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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
紺碧を喰らう竜の顎(あぎと)
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第五章

「と言うわけで船を出して貰いたいんですが」


 諸々の説明を終えて無理難題を提案する。当然のように顔を(しか)めてくれた事に、何故か安堵をした。


「……本気で言ってんのか?」

「冗談ならもっと考えてお話します」


 真摯に言葉を紡げば、彼はじっとこちらを見つめて、それからゆっくりと掌を額に当てた。

 二つ返事で頷いてもらえるとは思わなかったが、これは少し大変な交渉になるかもしれないと。尽くす言葉を幾つか考える。

 今目の前で唸る男性は、懇意にしている商船の船長だ。しばらく前から続いているカリーナ港の出入りの制限。その際にも危険と儲けを天秤に掛けて船を出してくれた、勇気ある海の男。

 そんな彼に、普段の仕事とは別な依頼を持ってきて、今し方困らせたところだ。


「…………話を整理させてくれるか?」


 冷静になる為の沈黙を挟んで彼が顔を上げる。


「港の制限に水竜が絡んでて、そいつらが暴れてる。その原因を探る為にタルフ岩礁まで人員を運ぶ船を出して欲しい。そしてその話が、カリーナからの正式な依頼…………これで間違い無いな?」

「えぇ。証書の確認が必要ならこれを」


 言って預かっていた書簡を彼の前に差し出す。疑っているわけでなく、ただ確認のためといった様子でそれに目を落とした。


「軍はどうなってんだよ。騎士団が海の治安は守ってくれてるんだろう? そちらさんに任せるわけにはいかねぇのか?」

「その軍との共同作戦、と言う事になります」


 答えたのは隣に座る丸眼鏡の女性。僕もつい先ほど出会ったばかりの研究者で、名前は確かヴァネッサ・アルカルロプスと言っただろうか。ここに来る前に僕のところに話を持ってきたのが彼女だ。


「お話を受けていただけるのであれば情報の開示と共有もできるのですが、現段階ではこれ以上お話は出来ません。……ただ、口約束にはなりますが、作戦完遂の暁には特別褒賞も準備しております」

「商人共と仕事はしてるが金で動くわけじゃねぇ」


 彼にとっては頷き難い話だというのはよく分かる。

 何せ危険な場所に行く為の足を用意して欲しいと言っているのだ。しかも普段使わない海路で、水竜が暴れていると言うその中心へ向けて。加えて命を預かる覚悟まで必要と来れば、彼の心中を推し量ることは容易だ。僕だって簡単には頷けないだろう。


「……けど、こうして話を持ちかけてくるくらいにそちらさんだって逼迫(ひっぱく)してるってのも理解してるつもりだ。軍の方だけで片付くのならそうしてるだろうからな」

「難しい事を言っているのは分かっています。だからこそ、海の男として信頼出来る貴方にならお願いしたいと思うのです」

「相変わらずジュストの旦那は口が上手いな。あんたに頭を下げられたらこっちの面子が潰れるじゃねぇか……」


 今回の話、僕に儲けは無い。けれどもこうして真剣に頼むのは、この話にあの双子が絡んでいること。そして我が故郷であるカリーナが危険に曝されつつある状況で、自分にできることがあるという恩返しの気持ちなのだ。

 ここで生まれ、育って、行商人として送り出してくれた。今では年に一度こうして国に戻ってこられている。上客も沢山居て、人の繋がりに助けられてばかりだ。

 だからこそ、今まで助けてもらった恩を返せる手段があるというのならば。商人以前に人として、力になりたい。


「お願い、出来ませんか?」

「……因みに訊くが、何を載せるってのを先に訊く事は出来るのか?」

「すみません。秘匿事項なのでお話できません……」


 隣のヴァネッサが辛そうな声で答える。彼女だって板ばさみに苦労しているのだ。何せこの話を聞いてそれでも船を出してくれる協力者を探して来いと上に言われたのだから。

 だと言うのに契約が結ばれるまで手の内は明かせない。切れる手札が少ないのに信用を勝ち取ってこいだなんて、無理難題にもほどがあるだろう。

 加えて彼女は、ハーフィーだ。人と妖精の血を半分ずつ持った魂。妖精に満たず、()りとて人にも(あら)ず。そんな中途半端に敵と味方を多く作る身の上で、信用勝負を任されているのだ。同情もしてしまうだろう。

 仕方ないから頭を下げるしかない。研究者として普段しないそれで、不器用に、真っ直ぐに精一杯なのだ。彼女の真面目さに出来る限りの協力をしたい気持ちはある。

 まだ出会って短いが、僕個人はそう感じるのだ。


「僕からもお願いします。この地で生まれ育った身として、故郷の平穏を守りたいんです」

「……ったくよぉ。そんなに言われたらこっちが悪者みてぇじゃねぇか。…………頭を上げてくれ」


 困ったような彼の声にゆっくりと顔を上げれば、海の大男は呆れたように後頭部を掻いて天井へと視線を逸らしながら告げる。


「…………分かった。それに国の依頼とあっちゃあ断る方が仕事に響くってもんだ」

「っ! ありがとうっ!」

「但し旦那っ。あんたには別口で礼を用意してもらう。……どこか酒の美味い店を貸切だ。いいなっ?」

「あぁ、もちろん!」

「ありがとうございます」

「ロランだ。よろしくな、お嬢さん」


 差し出された皮の分厚い手を取るヴァネッサ。その横顔に安堵の色が浮かんでいることにこちらの胸の内までほっとしながら肩の緊張を解く。

 ……いや、ここからが大変だ。直ぐに準備に取り掛かろう。




 約束を取り付けた翌日。各々が全力で準備を進めた結果、昼前には全ての手続きが(つつが)無く終わっていた。本気の大人の行動力は子供の好奇心にも勝る燃料。改めてそう感じるほどだ。

