第五章
「ほ、本気……?」
「うん」
「お願い」
お願い。そう紡がれた言葉とは裏腹に、目の前の鏡映しな双子が同じように首を傾げる。その仕草が嫌になるほどに絵になって、知らず胸の内が跳ねる。
国軍の駐屯地で課外授業をした翌日。授業も終わった放課後、約束もなく集まったクラスターの顔ぶれにさて今日はどこに遊びに行こうかと考えていたところへ、彼女達から齎された想像外の提案。
曰く、これから問題解決に手を貸してほしいとのこと。
「えっと……確認するけど。その問題ってのはやっぱり昨日の事だよね?」
「うん」
「ドラゴンが暴れた事件」
幼馴染、シルヴィの声に頷く二人。それ以外ないだろうと当然のことのように答える二人に、記憶を掘り起こす。
昨日、命の危険さえ潜む現場にぼく達は遭遇した。課外授業と言うことで訪れていた白角騎士団の駐屯地。そこで行われていた活動の中で、我を失い暴走をしたドラゴンの背に目の前の二人が乗せられ宙を舞ったという事件が起きた。
傍にいた騎士のアラン・モノセロス団長のお陰で無事怪我なく騒動は治まったけれども、予想外の出来事に今でもまだ信じられないでいるのが本音だ。
いきなり目の前で吼えたドラゴン。人とは全く異なる、完全な意思疎通を行えない幻想生物。その気になれば僕のような子供を丸呑みにさえ出来る巨体と獰猛さを備えた、破壊の象徴。その確かな熱を持った吐息に恐怖し、足が竦んだのは今でも鮮明に覚えている。
怪我こそしなかったが、羽ばたきで起きた風で体が浮いた時には脳裏を死の予感が掠めたほどだ。
それくらいに本能に訴えかける存在。その衝動に巻き込まれた何よりの当人であるピスとケスが、まるで何事もなかったかのようにいつもの無表情で提案してきたのだ。
思い出して、慌てて言葉を次ぐ。
「そ、そうだよっ。あれは事件! だから先生も直ぐに解散にして家に帰ったのに……。ぼく達が首を突っ込んでいい話じゃないって!」
「原因究明は軍や研究者がしてくれるんだから。あたしたちが無理に解決しなくてもいいんだよ」
いつもは意見の食い違う幼馴染も今回ばかりは同じ方向性。それくらいに、彼女達の言い出した事は突飛押しもなく、そして手に負えないのだ。
「でもいつになるかわからない」
「人が多い方が早い」
「それは、そうだけど……。でもぼく達は学生なんだ! 危ない事に首を突っ込むべきじゃない!」
今年学園に入って、妖精についてを学び始めたばかりのひよっこ。契約妖精もいない半人前が解決出来る様な問題ではない。
なにより────
「もし危険な目に遭ったらどうするの? 怪我をしたり……もしかしたら…………」
死ぬ。その言葉を口にするのが躊躇われて息を呑む。けれどそれくらいには現実味のある可能性で、下手な事はするべきではないのだ。
「……どうしてそうしようと思ったの?」
問いかけはシルヴィの口から。彼女は二人の提案を肯定こそしないまま、その意図を探ろうとする。
確かに、落ち着いて考えればそれも不思議な話だ。何より恐怖体験をしたのは彼女達自身。だと言うのに昨日の今日であの騒動を解決に導きたいと考えるなんて、幾ら二人と言えどおかしな話だ。何か……そう考えるに足る根拠があるに違いないと。
そこまで思考が追いついたところで、いつものように感情を宿さない真っ直ぐな瞳が告げる。
「解決出来るから」
「犯人知ってる」
「なっ……!?」
返った思わぬ言葉に息が詰まる。
犯人を、知っている? だから事件を解決する?
核心を突くような飛躍した返答。それが彼女達だからと理由を見つければ、おかしなことではないと思えてしまうが……。だからと言って幾らそれが二人からの頼みであっても二つ返事では頷けないだろう。
「知ってるって……でもあの時周りには他の人はいなかったよ? あのドラゴンだって、それまでは普通だったのにいきなり暴れ出して……。誰かがドラゴンを怒らせるような事をしたとは思えないけど……」
「うん、人じゃない」
「原因は、妖精」
「妖精…………?」
二人の言葉に過去の光景を思い出す。
確かにあの時周りには妖精が沢山いた。アランさんに聞いた限りだと、近くに自然があるからよく妖精が遊びに来るとかで、昨日も幾つかの野良がそこら辺を飛び回っていた。
「もしかしてあの時近くにいた妖精の誰かの仕業ってこと?」
「そう」
「ドラゴンをおかしくさせた」
彼女の言葉が本当なら、妖精がドラゴンに干渉してあの状況を引き起こしたという事だ。
「それ、他の人には言ったの?」
「言った」
「お城の眼鏡さん」
「お城の眼鏡……?」
またよく分からない単語が出てきたけれども、話の流れから察するに城にいる誰か、なのだろう。と言うことは少なくとも、妖精の仕業だと分かっていてそちら方面での調査が既に始まっているに違いない。
