第三章
一年の八つ目の月、ファードの始まりの日。その日は毎年、フェルクレールトの大地のそこかしこで大きなお祭りが開催される。
フェルクレールトには様々なお祭りが存在する。周期として大体一月と半分で一回。その季節に応じた意味合いを持つ儀式だ。
現代の暦……源生暦だと最初の月、フェリンドから新たな一年が始まるとされている。が、歴史を遡るとその時の流れは形を変える。
昔の一年の始まりは今で言う十一個目の月、グラードの初日とされていた。新たな年と冬の幕開けを祝うお祭り、サウィン。そこから一月半刻みで、フィーストの下旬には厳しい冬を耐え陽の再生を願うユール。今の暦の新年であるフェリンドを経て、フェードの始まりには動植物が新たな命を芽吹かせ春の訪れを告げるインボルク。ウィーストの半ばに春の芽吹きと共に子孫繁栄を祝うオースタラ……今ではイースターと呼ばれる宴。ウィードの頭に、秋に向けての作付けを行い、豊穣を祈るベルティネ。フラスト中旬に夏の到来を告げるリサ。ファードの初日にその年最初の収穫を行い、ここから先の実りを願う収穫祭であるルーナサ。グリストの中頃に秋の始まりを知らせるメイボン。グランドの終わりに、古い暦での一年の終日……今では迫る冬に向けての準備や対策としてのハロウィン。そして翌日であるグラードの初日に再びサウィンを行い、一年が巡っていた。
暦の流れが変わった今でも、季節の到来や農作物の成長に変わりはなく。ただ一年の始まりをサウィンの日から二月後のフェリンドに置き換えて、祭事は恙無く今でも続けられている。
昔の暦は一年を一日に例えていたからサウィンが一年の始まりだったと言われている。夜の闇と作物の育たない冬を重ねて、そこから季節を巡る一日なのだそうだ。
暦が変わった理由は……そう言えば詳しくは知らないが、何か理由があったのだろう。一月三十日刻みで、一年の終わりであるフィーストだけ三十四日と言うのが関係しているのだろうか……? きっと大人の都合なのだろう。子供な身にはあまり関係ない話だ。
そんなことより目下の話題は今日行われる祭祀についてだ。つい先ほども挙げたファードの始まりに開催される催し、ルーナサ。ウィードの頃より植えられた作物が暑い日差しを受け立派に育ち、早い物から順に収穫が始まる頃合。ここから秋に向けてのその収穫祭の始まりを祝う、フェルクレールトと言う大地にとっての豊穣のお祭りだ。
カリーナでも例に漏れず宴は開かれる。フェルクレールトの大地でも南に位置するカリーナ共和国は比較的温暖な気候で、様々な作物が育ち易い。その為、漁礁より揚がる海産物と並んで、立派に育った作物もまたカリーナの豊かさの象徴だ。
毎年の事ではあるが、欠かせない通例。学園での授業が夏季休暇に入り水練もなくなった頃。夏の日差しと煌めく渚に惹かれてやってくる観光客をも巻き込んで盛大に催されるのが毎年の恒例だ。
そんな準備に、子供らしく暇を持て余したあたし達も借り出されて。大人の小間使いとして……何より自分たちが楽しみなその宴に向けて。精力的に着々と支度を整えていく。
数日前からの小さな積み重ねが、ここから始まる秋の実りを前にふつふつと歓喜の蓋を揺らす。その空気を肌で感じながら、今日も今日とて大切な友人と連れ立って街中を歩き回っていた。
「そういえばさ、やっぱり今年もあれやるのかな?」
「あれって?」
「ほら、毎年陛下が丘でやってるやつ」
「あぁ、あのでっかいボーンファイヤーか」
荷物を持って隣を歩くのは今年学園に入ってぐんぐんと背が伸びている気がする幼馴染。物心付いた時には既に隣にいた異性であるロベール・アリオンは、恥ずかしくも誇らしいあたしことシルヴィ・クラズの想い人だ。
恐らく平均近いあたしが少し見上げるくらいの背丈。14歳で、目算165セミルほどの身長は、きっとこれからもっと大きくなるのだろうと思う。あまり高くなられると隣に立ちたい身としては少し困るというか何というか……。男らしいのはいいが、あまりあたしを置き去りにして成長しないで欲しいという幼馴染としての葛藤が胸を巡る。
「二人は何か聞いてるか?」
「知らない」
「けどやると思う」
そんな彼が疑問を向けた先。同年代と比べても一回りは小さい、まるで小動物のような柔らかい雰囲気の少女が二人。
その姿が、顔が、まるで鏡写しの如くそっくりで。発せられる声音さえ反響しているかのように違いを感じない、不思議よりも尚不可思議な双子。この国の代表たる大統領、グンター・コルヴァズ陛下の血の繋がったお孫さん。巷ではカリーナの双玉だとか学都の双子姫だとか言われている、あたし達の友人。ピス・アルレシャとケス・アルレシャだ。
見ているこちらが混乱しそうな相似性は、その言動にも至るある種の恐ろしさで。小首を傾げる仕草や揺れる髪先までもが何かに操られているのかと疑いたくなるほどに揃っている。異なる事を挙げるとすれば、その長い亜麻色の髪……頭の横で括ったそれが左右に分けられているという事くらいだろうか。
ピスが右側に、ケスが左側に纏めたサイドポニー。解いてしまえば本当に区別が付かなくなるあたしの大切な友人は、どんなときであろうとも彼女たちである事を崩そうとしない。
「ルーナサは別名火の祭りだからね。やっぱりあれ抜きには語れないんじゃない?」
「それもそっか」
御し易い幼馴染をあしらって荷物の持ち方を少し変える。相変わらず簡単な男の子だと少し心配になりながら目的地に向けて歩く。
ルーナサの準備。世界規模で催されるお祭りは、殆ど全員参加で準備が進められる。それだけの期待が渦巻く行事だと言えば、儀式的以上に即物的な感情が勝っているのだと嘆息しながら。
自分もその一人なのだと認めれば、浮き足立つのはおかしくないのだと理由を振りかざす。
「そういえばロベール。今年は収穫の手伝いはいいの?」