 それぞれの都合で作戦は昼を過ぎてから。それまでに個々人の用意や食事を済ませての集合となった。

 僕が集合場所である帆船(はんせん)へとやってきた時には、既に全員が揃っていた。船が出るまでにまだ時間はあるが、どうやら皆緊張しているようだ。


「ジュストの旦那ぁっ!」

「ぅおっと……」


 大声と共に背中を叩かれて前のめりになる。振り向けば想像通り、今回の作戦の要の一人である海の男、ロランがそこにいた。


「ったくよぉ。ほんとに来たのかよ」

「お願いしたのは僕ですからね。のうのうと港から見送るだけと言うわけにはいきませんよ」

「けどあれだろ? 海の上だと旦那も形無しなんだろ?」


 ロランの言葉に乾いた笑いを漏らす。

 商人なんて物をやっているが、これでも一応妖精従き(フィニアン)で契約妖精がいる。だから当然、世のお仲間と同じようにいざという時はその力を使うことも出来る。

 が、僕のそれは(フラム)に属する能力だ。水の世界である海の上では船を燃やすくらいしか出来ない役立たず。残念ながらそちらの方面で今回力になることは出来ないだろう。

 とは言えそれを理由に一人安全圏に居座るのは僕が僕を許せない。無理を言って船を出してもらっているのだ。その思いに精一杯応えて、雑用くらいは引き受けるつもりでいる。

 ……それに、行商と言う常で妖精術を行使する機会なんてほぼ皆無。そもそも戦力に数えられるほどの物は持ち合わせていないのだ。


「きっと出来ることはありますから。どうぞ好きなだけ使ってください」

「はっ! これだから旦那は……。やっぱり他の口だけの奴らより余程好きになれる商売相手だっ」

「ありがとうございます」


 そこまで気に入られると、おいそれと別の仕事に手を出せなくなるのだが…………。まぁいいか。信用は商人にとって大切な武器だ。大事にするとしよう。


「じゃ早速荷物を運び込んでくれ」

「わかりました」


 声に頷き、命を預ける帆船を見上げる。

 いつもは荷物を運ぶ船。今回はそれに乗って観光名所への危険を伴う海上移動だ。

 無事に帰ってこられるように、準備は手抜かり無く果たすとしよう。




              *   *   *




「シルヴィ、何してるんだ?」


 頬を撫でるじっとりとした潮風。板張りの揺れる甲板の上で紺碧の世界を遠く見つめる。

 海の上って、何だか寂しい……。

 そう考えた直後、直ぐ傍から幼馴染の声が響いた。波を掻き分ける船の音に掻き消されないためか、いつもより近い距離にあった顔に少しだけ驚く。


「べ、別に……。ただちょっと、落ち着かないって言うか」

「ぼく達が何かするわけじゃないんだからもう少し肩の力抜いてもいいんじゃないか?」

「それは分かってるけど……」


 ロベールの言う通り、今回あたし達は付いて来ただけだ。

 何の因果か夏の終わりに出会った妖精の思いつきに巻き込まれて、今や船の上。何か特別な使命を背負っているわけでもないのに、いつもと違う事をしている違和感にまだ納得が見つけられていなくて足下が覚束無(おぼつかな)いのだ。


「……ロベールは船乗ったことあるの?」

「いや。これが初めてだ。だから少しわくわくしてるっ」

「わくわくは分からないけど、あたしも初めてだから……。こんなのが初めてだとどうしていいか分からなくて困ってる」

「迷惑にならない程度に楽しめばいいんじゃないか?」


 相変わらず暢気な事を言う幼馴染だと。瞳を輝かせるその横顔を一瞥して小さく息を吐く。

 ……けれども少しだけ羨ましいのは本心。彼くらいに能天気に状況を受け入れられたら、一体どれほど楽に生きられるのか。無駄に考えすぎてしまう自分が恨めしい。


「…………折角ならもっと雰囲気欲しかった……」

「え? 何か言ったか?」

「なんでもないっ」


 いっそのこと救命用の小船でロベールと二人きりなら、悩みなど振り切れたのかもしれないのに。

 もう少し、空気のいい感じで、ゆったりと船に揺られたかった。


「にしても結構揺れるんだな」

「いつもはこんなのじゃないのよぉ?」


 会話に、先ほどまでなかった声が加わる。見ればいつの間にかロベールの頭の上に(くだん)の妖精が腰をおろしていた。

 彼女の気紛れによってあたし達はこの船にいる。言わば元凶だ。彼女の眼鏡にかなわなければ、今頃ロベールとジルさんのお店にでも入り浸っていたはずなのに……。妖精の自由さは時折あたしの敵だ。


「これも水竜の影響って事か?」

「雨も風も無いのよぉ? それで荒れるなんておかしいじゃなぁい」

「それもそっか」


 やっぱりもっと普通がよかった。そう一人ごちながら、彼女に尋ねる。


「それにしてもあの話は本当? 今回妖精が関わってないって」

「妖精は嘘を吐かないのよぉ。何度も同じ事を言わせないでちょうだぁい」


 彼女の言葉に昨日の話を思い出す。

 ピスとケスに連れられて向かったカリーナ城。三度目の訪問も、一度目同様学徒らしからぬ常識はずれな理由で(おもむ)く事になった一室で。妖精に呼ばれて同席した話は、想定外を重ねた末の納得だった。

 曰く、タルフ岩礁で水竜が暴れていて。その影響で船の出入りや漁等に支障が出ているとのこと。海の治安を司る白角(ハッカク)騎士団も連日連夜交替で任に当たっている状況で、国も措置を(こまね)いていたらしい。

 そこにピスとケスが彼女達らしい呼吸で急展開を引き起こし、一気に進んだ理解で対抗策を行使する為に現在、タルフ岩礁に向かっているのだ。


「少なくともぉ、海に住まう誰かの悪戯で暴れてる訳じゃないわよぉ」

「けど妖精力は感じたんだろ?」

「人にもワタシ達にもぉ、それぞれ波長があるのよぉ。ワタシが知る限り問題を起こしている波長に心当たりは無いわぁ」

「……陸にいる妖精がわざわざタルフ岩礁まで行く理由も無いからね。妖精の仕業ならあなたの知ってる誰か。けれど今回は何か別の要因で水竜が暴れているって事だよね」

「けど水竜ってドラゴンだろ? 妖精術なら()(かく)、ただの妖精力でどうにかなるなんて信じられないけどな……」


 ロベールの言葉にあたしも頷く。

 ドラゴンが妖精の悪戯によって普段とは違う行動を取る、と言う事例については経験があるから理解も出来る。けれどあの時はボギーと言う妖精が関わっていた。ボギーは耳元で囁いたり、時には直接悪戯をし掛けて人間を惑わす妖精だ。

 しかし今回、彼女の言うことが本当ならば水竜の騒動に妖精は関わっていないらしい。だからこそ、国も前例に当て嵌めることが出来なくて直ぐの対策が打てなかったのだ。


「どうもでいいけれどぉ、人は相変わらず目に見えるものしか見てないのねぇ」

「え…………?」


 少し拗ねたように零す妖精。言葉の意味が分からなくて()き返すが、視線を逸らして教えてはくれなかった。と、ピスとケスと視線を交わした彼女が笑って弁明する。


「あ、二人は別よぅ。ちゃんと気付いていてくれてるものねぇ」

「うん」

「ごめん」

「謝らないでちょうだぁい。別に二人の所為じゃないものぉ」


 双子が妖精と言葉を交わす。何について話しているのか、外から聞いているだけのあたしには理解できない。

 目に見えるものしか見ていない……? 一体どういう意味だろうか。


「だからワタシが居たのよぉ。本当は今帰るのは嫌だけどぉ、楽しく無いものが波のように広がるのは嫌だものねぇ」

「大丈夫」

「頑張る」

「期待してるわぁ」


 ……駄目だ考えてみても分からない。きっと二人にしか理解できない世界の話だ。秘密主義の妖精に訊いても教えてくれないだろうし、妖精のことで二人が漏らしてくれるとも思えない。

