1:天国って異世界ですか?
──起きたら、そこは違う世界だった。
◇ ◇ ◇ ◇
宇佐美紫苑。日本人の男子。高校3年生で誕生日を迎えていないからまだ17歳。誕生日は8月1日。血液型はA型。冬にある大学入試のため、受験勉強に励む受験生。得意な科目は理科で、苦手な科目は国語。好きな食べ物は唐揚げで、嫌いな食べ物はピーマンとパプリカと茄子。性格はどちらかというと静かな方で、あまり目立つことを好まない。
特別なことは何も無い、ごく普通のどこにでもいるような男子高校生だ。
「紫苑くん、今日ねクレープの新作が出たんだ。今から食べに行かない?」
友達はそんなに多くない。大勢ではしゃぐのが苦手というのもあるが、なんの取り柄もない奴が特別好かれるということはないだろう。
ちなみに、紫苑は自分にあまり友達ができないことに悩みを持った時期があった。入学式の日にクラスの人達がまるで前から会ったことがあるかのように仲良くしている姿を見て焦りを感じたのだ。何故、みんなすぐに仲良くなれるのだろうか、と。積極的になろうと話しかけてみても話は続かず、諦めた。友達は無理に作るものではない。そういう結論になった。
正確には覚えていないが、高校1年生の後半だった。高校で初めて友達と呼べる人が出来たのは。スイーツが大好きで、可愛いものが好きな童顔の男の子。名前を田浦信大。纏っているオーラがふわふわしていることから、初めは女の子だと紫苑は認識していた。よく見たらズボンを履いていたので男だとわかったのだけれど、やっぱり男装した女の子にしか見えない。
信大は、落ち着きがなく、放っておけないような危なっかしい性格。彼を見かけるたびに紫苑はそう思っていた。運んでいるプリントをばらまくし、何も無いところで転ぶ。階段を上っている時にコケたのを後ろから見たこともある。
いつかは忘れたが、転びそうになった信大を支えてあげたことがあった。たまたま近くを歩いていて手の届くところにいたから、ただそれだけが紫苑の理由だった。そうなのだが、『ありがとう! やっと僕の王子様が現れた!』的なことを言って目を輝かせながら手を強く握られ、何故か周りから拍手が起こった(恥ずかしいしかない)。それからというものの紫苑に信大がくっつくようになったのだ。
「悪いな信大。今日は俺、帰らないと」
「そっかぁ残念だなぁ。もしかしてあの子?」
「あーうん。ごめんな」
「いいよいいよ。また明日ね」
「うん。じゃあな」
信大は本当にスイーツが好きだからなぁ。今度、言ってた新作のクレープを奢ってあげよう。
終礼が終わって、部活に向かう生徒や帰宅する生徒で廊下が混んでいる。人と人の間を縫うように通り抜け、軽く走って進んでいく。
目的地は学校の正門。そこには、信大の誘いを断る理由になった人物が紫苑を待っている。
その人物と紫苑の関係は、幼馴染と言ったところだ。母親同士が中学時代からの友人で家も近いため、共に育てられたようなもの。
小学校に上がるなり、登下校はいつも一緒。クラスが離れても正門で待ち合わせをして帰っていた。中学に入ると部活で終わる時間も異なり、一緒に帰れない日もあったが、時間が合う日は一緒に帰る。
いつの間にか、それが紫苑にとって当たり前となっていた。それは相手も同じのようで、終わる時間が同じ、またはすぐであれば正門で待つ。高校に入ってもそれは変わらない。
靴を履き替え、走って正門に向かう。
そこには既に紫苑を待つ人物がいて──。
「やっときた。ちょっと遅かったね」
ツヤがあって切り揃えられた綺麗な黒髪に、硝子玉のように輝く綺麗な目を持った女の子。名前を白石美紅。
「ごめん」
「いつものことでしょ」
「そうかな」
「うん。さぁ、帰ろっ」
いつものように横に並んで歩く。
学校から家までは、そこまで遠い距離ではない。歩いて15分ほどだ。
学校の前には『川』が流れている。コンクリートの壁に覆われているため人工的な水路とも言えるが、砂利があり植物が生えている。だから『川』が正しいだろう。
そんなことはさておき、その川の上に架かる橋を渡り、しばらくまっすぐ行く。すると広い道に出る。そこにはスーパーやゲームセンターなどのお店が立ち並んでおり、商店街のようになっている。その道沿いの一角に住宅街があり、その中の一つが紫苑の家だ。美紅の家も紫苑の家の近くにある。
「しーくん、今日夢を見た?」
「え、夢...? なんか見た気がするんだけど、思い出せないや」
見たという記憶はあるが、思い出すことが出来ない。
夢といえば、起きてからすぐ《忘れてしまう夢》としばらく《忘れられない夢》がある。《忘れてしまう夢》は忘れてしまっているからなんとも言えないのだが、《忘れられない夢》は怖い夢であることが多い。また、怖い夢に限って繰り返し同じものを見ることもある。
紫苑には一つだけ《忘れられない夢》があった。場所はいつも違う場所なのだが、髪の長い女性に追いかけられる。多くの人がその女性に捕まらないように逃げるのだ。絶対に捕まってはならない、捕まったら殺される。何故かそう感じて走る。本当のところはわからない。いつも捕まるギリギリで目が覚める。
