十九話
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「これって……」
とある無料動画サイトを目を凝らし見つめながら、何かに気付いた薫がふと呟く。その動画には、先日、シリアで起こったとある事件の模様が映し出されていた。投稿者は現地へ取材にでかけているという日本人ジャーナリストで、偶然その場に居合わせ、急いで動画を撮ったというのだ。
それは、空中の高い場所で突如爆発が起こっている映像。それだけ見ると、シリアでは日常的な迎撃ミサイルの模様とも取れる。
だが、薫はその爆発に違和感を感じていた。
「……迎撃ミサイルならもっと爆発が大きくないとおかしいし、それにミサイルの破片が落ちてきていないみたい。しかもその事は現地でもニュースになってないようだし……ん?」
画質が悪い上距離があり、はっきりとは分からないが、空中の爆発の傍に何やら影のようなものを発見した薫。ズームアップしよくよく目を凝らして見てみると、どうも人影のように見えなくもない。だが、こんな空高い場所に人影などと、常識的に考えてあり得ないのだが。
「……もし、それがヴァロックだとしたら、これくらいは余裕で飛べるわよね?」
先日の国際ニュースで聞いた(赤毛の化け物)というワードが気になり、動画を検索してみたら、やはりというか、ヴァロックの痕跡の可能性を確認できた薫。なので何とかしてシリアへ行って確認してみたい。
しかしそうなると、長期休暇でも取らないと不可能だ。しかも薫は警察に協力する形で、難解事件を秘密裏に対応している裏の顔もある。
「あ、そう言えば」とある事を思い出し、ポン、と手を打つ薫。
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「え? あの荷物ですか? ええ、確かにドバイで足止め食らってますね」
薫に質問され、通関士の資格を持つ部下の増田君は自身のデスクに置かれたパソコンでトラッキング(※荷物の追跡)を行いそう回答した。結構前に飛行機便で発送した重さニ○○kg程のとある荷物。目的地はエジプトだが、未だドバイから動いていない。
営業部より早く現地へ送ってくれと、散々突っつかれている案件だ。この荷物はとある四輪駆動車のテストドライブに使用される予定の開発中の車のエンジンで、エジプトの砂漠地帯を走行するテストを行う為、空輸で送ったものである。輸送手段として船を使わず空輸を選択したという事は、それだけ急いでいる荷物なのだが、日本から発送して既に二ヶ月は経過してしまっている。なので営業部が催促するのは仕方ないのである。
「原因は分かってるの?」
「うーんどうやら、通関手続き上の問題だと思うんですけど。現地に問い合わせてもそういう回答しか返ってきませんし」
「それでも、二ヶ月は流石に長過ぎない? これじゃ船で送るのと日数的に変わらなくなってしまうわよね?」
そうなんですよね~、と頭を掻きながら、困った表情で薫の問いに答える増田君。そもそも船便は空輸に比べてコストが安いというメリットもある。それを早く到着させたいが為に、顧客はわざわざコストの高い空輸を選んだというのに、かかった日数が船便と変わらないとなると、かかったコストが無意味になってしまう。
通関で揉めて荷物が足止めする事は、輸出入をしていればよくある事で、特に中東行きの場合はこのドバイを経由する事が多く、行先によっては現地の書類が揃っていない事が結構あり、それが揃うまで通関出来ない事は多い。更に今回の様に、まだ市場に出回っていない試作エンジンともなると、細部に渡る部品ごとの商品説明が書面で完璧に揃っていないと、中々通らないものだ。
「まあ、今回の様な特殊な荷物を、急ぎだからといって空輸で送ろうとした営業部にも問題は有ると思いますけどね」
「でも、今回の顧客は結構重要な得意先なんでしょ? あちら側もある程度理解してくれているとは言え、このままじゃ埒が明かないんじゃない?」
「……うちの誰かが現地にでも行ければいいんですけどね」
増田君が愚痴の様に呟くと、薫は待ってましたとばかりに増田君を指差し大袈裟な仕草で、それよ! と叫んだ。普段ならあり得ない薫の行動に、貿易部の面々は皆業務をはたと止め、ビックリした顔で薫を見てしまう。普段はクールで感情をあまり出さない薫の叫び。その珍しい光景に全員驚いたのだ。
そしてそれは増田君も同様で、一瞬何が起こったのか分からない、と言った表情で面食らっている。
「……へ? それ、とは?」「増田君が言った通り、うちの誰かが現地へ行けば問題解決するわよね?」
「そ、そりゃ、まあ。でも、英語だけじゃなくヘブライ語が理解できる人じゃないと……」と、そこまで言って増田君はハッとする。そうだ。ここには何故か殆どの言語を理解するスーパーウーマンがいるじゃないか、と。
増田君の表情で察した薫はニコっと微笑みそういう事よ、と呟く。その美しい笑顔についごくんとツバを飲み込んでしまう増田君。
「てなわけで、ちょっと社長室行ってくるわね」「あ、は、はい。……って、え? しゃ、社長室?」
驚く増田君をよそにそう言いながら、既に増田君がプリントアウトしていた資料を手に取り、颯爽と薫は貿易部のオフィスから出ていった。
「……なあ。三枝課長。さっき社長室って言ってたよな?」「ああ。間違いない。ただの課長職なのにアポイントもなく社長に会えるのか?」