 気にならないと言ったら嘘になるけれど…………今はもっと大切なことが目の前にあるのだ。何が出来るかわからないけど、出来る限りの協力を惜しむつもりはないっ。


「風邪引くといけないからもどろっか」

「そうだな」


 この調子なら船酔いをすることもなさそうだ。……と言うか、ピスとケスこそ大丈夫なのだろうか。

 扉を閉めて船内に戻るのと同時、部屋に向かいながら尋ねる。


「二人は船酔いとか大丈夫?」

「うん」

「平気」

「そっか、よかった」

「二人だけかよ」

「当然でしょ。(グラド)なんだから」

「…………?」


 ロベールが理解できないという風にこちらを見つめる。


「まさかこの前の授業聴いてなかったの?」

「…………悪い」


 一体何に呆けてたのやら。考えるのも面倒になってそこは追究せずに仕方なく説明する。


「……妖精憑き(フィジー)や妖精従きが扱う妖精術の属性(エレメント)に得意不得意があるのは知ってるでしょ?」

「当たり前だろ」

「じゃあそれが普段の生活に影響を及ぼすって言うのは?」

「普段の生活?」

「まぁ普段って言うよりは環境に応じてって言う方が正しいかもだけど……」


 覚えたての知識をどうにか噛み砕いて音にする。


「…………例えば今回だと、あたし達は海の上にいるでしょ? それはつまり水の沢山ある場所に居るって言うこと。そういう状況で、ロベールみたいに(ウィルム)が得意な妖精憑きや妖精従きは気分がよくなったりするらしいの」

「へぇ」

「気分がいい、調子がいい。これはそのまま行使する妖精術にも影響を及ぼす。……つまり環境に適した力を持つ者は、その恩恵を受けられるって事」


 妖精が住まう場所に好みがあるように。彼女達ほどではないにしても、妖精憑きや妖精従き達にもそれぞれに影響が出るのだ。

 実力が拮抗しているのならば環境が勝敗を分ける。その為、場合に応じた戦術や戦略と言うものがあって、所謂(いわゆる)地の利という言葉が確かな意味を持つのだ。


「じゃあ逆の場合だとどうなるか分かる?」

「体調が悪くなるんじゃないのか? 海の上だと(フラム)が…………あっ」


 そこまで考えて、ようやくロベールも至ったらしい。


「そう。苦手な環境だと体に悪影響が出ることがある。そこに例えば、普段乗りなれない乗り物で、自分以外の感覚に振り回されると……」

「船酔いか……!」

「特に地の属性が得意な人は、大地の遠い海や空の上だとその影響が大きくなるの。得意な環境である大地が遠くなるから。どちらかと言うと空の方かな。だから地が得意な人は高い所が苦手な人が多い」


 妖精の力には禍福が大きく関わっている。それは当然、同じ力を扱う人にだって影響を及ぼすのだ。


「もちろん絶対じゃないからね。多いってだけで、実際二人は大丈夫みたいだし」

「もし気分が悪くなったら言えよ?」

「うん」

「わかった」


 素直な二人の言葉に安堵をして小さく息を吐く。それと同時、船体が大きく横に傾いて体勢を崩した。


「うおっ!?」

「きゃっ!」


 咄嗟の事に踏ん張りが利かず、通路の壁に背中を預けて座り込む。直ぐに揺れが収まり閉じていた目を開けた。

 すると目の前にロベールの顔があって、胸の奥が無意識に引き絞られる。どうやらロベールが腕を突いて体を支え、あたしに覆い被さるような体勢になっているらしい。


「悪いっ。大丈夫か? 怪我は?」

「な、無い……から。早くどいて…………」

「あぁ」


 想定外の事に彼も追いつかなかったのか、どこか恥ずかしそうにしながら離れたロベール。次いで差し出された手を取って立ち上がりながら、早くなった鼓動を必死に落ち着かせる。


「楽しそうねぇ」

「ち、違っ……!」

「……? 何の話だ?」

「なんでもないっ!」


 妖精のからかいの声に思わず答えて、鈍感な想い人から逃げるように足を出す。

 あぁ、もうっ。どうしてこう時と場所を選んでくれないのだろうか。もっと違えば、何かのきっかけになる気がするのに……。

 とは言え突然の急接近に胸が高鳴ったのも事実で。悪態を吐く割りに現金なものだと自分の感情を恨めしく思ったのだった。




 それからしばらく船に揺られて。時が経つ(たび)段々とふり幅の大きくなっていく傾斜に、地や炎の属性に愛されていなくとも酔ってしまいそうだと、惑う感覚に必死に抗い続ける。

 何か別の事を考えて気を紛らわせなければ、好きな人の前で醜態を晒してしまいそうだと、尊厳との格闘始める。それとほぼ同時、部屋の扉を叩く音がくぐもった遠い波に紛れて響いた。


「生きてるか?」


 声は、篭ってこそ居るがアランのもの。今回は彼も途中まで船での移動だ。そろそろ水竜に乗り換えて白角騎士団の団長としての責を果たしに行く頃だろう。出発前の挨拶だろうか。