でも、今日見た夢はその夢でないことは確かだ。
どうしていきなり夢の話なんだろう? もしかして、いつものやつかな。
小学生の頃の、まさに今のような帰り道だった。モアイ像の話をし始めた。その話題については、国語の授業でちょうどモアイ像についての評論文をやっていたことからだろう。
『しーくん、モアイ像って何で出来てるのか知ってる?』
『石じゃないの?』
『そう、石なんだけどね。ただの石じゃないんだって』
『どうゆうこと?』
『隕石なの』
『えっ?!』
『昔、地球に落ちてきた隕石がたくさんイースター島にあってね、島民はそれがすごく邪魔で困ってたんだって。どうにか退ける方法はないかって考えたの。それでね、お顔を掘って像にしてしまおうって案が出たの』
『で、でも1列に並んでるモアイ像はどうやって動かしたの?』
『それが謎なんだよぉ。力持ちの巨人がいたわけでもないし...』
美紅は、たまに突然変な話題を振って来ることがある。よくあるうんちくみたいなものだ。誰から何処から入手したのかわからないが、知り得たことを披露したいのだろう。
今となっては、紫苑もその話が馬鹿げていることはわかる。でも、美紅が話したこの話が真実なのか、冗談なのかはわからない。
紫苑は、たまに出てくる変な話を聞きながらも、本気にはしないようにしている。きっと作り話だろう、と。本当の話だったらあっ、と驚けるし、冗談だったらやっぱりね、で終われる。少なくとも恥をかくことはない。
「で、その夢がどうしたの?」
とはいえ、美紅の変な話は何となく気になる。
「夢はね、まだまだわからないことが多いの。わかっていることがないと言ってもいいくらいに」
「......」
「予知夢ってあるでしょ? あとから起こることを夢として見るもの。そんな能力があるだなんて信じられないけど、実際に予知夢で未来を当てたっていう人もいる。私も欲しいな、そんな能力。しーくんも欲しいでしょ?」
「まぁ、どちらかと言えば欲しいかな。でも、未来がわかってしまうと楽しくないかもよ」
「予知夢のいい所と悪い所の考え方は人それぞれだよね」
予知夢だけでなく、全てにおいて人それぞれだろう。
内心そんなことを思いつつ、紫苑は美紅の話に耳を傾ける。
「予知夢って誰でも見てるんだって」
「でも、俺は未来を夢で見たことなんてないよ? それは美紅だって同じでしょ」
「うん、ないよ」
「じゃあ、その話は間違いだよ」
「それがね、そうとも言いきれないよ。未来をそのまま見るんじゃなくて、何かの暗号になってたりするんだって。たまに変な夢見ない? あれが何かを示してるらしいよ」
それを言ってしまったら、見る夢全てが予知夢になってしまう。変な夢も何も、夢というもの自体が変なのだ。現実ではありえないものばかりを見るのだから。
「あとね、『あれ、これ前にもあった気がする』って思う時があった時はね、忘れてるけど夢で見てたりするんだってさ」
「本当に同じことしてたとかじゃなくて?」
「違うよ。例えば、つい昨日出会った人とチャットしてて、絶対にありえないのに不意に同じ会話をしたことがあった気がするって思った時ってこと」
「ふーん」
今日の話は、いつも通り現実味のない話だけど、本当かもしれないって思う自分がいるんだよな。
確かに、紫苑には何度かそんな気がした時があったにはあった。でも、同じようなことを他の人としたのだろうと片付けてきた。
その話がもし本当で、夢でその時の光景を見ていたら──。
1つの話題で学校から家付近まで来たことから、10分近くこの話をしていたらしい。小学生が話しそうな話題を話す高校生。美紅の話に何故かいつも最終的に引き込まれてしまう紫苑は、次こそは引き込まれないぞ、と今回も思う(紫苑自身は引き込まれていないつもりだが、結構引き込まれていることは内緒)。
家の近くのスーパーでは、夕飯の買い出しをしに来たであろうおばさんや子連れの女性がたくさんいるのが外からでも伺える。
横断歩道には、学校帰りであろう小学生が大きなランドセルを背負い、手を挙げて車が止まってくれるのを待っている。
銀行の隣には、何かを建設中の工事現場があり、高い足場が組まれていた。
いつもと変わらない街並みでも、その日その日によって違うところもある。昨日はなかったお店が今日出来ていただとか、古い信号が新しく取り替えられていただとか、そういうことだ。
「しーくんって、いつも歩いてる時キョロキョロしてるよね。何か探してるの?」
「いつもと違うところ」
歩きながら街の間違い探しをすることが、昔からの癖だった。している意味は特にない。ただ、発見できた時の嬉しさが心地よい。
「違うところか...」
「そうそう。美紅も探してみたら?」
「こんなに近くにいるのに...」
「どうい──」
──ガシャーンンンッッッッッ!!!
