幕間:孤高と孤独
教会の三角屋根のてっぺんで、リョウはのんびりと横たわっている。
快晴だ。空は青い。
眩しい太陽が照りつけている。だが風は少し冷たく、かすかに秋の臭いがあった。
できれば本格的に寒くなる前に旅立ちたい、と思っていた。
「でも、とうぶん動きたくないんだよなあ……」
リョウはごろりと寝返りを打った。
地平線の先に、黒い大地が広がっている。東の方角だ。そのものズバリ「黒地」というらしい。
あそこで生える植物の全ては、黒ずんだ色になる。
地下からは絶えず高濃度の魔力が溢れ出ており、魔物が常時自然発生している。なので人は暮らせず、権力の空白地帯になっている。
その向こう側に「皇国」とやらはあるらしい。
正式名称は「ギルモア大皇国」。世界で最も強大で歴史の古い国家だ。
「ま、ぼくが行くのは真逆の方角なんだけどね」
リョウは伸びをして、身体からだるさを追い出した。
あれからすでに三週間が経過している。
町にたどり着いたロロットとアネットは、その足で、ベルナールの知り合いだという神父を訪ねた。アルフレッド、という名前の神父で、人の良さが服を着て歩いている男だ。
リョウは教会に着くなり、礼拝堂の片隅で力尽き、目覚めたのは三日後だった。というか、よく生きていたものだ。いまでは傷も大分よくなり、痛みも引いた。強化特典様々である。
アネットはいま、アルフレッド神父の元で修行している。霊術とかいう、回復と強化に特化した魔法を習得するらしい。
ロロットは、ギルドへの報告やら何やら、慌ただしく動いていたようだが、リョウが目覚めるころには姿を消していた。
もちろん探し回った。だが分かったのは、陰気な黒ローブの女が、東を目指して旅立ったらしい、という情報だけだった。
行き先は神父にもアネットにも告げなかった。彼女は元々、自由な冒険者だ。当然なのかもしれない。
だからリョウは、当初の予定どおり、スタート地点を目指す。
まず向かうのは北西の鉱山都市アルノアである。このあたりの中心地で、領主の城もあるらしい。
そこから街道に入り、山岳地帯をぐるっと北上。
目的地のデルナは、観光地として栄える町だそうだが……どうも世間の情報とリョウの記憶が違う。確かめねばなるまい。
狩人の村には、近々アルノアの職人たちが入るそうだ。
すでに多数の兵士が入っている。村長のアルマンは捕らえられて公開処刑された。罪状はただひとつ――「魔石の鉱脈を隠蔽しようとした」罪。誘拐も殺人も人身売買も無関係らしい。この倫理観に慣れるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
クレスたちが何をしたかったのかも、結局分からずじまいだ。
リョウは「くるくる」と小剣を持て遊びながら、物思いにふける。
クレスのものだ。セヴランのナタより大分扱いやすく、威力もある。この数日で扱いもうまくなった。
衛士たちの訓練場で、槍の鍛錬に勤しんだりもした。
教官が型を披露してくれるので、ものすごく参考になった。日本に居た頃のリョウなら、ただの間抜けなダンスにしか見えなかっただろう。でも、実戦を経たいまなら、あの訓練がいかに重要かわかる。
身の入り方も、ひょっとしたら衛士たち以上のものがあったのかも知れない。
訓練の最中、シモンの槍が半ばから割れてしまった。
もともと槍というのは消耗品で、なおかつリサイクルが基本らしい。穂先を回収する箱と、新しい槍が沢山おいてあった。
だがリョウは、せっかくなので町の武具屋で一番高そうなものを頂戴した。
かわりにシモンの槍の穂先だけを置いておいた。なんせ二人の〝竜殺し〟が相次いで使った業物だ。無価値なはずがない!
