一歩……あの時ピスとケスにかけたその言葉が間違っているとは思わない。決断を振り返るのは愚か者のする事だ。


「それではわたくしは軽食の準備をしてまいります。しばし失礼致します」

「うん」

「いってらっしゃい」


 そんなこちらの少し不敬な邪推に、きっと気付いているのだろうジネットさんが一礼して部屋を出て行く。と、シルヴィと二人示し合わせたように小さく息が漏れた。


「どうしたの?」

「疲れた?」

「あ、ううん。何でも無いの。お茶がおいしかったから」

「そうそうっ」

「うん」

「おいしい」


 シルヴィの言葉に乗っかれば、また一口紅茶を飲んだ二人が確かめるように零す。二人には、気付かれなかったかな。……何だかその辺、二人は余り気にしてなさそうな気もするけれど。

 そんな事を考えた直後、手元に落ちていた二人の視線が急にこちらを向く。


「どうするの?」

「このあと」

「へ……?」

「宿題終わった」

「帰る?」


 後から次々追加された倒置法の様な疑問の奔流。いきなりの話題転換に取り残されそうになりながらどうにか理解を追いつかせれば、自然とシルヴィと視線を交わらせた。


「ロベールは?」

「……特に」

「じゃあ暇?」

「遊ぶ?」


 次いだ提案に少しだけ思考が止まる。遅れてようやく咀嚼した思考が一つの結論を導き出した。

 二人に誘われたっ。


「っ……も、もちろんっ」

「…………はぁ」


 隣でシルヴィが溜息を吐いていたが、嫌なら別に付き合わなくてもいいんだぞ?


「分かった」

「終わったら」


 終わったら……と言うのは多分先ほど言っていた二人の用事がだろう。もちろんそれくらい幾らでも待つ。これ以上無いほどの好機の到来だ。何があっても逃すつもりはない!


「……でも遊ぶって言ってもこれからどこかに行くのは時間が足りなくない?」

「じゃあここでいい」

「探検、しよ?」

「ぇっ……!」


 シルヴィの疑問に返った言葉に思わず声が漏れた。

 …………きっと、深い意味はないのだろう。そう納得を導けるくらいには二人の突飛もない言動に理解が進んだ感はある。けれど、それ以上に内容が問題だ。

 彼女達が示したここ……それは間違えようもなくカリーナ城の事だろう。子供心に考えれば、国の中心であり憧れ。

 ロベールだって、シルヴィだって幼い頃は無垢に理想を抱いて想像を馳せた。叶う事ならカリーナの象徴に足を踏み入れてみたいと。

 だから今日ここに来るまでに色々葛藤と心配を重ねて、今もまだ馴染み切っているとは到底思えないくらいには緊張と共に言動に気をつけている。

 その思慮を、まるで慣れた階段を一段飛ばしで昇るような気軽さで紡がれた提案。その事実にさすがのロベールも軽く眩暈を覚えた。

 一応名のある家ではあるアリオン家とクラズ家。しかし記憶の限りでは父さんたちでさえここには呼ばれた事のない特別だ。その最初として自分達がようやくここに座っているというのに……加えて彼女が許す城内の探索だと!? ……もしかして何か大きな流れに騙されているのではなかろうかと疑念が募る。