だというならば尚更だ。
「なら別にぼく達が動かなくても……!」
「ロベール」
いいだろう。そう次ごうとした言葉が、幼馴染の声によって遮られる。見れば、彼女は真剣な表情でこちらを見つめていた。その真っ直ぐな眼差しに小さく息を呑む。
「二人はさ、するべき事をちゃんとしたんだよ。原因を見つけて、本来通すべき筋も通した。その上で、二人が二人なりに考えて答えに手を伸ばそうとしてるの」
「それは…………」
そんなのは、当然分かっている。けれどそれと、その道行きに降りかかるだろう様々な可能性は別問題だ。幾ら思いが募ったって、あちらから勝手にやってくる厄災を恙無く跳ね除けるなんて、そんなのは夢物語だ。
想像出来ないからこそ怪我をする。そんな危険な場所に、わざわざ身を晒す必要はない。
「それにきっと、二人にはちゃんとした理由がある。そうだよね?」
シルヴィの視線に二人が揺らがない瞳で答える。
そうだ。いつだって彼女たちは自分達が信じる道を進んでいる。そこには確かに、彼女たちが思う根拠があるのだ。
「責任感とか、強迫観念じゃない。ただ純粋な、興味と真実。……二人は多分、その妖精がどの個体なのかまできっちり分かってる。どうすれば解決するのか、理解してる」
妖精は、この世界に数え切れないほどいる。当然、同じ由縁を持つ魂を宿すのだって沢山だ。けれども同じ魂を持っていても、個では異なる。それは人が同じ名前でも別人なように。妖精にだってそれぞれの個性と言うものが存在するのだ。
その、きっと彼女たちにしか分からない差異をちゃんと理解して、問題の解決を手繰り寄せようとしている。
分かっている。分かっているからこそ、心配なのだ。
だって彼女たちは止めても止まらないから。だから────
「でもそれは、二人にしか分からない。あたしにも、ロベールにも、城の研究者にも……。そこまで分かってて……きっと二人には居場所を探す事も出来て。それで無視するなんて……ロベールが同じ立場なら出来る?」
「それは…………けどっ。もしピスとケスに何かあったらっ……!」
「だったらちゃんと見張ってればいいよ」
どこか諦めたように。覚悟を固めた音がシルヴィの口から零れる。
「あたしたちはクラスターだよ。共に学び、共に助け合って前に進む、仲間。そんな友達が無茶をしようとしてるんだから、止めて無理ならせめて手を貸すのが道理でしょ?」
「……………………」
分かってる。分かってた。
だからこそ、建前を見つけたシルヴィがそう言うのまで理解した上で……どうにか止めたかったのに。
不甲斐ない自分を情けなく思いながら、仕方ないと理由と納得を見つけ溜息を吐く。
「………………どうなっても知らないからな。怒られる時は一緒だぞっ?」
「ありがと、ロベール」
全く、この幼馴染は。いつも常識人ぶってる癖に、ここぞという時条理の箍を外して無茶をする。こんな破天荒な幼馴染の相手なんて、多分ぼくくらいにしか出来ないだろう。
……それに、ぼくがついていかなければシルヴィまで危険な目に遭うかもしれない。目の届かない所で怪我なんて、嫌だから……。もう二度と、あんな後悔はしたくないから…………。
脳裏を過ぎる過去の記憶を振り払って覚悟を決めると、胸の内の葛藤をその場に捨てる。
「その代わり、絶対に無茶をしないこと! ピスとケスもっ! いいっ!?」
「うん」
「わかった」
「それじゃあ行こう。二人とも、案内してっ」
また面倒な事になったと。小さく息を吐きながら足を出す。なんでぼくが勝手に走り出した馬の手綱を、しかも三つも同時に捌かないといけないのだろうか。どう考えても不幸だろ、これ……。
* * *
やるべき仕事を終えてお嬢様のご帰宅をお待ちすれば、少しだけ遅くにお二方がお帰りになられました。ここ数日、続いて普段より少し遅くにご帰宅なされているご様子ですが、帰り道にどこかへ寄り道をなさっているのでございましょうか?
そんなお嬢様のお隣には本日、お二方のご友人。前にお見かけした、ロベール・アリオン様と、シルヴィ・クラズ様のお姿がありました。どうやら本日は我が家にご招待なさったようです。
ご友人を、ただ遊びに家に招くと言うのは、わたくしが知る限り初めてのことでございます。それほどまでに学園で仲良くされているという事であれば、わたくしが特別言う事は何もございません。健やかな日々を未来に向けて邁進していると言うのであればそれはよい事ですから。
「お帰りなさいませ、お嬢様。ようこそ、アリオン様、クラズ様」
「ん」
「ただいま」
「えっと、お邪魔します」
少しだけ遠慮したような声音。使用人相手は、名家のご出身であるお二方も慣れていらっしゃる筈ではございますが……何か粗相を致しましたでしょうか?
