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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
宵風に奔走する炎色のアボボラ
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第一章

 妖精変調(フィーリエーション)。そう名付けたのは、ブランデンブルクの王妃、ローザリンデ・アスタロス殿下だ。

 一研究者であるわたしからすると雲の上の存在で、手の届かない(いただき)の花。ハーフィーである特別性があっても、彼女にはまだまだ及ばない。大きく高い壁を感じる、尊敬すべき人物だ。

 先の大戦、第二次妖精大戦の最中。他国の工作によって色を失った彼女は、元々その瞳に宿っていた(はなだ)色──露草色に(なぞら)えて、彼女の色が戻るようにと露草姫と言う愛称で世界中から親しまれている。

 研究に(たずさ)わる身として聞き及んでいる彼女の功績は多岐に渡り。特に妖精術の開発に関しては並ぶ者無しとまで称される類稀な才覚を持つお方。

 しかもその前歴……王妃として見初められる前は、今のわたしと同じ国仕えの研究者として職務に従事していたのだ。

 だからこそわたしは同じ研究者として国を越えて彼女の事を心の底から尊敬している。

 そんなアスタロス王妃殿下が、この度世界で確認された問題────惑い者が引き起こす騒動のその根幹に関して、妖精変調と言う名を付けたのだ。

 (いわ)く、魂が揺らぎ、存在の根源が惑って本能のままに影響を及ぼす。その最たる形の一つとして人の似姿を手放し、物語の中でしか登場しなかった巨人などの、言ってしまえば怪物のような姿で世界に爪痕を刻む……と言うのが妖精変調という問題だ。

 この原因究明には、スアロキン峡谷で合同調査を行ったブランデンブルクの学生が絡んでいるとも小耳に挟んだ。

 学生の身で……などという言い訳はただの嫉妬。才覚を発揮することに年齢は関係ない。今回は、そこに関して隣国の学生の閃きが真実を暴いたというだけの事だ。

 まぁ、わたし個人としてそれ以上に気になるのは、あの学生の集団の中にいた四分の一の存在だ。

 クォーターと呼ばれる命の形。

 人と妖精の混じり者と言うと、その殆どはハーフィーの存在だ。そこに含まれるわたしも、人と妖精の血を半分ずつ持つ種族の橋渡し。居場所を中途半端にしか見つけられない、世界の爪弾き者。

 そんなハーフィーと純粋な人間、()しくは純粋な妖精との間に命を授かるのがクォーターだ。彼らはその身に宿る血の比率が(かたよ)る。妖精が過多な者を妖精寄りの、人間が過多な者を人間寄りのという接頭語をつけて区別し呼び習わすのが普通で、ハーフィー以上に自らの居場所を見つけられない、この世界では生き辛い存在達だ。

 そのクォーターが、人間寄りと妖精寄りがまるで奇跡のように寄り添い、契約を交わして隣り合っていた。

 クラウスと呼ばれていた、灰色の髪を撫で付けた眼鏡をかけた少年と。彼にフィーナの名前を許した白銀の長髪を身に纏う妖精。

 二人で一つとでも言うべき、唯一つの繋がりを手繰り寄せたような、(いびつ)な完成形。そんな妖精従き(フィニアン)の事が、今も尚頭の片隅に残っている。

 絶対数が少ないクォーター同士が契約を交わす。それがこの広い世界において、たった一度の契約の場で為されたのだと思うと、興味以上の物が疼いてしまうのだ。

 一体どんな縁を持っているというのか……。研究者として、探求せずにはいられない不思議だ。

 そんな風にわたしが気になってしまうもう一つの理由は、ピスとケスの存在だ。

 彼女たちは二人にとっての特別でなければ他人の名前を覚えない。今年の春から何度か行動を共にしているわたしですらまだだというのに、彼はあの時二人に名前を覚えられていたのだ。

 英雄的妖精、カドゥケウスの事を預かっているという特別性は、カリーナ国内だけのもの。クラウスと言う少年は、きっとそれ以上の特別を秘めた存在なのだ。

 クォーター同士で契約を果たし、ピスとケスに認知される。世界の真理とも、はたまた永遠の謎とも言うべき未知の塊。

 これで興味が湧かないのであれば、その者は研究者として相応しくないとさえ思えてしまう。

 ……が、わたし個人の興味は、世界との天秤にかければ些細なもの。もし本当に彼が特別なら、何かの機会に再び相見(あいまみ)える事だってあるはずで。この胸の内の感情は、とりあえずその時までしまっておこうと理性で押し込む。

 彼への興味よりも優先すべき世界の案件。妖精変調と言う名を付けられたその現象は、もはや一国に留まる問題ではないのだから。

 スアロキン峡谷でのトロールの出現。今はその詳しい調査を進めている段階だが、並行して他国に照会を行ったところ、他の三国でも似たような問題は起きているという情報共有が為されたのだ。

 今のところ内々で処理できてはいるが、その規模も段々と大きくなってきている。峡谷の時のように国同士で協力して事に当たることが増えれば、真実を世界に共有してもっと大きな単位で向き合っていく必要も出てくる可能性だって(いな)めない。

 そしてそうならないように……なってしまったときに迅速に対処できるように、様々な形で真相解明を行うのがわたし達研究者の使命だ。

 そんな、世界の火種が新たに芽吹きつつある今、わたしは以前にも増して職務に邁進するようになった。……より正確に言えば、そうせざるを得なくなったという方が正しいかもしれないが、何にせよ忙しくはなったのだ。

 理由は当然、妖精変調。四大国会談を目前に控えたこの折に、世界を揺るがしかねない問題。惑い者と曖昧に誤魔化し続けてきたこれまでとは違い、明確に定義された違和感は拭わなければならない。

 その解決策が未だ霧の中で手探りな現状。どうにか会談までに一つ線引きが欲しいのだが、このままでは届かない。

 きっと他の国も同じようなものだろうと、似通った境遇の顔も知らない誰かを思い浮かべながら、それでも何かきっかけを……と答えの切れ端の落書きを探す日々だ。

 大体、ハーフィーのわたしがわからないんだから人の世界でどうこうしようと言うのが間違いだろうに。もう少し配慮のある仕事を押し付けて欲しい物だ。


「…………だめ。休憩っ」


 幾ら考えても見つからない道の先に苛立ちを覚えて立ち上がる。その足取りのまま研究室を出て照りつける陽の下に体を(さら)せば、不健康が軽い眩暈を突きつけてくれた。


「秋はどうしたのよ……」


 鬱陶しい日差しに呟いて、気分転換に町へと足を向ける。

 行き交う人の流れをどうにか避けながら宛てのない散歩。途中露店で軽食を買いながら、物に溢れた石畳を歩く。

 そう言えば商業地区に来たのは久しぶりかもしれない。水竜の一件以降何かと借り出されて家にも(ろく)に帰っていないのだ。……そろそろ妖精が紛れ込んで棲み処にでもしていないだろうか。