 そしてそれは隣のシルヴィも一緒だったようで、手にカップを持ったまま珍しく身を硬くしていた。

 少なくとも、処理能力が追いつかないくらいには想像外の話。それを当たり前のように口にする二人を、改めて別世界の住人のように感じる。


「いや?」

「だめ?」

「ぁ、いや……その。駄目とかじゃなくて…………」

「……い、いいの?」

「…………?」

「なんで?」


 色々、ずれている。特に感覚が。

 ……恐らく、彼女達にとってはここは庭も同然なのだろう。けれどロベール達にとっては憧れの象徴だ。さすがに放埓な事は出来ない。

 確かに考えた。もしかしたら大統領陛下に()えるかも知れないと。けれど必ずそうなって欲しいと望んでいたわけではないと言うか……冗談のつもりだった。

 それがある種現実味を帯びて目の前に転がってきた事に、喉が渇いて指先が冷たくなるのを感じる。


「案内、するよ?」

「秘密の場所、いっぱいあるよ?」


 それはそうだろう。そしてその秘密以上に、ロベール達にとっては聖なる場所だ。生半可な覚悟で足を踏み出せば、様々な物にぶつかって後悔しか残らない。

 言ってしまえば、権利が見つからない。その気後れが決断までの根拠を鈍らせる。


「一緒に見よ」

「楽しいよ?」


 きっと裏などないのだろう純粋な提案が、けれども雁字搦めに色々な想像を巡らせて呼吸さえ苦しく感じる。……当然、興味もある。しかしそれ以上に不安が募る。

 ……どうすればいい。問われているのはぼく達だ。答えは、今しか許されない。本当にいいのか? どうすればいいのか? 何が正しいのか……?


「お待たせ致しました」


 そんな風に色々な思いが脳裏を過ぎった直後。いつの間にか部屋に入って来ていたジネットさんが目の前にフラガリアのケーキを用意してくれていた。シルヴィも同様に考え込んでいたのか、驚いた様子で肩を震わせていた。


「ジネット、後で遊んでもいい?」

「二人を案内する」

「はい、構いませんよ。但し他の方々のご迷惑にはならないようにお願い致します」

「ん」

「分かった」


 ケーキを頬張りながら零れた疑問に、当たり前のように答えるジネットさん。どうやら注意さえすればいい話らしい。そうして許された事に、少しだけ安堵と余裕が生まれる。

 気付けば何かから逃げるように口に運んでいたケーキの一欠片。口の中に広がった上品な甘さとフラガリアのちょっとした酸味が知らず感想を零す。


「おいしい……」

「お口に合いましたようでよかったです。どうぞごゆっくりお召し上がりください」


 様々なものが異なる世界。その中でも特にここは……彼女達の隣は大きく何かがずれていると確信する。

 けれどそれは同時に新たな価値観の扉でもあり、ロベールにはない物だ。その一端に触れられると思えば期待を抱くのは間違っていないだろう。だとすれば、後は覚悟の問題。自分がどうしたいのかと言うただ単純なそれだけだ。

 葛藤は、更に運んだ一口と共に押し込む。そうして甘さと僅かの酸味と共に撹拌して、純粋な思いを探し出す。ふわりとした食感に包まれて自分にとって大切な物を見つければ、いつの間にか目の前のケーキがなくなっていた。

 最後に、紅茶で迷いを断ち切れば、もう惑わない決心がついていた。


「ごちそうさまでした。……決めたよ。案内頼んでもいい?」

「分かった」

「楽しみにしてて」

「はぁ……」


 溜め息はシルヴィの物。視線を向ければ、彼女は疲れたようにこちらを見つめる。


「それで、シルヴィはどうするんだ?」

「ロベールを一人に出来るわけないでしょ?」

「なんだよそれ。嫌なら無理に付いてこなくてもいいんだぞ?」

「嫌とは言ってないっ。……分かった、覚悟決めるから。あたしも一緒によろしくね」

「うん」

「よろしく」


 いつもと代わらない無表情で頷いた二人。それから掌を合わせて行儀よく食後の挨拶をした二人が椅子から跳び下りるように立ち上がる。


「行ってくる」

「待ってて」

「あぁ」

「行ってらっしゃい」

「失礼します」


 城内探検の約束は彼女達の用事が終わった後。それまではシルヴィと二人でここで休憩だ。

 ジネットさんと一緒に部屋を出る二人を見送って、それから満足の混じった吐息を漏らす。思わず零したそれが、隣の幼馴染のもと重なった。


「……ほんと、(ろく)な事しないよね、ロベールって」

「どう言う意味だよ」

「そのままだよ。普通遠慮するところでしょ」

「だったら友達の誘いを理由もなく断れってのかよっ」


 もちろんシルヴィの言う事もよく分かる。家を背負うものとして、無闇な行動は控えるべきだ。特に今回はカリーナ城……それも現大統領陛下の孫からの提案だ。一つ間違えれば問題は家名にまで響く。

 現状維持を望むなら全てを否定しておけばいい。そうすれば、少なくとも自ら面倒を引っ張り込んでくる事はなくなる。

 けれどそれは、停滞の一手だ。自ら前に進む事を諦める行為だ。新たなる風は、結果は……行動の先にしか存在しない。決断の先にしか存在しない。恐れていては何も始まらない。

