高草荘日記帳その参
日ノ本の住人についての一コマ
私が高草荘に来てから一週間ほどたったころだった。
いつものように朝早くにクローゼットをくぐってこちらの世界にやってきた私は、住人は誰もしない高草荘周囲の掃き掃除をしていた。
そんな中、朝早くから元気に笑って駆けていく小学生くらいの子供たちを見かけた。
「異世界でも、子供の元気さは変わらないか~」
――ふっ。私にもあんな若いころがあった。
なんて、たいして年を取っていない癖にそんな言葉をニヒルに決めて見せる。
そんな中、私は子供たちを見てあることに気付いた。
「……獣人、多くない?」
子供たちの頭に揺れる獣の耳と、多種多様なふさふさの尻尾に。
…†…†…………†…†…
「あぁ……。こ、この国はもともと獣人の……というよりかは、他種族の受け入れに寛容な国だったからね。人以外の人種も結構いるのよ」
「海外は違うの?」
「か、海外は人と異種族の迫害の歴史だよ……。ひ、ひも解いたら奴隷とか、人種差別とか、獣人蔑視とか、異形戦争とか、いろいろ出てきちゃうけど……そういうこと、聞きたいわけじゃ、ないんでしょう?」
「ノーシリアスでお願いします」
というわけで、この世界について色々わからないことが多い私は、年がら年中部屋にいるうえ、漫画を描く上で結構勉強しており、いろんな雑学を知っている∑さんに話を聞きに来た。
∑さんは相変わらず顔を覆い隠す振り乱した髪を揺らしながら、ゆらゆら揺れつつ私の質問に答えてくれる。
――それにしても∑さん……昨日掃除したところなのに、もう散らかして。
散らかっているのは主に書き損じた原稿ばかりなので汚くはないのだが……単純に散らかっていて見栄えが悪い。
臭いがない分、時たま洗濯物を放置して異臭騒動になるらしいコクゥン先生よりかはましだけど、それでも多少は気づかってほしいと思う今日この頃だ。
「こ、この国はもともと人と獣人が共存する国だったんだ。いや、正確にいうとちがうかな……。正確にいうと、人が獣人と同一視される国だったんだ」
「人と獣人を同一視って……」
だいぶん違うけど? と、私は獣の耳と尻尾を思い出しながら首をかしげた。
「それが海外での人間が獣人に対して思う感想なんだけど……。この国は神話の時から進んでいてね……」
そういうと、∑さんは普段はぼそぼそとしか発しない声を張り、意外ときれいだった声でこの国の神話を、昔話形式で語ってくれた。
…†…†…………†…†…
『昔々ある処に、一つの宝石がありました。宝石の名前は賢気朱巌命。彼は混沌に満ちた何物でもない空間を漂っており、ひとり寂しく暮らしていました。ある日、かれはとうとうそんな毎日に飽き、二人の神様を作りました。流刃天剣主と、流慰天瞳毘売です。ですが彼らは混沌の中では生きていけませんでした。仕方なく賢気朱巌命は、混沌を両断し、天と地を作り、自らは天に住み、地に二人を住まわせました』
『ですが、そこで予想外のことが起こりました。彼が作り上げた大地には彼の力の痕跡が大いに残っており、その力の痕跡から、多くの神々が生れ落ち、大地に住み始めたのです』
『とはいえ寂しさの解消という目的は達しました。騒がしくなった大地に満足した賢気朱巌命は、まぁいいやという寛大な気持ちで、大地に生まれ落ちた彼らに知恵を与え、天にてのんびり暮らしました』
…†…†…………†…†…
「雑ですね、賢気朱巌命。実に雑」
「ほ、本当の神話的にはもう少し葛藤なりなんなりがあるんですよ!? ま、まぁ……結論に関しては変わらないんですけど。多分、お、大らかな神だったんでしょうね……」
「で、この神話がどうして獣人と人が共生する理由に?」
「ま、まだ続きがあるんですぅ!」
…†…†…………†…†…
