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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
宵風に奔走する炎色のアボボラ
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第三章

「ようこそカリーナ共和国へ」


 本日は国外からのお客様をおもてなしすることがわたくしの仕事にございます。

 いらっしゃったのはブランデンブルク王国から一名。スハイル帝国から二名の、計三名でございます。

 本来の予定ではトゥレイス騎士団国からもお一人いらっしゃる予定でございましたが、危急の用が出来たらしく本日は来訪をお見送りなさる事にされたそうでございます。

 少々予定とは違いますが、そこは臨機応変に。いつも通り使用人としての責務を全うするだけでございます。

 また、今回お客様を案内するのは、わたくしが仕えるアルレシャ家の御当主……ルドガー様でいらっしゃいます。今日お見えになった方々はそれぞれの国から特使の肩書きを背負った貴賓。それ相応の案内役をと言う事で、大統領陛下の次男であるルドガー様がご対応なさる事になったのであります。

 わたくしはその補佐……。実際の所仕事としては旦那様の身の回りのお世話をし、ご用命とあらば幾つかの便宜を図ると言うだけの、いつもと変わらない一日でございます。

 因みに、旦那様の兄君でいらっしゃるアロイス殿下は、陛下の名代としてトゥレイス騎士団国に赴いておられます。

 本日来られなかったトゥレイス騎士団国からの使者の代わりにこちからから足を向けたことと、諸外交の為でございますね。


「案内を任されたルドガー・アルレシャだ。道中何か困った事があれば遠慮なく言ってくれ。出来る限り意向に寄り添おう」

「ありがとうございます」


 旦那様の言葉に答えたのは、ブロンドのセミロングにコバルトグリーンの瞳を嵌めた少女。落ち着いた女性らしさの中にわたくしと同じ雰囲気を感じながら、そしてそれ以上に彼女を形容すべきにおいて欠かす事の出来ない特徴が目を引きます。

 さらりと揺れたブロンドから真っ直ぐに伸びた長い耳殻。人ならざるその象徴は、この世界を共に歩む妖精が持つ長耳とよく似たもの。

 しかしながら決定的に異なるのは、彼女の内に秘めた雰囲気が人に似てそこに存在している証。

 このフェルクレールトの大地において人と共に暮らす種族。妖精と同じ長耳と異能を持ち、しかし人と妖精の半ばほどの寿命の異種族────エルフ。


「本日はお招きありがとうございます。ヘレナ・ハダルです。どうぞよろしくお願いします」

「あぁ、よろしく。最初に不躾ですまない。君は……」

「エルフィムです。ですのでどうぞ気兼ねなく、人と同じようにお相手してくださると助かります」

「そうか」


 ヘレナ・ハダル。その名前はわたくしも存じております。

 スハイル帝国の使用人。その中でも、主産巫(すせんふ)と言う肩書きを持つらしい特別なお方です。

 残念ながら主産巫の方が普段どんな仕事をなさっているのかは分かりかねますが、きっとその特殊な生い立ちも理由の一つでございましょう。

 ……以前主産巫について調べた事があるのですが、余程国の内部に関わる肩書きなのか、納得を得るような結果は得られませんでしたね。個人的にとても気になっているお方でございます。

 それから、彼女は国仕えの使用人をしているようでございます。そのため、身のこなしや纏う雰囲気がわたくしとよく似ているところがございますね。そう言う意味では仲良くできるかもしれません。


「あ、っと……同じくスハイルから来ました、ウェンディ・ザニアです。よろしくお願いします」

「よろしく。ザニアさんは若く見えるけれど、学生かな?」

「はいっ、今年入学したばかりの若輩です。ご迷惑をおかけするかもしれませんが……」

「無為に頭を下げるものじゃない。そういう言葉は失敗した時の為にとっておく方がきっといい」

「は、はい!」


 随分と緊張なさっているこのお方は、これまたヘレナ様と同じく長い耳殻をお持ちですね。真っ直ぐな砥粉(とのこ)色の瞳に桃色の髪を頭の横で二つ括りにしていらっしゃいます。

 スハイル帝国はエルフ兵革以降、エルフの方々の自治区を国内に設け、そこで独立した文化を尊重したまま国の庇護下に迎え入れておられます。そんな背景から、エルフの方々の多くはスハイル帝国に居を構えておられ、またヘレナ様のような混じり者でも分け隔てなく安住の地を見つけているのです。

 その辺りは、帝国と言う国の形式が為せる一つの理想でございましょう。

 先ほどは自治区と申し上げましたが、スハイル帝国におけるエルフの暮らす土地は、エルフが治める国と言う意味合いの方が近いでしょう。それを容認した上で領土として庇護と恩恵を授けると言う形が、スハイル帝国とエルフ達との関係のあり方でございます。

 現代の皇帝であるラファエル・へカー陛下は無益な争いを好まれないお方。皇帝陛下のご意向あっての、今のエルフとの平穏な日々、と言う事でございますね。


「あ、その。先ぱ……ハダルさんはエルフィムですけど、私はハーフィーなので……」

「そうか。それはまた珍しい組み合わせでお越しいただいた物だな。なに、流れる血で差別をするつもりなどありはしない。気負わずに過ごしてくれ」

「ありがとうございます」


 おっと、もう少しで失礼な誤解するところでしたね。

 ハーフィーは人と妖精の間に生まれる命でございます。より詳しく言えば、母親に人を持つ者を人間寄りの、妖精を持つ者を妖精寄りのという接頭語をつけて区別する事も出来ます。