 ……それに、友達だから。彼女達がこちらの事をどう思っているのかは分からないけれど、根拠のない独り善がりだけでなら、既に友達だ。友人の提案を、好意を、何の理由もなく断るなんて、それこそ間違っている……気がする。

 だからただ、友達として。遊びの誘いを受けただけ。きっと、彼女たちだってそれ以上はないはずだから。……ちょっとくらい何かあって欲しい気もするけど。


「シルヴィだっていいって言ったじゃねぇか」

「それは浅はかな決断するロベールが心配だから……!」

「それだけか?」

「っ……!」


 珍しく反論を飲み込んだシルヴィ。幼馴染のその仕草に、それから脳裏を過ぎった記憶が少しだけ冷静にさせた。


「……悪い」

「何で謝るの?」

「…………何でもいいだろ……。悪いと思ったから謝っただけだ」


 あれは、後悔だ。あの時に誓ったのだ。幼馴染だからって、全てが許されるわけではないのだと。

 一緒に笑いあって、喧嘩だってする。けれどそれは、どこかで大丈夫だと分かっているから。その大丈夫の外側が存在する。踏み込んじゃいけない部分が、確かにある。

 ……もう二度と、シルヴィを傷付ける真似はしたくないから。彼女は、大切な幼馴染だから。


「変なの。……でも、その変なのの事で悩んでるあたしも馬鹿みたい」

「んだよそれ……」

「……ありがと、ロベール」


 これだから幼馴染は嫌なんだ。何も言ってないのに心の中を読んでくる。でも、互いに考えている事が少し分かったから、安心もした。

 結局、喧嘩なんて些細な事だ。だから仲直りのきっかけも直ぐそこに転がっていて、それに気付けば後は慣れの問題。別に、好きで喧嘩しているわけではないのだ。


「いいよ、あたしも楽しみだからっ」

「……シルヴィこそ変な事するなよ?」

「あたしロベールみたいに馬鹿じゃないもん」

「入学の成績はぼくの方が上だっただろっ?」

「そうやって比べたがるのが馬鹿だって言ってるんだよ、もうっ」


 呆れたような、けれどどこか嬉しそうな……。幼馴染ながらそこだけはいつもよく分からない彼女の感情に、次ぐ言葉が見つからなくて口を閉ざす。

 すると彼女はまた一つ笑みを零す。だからなんなんだよ、それっ。




              *   *   *




「陛下、お嬢様をお連れ致しました」

「あぁ、入ってくれ」


 手元の書類に署名をしていると叩かれた扉。次いで少し篭った声が向こう側から響く。

 聞き慣れたその声は、愛すべき孫の身の回りの世話を任せている使用人、ジネット・シンストラのもの。忠実にして仕事の早い、信頼出来る使用人は幾らいても困らない。使う事に慣れているわけではないが、座っている椅子を考えれば味方がいてくれるのは素直に嬉しいのだ。

 声に答えれば礼儀正しく断った彼女が扉を開く。するとその傍を競うように抜けて小さく駆けた少女が二人、机を回りこんで直ぐ傍までやってきた。


「お嬢様、ただ今陛下は公務中ですので……」

「よい……丁度終わったところだ」


 半分ほどで止まっていた、最早書きすぎて意味すらもよく分からない自分の名前を最後まで綴り、筆を置いてこちらを見上げる孫達の頭を撫でる。

 猫のように目を細めた彼女達。少しだけ押し付けてくるような頭に仕事の疲れも忘れて微笑めば、それから彼女達に任せたい仕事のためにと名前を呼ぶ。


「エドっ」

「こちらに」


 声に応じていつの間にか直ぐそこに立っていた男性が一人。エドワール・ノーマ。この老いぼれの身辺を任せている、信頼に足る使用人の一人だ。

 元は我が家であるコルヴァズ家に仕えていた使用人で、民選から大統領になった時にそのまま傍付きとして登用し続けている、長い付き合いの気心の知れた人物だ。

 口数は少ないが仕事は的確。今ではこのカリーナ一の使用人と名高い誇れる相棒だ。


「用意を頼む」

「畏まりました」


 エドがちらりと向けた視線。その意図を酌んで言わずとも足を出したジネットと共に着々と進んで行く準備。次々に机の上に並べられるそれは、様々な形状や大きさをした、統一性など感じられない物の数々。強いて言えば全て固形と言うくらいだろうか。