「まあでも、三枝課長ならあり得るんじゃない?」「そうよ。見た目だけじゃなく仕事もできるし、まさにスーパーウーマンって感じだから」
訝しがっていた増田君含めた男性社員達は、女性社員達の羨望ともとれるやや無理やりな説明に、何となく違和感を感じつつも納得する。
「……多分、ドバイも行っちゃうんだろうなあ」「うんうん。三枝課長なら明日にでも行くと思うよ」
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「いやまあ、三枝君の事だから言ってる事は理解できるんだけどさあ……」
「丁度いい機会だと思います。この案件で是非私をドバイへ行かせて下さい」
「でもさあ、もし三枝君がいない間に、この間の様な事件が起こっちゃったら……」「私これまで、結構な数の難事件を解決してきたと思うんです。そろそろそれに対する対価を頂戴してもいいのでは? それに私、今まで一度も何かしらの要求を伝えた事ないと思うんですけど」
薫にそうせっつかれ、う~ん、と頭を掻きながら困った顔をする社長。傍では、いつも通りアポイントもなく入ってきた薫とのやり取りを聞いている秘書の女性。だが、今日はいつもとどうも違う? と違和感を感じているようだが。
この社長は、警視庁のトップと繋がりがあり、薫の能力をとある事件がキッカケで知り、それからその能力を難事件解決に役立ててほしい、表の顔としてこの商社に正社員として登用するから、と持ちかけた人物だ。
薫は思った以上に優秀で、それから数々の難事件を秘密裏に解決してきた。その功績からして、隠れ蓑となっている正社員雇用という肩書だけでは、確かに物足りない、と社長自身も丁度考えていたところだったのだ。
だが、社長が危惧するように、一定期間薫が日本からいなくなっている間に、難事件が勃発した時、薫を頼れない事が気がかりなので、おいそれと了承出来ず悩んでいるのだが。
「別途賞与とかあげるから、それで我慢出来ない?」「いや、今そういう話している訳じゃないんですけど。ドバイで止まっている荷物を何とかしたい、という話ですから」
「そんなの、わざわざ貿易部の三枝君が行かなくても、営業部に任せればいいんじゃない? 元々は彼らの案件なんだし。……私の元に直談判しに来た、という事は、何か理由があるんでしょ?」
相変わらずフレンドリーな語り口調の社長。そして当然というか、薫に事情がある事も気付いている。いくら今回のドバイの荷物の件が重要な得意先とは言え、わざわざ自分を現地へ送ってくれ、なんて常識的にあり得ない話だ。現地の責任者へ電話で話すれば解決する可能性だってあるというのに。
薫は誤魔化せない、と踏んだのか、はあ、と諦め顔でため息を付き、仰る通りです、と正直に話した。
「正確にはシリアに行きたいんです。ビザの発行は要りません。潜入しますので。ドバイまでで結構なので」
「……は?」今何て言った? と、ポカンと口を開け驚く社長。横に控えている秘書の女性も、普段なら薫と社長とのやり取りに無関心な様子なのだが、流石に今回の薫の発言には驚いたようで、同じくびっくりした顔をしている。
「あ、あのさ、三枝君。僕の聞き間違じゃなけりゃ、もしかして今、シリアへ行くって言ったかい? あの戦闘地帯の? しかもビザの発行要らないって? もし現地でバレたら不法滞在で捕まっちゃうよ? 君が途轍もない能力を持っているとしても、流石にそれは無茶が過ぎるんじゃないかい?」
「社長の仰る通りです。常軌を逸してます」
普段は殆ど二人の会話に入って来ない秘書の女性でさえ、薫に苦言を呈する。
「でも、今からビザ発行の請求したら、早くても半年はかかるでしょう? しかもジャーナリストでも政府要人でもない一般の私だったら、ビザが下りない可能性の方が高いじゃないですか……。まあ、社長の繋がりで何とかして頂けるのであれば助かりますけど」
薫の言葉に頭を抱える社長。理由は聞いていないが、どうやら薫にはシリアへ行かねばならない切羽詰った事情があるらしい。そして薫は今まで、結構無茶な要求にも文句を言いながらでも応えてくれていた。それに報いてやりたい思いはある。
「……君。外務省の。ほら、先日僕と会食した彼だよ。連絡取れる?」「! しゃ、社長! いいんですか?」
社長の話す内容に、普段はクールな秘書も声を上げてしまう。薫も社長のまさかの言葉に驚いている。
「ハハ。どうなるか分からないけど動いてみるよ。君は確かに沢山貢献してくれた。……そうだな。警視庁からも推薦状みたいな物を一筆書いて貰えば何とかなるかも知れない」
「社長……。有難う御座います。今日初めて、社長を社長っぽいと思いました」「……三枝君は今まで僕を何だと思ってたのかな?」
「……ゴルフ好きな調子のいい中年?」「おいおい。それ酷くないかい?」
二人のやり取りを聞いていた秘書がクスリと笑いながら、では、早速連絡してきます、と言って出ていった。
「でもまあ、ちゃんと感謝してますよ。私がこうやって人並みに生活できているのも、社長のおかげですからね」「本当かね?」
本当ですよ、と珍しく素直な笑顔でフフフと笑う薫。この商社の社長として人の上に立つ者として、海千山千のやり取りをしてきた彼でさえ、その意表を突いた美しい女性の笑顔に、つい鼓動が跳ね上がってしまった。
そして結構無理くりなこのお願いは、何と二日で全てうまく行き、薫はドバイを経由しシリアへ渡航する事となったのである。
近日中に更新予定です。