 揺れる足場を意識して立ち上がれば、一際大きな伏角。思わず蹈鞴(たたら)を踏んでこけそうになった所を、ちょうど後ろにいたピスとケスに支えられて事なきを得た。


「ありがと」


 こくりと頷いた二人の後について外へ。先に部屋を出ていたロベールとアランが何かしらの会話をしている最中だった。


「そろそろ到着か?」

「あぁ。だがこの揺れだ。甲板には近付くなよ。海に放り出されるからな」

「分かってる」

「もう出発ですか?」

「それが責務だからな」


 空は晴れているというのに時化(しけ)た海原。船の中でさえこれだけ揺られているのに、その海面を掻き分けて更に危険な場所に挑むなんて大変な仕事だ。

 けれど彼らのお陰であたし達の日常がある。ここまで着いて来たのだ。せめて激励を……。

 そう考えて声を掛けようとしたところで、アランが何かを探すように辺りを見渡している事に気がついた。


「どうかしましたか?」

「いや、相棒の姿がさっきから見えなくてな。ここに来たのもあいつを探しての事だったんだが」

強制招聘(サモン)じゃ駄目なのか?」

「あいつは強制招聘を嫌うんだよ。これからって時に命を預ける相棒の機嫌を損ねたくないんだ」


 妖精は気紛れで、好き嫌いがはっきりしている。妖精従きになればそういう苦労がある事も学園で学んでいる。


「ったく。どこに行ったかねぇ……」

「あの子も」

「いない」

「え……?」


 言われて、それから気付く。先ほどまで同じ部屋の中で気晴らしに話もしていたのだが……。アランが着た際に一人でどこかへ行ってしまったのだろうか。

 妖精の自由を縛るつもりは無いが、こんな時に更なる面倒を振りまかないで欲しいものだ。


「……あっちだ」


 足を出したロベール。脈絡の無い言動に、けれども疑う事無くその背中を追う。慌しい状況下でこそ、ロベールは無駄な事はしない。

 そう信頼に足るのは、やっぱり彼とあたしが幼馴染だからだろう。

 無言で足を進める彼の後を追えば、やってきたのは甲板へ出る扉の前だった。


「外に居るのか?」

「少なくともあの妖精はな」


 アランの声に答えてロベールが扉を開く。海風と陽光に晒されて少しだけ顔を覆い、それから視界を確保すれば、船の先端近くに小さな後姿を二つ見つけた。

 どうやら一緒にいたらしい。ロベールが見つけられたのは、同じ水に愛された者だからだろうか。


「なに見てんだ?」

「あれよぅ」


 直ぐ傍に足を止めて、彼女の言葉に船の行く先を見据える。

 するとそこには、海原より顔を覗かせて回遊する水竜の姿を幾つも確認できた。


「近いな。これ以上の接近は危険だ。直ぐに船を止めさせよう」


 相棒を指先で摘まんでアランが船内に戻っていく。

 あたし達もここに居れば危険だと。妖精を連れて戻ろうとした所で、ロベールの様子がおかしい事に気がついた。


「ロベール……?」

「本気で言ってんのか?」


 声は、ロベールだけのもの。けれどそれが会話だと気付けば、からくりにも至る。

 妖精は悪戯が得意だ。その中の一つに、知覚外から脳裏に語りかけて驚かせる、と言う事をする者もいる。恐らくそれの応用で、妖精がロベールに何かを伝えているのだろう。


「妖精の声」

「嘘は無い」


 ピスとケスも何かに気付いたように零す。

 妖精は嘘を吐かない。ならば彼女がロベールに告げているそれは、無視出来ない話のはずだ。ロベールの顔を見れば、それがよく分かる。


「ロベール」

「………………」


 声に振り向いた彼が、迷うように口を閉ざす。その瞳をじっと見つめ返して訴えれば、覚悟を決めたように彼は口を開いた。


「この子があそこを出てきた時より状況が悪化してるらしい。事ここに至ってようやくその原因も分かったんだと」

「……それで?」

「…………直ぐにでも対処しないと、妖精にも影響が出るって。その為に人の力が……ぼく達の協力が不可欠だって」

「協力って、どんな……?」


 それは純粋な疑問ではなく確認のような問い。何となく、どんな答えが返るか想像はついているのだ。

 けれども言葉で聞くまで信じたくない。だから、想像が嘘であって欲しいと願って尋ねるのだ。


「直接、ぼく達がタルフ岩礁まで行って、波長を貸して欲しいんだって」

「波長を貸す……?」


 より具体的な内容に訊き返す。


「なんかぼく達の波長を使って原因を鎮めるとか……」

「原因って?」

「…………まだ言えないらしい」


 秘密主義の妖精らしい隠し事だ。そこまで巻き込むならいっそのこと教えてくれてもいいのに。それだけ彼女達妖精にとって大切な事に触れようとしていると言うことか。


「……どうする?」

「ロベールはもう決めてるんでしょ?」


 長い付き合いで言葉にすれば、無言の肯定が返ってきた。

 言ってしまえば別世界の話。恐らくあたし達がここで協力しなくとも別の誰かが同じ事をするだろう。

 けれどそれを跳ね除けず背負い込もうとしているロベール。男らしく責任感の強い彼の決断は、きっと単純な理由。


「だってもう、偶然じゃないだろ。夏の終わりと、少し前の町中と、昨日と今日と……。広い世界で自由な妖精と何度も再会したんだ。それだけ特別な縁がある証拠だ」


 これは、妖精憑きや妖精従きだからの価値観。妖精が身近に感じない者には理解し難い感性。

 陳腐に言えば、運命と言う事だ。


「どこかの物語みたいだからじゃない。現実に、そういう話は沢山あるだろ?」


 実際、これまでの歴史で似たような話は山ほどある。邂逅から再会を重ねる内に、いつの間にか不思議な縁が紡がれて。その結果に何かの事を成す。

 契約が波長に惹かれ合うように、こうした出会いもまた特別で、有り触れているのだ。


「なにより一緒の時間を過ごして、楽しさを共有した間柄だ。今更無かった事に出来ないし、少なくともぼくは無視をするつもりはない」

「……そんなの、あたしも同じだよ」

「だったら答えなんて最初から決まってるだろ?」


 諭すような彼の声に、それから小さく息を吐いて。論理的な納得や理由よりも儚い、けれども見過ごせない衝動と決意を振りかざす。


「分かった」


 頷けば、あたしの目の前に姿を躍らせた妖精が小さな掌を差し出してきた。


「やっと仲良くなれそうねぇ」

「そう思ってくれるんだったら気紛れで戯れないでくれると嬉しいかな」

「それは無理よぅ。だってワタシは妖精だものぉ」


 卑怯な言い訳に小さく笑って。対等を認めるように彼女の小さな掌に指先で応じたのだった。




              *   *   *




「言っても聞きそうに無いな、これは…………」


 間近に迫った作戦遂行に向けて準備をしているとやってきた今回の同行者。妖精も付き従うその姿に、微かに未来の姿を幻視して耳を傾ければ、強い音と共に俺の想定外を口にしてくれた。