すでに窃盗に忌避感はなくなっている。リョウは誰にも気付かれないので、そうしなければ食料も確保できない。
「世知辛い世の中なんだよなー」
着ている服も、もう日本の制服ではない。
あれはボロ雑巾になってしまった。いま着ているのは、やはり勝手に頂戴した麻服だ。ふんどしを締めるのにも慣れた。
ちなみにこの世界――少なくともこのあたりの文化では、女性もふんどしを締める。アネットもそうだった。まだ村にいた頃、干してあったアネットの下着を、そうとは知らず顔を拭くのに使ったことがある。
(いや分かんないって。ほんとただの布なんだもん)
あとで気づいた時、リョウは生まれて初めて鼻血を吹いた。貴重な経験だった。二度とないと思いたい。
「……」
アネットは、今日も礼拝堂で祈りを捧げている。
日々のお勤めだ。ああやって精神を整え、「信」に「向」かう「心」を育てるのだと、アルフレッドが言っていた。信は仰ぐものじゃないらしい。妙に日本語チックな表現で分かりやすかった。原語ではどう表現しているんだろう?
ともかく、祈るアネットの目は真剣そのものだ。そこに懺悔やら贖罪やら、とにかく後ろ暗い感情はない。ただひたむきな目。
笑顔でないのは残念だが、アネットの新たな魅力に気付かされる、凛々しい姿だった。
もう大丈夫だ。彼女は大丈夫。
家族の死にふさぎ込むこともない。自分の不幸を嘆くこともない。
きっと自分の力で、運命を切り開く。妖精さんもお役御免だ。
だから、リョウは今日、旅立つ。
いつのまにやら旅装は完璧である。少し厚めの布服に革鎧を着込み、古典ファンタジーのようなダサいマント。これが侮れない。くるまるとそれだけで温かい。
手に持つのは、この街一番の業物の槍。腰にはクレスの小剣。
カバンの中には、この町で一段と書き込みが増えたノートや、妖精さんことペンライト、意外と役立つ裁断バサミなど、いろいろ入っている。
その姿で。少しだけたくましくなった姿で、礼拝堂の像を見上げる。
この宗教――青炎教が崇める神、正確にはその教えを広めた聖者の像らしい。キリスト教に似た一神教だが、あちらほど強引な布教は行っていないのか、この世界では多数派というほどでもない。
それでも、神は神。教会は教会だ。
毎日たくさんの人が訪れて祈りを捧げている。みな、彼にどんな願いを託しているのだろうか。
そのほとんどは聞き入れてもらえないだろう。神さまは肝心な時に限って助けてくれない。
そもそも神もまた、ただの言葉だ。それに何を見出すかは、人それぞれなのである。
(それでも……)
ぎりり、と思わず奥歯が鳴る。
ベルナールは死ぬべきじゃなかった。彼こそが主人公だった。
リョウはただの傍観者で、居ても居なくてもよかった。
なぜこんな世界に、こんな能力を持って呼ばれた?
これが神とやらの仕業なら、リョウは全身全霊で呪ってやるつもりだった。
ベルナールだけじゃない。
クラスメイトのみんなも。
狩人のセヴランも。
ヴィクター、セルジュ、シモン。そしてクレスだって。
リョウは助けたかった。
自分がもっと力があれば、もっと上手くやれれば、彼らは死なずに済んだのだろうか?
傲慢かも知れない。異世界転移、妙なチート能力を与えられ、はしゃいでいたのは間違いない。
自分にもできると無邪気に信じて、それが上手く行かず、ヘソを曲げているだけの子どもなのかもしれない。
それでも。
それでもせめて、自分が出会った人たちだけは、生きていて欲しかった。
そして一緒に泣いたり、笑ったり、怒ったりしたかった。
ただそれだけなのだ。リョウはただ、彼らと一緒に生きたかった。
力なんて要らない。上手くやれる方法なんて無くてもいい。
ただ誰か。誰か一人でも、ぼくの声を聞いてくれたなら――。
そこまで考えて、リョウはふと、頭の片隅で何かが弾けるのを感じた。
そして神妙な面持ちで、聖者の像を見上げる。
「もしかして、あなたも同じ気持ちなの?」
答えはない。リョウの声は誰にも届かない。そして、リョウも神の声など聞こえない。
像はただ、いつでも変わらない慈愛の眼差しで、礼拝堂を見下ろしている。