自分の言動を省みつつお嬢様からお荷物をお預かりして家の中へ。直ぐにお茶と菓子を四人分用意してお嬢様方の下へ。
「失礼します」
「ジネット、ありがと」
「今日のお菓子は?」
「本日はビスキュイをご用意いたしました」
お嬢様のご質問にお答えしつつ四人分の茶器をお菓子を並べ、順に注いで行きます。
ビスキュイとはお菓子の定番で、材料もその基本を混ぜて焼いたものです。生地に味をつけたり、ナッツや果物の欠片を乗せて焼く事で様々な顔を持つ多様性に富んだお茶のお供です。
古くは保存食として軍隊や航海に望む者達の食料として作られましたが、今日では茶会の欠かせない友としての地位が一般的でしょうか。
ついこの間お嬢様にといただいた、宝石のように色とりどりなそれらが今日のビスキュイです。
お友達がいらっしゃると事前に分かっていればもう少しおもてなしの用意も出来たのですが、仕方ありませんね。足りない部分は最大限の敬意と歓待で以ってご満足頂けます様に努力致しましょう。
「どうぞ、お召し上がりください」
「ありがとうございます」
礼儀正しいご学友に小さく笑みを浮かべて返せば少し離れて控えようと一歩下がる。と、それを遮るように零れたのは、お嬢様からのご提案でした。
「ジネット、ひま?」
「お話、だめ?」
「いえ、そんなことはございません。どうぞお聞かせ願えますか?」
込み入った話ならご友人が帰った後にでも……と考えていたのですが、お嬢様からのご提案なら是非もありません。いつも通り、学園であったご報告を承りましょう。
「さっきまで頑張ってた」
「妖精探し」
「妖精探しとは?」
前置きなど存在しない、単刀直入な話題に思考を重ねて追いかけます。お嬢様が生まれた頃よりアルレシャ家にてお勤めさせていただいておりますが、このときばかりはいつも少しばかり緊張します。
多くを語らないお嬢様の言いたい事を理解して、共有する。具体的な説明を置き去りにする、会話以下の一方的な言葉は時折情報の暴力と化します。それを上手に取捨選択し短時間で把握する技能が、お嬢様のお世話を預かる上で何より必要な技術に思います。
そのためにもと、足りない欠片を探して失礼ながらこちらからご質問を。するとお嬢様は直接答えるでなく、お二人のご友人に視線を向けられました。
春に出会ってから数ヶ月。まだまだ共有した時間は浅いお二方ですが、既にお嬢様の意図を酌むくらいには独特な空気に慣れたご様子で。少しばかり面食らった様子でしたが、直ぐに投げられたさじを拾って言葉を継がれます。
「……えっと、ジネットさんは数日前の事はご存知ですか?」
「白角騎士団の駐屯地で起きた騒動の事なんですが…………」
「はい、存じております。何でも、いきなりドラゴンが暴れ出したとか。その原因が妖精にあるとまでは耳に致しましたが」
これでも元は宮仕えの使用人。なにより今ご奉公させていただいているのは現カリーナ大統領陛下の親族でございます。その日カリーナで起きたある程度の事情は、僅かばかりでもご主人様のお力になれればと実務の一貫として把握する事を己に課しております故、余程の瑣事でなければ一度は目や耳にしているはずでございます。
その例に漏れず、数日前国直轄の駐屯地で起こった騒動のことも認識しています。なにせその渦中にいらっしゃったのがお嬢様なのですから。そうでなくとも個人的に調査を進めるくらいの事は致しました。
「その妖精に、ピス……さんとケスさんが心当たりがあるとの話だったので、その……危険だとは分かっていたのですけど、皆で協力して調査を……」
「そうでしたか。まずは皆さんがご無事で何よりです。そして、お嬢様の気まぐれにお付き合いいただきありがとうございました」
「いえっ、止められなかったあたし達にも非はありますし。終わった事として申し上げるなら、個人的に興味もあったので……」
想像外のお話でしたが、どうにか飲み込んで笑顔で応えます。きっとお嬢様がいつものように真っ直ぐな面持ちで突飛押しもない事を提案されて、それにお二人がお付き合いしたと。話はそんなところでしょうか。
妖精についてを学ぶテトラフィラに通われる学生さんです。人一倍、妖精に対して興味が湧くのは致し方のないことかもしれません。その向上心と興味があるからこそ、カリーナ一……世界一とも名高いかの学園の徒足るのでしょう。
もちろん危険を冒す行為は、未来溢れる方々を思うが故に必要以上の心配こそ抱きますが。けれどもその第一たる衝動が無くては前に進めないのもまた事実でございます。
本来ならば順を追って登るべき階段を一足飛びに駆け上ってしまう事に不安を覚えないと言えば嘘になりましょう。ですが何より、皆さんがこうして無事でいてくださるのは何物にも替え難い事実でございます。であればこそ、必要な叱責を踏まえたうえでその偉業を称える事もまた、皆さんが成長なさる糧になればとも愚考するのでございます。
「勇気ある行動を卑下する必要はございません。それは皆さんが考え、覚悟の下に行った確かな選択でございます。その先に、望む望まざるにせよ結果を得てそれを厳正に受け止められたのであれば、わたくしは皆さんの決意に敬意を表しましょう」
「あ、ありがとうございます……!」
「…………その、怒られるかと……」
このご様子であれば、貴重な経験を経て又一つ皆さんが成長なされた事と、見守る立場として嬉しく思います。
「もちろん、あまり褒められた事ではないのも事実です。ですのでもし、今後同じような事があった際には、今回の反省と教訓を活かして下されば構いません。それもまた、きっと必要な事でございましょう」
「ん、わかった」
「ごめん、リゼット」
「いえ。わたくしも立場を弁えない具申を致しました事、衷心より内省いたします」