「あぁ。去年のは例外。今年は普通に楽しんでいいって言われたから。そう言うシルヴィは?」
「いつも通りだよ。ロベールと一緒なのも含めてね」
「嫌なら別の誰かと遊べばいいだろ?」
「そんなこと言ってないでしょ? ……もぅ、ロベールの鈍感…………」
自分でも可愛くないと思いつつ。いつもの調子で感情を飾ってしまう。
一体何時からこうなったのやら。自分のことながら呆れてしまう。……いや、責任転嫁をしてもいいのなら、これだけ色々な言動で訴えているのにその悉くをまるで分かっているように無視してくれる彼の所為だろう。
押しても引いてもまるで手ごたえのない反応。拗ねてしまうのは道理だと思いたい。
と、ピスとケスがこちらをじっと見ている事に気がついて恥ずかしくなる。
彼女たちは二人の世界で完成されていながら……だからこそなのか客観的に事実を俯瞰して妙に鋭い所がある。お陰であたしのロベールに対する気持ちもいつの間にか見破られていて、何だか居心地が悪いのだ。
あたしにとって二人は、横恋慕する相手の現状の本命。ロベールが不誠実に恋をする相手……言わば宿敵だ。二人に責任はないだろうが、彼女たちがいるからロベールはあたしの方を向いてくれない。精一杯の自己証明も虚しく空振っている。
そんな彼女達に気遣われていることが何より惨めに思えてしまう。
ずっと傍にいてこれだけ記憶も時間も重ねてきたのに。どうしてあたしではなくほかの誰かを追い駆けてしまうのか……。そんな遣り切れなさが時折胸を掠めては、今以上を求めても結局変わらないと諦めてしまうのだ。
もっと……それこそ全てを擲ってでも迫れる勇気があれば何か変わるのかも知れないが。かといって今ある関係も大切で、壊したくないのも事実。変えたい関係と変わりたくない安息の板ばさみ。ずっと傍で想い続けて来たからこその葛藤だ。
それもこれも全部、彼の所為だと言えば少しは気が楽になるのだけれども。
とは言え押し付けて今ここにある空気を壊したくなくて。逃げるように話題を双子に向ける。
「二人は家族で予定とかはあるの?」
「みんなお仕事」
「だから二人と一緒」
「そ、そっか……!」
一緒に楽しい時間を過ごせる。その確約に声が跳ねるロベールの反応に小さく息を吐きながら。とりあえず恋する乙女として舞台には上がっておく。
「幾らお祭りだからって破目を外しすぎないでよ。今回何かあっても庇わないから」
「分かってるって、一々うるさいなぁ……。シルヴィこそ暴走すんなよ?」
「一体何時あたしが暴走したって言うの?」
「時々勝手に突っ走るじゃねぇかっ」
あれは…………仕方ないのだ。それが今のあたしがしたいことなのだから。
脳裏を過去の事が過ぎる。
少し前の水練の時にピスとケスに話をしたあたしとロベールの過去の出来事。今でも忘れられない、学園に入る前の出来事は、確かな傷としてこの胸に残っている。
誘拐され、想定外から負った怪我。治療を受けて残った傷跡は、誘拐と言う事実以上にあたしとロベールの胸に深い後悔を落としたのだ。
あの時衝動的に助けた所為で、あたしは下手をしたら死んでいたかもしれなかった。それくらいに危険な状態になった事で、後から何となく思ったのだ。
人は、随分あっけなく死んでしまうのだと。
存在が消滅しても転生をする妖精とは違い、人は死んだらきっとそれまでだ。体が動かなくなって、息をしなくなって、したくても何も出来なくなってしまう。
そんな事に気付いてしまったから、それが怖くなって。死ぬ事よりも心残りがある事の方が死に切れない程に恐ろしく感じたのだ。だからあたしは、この胸の思いを大切にするようになった。
迷うよりも行動を。失敗してもいいから、後悔のしない選択を。
生きている証だとか、そんな大した事ではなくて。ただ単純に自分に嘘を吐いたまま死にたくないと、そう思った結果があたしが時折見せる原動力だ。ロベールは火の点いたあたしにいい感情を抱いてはいないみたいだけど……。
と言うのも、ロベールはあの一件で深く後悔したらしいのだ。もっと自分がしっかりしていれば。あたしを振り回していなければ、怪我もしなかったのだと。自分を責めて悔しさを噛み締めていたのだ。
だからなのか、あれ以降ロベールは命が関わる事になると必要以上に慎重になるようになった。もちろんいつもではなくて、あたしより先に突っ込んでいく事もあるけれど。それはきっとあたしを守ろうとした故の決断で、彼の優しさなのだ。
後悔しないようにと男よりも男らしく一歩を踏み出すあたしと。危険な目に遭って欲しくないと女よりも女々しく心配性なロベールと。まるで生まれてくる性別を間違えたようにちぐはぐで、けれどもどこかぴったりと嵌るような関係が、あたしとロベールの間には存在している。それがあたしとロベールの、幼馴染と言う過去であり今なのだ。
言葉にしなくても何となく察したり出来るのは、きっとその所為なのだろうと。考えながら頭の片隅に一つの顔が浮かぶ。
あの誘拐事件……あたしが怪我をしたのを真っ先に助けてくれたのがケニーだったと後からロベールに聞いた。
他に方法が見つからず、仕方なく取った手段。助言も沢山してくれて、命まで救ってもらった心根の優しい彼は、一体今どうしているのだろうか。
その気になって探せば名前の一つくらい分かりそうな物だが……。しかし彼はきっとあたしに会うつもりはないのだろうと。もしその時があるとすればそれは偶然出会ってしまった結果に過ぎない。
その偶然を、あたしは望んでいるのだろうか……。そう自分に問いかけた所で目的地に着いた。
荷物の運搬なんて雑事。だからこそ子供のあたしたちがしているのだと不平を飲み込めば、受け渡しと共に町にどよめきが広がった。
「あ、陛下っ。シルヴィ、いこ!」
「うんっ」
どうやらそろそろ宴の始まりが宣言されるらしい。その瞬間を共有し、国の象徴であるグンターを見ようとカリーナ中から人が押し寄せる。