 ……よし、決めた。今日中に何か見つからなかったら無理にでも休暇申請を通すとしよう。このままでは世界の滅亡を待つより早くわたしの存在が尽きかねない。

 何処かに飲みに行くのもいいかも知れない。行きつけにも当分顔を見せていないのだ。一日くらい…………大人にだって休日があってもいいだろう。

 そうと決まればもう後先考える必要はないと。温存していた思考回路を思いっきり使って情報を洗いなおす。

 ……やっぱり、一番きっかけとして考えやすいのはこの前のスアロキン峡谷での出来事か。

 ブランデンブルクと合同で調査に当たった任務。あの時出現した巨人は、後の調べでトロールであると確定している。

 物語に登場する妖精の巨人。大地の守護者にして財宝の管理者。空想の中では大抵、欲を独占する粗野な怪物として描かれるかの存在は、その存在自体が道徳の教科書でもあるのだ。

 欲に溺れれば思慮の欠けた者になってしまう。その行いは愛すべき自然を壊し、平穏の輪から逸脱し、迫害されてしまう。

 だから、他人に優しくあれ。富める賢者であれと、道徳心を教え説くのだ。

 視点を裏返せば、トロールは富める大地の化身でもある。大地の富みとは、自然の恵みであり、実りの事。つまり豊穣を司る概念でもあるのだ。

 魂を自然に根差すかの者達は、自然を愛する妖精の側面を強く持つ。だからこそ妖精変調として妖性が暴走するまでは、手付かずの大地を守る番人としてその境界を侵す事無く、時に実りの恵みをもらってきたのだ。

 物語では怪物として描かれるトロールだが、しかしそれは巨人達が守護する財に目が眩んだ輩を追い払う為の防衛行動。根底にあるのは、野蛮な行いに対する正義の鉄槌なのだ。

 つまりは、周りが干渉しなければ向こうから事を荒立てるような事はして来ない。それどころか、友好的な関係は互いの利さえ生み出すのだと。

 手を取り合って共に歩むというその考え方は、トロールに限らず妖精全体にも適応できる考え方。

 だからこそ今回の妖精変調と言う問題には納得がいかなくて、原因究明が混迷を極めているのだ。

 こちらから手出ししなければ妖精は何もして来ない。例え触れ合っても、それは笑って済ませられる悪戯(いたずら)止まり。その悪戯だって、彼女達妖精が生きていく為に必要な存在意義。

 人の食事や睡眠と同じように。なくてはならない本能だ。

 だからそれは否定しない。……否定できないからこそ、向こうから勝手に事を起こしたというあの刹那が、腑に落ちないのだ。

 一体何が理由で巨人の姿を取り、景色を害したのか。意思疎通も叶わず、擦れ違う事しか出来なかったのか。

 人が害したというならばもっと簡単なのに……。そうでは無いが故に根拠を見つけられなくて。妖精変調と言う得体の知れない問題に窮しているのだ。

 そもそも、妖性が人型を破って現出するという前代未聞が、よく分からない。

 あれはなんなのか。どうして今なのか。これまでありえなかった理由は……?

 それが分かれば何かしらの対策が講じられるだろうに。ハーフィーであるわたしの記憶にもその理由となる知識はない。

 ……だったら妖精外の事象が妖精に干渉しているとでも? 一体何が? その方が荒唐無稽だ。

 もし仮にそうだとすれば、もはや人の手にも、ましてや未知を秘めたる妖精の手にも余る事柄。それこそ、世界崩壊の序章だ。

 そんなこんなで、一体どこから手を付けていいか分からないと言うのに。世界の歩みは無情に平等で、トロールの一件を着火材にしたようにフェルクレールトの大地のあちこちで妖精変調と思われる問題が頻出している。

 まぁ、今は妖精変調と言う新たな枠組が出来た事により、そこに該当しないただの悪戯までもが振り分けられて数が増えていると言うだけだろう……と言うのがわたしの推論。そうであって欲しいと言うのがわたしの願い。

 これ以上問題を増やされて(たま)るかと。必死の思いで情報を掻き集め、様々な視点から検証を重ねて事態の収束に役立つ何かを探しているのが、置かれている忙しさの根底だ。

 そして、そんな篭りきりの生活に嫌気が差して、こうして久方ぶりに陽光を一身に浴びているのだ。そろそろ眩暈で倒れそうだが……。


「そろそろ涼しくなってくれないかしらね」


 ぼやきながら暦をなぞる。

 近々ハロウィンとサウィンがやってくる。古い暦ではハロウィンを一年の終わり、サウィンを新たな始まりとしていたという話もある。

 作物の殆ど育たない厳しい冬を目前に実りを蓄え用心する。陽も短くなり、大地が眠ると考えられていた昔には、冬は悪霊の季節だと言う考えもあったそうだ。

 特に季節の変わり目はあちらとこちらの境界線が曖昧になって招かれざる存在が姿を現すと信じられ、それに対抗するように原初の儀式としての祭日が生まれたのだ。

 これまでしてきたルーナサやメイボンもその一つ。あれらも先人の名残であり、今では少しだけ意味合いを変えた節目だ。

 同じく祭日として数えられるハロウィンとサウィンも、人々が日々の営みを続けていく為の拠り所。特に今回の二つは冬目前と言う事もあって儀式的な意味合いが強い。

 とはいえ歴史の変遷は物事を風化させる。儀式的な色は強いが、最盛期ほど執拗ではない。

 大きな転換期と言えば、やはり戦なのだろう。

 このフェルクレールトの大地では幾度か大きな争いが起きている。

 妖精との出会いに端を発する第一次妖精大戦。エルフとの邂逅と衝突によるエルフ兵革……蛮種戦役。歴史史上最大規模と言われる、第二次妖精大戦……。

 繰り返されてきた衝突と束の間の平穏は、その都度様々な形ある物を歪め、新たな価値観を生み出してきた。その変遷の中で過去の伝統が様変わりをして、今の世に伝わっているのだ。