 母親の種族によって生まれる者の姿も大きく変わります。恐らくは胎の内にいる時に大きく影響を受けた側に成長が左右されるのでありましょう。

 そのため人間寄りの方々は文字通り人と同じ、そして妖精寄りの方々は妖精と同じ体躯でこの世に生を受けます。

 結果、人より生まれしは人の世で、妖精より生まれしは妖精の世で暮らすのが習わしでありますね。

 目の前の彼女、ウェンディ様は人と同じ体躯をお持ちなので人間寄りのハーフィーと言う事でございましょう。

 また、今し方わたくしが誤解をしそうになった通り、エルフ、エルフィム、人間寄りのハーフィーと言う方々は、容姿での判別がほぼ不可能でございます。

 その為こうして自己申告をされなければ誤解が多々ある事も確かです。事実、人間寄りのハーフィーの方がエルフの血筋であると間違った迫害を受けた過去もございます。

 結果、人の世界では、長い耳殻の有無で人であるかそれ以外かと言う二択で括ってしまうことが(ほとん)どでございますね。

 今では目立った戦も起きていませんのでその認識で大事には至っていませんが、もし何かのきっかけで問題が争いに発展した時、その距離感は明確な溝となって現出する事でしょう。

 目の前の平穏を享受している身からすれば、ありえて欲しくはない未来ではございますね。

 ……そういえば、妖精の方々はそういった魂の形の違いを鋭敏に察知できると耳にした覚えがあります。つまり妖精達は、人が知覚出来ない感覚で相手を見極めている、と言う事です。

 恐らくはそういった特有の感覚で、契約相手も選ばれるのでしょう。

 因みに、大戦終結後統計としてフェルクレールトの大地で行われた調査では、人間寄りのハーフィーの方々は200人に1人と言う割合だそうです。

 妖精憑き(フィジー)妖精従き(フィニアン)の方々が全体の二割、と言う話だと記憶しているので、その魂は稀と言う事でございますね。

 ……まぁ、エルフィムの、しかも女性に至っては4000人に1人と言うもっと稀少な存在ではありますが。

 何にせよ、エルフィムとハーフィーが並んでここにいるということ自体が極めて低い可能性の景色と言うのは間違いありません。


「ふむ。となるとそっちの君がブランデンブルクの?」

「はい、フォルカー・アルテルフと申します」

「アルテルフ……聞き覚えのある家名だな。歳若いが、そこの長子か?」

「はい。本日は父の名代としてカリーナに来ました」

「そうか。とは言っても何か大きな話し合いがあるわけではない。肩の力は抜いて気軽に楽しんでくれ」

「お気遣い、ありがとうござます」


 王族に、エルフィムとハーフィー。そんな面々の中で逆に浮いてしまいかねないのが、旦那様が水を向けた最後のお方。

 黄丹(おうに)の短髪に唐紅(からくれない)色の瞳をした、二十代半ばの男性。きっちりと着こなした服は、しかし肩書きに振り回されている雰囲気はございません。きっとこれまでも家名を背負ってこういった場におもむかれた事があるのでしょう。

 旦那様が聞き覚えのあると仰ったアルテルフの家系。わたくしの記憶違いでなければ、ブランデンブルクの国営に携わっている由緒正しい歴史を持つ家柄でございますね。

 であるからこそ、こうして集まったそれぞれの国の特使と言う現状は、旦那様が仰る以上の意味合いがございます。

 まぁ、今回は大きな場に臨む、その準備と言う意味合いの方が強いでしょうけれども。


「滞在中の身の回りの世話として使用人をつけるが、基本的には彼女……ジネットが傍にいるはずだ。何かあれば彼女に言ってくれ」

「ジネット・シンストラです。ご用命があればお気軽にお申し付けくださいませ」


 遅ればせながらのご挨拶。それぞれに使用人相手は慣れていらっしゃるらしく、特別混乱など……いえ、失礼致しました。ウェンディ様はどうやら不慣れなご様子ですね。普段は仕える側の為、少しばかり落ち着かない様子でございます。

 確かに、わたくしも同じ立場なら似たような面持ちだったかもしれませんね。

 とはいえこちらからお声掛けさせていただく機会などそうございません。緊張はするかもしれませんが、明日には慣れていることでしょう。使用人はいつだって臨機応変に。

 お客様には無理にらしく振舞おうとせず、いつも通りでいていただけるようにご配慮するですから。


「挨拶も済んだようだしな、まずは宿に案内しよう。長旅で疲れているだろうから、今日はゆっくり体を休めてくれ。ジネット、頼んでもいいか?」

「畏まりました。それでは皆様、こちらへどうぞ」


 旦那様より命を預かり足を出します。

 さて、実際に使用人として皆様のお世話をさせていただくのは明日からでございますね。国外からのお客様です。気を引き締めてまいりましょう。




              *   *   *




 翌日は、初めてカリーナに来たのだという彼女達を案内して回った。町中を案内した時は城下で人気な親しみのあるお店へ。城内を巡った時は一日遅れのおもてなしとして宮廷料理人の作った料理を食べてもらった。

 少しだけ面白かったのは、それぞれに態度が違った事だ。

 フォルカー殿は町中での食事がお気に召した様子。普段それなりに上等な食事をしているからこそ、こうした風土色の強い品の方が気に入ったのだろう。

 逆に、スハイル組の二人は宮廷での料理の方に少し及び腰だったのが印象的だ。普段使用人として庶民的な暮らしをしている彼女達にとって、格式ばった食事の席に着くというのは縁がない話。彼女達はそれを配膳する側だ。

 しかし今回は国賓としてカリーナへ来た客人。それ相応のおもてなしをしなければカリーナの品位こそが損なわれる。そのため、余りなれていない様子の二人には悪かったが、そうした食事にも付き合ってもらったのだ。

 特に見ていて微笑ましかったのは、まだ学生であり使用人としても見習いであると言うウェンディ殿。食事作法は見様見真似で初々しく、昔のピスとケスを思い出してしまったほどだ。

 それと比べると、ヘレナ殿は作法も一通り身についているようだった。エルフの血が混じる故か、それとも彼女の特別な立場故か……。何にせよ、彼女は使用人でありながらしっかりとした芯を持つ少女だと言う事がよく分かった。