 考えていると手早く準備されたそれに愛すべき双子が近寄って、数多あるうちの一つである水晶のような物の中を覗き込むようにしながら零す。


「お爺様、これ?」

「いつもの?」

「あぁ、同じように鑑定を頼みたい」


 鑑定。その言葉が正しいのかどうかは実のところよく分からない。が、彼女達のするそれを形容するには、きっとその言葉が一番当てはまるのだろう。

 二人は──ピスとケスは常人には見えない世界が見える。それは妖精に関する部分で他の誰にも成し難い特別さで、普通ならば数多もの準備の上に行われる行為。

 それは、妖精力の宿った道具の解析だ。

 この世界、フェルクレールトには妖精がいる。彼女達は妖精力と言う特別な力を用いて、妖精術と言う実を結び結果を作り出す。その御技は、彼女達と出会って流れた700年近い年月の中で人の生活に馴染み、今ではなくてはならない生活基盤の一つとなっている。

 最早切っても切り離せない世界の常識とも法則とも言うべき力は、人の知恵によって効率化、便利化されてきた。妖精と契約し妖精従き(フィニアン)となる事で彼女達の力の一片を行使する事が出来、それを解き明かして。理解したそれを更に発展させて世界のためにと技術を高めた。

 お陰で世界には妖精術を利用した様々な道具が存在する。

 けれど人が作り出したそれらのほかにも妖精力を秘めた物は世界のあらゆるところに埋まっていて。例えばドラゴンの口のように危険で入り組んだ洞穴に。例えば絶えず炎の流れ出る峰の上に。例えば人の身一つでは到底及ばない水底に。例えば烈風吹き荒ぶ谷の合間に。

 そんな自然の中で育まれた妖精の力を宿す物が、時折人の目に触れて人の世界に流れ込んでくる事があるのだ。

 しかしそれは人の関与していない、どのような経緯の下生まれたのか定かではない結晶ばかり。当然、秘められた力など分かるはずもなく、ともすれば危険さえ呼び込む要因にすらなりうる秘密のびっくり箱だ。

 それらは基本、幾重にも研究を重ね、妖精術などで安全を確保した上で実験を行い秘められた力を解き明かして。可能であれば人の世界に利用して更なる世界の発展を促す役割を担う。

 しかし当然、人の知恵や発想にも限界がある。安全を確保する方法が見つからなかったり、全く()って未知の、想定すら出来ない物も存在する。

 それらの、無闇に手出しの出来ない道具が出てきた場合に、彼女達の力をこうして借りているのだ。


「4だよ」

「3だよ」


 世界を数で見る力と、世界を形で聞く力。

 ピスとケスの目と耳に宿ったその特別は、世界に宿るありとあらゆる妖精の本質を詳らかにする。


「1と4は54?」

「76」

「28は?」

「3、だから……1と3」

「2と4は19?」

「うん」


 羅列される数字は、彼女達だけが共有するその最奥。きっと妖精でもない限り彼女達の世界を理解出来る者はいないのだろうと考える。もし人の身でそこまで到達し得るならば、それは既に人ではないはずだ。


「お爺様」

「一つ終わった」

「ふむ、その水晶か?」


 そんな事を考ええいると早くも一つを鑑定し終わった彼女達が振り返る。書き残すように、と視線でエドに指示をしながら彼女達の世界に一歩を踏み出す。


「これは大丈夫」

「でもやりすぎるのは駄目」

「4で」

「3だよ」

(フラム)の道具ですね」


 彼女達の世界の一端を記憶していると言うジネットの助言。彼女が言うならばきっと間違いはないのだろう。炎に属する妖精術の道具で、危険はないが持続使用は厳禁。安全だと分かったならば、後の詳しい事は研究機関に回せばいい。


