プロローグ:高草荘日記帳その壱
注:息抜き用の短編集です。
同シリーズ《蔵書の女神の箱庭》の世界観を受け継いだ物語が展開されます。
こちらのシリーズを読まなくてもお楽しみいただけますが、読んでもらった方がより物語を楽しめる可能性があります(保証はしない)。
知っている方は知ってくれていると思うので……まぁ、気楽にお読みください。
では、では――始まり、始まり。
「……………」
両親が死んだ。原因は、ありきたりな交通事故。
幼いころから共働きだった両親が、私が高校をあがったことを期に、久しぶりに二人同時で長期休暇を取り、家族サービスをしようと計画したものだったらしい。
もう高校生にもなった私にとっては、その気づかいは少々面はゆいものではあったが、悪い気はしなかった。
だから私は春休み、新しい学校に思いをはせながら、両親に温かい気づかいに甘え三人で旅行に出かけたのだ。
まさか目的地に向かうために乗った高速道路で、トラック同士の玉突き事故に巻き込まれ、両親を同時に失うなど考えもせずに……。
「かわいそうに……。これから高校だっていうのに」
「幸いなことに、保険が下りたおかげで高校に行くくらいはできそうだという話だが……」
「数か月前まで中学生だったんだろう? 誰か面倒見てやらないと……」
「誰が! 言っておきますが、うちにそんな余裕はありませんよ!」
「う、うちだって……今年子供が大学受験で」
「うちはカツカツの自営業で、子供を養うなんてとてもじゃないけど……」
まだ両親の葬式の場だというのに、後からひそひそと親戚たちの相談が聞こえる。
普通のサラリーマンであった二人が残した保険金など微々たるものだ。高校の間の生活を保障する程度の金額でしかない。
引き取ったところで、余計な養育費がかかるうえ、ほぼ自立していると世間的には見られる高校生である私。できれば独り暮らしなりなんなりをさせて、関わり合いになりたくないという親戚の気持ちが、ありありと感じ取れた。
ギリッ。と、私は思わず唇をかみしめる。
――私だって、私だって……!
「おう! 元気していたか、メイっ子!」
――あんた達なんかに養われたくない!
思わずそう言いかけた私の口を閉ざしたのは、葬式では不釣り合いすぎる、底抜けに明るい声だった。
驚いて振り返ると、そこには喪服ではなくド派手なアロハを着たサングラス装備の不審者がいた。
というか――父さんの弟らしい昔馴染みのオジサンがいた。
「ハワイでフィールドワークしてたら、妹から兄貴死んだって聞いてさ! もうマジびっくりしてとんぼ帰りしてきたわ。ひょっとして焼香とか終っちゃった? まだ間に合う?」
「え、えぇ……。まだ大丈夫だと……おもいます」
当然お葬式を取り仕切ったことなどなく、段取りなどはおばさんたちにまかせっきりだった私はその判断がつかない。
ただ後ろを振り返ると、頭が痛そうに親戚連中が頭を抱えているのが見えた。
多分ダメだったんだと思う。
でも、オジサンはそんな周りのことなど気にした様子も見せず、「マジで! ありがとうメイっ子!」と、やはり不釣り合いな快活な笑顔と共に焼香台へ直行。父さんと母さんが納められた棺桶に、パシパシと軽快な柏手を鳴らして祈りをささげた。
それを見ておばさんが胃を抑えて苦しみだすが、
「ったく、情けねぇな兄貴。ガキ残して先逝くんじゃねぇよ。嫁入り姿見るまで死ねないなんて言ってたくせによ……」
私はちゃんと聞いていた。柏手に紛れて、オジサンが悲しそうな声でそう言ったのを。
そしてオジサンは、たっぷり三分ほど無言でお祈りをした後、コミカルな動きで私を振り返り、やはりさっきと変わらない不釣り合いな笑みで、
「ところでメイっ子! お前この後どうするつもりだ?」
「え?」
「就職選ばず進学したんだ。まさか兄貴たちが死ぬなんて想像していなかっただろうし、就職先を探そうにも、今の時期じゃちょっと難しいだろう。それじゃぁ、独り立ちなんて夢のまた夢だ」
「……それは」
「なにより兄貴たちは、せめて高校は出したいってことで、最低限の遺産を残したはずだ。兄貴を敬愛していた弟としてはその遺志をむげにするのははばかられる。そこでだ!」
そこで、私は幼いころ、父さんに聞かされたオジサンのある法螺話を思い出していた。
『いいか、明子。本当にどうしようもない事態に陥った時は、お父さんと一緒にオジサンも頼りなさい』
『どうして? ミミ叔母さん言ってたよ? 叔父さんはじしょーみんぞくがくしゃのプータローだって』