 十数年前に一応の決着を見た争いから、目立った衝突もなく平穏を歩んでいた世界。だからこそ日常的に間延びして様々な儀式が娯楽の一部へと変わってしまった。

 そんな折に、再び騒乱を繰り返すかのように今回の妖精変調の存在……。

 まるで歴史が吊り合いを取ろうと揺り戻しを行うような流れを感じて、不穏以上の悪寒が背筋を這い上がるのだ。

 このままことが遷移すれば、今年のハロウィンとサウィンは大きく盛り上がる事無く流れてしまうだろう。戦時中は似たようなものだったらしいし、大事の前の小事の如く、嫌に胸騒ぎがするのだ。

 だから、できることなら娯楽でもいいから……平穏無事に日々を謳歌できる事こそが、今を尊び騒乱を跳ね除ける原動力なのだと未来に願う。

 なにより、わたし自身が日頃の休息としてお祭り騒ぎを楽しみたい。幾ら状況に追い立てられていても、それくらいは赦されるはずだ。

 カドゥとの約束もあるし、催されるならば仕事を放り出してでも参加してやるつもりだ。

 そんな事を一人決心しながら、日陰を求めて路地の奥へ。城下町に住んでいても基本同じ道しか使わない引きこもりには、首都も立派な異世界。

 一歩裏路地に入れば冷え込む空気と色の違う石畳が非日常感を演出してくれる。

 何気なしに今回足が向いたのは、隠れ家的なお店が軒を連ねる路地。全く覚えのない名前の看板が吊り下げられた通りを、人と殆ど擦れ違うことなく歩む。

 気分転換にとゆったりとした足取りで店を眺めながら歩けば、ふと軒の一角に嗅ぎ慣れない匂いを覚えて足を止めた。

 『胡蝶の縁側』と綴られた扉の向こうから微かに鼻先を掠めるのはお酒の匂い。どうやらお洒落な酒場らしく、魚介の水揚げや朝市が開かれる市場区画の少し荒々しい雰囲気の飲み屋とは違い、落ち着いた空気感のお店のようだ。

 酒精飲料とは余り相性の良くないわたしだが、思い切り破目を外したい時くらいは大人を振りかざす事もある。また何れ、機会があれば覗いてみるのもいいかも知れない。

 偶然の発見に少しだけ気分をよくしながら、気付けば呼吸も楽に足取りは再び仕事場へと向かう。

 息抜きは終わり。再び世界の真理を解き明かすために、未知に邁進するとしよう。


「妖精変調が酔ってるだけならいいのに……」


 想像を音にして、けれども一笑に付す。そもそも妖精は飲食を必要としない種族だ。その気になれば酔いなど気にしなくていい。

 大体、酔って本能を剥き出しにするなんて……人で例えれば泥酔して服を脱ぐような物。幾ら自然を愛する妖精でも、そこまで開放的にはならないだろう。

 ……こんなくだらない想像が巡ってしまうくらいにはわたしも疲れているのだと自覚して。

 今日は根を詰めすぎる前にゆっくり休む事を自分に言い聞かせながら、小さな吐息と共に仕事へと気概を入れ替えたのだった。




              *   *   *




「話は分かった」


 書類を机に置き顔を上げる。

 目の前には軽装ながらきっちりと身を包み背筋を伸ばして立つ眼鏡を掛けた男の姿。

 エルヴェ・フォルナシス。このカリーナの治安維持の一翼を担う陸軍所属の軍人だ。

 海軍に所属するアラン・モノセロスと並んで称されるその実力は、先の大戦も経験した確かなもの。この前のスアロキン峡谷周辺での調査任務も現地指揮は彼に委ねて行われた物だ。

 それくらいに信頼に値する騎士の申し出が、今し方目を通した書類の内容だ。

 綴られていたのは上申。この度世界を席巻(せっけん)した妖精変調と言う新たな問題に際して、人の世界にまで影響を及ぼす妖精の存在に対抗する即応部隊の編成を、と言うのが彼の提案だ。

 きっと他の国も似た様な事はしているだろう。そういう意味では彼の申し出も的外れではない。

 が、二つ返事で頷くには難しい条件が併記してあった。


「舞台を編成する事に関してはこちらでも考えていた。その事に異論はない。…………しかしあの子達まで巻き込む理由は何だ?」

「現状、彼女達以上の適任が存在しないためです」

「……………………」

「陛下のお気持ちもお察しいたします。ですがこれは、無理を通してでも成すべき事と思い、こうして直接お話に参った次第です」

「ピスとケス、か……」


 書面に記された名前を口に出して咀嚼する。

 エルヴェの言い分は明快だ。前回の調査に我輩の孫であるピスとケスが同行した。それは出現した巨人と妖精の関係を(つまび)らかにする為に、いざとなれば頼って欲しいと思っての、いわば最終手段だったのだ。

 そんな懸念が功を奏したのか、実際に二人は巨人がトロールであり、妖精であると突き止めて戻ってきた。お陰でヴァネッサたちも全くの手探りではなく、僅かなきっかけを足掛かりに今も賢明に原因究明に奔走してくれている。

 あの二人にはそれだけの感謝をしているのは確かだ。それは間違い無い。

 しかしそれとこれとは話が別だ。あの時は危急の為の致し方ない決断。幾らあの二人の感性が規格外だからといって、そればかりに頼るのは不平等だ。

 世界は皆の物。誰か一人の力で巡っている訳ではない。なにより────


「気持ちは分かるが、あの子達は学生だ。その本分を(おろそ)かにするようなことは出来まい」

「承知しております。それでも、手立てがあるのならばその手を貸していただきたいのです。……今の私達には彼女達の力に代わる明確な手段がございません。その方法論が確立するまででよいのです。時折、お二方の知見をお借りできれば…………」


 彼自身も随分と悩んだ末の結論なのだというのは良く分かる。そうしないと今はまだ前に進めないと言う事もだ。

 ヴァネッサたちの探求が何かしらの進展を見せなければ、後手に回らざるを得ない。

 ピスとケスがそれをある程度覆すというのも理解は出来るつもりだ。だが、それでも……。


「……我輩は、彼女達を危険に(さら)したくは無いのだ。大切な孫だからと言うのもある。だがそれ以上に、未来を彩る若葉たちだ。例えピスとケスでなくとも、同じように憂い、そう答えるしかないのだ。理解してくれ」