その人垣を、小さい体でどうにかすり抜けて進めば、城門の前に一際大きな人だかりを見つけた。
流石にあの中に突っ込んでいくのは危ないかと。更に駆け出そうとするロベールの腕を引っ張って止め、城から突き出した露台を見上げる。
するとそこには公式の行事と言う事もあって豪奢な服に身を包んだグンター・コルヴァズ大統領陛下が立っていた。彼は白い柵に手を置き、笑顔を浮かべて嬉しそうに騒がしいこちらを見下ろす。
しばらくしてざわめきも収まり始まりを告げる声を待つような沈黙。それを待っていたように、陛下が大きく手を広げて待ち望んだその時を音にした。
「今日この日、夏の日差しを受け大地に実りが溢れたっ! 古き暦での秋の到来、豊穣の季節だ! さぁ者共、宴を開催しよう。結んだ実を千切り、収穫を称えよう! 感謝は恵みの炎と共にっ、厳しい冬の到来を憂いながらそれを乗り越える活気で以って、大地の恵みを享受しよう!」
妖精術で広がった大きな声。気持ちを奮い立たせる始まりの言霊に、カリーナの城下町が揺れんばかりの歓声が上がる。
豊穣の象徴のようにあちらこちらから泡を噴いた雫が天へと軌跡を描く。どうやら酒精飲料を惜しげもなく爆発させているらしい。
濡れては敵わないと、歓喜も程ほどに四人で人込みを抜ける。降り注ぐ陽光と共に蒸し返すような熱気が辺りに漂い始めている事に気付けば、頭や服に微かに掛かったお酒を払う。
「もう……せっかくおろしたてなのに……」
一年に一度のルーナサ。特に今年はロベールと一緒だからと気合を入れて選んだ服。幼馴染の距離感で真新しさはないのか、特別褒めてくれる事はなかった彼だが、それに拗ねて汚れた姿を見せたくないと身形を整える。
隣でロベールが、指に垂れた一滴を興味本位で舐めていた。
「ロベール、お酒は19になってからだよっ?」
「ちょっとくらい変わんないって。それに折角のルーナサなんだ、楽しまなきゃだろ?」
だからって決まりごとを破るのはいけないと。思いつつも、少しだけ羨ましかったのは内緒。はしたないからしないけどね。
子供は子供らしく。そう自分に言い聞かせれば、ピスとケスが改めてと言う風に告げる。
「収穫祭、ルーナサ」
「はじまり、はじまり」
平坦ながらも、どこか楽しそうな声音。心なしかその瞳にもいつも以上の色が篭っている気がしながら。
そうして今年のルーナサが幕を開けたのだった。
* * *
人が作り出す賑やかな空気が肌を刺激する。あたしは使命を負っている。誰にも肩代わりできない、あたしだけの約束を。
けれどもこの身は悲しくも妖精の軛。本能が囁く衝動には抗い難い。
本当はこんな事をしている場合ではないのだろうけれども……。通り掛かった人の世界での催しに、つい興が乗って翅を揺らしてしまった。
一つ踏み込めば、人工物。少しばかり嫌悪感を抱く人の営みの形に、けれども無粋な事はやめようと感情で塗り潰して。他の多くの妖精の姿も見える人の世界をのんびりと飛んでゆく。
日差しは暑く、人が言う所の夏と言う季節。妖精にとっては自然の芳香がむせ返るほどに大地から昇り、森に住まう者達にとってはこれ以上ない快適な空間を作り出す時節。そんな折に、どうやら人も同じような何かを感じるらしく。催された儀式は普段以上の熱気で辺りを包み込む。
先ほど通りすがりに自由な同居人が話していたのを聞いた限りだと、この宴はどうやら収穫祭らしい。実る食物の糧を頂く……人とは不便な生き物だ。妖精にはあまり理解の出来ない価値観。
だからこそなのか人はその恵みに感謝をし、こうして自然の恩恵を称えているのだろう。
面白い生き物だ、と。妖精でありながら微かに疼く胸の内。お陰でこうして貴重な時間を浪費してしまうのだと思えば、少しだけ憎たらしくもある。
それでもやはり、楽しさに嘘はなくて。今この時だけは種族の隔たりなどなく笑い合う彼ら彼女らが愛おしく思う。
あぁ、なればこそ。この身の約束は絶対に成就させなければ、と。決意を新たにすれば、擦れ違う有象無象の中に少しだけ珍しい魂を見つけた。
「へぇ……」
まるでそこらじゅうに溢れるそれと同じように、誰かが人為的に作り出したかのような、同一体。深く覗けば細部こそ違うがその本質はよく似ていて。あれらは人だと言うのに、どこかあたし達に近い存在だと悟る。
気付けば、浮き足立つ感情に背中を押されて興味を満たそうとしていた。
「珍しい鏡合わせ。まるで自分自身ね」
声をかける前よりこちらに注がれていた二つの視線。近寄って尚、見分けのつかないその顔の造詣に、僅かの恐怖すら浮かぶ。
長い亜麻色の髪と、澄んだ天色の双眸。ただ違う髪形を覗けば、似すぎていて見識が狂わされたのかと疑いたくなるほどだ。
「……12?」
「……5?」
「っ……!!」
返った声に、思わず息を呑む。そうして、納得する。
なるほど、彼女に惹かれた理由が分かった。この二人は、妖精に愛されている。たったこれだけの偶然の出会いが、自分のことのように嬉しくなる。
彼でなければ、彼女達を選んでいたのかも知れない。そう胸の奥を突く衝動が、嫌に甘く苦しい。
「ふふ、びっくりした……。でもだめよ。無闇に妖精の秘密を暴いちゃ」
「ごめんなさい」
「はんぶんのはんぶんさん」
もう、本当に分かっているのだろうか、この二人は。まだ言葉を少し交わしただけだというのに、既に見透かされた気がする身の上に恐怖と高揚の上で揺れ惑う。
と、彼女達の隣から更に二つの視線が向いている事に遅れて気がついた。正確には、目の前の二人が特別すぎて目に入っていなかった。それだけだ。
「遊びに来たの? それとも悪戯?」
「邪魔したならごめんなさい。楽しくなってつい、ね」
「……悪い妖精じゃなさそうだな」
若くもどこか妖精慣れした少女と、まだ青い少年。けれどもその年で警戒出来ているのはいいことかもしれないと思いつつ、久しぶりの人との会話に精を出す。