己の過剰な老婆心を諌めつつ静かに腰を折って。それから僅かばかり逸れた話題の道を元に戻ります。
「お話の途中でしたね。ここ数日、お嬢様のお帰りが遅かったのはその為でしょうか?」
「うん」
「一緒に妖精を探してた」
駐屯地での騒動を解決する。その為に中心にした妖精を見つけて接触をとのご判断でしょう。
しかしながらこの世界によき隣人は数多おられます。人の価値観で言えば、一生に三度同じ妖精に出会えば珍しいと言われるほどです。中にはそれをきっかけに妖精従きの伴侶としての決定をする者もいます。そう言う場合不思議なもので、妖精に関わる者として確かな功績を残されたり。はたまた生の終までの伴侶とすることも少なくないそうです。
そんな、まさしく運命とでも呼ぶべき縁を紡ぐ事もある妖精との出会い。今回は偶然を排して問題解決の為に件の妖精を探していらっしゃったようでございます。
「巡り合う事は出来ましたか?」
「さっき見つけた」
「もう報告もしてきた」
「それは何よりでございます」
どうやらここ数日の思いが実を結ばれたようです。と言う事は────
「ご心配をおかけしましたがどうにか解決に近付いたので。今日はその祝勝会だって二人が」
「そうでございましたかっ。それではわたくしも心尽くしのおもてなしをしなければなりませんね」
「あの……」
「どうぞ、今日ばかりは遠慮なさらないようにお願いします。折角のよき日にございますから」
お嬢様が妖精との関係を紡いで。ご友人もそれに助力されて。こんなに嬉しい事は他にありません。
祝うべきは盛大に。勇敢なる小さき英傑の誉れは、わたくしの喜びとも等しくあります。
「ではしばしのご歓談を」
「手伝う」
「いい?」
「……お願いしてもよろしいですか?」
「うん」
「がんばる」
「ぼ、ぼくもっ」
「あたしも……!」
「ならば共に参りましょうか」
世界の片隅を救った勇士を連れて厨房へ。
そんな一時が、こんな一瞬が。この先ずっと続きながら。愛に溢れて育まれる未来にゆっくりと、けれども確かに歩んでいかれる事を切に願いましょう。
* * *
「えっ? 帰ってないっ?」
今日の授業も終わり、生徒達を見送って。またあのお店に顔を出そうかと考えながら残っている仕事を片付けていると、学年主任の先生がやってきて想像外の事を口にした。
「それ本当ですか?」
「えぇ。使用人の方からの連絡で、流石に帰るのが遅いと。なので確認をと思ったのだけれど……」
「確かに下校しましたよ。しっかりこの目で見て、校門で別れまで済ませましたから間違いありません」
「忘れ物で戻ったとかは?」
「教室の鍵は閉めてるので、もしそうならここに顔を見せるでしょう」
ある程度手元に集中していたとは言え、来室に気付かないわけがない。そうでなくとも根が優しく真面目ないい子達だ。挨拶を欠かした事がないくらいには礼儀もしっかりしていて、そんな彼女達が無断で鍵を持っていくとは考え難い。
想像した景色で可能性を否定すれば立ち上がる。
「他に連絡は?」
「これから。してもいいの?」
「お願いします。隠すと余計問題になりますから。その代わり、大事にはしないでください。彼女達のためにも」
「わかった。ヌンキ先生は?」
「探してみます。幾つか心当たりがあるので」
「ではよろしく」
いきなりの事でまだ混乱しているが、どうにか自分に言い聞かせて足を出す。椅子に掛けておいた上着を羽織って校舎を出れば、外は夕暮れ。少し肌寒い風が頬を撫でた。
胸の奥を掠める想像を振り払って走り出す。
彼女達……ピスとケスが家に帰っていない。それは教師としても大人としても心配な話だ。
しばらく前の課外授業から色々あったと連絡には聞いている。なんでも、妖精の仕業と言うのをどこからか聞いて、その解決に一役買ったらしい。彼女達のお陰で今回の騒動も存外簡単に解決を見たとか。その一点で言えば、二人の……四人の功績は褒められて然るべきだろう。
けれども……前々から思っていた事だが、彼女たちは妖精と縁が深すぎる。まだ契約もしていない、今年学園に入ったばかりなのに。類稀なる実力と世界を知る頭はどこか一線を画していて。その視点は、他の生徒はもちろん私のような教師や、妖精と絡むことの多いアランのような騎士を以ってしても特別以上の異質さを秘めている。
加えて現大統領陛下の孫娘で、少し不思議な双子で……。どれをとっても普通とは掛け離れた彼女たちは、ともすれば騒乱の種にだってなり得る存在だ。
だからこそと脳裏を過ぎる勝手な妄想が黒く渦巻く。
カリーナは名誉や伝統に重きを置く国だ。家名や実績。長年積み上げてきたものが確かな意味を持つ傾向にある。それだけで大きな象徴は、尊敬もされれば妬みもされる。
共和国と言う形式上他国のように一人の下に数多が頭を垂れる訳ではないが、それでも……いや、だからこそ、幾重にも思惑が重なりやすいのだ。
そんな大人の世界の面倒くさい所に、子供ながらに無関係ではいられない彼女達。現大統領陛下の治世になってからは目立った話こそ聞かないが、その火種は今もどこかに燻っているはずだ。例えばその矛先が彼女達に向くようなことがあれば……それは最早彼女達がどうにかできる問題ではない。
もちろん信じたい。そんな事は起こらないと。けれどそんな想像を覆すからこそ、世界は動き続けるのだと。
考えながら走れば、目的地に向かう途中で目当ての影を二つ見つける。
「二人共っ、丁度よかった! 少しいいっ?」
「え……? あ、先生」
声に振り返ったのはシルヴィ・クラズ。クラスターを組んでよくあの二人の傍にいるまとめ役だ。個人的には四人の中で一番信頼している生徒かもしれない。
隣には瞳に疑問符を浮かべた彼女の幼馴染、ロベール・アリオンの姿もある。仲良く一緒に下校していたらしい。
そんな彼女たちを引きとめて。軽く息を整えると尋ねる。