「…………失礼しました」


 彼の実直さは認めている。我輩だって、同じ立場なら似たような事をしただろう。

 功績だとか、そんな(しがらみ)は別で。ただ国の……世界の平穏の為に剣を捧げる。その思いのままに懸命さを尽くすという気持ちまでをも(ないがし)ろにするつもりはない。

 国を、民を預かる者として、それらを危険に曝すわけにはいかない。彼ら彼女らの未来を守る事こそが大人の役目。例えそれが無理難題なのだとしても、可能な限りを振り絞るしかないのだ。


「ただ、彼女達を抜きに考えれば十分に考慮すべき事だ。我輩の方からも可能な限りの便宜を取り計らおう」

「感謝します、陛下」


 この辺が落としどころ。部下の思いに答えられない不甲斐なさを噛み締めながら、彼の思いだけは(しか)と受け止める。


「部隊員の選出は一任しよう。タルフ岩礁の事もある。海とも協力して事にあたってくれ」


 頷いた彼を見送って、椅子に深く腰掛けながら重い息を吐く。

 ……だったら一体どうすればよかったのかと。正しさと言うものがあるのならば今すぐに教えて欲しい。


「校内保安委員会だったか。まさかこれを知っていたのではなるまいな……」


 悪態のように口をついたのは、スアロキン峡谷で共に事態収束に当たったブランデンブルク側の者達のこと。

 巨人がトロールであると暴いたのも、隣国の学生達の協力あってこそだと言う話だ。

 ヴァネッサの報告では、英雄的妖精に、エルフに、クォーターと……何れも珍しい肩書きばかり。そんな選抜者達が名を連ねるのが、今年の春よりブランデンブルクの学院で発足された校内保安委員会と言う組織だ。

 表向きは学院の風紀と生徒達の自主性を尊重した自浄組織、と言う事らしい。が、学院を運営するのが国と言う事もあって組織の立ち上げにはブランデンブルクそのものが絡んでいる。結果、準軍属と言う形でいざという時の尖兵にもなる彼らは、後のブランデンブルクを担う子達の集まりだ。

 それが今回、立場を利用して腕の立つ者達を掻き集め、調査に参加させ解決を導いた。

 ……もし同じように国と繋がりのある後ろ盾を用意できたならば、面倒なくピスとケスの手を借りると言う事も出来ただろう。

 しかし彼女達は一介の学生。我輩個人のお願いならいざ知らず、世界の変調にまで巻き込むのは放埓が過ぎる。

 無理を通せば国内外から非難は免れない。そうまでして世界の平穏を手繰るというのは、道理が合わないだろう。

 確かにいきなりの事で世界は混乱しているが、今はまだ形振(なりふ)り構わずと言う段階ではない。

 それに何より、エルヴェに言ったように彼女達はまだ幼い。妖精との契約も交わしていない少女達だ。危険の潜む無茶はさせられない。

 そんな、願いと理性の狭間で揺れ動くのがこの椅子だ。

 王など、不自由なだけ。国と、世界と──そして個人と言う複雑に絡み合った糸の上で、それを切ってしまわないように慎重に踊っているだけの道化だ。

 いっそのこと、物語の中の妖精王のように世界の行く末が見透かせれば苦労はしないのに。


「ままならんものだな」


 再びの溜め息と共に天井を仰ぐ。

 そもそも、妖精変調とはなんなのか。なぜ起きたのか。今なのか。

 分からない事だらけな現状が、無情に雁字搦めな茨を伸ばす。

 世界は、一体どこへ向かおうと言うのか。ただ矮小な人の身には、過ぎたる脈動だ。


「陛下。お時間です」

「あぁ、分かっている」


 扉を叩く音共に少しくぐもったエドの声。次から次へとやってくる面倒に辟易しながら重い腰を上げる。

 理想は遠く、果てなく未来に。そこに至るまでの今を踏みしめて、また一歩を確かに踏み出す。




              *   *   *




「それじゃああの噂って本当なんだ」


 声に頷く鏡写しの少女達。亜麻(あま)色の長髪を左右で一つ括りに揺らす彼女達は、端整に整った人形のような顔立ちに(あま)色の瞳を嵌めてこちらを見つめる。

 現カリーナ大統領の孫であるピス・アルレシャとケス・アルレシャ。あたし個人としては肩書きよりも少し気難しい友人と言う立場の方がしっくりと来る少女達だ。

 隔たりを感じさせない境界線の向こう側の双子姫。踏み込める者など一握りなそこに、きっとあたしはまだいないのだろうと思いながら。それでも全くの無関係よりは仲がいいのだと自分を鼓舞して話に身を入れる。