「ねぇ、もしよかったら付いていってもいい? もちろん迷惑はかけないわ」
「……どうする?」
「ピスとケスはどうだ?」
「うん」
「だいじょうぶ」
「よし、なら決まりだなっ」
「ありがと」
ピスとケス。どちらがどちらかはよく分からないが、それが彼女達の名前らしい。
「妖精さん」
「お名前は」
「そうね……ティティとでも名乗っておこうかしら」
もちろん偽者の名前だ。妖精が本名を教えるのは契約をしてもいいと許した相手にだけ。
偽名といっても、一応この身に縁のある名前を弄ったもの。それに気付く輩などいないだろうが。
「よろしく、ティティ。あたしはシルヴィ」
「ロベールだ」
「ピスはピス」
「ケスはケス」
「シルヴィ、ロベール、ピス、ケス……。ん、覚えたわ。それじゃあ行きましょうか。たった一時、楽しさに興じて疲れ果てるまで踊り明かしましょう」
少しだけ気取って妖精らしい誘い文句を口にする。そうして騒がしい人込みに、彼女達と紛れていく。
…………まぁ今回はこのままでいいか。また今度、時間がある時に自分の足で見て回るとしよう。その方がきっと、面白い。
人々の頭を見下ろしながら本能を優先してあちこちに飛びまわる。久しぶりな感覚に自分が妖精である自覚をしながら、傍らに少女達の声を聞く。
どうやらこの祭りはルーナサ。想像していた通り収穫祭らしい。毎年行われる物で、特にここカリーナでは温暖な気候のお陰か収穫物が沢山実り、四大国の中でも最も盛大に盛り上がるのだとか。
人の世界は大きく分けて四つ。中でもここは人間色の強い土地だとあたしは思う。
妖精と共に歩む世界で、けれども人には人の営みがある。その色が濃く出るカリーナでは、妖精との関係よりも人と人の繋がりの方が重視されがちだ。もちろん妖精を蔑ろにしているわけではないのだろうが、お国柄人との関係を疎かにしていると大変な事になるらしい。
そんな面倒そうな渦の中で、彼女たちは次代や次次代を担う器だという。
大きくなれば親の背負うものを継ぎ、国の……世界の為に尽力する。妖精と共に歩みながら、人の世界を支える一助。
妖精の身にしてみれば厄介な事この上ない柵の上に生きる子供たちだ。
特にあたしが気になって声を掛けた鏡合わせの少女。妖精の世界では概念として存在しない程の稀な個体、双子。人の世に時折生を受ける彼女たちは、大抵の場合よく似た姿で生まれてくるらしい。中でもピスとケスの二人は示し合わせたようにそっくりで、言動までもが完成された一対の不思議なのだとか。
育った環境も、この国を治める人物の孫……王族と言う事もあって浮世離れしているそうで、隣を歩く少年少女も彼女との触れ合いには難儀している様子だ。
けれどもしかし、そうして妖精以上に多種多様な姿を見せるのが人間の面白い所。妖精にもある個別の性格が更に顕著に表に出て、独自の感情変化もよく見せる。特に負の感情は妖精にとって興味深くも忌避するもの。楽しい事を生き甲斐とする妖精にとって沈んだ面持ちと言うのはあまり理解できない感覚だ。
煩雑に世界規模で一喜一憂する彼らの生き様。その中で巡り合う……奇跡のような共感を手繰り寄せるのが契約なのだ。
あたしはまだ自由の身。人の都合に翻弄されず気ままな時間を過ごせている。……少し前に、あまり納得できない事を経てきたが、それでも渇望は衰えない。妖精として、この身を預けるに足る誰かを、待ち望んでいる。
そうして契約をすれば今以上に人の事を知って、この価値観も少しは変わるのだろうかと思いながら。いつか来るだろうその時を夢に見ながら、今日もあたしは妖精らしく責任を背負うのだ。
「ねぇ、ティティ。あたしたちこれからお昼ご飯なんだけど、貴女はどうする?」
「……実は少しだけ興味があるのよね、人の食事って」
「妖精って食事しなくてもいいんだろ?」
「えぇそうね。けど気紛れに森で木の実を千切って食べるくらいの事はするわよ? 何よりあたしは…………あ、いや、なんでもないわ」
辺りの雰囲気に乗せられて思わず滑りそうになった口。咄嗟に閉じれば、何を言い掛けたのかと彼女達の視線が突き刺さる。
あたし達妖精が人に興味を示すように、人の側だってこちらに関心は尽きない。それこそ、無粋にもその出自を暴こうとする者共がいるくらいには、この世界の大いなる疑問の一つなのだ。
人の事は面白いと思うからそれなりに好きではあるのだけれども。流石に自らを詳らかにして差し出すような事をしてあげるつもりは毛頭ない。この辺りは妖精全体の無意識の了解として秘匿されている。妖精は自分語りをしないのだ。全てを知られてしまうのが怖いのかも知れない。……まぁ大半は度重なる転生で様々な事を忘却して話せないだけなのだろうけれども。
「よかったら一口だけ分けてもらえる?」
「もちろん。じゃあ何がいいかな? 折角だから要望とかある?」
「そうねぇ…………」
シルヴィの言葉に少しだけ悩む。興味本位で人の世界には時折行く。そのたびに人の作り出すものになんとなくの興味は湧くのだが……そう言えばこの前不思議な物を見た覚えがある。あれは、確か…………。
「えっと、黄色くて、丸くて、ふよふよしてて……上に黒い液体が掛かってる食べ物、って知ってるかしら?」
「黄色くて丸い……ロベール分かる?」
「なんだろ……ロゥフレッテとか?」
「大きさは?」
「あたしの半分の半分……くらいかしら。冷たくて、宝石みたいに輝いているの」
妖精の大きさは、多少差があるものの人の世界の単位で20セミルから30セミルほど。
前に見た感じだと5セミルあるかないかだ。温かい日差しの店先で人の女の子が食べていたのが印象に強く残っている。
「その大きさだと食事って言うよりはお菓子とかかな……」
「シルヴィ」
「プディング」
「え……あ、なるほどっ」
