高草荘日記帳その肆
神階迷宮についての一コマ
ある春休みの日常のことだ。
いつものように、桜の根元から顔を出した幽霊さんにお供えをしていた時、うちのアパート前にある道路を、とんでもない勢いで通り過ぎた人影があった。
――何今の? 異世界では実在するマッハ婆さん的なアレなの?
と、私は好奇心で塀から顔をだし、通り過ぎたそれを見る。
「やっべ! 遅刻遅刻! クランの先輩に怒られるっ!!」
そこには、おびただしい量の札を張った大剣という、何とも中学二年生時代の心くすぐる武器を持った青年が、食パン咥えながら全力疾走していた。
それをしばらく見つめた私は、ウンと一つ頷いた後、オーナーさんにもらったこっちの世界の携帯電話を起動させる。
「えっと……こっちの世界で110番って何番?」
『言いたいことは分かるがやめておけ。あれはこの世界では普通のことだから』
私の質問に答えてくれた美人幽霊さんの声は、相変わらずの渋いバリトンボイスだった。
…†…†…………†…†…
「あぁ、それは迷宮探索者だね。近所に大型クランの寮があるらしいから、そこの子じゃないかな?」
「迷宮探索者?」
「そうだよ」
そろそろ異臭がしてきたコクゥン先生の部屋に突撃し、さび付いた洗濯機を強制起動しぶん回す中、私は先生の部屋を掃除しつつ、今朝あった不思議な光景について尋ねてみた。
「君も時々見たことがあるだろう。あの塔から延びる光によって空に映し出される異界を」
「あれ、ああいうアートじゃなかったんですか?」
「流石に、あそこまで大規模なアートをなんの収入もなしに定期的に作ったりはしないんじゃないかな……」
あの塔の維持費だってばかにならないんだよ? と、高校の歴史教諭らしい先生は、苦笑いと共に、現在も空にうっすらと浮かんでいる逆さまになった大地について説明してくれた。
「あれの名前は《神階迷宮》。学者の間じゃ《神の階》なんて呼ばれる、正体不明の異空間だ」
「随分キザな名前ですね!」
「神の階だけに?」
いえ~いと、ネタがうまくいった私たちはハイタッチを交わす。何この先生、面白いな?
「発見されたのは第三次世界大戦のちょっと前だね。あれが第三次世界大戦の引き金になったといっても過言じゃない」
「第三次? 三回も世界大戦あったんですか?」
「あぁ、英雄君がいた世界じゃ二回しか世界大戦がなかったんだっけ? いいなぁ……面白い歴史たどってるなぁ……暇さえあればそっちの歴史も知ってみたいんだけど」
「今度高校の教科書持ってきてあげますね?」
「かたじけねぇ! かたじけねぇ!」
「いいってことよ!」
この人高校教諭なのにかなり話しやすいな。と、私は驚きながら、
「その代りこれからは定期的に洗濯してね?」
「だが断る!」
「家賃三倍~」
「僕だけ振れ幅おかしくない!?」
――誰にも迷惑かけない∑さんと違って、あなたの場合は周囲に多大な迷惑がかかるでしょうが!