「そっか……。妖精変調かぁ…………」


 馴染みのない言葉に、けれども不思議な物を覚えながら繰り返す。

 妖精変調。それは妖精がその本質……妖性を詳らかにして本能のままに行動を起こすという現象の事だ。

 名付け親は世界に認められし妖精従き、ブランデンブルク王国の王妃殿下、ローザリンデ・アスタロス様。

 たったそれだけで事がどれほど大きな問題なのかは押して知るべし。しかもそれがまだ大々的には公表されていないというのだから、事態は中々に混迷を極めているようだ。


「そもそもシルヴィは何で知ったんだよ」

「昨日アランさんに()って。その時にちょっと話をした流れでアランさんが独り事(・・・)をね」


 そういう事になった話。

 元々は偶然から、どうやらガンコナーの一件を聞き及んでいたらしい彼がその後の身を案じて交わしたやり取り。

 今になって考えればあの子も妖精変調の影響を受けていたのではと言う彼の推察に、聞き覚えのない単語を追究すれば、一度巻き込まれているならばと教えてくれたのだ。

 とはいえまだ国としても方針が曖昧な現状、明確には定まっておらず持て余しているらしい。

 そこで事実確認に、王孫殿下と言う肩書きを持つピスとケスにこうして尋ねたのだ。


「今後発表はされると思うけど、それまでは言い触らしたりしないでよ?」

「分かってるっての。そもそもぼく達には殆ど関係ない話だろ?」

「まぁ、そうだけど……」


 世界に起きた変調。そんな大きな問題を一介の学生がどうにかするなんて、冒険譚じゃないのだから……。

 憧れはしても、面倒を自分から背負い込もうとは思わない。

 大体、まだ契約もしていない半人前なのだ。妖精との関係は慎重以上であるに越した事はない。何かあればまず逃げる。それがあたし達に取れる最大限の選択肢だ。


「シルヴィこそ暴走すんなよ?」

「しないって。大体いつあたしがそんなことしたって言うの?」

「時々するじゃねぇか……」


 (とが)めるように目を(すが)める幼馴染。あたしが想いを寄せる彼──ロベールにそう言われるのは(しゃく)だ。彼だって大概なものだろうに。


「その点、ピスとケスは大丈夫そうだよな」

「うん」

「妖精は妖精」


 少しずれている気がする返答。だが、ロベールの言う通りこの二人ならばあたしみたいに失敗したりはしないだろう。

 どちらかと言えば彼女達の方が妖精らしいのだ。……そう言う意味では振り回されているのはあたし達かもしれないが。


「けどさ、話を聞く限りぼく達が出来ることってあるか? 悪戯と同じように向こうからやって来て巻き込まれたら不可抗力だろ」

「それは仕方ないでしょ。割り切って、その上で必要以上に巻き込まれないようにするしかないって。まだ学生のあたし達が解決できる問題じゃないんだから」


 まだ契約も果たしていない半人前。その未来さえ曖昧な想像の先の空想で、実感など程遠い。憧れだけが先行している不安定さだ。

 と、そこで一つ気になる。


「……このまま妖精変調が解決しなかったら契約とか今後どうなるんだろうね」

「どうって…………」

「憶測で語るのは余り気乗りしないけど……人を巻き込むかもしれない契約がそう簡単にできるかなって」

「それこそぼく達が判断する事じゃないだろ? 出来ないなら保留とか……契約しないって事はないだろけど」

「どうだろうね……。今は友好的だけど、今回の事で大きな溝が生まれて契約をしなくなったら?」


 可能性に踊らされているのは重々承知。しかし、これから契約を控えるあたし達が直面するかもしれない未来の話。

 想定して、最悪を覚悟しておくのは別に間違っていないはずだ。少なくとも能天気に自分の気持ちばかりを追いかけているよりは余程堅実的だ。


「けどそれで困るのは妖精の方じゃないか? だって契約をして、妖精はそれが破棄されるまで存在の維持が可能になるんだから。契約しなかったら2、30年で消滅して転生するんだぞ?」

「契約に限ればそうだけど……。でもそれだけじゃないでしょ? 例えばあたし達の生活から妖精の存在がなくなったらどうなると思う?」

「それは…………」


 想像をしたのか、ロベールが反論の口を閉ざす。

 妖精と邂逅し、友好的な関係を紡ぐようになってから。人の生活水準は飛躍的に向上した。

 火を(おこ)し、水を生み、大地を拓き、風を操る。その特異な力のお陰で、人力だった仕事がどれだけ効率化され、発展を遂げてきたか。それは、学園で習う授業を振り返ればよく分かる。

 便利な力は世界を豊かにした。その反面、様々な価値観が生まれる度に(いさか)いの種にもなったけれども。それを越えた今はなんとか平穏を築いていたのだ。

 しかし妖精変調と言う不和の茨が蔓延(はびこ)り始め、暗雲を昇らせている。その暗闇の先には、もしかすると妖精と出会う以前の世界が存在しているかもしれないのだ。


「それに、妖精との仲が悪くなれば必然的に争いだって起きる可能性も生まれるんだよ? 授業で習ったでしょ? 妖精との邂逅からしばらく経って始まった、この歴史最初の大きな戦」

「第一次妖精大戦だろ?」


 第一次妖精大戦。それは主に、人と妖精の戦だ。

 歴史を遡っても、人と妖精が面と向かって争ったのはこれが最初で最後。

 始まりは諸説あるらしいが。今最も有力なのは、秘密主義な妖精の存在を暴こうと人の側が妖精の世界を侵し、それに妖精が反発する形で火蓋が切られたと言う説だ。

 歴史では源生暦930年頃が始まりとされ、終わりは973年。40年以上も続いた、苛烈な衝突。

 終始、妖精従き対野良の妖精という構図で繰り広げられた戦だが、時を経るにつれて人の方が疲弊し経戦能力が失われ。妖精の側も望まない戦いに戦意を喪失する形で曖昧に幕を引いたのだ。

 始まりこそ強力な妖精術を用いる人の側が圧倒していたが、妖精は消滅しても転生する。つまり時間を掛ければ無尽蔵に魂が生まれ、次から次へと戦いに参加するのだ。

 しかも巡る魂は因果な物で。転生に際し生前の記憶を失う妖精は、新たに自由を愛する身として生まれる。……つまりは、元々契約していた妖精が、その事を忘れて妖精の側に生まれるのだ。

 前の記憶がない彼女達は、同胞が人と争っている光景を見て育つ。そうなれば当然、新たに人に(くみ)して契約をしようと言う妖精は殆ど生まれる事はなく。結果、人の側が契約妖精を失う事で、巡ってその魂が妖精の側に敵として増える事となるのだ。

 これが理由で、大戦終盤には形勢が逆転。人は協力をしてくれる妖精が傍にいないことで、彼女達に頼っていた戦闘能力は極端に減少。加えてほぼ無尽蔵に湧いてくる妖精達に勝機を失い、そうして第一次妖精大戦と呼ばれる戦いは終わりを迎えたのだ。

 結果だけ見れば、最終的に数で圧倒した妖精の勝ちと言う事になるのだろう。

 しかし、そもそも妖精は戦いを仕掛けられた側。人が攻めて来ないというのであれば無理に反撃する必要もない。

 最初から戦う理由などなかった妖精達にしてみれば、勝利などと言う実感も存在しないのだ。

 だから戦が終わった所で妖精の側に振りかざすべき勝者の権利もない訳で。ただ本質的に楽しい事を追い駆けて本能のままに生きていたい妖精達が望む唯一は、不可侵と平穏。

 この戦いにおいて勝者はおらず。いたのは目的を見誤った愚か者達ばかり。

 それに気付いた人の側が妖精の真意を汲んで、そうして再び、そこから人と妖精の関係が紡がれる事になるのだ。

 ……もしそのとき人と妖精の間に修復不能な亀裂が生まれていたのならば…………。その想像が、今また現出しかけていると言えば、妖精変調と言う不確定要素がどれだけ不穏を孕んでいるかが理解出来るだろうか。