 ……その分壁のようなものも感じたが、まぁいいとしよう。今回は特別懇意にする為のものではない。顔と名前だけの、覚えがあるという事を残せればそれでいいのだから。

 これはきたる四大国会談の為の布石。目下最も憂慮すべき案件へ備える為の準備なのだ。

 それぞれの国が手を取る、言い訳。言ってしまえば面倒臭い(まつりごと)の一貫だ。

 巻き込まれたわたしも大概迷惑しているが、こうして友好の輪を広げられる事には感謝もしている。会談に限らず、もっと別の場所でも意味のある繋がりに出来ればそれに越した事はない。スハイルもブランデンブルクも、そして今回ここにいないトゥレイスも同じ事を考えているはずだ。

 中々に大人の世界もわずらわしいものだと。言葉にしないまま皆で共有しつつ、他愛ない話で友好を築く。

 そんな案内も、午後ともなれば殆どやるべき事もなくなって。ではさて、これから一体どうしようかと考えながら城内を歩く。


「一通りは案内したつもりだが、何か気になることはあるか? 可能な限り融通を利かせるが」

「であれば、わたしから一つよろしいですか?」


 目的を投げるように尋ねれば、声を返したのはヘレナ殿だった。


「なにかね?」

「実は一人お会いしたい方がいらっしゃいまして。兼ねてよりお噂とお名前は聞き及んでいたのですが」

「ふむ」

「ヴァネッサ・アルカルロプスさんです」

「ジネット」

「確認してまいります。しばしお待ちくださいませ」

「では戻ってくるまでわたし達は食後のお茶にでもしようか」

「お茶ですか。カリーナというとホソバですかね」

「よし、用意させようか。折角だ。飲んでいってくれ」

「ありがとうございます」


 珍しい名前を聞いたものだと思いながら、お茶にも造詣(ぞうけい)があるらしいフォルカー殿の提案を採用する。

 ホソバとは紅茶の茶葉の一種だ。温暖な気候でよく育つ品種で、フェルクレールトでは主にカリーナで栽培をして他国に輸出している。濃厚で風味が強く、色もよく出て映える。ミルクなどは混ぜずに飲む方が香りが楽しめていいとよく言われる種類だ。

 また、同じ木から取れる茶葉でもスハイルの気候で育つものとは全くの別物の風味を有する。名前も異なり、それぞれに愛好家がいるほどの銘柄だ。

 そんな紅茶の種類。カリーナのホソバは、やはり本場独特の物がある。茶葉は時間が経つにつれ味も色も変わる。摘む季節によっても違うように、土地の物はそこで味わうのが一番だろう。

 結構お茶に詳しい彼と楽しい談義をしながら直ぐ傍の部屋へ。しばらくすればお茶の用意を持って使用人が扉を叩いた。


「失礼」

「します」


 少しくぐもった、二つの声。その事に思わず扉を見れば、開けて中に入ってきたのは鏡写しな双子の小さな侍女だった。

 きっちりと仕着せに身を包んだその足取りは迷い無く。全く同じ調子で歩む仕草に、頭の横の亜麻(あま)色の一つ括りが尻尾のように揺れる。

 その使用人姿に、思わず声を上げた。


「ピス、ケス」

「お仕事」

「お手伝い」

「そうか……そう言えば今日は学園も休みか」


 突然の事に驚いたが、直ぐに納得する。

 学園の授業で職業体験として使用人の仕事をこなした彼女達は、その後興味を持ったらしく不定期にでも続けたいと頼まれたのだ。それを了承した覚えは確かにあるが……まさかこんな時に鉢合わせするとは思わなかったと。


「お知り合いですか?」

「…………わたしの娘だ」

「あ、娘さん……。え、って事は…………」

「一応肩書きとしては王孫と言う事になるのだがな。何故か使用人の仕事をやってみたいと言うのでこうして暇な時に勉強させているのだ」

「そ、そうなんですか…………」


 王族が使用人の仕事なんておかしな話だ。が、彼女達がそうしたいと言うのだから親として理由も無く否定するわけにはいかないだろう。とは言えこんな事になるとは思わなかったがな……。

 立場ある者が自らと同じ仕事をしていると言うことが衝撃だったのか、ウェンディ殿が言葉に詰まる。と、そこで彼女の年の事を思い出して改めて紹介した。


「ピス・アルレシャとケス・アルレシャだ。二人共今年学園へ入学したばかりの妖精憑き……国も学び舎も違うが、ウェンディ殿と同じ学年と言う事になるか」

「あ……と。ウェンディ・ザニアです。はじめまして」

「ん」

「よろしく」

「普段から口数があまり多くないんだ。仲良くしてくれるとわたしとしても嬉しい」

「は、はいっ」


 同学年と言っても、出会いがこんなに特殊では直ぐに親しくなるのは難しいか。

 しかし二人にとっても年の近いウェンディ殿はいい刺激になるはず。是非いい関係を紡いで、互いに影響し合えればいいのだが。


「それで、お茶は二人が準備してくれるのか?」

「うん」

「待ってて」


 言って静かな足取りで準備を始める双子を見て、思う。

 ……何だか随分に様になっていないだろうか。まさか本当に卒業後使用人になるとか言い出したりしないよな? お父さん、不安だぞ?




