黒穢玄龍と言う男③
ヨシキはじわじわと内股で距離を離していく。
格闘の圏外から出ようとしているのだ。しかし歩みはおぼつかず、普通よりは遅い。男には素早い決断が求められた。もとより一足で届く距離ではない所を更に離されてしまっては。
「テメェの無力を噛み締めてくたばりやがれェエエエエーーーーー!!」
――――――――ガチン。
「れ?」
脱力が、銃を向けられていた男の背中から見てとれるようだった。
そう、ヨシキは既に銃弾を撃ち尽くしていた。あのとき、野次馬や刑事に向かって撃ち放った時に――――。
振り向く。ヨシキは既に潰れきった睾丸が縮み上がるのを感じた。放たれる眼光の熱量たるや、まるで見た自分の脳が灼かれるような――。
「クソ……畜生……」
ヨシキは銃を捨てた。銃で殴った方が威力はあろうがしかし、それよりも己の肉体にある技に信頼をよせる思いの方が強かったのだろう。
「本当なら、お前ら二人とも、殺せと言われている。だがあの男は良い。許した訳じゃないが、まだ生きていても許せる。
――お前はダメだな。死ぬべきだ」
「テメェが決めんじゃねえええ!!」
ヨシキのジャブたるや、神風のような速さである。
一秒三発、空を唸らせ男の顔面へ浴びせかけられようとした。
しかしその三発目が無造作に放たれた男の拳と重なった刹那、枯れ木を折るような無感動な音がした。
指が皆あらぬ方向に曲がって潰れてしまっている。
うおあと吠えながら右ストレートを放ったヨシキであるが、そちらもまた同じ結果に終わるのである。
「――我が黒穢流の初歩は、己が拳の骨を一本一本砕き癒すことから始まる。幼少の頃からだ。治りやすいからな――――。
精々喧嘩のためにかじった程度のチンピラとは骨の質からして違う。
噛み締めろ、自分の無力さをな」
涙を眼にうかべながら、ぐちゃぐちゃにねじまがった両手を広げて、待ったかけるように目の前に差し出す――ヨシキ。
その唇が薄汚い繰り言を吐こうとしたその一瞬前には、部屋が地震のように震え、男の体がヨシキの懐にあった。
凄まじい踏み込みである。
一撃により重い威力を乗せるための、反力。すなわち踏みつけた地面から跳ね返ってくる力を手に入れるための震脚である。放たれるは縦拳。右左と二発。一発一発丹念に、胸骨を擂り潰すように撃ち込まれる。
肺が潰れたのだろう。ぶひゅうと紙風船が潰れたような声が出た。男の体が半回転し、刹那。凄まじい瞬発力をもって肩からヨシキの心臓の中心へ全体重が叩き込まれた。
人間がもっとも打撃に適した部位を上げるなら、通常は四肢。しかし、男はあろうことか肥大した肩をもって全体重の体当たりにて、ヨシキの巨体を魔法のように窓へと吹っ飛ばした。
ガラスを破り、空へ躍り、地面へ激突する体。
それを唖然と最前列で見ていた機動隊の一人が、震える声で呟いた。
「……なんだこりゃ……スレッジハンマーでも使ったのか…………?」
無論のこと、絶命していた。