「けど同じ過ちを繰り返すと思うか?」

「それは互いに理性的な判断が出来れば、の話でしょ? 噂だと妖精変調の影響を受ける妖精は意思疎通が出来ないらしいし。向こうから衝突を押し付けられたらこっちだって身を守る為に最低限応えないわけにはいかないんだから」

「第一次妖精大戦とは逆って事か…………」


 大戦の時は人の側が仕掛けた。しかし妖精変調は妖精の側に問題の火種が燻っているのだ。

 止める手立ては大人が手を尽くして調べているだろう。

 だからこそ、半人前であるあたし達には理想を願って遠巻きに静観するしかできないのだ。

 そもそもこうして話に熱が入るのは、あたし自信が妖精変調と思しき妖精に惑わされたから。

 身を()って知った度を越えた妖精の悪戯。あれを経験したからこそ、必要以上に防衛本能が先走っているのだ。


「もちろん繰り返すなんてあたしも思ってないよ。ただ、何かしらの解決策が見つかるまでは個人単位で注意する必要があるって話」

「ま、無闇に妖精と接するなって事だろ? そんなのこれまでと変わらないんだから、ぼく達はぼく達がするべき事をやるだけだ」

「…………そうだね」


 いつだって単純に、そして明快に。ロベールは最初から本質を捉えている。

 小難しく考えがちなあたしとは正反対の、己が信じる正しさを最初から持った少年。そんな真っ直ぐな彼の芯に、あたしのどうしようもない感情が話の流れとは無関係に疼く。

 互いに期待しているわけではない。それでも、ロベールとならきっとどうにかなると信じられるから。彼がそうして直ぐ傍にいてくれる事に、あたしもようやく安堵する。

 その段に至ってようやく、恋語らいに惑わされた一件があたしの中で言い知れぬ不安と共に深く重く渦巻いていた事を自覚した。

 恋語らいとは話をして納得をしたはずだったのに。どうやら気持ちはまだ追いついていなかったらしい。

 恐らく、間を殆ど開けずにスアロキン峡谷で丘の人々(ベルグフォルク)の騒動があったから完全には拭い難かったのだろう。


「んだよ、やっとかよ……」

「え……?」

「なんでもないっ。早く食べないと昼休み終わるぞ?」


 ……もしかして、心配してくれていたのだろうか?

 視線を合わせようとはしてくれない幼馴染の優しさの端を見た気がして、知らず胸の奥がくすぐったくなる。

 あぁ、もうっ……。これだから嫌になる。

 これだから、好きになる……。




              *   *   *




 妖精変調という不確定要素が渦巻く中。それでも譲れない約束は果たすべきだと、待ち合わせの場所にまでやってくる。

 時間の感覚が殆どない相手との約束。最悪待ち惚けも覚悟しながら目的地について辺りを見渡す。

 すると背後に気配。振り返れば、こちらに両手を伸ばした小さな体躯が目の前にあった。


「もう、どうして振り向くの? これからってところだったのに……」

「誰も好き好んで悪戯されたくないっての。……元気そうで何よりだ」

「世界は今日も飽きなく楽しいよ? それが全てでしょ?」

「そうだな」


 これ以上なく楽しげに微笑む短い頭髪の女の妖精。今日ぼくが用があるのが彼女だ。

 彼女とはこの前森の中で偶然出会った。幼馴染のシルヴィが恋語らいに惑わされて連れ去られそうになった時に、手を貸してくれたのが目の前の妖精だ。

 成り行きで協力したが、殆どは彼女に頼って問題を解決したに過ぎない。その為、改めてお礼をと約束をしていたのだ。

 明確な日取りを決めてはいなかったが、相手は妖精。契約が最たるもので、彼女達は人の身に宿る妖精力の波長で個人を識別する。その為、こうして彼女の棲み処に近付けば向こうが気付いて見つけてくれるだろうという考えから、時間を見つけてここまでやってきたのだ。

 直ぐに彼女が気付いてくれたお陰で無駄に時間を浪費しなくて済んだ。


「それじゃあ行こうっ。人の町は煩雑で楽しい事に溢れてる! 思いっきり遊ばせてよねっ!」

「あぁ。勝手に傍を離れないでくれよ?」

「何々? それって人の口説き文句なの?」

「ちげぇよっ!」


 楽しそうなのはいいことだが、変な勘違いは困る。そんな軽薄な男ではないつもりだ。

 それに、傍を離れないで欲しいのは妖精変調の事があるからだ。

 今のところ変な兆候は見られないが、無関心よりは余程いい。今日は彼女と行動を共にするのだ。周りに迷惑が掛からないようにだけ気をつけなければ。


「ほら。最初はクロッカーを売ってる店だ。あの時食べたあれ、もう一回食べに行こうぜ」

「やったぁ!」


 体を目一杯使って喜びを表現する妖精。こういう、子供っぽいところは疑う余地がなくて気安い事だと安堵しながら。

 とりあえず様子は見つつ、ぼくもぼくで折角の時間を楽しむとしよう。




 妖精変調の影響を受けていないだろうかとしばらくの間警戒をしていたが、どうやら彼女は大丈夫なようだった。確かに言動こそ妖精らしいが、それは悪戯止まりで明確に害を加えるほどではない。

 となると一体何が原因で妖精変調が起こるのか……。何も出来ないながら、知ってしまったが故の疑問が湧きあがる。

 せめて兆候とかが分かればそれ相応の対処は出来るのに…………。


「なぁに? 考え事?」

「ん、悪い。ちょっとな。で、次はどこがいい?」

「海が見たいっ。案内してくれる?」

「ならこっちだな」


 彼女は僕と同じ(ウィルム)に愛された魂の持ち主。だからこそシルヴィを助けた時も初対面ながら手を取り合えたのだ。あれがもし(フラム)(グラド)を得意とする子だったら、シルヴィがどうなっていたか分からない。それだけ、あの偶然には感謝をしているのだ。

 そんな水を愛する彼女は、当然自然に水が沢山存在する環境を好む。森の中にも湖や川、湧き水などがあってそれらを好む者達も確かにいるが。やはり大海として並々と揺蕩う海原は別格で、心惹かれる場所なのだろう。

