第五章
街道を行く。視界を彩る色は鮮やかに、騒々しくもどこか均整の取れた匂いを放つ。
秋のフェルクレールトの大地。実り豊かな自然は、しかし今このときに限っては余り楽しめるものでもないと嘆息する。
赤、黄、茶、橙、栗、鮮緑、空。秋の輪郭をはっきりとしたものにするそんな存在感を一瞥しながら、この道程何度目かは既に数え飽きた溜め息を吐き出した。
そもそもわたしは研究室に篭って真理を探究することが生業の研究者だと言うのに。どうして外に借り出され、自らの足で歩かなければならないのか……。そういうのはそっちを専門とする者たちがいるというのに。
それでもわたしが借り出されているのは、偏に今回の同行者故なのだろう。
ピス・アルレシャとケス・アルレシャ。カリーナ共和国大統領、グンター・コルヴァズの孫である彼女たちは、類稀なる鏡映しな双子。
そしてそれ以上に、妖精に纏わる分野で他に比肩させることのない特異な力を秘めた存在だ。
彼女たちは妖精の本質を、目で見て、耳で聞く。その感覚は他の者にはない特別で、だからこそ今回の調査の最終兵器として見込まれ、同行しているのだ。
とはいえ彼女たちはまだ学生。本来ならばこんな危険な指令に随伴するべきではないのだが、そうせざるを得ない現状こそが何よりも問題なのだと不甲斐なさを呪う。
この調査は今まで確認されてこなかった……いわゆる未確認生物の捜索だ。しかもそこに妖精と言う、この世界を共に歩む隣人の存在が絡んでいると言う、複雑怪奇な現状。
そんな妖精の干渉が疑われ、更には近頃頻発している惑い者の問題までが表面化しているというのが、今分かっている全容なのだ。
未確認生物の調査と言うだけでも慎重にならざるを得ないことだと言うのに。妖精関連で不確定要素をさらに二つ。そのおまけとしてピスとケスと言う、解決策と言う名の自由奔放な鎖が巻き付いている今は、どう考えても一研究者が抱え込むべきものではないはずだ。
どうしてわたしばかり……。悪態とも諦観とも思える感慨を胸の奥に落として前を歩く小さな後姿を眺める。
当人たちは気楽そうで何よりだ。お願いだからそのまま何も問題を起こすことなく自然観光だけをしていて欲しい。
「お疲れのご様子ですが、大丈夫ですか?」
「えぇ」
そんな願望が顔に出ていたか、直ぐ傍から声を掛けられる。そちらを見れば、立っていたのは眼鏡を掛けた朱華色の髪の男性だった。
年の頃は40代。身軽に整えた服装の下には、騎士として鍛えられた戦う男の体。真っ直ぐと伸びた背筋は彼自体が剣のような存在感を放つ。
今回の調査の実働部隊として陸軍から出動した部隊。その隊長である、エルヴェ・フォルナシスだ。
「心配なさらないでください。身の安全は僕たちが守りますので」
「えぇ、期待しているわ」
彼の実力は良く知っている。
国を守る騎士。海洋貿易を生業の一つとするカリーナでは、海軍という職が他の国と比べて大きな割合を占める。しかし内陸の備えを疎かにしているわけではない。
主に国境警備や、幻想生物などの被害から国を守る存在。それが彼らカリーナ陸軍だ。
その中でも彼、エルヴェは頭一つ抜けた才覚を持つ存在だ。
よく比較される対象として、海軍を預かるアラン・モノセロスの名前が挙がるほどの実力者。そんな人物が今回の護衛として抜擢されていることに一抹の不安を覚えながらも、しかし彼ならば身の安全に関しては申し分ないはずだと信頼を預ける。
因みに彼は炎の属性を得意とする妖精従きの騎士……つまりは妖精騎士だ。
「それにしても巨人ですか。アルカルロプス女史はどのようにお考えですか」
「……余り推測で物事を語るのは好きではないのですが」
「存じておりますよ。あなたは一部で有名ですからね、博士」
ハーフィーの研究者など世界を探しても数えるほどしか存在しない。しかも英雄的妖精を任され、この前だって水竜絡みで海上にまで出張り、駄目押しのようにピスとケスのお守りを任されている。
自分がどう見られているかなんて余り気にしない性格ではあるが、こうして指摘されると中々なものだと一人ごちる。
「ただ、事前に得られる情報があるのならば身を守る為にも知っておきたいのですよ。もしかするとそれで状況が好転するかもしれませんからね。参考程度にと言うことです」
騎士ながら、理知的な言動に彼の認識を少しだけ改める。
任務中仕事一筋なアランとは違い、エルヴェは話のできる人物のようだ。予防線を張るような言い回しには神経質さを感じないでもないが、わたしとしては逆にその方が安心もできると言うもの。盲目に信じて責任を押し付けられるよりは余程いい。
情報将校然とした静かな口調に、ここに来るまで幾つか考えていたそれを音にする。
「……妖精は全にして唯一無二、と言う言葉を知っていますか?」
「えぇ。妖精には個としての違いがある。しかしそれは妖精と言う種全体にも及ぶ概念である、と言う考え方ですね」
人に同じ者がいないように、妖精だって個が存在する。それは性格であったり、愛される属性であったり、纏う色であったり──もっと簡単に言えば、魂の形だ。
そういう意味で妖精は個を持つ。しかし妖精が持つ価値観は種全体で共有されるものなのだ。