「どうしたんですか? そんなに慌てて……」
「二人は今日あの子達と帰ったのよね?」
「ピスとケスですか? はい、そうですけど」
「今何処にいるか知ってる? 彼女達を探してるんだけど見つからなくて」
必要最低限で目の前の二人を巻き込まないように。表には出さずいつも通りを装って告げれば、二人は視線を交わす。
「……いえ、ごめんなさい」
「そう。それならいいわ、引きとめてごめんなさいね」
小さく息を吐く。彼女達と一緒ならと思ったけれど、どうやら行動を共にはしていなかった様子。けれど遊びに出ているというわけではないのなら一体……。
と、ふと目の前の二人がそこにいるという事に気付いて先生の部分が顔を覗かせる。
「遊ぶのもいいけれど暗くならないうちに早く帰るのよ?」
「あ、はい。気をつけます」
天蓋は段々と薄墨色を広げていく夜の帳。あまり遅くまで彼らが出歩くのはいいことではない。治安こそいい城下だが、それ以外の危険だって数多存在するのだ。そうでなくともこの頃妖精関係で慌しいと言うのに……。
そこまで考えた所で脳裏に過ぎる次の可能性。直ぐに十分にありえる未来だと答え合わせを求め始める。
仲良く足並みを揃えて帰路に着く二人を見送って踵を返す。すると人通りの少ない道の中に、景色に似つかわしくない服の女性を見つけた。
きっちりとした白と黒、二色の仕着せに身を包んだ人物。どこかで見覚えのあるその顔立ちに、一体いつの記憶だろうかと考えたのも束の間。いつの間にかその女性が近くにやってきていていた。
「リゼット・ヌンキ先生、でよろしいですか?」
「え、あ、はい」
「わたくしアルレシャ家で使用人をしております、ジネットと申します」
ジネット。その響きと礼儀正しい態度に思い出す。
そうだ、彼女はあの双子の家の使用人。前にあの二人の入学に際して学園側から挨拶をと言う事で家を訪れた際に応対をしてくれた使用人その人だ。
「先ほど学院に向かった所ご不在との事でしたので」
「それはすみません」
どうやら彼女も彼女で動いていたらしい。だとすれば目的は同じ。彼女の協力は心強い。
「先ほど生徒に確認したんですが情報はなくて」
「そうでしたか」
「ですが一つ、思いついたことが」
「どのような事でしょう。些細な事でもきっと何かの手掛かりになりますから」
息一つ乱さない冷静な物言いと言葉を交わせば、こちらまで胸の内が澄んでいく。
「ジネットさんは課外授業の一件については?」
「存じております」
「あの問題は解決こそしました。……ですが妖精全体でこの頃起きている様々な騒動自体は鳴りを顰めていません。あんな事があった後で、なんて急な話ですが。もしかすると似たような事に巻き込まれているのかもしれないと、考えが至りまして」
妖精絡みの何か。大きなものだと誕生祭と、この間のドラゴンの出来事。けれどもそれ以外に幾つか、小さい問題は耳に入ってきている。だからこの頃、学院側でも生徒に寄り道のしない帰宅を言い聞かせたり、手透きの教員で周辺の見回りなどを行って警戒を強めているのだ。
そんな風に頻発する妖精の悪戯に彼女達が遭ったのだとすれば、いきなり姿を消した理由もなんとなく分かると言うものだ。もちろん、そんなことになっていないのが一番いいのだが。
「……それでしたら一つ。手掛かりになるかもしれない人物に心当たりが」
「本当ですか?」
「はい。そちらはわたくしの方で確認してみます。連絡がつき次第学園の方へご報告と言う形を取らしていただいても?」
「構いません。私はこのまま足でもう少し探してみます」
「よろしくおねがいします」
必要な事を、まるで始めから分かりきっていたやり取りのように恙無く終えて。軽く会釈するとそのまま足を出す。次いで、胸の奥で練った妖精力。
「シリル、ちょっと来て手を貸して!」
「……んぁ? どうした急に……」
強制招聘の妖精術。普段は行動を共にしない自由な相棒を契約に従って呼び出せば、単刀直入に頼み事。
「前に森の中でガンコナーを追いかけたときのこと覚えてる?」
「んー…………あぁ、覚えてる」
「あの時見つけた双子の少女。その波長ここから追えるかしら?」
「人探しか? あんまり得意じゃねぇんだが……そうも言ってられなさそうだな。やるだけやってみようか」
「お願いっ」
こちらの真剣な表情にいつもの面倒臭がりを捨ててくれたシリル。そんな彼に感謝をしつつ坂道をこけないように走り出す。
一気に増えた協力の手。なんとしてでも無事に見つけ出すのだと。何より自分自身に誓いながら見えない彼女の影を追いかけ始める。
遠くに、夜の到来を告げるような低い鳥の鳴き声が響き始めていた。
* * *
「失礼します。アルカルロプスさん、いらっしゃいますか?」
「うん? わたし?」
ここでは珍しい家名での呼び声に、手元でめくっていた資料を机に置いて声の方へ。すると入り口には使用人姿で佇む女性がいた。
「えっと、どうかしましたか?」
「お忙しい所すみません。わたくし、アルレシャ家で使用人をしております、ジネットと申します。お嬢様……ピス・アルレシャとケス・アルレシャの事で少しお話を伺いたいのですが、お時間よろしいですか?」
「……ん、いいけど。とりあえず中へ」
きっちりとした礼儀正しい言動。まさに使用人の鑑のような振る舞いを崩さない彼女に、堅苦しいのは苦手だと思いながら案内する。直ぐに飲み物を準備して差し出せば、もてなされる事には慣れていないのか少しだけ居心地悪そうに会釈をした。
「それで、話とは?」
「お二方の行方が分からなくて捜索中なのですが、何かご存知ではありませんか?」
「どうしてわたしに……?」
「先の駐屯地での騒動についてはお聞きしております。その際に、お嬢様方にご助力いただいたそうで。その節はありがとうございました」
「あー……」