 ぼくとしても水に近しい方が色々と得だ。潮騒の音を聞いていると心が何だか安らぐ……と言うのは、きっと水に愛される者特有の感覚だ。


「普段は森に住んでるのか?」

「うん。その方が気分がいいから」


 暴き立てるつもりは無いが、海ではなく大地の水に縁を持つ妖性を胸の奥に抱いているのだろう。そう言う妖性も沢山いる。


「でもこの頃ちょっと変なことが起きてるから、気にはなってるかな」

「変なこと……って言うと、この前の恋語らいみたいな事か?」

「人の世界でも大変なんでしょ? 噂で聞いたよ?」

「まぁな」


 彼女が気にしているのは同属の変化……ではなく、それが人に与える影響だろう。

 シルヴィも言っていたが、このまま事が推移すれば人と妖精の間に溝が生まれ、衝突してしまうかもしれない。そうなった時、彼女達妖精はきっと蹂躙されてしまうだろう。

 例え転生するのだとしても、魂を散らす瞬間を自ら体験したいとは思わないはず。つまりは、人の側が今まで紡いで来た関係を見限って強攻策に出ないかと恐れているのだ。

 互いに考える事は同じらしい。


「今色々調査中だ。妖精の方から情報提供でもあれば少しは違うんだろうがな」

「妖精は人ほど繋がりを大切にしないの。だからこそ唯一結ぶ契約は何よりも大事にして添い遂げるんだよ」

「そうだな」


 契約は一生に一度。それは目立った戦のない今の時代、言葉通りの意味を持つ。

 戦いに溢れていたころは、契約妖精を失っても再び別な子と契りを交わすということがよくあった。それだけ危険な世だったという証左だが、今はそれも鳴りを潜めている。

 妖精従きになったって全員が軍に属するわけではない。国に忠誠を誓い剣を捧げるという心意気は立派な物だが、その道を目指すのは一握りだけ。それに、国のためと尽くすのは別に騎士だけでは無いのだ。

 だからこそ、戦場に(おもむ)かない日々を過ごせば本当に言葉通り契約を一生のものとして貫き通す事になる。

 今ではそんな考え方の方が美徳で、契約を交わした相手に対する真摯な心の表れだとも言われるほどだ。力を……実力を求められていた時代からは、価値観も刻々と変わり始めているのだ。

 そんな平穏に芽生えた不確定な問題が、妖精変調だ。人も妖精も、恐れてしまうのは無理からぬ事かもしれない。


「他の妖精がどうかなんてわたし達は基本気にしない。自分に起こった事じゃないのに気持ちを捏ね回すなんて、楽しくないでしょ?」


 妖精は個の存在だ。自らを大切にし、その衝動に突き動かされて生きる。その過程で人に悪戯をしようが、それはただ彼女達が生きているだけ。ただの証。

 人が繋がりを大切にし、寄り添って助け合って生きるのと同じように。妖精は誰よりも自分本位で自由に生きることこそが魂のあり方だ。

 そんな種族の違いを押し付けあったりはしない。

 例え互いに影響しあっても、その一線だけは決して交わらず、踏み越えない。それが今日(こんにち)に至る妖精との関係の根幹だ。


「だから、これに関しては本当に知らない。知ろうとすれば知れるけれど、知ろうとする興味が湧かない」

「大丈夫だ、理解してる」

「……ただ、誤解はしないで欲しいの。君の事は気に入ってる。こうして律儀に約束も守ってくる楽しい人だから。……だからこそ、協力できなくてごめんね」

「もしそこまで望むなら、契約しないとだな」

「…………する?」

「今はまだしない。その時になって再会できたら、考えてもいいかもな」

「そうだねっ」


 暗い雰囲気から一転。彼女が生き甲斐でも見つけたかのように花咲く笑顔で(はね)を震わせる。

 ……変な話に巻き込んでしまった。やっぱり妖精はそうして笑顔で楽しそうにしているのが一番だ。

 ならばこそ、妖精変調と言う異質が更に際立って、胸の奥で渦巻いてしまうのだ。


「あ、海だっ!」


 気付けばやって来ていた沿岸部。彼女が住まう森からは随分と離れたもう一つの大自然を目の前に、虹色の残滓が宙を舞う。

 遠くを行く船を興味深そうに眺めるその横顔に、意を決して告げる。


「もし何かあれば言ってくれ。今度はぼくが力になる」

「うん。…………でも、言わないよ。その方が、きっといい」


 それは、起きなければいいという理想か。それとも、ぼくを巻き込みたくないが故の強がりか。

 前者ならそれに越した事はないと思いつつ、隣から挙がる疑問の声に答える。

 ……そうだな。無闇に変な想像ばかりをしても仕方ない。今のぼくには何も出来ないのだ。だったら彼女のように、目の前の楽しさを追いかけ続けるのもきっと悪くない。


「ねっ、やっぱり水っていいよね! 命の()の終わりと始まりっ」

「そうだな」


 楽しげな声に頷いて今は思考を切り上げる。

 妖精変調と言う現象が見え隠れする今、こうして妖精と共に他愛ない時間を過ごすのは貴重かもしれないのだ。ならば今享受出来る楽しさを、彼女と一緒に追い駆ける事だって貴重な体験。

 彼女の顔を曇らせないためにも、ぼくも目一杯楽しむとしよう。




              *   *   *




 手元の書類に落としていた視線を上げて小さく息を吐く。

 妖精変調の対処を行う即応部隊の編成。そのお願いを、殆どこちらの要望通りに聞き入れてくださった陛下には頭が上がらない。だからこそ、無理を通した代償に是が非でも成果を挙げなければならないのだと自らに言い聞かせる。

 他の者ならばそれだけで重責に押し潰されそうになるのだろう。が、生憎と私は明確な使命にこそ目的と意欲を見出せる難儀な性格。自分でも少し扱いに困る律儀な忠誠心に、それから落ち着けていた腰を持ち上げた。


「さて、残るはあの二人か……」


 部隊員の確認は、私の配下に入る者達については済ませた。が、今回は即応部隊に特例が二人存在する。

 私が無理を言っていざという時に手を借りたいと縋った類稀なる双子。陛下のお孫さんであるピス・アルレシャとケス・アルレシャは、今年学園に入ったばかりの、まだ契約も果たしていない双子の少女だ。