「ん、次」

「これにしよ」

「20だよ」

「3だよ」

「……頑張れる?」

「頑張ろう」


 励ましあう双子。こう言う時は大抵複雑な効果を持った道具である場合が多い。また、経験上危険である確率も高い。起動させずに効果を見抜く彼女達でなければ秘められた力を暴くなんてほぼ無理だろう。

 こんな小さな二人に頼ってしまうだけ我が身の至らなさを幾度も呪う。叶う事なら二人には周りと変わらないただ純粋な子供として生きていて欲しいのに。願わくば彼女達の力を借りずとも秘匿を暴けるほどに人の知恵が積み上がる未来を……。

 そしてなにより、二人の行く末にこれ以上ない幸福を。

 そんな事を考えていると先ほどの倍以上の時間を掛けてピスとケスの顔が上がる。


「終わった」

「疲れた……」

「ふむ。休憩の前にどんな物かだけ教えてくれるかい?」

「20で」

「3だよ」

「4で3と一緒は駄目」

「消えちゃう」

「炎との同時使用が厳禁な(ウィルム)の道具、と言う事ですね」


 すぐさま補足したジネットの言葉に頷く。もう一つ付け加えるとすれば、消えると言うのは恐らく大規模な破壊が起こる、と言う事だろう。爆発か、それに順ずる衝撃による消滅。

 大戦中なら軍事目的で使用用途があったかもしれないが、平穏が広がり始めている今の世には不必要な代物。まぁ詳しい事は次いで研究機関から上がってくる報告で判明する事だ。きっとそのまま封印されるはずだが。


「ちょっと休憩」

「その後もう一回頑張る」

「あぁ、構わんよ。エド、お茶の準備を」

「しばしお待ちを」


 腹心に仕事を出して双子の正面へと腰を下す。互いに(もた)れ合うような格好をした二人の視線がこちらへ向く。


「ジネットに聞いた。友達が来ているのだろう?」

「うん」

「勉強してた」

「どうだ。学園は楽しいか?」

「楽しい」

「勉強は退屈」

「ははっ、そうか」


 二人は二人の世界で生きている。見聞きする全てが我々とは違い、傾き穿った視点で真実を追い駆けている。

 前に聞いた話では、ピスは世界が数に見え。ケスは形に聞こえると言う。人も、自然も、造形物でさえも。それら全てが数字と形で分類出来ると言うのだ。

 確かにそう表現出来るのかもしれないと。理解を示そうとした事もあった。

 けれども違うのだ。人を指す時に、身長や体重、年齢など、誰もが分かる数字で表すわけでも、ましてや顔の形や特徴を語るわけでもない。

 普通では目に出来ない部分。そこを示して、彼女達だけが見聞き出来る数字と形で世界は語られる。

 彼女達曰く、我輩────グンター・コルヴァズは、6で4らしい。

 ここでどちらも数字だ、などと言ってしまえば二人はその者から興味を失ってしまう。

 先ほどの話と合わせて考えれば、6と言ったのはピスで、4と言ったのがケスだ。つまり6と言う数と4と言う形によって形容されるのが我輩、だと言う事。

 ならば4と言う形が一体何なのかと問うてみた事はあったが、明確な答えは得られなかった。……と言うよりはケスの中で4は形と言う常識なのだ。それ以上に簡潔な説明が見つからないらしい。

 そしてピスの言う6と言う数字も、何を指しての6なのかは不明だ。

 ただ、彼女達にとってはそれが当たり前で。加えて二人は互いの見聞きする景色を双子ならではの価値観で共に理解していると言う。

 全く以って不思議な話だ。が、それでこちらが不利益を被っている訳ではないために深くは追求しない。したところで、そう簡単に理解出来る気がしない。彼女達の祖父でありながら仕様の無い話だ。

 因みにそれ以外の部分で分かっている事と言えば、二人の知見を合わせると属性(エレメント)を解き明かす事が出来る、と言う事だ。

 我輩で言うところの6で4ならば、(グラド)。他にも、20で3は(ウィルム)。4で3は(フラム)。8で3は(フェリヤ)を示す。少なくともこれだけを覚えておけば、彼女達がどの属性について話をしているかくらいは推察出来る。