「危険は理解してるな? 何か不手際があれば命だって危ぶまれる。それでも行くのか?」

「あぁ。妖精の願いで、ぼく達の覚悟だ」

「無茶を言ってごめんなさい」

「頑張る」

「お願い」


 前々から思っていたけれども、頑固な子供達だ。決意に満ちたその瞳と覚悟を、無碍(むげ)にするのは俺が悪者みたいではないか。

 溜め息を一つ。それから最終確認。


「自己責任。そしてなにより、無事に帰ること。いいか?」


 責任放棄ではない。自己責任と言う、その言葉の重さを突きつけているのだ。

 自分の身は自分で守れ。ここからは大人の世界だ。怖いなら、直ぐにでも引き返せ。

 そう、最大限の大人を込めて脅迫するように真っ直ぐ告げる。

 生半可な覚悟なら一瞬でも怯むはず。そんな希望は、けれども最初から存在しなかったかのように外れない視線で打ち砕かれて。こちらが折れるしか仕様が無かった。


「……じゃあ直ぐに準備しろ。いざという時の救命衣を身につけたら、荷の積み込みを行った区画に来い」




 武装の最終確認を終えしばらくすると覚悟を固めた表情の四人がやってきた。やっぱりどう言っても彼らは考えを改めるつもりは無いようだ。

 ならば彼らが無事に戻ってこられるようにするのが俺の役目。


「準備はいいな?」

「あぁ」

「本来は俺達だけで解決するつもりだったところに君達を無理やり入れたんだ。当然君達用の水竜の手配は無い。その為、四人にはこの救命用の船で荒波を越えてもらう」

「……妖精術でどうにかすればいいんだな?」

「理解が早くて助かる」


 ある程度覚悟もしていたのか、ここにくるまでに出来る事を考えていたらしい。その思考能力を、身の安全に回してくれれば文句も無いんだがな。


「シルヴィ、いけるよな?」

「ロベールこそ、足引っ張らないでよね」

「ワタシが手助けしてあげるわぁ。特別よぅ?」

「うん」

「よろしく」


 彼らがここに来る事になったその元凶。今回の騒動に解決の糸口を提示した彼女の我が儘。その責任とでも言うように音にする。

 ……まぁ妖精の言う事だ。そんな感情はきっとどこにも無く、ただ直ぐそこにある興味に惹かれてより面白い方へと荒波を立てているだけだろう。

 彼らも中々に面倒な妖精に目を付けられたものだ。それが彼女達妖精の本質なのだから仕方の無い事だが。


「何かあったら身の安全を最優先にすること」


 言っても仕方ないかもしれないが、言葉にしないわけにはいかない。それくらいに四人のことが心配なのだ。

 少しでも心に残る事を期待して言い含めれば、彼らが救命船に乗って高波(ひしめ)く海原へと旅立つ。


「では俺達もいきましょうか」

「よろしくお願いします」


 振り返ってそこに立っていたヴァネッサと共に水竜の背に跨る。

 彼女は今回、調査を主目的として同行することが最初から決まっていた。とは言えそれは水竜の暴走が治まった後でと言う話だったのだが、彼らが海に出ると聞いてならば自分もと名乗り出たのだ。

 研究者は頭脳労働が主戦場だろうに、中々に行動的な女性だ。

 万が一の為に命綱で彼女と自分を繋ぎ、四人を追って海へ出る。荒れ狂う水面を、白角騎士団に配属されてからずっと一緒に泳いできた相棒と呼吸を合わせ障害物を避けるように進み始める。

 この程度ならまだ大丈夫。前に嵐の中座礁した瓦解寸前の船の救助に向かった時よりはましだ。あの時は死さえ覚悟したものだ。

 背中のヴァネッサを振り落とさないようにだけ注意しながら四人の乗る船に近付く。

 すると彼らは、見事な連携で襲い来る波の(ことごと)くを中和し、どうにか前に進んでいた。傍から見るに、双子が司令塔となって指示を飛ばし、ロベールが船体に打ち付ける波を水の妖精術で作り出した同程度の波で相殺。シルヴィが風の妖精術で推力と航行方向の操作をしているようだ。

 妖精の手助けもあってか、随分と効率よく波を打ち消すロベール。流石はテトラフィラに通う学生か。将来が楽しみだ。


「前をっ!」


 俺の体にしがみ付いていたヴァネッサが波の音に負けない声量で叫ぶ。声に前を見れば、真っ直ぐにこちらへ向かって泳いでくる水竜が一頭見えた。


「しっかり捕まって! ネロッ!」

「ちゃんとここにいるよっ」


 胸の衣嚢(いのう)に身を隠していた妖精が顔を覗かせる。陽光を受けて透けるように煌めく飴色の短髪が印象的な、俺の妖精従きとしての相棒。俺やシルヴィと同じ、風に身を任せるはんぶんだ。

 妖精ということもあって中性的な見た目をしているが、れっきとした男の妖精。


「沈める!」

「まかせろ!」


 短い言葉でやり取りを交わせば、胸の内の妖精力を彼に預け、妖精術に昇華する。相棒が放り出されないように手で押さえれば、小さな両腕を突き出した彼はじっと水面を睨む。

 次の瞬間、接近してきていた水竜の進行上に突如として出現した空気の道。海底へ向けて、まるで目に見えない筒が差し込まれたようにそこだけ水の無い空間を作り出す。方向転換の許されない刹那の出来事の内に、水の中では生物最速を誇る水竜がその穴に落ちていく。

 飛ぶ事に特化した火竜や風竜と違い、空を飛ぶことが出来ない水竜。その代わり、翼が変化した大きな(ひれ)は水中と言う環境で無類の強さを誇る。が、ならば水のない場所に誘い込めば無力化できる。

 幾つか脳裏に描いていた中で、最も水竜に害の少ない方法でその意図を(くじ)く。別に本当に海底まで空気の道を作ったわけではない。四人の乗る船を回避さえすれば、また水中に戻っていつものように泳ぎ始める。


「動きを止めるのではなく、少しだけ行き先を変える。面白いですねっ」

「これでも隊を率いる団長なもんでね。海の治安を守る一因として、幾ら正気ではなくとも命を奪うような事はしたくないのさ!」


 感嘆したようなヴァネッサの声に答え、辺りを警戒しながら四人の乗る船を護衛する。

 話では、タルフ岩礁の内側に行くことが目的らしい。そこまで彼らを無事に送り届けるのが、俺の仕事だ。


「アラン、次くるよっ!」


 ネロの声に気を引き締めなおす。

 さぁ、使える手段を全部使って、その悉くを無力化するとしよう。




              *   *   *




 アランのお陰で問題なくタルフ岩礁に到着する。途中、近付くに連れて激しくなっていった水竜の襲撃が、ある一点を越えた辺りから急激に鳴りを潜め始めた事に疑問を抱きながら、観光名所をそれ以外の目的で訪れた。

 本来ならばもっと別の形で来るはずだったろうに。何でこんな事になったのか……。決断を下した今になってもその疑問は拭えない。

 が、そんな個人的な思いとやるべき事は別。今一度気持ちを引き締めて目の前の光景を見渡す。

 波の所為か少しだけ濁った海。その下や、海面から顔を覗かせる岩の数々。自然が作り出したその景色は、ぼくが知る限り過去にはもっと別の……元々島のようなものがあったその成れの果てらしい。