「あ、え...?」
紫苑には、理解出来なかった。美紅の今の言葉はどういう意味だったのか。だから聞こうとした。どういうことなの、と。
突然大きな物音があった。それと同時に地響きが足に伝わってきた。地震が来たのかと思った。しかし、その地響きはすぐに終わった。
辺りが騒がしい。今の物音と地響きにパニックになったのだろう。悲鳴をあげる女性、泣き叫ぶ子ども、腰を抜かす老人。一体、何事なのだろうか。
「ねぇ、美紅。何があったのか──」
──美紅がいなかった。
振り返り、後ろを見た。美紅がいたはずのところには、鉄骨が無造作に積み上げられている。誰がこんなところに置いていったのだろう。
「は、はやく救急車を呼べ!」
「人が、人がぁぁ......」
山のように無造作に積み上げられた鉄骨。その下の地面は赤い何かで濡れていて、今も尚広がっている。その隙間から飛び出た──手。それは人間の手だった。血にまみれ、指という指がありえない方向に曲がっている。その近くには自分と同じスクールバック。そして──
『このうさちゃん、可愛いでしょ』
──美紅のウサギのキーホルダーが付いていた。
「う、そだ...ろ?」
まだ確証はない。たまたま同じキーホルダーを付けていた人が巻き込まれたのかもしれない。きっとそうだ。そうに決まってる。
「君、近寄ったら危ないぞ!」
誰かが紫苑に向かって叫ぶ。だが、紫苑には届かない。
違うよ。これは美紅じゃない。この手は美紅の手じゃない。違う。違う違う。違う違う違う違う違う違う。
鉄骨の隙間から中を覗く。暗くて見えない。
「に、逃げろ。また落ちてくるぞ!」
「......え」
その声は、遅れて紫苑に届いた。
気がつくと、辺りは暗かった。
コンクリートに寝ているような硬い感覚。
突然襲ってくる──激痛。
「うぐっっっっっあ"ぁぁぁう"」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
このまま自分は死ぬのだろうか。だめだ、まだ美紅の安否を確認していない。死んでしまった方が楽なのではないだろうか。だめだ、美紅を探さなきゃ。痛い痛い痛い痛い痛い死んでしまいたい楽になりたい。だめだ、美紅を──。
短いようで長い生涯だった。
紫苑は優しい母と間抜けな父の間に生まれ、大切に育てられた。幼稚園生の頃、よくおねしょをしていた。その度に申し訳ない気持ちになって泣き叫ぶ紫苑を、母は怒ることなく優しく抱きしめた。小学生低学年の頃、父の背中を見て卓球を始めたが、なかなか成果が出ず飽きて辞めてしまったこともあった。両親には迷惑かけっぱなしだ。
あぁ...信大にクレープ奢ってないや。
信大は本当にお菓子が大好きな男の子だった。お弁当の後には、必ずお菓子を食べている姿を見る。鞄の中にも必ず2、3個のお菓子。ご飯を食べに行っても、デザートは必ず頼む。食べていない日はないのではないか、むしろ食べない日を見つけ出してみたいと紫苑が思うほどよく食べている。
そんな信大だが、人を思う気持ちを強く持っている。紫苑が落ち込んでいれば、励まそうとお菓子を渡してきたりする。何も言わなくても気がつくのだ。紫苑にとってそれが難敵でもあるが、つい笑顔になってしまう。信大らしい慰め方だからだ。
美紅、何を言おうとしてたんだよ...。
普段は普通の女の子だ。友達といるのを紫苑も見かけるが、変な話をしている様子は全くない。
幼稚園生の頃から小学校低学年頃までは、色々な人に都市伝説だったり、豆知識のような話を楽しそうにしていた。周りの子達は、その話目当てに美紅にねだったりもしていた。いつからだろうか。美紅はそのような話を周りの子達にはしなくなった。紫苑には、昔のように話すのに。
理由は紫苑にはわからない。何かあったのかもしれない。変な子だと思われるのが嫌だったのかもしれない。でも、真実は美紅しか知らない。
何これ、走馬灯ってやつ?