と、憤る私に先生は思わずと言った様子で首をすくめた。
「だ、第三次世界大戦の話だったね! この世界では三回、世界大戦が行われているんだ。第一次は魔神によって行われた魔族を使った人類種殲滅戦争。これは、異世界から召喚された勇気英雄という召喚勇者が、仲間とともに魔神を討伐することによって幕を閉じた」
「……その勇者って」
「うん! キミのオジサンとおんなじ名前だよ? いやぁ、偶然の一致って恐ろしいね。それとも異世界じゃ普通な名前なの?」
「……まぁ、そんな感じです」
以前聞いたオジサンの話が全部本当なら、多分オジサンはご本人らしいのだけれど、この人に話していないのならそれを教えるのもまずいだろう。と、私はその勘違いの訂正をしなかった。
「第二次世界大戦は……まぁ、ありきたりな理由だよ。イウロパ各地で起こった経済危機が勃発させた、いわゆる金の戦争だ。『国庫の金……なければ他から奪おうか?』というスローガンが、当時の日ノ本で発行された風刺漫画で描かれているね」
「中々に辛辣ですね……日ノ本の風刺」
「まぁ、所詮対岸の火事だったからね。世界大戦なんて言っても、基本イウロパ中心で起こった騒乱だし。結局戦争特需で経済危機を脱したイウロパは二年ほどでその大戦を終結させちゃうんだけど……戦争特需で潤った経済が終戦の勢いについていけなくてね……。しばらくしたらまたお金がないってことで、今度はどこから奪おうかと頭を悩ませ始めたわけさ」
「話聞いていてたまに思うんですけど、イウロパ屑すぎません?」
その時、隣の203号室で何かがばたりと倒れる音が響き「どうしましたイリス!? 不出来な子供の失敗を指摘されたような顔していますよ!?」と、シンさんの悲鳴が聞こえてくる。
「なんだ? まぁ、あの二人のことだからまたシンさんがやらかしたんだろうけど……」
「慣れてますね……」
「実際なれる程騒動のネタには事欠かないからね、あの二人は。で、話の続きなんだけど。再び経済危機に陥ったイウロパは、第二次世界大戦の敗戦国から搾り取れるだけ金を搾り取って、もう他から奪えるお金がない状態だった。当時おもな資源収集場所だった天空大陸も……うん。どうしたの何か言いたげな顔して?」
「……いえ、べつに」
そういえば、昨日の金曜○ードショーは天空の城だったな。と、ちょっとだけ現実逃避をしつつ話の続きを私は促す。
そりゃそうだよ。異世界だもん。大陸が空に浮いていてもなんの不思議もないよねっ!
「まぁいいや。マリューヒルも、当時はすでに第二次世界大戦の隙を付いて独立していてね。今のリメリカになっていたから、資源収入源としては全く当てにできなくなっていたんだ。そんなとき、一人黙々と技術を磨いていた日ノ本が、あるとき発見してしまったのさ。頭上に広がる無限のフロンティア。積層に重なる、異空間をね」
「それが神階迷宮?」
「そういうこと!」
ガーディアンなりなんなりがいて迷宮の攻略は困難を極めたそうだが、その迷宮は苦労に対して十分すぎる報酬を日ノ本に与えた。それは、
「日ノ本全土に匹敵する広大な土地。そして、そんな土地が個別に広がる各階層ち……その大地に眠る、豊富な資源さ!」
「……お宝とかではなく?」
「一度売り払ったら金に化けるだけのお宝なんかじゃ国は動かないよ?」
割とシビアすぎるそのお話にわたしは夢も浪漫もないなと呆れながら、黙って話の続きを聞いた。
「まぁ、神器級のアイテムが出たりはするらしいけど……」
「神器まであるんですね……」
「現存しているのは日ノ本だけだけどね。物の保存技術に関しちゃこの国の右に出る国はないと言われている。っと、話がそれたね。そんなわけで日ノ本は、当時廃止されていた傭兵制度――迷宮探索者=《楽士》まで復活させて、新たな人類の可能性であるフロンティア――神階迷宮の攻略に乗り出したんだけど、その迷宮探索が本格的に始まる前にあるケチが付けられた。なんだかわかるかい?」
「え? う~ん」
唐突に学校の先生みたいな質問を投げかけてくるコクゥン先生に驚きながら(よくよく考えたら先生だったわね)、私は話の流れからその答えを予想した。
「話の流れからして、イウロパが関与しているんですか?」
「その通り。当時《国際国交連盟》――国連に参加していた日ノ本に対し、イウロパサイドから待ったがかかったのさ。その神階迷宮の権利がうやむやになっている以上、勝手な開拓と神階迷宮で産出された資源の使用は承服しかねるってね」