 現在ではタルフ岩礁として手付かずの岩場と、多種多様な海の生物が棲み処にするアンソゾアが群生する海の家。土産(みやげ)物としても有名なアンソゾアの鮮やかな色彩は、ここが別世界に感じる絶景だ。

 他にも島が波によって浸食され削れて出来た海食柱(かいしょくちゅう)海食洞(かいしょくどう)なども観光名所の一つで、もうしばらくすれば夕日に照らされ幻想的な風景を描き出す自然の顔。

 恋人が愛を語らうのには丁度いい、雰囲気ある空間は、しかし今現在肌を刺すような緊張のただ中にある。

 少し遠くにはこちらを窺うように泳ぎ回る水竜の姿。彼らがまたいつ襲ってくるかも分からない状況下で、まだ半分ほど理解出来ていない今回の目的に身を入れる。


「……それで? 水竜が暴れてる原因ってのはなんなんだ?」

「………………」

「どうかしたの?」

「え…………あ、あぁ。何でもないわよぉ。少し待ってねぇ」


 何かに呆けていた様子の妖精。シルヴィの声に我に返った彼女は、言い残して直ぐ傍の岩の上に降り立つ。

 そうして小さく呼吸をする間を空けて、飛ぶ為の虹色の(はね)を微かに震わせた。

 その様子を、ここまで水竜を駆って護衛してくれたアランの後ろに座るヴァネッサが(いぶか)しそうに見つめている事に気が付く。


「ここ」

「同じ?」


 と、声は直ぐ隣から。ここに来るまで色々助けてくれたピスとケスが、いつものように重要な何かを忘れてきたような音を零す。


「……そうね。けどあっちと比べると薄い。でも、この濃度は異常よ」

「何の話だ?」

「妖精力だよ」

「へ……?」


 シルヴィの声に意識した途端、周りに吐きそうなほどの密度の妖精力が漂っている事に遅ればせながら気が付いた。


「うわ、なんだこれ……。重いっつうか、気持ち悪い…………」

「あっち、かな……」

「うん」

「あっち」


 シルヴィの声にピスとケスが頷く。つられるように意識を傾ければ、三人が示す方角から一段と濃い妖精力が流れてくるのが分かった。


「二人はこうした淀みは始めてかしら?」

「淀み?」

「世界にはね、こうした妖精力の溜まり場みたいな場所が幾つかあるの。そしてそういう場所は大抵多くの妖精の住処でもある。識者の中には、妖精の国(アルフヘイム)じゃないかって言う人もいるわ」


 妖精の国。それは空想の物語に数多登場する妖精達のふるさとだ。その姿は作品により様々で、金銀財宝が眠っていたり、お酒が湧き出ていたり、石の幹に鉱石の葉を付けた木がそこかしこに並んでいたりと、煩雑ながら幻想を体現したような空間が広がっている。

 そして妖精の国には、それを管轄する二人の妖精……妖精王オーベロンと女王タイターニアが住んでいると言われている、物語の中の都。

 現実には存在しておらず、学者がその真相究明を第一義に掲げ今も世界中をひっくり返している、真理の一端とも言うべき概念だ。

 続けるヴァネッサの声に耳を傾ける。


「わたしは違うと思うけれどね。……でも近しいものだとは思ってる。そしてこのタルフ岩礁も、その一つなの」

「この妖精力の濃さがその証って事ですか?」

「一応はね。でも今回もそれに当て嵌まるかどうかと言われると難しい所ね」


 こんな事は学園の授業では教えてもらえない。そういう意味ではここに来た意味もあるだろうか。

 とは言えきっと重要な話。意味もなく彼女がそれをするとは思えない。

 ヴァネッサの言葉をしっかりと頭の中に刻みながら未知に視野を広げる。


「通常そういった場所は閉鎖的な空間である事が多いの。洞窟の中や森の中の開けた空間とかね。妖精力の逃げ場が少ないから、吹き溜りになっているって言うのが一般的な意見ね」

「……ここは広すぎるってことですか?」

「えぇ。しかも海の上と言う風が吹く場所。それを遮る物もちょっとした岩場しかない。だから普通こんなに一箇所に妖精力が満ちたりはしないのよ」


 確かに彼女の言う通り視界が開けている。船の上からでも、海と空の境目である水平線が見えるし、振り返ればぼく達が暮らすカリーナ城下町の顔の一つ……港の全容がうっすらと見える。言葉通りに身を隠す場所がないのだ。


「でもここってその溜まり場の一つなんですよね?」

「溜まり場に位置づけられる要因は妖精力の量だけじゃないの。タルフ岩礁の理由で言うと、妖精達の住み処ってのがそれね」

「ここには沢山の妖精が居るんだっけ。……あれ、そう言えばここに来てから他の妖精見てないな」

「竜が暴れて穏やかじゃないこの場所に妖精が楽しさを求めると思うのかしらぁ?」


 気付けば岩の上から戻ってきていた妖精が船の縁に立ってこちらを見上げていた。


「いつもはもっと賑やかよぉ。それこそ遊びに来る人間に悪戯を仕掛けて笑うくらいにはねぇ」

「今はどこに?」

「さぁあ? けどあの竜達が治まればまた戻ってくるでしょうねぇ」


 彼女達妖精は人間ほどに同属に執着しない。それは(ひとえ)に自由を愛し楽しい生き甲斐に身を投じているからだ。だから妖精が一箇所に集まっている光景と言うのは珍しい。

 タルフ岩礁ではそれが見られるということもあって観光客に人気なのだが、今辺りを見渡してみてもその姿は見つからない。彼女の話の通りならば、単純に隠れていると言う訳では無いようだ。


「そんなことよりぃ、やるべき事があるでしょう? 案内するから付いてきてちょうだぁい」

「座礁しないようにね」

「はい」


 ヴァネッサの声に頷いてシルヴィが風の妖精術を使う。浅瀬を撫でて立つ小波(さざなみ)揺蕩(たゆた)っていた小船が推力を得て再び進み始める。

 ここまでくると水竜の妨害も無いようで、ぼくの役目は波の相殺から安全な航路の散策に変わった。

 手を突っ込めば触れるほどの近さに色取り取りなアンソゾアが存在する。タルフ岩礁の観光でも、ここまで中に入り込むようなことは無い。基本的に遊覧船で遠巻きから眺めるだけなのだ。そう考えれば、今自分がどれだけ貴重な体験をしているのかを改めて知った。