「ではその友人達はどうだ? どんな属性に愛されているかね?」

「20と8」

「3と3」

「……水と風か。それぞれに二人とは相性のいい相手だな」


 話に聞いて頷く。

 ピスとケスの得意とする属性は我輩とも同じ、地。属性の並びとして、風は地に強く、地は水に強い。この相性は、反転する事で属性の乗算と言う考え方に出来る。

 簡単に言えば不利な属性を有利な属性に加える事で、有利な属性の妖精術の効果を増幅させる事が出来るのだ。風に地を、地に水を。

 属性の相性は特に対面する局面で敵と味方、どちらにおいても重要な要素。集団戦ともなると一撃の下に敵の戦力を削る大きな妖精術の打ち合いになるのが大戦の日常だった。属性の乗算は、個人の有利不利以上に戦局を左右する要因だったのだ。

 とは言え今は大戦も治まり一時の平穏の上に日常を享受する日々。目立った争いも無い時勢には特別実用的な修練も必要なく、そういった類の授業や訓練は今の教育に取り入れていないのが常だ。荒事の勉強は、軍に入ってからでも遅くない。

 何より、彼女達国の未来を担う宝には血生臭い日々など似合わない。フェルクレールトの学び舎とも名高いこのカリーナ共和国では、今は武よりも学に力を注いでいるのだ。

 これからの時代、世界を動かすのは力ではなく知恵。その先駆けとして、平穏の中でこれまでに無い視点から様々な探求や発展をこの地より生み出していければいい。

 ……そのためにも火種の事前消火など、再びの乱世を起こさせない努力は、我々大人が請け負うべき責務だ。


「名前は覚えたか?」

「なまえ……」

「なんだっけ……?」


 これもまぁ、いつもの事。彼女達にとっては名前を覚える事は特別な────


「思い出した」

「シルヴィとロベール」

「む……」


 彼女の友人としてはまだ時間が掛かるかと。脳裏をそんな考えが過ぎった矢先、どうやら沈黙の内に思い出していたらしい二人が紡ぐ。

 ふむ、どうやら早くも二人の友人が出来たらしい。……いや、友人と言うよりは興味が近いか?


「二人ちぐはぐ」

「それがおもしろい」

「そうか……。仲良くするんだぞ?」

「うん」

「分かった」


 ジネットの報告で二人に関しては知っている。特別問題も見受けられなかったから、その子達との関係がより良い方向に二人を成長させてくれる事を祈るとしよう。

 大人に教えられない事も存在するのだ。


「休憩終わり」

「続きがんばる」

「無理せず休みながらでいいからな」

「遊ぶ約束がある」

「早く終わらせる」


 ……杞憂だったか。彼女達はしっかり成長している。その頑固さとも言うべき信念の強さは時折(きず)だが、彼女達を語る上で欠かせない物だ。何より目的があるのはいい事。曖昧に惰性を(もてあそ)ぶより、確かな目標に向けて進んだ先には立派な答えがある。

 のびのびと、真っ直ぐに。(つがい)のように一心同体な二人がこれからもその身に秘める可能性を存分に発揮して、自らを誇れる大人になって欲しいと切に願う。

 その為にも、彼女達が子供の内は少しばかり手を貸すとしよう。もちろん、贔屓や特別扱いをするつもりはないがねっ。




              *   *   *




 台所に立って料理をしていると遠くから聞き慣れた足音が二つこちらにやってくる。丁度一区切りで手を止めれば、部屋の扉が開いて向こうから愛しい娘と信頼する使用人が姿を現した。


「ただいま戻りました、奥様」

「えぇ、おかえりジネット」

「ただいま」

「お母様」

「ピスもケスも、おかえりなさい」


 とたとたと小走りに駆け寄って抱きついてくる双子の娘。そんな彼女達を諌めようとしたジネットを笑顔で制して、年にしては小さい体を見下ろしながら両の手のひらで優しく撫でる。