種としての目的が統一されている。そしてそれに向かって各々が思うように自由を振りかざしている。そう言えばなんとなく伝わるだろうか。
「もし今回の巨人に妖精が絡んでいるとすれば、個ではなく全体としてものを見て考えるべきだとわたしは思います」
「ふぅむ?」
「どんな風に巨人と妖精が関わっているのかはこれから調べることです。……しかし妖精の存在が確かならば、妖精の側から巨人と言う存在も解き明かせると考えています」
「……つまり妖精の関係の有無が事の行く末を分けると」
「わたしは、妖精の真実の探求を旨とする一介の研究者ですので。それ以外となるとお手上げと言うのが本音ですが」
しかし、今回わたしがこうして同行していることを考えれば、何かしらの妖精に纏わる要素が潜んでいるとは思うのだ。可能性がなければわたしは動かない。そういう信頼を置かれているのだという自負はある。
何より、ピスとケスの二人も一緒と言うのが個人的には大きい。
彼女達の特別な感性は、妖精にのみ発揮されるものだ。
わたし以外の研究者たちも今回のことに妖精が絡んでいると踏んでいる。その早期究明のためにピスとケスの力を借りようとグンター陛下の命が下った……。
今の私がこの道の上にいるのならば、行く先に妖精が絡んでいるのはほぼ確実だ。
「その時は博士を頼るとしましょうか。貴女のお陰で世界が回っている節も、否定は出来ませんからね」
「買い被りよ」
恐らくカドゥケウスのことを言っているのだろうが、わたしにしてみれば言葉の通りだ。彼の相手はわたしでなくてもできる。ただ、極個人的に気に入られているというだけのことだ。
今更彼が世界に弓引く行為をするとは思えない。……惑い者にでもならない限り。
そこに関しても細心の注意は払っているつもりだ。
そういう意味では、エルヴェの言うことも強ち間違っていないのかもしれないが。
「にしても、あのお嬢様は相変わらずですね」
前を歩く二つの背中を見つめてエルヴェが零す。
歩調も、揺れる片結びの髪先でさえ、芸術品のように鏡映し。まるで二人の間に世界を分断する反射板でもあるかのような緻密な異質さ。
その姿も、今ではもう慣れてしまったけれども。隣のエルヴェは、双子との接触が今回初めてだ。
宮中ですれ違うくらいのことは経験があるかもしれないが、こうして同じ空間を共有し、ともすれば意思疎通を交わしたことがないという。
その為か、噂の絶えない彼女たちにどう接していいのかと困っている様子だ。
確かに身構えてしまう気持ちも分かる。突飛押しもない言動の多い二人に……しかも王孫と言う肩書きはカリーナにとって無視できないものだ。
無視できないが故に、今回の調査隊を預かる身として意識の共有は欠かせないのだろうが、想像が先行して手を拱いていると……中々に居た堪れない板ばさみになっているようだ。
「確かに不思議な雰囲気ではあるわよ。二人で完結してることが多いのも確か。……けど彼女たちだって人よ。しっかりと考えて行動に移している、そこにいる個人よ。助言を一つするならば、直感的に接する方が良いと思うわ」
「心に留めておきます」
人よりも妖精と形容した方がいい気がするピスとケス。嘘がなく、感情で行動する隣人たちのように、彼女たちには彼女たちなりの行動理由があるのだ。
それを察してあげられれば大きく食い違うということはないように思う。
まぁ、対外理屈的なエルヴェに、感情的にと言うのは難しいかもしれないが。
「……とはいえ、それは博士だからこそかもしれませんがね」
「…………どういうこと?」
「博士は、その……はんぶんずつですから」
「あぁ」
言葉を選ぶエルヴェの声に、それから納得する。
わたしにも妖精の血が流れている。だからこそ感情的な直感に優れている、と言うのは否定できない。その、純粋な人にはない第六感のようなもので意思疎通が恙無く行えているのでは、と彼は言っているのだ。
しかし────
「確かにわたしはハーフィーだけれどね。中途半端にしか居場所を見つけられない半端物よ。客観的な自己評価としては、空想的な妖精よりも現実主義な人に近いと思ってるもの。そうでなければ形ある真理を探究する研究者になんてならないでしょう?」
「それもそうですね。失礼しました」
「別に謝られるようなことでもないけれどね」
律儀な謝罪の言葉に小さく笑う。この辺りはさっぱりとしているアランとは対照的なところかもしれない。
個人的には彼のように言うべきことをきちんと言葉にする方が好感触だろうか。……逐一神経質にそうされていると鬱陶しくも思うかもしれないが。
「それに、全てを理解する必要なんてないと思うわよ。わたしと貴方だってお互いに知らないことはあるでしょう?」
「そうですね。私としてはヴァネッサ・アルカルロプスと言う個人に興味はありますが」
「言っておくけれど、結婚してるからね?」
「知ってますよ」
そういう意味でないのは重々承知。それでも言葉にしたのは、信頼を預けあう為だろう。
危険が未知数な今回の調査。彼の実力を疑っているわけではないが、信用できるかどうかは咄嗟の判断に影響を及ぼす。
その点で言えば、わたしは彼のことが人として好きかも知れないと思いながら。先ほどから後ろを付いてきていた自由を愛する妖精に焼き菓子を一つ進呈したのだった。
* * *