 目立った戦のない今の時代、不必要な軍拡を行わないカリーナでは軍属への志望も減っている。契約を果たし、妖精と共に歩む為の道理を学ぶ学園を卒業しても、彼ら彼女らの中で国に剣を捧げようと言う者は一握り。……主に親が軍役として注力している子息子女が殆どだ。

 学園側にこちらから特別打診をするようなこともなく、関係性は薄い。大戦の最中ならばいざ知らず、今は学生を徴兵したりはしないのだ。

 だが、進路を促したりはしなくとも、こちらに来てくれればいいと思う子達は毎年沢山いる。そういう者達は学び舎への入学当初から頭角を表すことが多いのだ。妖精に纏わる力と言うのは、潜在的なものよりも持って生まれた自力がそのまま顕在化しやすいのだ。

 そんな前例に(のっと)るように、今年も特異な才を持つ入学生が何人かいると聞いている。

 その中の一人が、陛下のお孫さんであるピスとケスだ。

 彼女達は学園に入学する前から時折妖精に纏わる部分で陛下が助力を願っていることがあった。その理由として、あの子達は他の者にはない特別な知覚で妖精の本質を詳らかにする事が出来るらしいのだ。

 当人しか理解できない感性が故に、周りがそれを共有する事はほぼ不可能らしいが。それでも新たなる視点は様々な判断材料になる。

 そんな期待と共に、件の二人に即応部隊への協力要請をお願いしたのだ。

 結果は、条件付きでの了承。

 条件といっても当然の前提であり、彼女達は学生だ。その本文を(おろそ)かにしない範囲で、尚且つ命の危険が及ばない問題に際してのみ手を借りる事が出来る、と言う物だ。

 私だって彼女を軍属として引きこみたいわけではない。ただ、彼女達の知見があれば妖精変調という不可解な現象にも何かしらの光明が見えるかもしれないと思い提案しただけだ。

 陛下の提示された条件は(もっと)も。そこに唱える異は存在しない。

 つまるところ、即応部隊への二人の参加には、門客(もんかく)と言う扱いが妥当だろう。正式には属さないが、いざという時には協力を仰ぐ、と言うことだ。

 似たような形は、ブランデンブルクでも今年に見られている。何でも校内保安委員会と言う名目で、国唯一の国営の学び舎と国の繋がりを強くし、有事の際には学生の力を準軍属扱いで借りるというものだ。

 表向きは学生だからこそ、国とは切り離して物事を考えられる。物騒に聞こえる反面、どこまでも争いを遠ざける使者の意味合いを持つのだ。

 良くもまぁそんな回りくどい立場を思いついたものだと感心さえしながら、今回カリーナでも似た様な形をとる事にしたのだ。

 能力を求められる軍属に身を置いているからか、やはり秀でた力と言うのは見過ごすには惜しいのだ。

 そんな、特別な椅子を用意しての即応部隊への双子の参画。書面上では名前を連ねている彼女達は、有事の際に私の指揮下に入る事になる。

 つまり一時的とはいえ命を預かる部下なのだ。ならば当然、隊を率いる身として挨拶くらいはしておかなくてはならない訳で。それがこれからの予定なのだ。


「……誰かもう一人呼べばよかったな…………」


 小さく愚痴を零す。

 実を言うと、あの双子のことは少し苦手なのだ。

 トロールの一件で行動を共にして、改めて肌に染みてわかった。あの二人は互いで世界が完結している節がある。

 余人が入り込めない空気感と言うのは、協力を旨として事に当たる部隊の中では異質だ。

 その、完成されすぎている鏡合わせが、こちらの共感を跳ね除けているように感じられて得意では無いのだ。

 しかし筋を通し、挨拶はしておかなければ。いざという時にまともに連携も取れないのではこちらから打診した意味がない。これは隊を預かる者としての最低限の責務だ。


「ここか」


 指定された部屋の扉を叩く。すると返ったのは聞き覚えのある男性の声だった。

 中に入れば、その人物が誰なのかを思い出す。


「ルドガーさん。お久しぶりです」


 ルドガー・アルレシャ。ピスとケスの父にして、コルヴァズ陛下の次男。アルレシャ家に婿養子として入っているが、血統上では列記とした王族だ。

 まぁここカリーナでは国の長である大統領は民選によって選ばれるから王族という表現も余り適してはいないのだが。

 手を取って挨拶をして、向かいに腰を下ろした。

 彼とは何度か話をした事がある。陛下の名代として他国との交渉や諸侯との階段の場にも出席している彼とは、軍事の一端を預かる者として無視出来ない存在なのだ。私的な関係はないが、仕事上の付き合いとしては比較的やり易い相手だろうか。お陰で少し気持ちが楽になった。


「話は聞いているよ。この子達の力を借りたいという事だったかな」

「恒常的にと言う話ではありません。私達の手に負えない案件の時に、お二人の見識をお借りしたいのです」

「あの人は何と?」

「危険を排除した上でなら、後はお二人の判断にお任せすると」


 ルドガーの隣に座る鏡合わせの少女を一瞥して、書類を一枚手渡す。静かに目を通した彼は、それから両脇の双子に尋ねた。


「さて、どうする? まだ学生の身だ。嫌なら断ってもいいんだぞ」

「うん」

「やる」

「…………そうか」


 二つ返事で頷いた愛娘を心配そうに見つめたルドガー。親としてはやはり手放しには認め辛いのだろう。


「出来る限りの配慮は致します。ご心配であれば一人か二人、帯同の許可くらいは下りると思いますが」

「考えておこう。何より二人がやる気なのだ。その向上心を大人が潰すものでもない。任せてもいいか?」

「一命に賭して」


 私としても、お二人は命を賭して守るべきお方。騎士としての忠義を払うのは当然だ。

 何かあれば言葉通りに万難を排する。物語の中でもそうであるように、乙女に捧げる剣とは誓いなのだ。


「まぁ、君ならば実力も兼ねているし安心だな。迷惑を掛けると思うがよろしく頼む」

「はい」


 差し出された手を握り返す。すると立ち上がったピスとケスがそこに小さな掌を重ねてこちらを見上げた。


「よろしく」

「おねがい」

「あぁ、こちらこそ」


 感情の宿らない真っ直ぐな瞳。しかし強い光をその奥に感じつつ頷く。

 彼女達に頼るのは最終手段。そうならない為にも、私達が事態の解決に尽力する。

 やるべき事はいつも通り。

 そう自分に言い聞かせれば、果てのない道にようやく足を踏み出せた気がしたのだった。

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