              *   *   *




 カリーナ共和国に来て二日目。午前中に一通り城下を見て回り、午後からは自由行動となった中で。休憩に腰を下ろした部屋で、この国の新たなる王族と出会った。

 ピス・アルレシャとケス・アルレシャ。何処までも鏡合わせな双子の少女。まだ学生の、この先が楽しみな若葉だ。

 そんな二人が、王族でありながらどうして使用人の仕事をしているのか、これ以上無く理解出来ずに戸惑ったが、下手に首を突っ込んで外交問題に発展したら危険だと追究を諦める事にした。世界にはきっと、知らなくても生きていけることが沢山あるのだから。

 わたしだってたった26年生きただけの青二才。時間は有限だがたっぷりあるのだから焦る事はないと自分に言い聞かせて。それから用意された紅茶に口をつければ、深い香りと味わいが鼻腔を擽って胸の奥を温かくしてくれた。

 本職ではない彼女達が入れた紅茶だと構えていたが、楽しむ分には問題ない一杯。お嬢様が淹れたものだと思えば、別の楽しみもあると言うものだ。

 きっと他では飲めない贅沢なお茶だとちょっとした優越感に浸りながら楽しむ。

 そうしていると部屋に扉を叩く音が響いた。


「ジネットか。入れ」

「失礼します」


 扉を開けて中に入ってきたのは、カリーナへの逗留とうりゅう中、身の回りの世話をしてくれている使用人のジネット・シンストラさんだった。

 彼女には昨日、美味しいお酒が静かに飲める店を紹介してもらった。訪れた『胡蝶の縁側』と言う路地の奥にひっそりと佇むそのお店は、彼女の紹介通り落ち着いた雰囲気のいい店だった。

 中でも個人的に嬉しかったのは、お酒のお供として品書きにあった沢山の食べ物だ。主にお菓子などが多かったが、珍しい食べ物や聞き覚えのない商品も沢山あり、店主のおすすめも供されるお酒によく合っていた。

 客入りは少なく、わたし以外にはオリーブ色の髪を結って眼鏡を掛けた大人の女性が一人いただけだが、隠れた名店としていい時間を過ごせるお店だった。

 今夜は別の所に行くつもりだが、次に来る機会があればまたあの店に、今度はゆっくりと訪れたいものだ。

 そんな、城下の隠れ家にも精通したジネットさんは、まさに使用人のかがみで。振る舞いの端々からも有能な人物なのだと言うのはひしひしと分かる。

 彼女を家に雇いたいくらいだ。きっと一人いれば大抵の事はどうにかなってしまうだろう。

 いい使用人を雇っていると、アルレシャの家を羨ましく思いながら。

 足音一つさせない、存在感の希薄な彼女がいつの間にかルドガー殿の傍で報告を上げていた。


「ヴァネッサ様とご連絡が取れました。もうしばらくで仕事が一段落するとのことですので、その折に来ていただければ歓迎されるとのことです」

「そうか。ハダルさんはそれで構わないか?」

「はい。お仕事の邪魔をするつもりはありませんので。そちらのご都合にお任せします」

「分かった」


 ヴァネッサ・アルカルロプス。わたしは聞き覚えのない名前だが、どうやらそれなりの有名人らしい。

 そんな人物へ、スハイルからやってきたエルフィムの女性、ヘレナ・ハダルが話があると先ほど言っていた。エルフィムが興味を持つと言う事は、そう言った特別な何かの権威だったりするのだろうか?

 もし有名人ならば顔を合わせておくのも悪くないかもしれない。

 そんな風に考えながらお茶の時間を楽しんで。休憩の後にジネットさんの案内でヴァネッサ何某なにがしの下へと向かう。

 その道中のこと。


「これは……」


 思わず足を止めて零す。そこにあったのは、廊下の壁に掛けられた見事な肖像画だった。

 茜色の長い髪を頭の後ろで結わえた女性。紺青(こんじょう)の瞳は、高貴さと意志の強さを思わせる真っ直ぐな色。


「ん、あぁ。彼女はわたしの姪で、ピスとケスの従姉(いとこ)にあたる少女だ。ヨゼフィーネ・コルヴァズ……民草姫と言った方が君には馴染みがあるだろうか」

「お名前は存じておりますよ。先の第二次妖精大戦の終結を手繰り寄せた四大国での人質交換。その内、ここカリーナ共和国からお隣のトゥレイス騎士団国へ赴かれた、コルヴァズ陛下のお孫さんですよね」


 ヨゼフィーネ・コルヴァズ。コルヴァズ陛下の長子、アロイス殿下の子女。つまりは大統領陛下の孫……そこの双子達と同じ王孫殿下の肩書きを持つ王族だ。

 民草姫と言うのは、わたしが忠誠を捧げるブランデンブルク王室の世界の秘宝。アスタロス国王殿下の夫人、ローザリンデ・アスタロス王妃殿下の愛称である露草姫と対比して付けられた、ヨゼフィーネ殿下の愛称だ。

 優れた妖精従きとして妖精術の開発を行う、元研究者と言う肩書きを持つアスタロス王妃殿下。今は失われた(はなだ)色の光が、いつか戻るようにと願いを込められた露草姫と言う愛称。

 そんな、国のため、世界のためと貢献するブランデンブルクが誇る至宝。他国からも敬意を表される彼女のその振る舞い。

 それと比較されたのが、ヨゼフィーヌ殿下だ。

 わたしも直接は会った事がないが、噂では随分なお転婆姫らしい。学び舎や城での用事を放り投げて城下へ何度も遊びに出ては、周りを困らせて笑っているような人物。しかしそんな奔放さが民へ寄り添う親しみのある言動と重なり、公よりも私に生きる王族として、民の姫……民草姫と呼ばれるようになったとの事だ。

 とは言え王族としていささか配慮と節度に欠けた言動なのは確かで。下手をすれば外交問題すら引き起こしかねない自由さを見咎めて、厄介払いをするように人質としてトゥレイス騎士団国に差し出した……というのが(まこと)しやかに囁かれている噂だ。


