十二話
中々更新が進まず申し訳ありません。
既にラストまでの構想は頭の中にありますので、エタる事はありません。
今後も引き続きお楽しみ頂けたら幸いですm(_ _)m
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「分かったな?」
黒服に身を包み、黒い布で顔の殆どを覆い隠す男の言葉に、コクリと頷く、十歳程の女の子。ヒジャブという、黒色で顔以外を覆い隠すためのアラビア特有の民族衣装を着ている。この衣装は、女性の肌をできるだけ見せないようにするための、この地域独特の衣装だ。そしてその腕には、その黒服の若い男から貰ったくまのぬいぐるみを、お腹で抱えるように持っている。
「あそこにバスが停まる。もう既にそれなりに人が集まっているだろう? そのバスに乗って行けば、親元に戻れるだろう」
「でもこれ、貰って良かったんですか?」思ったより重量のある、くまのぬいぐるみを大事そうに抱えながら、上目遣いで確認する少女。
「ああ。餞別だ」そう言って黒い布で顔を覆った男は、少女の頭を撫でる。
それを合図にありがとう、と頭を下げ、少女はバスが来ると言われた停留所の辺りへ、ぬいぐるみを腹に抱え不器用に走っていった。それをビルの影から見送りながら、もう一人、仲間だと思われる同じく黒服の男が、黙って少女の姿を見つめていた。
「タイミングを間違えるなよ」「問題ない。これが初めてじゃないからな」
※※※
「パスポートを見せろ」入り口で警備をしている、自動小銃を抱えた男二人にそう言われ、ネルソンとキャシーは言われた通りにパスポートを差し出す。当然中には取得済のビザも挟んでいるので、警備の男はそれらを確認しながら、今度はヴァロックに視線を移す。そんなやり取りに、またかよ、とややうんざりした表情で、後部座席から様子を見ているヴァロック。
「そっちの男は?」そんなヴァロックに、警備している男のうちの一人が話しかける。
「どうやら紛争地域で迷ったみたいなんだ。記憶を失っている。俺達も彼がどこの国の人間か分からないんだが、見た目からして欧米人だと言うのは分かっているんだ」事情をよく知らないヴァロックの代わりに、ネルソンが助手席から、チェックされた後のパスポートを返して貰いながら答えた。
「それでね、私達が彼の身元を探してあげようと思って連れてきたのよ。赤十字かUNRWA(※ウンルワ。国連パレスチナ難民救済事業機関の事)で聞いてみようかと思って」
「ウンルワ? 難民とでも思ったのか?」
「その可能性も否定できないからな。それにUN(※国連)とも通じてるから、確認する意味はあるだろう?」
ネルソンの返答に多少の疑問を感じつつも、とりあえず理解した様子の警備の男二人。そしてもうこのやり取りは三度目だ。
今三人はここシリアの首都ダマスカスの入口前にいる。ダマスカスは政府派閥シリル派の拠点ともなっている。ここに辿り着くまでに既に二度、同じ様な検問を通過してきていたのだ。ヴァロック達が元々いた場所はレバノンとの国境沿いの、紛争が激しい地域。その辺りはズニ派だけでなく、無差別テロ組織黒いさそりも最近は潜伏しているらしい、との情報が、ここダマスカスに入ってきていた。なので、その辺りからやってくる者に対しては、政府派閥シリル派の彼らは、特に警戒を強めているのである。
「とりあえず、武器所持の確認はさせて貰う」そう言ってヴァロックに、ジープから降りる指示する警備の男。そしてはいはい、と既に三度目なので慣れた様子のヴァロックは言われた通り、ジープからひょいと飛び降り両手を上げた。
そしてあちこち体中を弄られるヴァロック。ちょっとくすぐったいが我慢している。筋骨隆々の赤毛の大男がちょっとクネクネしているのが可笑しかったので、ネルソンとキャシーはヴァロックを見ながら笑いを堪えていたりする。