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い痛い痛い痛い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。
やがて、痛みは熱さに変わっていった。
手は動かせた。この熱さはどこから来ているのか。感覚はわずかしかない。息をするのが精一杯だ。無意識にみぞおち周辺に手が伸びた。硬い感触が指に伝わる。
腹に突き刺さってるっ。
「あ"ぅ...ぁ」
こんなにも痛くて熱いのに、そう悲鳴をあげているのは脳内だけ。息をするだけでも痛い。もう足はピクリともしない。鉄骨に触れた手は、指先しか動かなくなってきた。
俺、ここで死ぬんだ...。
そう思った瞬間、眠気が襲ってきた。ここで寝てしまえば楽になれる。
目を閉じた。いつも眠りにつくように。すると、だんだん意識が遠のいていき──。
──あれ、これ前にもあった気がする。
ふとそんな気がして、消えた。
◇ ◇ ◇
「んん...」
鳥のさえずりのような声が聞こえた。朝、紫苑が目覚めた時によく聞く雀のような可愛らしい鳴き声だ。
天国にも、鳥なんかいるんだな。
重たい瞼がゆっくりと開く。久しぶりに開けたような感覚で、目に入ってきた光は痛いほど眩しかった。
あー、すごくふかふかしたところに寝てたみたいだし、きっと雲の上なんだろうな。
雲に乗ってみたいというのが紫苑の幼い頃の小さな夢だった。絵本でも、雲の上で寝そべる主人公の姿が描かれていた。白くてふわふわしていそうな見た目から、綿菓子と同じくらいふわふわしているのだろうなとイメージして、その上に乗ればふかふかしていて気持ちよく寝られる、と思ったのだ(勿論、その夢は壊されることとなったのだが)。
現実は紫苑の期待を裏切った。
目を開けて視界に入ってきたのは、『天井』。
重い体を動かして寝返りをし、うつ伏せの状態から腕の力で体を起こす。そこで目にしたのは『枕』だった。
「え、もしかしてベット?」
ベットに寝ていた。雲ではなくベット。それも紫苑自身のものではなく、知らないベットだった。真っ白でとても広い。ダブルベットよりも大きいだろうか。足を伸ばして寝そべっても、あと子ども1人くらいは寝られそうなくらい余裕がある。
周りを見ると知らない部屋だった。広さは学校の教室くらいの大きさだろうか。ベットの他に壁際に机と椅子、隣には小さな本棚がある。
中には何冊か本が置いてあった。その本を手に取って開いてみるが、知らない文字だった。紫苑には、読めそうもない。
「ここ、どこだ...?」
ベットから下り、すぐ隣の窓を開けてみる。冷たいが心地よい風が一気に部屋の中に舞い込む。それは、レースのカーテンと紫苑の髪を揺らした。
お城のようなとても大きな屋敷だ。この屋敷はコの字の構造になっているのだろう。左右で同じ構造の建物が、この窓から見える。広い庭には大きな噴水があり、植物が綺麗に整えられていた。
「すごいな...」
それにしても、今は何時なのだろうか。時計がないから時間の把握が出来ない。どれくらい眠っていたのだろう。さっきの瞼の重さはしばらく意識を戻さなかったせいなのか、単純に疲れているだけなのか。
鳥のさえずりのイメージといえば朝だが、昼間でも鳴いていることはあるから時間把握の材料にするには適切ではない。
「でもおかしいな。鳥の姿が見えない」
これだけ聞こえている鳥のさえずり。巣にいる雛が親を呼ぶために鳴いているような騒がしさ。しかし、その鳥の姿は見えず、空にすら飛んでいない。一体どこで鳴いているのだろう。
ふと、屋敷の片隅に何が動くものが視界に入った。それは、ひとつではない。3体ほどいるだろうか。生き物であるのことは間違いない。
よく目を凝らして見る。だんだんピントが合ってきて──
「まじかよ...」
それはファンタジー物語などでよく出てくるのと似ている──翼竜だった。