「あの子の自由さにはわたしも手を焼いたものだ。その行動力も、祖父譲りといえばそうかもしれないがな」


 言って、ルドガー殿は自らの娘を一瞥する。

 確かに、彼女達も立場ある者としては不思議な存在だ。使用人をやりたいと言い出す王族なんて聞いたことがない。

 それもこれも、コルヴァズ陛下の血だとルドガー殿は言う。

 陛下は実直で、その手腕も鋭く立派な国の主だとは思うのだが……それは彼のたった一面に過ぎないのかもしれない。


「時折手紙が届く。まぁ元気で過ごしているようで何よりだ。トゥレイスの風土が彼女には合ったのやも知れんな」


 騎士団国は国民全員が騎士の称号を持つと言う異質な国だ。そしてそれこそが国民の証と言う、傍から聞けば物騒な話。

 しかし有事の際に民が武器を掲げて大挙するわけではない。そういった荒事は、実際に組織されている軍が担っている。

 また、騎士団国と言う名を冠している為か、武力の行使においては他国よりも慎重な嫌いがある。名が及ぼす影響と言う物を自覚しているからこそだろう。

 一説には、国名とは裏腹にこのフェルクレールトで最も穏健派な国だと言われている土地だ。

 が、だからと言って国自体が厳かと言うわけではなく。国の主が軍部の最高職を務めているということもあって、その雰囲気は活気があり賑やかだ。わたしも数度訪れた事があるが、あの国は毎日がお祭りのように賑やかで、暮らす者達の顔もとても明るかった。

 そんな雰囲気に自由を愛する妖精のような性格のヨゼフィーヌ殿下が染まれば、確かに気が合うのかも知れない。


「戻ってくるとなるとそれはそれで気が重いが、彼女のような存在がいなくても各国の関係が保たれるようになればと、常々思うのだ」

「だからこその今回のこれ、ですよね」

「そうであればと思う」


 微笑んだルドガー殿に、同じ笑みを返す。

 平穏へ向けての小さな一歩。それらが積み重なって、何れ本当に(いさか)いのない世界が描ければと、きっと誰もが思っているはずだ。

 …………まぁ、それはそれとして。

 肖像画とはいえ額の中の彼女はとても優美だ。個人的に、一人の女性として魅力的に思うくらいには。

 性格は色々言われる事の多いヨゼフィーヌ殿下だが、見た目はとても麗しい。もし彼女と共に放埓を満喫できたなら、それはきっと素敵な時間になることだろう。


「……どうしたね?」

「いえ。綺麗な方だと思っただけです」

「やめておけ。身を滅ぼすぞ」

「だからこそ魅力的にも映ると言う物では?」

「否定はせんがな」


 他にはない特別と言うものは、いつだって憧れの対象だ。彼女のように自分本位でいられたら。一体どれだけ世界が楽しく過ごせるだろうかと。

 そんな夢想をしつつ、足を出す。

 もし、彼女に出会える機会に巡り合えたならば。一度面と向かって話をしてみたいものだ。




              *   *   *




 仕事に一段落がつくのと同時。まるで動向を監視でもされているかのようにジネットさん達がやってきた。

 事前に聞いた話では、どうやらわたしに会いたいという奇特な人物がいるらしい。

 こんなしがない一研究者に一体何用だろうか……。そんな事を考えていたのだが、目の前に現れた顔を見ると、少しだけ納得のような物を得る事が出来た。


「いらっしゃい。ルドガー殿下もご一緒だったんですね」

「案内を任されていてな。時間は大丈夫か?」

「えぇ。丁度今終わったところ。完璧すぎるのも考え物ね」


 間のよすぎる使用人を一瞥して零せば、彼女は静かに頭を下げた。今日は仕事が優先らしい。


「お仕事」

「大変?」

「まぁね。けれどお陰でこの体のはんぶんについて理解が深まるのだから悪い事ばかりじゃないわ。少し進展もあったしね」


 仕着せに身を包んだピスとケスに、常備している一口大のお菓子を手渡しながら答える。食事を抜きがちな為にそうした食べ物を常備している研究者は多いのだ。……もちろんしっかりとした食事を取る事が好ましい事は承知している。ただ、望ましい事とそう出来る事との間には大きな隔たりと言うものが存在するのだ。


「それで、お客さんはどちら?」

「はじめまして、アルカルロプスさん。ヘレナ・ハダルです」

「えぇ、はじめまして。……とは言ってもお互いに名前くらいは存じ上げてるかしらね」

「そうであれば嬉しく思います」


 にこりと人のいい微笑み。その裏にある彼女の顔を、自分のそれと重ねて、胸の内で小さく嘆息する。

 ヘレナ・ハダル。スハイルの使用人。もし本当にそれだけの肩書きならば、きっと今ここに彼女は居ないはずだと。

 中々面倒なのに目を付けられたものだと思いながら探りを入れる。


「よかったら場所を変えないかしら? こんな場所では息が詰まるでしょう。わたしも少し気分転換がしたいの」

「お任せします」


 ……そっちの話ではないのか。ならば変に気を遣う必要は無かったかもしれない。


「それじゃあ温室にでも行きましょうか。あそこ、結構好きなのよね」

「ご案内致します」


 城内で運営されている温室。様々な草花を栽培し、気候に左右されない環境で稀少な種の需要を補ったり、新たな薬効などを求めて品種改良などを日々行われている、研究施設の一つ。

 だが、自然溢れる空間は憩いの場でもあり、特にわたしや彼女のような混じり者にとっては町中よりも心休まる場所なのだ。

 そんな温室へ向けて足を出す。道中では、会話の弾む男二人を先頭にその後ろをもう一人の混じり者の少女が。そしてその少女の背中を無言でじっと見つめる双子の使用人が静かに歩き、最後尾をわたしとスハイルの同情者が行く。