「また会ったね、クラウスさん」
「黒い妖精さんとは会えた?」
スアロキン峡谷へ到着すると、そこには既にブランデンブルク側の調査担当である者たちが来ていた。
直ぐに挨拶にと距離を詰めれば、誰よりも先にピスとケスが声を交わした。
そのやり取りに、聞き及んでいた彼女達の話から驚いて息を詰まらせる。
あの二人は特別なことがない限り名前を覚えるということがないらしい。逆に言えば、ピスとケスが名前を覚えているということは、あの灰色の髪をした、眼鏡の少年が二人にとって特別だということの証左だ。
よくよく見ればまだ学生。目に見える何かで学生の身に余るものを持っているとは思えない。
が、一応気にはしておくべきだろうかと頭の片隅に留めつつ、隣国との邂逅接触の成り行きを見守る。
「…………アルの事知ってるんだね」
「会った」
「話した」
また固有名詞。アル、と言うのが誰を指すのかは知らないが、これまた二人にとっての特別だということだ。
そしてそのアルとやらを挟んで二人と彼の間に繋がりがあるのだろう。
ピスとケスが他国へ赴いた経験は数えるほど。それだってグンター・コルヴァズ大統領に随伴する形での訪問だ。流石にただの学生と知り合う機会などはあるまい。
一体どんな縁で繋がる関係なのか……。そんなことを一人邪推する。
「……12だね」
「でも5だよ」
今度は数字。相変わらず蜜を求める蜂のように忙しない話題の転換に、最早付いていくことを諦める。
ふと隣を見れば、ヴァネッサ・アルカルロプスが興味深そうにクラウスという少年を見つめていた。
「6、8、20、4……」
「4、3、3、3……」
まるで何かの計算でもするかのようにつらつらと並べられた音。
と、そこで脳裏を巡ったのは、彼女たちが今回同行した理由だ。
あの二人は特別な感覚で以って巨人と妖精に関する調査の原因解明に臨んでいる。私が考えるに、先ほどの数字などはそれに関することだろうと、根拠もない納得をどうにか自分の中に落とし込んだ。……そうでもしないと情報の海に振り回されてしまいそうだ。
「クラウスさんは何だろう」
「分からないね何だろう」
浮世離れした言動のピスとケスが、任務以上の興味を少年に示す。
お願いだから外交問題にだけはしないで欲しいと切に願えば、様々な疑問をそこら中に散りばめて彼女たちらしさで挨拶を締めくくった。
「よろしくお願いします、クラウスさん」
「よろしくお願いします、みなさん」
次いで二人は興味を失ったように橋からスアロキン峡谷の底を眺めに向かう。その段になってようやく大人の自分たちが取り残されていることに気付き、慌てて手を差し出した。
「あの子達は二人で全部が完結してるような節があって……協調性がなくてすみません」
「今回は調査任務ですし、そこまで危ない事にはならないでしょうから大丈夫ですよ。何かあれば僕達もお力添え致します」
「ご迷惑をおかけしてすみません」
人となりを知る為にもとりあえずは歩み寄りを。そう思って告げた言葉には、存外まともな返答があった。
二人が興味を示していたからどんな変人かと思ったが、普通に話が通じそうで助かったと。
「取りあえずこの辺りを調査しましょうか。何かあれば連絡を取ると言う事で」
「分かりまし────」
頷こうとしたクラウス。しかしその言葉が最後まで音になることはなかった。
重ねてかき消すように響いた振動と轟音。何事かと音のした方を見れば、そこには森より突き出た巨大な影が聳え立っていた。
先ほどまであんな目を引くものはなかった。記憶の景色と重ね合わせれば、ブランデンブルク側から来ていたエルフの少女が声を上げた。
「巨人っ!?」
「あの方角は……」
「急ぎましょう!」
次いで黒髪の……個人的には一番戦力として期待できそうな雰囲気を纏う少女が迷いなく告げる。
直ぐに頷いて、前触れもなく出現した巨躯に向かって駆け出したのだった。
報告にあった巨人と思われる固体が出現した近くには、国境を跨ぐような形で村が一つあった。
国家間での物流は危険物などを検める必要がある。その為に栄えた村は、この辺り一体の交易の中心でもある場所で、当然村には旅人や行商人、そして村人がいる。
そんな彼らの身の安全の確保が最優先だと判断を下し、避難誘導。国境警備を行っていた騎士たちにも連絡を入れて、殆ど総動員で周辺区域の安全確保に奔走する。
巨人の出現が少し遠かったお陰か直接的、間接的を含め、負傷者は出ていなかった。そんな彼らを護衛しながらの中で、直ぐ傍を歩く博士に問う。
「博士、どう思いますか?」
「……確証はないけれど、妖精力を少し感じたわよ」
「それは、あの巨人からですか?」
「その方角からって方が正しいかしら。あの巨人が妖精術を使ったとまでは言い切れないわ。ただ、何かしらの関係はあるでしょうね」
ハーフィーの彼女がそう言うならば確認してみる価値はある。そもそも今回の調査はその真意を探る為のものだ。
なし崩し的に報告のあった巨人と遭遇することになったのだ。緊急事態だが、即応的に対処はするべき。
何より調査対象が向こうから来てくれたのだ。この機を逃すわけにはいかない。
と、そこで辺りを見回した博士が慌てたように声を上げた。
「ピスとケスは?」
「え……?」
言われて周りを見渡す。が、彼女達の姿が見当たらない。