「え? 権利って……」
そんなもの、日ノ本にあるに決まっていると私は思う。
こっちの世界でも領海問題やら北方領土やらで揉めることはあるけど、それは領海付近だったり、条約の有耶無耶化などが問題になっている曖昧なラインでの話だ。
今話されている神階迷宮は、日ノ本領空内にあり、出入りする手段も日ノ本が見つけたという話だ。どこをどう言いつくろったところで、日ノ本の資源であることは疑いようがなかった。
「国連に参加していたイウロパ諸国曰く、《領土・領海・領空に関しては条約に明記されているが、違う次元位相空間に関する所有権は条約に明記されていない。そのため神階迷宮は日ノ本固有の資産とは言い難く、国連でその所有権を採択する必要がある》ということだった」
「な、なんて屁理屈……」
「今でも割ととり沙汰にされるよね……。各地の神階迷宮で莫大な資源が見つかったら『それお前の国のじゃないから国連で採択する必要があるよね?』って。まったく、国を代表する政治家が子供みたいな水掛け論をするじゃないよ……」
「まったくです。って、各地で?」
「そう。それは話のオチだからちょっと待ってね」
そういうと先生は、《神祇板Mark:Strike!!》というわけのわからない名前の携帯を机に置き、そこから空中にホログラム画面を投影し本格的な授業を開始した。
…†…†…………†…†…
「ごほん! というわけで、神階迷宮の出現によって世界は莫大な量の資源を得る可能性が出てきた。当然それを日ノ本に独占させるなんてことはありえない。むしろうちの国にこそ所有権がほしいってことで、とりあえず世界各国の思惑は一致した。そこでひとまず日ノ本から取り上げようぜってことで、国連採択の際は、あくまで所有権を主張する日ノ本の意見は完全封殺できる、多数決によって決められたという。当時、国連に参加できるほどの先進国のほとんどはイウロパの国だったし、多数決での採択ならまず負ける可能性がなかったしね」
「当然日ノ本は国際法にのっとり『迷宮はあくまで我が国の領空にあった資源であり、所有権はこちらにある!』と所有権を主張し続けたんだが、条約に明記されていないってなしのつぶてでね。結果強引に採択に持って行かれそうになった時、ストレスでとうとう日ノ本の外交官が切れちゃったんだ」
「外交官にあるまじきキレっぷりで、泣きながら正論を立て板の水のように国連理事たちに浴びせかけたみたいだよ。当時の動画も残っている。ネタ動画に加工された奴だけど……。え? その時の国連理事の反応はって?」
「『はははは! さすがは獣の国ですな。頭まで野獣に戻ったと見える。意味不明な蛮族語で語るのやめていただけません? 英語も話せないとかホント猿ね』だって。いや、マジでマジで。意訳だけど本当にこんな感じのニュアンスの言葉が発せられたそうだよ」
「結局日ノ本はその場で国連からの脱退を宣言。これ幸いと言わんばかりにイウロパは、『世界に対して反抗的な態度をとった』ということで日ノ本に宣戦布告をかました」
「そして日ノ本は負けたのかって? まさか! そっちの世界じゃどうか知らないけど、よく考えてごらん明子ちゃん。日ノ本は神階迷宮に行くに当たって、次元転送システムを完成させているんだよ? つまり、日ノ本には時空間を操る術を持っていたということだ」
「確かにイウロパは第二次世界大戦にあたって大いに軍事技術を伸ばしていた。日ノ本以外の国が相手取れば、一息に揉み潰される程の技術を持っていた」
「でも、次元転送技術を持っている日ノ本の軍勢に対し、通常兵器は意味をなさない。空中戦艦や航空機の周囲には空間をゆがませて、飛来した物体を虚数空間に圧縮保存するフィールドが張られていたし、取り込んだ物体を任意の場所に出現させることも可能だった。自分の砲弾で戦艦が次々鎮められていく光景に、イウロパ地方から派遣された日ノ本征伐軍は白目をむいたらしい」
「とうとうイウロパではどうしようもなくなって泣きを入れたリメリカからも、臨んだ援軍……マリューヒル大陸を支配していた古竜による大魔術攻撃などの支援も得られず、技術供与された最新火力兵器――《核兵器》は、海上で会敵した現在の日ノ本陸上自衛隊陸将に傷一つつけられなかった……。そこまでやって彼らはようやく気付いたのさ。眠れる虎の尾を踏んだのだってね」