探し物の間、何かを探るようにずっとこちらを見つめていたピスとケス。二人が、何かに至ったように音にする。
遅れて気付く。どうやら彼女たちはあたしの頭の中を覗き見たらしい。……いや、妖精力での干渉は肌に感じなかったから、最初に言葉を交わしたときのあれを応用したのか。
妖精の見える者の中でも特異な力を持つ双子。その感覚は、妖精の内側を容易く暴いてしまう。
妖精としては近しい存在として共感もできるが、ふとした拍子に全てを暴かれてしまいそうで少し怖くもある。
「えっと、こんなのか……?」
声を聞いて、ロベールが水を使って形を作る。その質感、透明ながらも記憶のそれを合致した目の前の姿に頷く。
「そう、それよっ。なるほど、プディングって言うのね」
「プリンっていう呼び方の方が馴染みは深いかな」
プリン。プリンか……。可愛らしい響きだ。
「基本的に食後とか、間食に食べたりするお菓子なんだけれど……。よしっ、じゃああたしが美味しいプリンを食べれる所教えてあげる!」
「ぼくたちのお昼はどうするんだよ」
「一緒に頼めばいいでしょ? 大丈夫、ちゃんと食事も用意してくれるだろうから」
どうやらシルヴィにはあてがあるらしい。人の世界に詳しくない身としては彼女について行くほかないが、ここまでのやり取りで嘘を吐くような少女でない事は何となく分かっている。任せるとしよう。……なにより、プリンの魅力には抗い難い。
彼女達に声を掛けて正解だった。そう思いながら妖精らしく胸を躍らせて感情的に翅を揺らしたのだった。
* * *
賑やかで楽しいルーナサのお祭り。子供としてはただただ煩いほどの活気の中をぶつかったり怪我をしないようにだけ気をつけながら楽しむ時間。妖精も沢山自然の中からやって来て、いつも以上に騒がしい空気はちょっとくらい破目を外したくなる陽気さだ。
そんな毎年のお祭りに、今年は例年以上の同行者。
シルヴィはいいとして、この国の未来を担う双子。ぼくが想いを寄せる鏡合わせピスとケス。そして少し前に偶然出会って行動を共にし始めた野良の妖精、ティティ。この五人での道行きが、どうやら今回のお祭り仲間らしい。
妖精ということもあってかどうやら人の世界に疎いらしいティティ。彼女の提案で昼ごはんと同時に食べる事になったのはプリンだ。
家畜として飼われる鳥の卵……ロゥフと呼ばれるそれに砂糖などお菓子の定番を混ぜ込んで器に入れて蒸し固め、冷やした代物。突けば揺れる優しい柔らかさの黄色いそれは、舌の上に甘さをしっとりと広げる甘味だ。簡素ゆえに一工夫は様々で、一般的には水と砂糖を甘く煮詰めたソースをかける。他にもケーキなどに使われる凝乳を絞ったり切った果物を添えたりと様々で、輝く宝石のような見た目は鮮やかな色彩を放つ。
そんなプリン。お菓子としての正式名称はプディングと言うらしいそれを、ティティの為に食べさせてあげようと言うのがシルヴィの思い付きだ。
一緒にぼく達の昼食も、と言っていたが一体どこでその二つを両立させるのかと思案しながら。先導するシルヴィについて歩けば、段々と見慣れていく辺りの景色に、それから一本の路地へ入った所で確信する。
「あぁ、なるほど……」
呟きと同時、目の前にはお店の看板。『胡蝶の縁側』と書かれたそこは、ぼくもよく知る喫茶店だ。
「ジルさんっ……うわ、凄い人…………」
「ん、おぉ、シルヴィ」
「忙しそうですね。席空いてますか?」
「丁度さっき満席になってね。直ぐとなると相席くらいしか……」
シルヴィの声に答えて店内を見回す男性。この喫茶店の店主……彼はマスターと呼んで欲しいらしい身で、一人で切り盛りするのはジル・モサラーと言う顔馴染みだ。
幼い頃からよく遊びに来て暇を潰していた隠れ家のような場所。普段は貸しきり状態のそこが、どうやら今日は足を止める暇がないほどに繁盛しているようだ。
「シルヴィ、どうする?」
「……ねぇロベール。食べるの後でもいい?」
「え……?」
常客ゆえにどうにかしたいと頭を捻るジル。これだけ忙しいなら別の店にでも……と考えた所で、シルヴィが考える間を挟んで零す。
「店のお手伝い、しちゃ駄目かな……?」
「本気?」
「だって待ってるだけなんて退屈だし。こんなに忙しいのただ見てるだけってのは何だか気が引けるから」
「まぁいつも世話にはなってるしな」
「二人はどう?」
「ん」
「いいよ」
尋ねれば、ピスとケスも二つ返事で頷く。ティティが仕方ないと言った風に溜息を吐いて、ぼくも覚悟を決めた。
「ジルさん」
「いっそのこと奥を……ん、どうした?」
「よかったらお手伝いさせてもらえませんか?」
「そりゃあ嬉しいけど……いいのかい?」
「あぁ。マスターさえよければだけど」
「……じゃあお願いしようかな。奥の部屋にエプロンがあるからそれだけ着てきてくれるか?」
「わかったっ」
いきなりの事だが、こうなったシルヴィを止められる気はしない。それに、ちょっとだけ楽しみな自分もいる。
折角の機会だ、勉強と思って頑張るとしよう。
そう気持ちを入れ替えれば、言われた通りにエプロンを着用してジルの手伝いを始める。やる事は来客の対応と料理の運搬。そして帰り際の支払いだ。料理はジルの担当だが、それに専念できたお陰か段々とお店の回転率も上がってようやくまともに機能し始める。
しばらくすれば慣れてきて、最初少ししてしまった失敗も帳消しにできるほどの仕事をこなした。途中、ぼく達が働いている事を褒めてくれたお客さんからちょっとした心づけも貰ったりしながら店内を歩き回り続けて。
ようやく落ち着いてきた頃にジルから感謝と共に少し遅い昼食が差し出された。
「いやぁ、見込みが甘かったね。こんなにお客さんが来るとは思わなかった……」
「毎年こうなのか?」
「いいや。今年が特別。多分陛下の誕生祭の時の宣伝が効いてるんじゃないか?」