「まさか────」
直ぐに可能性に至って踵を返す。するとヴァネッサも後ろを付いてきた。
「あの子達だもの。あの巨人に妖精が関わってるなら真っ先に動くのは想定しておくべきだったわね」
「自由奔放が過ぎるぞ、まったく!」
まさに妖精の如き身軽さに、彼女達の世話は私では勤まらないと実感する。博士がいてくれてよかった。
「それに……もし妖精だとするなら、あれは────」
巨人を見つめながら博士が何事かを呟く。
「何か気になることでも?」
「……。いえ、憶測で語っても仕方ないわ。まずはピスとケスの捜索。それから原因究明よ」
「えぇ、そうですね」
研究者の知見から何か思うところがあるらしい。
巨人と、妖精……。頭の中に巡るその言葉に、なんとなく嫌な予感を覚えながら疾駆する。
とはいえ彼女の言う通り想像で語っても仕方ない。目の前に対象がいるのだから、そこから本当のことを知るだけだ。
そんなことを考えながら巨人の方へと向かえば、集まって話をするブランデンブルクの学生たちの下へと到着した。直ぐ傍にピスとケスもいることを確認して安堵する。
少なくとも二人だけで独断先行をしたわけではなさそうだ。……いや、協調性と言う和からは既に逸脱しているか。
「フィーナ、巨人の体内の妖精力がどうなってるかとかは分かる?」
「……それは流石に無理です」
「………………あの巨人に触れることができたら?」
「それなら、多分……」
クラウスと呼ばれていた少年が彼のはんぶんなのだろう、白銀の長髪を着流した妖精に確認する。
どうやら直接の接触を試みて、事実確認を行うらしい。焦っている、と言うわけではなく、これ以上手を拱いていても仕方ないと判断したのだろう。
「方針固まった?」
「……一応は」
「なら悩む時間は必要ないでしょ」
エルフの少女が果断に告げる。誇り高き決意の滲む声には、仲間に対する信頼が聞いて取れた。
学生だと思っていたが、どうやらそれなりに連携の取れるいい部隊のようだ。
と、そんなことを考える傍ら、脳裏を掠めるのはそのエルフの少女について。
彼女が纏う気高い雰囲気。その空気に、少しだけ覚えがあるような気がしたのだ。
真っ直ぐで、高潔で。自分の血に自負を抱く、驕りと紙一重の自信。種族を超えて尊敬するべきな、そんな存在感。
一体自分は何と重ねているのか……。言葉にならない感慨を、けれども危険を一時預けられるだけの信頼に変えて飲み込む。
今は目の前に集中。他国に、学生に全てを投げるわけには行かない。
「…………分かりました。あの巨人の正体を暴きます。ヴォルフ先輩は儀式術式の準備を。テオは近くで僕を不慮の事態から守って。ユーリアは後ろから援護。ニーナ先輩はテオの補助に回ってください」
「目的は?」
「妖精は妖精力の扱いに長けます。近づいて触れることが出来ればきっと巨人の本質を見極められます」
「ならばわたし達もそれを援護しよう。それがわたし達の本来の仕事だ」
「こちらは空から助けになろう」
彼らの部隊長らしい、狐色の短い髪を首の後ろで一つ括りにした男性が名乗りを上げる。それに続くように、まずは彼らの策を試してみようと乗っかった。
人間は空を飛ぶことは出来ない。しかし幻想生物や妖精の力を借りることで一時的にそれを可能にすることは出来る。
彼らが地上から事を起こそうというのならば、あの巨体が影響を及ぼしうる空はこちらから援護する。
まだ出会って少しの、即応部隊にも満たない集団。しかしこの現状を捨て置くことは出来ないと、目に見えない手を取って頷きあった。
「え、嘘っ!?」
直後、声を上げたのはキャラメル色のツインテールを揺らした妖精。それとほぼ同時、隣のヴァネッサが何かに気付いたように視線を上げる。
すると次の瞬間、何もなかったそこに新たな巨人の姿が二つ出現した。
全部で三体になった巨人。そしてその事実に、推測が現実味を帯びる。
ここまで近づいてようやく実感したのは妖精力。あの巨人は、妖精と何かしらの関わりがある。
いきなりの出来事に一瞬思考を奪われて。一番最初に冷静さを取り戻した眼鏡の少年が告げた。
「……ダミアンさんたちは他の二体を抑えていてください。乱入されると面倒になるので」
「分かった」
ダミアンと言われた男が頷く。
策を変えるつもりはないらしい。今更手段を組み立てなおして混乱を引き起こしても無意味だ。
ならばまずは彼らに預けてみるとしようと提案に頷き、動き出したダミアンと肩を並べて声を交わす。
「ダミアン・カペラさん、ですか。お噂はかねがね」
「あまり顔と名前を覚えられるのは困るんですがね」
言って笑う彼は、ブランデンブルクでも名うての裏方。陰ながら実績を積み重ねる、神出鬼没な見えない柱。
そんな人が借り出されてる事実に、事の重大さを再確認する。
「まぁ、いいです。有名人なのはお互い様でしょう、エルヴェ・フォルナシス殿」
「私はしがない騎士ですよ」
一応部隊を預かる身だが、そこまで評価するほどの自覚はない。気付いたらここにいただけだ。
とは言え有名人に名前を覚えて貰えているのは素直に嬉しい話だ。
「いい後進が育っているみたいですね」
「今は大きな戦のない時代です。彼らには沢山の選択肢がありますから」
「そうですね」