当然と言えば当然か。あの二人は王族。普段の行いに変わったことがあれば逐一報告が行くのは常。それでわたしのことまで知れ渡っていたのだろう。そんなに大した人間ではないつもりだけど……。そもそも人間と言うか、ハーフィーだし。
とは言えいつも身の回りを預かっている使用人がこうして出向いてくると言うのは余程の事態なのだろうと。無駄に論理的な思考が冷静な納得を見つけ出して言葉の端を拾う。
「いえ、わたしは出来る事をしただけですから。それよりも、行方不明ですか?」
「はい。学園からの帰宅が普段より遅くなったので確認を取ったところ、所在が掴めなかったので」
「入れ違いになったりとかは……?」
「家には奥様がいらっしゃるのでもし遅れて帰宅なされていても問題ないかと。それよりはまだ帰宅をしていない方が心配ですので、念のため」
ふむ。その流れで彼女が直接ここに来たという事は、中々に深刻な話なのだろう。
それを抜きにしたって、あの年頃の女の子が二人も所在不明だと言うのだ。心配にもなるか。
「確認になりますが、こちらにお嬢様は?」
「いえ、来てませんね」
「では先の騒動のような隣人絡みの問題などの話はありますか?」
なるほど、それが本題らしい。アルレシャ家の使用人ならば、ここの研究室で件の妖精の不調に関する一連の問題を取り扱っていると知っているはずだ。だから彼女は、もしもの可能性を考えて話を訊きにきたのだろう。
「今のところ新しい問題は聞いていません。ですので、こちらからはなんとも……。あるとすれば、まだ認識していない所で彼女達の悪戯に巻き込まれた可能性ですが……それは薄いかと」
「と言いますと?」
「何度か話をしましたが、あの子達はあれで妖精が絡むことには下手な大人よりしっかりしています。ですので余程の理不尽にでも見舞われない限り自ら振り回される事はないと思いますし、もしそんなことが起きれば何よりここに対策室が立ちますから。それがないという事は、妖精絡みと言うのは考え難い線かと」
「そうですか……」
考えるように目を伏せるジネット。話しながら観察した限りだと、彼女は随分と理知的な気がする。もし冷静であればこれくらいの想像は出来てもおかしくはないはずだ。
そこから考えるに、あの二人の失踪が目の前の彼女にとってそれほどに大きな問題だということか、もしくは妖精に対してそれほど免疫がないかのどちらかだ。
少しだけ意識を外して集中する。胸の奥に眠るあっち側の感覚を鋭くして、目の前の彼女を注視する。彼女は……あぁそうか、そもそも妖精が見えないのか。だから妖精が絡む事に少しだけ疎い。
体験と非体験の差は埋め難い。その溝は、時折世界の問題としても囁かれるほどだ。
それでも尚あの二人の傍付きを務めているという事は、それだけ使用人として信頼されていると言う事なのだろう。ならば彼女の言葉を疑うのはやめるべきだ。誰よりも二人の事を傍で見ているはずの人物。きっと何か思うところがあってこうして行動に移している。だったらまずは信じて、全ての可能性を鑑みるべきだ。
……とは言え彼女達の行動をわたしが読めるはずもなく。強いて思いつくのは…………いや、まさか────
「……もし、妖精の悪戯や、そのほかの危険な状況でないのだとすれば、一つだけ考えられる可能性があります」
「それは一体……?」
「ジネットさんは……いえ、よろしければ一緒に来ていただけますか?」
「はい。ご一緒させていただきます」
即断即決。自分で言葉にしてもまだ信じられないが……だからこそ彼女達ならばあるいはと思ってしまう。
人の世界とは隔絶されたような双子。ならばまさかと思う事こそが、彼女達の常識であったりしないだろうか、と……。
いきなりの諸連絡は、けれどもジネットのお陰で恙無く行われて。馬を用意して少し待てば、城内から彼女がやってくる。
「馬は乗れますか?」
「はい。一通りの嗜みは使用人としての責務ですので」
わたしならきっと煩わしくて破いてしまいそうな、ひらひらとした仕着せの裾を流麗に翻して。馬に跨り手綱を持つ彼女の姿は違和感以上に様になる。もしかして従軍経験があったりするのだろうか。彼女ならばどんな経歴を持っていても不思議ではなさそうだが……。
そんな事を考えながら自分の馬に飛び乗って、彼女の準備を確認し頷くと馬を走らせる。馬車よりも速い足は城下を駆け、少し離れた森の中へ。途端に光が届かなくなって闇に包まれた世界を、光石を利用して疾走する。
光石は妖精力の篭った石で、分類的には術式封印石に含まれる。基本的に夜は世界が静まり返るが、それでも動いている片隅はどこかに存在して。陽の光の差し込まない暗闇を照らし作業をする為に利用されている。主な仕様用途は軍での任務や、炭鉱などでの光の確保だ。
カンテラでもよかったが、自然に入るとそこに住まう妖精達が炎を嫌う。その事で相手を刺激して、行く手を阻まれるかもしれない。彼女達の平穏を脅かさない為の措置だ。
折角築けている友好な関係。たった一つの失敗で壊してしまうのは、その地盤の上で仕事をしている身としては惜しいのだ。
「この方角は、確か……」
「はい。彼がいます」
ジネットの声に答える。どうやら彼女も知っていたらしい。ならば一々説明する必要もないか。
しばらく馬を駆って、やがて辿り着いた入り口。夜でも相変わらず持ち回りの騎士が辺りを警戒していた。お仕事ご苦労様だ。
「おや博士、どうかしましたか?」
「少し確認をね。誰か来た?」
「いいえ、ここを通った者はいませんよ」
博士。その呼び方に少しだけ照れくさくなる。別にそんな大層な立場ではないのだが、よく顔を見せるからかいつしかそう呼ばれるようになったのだ。ま、そんな事はどうでもいい。
「そう……。一応中を見てきても?」
「はい、どうぞ」