ジルの声に思い出す。陛下の誕生祭。あの時彼は、露店で王様の焼き菓子を売っていた。後から聞いた話だとあれが人気で随分と売れたらしく、今回はその効果だろうと言うのが彼の想像だ。
「そうじゃなけりゃこんな路地の奥の店になんて来ないだろうからね」
「自慢じゃないですよ、それ」
「こんなに忙しい経営を望んでたわけじゃないんだがなぁ」
呟くジルは、しかしどこか嬉しそうで。いわゆる嬉しい悲鳴と言うのを表情に浮かべている。
「にしても本当に助かったよ。お礼として好きなだけ食べていってくれ。もちろんお金は取らないから」
「はいっ。……あ、プリンを作ってもらってもいいですか?」
「品書きにはないが……折角だ。四つでいいか?」
「五つで」
「ん、畏まり」
ちらりと視線を向けたジル。彼の見た先には横から皿の料理をちょこちょこ突っついているティティがいる。ジルは妖精が見えないが、見えなくともそこにいると理解はしているのだろう。
何せ妖精が見えない者には、妖精が物を持つとそれが宙に浮いているように見えたりするのだ。先ほどから小さく千切っては口に運ぶティティ。彼女が食べる度に何もない中空へ食べ物が消えていくのを見て、そこに彼女がいる事を認識していたのだ。
無粋な事は何も訊かず。築いてきた信頼で注文を受けた彼がプリンの準備を始める。その傍ら、プリンにしか興味がなかったはずのティティに尋ねる。
「美味しいか?」
「えぇ。……なるほどね。これなら確かに人の世界に居つきたい気持ちも分かるわね」
「食べすぎてプリンが入らなくなっても知らないよ?」
「妖精は満腹感を覚えないから問題ないわよ」
そう言えばそうだったと。言われて思い出せば、また一欠片ティティに差し出す。受け取った彼女は、たった刹那の至福に身を委ねて満足そうな笑顔を浮かべていた。
ジルの作ったプリンをそれ以上にとろけそうな表情で頬を上気させながら食べていたティティ。この嬉しそうな小さなお客の顔を彼に見せられないのが残念だと思いながら、昼食時を過ぎて殆どお客のいなくなった店内で腰を落ち着ける。
もうしばらくしたら再び外の喧騒に駆り出そうかと。次はどこへ行くのがいいだろうか。脳内に広げた城下町の地図と天上の陽の位置を想像しながら幾つかの予定を立てていると、また一つ来店を知らせる音がなる。
何気なく向けた視線でそこに立っている人物を見れば、思わず二度見して驚いた。
「あれっ、リゼット先生っ?」
「ふふ、偶然ね」
店に入ってきたのはぼくもよく知る顔。学び舎、テトラフィラ学園で教鞭を振るう先生、リゼット・ヌンキだった。
思わぬ出会いにシルヴィまでもが言葉を失う。
「先生、どうして……」
「なぁに、私がここにいちゃいけないの?」
「あ、いや……」
「ふふ。ちょっと遅くなったけどお昼をと思ってね」
「先生、よくこのお店知ってましたね」
「前に少しね」
我に返ったシルヴィの問いに答えるリゼット。ケスの隣に腰をおろした彼女は、慣れた様子で料理を注文する。
「いらっしゃい、先生。少し待ってくださいね」
「えぇ、ありがとう」
初めての余所余所しさは感じない。どうやらジルとリゼットは顔見知りのようだ。
「皆こそどうしてここに? 路地裏で分かりにくい所にあると思うけど」
「ジルさんとは幼馴染と言うか……小さい頃からお世話になってたんです。その縁で時々こうしてお邪魔していまして」
「そうだったの。意外と世界は狭いものね」
そう言って小さく息を吐くリゼット。
「お疲れですか?」
「お祭りだって言うのに休日出勤。嫌になるわね、ほんと」
「仕事してたんですか?」
「この後の準備をね」
「この後?」
「ボーンファイヤーよ」
答えたリゼットは、それから確認するように問いかけてくる。
「皆は見に行くの?」
「はい、その予定です」
「だったらいいこと教えてあげる。今年は港から順に火を点けて回るの。少し歩く事になるけれど、気になるなら追い駆けてみるといいわよ」
「本当ですかっ?」
「えぇ」
ボーンファイヤーは毎年カリーナの城下町を練り歩いて行われる。一つの火種を持って幾つもの場所を回り、順に火を灯して最後は丘へ。それが毎年のことだが、その回る順番は年毎に違うのだ。
始まりから最後まで追い駆ける事が出来たら病などを跳ね除け元気に過ごせると言われる。それに肖ろうと数多もの人が始まりの場所を予想して木組みの周りに集まるのだ。
どうやら今年の始まりは港かららしい。
「私は火の番を任されてるから一緒には回れないけれど、あなた達は楽しんでいらっしゃい」
「はいっ」
「因みにどこの火を担当するんです?」
「テトラフィラの校庭です。学園の火は毎年教員が見る事になってるんですよ」
「……少し早く閉めて僕も見に行こうかな」
「ふふっ、お待ちしてます」
話をしていると料理を持ってきたジルが会話に入ってくる。どうやら彼も乗り気なようだ。妖精の見えない彼にも楽しみ方はあるのだと。
「今年も見れる?」
「妖精の宴」
「あー、どうだろうね。あれは妖精達が大いに盛り上がらないとだから」
「その辺りどうなの? ティティ何か知らない?」
「知ってても言わない。楽しい事を先に言っちゃうなんて、そんな楽しくない事妖精はしないもの」
ピスとケスの言葉に想像を馳せる。
妖精の宴。沢山の妖精が宴会のように騒ぎ、歌い、踊る光景だ。彼女達が騒いだ後にはその証、妖精の輪と言う草花が円を描いて咲き乱れ、それが出来た土地には幸運が舞い込むと言われる。妖精の輪を踏み荒らしてしまうと妖精達の怒りを買い悪戯の報復を受けてしまうが、それさえしなければ綺麗で楽しい光景だ。
数年前に一度あって、ぼくもシルヴィも見ている。二人もあの時のことを言っているのだろう。
今再び、この面子で見られたなら嬉しいと。シルヴィが尋ねれば、ティティは妖精らしくはぐらかしてくれた。