「武器を持っていないようだし、そっちのジャーナリストの言う通り、見た目欧米系だし問題なさそうだな。で、名前はヴァロック……ね。ラストネームは分からないのか?」バインダーに挟まれたメモに名前を記入しながら、警備の男が尋ねる。
ラストネーム? 首を傾げるヴァロックを見て、ああ、それも忘れてるのか、と判断した警備の男二人は、やや呆れながら揃って肩を竦め、「もういい」と通行を許可した。その言葉にホッとするネルソンとキャシー。ヴァロックにラストネームを確認されたのはここが初めてだったからだ。
「良かった。ここが一番心配だったのよね」「そうだな」顔を見合わせ微笑み合いながら小声で話し合う二人。入口前のここさえ抜ければダマスカスだ。既に二度、検問を通ってきた事に加え、ネルソンとキャシーが外国人ジャーナリストで、しかもこれまでに数度この地を訪れている証明として、パスポートに印がいくつも押されている。更にビザを取得している事から、この二人は相当信用が高い。その事もあって、彼らが連れてきた、記憶を失ったとされるヴァロックも、問題ないだろうと判断されたようである。
そしてキャラバン隊のジープの二人とはここでお別れとなる。送ってくれて有難う、とキャシーとネルソンが、キャラバンから送ってくれた二人に礼を言ってジープから降りる。ヴァロックも続けて後部座席に置いてある荷物を降ろしながら、手を挙げ別れの挨拶をする。彼らも手を挙げ答えながら、そのままジープをターンさせ、土煙を上げながら、元いた場所に走っていった。
そして首都ダマスカスへ歩いて入る三人。入った途端、奥の方から多くの人達の喧騒が聞こえてきた。角を曲がるとすぐさま大通りが目に入り、それを挟むように立ち並ぶ、トタンで出来た多くの簡易屋台。そこから、鼻孔をくすぐる甘い何かの焼いた匂いが漂ってくる。果物やジュースを売っていたり、肉を切り裂いて並べた屋台の机の横で、談笑しながら髭を蓄えた男達が、パイプをふかしている光景も見受けられた。
「ほお、人が一杯いるんだな。あそこみたいに建物が壊れてねぇんだな」奥に歩いていけば行くほど、徐々に賑やかになっていく周辺。ヴァロックが昨日までいたレバノンとの国境地帯の紛争地域とは違い、多くの人が行き交いとても活気に溢れている。あちこちで笑い声や喧騒が聞こえ、商いをしている人々のやり取りも聞こえる。ようやく本当の意味で、異世界に触れた気がしたヴァロックは、好奇心一杯の目で嬉しそうにキョロキョロしていた。それを微笑ましく見ているネルソンとキャシー。
ヴァロックは前の世界で、魔王との戦いが終わった後、一人で各地を旅して回っていた。エルフの村やドワーフの街、更には竜人族がいる山間や、魔族の都市など。新たな土地へ行くのは元々好きで旅好きなのだ。
「ほんと嬉しそうね」ヴァロックがまるで子どもみたいに、目をキラキラさせ周辺を見回す様子を見て、ついクスクスと笑ってしまうキャシー。
「俺に取っちゃ珍しい光景だからな」そんなキャシーにお構いもせず、相変わらず好奇心一杯でずっと辺りを見回しているヴァロック。
「大きなキッドヴァロック。ここから更に人が増えてくるから、迷子にならないよう、俺達から離れないでくれよ」ネルソンもヴァロックの様子ニコニコしながらちょっとからかい気味に注意する。そんなネルソンにわぁってるよ! とちょっとむくれて返事するヴァロック。
そしてネルソンの言う通り、どんどん人混みが酷くなる。まるで日本のラッシュ時の電車の如く人がごった返してきた。徐々に進むのが難しくなってきた三人。
「うおわ! こんなに人がいるのかよ」ぎゅうぎゅう押されながら、大きい体を窮屈そうにしつつ歩を進めるヴァロック。
「中心部に出れば、もう少しマシになるんだけどな。ここは生活圏だから仕方ないんだ。この辺りで一番栄えているからな」
そう言いながらネルソンも、キャシーとヴァロックからはぐれないよう、人混みの中出来るだけ二人のそばにいようと必死だ。それ程多くの人達が、ぎゅうぎゅう詰めで我先に行き交っている。ただ、ヴァロックが一つ頭が抜けて大きい上、赤毛の筋骨隆々な体が目立つので、はぐれる心配はなさそうだが。
