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十八話

 ※※※


「ただいまー」


「あらお帰り。今日は早いのね」


 そう? と玄関口で母親に返事しながら、黒いパンプスを脱ぐ薫。ここは一戸建の二階建てとなっている薫の実家である。その二階に薫の部屋があり、早々階段を上がって自分の部屋に入っていく。そして普段会社で着ている黒のパンツスーツ姿から、ラフな淡いピンクのスウェットに着替え、長い黒髪を後手にくくる。


「よいしょっと」と、言いながら、鏡台の前に座り、化粧ポーチから化粧水を取り出しそれをコットンにつけ、ファンデーションや口紅を落とす。薫は自他共に認める超絶美女。薄化粧なので五分程度ですぐにすっぴんになるが、その見た目は化粧していた時と余り変わらなかったりする。そもそも、本来は化粧さえ必要ないと思っていたりもするが、年相応の身だしなみは社会人の嗜みだと思っているので、最低限の化粧は毎日欠かさない。


 そして下の階に降りようとした時、ふと、部屋の窓辺に並んで置いてある、既に割れている三つの飴玉を見つめ、はあ、と、大きなため息一つ。


 ヴァロックが地球に来た事を知らせる飴玉が割れて既に数日経過している。あれから薫自身も色々調べてみたが、ヴァロックがこの世界に来ている証拠が全く掴めない。神様が嘘をつくはずはないので、ミスでもしたのか? 何かトラブル? 等と思ったりもするのだが。


「どこにいるんだろ……」割れたまま、溶ける事もなく形を維持している不思議な三つの飴玉を眺め、またもため息をついてしまう薫。初日程の落ち込みはないものの、手がかりが全く無いのもあって、普段から若干イライラしがちになってしまっている。


 ふと、自分のスマホについている黒い刀のストラップ(黒月)を見る。元々黒龍だったのを勇者だった薫が倒し、その骨を異世界のドワーフに加工して貰い、刀にしたものだ。この様に目立たないよう、ストラップになるのだが、この元骨の刀とは一切会話できない。


「確か、ヴァロックの大剣の白龍はコミュニケーションが取れたのよね。……ねえ黒月、何か分からない?」


 前の世界での記憶。ヴァロックが時々独り言を呟いていたのは、彼の自慢の大剣、白龍の骨で出来た大剣と話しが出来るから、というのは知っていた薫。なのでつい、同じ様にコミュニケーションが取れるのではないか、と期待して話しかけてみる。手がかりが欲しい、その気持ちのままに。だが、黒月からの返事はなく、シーン、と音のない部屋が静かな事がより強調されただけだった。


「何やってんだろ。恥ずかし」物に質問するなんて、小学生か私は。と心の中で自分にツッコむ薫。余程切羽詰ってんのかなあ? とも考えながら。そして母親がそろそろ用意してくれているであろう、夕食を取るため、部屋を出て下の階のダイニングに降りていった。


 予想通り食卓には既に夕食が用意されていた。鮭のムニエルと味噌汁とご飯。薫の好きな大根の漬物も忘れず置いてある。そして薫はいつもの自分の席に座った。


「父さんは?」「今日は遅くなるって」


 ふーん、と気のない返事をしながら、母親が用意してくれていた夕食の香りを嗅ぎながら、いただきます、と言って早速ムニエルに箸を入れる薫。そしてリビングにあるテレビの映像を何の気なしに観る。今はどうやら情報番組が放映されているようだ。


「あ。そうそう薫。今度の土日予定大丈夫よね?」腰に巻いたエプロンで手を拭きながら、ダイニングルームにやってきた母親が薫に確認する。


「何かあったっけ?」白ご飯を口に運びながら質問返しをする薫。


「もう! 言ってたでしょ? 山辺さんとこの一周忌に行くんだって」


「山辺さん?」誰それ? てな感じで返事する薫。聞いた事のない名前だなあ、と思いながら。


「ほら、忘れたの?一年前、猫を助けて交通事故で亡くなった、山辺さんとこの息子さん。彼の一周忌があるって言ってたじゃない」


 ああー、そう言えば。そこまで説明されてようやく思い出した薫。ヴァロックの事が気がかりですっかり忘れていたようだ。


「遠戚の、ね。でも私達行く必要あるの? 余り関わりなかったと思うけど」


「この機会に三枝家の血縁一同集まるんだって。前に亡くなった綾花ちゃん、ほら、片桐さんのところの。あそこも来るらしいのよ。うちは本家だから行かないわけにはいかないでしょ。父さんだって折角の休みでも行くんだから」


 ……面倒臭いなあ。私ヴァロックの事でそれどころじゃないんだけど。と思いつつも、土日の予定は空いているので、断る事も出来なさそう。そう考えるとちょっと億劫になる薫。