多分許可証などなくても通してくれるかもしれないが、それで彼らが責められたのでは寝覚めが悪い。しっかりと用意してきた通行許可証を見せて中へと入る。
自然の中の、曖昧な道を歩きながら後ろをついてきたジネットに尋ねる。
「ここに来た事は?」
「残念ながら一度もございません。わたくしは妖精が見えませんので」
「大丈夫ですよ。彼は妖精ですが、妖精ではありませんから」
「……?」
少しだけ不思議そうな顔をした彼女。妖精の見えない彼女には、少し意地悪な言い回しだったか。
「この辺りは彼の根が張り巡らせてあるんです。ですのでもし無粋な闖入者が現れても、直ぐに数多の妖精に袋叩きにされるんです」
「そのような場所にお嬢様が?」
「前に来た時に、随分と気に入られていたようでしたから、或いは……」
特別な結界と言うわけではない。ただ少し、彼の干渉範囲が広すぎて、それを利用して己の平穏を守っているだけだ。
先ほど騎士が警戒していたのがその境界線。足を踏み入れた今、既に彼には会いに来たことが伝わっているはずだ。
と、いつの間にか直ぐ傍にいた野良の妖精。
「あれ? この前も来なかった?」
「ちょっとね。前の時に一緒に来た双子ちゃん、ここに来てない?」
「あぁ、なるほどっ」
否定も肯定もしない返答。それからその妖精は、興味が満たされたのかそのまま森の闇の中に姿を消してしまった。自由で羨ましい事だ。お菓子でもあげればもう少し協力してくれたかもしれないが、今回は残念ながら持って来ていない。
そろそろ見返りなしで手を貸してくれるくらいには信用してもらえないだろうかと思いながら。歩みを進めれば、やがて辿り着いた一際目を引く大樹。その根元に出来た洞に、大きな息遣いでとぐろを巻く二頭の一人がこちらを見据えていた。
「カドゥっ、訊きたい事が……!」
「少し声を落としな」
「夢を旅する雛が起きてしまう」
カドゥケウス。双頭のドラゴンである彼に尋ねようとした所で、疑問の先を遮られた。微かに肌を刺した妖精力に思わず息を呑めば、次いで彼らは徐にとぐろを緩めてその内側を見せてくれた。
「お嬢様……!」
驚いたように声を上げたジネット。直ぐに駆け出そうとして、けれどもその足が上がる寸前にその場に縫い止められる。次いで彼女は、少し距離を測るようにカドゥケウスを見つめた。
その事にどうでもいい事を知る。どうやらドラゴン状態のカドゥケウスは、妖精の見えない者にも認識できるらしい。と言う事は、その姿の彼は生物学上ドラゴンと言う事なのだろう。
これはこれでまた一つ知見が増えたと。ここに来るまでにあわよくばで脳裏を掠めていた疑問が解消されてほっとする。まぁ分かった所で、今は後回しだけれども。
「大丈夫ですよ。知っての通り彼はカドゥケウス。ここ、カリーナに協力して先の大戦の幕引きを手繰り寄せた英雄的妖精です。今はドラゴンの姿をしていますが、本来は妖精ですので。余程気分を害する事をしない限り取って食われたりしませんから」
「おいおい、そこいらの野蛮な翼竜と一緒にしないでくれよ」
「ふふっ、ごめんなさい」
譲れない一線なのか、念押しするような声に小さく笑って謝る。隣でジネットが安心したように息を吐いていた。
「いきなり尋ねてきてごめんなさい。人探しをしていたんだけれど……丁度見つかったみたいね」
とぐろの中で寝転がった二人の姿に小さく零す。微かにだが、体が深く呼吸するように動いている。先ほどの彼の言葉かと合わせて考えれば、どうやら彼女たちは健やかに眠っているらしい。
「どうして彼女達がそこにいるのか訊いても?」
「迷い児がここを訪れたのは陽が沈む前のことだ。同胞の力を借りてここへやってきた」
「同胞?」
「恐らく妖精の事かと。わたしの様な手段ではない限り人の手引きではここへ入る事はできませんから」
騎士が見張り、妖精が監視する禁足域。例え人の目を潜っても、招かれざる客は相応の洗礼を受けるだけだ。
しかし隣人の力を借りればそれも容易い。特に彼女たちはあちら側と仲良くなる傾向が多いから。好んで招かれもするだろう。
「何でも人の世で起きた紛擾が解決したからその礼が言いたいってな」
「……もしかしてドラゴンの一件の?」
白角騎士団で学園生を巻き込んで起きた騒動。かの問題は、確かに彼女とその友人が独断で危険な橋を渡った末に解決を見た。一応それらの件を任されている身からすると、彼女達に勝手に動かれるのは立つ瀬がいないのだけれども。しかし彼女達でなければこれほど迅速な解決はなかっただろう。その点だけは感謝をしている。……もちろん、だからってその全てを容認出来る訳ではないが。
「彼女たちは前にここに来た段階で既に誰の仕業か分かっていたらしいな」
「……えぇ。もう少し大人を頼ってくれたら嬉しかったんだけれどね」
「この子らにしか理解できぬ世界もあろうて。それに、片棒を担いだのは同じだ。どうか、彼女たちだけを責めないでやってはくれまいか?」
「…………分かった。でも、今度からはもう少し穏便に行きましょう。お互い、無用な面倒は背負い込みたくないでしょう?」
「あぁ、心得た」
また一つ、英雄的妖精との約束を締結して前進する。中々に難しい関係。そう簡単に変わるものでもないが、いずれ────
そう考えていると、会話にか身動ぎをした二つの小さい体。次いでのそりと起き上がった彼女たちは、何かを確認するように辺りを見渡し、最後に二人だけで世界を同調させるように見つめあうとすっくと立ち上がった。
足取りは確かに。カドゥケウスの双頭に歩み寄って軽く触れる。
「おはよう」
「ありがと」
「休息は足りたか?」
「うん」
「だいじょうぶ」
「よしっ、ならお迎えだ」
尾の頭に軽く小突かれて、それからこちらを二つの視線が見つめる。すると彼女たちは目の前までやってきて、静かに頭を下げた。
「ごめん」
「なさい」