そうして歩いていくうち、ようやく人がバラけてきた。「ぷはあ! 凄い人だったな。前の世界でも、祭りの時でさえあんな人はいなかったぞ」ヴァロックが自分が来た道を振り返りながら、呆れ半分感心半分といった感じで呟く。
それからヴァロックが遠目で先を見てみると、眼前には大きな道路が一つ、とある建物に向かって続いていた。どうやらそこを中心に、放射線状にいくつものアスファルトで出来た道があるようだ。そこでは様々な種類の車の往来が沢山確認できた。バイクも沢山往来している。
「おお! さっきのジープっていうみたいな感じの、車輪がついてるのが沢山走ってるな! 車輪が二つしかない馬みたいなのも見える。お、奥になんか頭が丸っこい建物とか、でっかい尖った城みたいな建物も見えるぞ!」
「……相変わらず化け物級の目ねえ」「もしかして、ウマイヤドモスクまで見えてるのか?」
相変わらずテンション高めのヴァロックの言葉に呆れる二人。
ウマイヤドモスクとは、ヴァロック達がいるところから20km程離れた、ダマスカスの中心にあるシリア伝統のモスクの事だ。建物自体は観光名所として有名なのだが、然程高さのある建物ではない。しかもここはダマスカスと言っても端の方。普通の人は、肉眼でそこまで見えるはずはないのである。
「私達はこれからそっちの方に向かう予定よ。もう少し先に行けばバスの停留所があるの。それに乗って移動するから」
ばす? ていりゅうじょ? またも聞いた事のないワードに首を傾げるヴァロック。二人は再度説明するより、行って見たほうが早いだろうと、不思議そうな顔をしているヴァロックを引き連れ、停留所に向かった。
そして少し歩くと、十台程のバスが不規則に停留していた。その中に、シリア中心部へ向かうバスが一台待機しているのを見つけたネルソンが、「おーラッキー! 丁度来てたみたいだ!」と、おとなしい雰囲気なのに珍しく嬉しそうに叫んだ。シリア中心部へ向かうバスは定期便なのだが、時間にルーズなお国柄のせいで、時間どおりに乗る事が出来ない事もしばしばで、下手をすると日をまたいで次の便を待つ必要があったりする。なのでネルソンは喜んだのだ。
「ほお。あれがばすってのか。幌馬車のデカイ奴って感じだな。多くの人を運ぶくるまって事だな」ヴァロックがふむふむと顎に手を当て感心した様子でバスについて語っている。そしてそうだよ、と嬉しそうに返事するネルソン。そんな二人を横目に、早速キャシーがバスに向かい、三人分のチケット購入を済ませて戻ってきた。
このバスはどうやら日本製のようで、所々に日本語表記の広告が残っており、吊り革にまで日本語の広告がいくつか残っていた。色は元々緑色のようだが、かなり使い古されているようで表面はあちこちサビて剥げている。どうやら中古のバスが何処かの国を経由して入ってきたのだろう。ただ、窓は完全に外れ開いたままなのだが。
そんなやや危なっかしいバスに嬉々として乗り込むヴァロック。図体がでかいのもあって一番奥の席に行くようキャシーが指示する。そして三人と他の乗客十五人程度が乗り込んだところで、バスはすぐに出発した。
「馬車より速いな。こんだけ人乗せてるのにすげぇな」バス独特の排気ガスの臭いに怪訝な表情をしながらも、全開の窓から入ってくる風を心地よさそうに受けながら、ヴァロックが感心している。ほんとこの世界の文明は発達してるなあ、と心の中で呟きながら。
そしていくつかの街を経由しながらバスは進む。三十分程走ったところで、ポツポツと外国人の姿も見えてきた、外れの街よりも一層反映しているのが見て取れる、近代的なビルもちらほら見える停留所にバスが停まる。そこでかなりの人が降り、また乗り込んできた。
乗り込んできた乗客の中には、重そうなくまのぬいぐるみを持った少女もいた。