「て言うか、覚えてない? 山辺さんとこのご長男、今回の一周忌の健人君。薫が小さい頃会った事あるのよ?」


 健人君? 名前を聞いてもピンと来ない。勿論綾花ちゃんは知ってる。彼女はいとこだから、大きくなってからもちょくちょくお互いの家に遊びに行っていたから。


「覚えてないなあ」「まあ、あんたが幼稚園の頃だし仕方ないかもね。大阪に行った時の話よ」


 大阪……。そう言えば、と、その地名で何となくうっすら思い出した。薫の家は東京近郊。大阪に行く事は殆ど無いので、物珍しい記憶として何となく印象だけ残っている。確か有名なテーマパークに遊びに行った時、親戚だからといって一緒だった赤ん坊が、そんな名前だったような。だが、その程度の接点しかないはず。大きくなってからは一度も会っていないはずだ。


「血縁一同が集まるんなら仕方ないわね。今度の土日ね。了解」


 健人君はよく覚えていないが、とりあえず薫は、予定もないし行く事にした。そして母親が宜しくねー、と言いながら台所に戻ったところで、ずっとつけっぱなしになっているテレビに目を向けながら味噌汁をすする。何やら臨時ニュースが入ってきた模様。


 ーーシリア西部を拠点とする、無差別テロ組織“黒いさそり“ですが、先日、首謀者であるアランマド容疑者が、政府組織シリル派側に投降した、との情報が入ってきました。アランマド容疑者が投降した理由は不明ですが、シリアテレビ局によりますと、アランマド容疑者は「赤毛の化物に襲われた」と、よく分からない事をずっと呟いているとの事で、更に、大層何かに怯えている様子だそうです。シリル派の幹部は、そんなアランマド容疑者について、途轍もなく巨大な恐怖を経験した事による、精神錯乱状態となっている可能性を指摘しており、薬物摂取等詳しい事情聴取をこれから行う予定との事ですーー


 普段からよく流れる、世界情勢を伝えるニュース。日本に住んでいる者としては対岸の火事でしかない。だが、薫はとあるワードが気になった。


 ……赤毛の化物?


 ※※※


「もしもし? ああ、増田君? 突然で申し訳ないけど、今日出社遅れるから」『あ、はい。かしこまりました。……直行で得意先にでも行くんですか?』


「まあそんなところよ」と返事しながら、薫は電話を切る。だが、その表情はやや焦燥感に溢れ、怒りに満ちていた。


 今朝早く、薫がいつものように会社へ行く準備をしている最中、薫が勤める会社の社長より緊急連絡が入った。社長からの緊急連絡。それが意味するのは(元勇者である三枝薫の能力が至急必要となった)、という事だ。


 その内容を聞いた薫は、急ぎ現場へ直行する事にしたのだ。その最中に彼女が課長を務める貿易課の部下、増田君に遅れる旨を伝えたのだが、薫はそんな事より、一刻も早く現場に到着しないと、と焦っていた。


「アクセル、ブースト」薫はスキルを唱え、窓から飛び出す。アクセルは自身の移動を加速させる魔法。ブーストは身体能力全てを加速させる魔法だ。その両方を用い、音速を凌駕する速さで現場へ急ぐ薫。


 社長から受けた緊急依頼。引き篭もりの中年男性が親を刺し、包丁を持ったまま逃走中。しかもどうやら、近所の幼稚園に潜伏しているらしい。


「小さな子ども達を危険な目に遭わせるなんて許せない」ギリリと歯噛みし現場へ急ぐ薫。道を走るより屋根伝いの方が早い。ヒュンヒュンと人には見えないスピードで突き進む薫。


「あれか」目的地が見えてきた。幼稚園の周囲には多くの警官達が包囲網を敷いていた。その中に、いつぞやの銀行強盗の時にいた刑事を発見する。


 サッとまるで忍者のようにその刑事の傍に現れる薫。周りにいた警察官や刑事達一同、突然現れた薫にびっくり仰天する。


「お、お前なあ! 出てくんなら先に言えよ」「うるさいわね。今はそんな事どうでもいいでしょ」


 ま、まあそうだけどさ、と、薫に窘められ言葉を濁してしまう刑事。でも、脅かされた手前、納得いっていない表情ではあるのだが。


「で? 被害はまだ出てないの?」「……分からん。俺らも慎重に対応しないといけないから、中の様子までは把握できてないんだよ」


 成る程。と刑事の言葉を聞いた薫は、幼稚園の方へ向き直る。


「じゃあ行ってくるわ」「行ってくるわ、ってお前……、だ、大丈夫なのか?」


「私くらいでしょ? 犯人をどうにか出来るの」そう言いながらニコっと笑う薫。だがその目は笑っていなかったのだが。とにかく、その超絶美女のスマイルに、様子を見ていた刑事やその他警察官達は一様にニヘラとなる。