 一応警戒だけはしつつシルヴィに進むべき方向を告げる。

 その傍らで脳裏を過ぎるのは、これまでアランが退(しりぞ)けてくれた水竜のことだ。

 ドラゴンの生態についてそこまで詳しいわけではない。が、今まで見聞きした知識と重ねて考えると少しだけ違和感を覚えたのだ。

 個人的な感想でしかないが、その行動が随分と幼く見えた。幼い、と言う表現が合っているかどうかと言われると疑問だが、こちらに突っ込んでくる水竜が物事を覚えたての子供のように素直だったように思うのだ。

 実を言うと駐屯地でドラゴンが暴れた時も似た様な物を感じていた。それらを合わせて考えると、ドラゴンの暴走は本能的に行動しているだけのように感じるのだ。

 前回は妖精が絡み、今回は多量の妖精力がこの場に存在する。妖精という概念が何かしらの形で関係している事はまず間違い無いが、そこにどんな意図があるかまでは分からない。

 ただ妖精に纏わる何かが絡んで、ぼく達人間以外の部分にも変化が起き始めているという事は何となく推測は付く。

 だからってぼくに何が出来るかなんて分からなくて。それはきっとヴァネッサのような研究者の人達が解明してくれる真実だ。

 ぼくは、何も出来ないなりに何か出来る事を探して全力で取り組むだけだ。


「あの中よぉ」


 妖精の声に思考が引っ張り上げられる。彼女が示す方を見れば、そこには大きな海食洞があった。


「む、幅が狭いな。水竜はもとより、大人も厳しいか」

「子供一人がようやくって感じね」


 アランとヴァネッサの言う通り、巨大な海食柱が削られて出来たその洞穴は入り口が随分と狭い。妖精のような小さい体なら難なく通り抜けられるが、人ともなると子供のように小柄でなくては中に入れそうにない。


「それに足場になりそうなところもないぞ? 中って言ってもこの船じゃ入れないだろ……」

「何言ってるのぉ? 歩けばいいじゃなぁい」

「は? どうやって──」

「ロベール、あの妖精術は?」

「え……?」

「ほら、夏休みの課題でロベールが作った水上歩行の」

「あ!」


 幼馴染の言葉に、それから思い出す。

 それは夏の終わりに彼女達に向けて披露した、ぼくの夏の成果。


「けどあれは立つだけで自由に歩けないし。洞窟の中は暗くてどんな形かも分からないんだ。想像で妖精術を行使するなんてぼくには無理だっ」


 そうでなくとも契約をしていない身での妖精術行使は集中力との勝負。更にそれを持続させて展開するなんて余程妖精術の扱いに慣れていないと難しい。

 ましてやその場合、ぼくが展開した妖精術で尖兵として赴くのはシルヴィたちだ。自分の事なら自己責任でどうにかなるが、何かあった時に彼女達が怪我をするのはぼくが嫌だ。そんなことの為に努力して作り出した技じゃない。


「手なら貸すわよぉ。それなら問題ないでしょう?」


 危険は(おか)せないと口にした直後。妖精の彼女がぼくの肩に降り立って蠱惑するように囁いた。


「逆にぃ、あなた達以外に誰ができるっていうのぉ?」

「……まさか最初から知っててここに来たの?」

「怖い顔しないでよぅ。ここに原因があるって気付いたのはさっきのことぉ。でも結果的にあなた達が居てくれたのは幸運よねぇ」


 一瞬彼女の言葉を疑ったが、妖精である事を思い出して首を振った。彼女達は嘘を吐かない。知らなかったのは本当だろう。そして偶然だったのもまた。

 けれど何かしらの予感はあってぼく達をこの騒動に巻き込んだ……。彼女の思惑はそんなところだろうか。


「さてぇ、どうするかしらぁ? そっちの怖い顔した人達に任せるのだったらぁ、日を改めてになりそうだけれどもぉ」

「…………先送りにして今以上の被害が出るのは避けたいわね。いいかしら?」

「分かった。その代わり目は付けさせてもらおう」

「はいはい、っとぉ……」


 僅かの黙考の後、二人から許可と共に責任を預けられた。ぼくに出来る事ならば、精一杯全うするだけだ。

 決意を新たにするのと同時、アランの懐から一人の妖精が姿を現す。飴色の短髪を海風に(なび)かせるその子は、前に何度か見た覚えのある顔。アランの契約妖精だ。


「折角だから名乗っておこうか。ネロだ。アランの目として付いていく。よろしくな」

「うん」

「よろしく」

「言っとくが、男だからなっ」


 注釈のように加えたネロ。妖精という種である事も相俟って、中性的な容姿は彼に限らず性別の境界線が曖昧になることが多い。

 ぼくももう少し遅かったら彼を彼女と認識していただろう。妖精は性別に(かたよ)りがあるのだ。多数の方が選択肢として有力なのは仕方ない。


「何かあったらネロに言ってくれ。必要なら外からでもどうにかしてみる」

「分かった」

「それじゃあ行きましょうかぁ」


 ここまで導いてきた妖精の声に深呼吸。それから妖精術を行使して岩礁の中で波打つ海面に足を乗せれば、不思議な感覚と共に未知の洞窟へと一歩を踏み出したのだった。




              *   *   *




「暗いな」

「頭打たないようにしないとね」

「これで」

「大丈夫」


 人が海の上を歩くという奇妙な光景を眺める。

 今おれが腰を下ろしているのはアランと同じ風に愛された人間の頭の上だ。名前は確か…………シルヴィと言っただろうか。

 正直言って彼女以外の名前は覚えていない。妖精とはそういうものだ。魂で惹かれ合う関係でもなければ、人の個になど興味は湧かない。

 だからきっと前を先導する彼女もそこの男以外はそれほど眼中に無いのだろう。

 そんな事を考えていると洞窟の中が淡く照らされ、暗闇に支配された視界にぼんやりと景色が浮かび上がった。同行する双子が岩肌に干渉して力を行使したらしい。


「こぉら。気を抜かないのぉ」

「わ、悪い……!」


 仄かに染め上がった洞窟内と言う、妖精の身からしても幻想的と感じる心地よい空間に鏡写しな少女二人。そんな光景に見蕩(みと)れたらしい少年が妖精に(たしな)められて慌てていた。

 ふーん……? ま、おれには関係ないことだがね。

 真下から僅かな感情の発露を感じつつしばらく進めば、行く先におれの翅と魂が広い空間を捉えた。そして同時に、酩酊しそうなほど(わだかま)った濃い妖精力を覚えて眉根を(ひそ)める。


「なんだ、ここ……」

「ロベール、あれ」


 海食洞と言う、自然によって形成された道の先には、不自然を感じる広い空間。歪な半球状に内側から切り抜かれたその場所は、天井の中心辺りに大人なら出入りできそうな穴が開いていた。外から登って辿り着ければ、アランもここに来られるかもしれない。