「それはその時にお楽しみね。見られたらまた話を聞かせてくれるかしら?」
「はいっ」
幸運の象徴。できることなら見てみたいと希望を抱きながら。ジルとリゼットに別れを告げ、活気溢れる町中へと踊り出す。
陽が天頂を越え、一日で最も暑くなる時間。だと言うのに衰えない熱気は意識を手放してしまいそうなほどに五感を揺らす。
「さぁ、次はどこ行こっかっ」
「二人やティティはどこか行ってみたい場所はある?」
「人の感性に任せるわ。その方が楽しそうだもの」
「じゃあ」
「こっち」
シルヴィの声に答えてピスとケスが歩き出す。いつも突飛押しもない彼女達。考えていることを共有しない二人に、けれども不安はない。それどころか、今回は一体どんな想像外の出来事を見せてくれるのだろうかと、期待すらしている。
ボーンファイヤーまで時間はある。それまでは目一杯このお祭りの陽気さを楽しむとしよう。
* * *
公務の一貫としてカリーナの城下町をぐるりと回って改めての視察。普段何気なく過ごしている見慣れた土地でも、一歩外に踏み出てみるとまだ知らないことばかりで。特に権威ある椅子に座ってからは何かと忙しく日々の営みを肌で感じる時間など殆どなかった。
そう言う意味では今日のこれは有意義な時間で。面倒な公務から逃れられつつ、国民の今を知れて、更なる見識を広げられる。なんと国王らしい一日かっ。
「陛下、そろそろお時間です」
「うむ」
傍付きにして長年の共、エドワール・ノーマが直ぐ横から囁くように告げる。残念ながら短い休養はこれにて終了らしい。
収穫祭、ルーナサ。その名の通り収穫を祝うこのお祭りは、城下町で盛大な宴を催す一方、今年最初の実りを収穫するその日でもある。毎年行われるそれは、貿易を国益の一部とするカリーナでは産業を支える立派な下地。温暖な気候故に様々な植生で育つ野菜や果物は、他国にも人気が高い商品だ。
その収穫に立ち会って激励をするのが朝からの予定だ。ここで五箇所目、今日の最後。色々巡ってきて、その先々で色々な畑を見て実感できた。今年もここから多くの実りが世界を潤すのだろう。
そんな事を考えながら別れを告げ馬車へ。本当はもう少し自然を満喫していたかったが仕方ない。この後の予定は外せないのだ。
腰掛ければ、ゆっくりと動き出す馬車。窓からは見送りの顔も見えて嬉しくなる。
こうまで親しまれていると一層裏切れない。彼らが笑顔で暮らせるように国務を全うしなければ。
「次が最後の予定になります。城下町を巡るボーンファイヤーです」
「あぁ。今年は港からだったか?」
「はい」
毎年異なる開始地点。ボーンファイヤーへの点火を始めから一緒に巡るとそこから一年幸運が訪れると言われている。今年はどれだけの人が幸運に恵まれるのだろうかと、少しだけ楽しみなのだ。
自国民には出来る限り平穏無事な日々を過ごして欲しいと。国の主としての切なる願い胸に抱けば、少しだけ砕けた口調で目の前に座るエドが尋ねてきた。
「そう言えば陛下。お孫さんは今日はどうされているのですか?」
「学園の友人と祭りを楽しんでいるはずだ。彼女達にもボーンファイヤーの始まりは教えていないからそこは運だな」
いつもは使用人としての立場を崩さないエド。しかし客車の中は公から隔絶された空間。この中にいるときだけは彼も気が緩むのか親しい言葉遣いに戻る。
普段からそうであればこちらとしてももっとやり易くあるのだが……何分堅物で融通が利かないのが彼だ。長年の友として少し寂しい。
「ご学友とも仲がよろしい様子で」
「あぁ。入学当初は我輩も不安ではあったのだがな、杞憂でよかった。あの二人が名前まで覚えた友だ。きっと長い付き合いになるのだろう」
彼女達がクラスターを組んだ際に、我輩の所にも挨拶にやって来てくれたアリオン家とクラズ家の両当主。礼儀正しい親だと嬉しくなった傍らで、彼らの子息子女ならば間違いはないだろうと確信できたのだ。
「それに、迷惑をかけているのはきっと彼女達の方だ。なにせ妖精のような双子だからな」
「その魅力が周りを惹き付けて止まないのでしょう」
「あぁ」
傍から見れば溺愛と言う事になるのだろう。息子よりも可愛いと、心の底から感じてしまうのだから否定はするまい。
次に遊びに来たときにはどんなもてなしをしてやろうか。そんな相談を、普段は厳しいながらも子供には甘いエドとしながら馬車に揺られて。
やがて辿り着いた本日最後のお役目。ボーンファイヤーの点火。
馬車の到着に、港こそが今年の始まりだと踏んで集まった民達がざわめき歓喜に声を上げる。我輩だって一人の人間なのに……こんなに特別扱いをされるのは不思議な感覚だ。
馬車を降りる前にエドに身形を少しだけ正されて。それまでの揺れを拭い去るようにしっかりと大地を踏みしめれば、こちらに向く視線に笑顔で応える。
折角の幸運を得た者達だとぐるりと顔を見渡せば、その中によく知ったそれを見つけて思わず視線を奪われた。が、儀式的な意味合いの強いボーンファイヤーだ。幾ら愛すべき孫娘がそこにいて、何気ない再会に嬉しくなろうとも勝手な行動は出来ない。幾ら彼女達相手でも特別扱いはするわけにはいかない。
今は我慢……。そう自分に言い聞かせて深呼吸すれば、時間ぴったりに白馬に乗ったアラン・モノセロスが炎を片手に直ぐ傍までやってきた。
「ご苦労」
「どうぞ」
火を運んでくるのは彼の役目。ここからは我輩が火を点けて回る番だ。
ルーナサの開始をした時のように堅苦しい挨拶はなく。しかしながらこれは火の祭りとして必要な事なのだと面持ちを入れ替えれば、どこかゆったりとした動作で用意された木組みに松明を翳す。
しばらくして着火剤に火が点き、音を立てて熱が盛り始める。
さぁ、順に巡っていこう。久しぶりに城下を自分の足で歩く気がしながら一歩を出せば、後ろから行進でもするように人の群れが付いてくる。歩む毎にその数も増え、二箇所目に着く頃には五十人近い行列となる。