『ま、まぁ、世間一般の評価はそんな感じなんだけど……。でもね、あいつはとってもすごい奴なんだ』
そう言った父さんの顔は、今私の前に鎮座しているオジサンの顔にそっくりな、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「ちょっと、俺が副業としてやっている大家業を引き継いでくれないか? 一応アルバイトという体だが、収入は月二十万。これだけあれば生活費は当然問題ないし、大学だって行ける! そのうえやることは設備管理と、家賃徴収だけっていう簡単なお仕事なんだが……」
『あいつはね……魔法使いなんだ!』
普通にきけば怪しすぎるオジサンが紹介するバイト。でも、今の私はなぜだか悪戯っぽい父さんの言うことに従うことに、躊躇いは覚えなかった。
「や、やります! やらせてください、オジサン!」
「そう来なくっちゃ!」
指を鳴らして私の手を取るオジサンの姿は、確かに私にとっては魔法使いのようだった。
…†…†…………†…†…
「まぁ、本当に魔法使いだとは思っていなかったんだけど……」
「あら? どうしたの、大家さん。そんなに黄昏ちゃって?」
そうして、とあるおんぼろアパートの管理人へと就職した私――勇気明子は、一階のボロボロの縁側に座りながら、星が見え始めた夕焼けの空を見上げる。
真上の部屋のベランダには、ドMとオジサンが紹介した、見た目は好青年のシンさんと同居する可愛らしい外国人の少女――イリスさんが座っていて、ぼーっと空を見上げる私を不思議そうに見下ろしていた。
「いや、世の中何があるかわからないもんだなって……」
「あぁ、まぁそうねぇ。私もまさか、魔神と殺し合って次元のはざまに投げ出された勇者から、姪っ子を紹介される時が来るなんて思ってなかったわ」
平然と……嘘のようなホントの話らしいオジサンの来歴を紹介したイリスちゃんは、
「でもまぁ、慣れておきなさい。ここじゃそのくらいのこと、幾らでも起こりえるんだし」
「そう……ですね」
私がそう言った瞬間だった。
都心中央にそびえたつ、逆さにした漏斗のような形状の巨大なタワーから、レーザーのような光が天空に向かって発射されたのは。
発射されたレーザーはそのまま大気圏へとのびつづけ、やがて見えない何かに激突。
大空全体に巨大な波紋を走らせながら、天空にさかさまになった大地を映し出す。
《神の階》――こちらの世界の人が《神階迷宮》と呼ぶ、人類未踏のフロンティア。それが天空に現れた大地の正体。
当然、私が住んでいた常識的世界にはそんなものは存在しない。
当たり前だ。世界中のどこを探したところで、レーザービームで次元がずれた世界に冒険者を送り込む特殊機関などあるものか!
魔法が平然と科学技術の一つとして登録された挙句、それを物理的に解明する学問なんてあるはずがない!
日本在住、埼玉出身、生まれも育ちもジャパニーズで、海外なんて一度も行ったことがない私が知らないだけかとも思ったけど、イリスちゃんが言うには、この世界ではこれらの技術はごくごく一般的に普及していると聞く。つまり、私が外界の情報を完全遮断した引き籠りでもない限り、この世界ではこれが常識として知られているらしい。
ならば、もう私は受け入れるしかないのだろう。
私のクローゼットに珍妙な鍵穴をつけたオジサンが紹介したこのおんぼろアパート《高草荘》が――にあるアパートだということを。
「まぁ、このアパートはちょっと変わった住人が多いけど……。慣れれば悪いところじゃないわよ。とりあえず常識を二、三枚ぶち破ったら過ごしやすくなると思うから、頑張ってなれてね~」
そう言ってけだるげに笑うイリスちゃんが、背後を振り返り、
「じゃ、私はちょっとそろそろ一か月目の瞑想に入っているバカをたたき起こしてくるから」
「あ、はい」
夕方だというのに、昼間のように明るい光を放ち続ける室内へと向き直る。そして、瞑想状態からいかなる手段をもってしてでも目覚めてくれないシンさんをたたき起こすべく、手品のように出現させた、工事用のスレッジハンマーを肩に担いで、部屋の中へと消えて行った。
そんな彼女を見送りながら、私は縁側に用意したお茶をすすり一言。
「お父さん、お母さん。明子は……現在異世界で元気にやっています」
勇気明子――15歳。職業、埼玉県立時宮高校一年生 兼 異世界のおんぼろアパート《高草荘》管理人。
この物語は、奇妙な叔父さんに紹介された、奇妙なアパートの住人達と私による、特に何の盛り上がりもない、日常の物語である。