 足下には、その穴の残骸らしき岩が沈んでいる。経年劣化か何かで崩れ落ちたようだ。お陰で日の光が僅かに差し込み、視界の確保には困らない程度の明るさを保っていた。

 少年が辺りを見回すのと同時、個人的に一番魂を預けている少女、シルヴィが空間の中央に気付いて声を上げる。

 視線が殺到したそこには、宙に浮かんで七色に光る自然のものとは思えないものが存在していた。

 次いでその偏在する七色の塊がこの辺りを満たしている妖精力の根源だと気付く。


「……こんな所にもあったのか」

「どうかしたの?」

「…………いや、なんでもない」


 思わず漏れた声にシルヴィが疑問を口にした直後、妖精の彼女が(いさ)めるように視線を向けてきた。

 もちろん分かっている。ここの事……と言うよりこれの存在はまだ人が解明していないのだ。アランと契約している身ではあるが、それを理由に妖精の秘密を簡単に漏らす訳にはいかない。同胞を売るつもりは無いのだ。

 ……しかしながら、おれがこれを見たのは今回で三つ目か。

 一つはカドゥケウスのいる樹の上で。一つはアランについて国外に向かった時に洞窟の中で偶然見つけたそれ。そして今回のこれが三つ目だ。

 これが世界に点在している事はおれも理解している。ただ何の為に、いつからそこにあるのかは知らない。きっと昔は知っていたのだろうが、魂の転生の際に記憶が流れ落ちてしまったのだろう。

 カドゥや、或いは蜂蜜酒の彼女ならば何か知っているだろうか?


「綺麗だな……」

「そう思ってくれて光栄よぉ」

「君の物なのか?」

「いぃえ? けれどぉ、同じ感性の共有は妖精にとってこれ以上無い喜びよぉ」


 間延びした口調で疑念を上手くかわす。嘘を吐いていないのがいやらしい。同属ながら、彼女の口の上手さは中々に卑怯に思う。彼女と契約する人間は大変だな……。


「お手伝い」

「どうするの?」

「あぁ、そうねぇ。それが本題ねぇ。……あまり楽しくないけれどぉ、頑張ろうかしらぁ。あなたも手を貸してくれるでしょう?」

「あぁ、もちろんだ」


 カドゥの住まう樹の上のそれと比べて分かる。ここのこれは、異質だ。有体に言えば、乱れている。

 原因は分からない。転生したばかりで何も知らない妖精が手を出したのか、それとも別の何かか……。何にせよ、このまま放っておく訳にはいかない。

 それにこれを見て気付いた。水竜の騒動は、これが原因だ。

 アランがここに来るまでに零していたが、水竜の行動が単純すぎると言っていた。まるで本能に従って行動する幼体のようだと。成体が幼児退行しているのでは無いかとさえ想像を重ねていた。

 あの時おれは口を挟まなかった……と言うか、あまり重要視していなかったのだが。暴れていた水竜は(ことごと)くが妖精力を宿してそれを持て余していた。あれはきっと、ここから漏れ出た妖精力に当てられ、妖精力を体に溜め込みすぎて狂ってしまったのだ。

 ドラゴンは基本的に妖精力を使わない種だからな。溜めるだけ溜めて発散できなかったのだろう。

 考えてみればおかしな話だ。ドラゴンが妖精力を使うのなんてほんの一握り。幾らここいらを()()にする水竜でも、全ての個体が妖精力を持っているなんて、ありえない。その時点で気付くべきだった。そうすればもっと別の対処も取れただろうに。

 アランの仕事に連日連夜協力していた所為でそこまで頭が回らなかったか。元来、おれはそこまで頭の良い方でもないしな。許せ、アラン。

 不甲斐なさを謝罪に変えて思考に一区切り。それから妖精の彼女と一緒に、中心地で妖精力を垂れ流すそれに近付く。


「確認するが、あれを鎮めればいいんだな?」

「えぇ、そうよぉ」


 ならばやるべき事は簡単だ。……なるほど、だから彼女達を連れてきたのか。

 振り返ってそこにいる四人を招いて虹色に輝くそれを囲むように位置取る。


「君達にはぁ、波長を貸して貰うわぁ」

「船の上でも言ってたな。波長? 妖精力とかじゃなくてか?」

「ようやく水面に立っている状態で更に行使できるというならそれでもいいけどな」

「む…………」


 契約を交わしていない彼女達に器用なことは出来ないだろう。特にあの少年は無事に帰る為の要でもある。無茶はさせられない。


「特別な事は求めないわぁ。必要なのは人の波長だものぉ」

「……まだあんまり理解出来てないんだけど」

「シルヴィ」

「波と同じ」

「え……?」


 双子の例えに、それが分かり易いと言葉を借りる。


「二人の言う通りだ。今これが乱れている。それを治める為に人の波長で暴走を相殺する。船で来るのにここまで高波を悉く跳ね除けていたのと理屈は同じだ」

「ぼく達の波長じゃないといけないのか?」

「君達じゃなくてもいいが、君達でないといけない」

「…………ん、分かった。とりあえずやる事をやっちゃおう」


 同じ魂に愛されいるお陰か、少し変わった言い回しでもシルヴィは理解をしてくれた。賢い子は好きだ。


「なら始めようか。全員、呼吸を整えてくれ」


 声に従って四人が意識して呼吸を始める。直ぐに展開した妖精術が彼女達の頭上で輝き始め、辺りを光で包んだ。

 穴の中に静かに反響する潮騒の音。それに合わせる様に四つの呼吸が重なった瞬間、妖精術が効果を発揮して波長の端を一気に掴んだ。

 おまけで契約を介してアランの波長も借りれば、五人分の人間の波長が渦を巻いて真ん中で輝くそれへと吸い込まれていく。

 どくんと脈動した塊。刹那、妖精の彼女が立てた人差し指で空をくるりとかき混ぜた。

 するとつい先ほどまで不規則に揺らめいて妖精力を垂れ流していたそれが瞬く間に落ち着きを取り戻していく。空気を介して分かるほどに塊の内側の混迷が解けて、循環するように心地よく巡り始めた。

 外からの干渉に強い光を一瞬放って。それから閉じていた目を開ければ、直ぐそこに安堵を覚えるそれが存在していた。


「……終わった、のか…………?」

「あぁ。後は無事に帰るだけだ」

「ワタシは少し様子を見て行くわぁ。お手伝いしてもらったお礼はするからぁ、期待しててちょうだぁい」


 契約を交わしていない妖精は自由で羨ましい事だと一人ごちて。帰り道にも気をつけながら四人を外へと送り届ける。

 帰ったら今度は面倒な報告やらが待っている事を思うと、自分には殆ど関係ないことでも楽しく無いものは仕方ないと嘆息したのだった。

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