 ……どうでもいいけれど、ピスとケスはあの少女の事が気になるらしい。二人に興味を持たれるとは、彼女は一体なんなのだろうか。


「ハダルさん」

「ヘレナでいいですよ」

「それじゃあわたしもヴァネッサで構わないわ。そうでしょう?」

「はい」


 隣の彼女は、このフェルクレールトの大地でも珍しいエルフィムの少女。エルフと妖精の混血である彼女は、私としても興味の疼く対象だ。

 前々からその存在と名前は聞いていたのだが……こうして直接話をする機会があるとは思わなかった。

 同じく妖精の血を持つ身として、立場には余り拘らない。その為変な腹の探り合いは徒労だ。一線は引くけれども、無駄に立場の違いを意識する必要はない。

 わたしはそれを、個人的なわずらわしさの言い訳にしている節があるのだけれども……。


「それで……彼女は?」

「ウェンディ・ザニア。ヴァネッサさんと同じですよ。人間寄りのハーフィーです」

「それだけ?」

「だと思いますけど。どうかされましたか?」

「いえ…………あの二人が興味を示してるからもっと何かあるのかと思ったのだけれど……」


 ピスとケスの価値観は常人とは異なる。ともすれば妖精と比べる方が正しい気もする特別な感性。

 だから彼女達が示す興味には何かしらの理由があるはずなのだ。ハーフィーと言うだけならばわたしだって同じこと。


「年が近いからではないですか? ルドガー殿下のお話だとお三方は同じ学年だそうですので」

「そう」


 それだけとはやはり思えないけれども……。

 そんな事を考えた直後。話し声が聞こえていたのか、ピスとケスが同時にこちらを振り返って告げた。


「6」

「4」

「あぁ、そうなの」


 6で4。つまりは二人と同じ属性(エレメント)に愛されている少女らしい。……本当にそれだけか?


「クラウスの」

「なに?」

「え……クラウス君?」


 返った声は直ぐ隣から。見ればヘレナさんが驚いたような表情を浮かべていた。


「クラウス君のこと知ってるの?」

「会った」

「話した」

「クラウスって確か……この前のクォーターの子だったかしら」


 クラウス・アルフィルク。先のスアロキン峡谷の一件で共に肩を並べた、ブランデンブルクの少年。同じくクォーターの妖精と契約を交わしている以外は、それほど目立った印象のなかった少年だったが……どうやらピスとケスにとっては名前を覚えるほどに重要な相手だったらしい。


「この前のスアロキン峡谷で少し。その前にも一度会ってるんだけれども」

「あぁ、そう言うことですか……」


 少し安堵したように零したヘレナさん。それは一体何の懸念だろうか?


「ヘレナも」

「知ってる?」

「っ……」


 今度はわたしが驚いた。

 クラウス・アルフィルクだけでなく、ヘレナ・ハダルも……そして前を歩く少女も二人の興味の対象。

 流石にそれは見過ごせないと認識を改める。一体何がそこまで彼女達を惹き付けるのか。


「えぇ。夏にスハイルに遊びに来たことがあってね。その時に少しお話したの。面白い人だよね、彼」

「うん」

「好き」


 ……駄目だ。彼女達が何の話をしているのかが分からないが、どう考えても普通ではない。

 話の流れから察するに話題の中心にいるのはあのクォーターの少年だが。……彼がそんなに特別なのだろうか?


「わたしとしては二人がクラウス君と知り合いって言う方がびっくりなんだけど……」

「ウェンディは?」

「クラウスの何?」


 飛んだ……戻った話題。そんな不思議な呼吸にも、慌てる事無くヘレナさんは付いていく。

 やはり彼女が興味を示す対象と言うのはどこかこの世界からずれているのだろうか。


「それは……あの子に直接訊いてみるといいよ。ちゃんと話せば、きっと教えてくれるから」

「うん」

「分かった」


 頷いて、それからウェンディさんに声を掛けたピスとケス。突然の事に驚いてあたふたする彼女を、隣のヘレナさんが優しく微笑みながら見つめる。


「仲がいいのね」

「可愛い後輩ですから」


 それだけではない気もするが。まぁいいとしよう。変に首を突っ込んで睨まれるのも面倒だ。

 前で交わされる囁き声に耳を(そばだ)てることはせず、身の保身を第一に興味の矛先をどうにか納めて。やがて辿り着いた温室を巡り始める。

 植物の栽培にはそれなりに力を入れているカリーナ。ここだけでなく、国内には沢山の温室や農場が経営されている。

 ここは国の首都と言う事もあって土地が限られている為にそれほど大きくはない。だが、他国と比べると規模は大きいようで、ウェンディさんやもう一人の男性も感心したように辺りを見渡していた。

 そんな自然に囲まれた空間の中で。血の半分が疼く事を言い訳に尋ねる。


「それで。話って言うのは一体?」

妖精変調フィーリエーションについてです。ヴァネッサさんはどのようにお考えなのか……共有できるお話があればしておければと思ったので」


 向こうからの申し出と言う事はこちらの情報に対する対価も用意していると言うこと。ここは素直に協調性を尊重するとしよう。


「……今のところ分かっているのは、異変が起きているのは野良の妖精だけ。契約を交わしている者にその兆候はない。それから……これは可能性の一つとしてだけれど、妖精力が溢れる場所ではその兆候も見られない事。そして、一度妖精変調の影響を受けた子達も、その空間にいればそれ以上の妖性の暴走が引き起こされない事は、多分正しいと思う」

「稀にありますね、そういった場所は」

「その仕組みを解明できれば状況改善の一助にもなると思ってるのだけれどね」

「……自然的に生まれたものではないとお考えで?」

「人の世に生きてはいるけれど、一応わたしもハーフィーだもの。流石にそこまで盲目ではないつもりよ」


 カドゥケウスがいるあの空間に、これまで両手の指では数え切れないほど足を運んだ。

 あんなに近くにあって未だ解明できていないというのは怠慢だと言われるかもしれないが、それくらいに理屈が分からない事象なのだ。

 だからこそ、あれが自然発生でないことは確か。何者かの手が加えられているのかは分からないが、あの濃密な妖精力溜まりにはきっと理由があるはずなのだ。


「わたしは研究者ではないのでお力にはなれないかもしれませんが……。ですが一つ、スハイルで挙がっている調査報告をお伝えしておきますね」

「えぇ」

「妖精変調の影響は、人間と、そしてエルフの血を持つ者には及ばない。これが今スハイルが持つ妖精変調に対する情報です」

「それは、契約を交わしていなくても?」

「はい」


 彼女の言葉が本当ならば、妖精変調に人間とエルフが直接巻き込まれることはない。……関与していないとは言い切れないが、少なくとも人とエルフの血を持つ者に関しては調査の線を切ってもいいと言う事だ。