「お城へ行ってたんでしょう? 楽しかった?」

「うん」

「勉強して、遊んだよ」


 心なしか嬉しそうな無表情に自然と笑顔が浮かぶ。


「そう、それは何よりね。もう少ししたらご飯が出来るからそれまで待っててくれる?」

「外行きたい」

「お庭で遊んで来ていい?」

「寒くなったら帰ってくるのよ?」

「うん」

「分かった」


 相も変わらず底知れず元気な双子にくすりと笑みを零せば、彼女達はその足取りで直ぐそこの戸から目の前の庭に出ようとする。


「お嬢様、玄関から……」

「いいのよ。好きにさせてあげて」

「……畏まりました。お手伝い致します」

「ありがとう」


 少し過保護の気がある我が家の使用人も変わらない事を肌で感じつつ、透明な硝子戸から見える二人を気に掛けながら夕食の準備を再開する。隣には黙々と手伝ってくれる信頼に足るお世話係。

 そんな彼女に雑談がてらの質問。


「何か変わった事は?」

「ご学友とは良好な関係が築けているようです。お名前を呼ばれているところも拝見できました」

「あら、それは珍しい。……あの子たちも日々成長してるのね。少し寂しいわ」


 自然と笑みが零れる。

 彼女達は、自由だ。時折母親である私ですら振り回されるほどに奔放に身を委ねている。

 私にはない特別な力を持って生まれ、その世界でも他に類を見ないと言われた力。けれどそれに流される事もなく確かに立つ彼女達を、母親ながら尊敬する。

 もし私に妖精が見えたなら、もっと母親らしくいられたのに。そんな事をよく考えては悔しく……嬉しくなる。

 妖精が見えない。しかしそれは逆に、人の世界だけを見て生きていける楽な道だ。もちろん見えない事で苦労もするけれど、今は見えなくて良かったと思っている。

 母親として断言出来る。彼女達は人間として決定的に常識が欠如している。共感と言うものがほとんど存在しない、不思議で歪な存在だ。

 時折、妖精の側に傾きすぎている事から取り替え子(チェンジリング)などと言われる事もあるが、そんなのは些細な事。彼女達は確かに私が宿し、生んだ命だ。

 だからこそ私は私らしく。母親として彼女達に教えなければならないのだ。

 妖精の見える道を歩むならばこそ、人として捨ててはならないものがある事を。それが出来るのは、妖精が見えないこの身だからこそだと自負している。

 何より彼女達の母親だ。愛し、未来を思うならば、誰よりもその先を肯定してあげなければ。

 厳しく、優しく。道を教える。それが私が思う、母親のあり方だ。


「奥様。旦那様がご帰宅なされました」

「お願い出来る?」

「畏まりました」


 ジネットに頼めば、いつもの調子で畏まる彼女。二人きりの時はもう少し楽にしてもいいと前に言ったのだけれど…………まぁいいか。強要するべきものでもない。それが彼女のあり方だ。

 別に今の彼女に満足していないわけではない。幾ら彼女が逆らえないからと言って、それは横暴な事を働いていい理由にはならないのだ。

 個人的には、ピスやケスと一緒に、彼女にも少しだけ変わってくれる事を願ってはいるのだけれども……。確かな言動で示す使用人がもう一人の子供のように感じていると、この屋敷の主人である私の夫……ルドガーが戻ってくる。


「ただいま、マツリ。あの子達は?」

「お帰りなさい。庭にいるわよ」


 マツリ。それは彼だけが呼ぶ私の名前。

 この世界では珍しい以上に聞き慣れない音の響き。けれども確かな意味と理由ありきの彼の声に、安堵以上の居場所を見つける。


「お父様」

「おかえり」

「あぁ、ただいま」


 庭から彼を見つけたらしい愛娘達が駆け寄る。

 現国王の血縁だと言う事を除けば、別に珍しくもない名家の一時。愛に溢れ、温かいその景色に、知らず笑みを零しながら今を享受する。

 私は……彼に見初めて貰えた事が、何よりの幸福だったのかも知れない。それでもと愛してくれた夫には、感謝をしてもしきれない。

 ならば出来る事としてそれを全うするだけ。例えどんな場所の上に立っているのだとしても。彼の傍らにいてもいいのならば、安心出来るその場所を私が守るだけだ。


「もうご飯も出来るわ。二人とも、手を洗って来なさい」

「うん」

「分かった」


 静かに元気な双子に笑い掛けて顔を上げれば、彼と視線が交わる。


「どうかしたの?」

「いいや。いつもありがとう、マツリ」

「ふふっ、なぁに、それ」


 どうやらお疲れの様子。話は後でゆっくりと聴こうかしら。

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