そんな未来溢れる若葉や蕾を育てるために、今ある平穏を守るのが私たちの役目だ。
「左は私が。右はお任せしても?」
「えぇ、お気をつけて」
短く確認して、それから別方向に足を出す。次いで指笛を鳴らせば、控えさせていたグリフォンが飛んでやってきた。
いざと言うときの為に連れてきていて正解だった。
笛の音と、飛んでくるグリフォンの姿を見たらしい隊の仲間が駆けつける。
「エルヴェさん」
相棒に跨り、頭に契約で繋がるはんぶんを乗せていざ行かん。そう気合を入れなおした直後、響いた声は直ぐ傍から。見ればそこにはヴァネッサがこちらを見上げていた。
「どうかしましたか?」
「先ほど現れた巨人のことです。あの時見えた虹色は、恐らく巨人自身が行使した妖精力です。下手に刺激をすれば妖精術による抵抗があるかもしれません。気をつけてください!」
「えぇ、分かりました。博士は向こうの彼らに合流してください」
「はい、また後でっ」
彼女の忠告を胸にグリフォンを飛ばす。合わせて仲間たちも空へと上がれば、巻き起こった風に眼下のヴァネッサが顔を腕で庇っていた。
ハーフィーであり研究者である彼女の助言。無視するわけにはいかない。
「距離を詰めたら向こうが動くまで様子見をしますっ。巨人からの反応があり次第妖精術の行使を許可。拘束や昏倒の類で状況の維持に努めること!」
隊を預かる者として指示を飛ばし、陣形を展開する。
傍らで、もう二体の巨人を窺えば、それぞれに行動に移していた。
とりあえず何かあるまでは任せようと信頼して。巨人が振り回す腕の範囲外から様子を窺い始める。
すると接近したグリフォンに防衛本能でも刺激したか、空気を揺るがす咆哮が辺りに響き渡った。刹那、辺りに満ちた妖精力が指向性を持って流れを作る。次いで巨人の目の前に、建物の様に大きな方陣が展開された。
「妖精術、くるぞっ!」
身構えた瞬間、何もなかった中空に出現したのはそれ一つが人間ほどもありそうな岩の塊。それが視界を覆うほどの軍勢となって切っ先をこちらに向け、空を裂いて殺到した。
反射的に行使した各々の妖精術が景色を彩る。私の炎の妖精術も、遅い来る礫の雨を燃やし尽くした。
「隊長っ」
「分かってますよ」
仲間の声に事実を再確認する。
今の妖精術はどう考えても目の前の巨人が放ったもの。これであの巨人が妖精力を持ち、妖精術を扱えることが事実となった。
問題は……。
「ただの巨人か、それとも別の何かか────」
呟いて考える。
そもそも巨人に遭遇したのが今回初めて。歴史を紐解いてもそんな情報はどこにもない。あるのは幻想の中の物語だけだ。
これまで確認されていなかった存在。それがいきなり現れ、しかも妖精術を行使する。単一は理由を求められそうなのに、総合的に考えると理解を拒む。それが目の前の存在だ。
ただ、一つはっきりしているのは、この巨人には妖精が何かしらの形で関与していること。ヴァネッサ女史も言っていたが、巨人のことは分からなくとも、そちらの方面からならば対処法はきっとあるはずだ。
「風を得意とする者を中心に隊列を組み直すように! こちらからは仕掛けず現状維持っ。原因と存在解明を最優先!」
未知が絡んでいる以上、下手な干渉は今以上の被害を齎す。まずは状況を正確に理解しなければ。
日頃の訓練の成果か、迅速に陣形を組み直した仲間が警戒態勢へ。するとまたしても響いた咆哮が、今度は大地の憤怒のように眼下の木々を持ち上げて殺到した。
隆起する岩の槍がグリフォン隊を腹から貫こうと天へと昇る。対抗するように行使されたのは、風の属性を中心とした妖精術の数々。
妖精術はその力から四つの属性に分類される。地、水、炎、風だ。そしてこの並びはそのまま隣り合う属性との相性を示す。
水は炎に強く、地に弱い。様々な要素が重なって一概にそうとは言い切れないが、基本的な原則だ。
その相関関係に則って、地の力を行使することが得意らしい巨人に対して風を中心に隊列を組み直し。さらには他の属性でそれを手助けして対抗したのだ。
属性の乗算と呼ばれるその現象は、互いに影響を及ぼしあう間でのみ作用するものだ。
水は炎に強く、地に弱い。この関係を例にして考えれば、不利な力に有利な力を混ぜる……水に地の妖精術を組み合わせることで、単体以上の力や属性外の効果を発揮させることが出来るのだ。
しかしこれには繊細な威力の調整が必要となる。何せそもそも相性が良かったり悪かったりするのだ。それを、互いに影響を及ぼしながら、しかし打ち消さない程度に干渉させ合うというのは、即興ではまず難しい。
が、そこは普段から共に訓練を重ねている隊の仲間との連携。これまで積み重ね、体に叩き込んできた感覚が、こんな状況でもきっちりと型に嵌って発揮される。
殆ど示し合わせもしていない即興。それでも一瞬を繰り返すことの出来る練度の高さは我が隊が誇る力の一端だ。
「隊長っ! あれを!」
「……仕掛けるのか」
声に隊員が示す方を見れば、そこには大地を疾駆する数名の姿。その先頭を突っ切る灰色の頭髪に、先ほど手を取り合ったブランデンブルクの学生だと気付く。
話した限り、切迫もしていないのに状況判断を誤るような子ではないように思ったが……もしや何かしらの策でもあるのだろうか。
「どうしますか?」