「そうしてイウロパが攻めあぐねいているうちに、日ノ本と秘密協定を結び技術を得ていた隣の大国――央国上空で、日ノ本の神階迷宮とは違った新たな神階迷宮の存在が確認され、それが全世界へと通知された」
「同時に広められた神階迷宮の有無の確認方法を使って、イウロパも慌てて神階迷宮の存在を調べてね。イウロパ地方一帯を覆う神階迷宮の存在が、そちらでも確認されたのさ」
「これで戦争は終わったと思うよね? ところがどっこい。そうはいかない。日ノ本は神階迷宮の存在を確認する方法は教えたけど、その迷宮に入る方法を教えなかったんだ。情報の開示を求めるイウロパの国々に対し、国連に再度召集された日ノ本の外交官が返した返事がまた痛快でね!」
「『すいませんが、蛮族語を話せない人の言葉は分からないので、頭を獣にして話していただけません?』だってさ! 結局日ノ本は自らと戦争していない国にのみ、神階迷宮への進入技術を公開し、一度も国土を侵略されていないのに無条件降伏をしたという異例の終戦方法を選んだイウロパは、神階迷宮攻略最後発国として、世界中の笑いものになったというわけ」
…†…†…………†…†…
「さて、これで第三次世界大戦――通称《大惨事・迷宮争奪大戦》の略歴は終わりなわけだけど、何か質問ある?」
「はい、先生!」
「はい、明子君!」
それにしてもこの先生、ノリノリである。
洗濯機が止まった音が実は一時間ほど前から聞こえているんだけど、説明に集中していた先生にはそんな音聞こえなかったのか、一切気にした様子を見せていなかった。
まぁ、私もコミカルにこの国の歴史を話してくれる先生の授業に引き込まれていたので、その音を無視していたわけなんだけど……。
「結局神階迷宮はその後どうなったんですか?」
「いい質問だね。結局のところ神階迷宮は全世界に存在することが確認され、そのすべてに莫大な資源が眠っていることも認められた。各国はひとまず諸外国との戦争を停止し、神階迷宮の攻略に乗り出し、そこから今でも多くの資源を産出し自らの国を潤している。日ノ本には戦争を呼び込んでしまった疫病神になってしまったが、最終的にこの迷宮は世界平和を唯一実現させた存在だと言えるだろう。そして、やっぱり日ノ本でも同じ扱いだ。探索にケチはついたが、世界的に迷宮の攻略は国是だ。探索者や、ガーディアンを起動するコアを破壊した階層攻略者には、莫大な富と名声――そして一生で使いきれないほどの資源がある土地の所有権が与えられるため、今でも多くの一攫千金を狙う《旅団》や、日ノ本自衛隊、そしてフリーランスで迷宮の探索を行う楽士=《冒険者》などが日々迷宮に潜り、様々な冒険活劇を繰り広げながら、迷宮から莫大な資源を持ち帰っている」
「なるほど」
見た目や技術が、私のいた世界の現代的なものだから、そういったファンタジー要素は住んでいる獣人たちくらいかと思っていたが、なかなかどうして……このコンクリートジャングルな現代社会にもファンタジー要素は息づいているらしい。
さすが異世界、パネェ。
「というわけで、明子ちゃんもたまに凶器を持ってうろついている人がいたとしても、その凶器にお札が巻いてあれば、それは《楽士》だから通報したりなんかしちゃいけないよ。あの札を使って凶器の殺傷能力をなくしているんだから、全然危ない人なんかじゃないしね?」
「は~い」
そうして先生の話を聞き終った私は、とっても面白い話を聞けたと満足しながら、止まった洗濯機に向かう。
そして、その蓋を開くと……。
「うっ……」
洗濯したてのはずの濡れた服から、えらいにおいが漂っていた。
――そういえば、長く放置された洗濯物は臭くなるとどこかのネットニュースで見たことがある。
そんな事実をいまさら思い返し、私はそっと部屋の中の先生の様子をうかがった。
「いやぁ、今回は主任に邪魔されなかったから、思う存分歴史の話ができたなぁ。普段の授業もこんな授業がしたいんだけどな……。まったく主任も、学習行程がどうのこうのって堅いんだから」
「…………………」
――まぁ、あの人なら多少服が臭くても気にしないだろう。
と、自己完結。何事もなかったかのように私はその洗濯物を干して、そそくさと先生の部屋から出て行った。
…†…†…………†…†…
後日、やっぱり異臭がするということで、先生は主任さんに盛大に怒られたそうだ……。