このまま数が増え続ければ、今年の丘は随分と盛大な宴になるかもしれない。これならば妖精の宴も見られるやもしれないと。少しだけ期待をしながら次の目的地に向けて足を出したのだった。
終着点である丘の木組みにやってくる頃には200を越える人を引き連れる事になった。
ただ町中を歩くだけだと言うのに物好きも沢山いたものだと感慨深くなる。その先頭に立つ身としては、担ぎ上げられているようで何だか落ち着かない心持ちだ。
とは言えその気恥ずかしさもこれで最後だと。陽も殆ど落ちて早くも星が天上に煌めき始める頃、数え切れないほどの民が待ち囲む丘へとやってくる。
まだ城下で騒いでいる者達もいるだろうが、簡単に見渡した限りだと約半数ほどか。普段城に篭っている身としては、こんなに人がいたのかと思うほどに物量を肌で感じる。外気が肌を撫でて少し肌寒く感じてくる夏の宵の口だと言うのに、少し温かいと思えるほどだ。
長く感じた城下巡覧もこれにて終幕。楽しい宴も幕引きへ向けて大詰めだ。
大きく深呼吸をし、こちらを見つめる視線に応えて最後の仕事をする。
「皆、大いに盛り上がってくれたようで何よりだ。今年も恙無く始まりの収穫を終え、残す時間も僅かとなった。しかし、実りはここから始まる。まだ少し先の冬に向けて、様々な実をつける自然の恵みに感謝をしつつ。厳しい時を乗り越える為の糧を蓄えよう。我が国に……世界に、恵みの幸があらん事をっ」
篝火によって彩られた薄暗い丘の上。その天辺に設えられた一際大きな木組みに松明の勢いを預ければ、瞬く間に燃え上がって辺りを揺らめく光で彩った。
途端、控えていた楽師達が振るわれる指揮に合わせて音で世界を彩り始める。
さぁ、ルーナサ最後の盛り上がり。宮廷楽団の演奏に手を取る、ボーンファイヤーを囲んでの踊りの始まりだ。
笛に太鼓に弦楽器に。賑やかな音色が辺りの空気を振るわせれば、誰からともなく踊り始め、流れが輪を描き出す。騒がしさに惹かれてか、直ぐ傍に隠れていた妖精が姿を現し、景色の中心で燃え盛る炎を揺らしたり、虹色の残滓を辺りに散らして飛び回り始める。
ここより一時、炎を囲む足取りは歓喜と共に大地へ捧げる祈りとなる。盛る天上の陽を称え、光の恵みで更なる豊穣を知らせる大地。世界に溢れるその時を希求するように、願いを楽しさに変えて時を彩る。
「あやつにも見えるだろうか……」
「きっと届いておりましょう」
呟きには、全てを酌んでエドが答える。どうにか間に合った試み。彼の日々の慰みになればと願いつつ。段々と更けて行く空の色を仰ぎ見たのだった。
* * *
想定通りに機能する術式を確認して尋ねる。
「どう、見えてる?」
「あぁ。これはいい」
返ったのは満足そうな声。中々に珍しい、彼の妖精らしい響きだ。
実験は成功。彼の期待を不意にしなくてよかったと一人安堵して息を吐く。
微かに吹いた風。肌を撫でた寒さに思わず身を震わせれば、直ぐ傍の巨体が僅かに動いて自ら風を避ける壁となってくれた。
「……ありがとう、カドゥ」
カドゥ。それは数少ない者に許された彼の愛称だ。
カドゥケウス。先の第二次妖精大戦を終幕に導いた英雄的妖精。カリーナにとって感謝をしてもし切れない彼は、カリーナ城近郊の妖精力溢れる自然の中で暮らしている。
今年の陛下の誕生祭のあとに話をした折、彼は人の祭りを見てみたいと妖精らしく興味を疼かせていた。その期待に応えようと、妖精に起きている変調の原因究明の傍ら準備していた技術。
遠隔での映像を同時に目の前に映し出す妖精術。これまで重ねてきた知見を総動員して組み上げたその命令式は、どうやら問題なく機能したらしく、この場から動けない彼に少し遠くで行われている景色を見せられている。
実際には様々な下準備を行い、幻術の応用で彼個人にだけ見せている景色で、恐らく音までは伝わっていない。が、動く景色として彼には認識出来ているのか、どうにか彼の興味を満たせているようだ。
「欲を言えばその場の音も知りたいがな」
「それは、ごめんなさい。今のわたしの知識ではまだ難しいわ。……けれどきっと、時間を掛ければそれも再現できるはずだから。信じて待っていてくれる?」
「あぁ、嚮後に冀望しておくとしよう。恣意を押し付けて悪かった」
尾の彼が痛い所を突いて、頭の彼がそれでもと微かに身動ぎする。そんなカドゥに、雑談代わりに尋ねる。
「カドゥ、あれから変わった事はあった?」
「……いいや、今は鳴りを潜めてる。波でもあるのかね」
「予定はあったがそれも未だ来ずだ」
「予定?」
「ある妖精が遊びに来ると聞いてたんだが……どうやらあの宴に興じているらしい。あやつも根は妖精だと言う事か」
どうやら何か予定があったらしい。が、そこまでをも暴くつもりはない。
妖精は人に悪戯こそするが、世界の不利益を進んで振りまく存在ではないのだ。特に妖精同士の会話に首を突っ込めば必要以上に悪戯をされかねない。聞かなかった事にして、何かを見ても見なかった事にしよう。
「今宵はいつまでここにいられる?」
「本当は向こうの火が消えるまで、と言いたいのだけれども、今日中に片付けないといけない仕事もあるから後少し。それまで目一杯堪能して楽しんで。次はきっとメイボンね。それまでに音を伝えられるように努力してみるわ」
「果たして人の世でそれが為せるか?」
「余り人間を舐めないでよ?」
挑発的な尾の声に答えつつ笑みを浮かべて。今度はわたしも一緒に見られるように工夫してみようと脳裏に描きながら。
見上げた星空が宝石でも散りばめたように輝く景色をカドゥの息遣いの傍で心地よく眺める。あぁ、世界はこんなにも美しい。その一つすら手の中に収めて置けないのが、なんと切なく儚い事か。
体の中に流れるはんぶんの血を意識しながらそんな事を考えれば、星の瞬きが肌を撫でた気がしたのだった。