「……様子を見よう。いざとなったら救援に向かう」
一度預けた信頼だ。ならば信じさせて見せろと。
心配の上から大人としての我が儘を重ねて、静止を捨てる。いざとなれば私達が助ければいい、それだけの話だ。
考えていると、彼らの進攻上に振り下ろされた巨人の腕。大木ほどの太さと、ドラゴンの尻尾のような衝撃を湛えた一撃が、しかし次いで幾重も現れた土の天井によって阻まれる。
自然の猛威のような一撃を受け止めるほど強力な術式。本来ならば儀式のように大規模な準備をしてのもののはずだ。それを、あの少人数で使っているということは、何か特別なからくりがありそうだ。
考えていると土の屋根の下を走り抜けた彼らが、襲来した妖精弾を迎撃して更に巨人に近づく。
と、彼らの足元に展開された巨大な方陣。恐らく巨人が行使した身を守る為の妖精術。
起動の阻止を…………。そう考えて胸の内を引き絞った直後、辺りに響いたのは乾いた破裂音だった。
残響を伝播させるその音に、展開されていた方陣が崩れて消えていく。遅れて今の音が銃声だと気が付いた。
よくよく見れば、彼らの後方に狙撃銃らしき金属の塊を構えている少女の姿。撃った反動にか逆巻くような長髪は、秋の中で異彩を放つ吸い込まれるような黒。
察するに、妖精銃弾を用いて妖精術の発動を妨害したのだろう。そんなことを咄嗟に思いつくとは、もしかするとこういう場に慣れている証だろうか。そんなことを考えた直後、脳裏に閃く記憶が。
ブランデンブルクの学生に、既に軍属として働く少女がいたことを思い出す。確か、クー・シーの一人娘の……。
「そうか、あれが……」
名は確か、ユーリア・クー・シー。国より下賜された称号、妖精犬士を名乗ることを許された、ブランデンブルクの軍の一翼。ハインツ・クー・シーの一人娘が彼女なのだろう。
次いで関連して記憶の蓋が開き、様々なことが繋がる。
彼女は確か、フィーレスト学院に通う生徒で。あそこの長は第二次妖精大戦の人質交換でスハイルからブランデンブルクにやってきた純潔のエルフ、エルゼ・アルケスだ。そしてその娘である少女も同じ学院に通い…………あぁ、そうだ。あそこにいるエルフの少女はエルゼ殿の娘ではなかっただろうか。
それに加えて、今あの灰色の少年と肩を並べる赤髪の彼は、今年の春に資料で見た。何でもブランデンブルクで第二次妖精大戦終結以降飼われていた英雄的妖精、ヘルフリートと契約を交わした学生。テオ・グライドと言う名をした、カイ・グライドの弟。
そして極め付けに最後の一人。焦茶色の短い髪をした彼の顔は、私も直接見たことがある。何度か家の名代としてカリーナにもやってきている、ブラキウム家の息子。
そこまで理解して、納得と共に向こう側の魂胆が見え透く。
軍の一角を代表するクー・シーに、世界に影響を及ぼしうる英雄的妖精。スハイルとの関係を示唆するエルフの少女に、カリーナとの友好を体現する良家の子息。
彼らの連携や実力もそうだが、ブランデンブルクとして今回のこの問題はもはや一国だけで片付くものではないと。必要であれば手を取るべきなのだと暗に主張しているのだ。
それに何より、殆ど情報のないあの灰色の髪の眼鏡の少年。クラウスと言う名前の彼は、あの双子に名前を呼ばれるほどに何か特別なものを持っているのだ……。
学生だと甘く見ていた。彼らは、様々な意味を秘めた特使でもあるのだ。当人たちがそれに気付いているかどうかは分からないが……。
その上で今回協力したという事実は、きっと今後に大きな影響を及ぼす。
巨人のことを蔑ろにするつもりはないが、彼らの存在もしっかり報告に上げておかなければ。近々四大国会談もあるからな。今年はカリーナでの開催だったか。
「隊長っ!」
掛けられた声に意識を目の前へと戻せば、そこには緩慢な予備動作を見せる巨人の姿。その体に空間を丸ごと喰らったような途方もない妖精力が満ちているのを感じ、直ぐに令を飛ばす。
「密集陣形! 対地属性防御用意っ!」
巨人が意識を向けている先は、クラウスたちが接近する巨人。どうやら仲間意識でもあるらしく、接触を妨害しようとしているらしい。
とはいえこちらも仕事。巨人の正体を暴き、対応策も練らなければならない。危害を加えるつもりはないのだと胸の内に抱きながら、目の前の咆哮に合わせて隊員が方陣を展開する。
属性特化防御術式と呼ばれる、属性妖精術に対する防御術式。その中でも風を得意とする者たちが研鑽の果てに作り上げるのが、対地属性防御の名を冠する妖精術だ。
各々の特性に合わせた複層式防御術式は、扱う者によって細かい部分が異なる。大まかに言えば大規模属性妖精術に対する防御と言うことにはなるが、その詳細が全く同じと言うのはまずありえない。
この隊にも対地属性防御を使える者が数名。しかし彼らの展開するそれは、目的こそ同じだがやはり細部が異なるのだ。
とは言え中身が違っていてもやるべきことは同じ。多量の妖精力と僅かの時間を代償に、襲い来る大規模な脅威を防ぐ。それが属性特化防御術式と言う防御術式だ。
流石にそれぞれが研鑽を重ねた複雑で規模の大きな妖精術。それ故に繊細な構築を為されている術式に、属性の乗算のような重ねがけは出来ない。下手に干渉すれば、術式自体が崩壊して意味を成さなくなってしまう。