『その後、神様たちが住む土地の覇権を巡った争いやなんやが起きたのですが、今回は関係ないのでバッサリカット。最終的に流刃天剣主の一族がこの世界の統治者となり、やがて多くの命で満ちた大地は、背の高い草が生えている場所が多かったことから、高草原と呼ばれるようになりました。そんな中、高草原に住まう神々は、やることがなくて退屈していました。何せ神様なので、何もしなくても生きていけたからです』
『徐々に、手持無沙汰でボーっとするようになった神々を見て、これはいけないと賢気朱巌命は思いました。そこで彼は、大地の下にもう一つ大地を作り、そこを神々の箱庭として与えました』
『とはいえ、ただ島を一つ与えられただけでは、神々は何をしていいのかわかりません。そこで神々は、その島で生れ落ちた獣たちに、賢気朱巌命をまねて知恵を与えることにしました。知恵を与えられた獣たちは、やがて二本足で歩くようになり、神々と同じように争い始めました。それを見かねた神々は、知恵を与えた獣たちを統治する王として、流刃天剣主の息子である大和高降尊を派遣し、なんやかんやあって大和高降尊はその血の争いを収め王様になりました――これがのちのこの国の皇族=神皇家となったのです。そして平和になった世界でくらすその獣たちを、神々は慈しむようになり、退屈な日々から脱却することができたのでした』
『めでたし、めでたし』
…†…†…………†…†…
「つ、つまり、この国に住んでいた人たちはみんな獣が二本足で歩くようになった存在から生まれたもの。各種族にはそれぞれ獣の子孫がおり、それに神々が知恵を与えることによって、今の姿になったのだと教えられてきたわけですね……」
「なるほどなるほど……。つまりに人にも、祖先となる獣がいるといわれているの?」
「その通り……」
「……ちなみにそれって」
「ひ、英雄さんから聞いているから。そっちの世界とおんなじだよ」
「オゥ――」
ダーウィン涙目じゃないかしら。と、呆れる私の脳裏には、小学生の頃理科で習った進化論の挿絵が浮かんでいた。
「ち、ちなみに昔の日ノ本では、獣人たちは耳や尻尾で分類分けして《○○型獣人》って呼んでいたらしいけど、今は差別的ってことで二足歩行と知恵を持っていれば《人》と呼ばれるようになっているから、獣人とか言わないようにね? あと、そういった歴史的背景を知らない海外の人が、日本の文化に合わせようとして人のことを猿型獣人って呼んじゃう場合があるけど、怒っちゃだめだよ? この国古来の文化的には、むしろそっちが正しいの。バカ猿って言われたら明らかに蔑称だからキレていいけど」
「異世界は奥が深いわね……」
――神話一つでそこまで文化が変わるのか……。
と、私は一つ賢くなった気分で、散らかった∑さんの部屋でお茶をすする。そして、
「じゃぁ∑さん。その神さまに与えられた知恵を使って、ちょっとこのお部屋の掃除頑張ろうか!」
「あ、私魔族だから、こっちの国の神様はあんまり関係ないんで……」
そう言って原稿に戻ろうとする∑さんの肩をガシリと掴み、恐る恐る振り返った彼女にわたしは微笑みを向けた。
「片付けろ。大家命令だ。また踏まれたいのか?」
「我々の業界ではご褒美です!」
そう言いつつもいそいそと廃棄原稿をゴミ袋に詰めはじめた∑さんを見て、私はそっとため息をついた。
――ところで、いつも思うんだけど、この人が言う我々の業界っていったいどこ? と、ちょっとだけ首をかしげながら。
…†…†…………†…†…
「ところで、∑さん」
「な、な~に、明子ちゃん? パンツくれるの?」
「家賃三割増し確定」
「チャンスを頂けませんかっ!?」
「じゃぁ質問を一つ。オーナーさんの名前って……」
「私に答えられることは何もないみたいだね、うん!」
「………………」
明らかにごまかしにかかった、∑さんの食い気味の返答に、私は虚ろな笑いを漏らした。
――うん。そっか。知らない方がいい事なんだね。うん。私は何も聞いてないよ?
と。