 これは十分大きな進展。問題が妖精に限られると分かるだけでも掛ける労力に大きな差が生まれるのだ。

 そして何より、彼女の言葉を信じられる理由がスハイルと言う国だ。

 スハイルには沢山のエルフがいる。数がいればその分情報が増え、事実の真偽を見極め易くなる。

 そんな彼女が、人間とエルフの血は無関係だと断言していると言うことは、スハイル国内でその該当者達に妖精変調の影響が一件も確認されていないという事なのだ。


「もう一つ付け加えておきますと、エルフィムも恐らく大丈夫です。わたし自身も変わった事はありませんので」

「そう。……と言う事は、妖精変調は純粋な、野良の妖精に限られる現象と言う事ね」

「そうですね」


 人の血。エルフの血。契約。そのどれかに該当していれば妖精変調の影響は受けない。

 逆に言えば、それに該当しないのは契約を果たしていない純粋な妖精だけだ。


「あと、これはまだ確証のない話ですが、転生したばかりの妖精も妖精変調の影響は受け辛い。逆に、消滅間近の、長く生きた妖精ほど影響を受けやすい傾向はあるみたいです」

「転生も無関係って事?」

「寿命と考える方が正しいかもしれませんね」


 妖精が契約を果たさないまま存在できる時間は、一般的に20~30年と言われている。それでいて転生して直ぐは影響を受け辛いというのであれば、見えてくるものは存在する……。


「妖精変調は保有する妖精力の総量に左右される……?」

「スハイルも同じ考えです」


 つまりそれは────


「そう。そう言う事……」


 だが、だとすればどうして今なのか……今度はそれが分からなくなる。

 可能性ならこれまでもあったはず。今である必要性を感じない。

 事はもしかすると、妖精の個だけに収まらない話なのかもしれない。


「ヴァネッサさん……?」

「あ、ごめんなさい。少し考え事をしていて」

「いえ、ヴァネッサさんのような方がいてくださるから妖精との関係もまだこの程度で済んでいるのだと思います。そんな方々のお力に少しでもなれたなら幸いです」

「えぇ。貴重な意見だったわ。ありがとう。わたしの話もスハイルに戻ったら伝えてもらえると助かるわ」

「はい。任せてください。共に、よりよい未来を目指しましょう」


 差し出された掌を迷わず取る。四大国会談前に大きな進展だ。これならば会談までに何かしらの報告を陛下に出来るはず。

 その先のことはまだ分からないが、少なくともようやく世界規模で妖精変調に対して動いていけそうだと。確かな実感を得ながら、この出会いに感謝をしたのだった。




              *   *   *




 カリーナでの二日目も充実した時間を送り、宿に返るその道の途中。今日は双子姫のピスとケスもお見送りに来てくれる。

 明日がカリーナ滞在の最終日。午後には竜篭に乗ってスハイルへの帰途だ。

 特に明日は方々への挨拶回りもある。国の使者としてやって来ている都合上、どうしても避けられない予定だ。

 つまり自由に行動できたのは今日が最後だったのだが……少しだけ消化不良。

 と言うのも、目的の一つであるカドゥケウスへの目通りが叶わなかったのだ。

 彼の世話係を任されているヴァネッサさんに頼んだけれども、流石に他国の者を彼に会わせるわけには行かなかったらしい。理屈は分かるが、不満は募る。彼に直接訊きたい事があったのに……。

 ……まぁいい。手段を問わなければどうにかなる。そのうち時間が出来た時にでも彼に会いに行くとしよう。

 そんな事を考えながらウェンディと共に歩いていると、そこに掛けられた声が一つ。


「ヘレナ」

「何?」


 いつの間にかそこにあったのはこちらを見つめる(あま)色の瞳。自然すぎて気がつかなかった距離感に、少しだけ恐ろしさを感じながら。


「何、って言うと?」

「12」

「5」

「………………」


 脈絡無く核心を(えぐ)り出されて思わず言葉に詰まる。

 この子達にとってはそれが普通だというのは分かっているつもりだ。が、こうして矛先を向けられるとやはり受け流しきれ無いものも存在する。


「……他の人には言わないでね」

「うん」

「分かった」


 こくりと頷いた双子に、前を歩くジネットさんとフォルカーさんを一瞥して僅かに距離を取ると、胸の内を引き絞る。

 微かに変質した胸の内。その些細な動きに彼女達が気付いて、少しだけ目を見開いた。


「これで納得してくれた?」

「うん」

「ありがと」


 ……まさかこんな唐突にわたしの一部を(さら)け出す破目になるとは思わなかった。とはいえ(いず)れ彼女達は興味から突っ込んでいただろう首。ならば早い段階で消化できて、後顧の憂いを断てたのだと、そう思う事にしておこう。

 彼女には報告しておいた方がいいかな、これ……。


「でもそれは?」

「もう一つは?」

「もう一つ……?」


 今度は流石に訳がわからずに問い返す。すると彼女達は飾る事無く口を開いた。


「扉?」

「鍵?」

「っ……!!」


 駄目だ。それは流石に駄目だっ!


「ちょっとこっち……!」


 まさかそこまで見透かされるとは思わなかった。この双子はやっぱり危険すぎるっ……!