その為属性特化防御術式に関しては、個人の能力に左右される勝負。
未知である巨人の扱う妖精術。それにどこまで耐えられるか分からない。だからこその複数人で密集して防御を重ねているのだ。
「くるぞっ!」
風の索敵を行っていた隊員が叫んだ直後。大地を揺るがす咆哮と共に豪雨のような礫の軍勢が視界を埋め尽くした。
先の大戦を少し経験した身からすれば、これは戦局を左右しかねないほどの妖精術。本来ならば儀式術式のように、下準備の末行うような大規模な技だ。
それを体一つで行う巨人の秘めたる力に、しかし引くわけにもいかないと耐える。
当然、対地属性防御を複数展開しても全てを防ぎきれるわけではない。その防ぎ損じを、個々が単体の妖精術で打ち落とす。
一つたりとも背後に通すわけにはいかない。彼らはまだ学生。幾ら連携が取れても、実戦経験は皆無に等しい。横槍があればそこから一気に崩れてしまうのだ。
空の足であるグリフォンを操り、飛来する礫を消滅させる。属性で不利な水の者達は、私のような炎を得意とする妖精術に属性の乗算と言う形で協力し、脅威を排除する。
散弾の壁の如き猛威の悉くを無力化する。人の身はあるだろう岩塊が瓦礫になって眼下の森に落ちていく。
そんな時間をどうにか乗り切れば、収まった猛攻に小さく息を吐いた。
「後どれくらい耐えられる?」
「万全には一回。無理をすれば二回、ですかね」
「ふむ……」
属性特化防御術式は大規模故に妖精力の消費も大きい、その為連発は利かない。
対戦中ならば敵も同じ人間で。行使できる妖精術にも限度があった。だから燃費の悪い属性特化防御術式でも一進一退の攻防が可能だったのだが……。
巨人は未知の存在だ。先ほどのような攻撃を何度も続けられてはこちらが先に崩れてしまう。
本質は気まぐれとの勝負か……。そんなことを考えながら振り返れば、先ほどまで地上にいたはずのクラウスが、いつの間にか巨人の胸の辺りに浮いているのを見つけた。
直ぐにそれが風の妖精術で擬似的な足場を作り出しているのだと気付けば、それをしたのだろう黒髪の少女に目を向ける。
聞き及んでいる噂によれば、彼女は学び舎で神童と評されるほどに妖精術の扱いに長けているらしい。だからこそ現役の軍属として、クー・シーの名を背負っているのだろう。
それにしてもあの年齢、しかも学生であそこまで器用に属性妖精術を扱えるとは……。今が戦時中でなくてよかったと小さく安堵した。
やがて巨人に腕を埋めていた彼が地面に降り立つ。どうやら目的は達したらしい。ならば得た情報を共有しなければ。
そう考えて空を仲間に任せ彼の下へと行こうとした刹那、その周囲が虹色の輝きを放ったのが見えた。
咆哮と共に大地に広げられた巨大な方陣。直ぐに妨害か防御をと妖精力を練ったところで、彼が無造作に拳を地面へと叩きつけた。
それとほぼ同時、殺到した土の槍が彼を貫こうとして────けれどもその体に触れる前に静止し、まるで急速に風化するかのようにぼろぼろと音を立てて崩れ落ちた。
直接妖精力を流し込んで術式を崩壊させたのだろうか。……それにしては少し奇妙な感じがしたが。
次いで彼の足下の土が蠢き、その身を安全な場所へと退避させる。どうやら危険は逃れたらしい。巨人もおとなしくなったみたいで一安心だ。
「各員、警戒を維持しつつ下へ。彼らと情報の共有を行う!」
まだ完全に気を緩める訳にはいかないが、心なしか辺りの空気が穏やかになった気がする。
とりあえず大きな脅威は去っただろうか。ならば直ぐに次のやるべきことを、だ。
* * *
「ふむ、そうか。報告ご苦労だった。ゆっくり静養せよ」
「失礼します」
エルヴェの報告を聞いて、彼を任から解き放つ。慣れない仕事に疲れもあるだろうに、最後まで姿勢を崩さなかった彼を再評価する。
どこか堅物で、神経質な嫌いのある彼だが、その真摯さが今回滞りなく事を運んでくれた。もう少し肩の力を抜いてもいいとは思うが……まぁそれは今後に期待するとしよう。
それよりも、エルヴェが齎した今回の報告は見過ごせないものだった。
ブランデンブルクと協力して得た情報は、世界の裏側を覗きかねない異変。
それは、妖精に小人以外の姿があり、その脅威がその本質以上に放埓であるということだ。
巨人の妖精。ヴァネッサの話では、よく物語に登場するトロールではないかと言う見解。確かにかの存在も妖精に分類される。
しかしあれは物語の為に誇張された表現であり、現実ではないと考えていたのだが……。どうやら認識を改めなければならないようだ。
彼女には申し訳ないが、惑い者の件も含めて妖精の変調の解明に尽力して欲しいものだ。その為の便宜なら可能な限り図るとしよう。
まさか四大国会談前にこんな問題が浮上するとは思わなかった。……が、国境沿いで今回のことが起きたように、やはり事はカリーナだけでの問題ではない。
となると会談での一番の議題は隣人たちに起きている異変の事となるだろう。
時間は後一月程度。それまでにこの問題を解決できる光明が見つかればよいのだが……。
「奴なら何か知っているか?」
脳裏に浮かんだ英雄的妖精の存在。
前にヴァネッサが話をした際には明確な手立ては見つからなかったが、あれから時間も経っている。こちらも真実の一端を手にしたことだし、また今度彼を頼ってみるのもいいかもしれない。