「……ご無事で何よりです。お屋敷に戻りましょう」
「うん」
「分かった」
言いたい事は飲み込んで。心の底から安心したように薄く笑みを浮かべたジネットが二人を抱きしめる。
そんな光景を優しく見守ってカドゥケウスに向き直る。
「彼女達のこと、ありがとう。また今度、何か御礼でも持ってくるわね」
「望んでの事だ。然るに、こちらとしても有意義な時間であった」
「もしもと言うなら、また今度彼女も連れてきてくれ」
「……考えておくわ」
許可を取る身にもなって欲しい。無駄に増えた胃痛の種に渇いた笑みを零して、それから二人の居城を後にする。
「お二方。恐らくご存知とは思いますが一つだけ。彼はこの世界に今の平穏を齎した功労者です。国賓以上の扱いを受けて然るべき存在です。くれぐれも、他言はなされぬようお願いいたします」
「うん」
「分かった」
「後、今度からはわたしを通していただけると幸いです。ジネットさんも、それから陛下も安心なさりますから」
「うん」
「ジネット、仲良し?」
おっと、興味がまた別の所へ向いたようだ。思い切りきられた話題の舵に彼女と二人視線を交わして小さく笑みを浮かべる。
「はい。既にお友達です」
「ん」
「よかった」
「では夜も遅いですから。気をつけて帰りましょうね」
何だか変な繋がりも出来たものだと。この年になっての少しばかり恥ずかしい純粋な言葉に、けれどもきっと大切な事だと考えて。それから彼女達をそれぞれの馬の後ろに乗せ、夜の闇を城下に向けて走り出す。
思わず見上げた空は、いつになく綺麗で。輝く星々の中に、寄り添うようにして光る瞬きを見つける。
あぁ、明日もよく晴れそうだ。
* * *
「ふむ。遅くまで悪かったな。ゆっくり休んでくれ」
「それでは失礼致します」
この頃何かと顔を合わせる機械が多くなったヴァネッサ女史からの報告を受けて椅子に深く腰掛ける。すると労いにか、エドがお茶を用意してくれた。
「あぁ、ありがとう」
「お疲れですか?」
「他人事だな」
「滅相もございません」
長年の相棒に、少し八つ当たり気味に意地悪を言えば、彼は冷静な対応を見せる。何だ、面白くない。
「しかしまぁ、今回ばかりはどうにもきな臭いな」
呟いて小さく息を吐く。
今年の春は中々に騒々しい。誕生祭からこちら、妖精に纏わる問題が沢山表面化しているのだ。表に出ているだけでも既に三つ。その内二つに我が孫娘たちが関わりどうにか解決を見た。それ以外にも、既に例年とは一線を画して様々な折衝が起きている。
その要因。今現在、最も力を入れて調査をしている案件が、それでも確かな結実を未だ待つ。
特に妖精関連の問題は慎重にならざるを得ない。早期解決は最早諦めの域だ。
「とは言え彼女達とこれとは別だろうがな」
今一度受け取った報告書を流し見て机の上に投げる。書かれているのは先の駐屯地での一件の最終的なまとめ。
今回はボギーと呼ばれる妖精が関係していたらしい。研究では、よく人の傍で見かける悪戯好きで、からかいに耳元で囁いては姿を消すという殆ど害の無い存在だと言われている。それがどうやら、誕生祭の時同様歯止めが利かなくなった本能でドラゴンに影響を及ぼし、かの幻想生物を一時的に狂わせたのだとか。
今まで何の問題もなかった存在が次々と騒動を起こす。その根底にある物が同じだとすれば、今後何か対策を施すまでは様々な考慮が必要になってくるだろう。
ともすれば、人の世界に大打撃を与えかねない……。できるだけ早くこれ以上の被害拡大を阻止しなければ。
しかしながら、国王の椅子に座る身としては直接どうこうは出来ない。まだ仮説の段階な想像論。大きく国を動かす事は出来ないのだ。だから今は、ヴァネッサのような一握りに頼るしかない。称えられる立場なのに、殆ど何も出来ない事が歯がゆい。
「あの方の所へ、ですか……。そちらは大丈夫ですか?」
「あの二人が特別に過ぎない。今回の事で見張りの任につく者にもいい教訓になるだろう。これからを考えて気を引き締めてもらわんとな」
エドの言葉に答えて考える。
カドゥケウスの下へと簡単に出入りしたピスとケス。とは言えあの二人は昔から何かと妖精に好かれやすい。そちら側の手引きと言うなら、見張りの責は最低限だ。
それよりも、だ。彼のいる場所は、妖精の溜まり場だ。あの辺りは妖精力が溢れているらしく、野良の妖精達が挙って寄り添い、まるで小さい国のような様相を呈している。ヴァネッサが言うには、あれほど高密度の妖精力が一帯に広がっているのも不思議だとのことだが、まぁ今はいいとしよう。
溜まった妖精力に惹かれてか、数多の妖精が集う場所。となればこちらで確認しているような騒動が起きても不思議ではなさそうだが、今のところあの場所でそういった話は聞かない。何か理由があるのだろうか……。
あまり時間はなさそうだが、どこかで改めて調査した方がいいかも知れない。
「……とりあえずは二人が無事でよかった。全く、家族にすら行動が読めないとは難儀な双子だ」
「ですが、だからこそお二人は特別なのかと」
そんなのは分かりきっている。あの二人はきっと、未来に大きな何かを成す筈だ。予感以上の確信が胸を打つ。その時に立ち会えたなら、彼女達の祖父として誇りに思えることだろう。
ならばそれまで世界が歪んでしまっては困ると。極個人的な感情で以ってやる気を再び漲らせれば、重い腰を上げる。
「負けてられんな……エドっ、最後に一仕事だ。付き合え」
「仰せのままに」
旧友を巻き込んで後回しにしていた雑務に取り掛かる。
今更な話、彼女達を大人の都合に巻き込まないなんて無理だ。もちろん全てをその華奢な双肩に預ける訳ではないが、その時に後援できるように、大人は大人の役目を果たすとしよう。
「今宵は月が綺麗ですよ」
「それで公務が楽になるなら嬉しいんだがなっ」