 そんな彼らの表情を気にせず薫はその場からヒュン、と消えた。「……相変わらずとんでもない奴だな。ったく。笑えばあんなに可愛いのかよ。普段は無愛想なくせに」


 そんな風に刑事が愚痴をこぼしている間に、既に薫は犯人と園児達がいると思しき部屋の扉の傍に辿り着く。中から数人の園児達が、声を殺すように泣いているのが微かに聞こえた。


 怒りを抑えきれず、ギリ、と歯噛みする薫。そしてストラップと化している黒月を具現化する。それは薫が異世界にいた頃に倒した黒龍の骨で作られた業物。スラリと伸びた日本刀スタイルのそれは、歪なまでに黒光りしているにも関わらず、見た者を魅了するであろう不思議な美しさを醸し出している。


 扉の窓から気付かれないよう、そっと中の様子を窺う薫。誰一人怪我してなきゃいいけど。そんな心配をしながら覗いてみると、部屋の隅に園児達十人程度が追いやられ、その中に先生と思しき女性が一人、そして刃物を持った小太りの、無精髭を生やし目が狂気に光っている中年男性が見えた。


 しかもその女性は一糸纏わぬ姿となっており、どうやら園児達がいるにも関わらず、その男は自身の()()()()()()としていたようだ。


 許せない。ここ現代に戻ってきてから久々に滾った怒り。薫はもう遠慮しないと決め、ガララと教室の扉を開けた。


「! だ、誰だ!」ズボンを下ろしこれから女性を襲おうとしていたところの乱入者に慌てふためき、ズボンを上げ真っ裸の女性の背後に周り、首筋に包丁を当てる男。


 だが、薫は意に介さない。突然の来訪者に驚いた顔をしている幼児達の様子を見る。ホッ。どうやら誰も傷ついてないみたい。先生も裸だけど、怪我はしていないみたい。と、それを確認した後、同じく驚いた顔をしている男を見据え、その場からスッと消えると、いつの間にか男の背後に移動し、手に持っていた包丁の刃の部分をグッと握った。


「な、何!?」驚く男。しかも持っている包丁がびくともしない。更に薫は刃の部分を持っているはずなのに、その手は全く切れる様子もない。


「こんな得物に頼らないと何も出来ないくせに……」そう呟いて力の限り包丁を放り投げる。「うわああ!!」」一緒にその男も空中に舞い、ズデーン、と床に落ちた。


 痛みで起き上がれない男の顔にスッと黒月の切っ先を突きつける。……薫から発せられる強烈な殺気を切っ先から感じ、男はガタガタと歯音をさせ、ブルブルと身震いする。


「た、たた、た、助け……て」「……その、助けて、と、この子達も、そこの先生もお前に言ったはずだけど、その時お前は助けたの?」


「お、おお、俺は、俺は、悪くない! 悪いのは、悪いのは、俺をこんな風に育てた親だ!」「だから何? お前の親がどうどかどうでもいい。お前はこの子達と先生を恐怖させた。それだけでお前が完全に悪い」


 そして黒月をヒュンヒュン、と目に見えない速度で振るう。「ヒイイイイ!」突然振るわれた黒月に恐れ慄き、その場で蹲る男。次の瞬間、男の服が切り裂かれ、全裸になってしまった。


「異世界なら速攻お前の首を斬り落としていたところよ。安全な国の住民で良かったわね。まあ、お前のように刃物がないと行動できず、弱い者にしかその刃を向けられない臆病者がのさばる事が出来るのも、日本という安全な国だからなんだけど」


 詰まらない物を斬っちゃったわね、と愚痴りながら、黒月にごめん、と小さく謝罪する薫。そして散乱している女性の上着を取り、それを女性にかけ、それからスマホで外で待機している刑事に、片付いたから中に入ってきて、と連絡した。


 そしてこの後、外から雪崩込んできた刑事達に後処理を任せ、薫はその場を後にした。


「あーもう! またこの後始末を俺がやんのかよ!」という刑事の悲痛な叫び声は、薫に聞こえたかどうかは定かではない。


 とにかく薫にはやらねばならない事がある。それはあの報道ニュースでやっていた、(赤い化け物)についてだ。なので早々に立ち去り調査したいのだ。


「確かに、日本にやって来るように、とは約束してなかったけど。でもそれくらい、気を利かせてくれても良かったんじゃない? ねえ神様?」


 空に向かって愚痴る薫。ようやく掴んだ手掛かりを喜ぶように微笑みながら。その言葉が、神様に届いたかどうかは分からないが。






次回は近日中に更新予定です。

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