『ごめん。それは本当に勘弁して。じゃないとわたし役目を果たせなくなる』


 丁度そこにあった路地に連れ込んで、殆ど脅迫(まが)いに嘘なき言葉で告げる。胸の奥から、隠す気のないもう一人のわたし(・・・)が顔を覗かせる。


『これは必要な事なの。皆の為に。だからお願い。絶対、誰にも、言わないで。じゃないと世界の歪みが早まっちゃう』

「ごめん」

「わかった」


 一瞬、『宝物庫』を使ってしまおうかとも思ったが、意外なほどあっさりと受け入れた二人に毒気を抜かれた。


「……本当?」

「気になっただけ」

「嫌な事はしない」

「…………そう。それじゃあ信じさせてもらうわね」


 代わらない表情でこくりと頷いた二人に小さく息を吐く。

 幾ら彼女達が愛されているとはいえ、これは流石に報告しておかなければならない案件だ。

 面倒の限りを思い浮かべて嘆息すれば、わたし(・・・)を治めてわたしに戻る。


「それじゃあ気付かれないうちに戻りましょうか」


 ジネットさん辺りはいきなりいなくなった事に気付いているかもしれないが、何も言われなければそ知らぬ顔をしておくとしよう。それくらいに重大な秘密を暴かれそうになったのだ。

 ……全く、最後の最後でこんな事になるなんて。これは最早、警戒や油断と言う次元の話ではない。

 わたしに落ち度はないっ。彼女達が勝手に覗いただけっ。そう思わないとやってられないっ!


「…………お酒……あとでフォルカーさんに教えてもらおうかな」


 自棄(やけ)になってそんな事を零しながら、何事も無かったかのように歩き出すピスとケスについていく。

 これから約三年辛抱しなければならないのか……。はぁぁ…………。




              *   *   *




 宿に戻り、吐息を零す。すると目の前に座った先輩が悪戯に微笑んで尋ねてきた。


「疲れた?」

「……少しだけ。先輩は平気なんですか?」

「目上相手は普段からの事だもん。今更緊張しないよ」

「でもここはスハイルじゃありませんよ?」

「そんなの何処だって同じ。ようは自分のままでいられるかどうかだから。周りに合わせるもの重要だけど、全部を演じてると無駄に疲れちゃうからね。今のウェンディみたいに」

「うぅ…………もっと早く言ってくださいよぉ」


 意地悪な先輩に追い討ちをかけられて唸る。そんな反応がお気に召したのか、彼女……へレナ先輩は楽しそうに笑った。


「でもいい経験になったでしょ?」

「それは、まぁ……。国外での仕事がいきなり王族相手だとは思いませんでしたけれどね」

「けどこれ以上なんてもう殆どないから。自信になったならきっとどこ行ってもやっていけるよね」

「私、先輩にみたいに特別じゃないですから」

「なに言ってるの。そんな目を持ってるくせに」

「………………」


 目の事を指摘されて黙り込む。

 それは私の今を作る全てで。そしてヘレナ先輩との出会いだったのだ。この目が無ければ、今こうして彼女の後輩をしてはいないだろう。

 不意に先輩が真剣な目つきになって尋ねてくる。


「あの子達はどうだった?」

「……普通の子です。ただ異常に妖精に好かれているだけの」

「そう。だったら一先ひとまずは安心かな」


 肩の荷が下りたように呟く先輩。

 今回私が先輩に同行してやってきた理由は二つ。一つは先に言ったように国外での経験を積むため。

 まだ見習いの使用人だが、何れ主を見つけてその者に仕えるのだ。その時に世間知らずでは主人に恥じを掻かせてしまう。

 そうしないために、見習いの頃から国外へ赴いてその経験と知識を積み重ねるのだ。どんな時でも主となる人物の補佐を変わらずできるように。

 そしてもう一つが、カリーナ共和国の双子……ピス・アルレシャとケス・アルレシャの様子見だ。

 私の目は少し特別。きっとハーフィーだから発現した力なのだろう。

 この力は世界の真実を暴く……とヘレナ先輩は言っていた。彼女が言うのだからそれくらいに重要な物なのだろう。

 ……まぁ、それが原因でヘレナ先輩に目を付けられて、こうして一緒に行動しているのだけれども。


「それに想定外の情報も手に入ったしね」

「なんですか……?」

「クラウス君」

「っ!!」


 言葉にされて思わず肩が跳ねる。気付いた時には遅く、先輩がにやにやと楽しそうな笑みを浮かべていた。


「よかったね。話を聞けて」

「…………はい……」


 彼女相手に今更飾っても仕方ないと素直に頷く。

 同時、脳裏を過ぎる顔に過去を思い出す。

 クラウス・アルフィルク。彼は、私が助けられなかった男の子。私が傷を負わせた男の子。

 私の後悔であり、私の願い。


「……やっぱりまだ怖い?」

「…………分かりません。でもそれは、彼がって言う話では無くて、私がまだだから」


 私は、臆病な意気地なしだ。そして、彼の名前を聞いてほっとしている卑怯者だ。


「大丈夫。急かしたりしないから」

「はい……」

「だから、もし勇気が出たら言って。力になるから」

「ありがとうございます」


 こんな私ぽっちな我が儘に付き合ってくれる先輩には感謝をしてもしきれない。

 だから、その時が来たら全力で望むのだと決意する。それがきっと、皆に対する誠実さだと思うから。


「ん…………よしっ。それじゃあご飯食べに行こっか! いい事もあったし今日は奢ってあげるっ」

「いいんですか?」

「先輩の厚意は素直に受け取っておきなさい。それで、ウェンディに後輩が出来た時に同じようにしてあげればいいから。ね?」

「……わかりました。ご馳走になります」

「よろしい。で、なに食べる?」

「…………ロゥフ・レッテ」

「だけ?」

「……レジェも…………」

「好きだね、レジェ」


 だって、私が一番覚えている味だから。

 私の過去の事を知る先輩が優しく微笑んで立ち上がる。そんな彼女について足を出せば、遅れて自覚をしたようにお腹が空腹を訴えてきた。

 現金だなぁ、私も。昨日まで緊張で殆ど食事も喉を通らなかったのに……。

 けれどもしかし、最後ならば、だからこそ。そう気持ちを切り替えれば、宿の外で待ってくれていた先輩に並んで歩き出す。

 カリーナの味。しっかり堪能して帰るとしよう。

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