「きな臭い話ですね」
「うむ……。であればこそ、学都として何かしらの手がかりが見つけなければ。学問とは真理の追究が本懐の一つ。学びの知恵が世界をより良き方への手助けとなることを示さなければな」
まだ途方もなく結末の見えない問題だが、目の前のやるべきことから一つずつ。
そう自分に言い聞かせながら、頭の片隅に引っかかっているヴァネッサの話を思い出す。
ピスとケスが、巨人を見て12で5と言っていたらしい。報告では地の属性を得意とする魂の妖精がトロールに変化した、と言う話だが、それならば6で4と言う見解が二人からは出るはずだ。そのちぐはぐさに、まだ我輩たちの知らぬ秘密が隠されているはずだと彼女は言っていた。
12で5。これまで聞き覚えのない数字の羅列に、一体二人には何が見え、聞こえているのだろうか……。こっちもまた今度、彼女たちに聞いてみるとしよう。
教えてくれるかどうか、そして我輩が理解できるかどうかはまた別問題だが。
「さて、エド。今夜は忙しくなるぞ」
「無理だけはなさらないでください。御身はこの国を象徴する、大統領陛下なのですから」
「あぁ、分かっているとも」
目立った戦のない平穏な治世に新たに芽生えた不穏の種。次代が誰になるにせよ、我輩の世で事が起きたならば、それは我輩が背負うべき道理。
民に選ばれ座った椅子だ。その期待を裏切らないように、しっかりと責務を果たすとしよう。
「お茶を頼む」
「畏まりました」
礼儀正しく腰を折って用意を始めるエド。長年の友が傍にいてくれることに安堵とやる気を漲らせれば、窓から覗く天上の月を見つめて座る姿勢を少し正したのだった。
* * *
「そうか」
胸の奥に響く音に、目を閉じたまま憂う。
交わす言葉の先には夜の帳が広がり、辺りの自然の隙間には健やかに吐息を零す小さな体がいくつも眠る。
半分ほど欠けた月の光を身に受けて、人工の光のない森が照らされる。
競い合うように寄り合って天高く伸びる樹木の根元。人の家ほどはある巨大な虚の中から覗くのは、異なる色彩の瞳に爬虫類を思わせる縦長の瞳孔を宿した、威圧感のある双眸。空気を射殺すような鋭い光は、同胞とも、共生を謳う人とも違う物語の怪物そのもの。
その威容でさえ、世界の理から外れたような異形。朽ちた大木のように逆立った体表は、その一枚一枚が切り立った崖のような鱗に覆われ。熱を孕む吐息と共に大きく膨らむ体躯は、腹這いに長く四肢で支える長屋のような巨体。生物の背に当たる部分からは船のような翅が二枚一対、今は静かに折り畳まれて殻のように収まっている。
妖精の魂を持つドラゴン。それがこの身、カドゥケウスだ。
妖精でありながら異形。その最たる身として、今回人の世の境目付近で起きた騒動に関しては理解と遣る瀬無さを覚える。
世界に知られることとなった変調。その代償は、妖精が人ならざるという確たる証左だ。
巨人の妖精、トロール。人の世では一般的に丘の人々と呼ばれる彼らは、そもそも人型をしていない。これは殆どの妖精に当てはまる真実であり、同じくトロールの魂を持つこの身も例外ではない。
人の似姿──惑わしの術と名付けられた妖精の殻は、彼と彼女が人との融和を願って編み出した理だ。
この庇護があったからこそ、妖精は妖精として今の地位を築けている。
しかし今、その衣が綻びかかっている。人に似せるという目的の術式が瓦解することによって、妖精本来が持つ魂そのものな形が現出し始めている。
その有り様が、惑い者であり、先のトロールだ。
魂が揺らぐことで偽りの装束が解け、本能に従って言動を示すようになる。今のところまだ小規模で散発的に、目立った問題が起きているわけではないが。それでも無視し続ければ今ある平穏の地盤を根底から崩しかねない事態なのは確かだ。
問題は、未だその解決策が見つかっていないこと。
世界に影響を及ぼす大規模な術式は、妖精一人では作れない。ましてや個の異なるそれぞれの魂に干渉するなど埒外の命令式を組む必要がある。
例えこの身が英雄的妖精と崇められる存在であっても。幾らもがいた所で世界までは変えられない。
それが出来るのが、稀にいる、妖精に愛された者たちだけだ。
考えるに、この身の近くには二人。隣国に一人……いや、二人は知っている。
彼女たちが手を取るなり、更なる躍進で妖精の秘奥にたどり着けば、劇的な真実が見つかるかもしれない。
しかしどうにも、この魂は秘密主義で。己や同胞の深奥を詳らかにする事に嫌悪感を覚える。
けれどもそれはきっと、妖精に限ったことではなくて。誰だって秘したる過去や根源を暴かれることは嫌うものだろう。
だからこそ、大局こそ知りながらも、それを共有することは躊躇われる。誰が好き好んでドラゴンの口の中に入りに行くというのか。そんな埒外は、一握りでよい。
それ故に、願うのだ。たった一握りの彼女たちが、いつか真実を知り、新たなる理に手を伸ばしてくれまいか、と。
それまではきっと、途方もない夢を見て、微かな身動ぎと共に世界を俯瞰し続けるのだ。
この身は英雄的妖精、カドゥケウス。平穏と豊穣を望む大地の化身。
身と分を弁え、身分を明かすことを恐れ、眠りの淵から分身の如きこの世界を憂うのだ。




