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超絶に影の薄い僕は、異世界で誰にも気付かれない。  作者: 竜王零式
第一部:孤高の異世界冒険譚
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7.王子と乞食



 ロロットは、両親の顔も名も知らない。

 物心ついた時には孤児院にいた。そこに至る経緯も、今では知る由もない。


 5つのときだった。伯爵位を持つ貴族に引き取られた。

 大きなお屋敷で、それまでとまったく違う、お姫様のような生活を送った。いま思い返しても夢のような日々だ。寝床はいつも温かく、食事は美味しく、家人はみな優しい。自由に外に出られないのは不満だったが、屋敷には沢山の書物があり、退屈はしなかった。


 たまに、孤児院のことを思い返した。

 ほかの子どもたちはまだ、あのひもじくて寒い、冷たい日々を送っているのだろうか。

 そう思うと、彼らに対する同情と、こみ上げる優越感があった。


 ――きっと自分は選ばれたのだ。幸福な人生を送る権利を得たのだ、と。


 とんだ思い違いだった。最初から間違っていた。


 十歳の誕生日を迎えた日、初めて養父に犯された。


 いまだ幼い身体である。耐え難い激痛と、おびただしい出血。ロロットは激しく泣き喚いたが、養父は気にもとめなかった。それから毎日、昼夜を問わず蹂躙された。

 はじめから、ロロットはそのために「買われた」のだった。養父は養父ではなく主人で、ロロットはお姫様ではなく奴隷だった。これまでの温かな日々はすべて、単なる「おもちゃ」の手入れだったのだ。


 ただ、そんな日々も長く続かなかった。

 ほどなくして、主人が国家反逆罪で捕らえられ、処刑されたからだ。

 当時世間を騒がせていた、第一皇子暗殺事件の首謀者だったらしい。

 伯爵位のおいえは取り潰され、財産のほとんどが没収された。本来なら、ロロットも性玩具として、奴隷市場に上る運命だった。


 そうならなかったのは、元の主人の実兄が、ロロットを引き取ってくれたからである。

 変わり者で、伯爵家の長子に生まれながら、出奔して魔術学院に入り、そのまま導師として独立していた。

 独身男の悪い見本のような男だった。住処も身なりもみすぼらしく、食事にも頓着しない。ほとんど他人と関わりを持たず、ロロットとすら滅多に口をかない。


 自分がしっかりしなければ、とロロットは思った。家事などしたこともない十歳の少女が、あれこれと苦心しつつ、何とか人並みの暮らしが送れるようになったころ、男はようやく、ぽつぽつと語りかけてるようになった。

 と言っても、魔法の話しかできない男だ。気がつけば、ロロットもそれなりの魔法知識を得ていた。

 十五の誕生日には、成人祝いにと魔導具までもらった。


 男が亡くなったのは、その一ヶ月後だった。

 いまきわに、自分がもう奴隷でないことを知った。ロロットを引き取るために、彼は全財産を投げ売っていた。


「おまえは自由だ。これからは好きに生きなさい」


 男――師の遺言どおり、ロロットは好きに生きることにした。

 冒険者になりたい、と密かに思っていた。

 幼いころに読んだ物語の影響だ。自分もいつか、血沸き肉踊る冒険に身を投じ、人々に語り継がれるようになってみたい、と。


 念願かなって冒険者になったあとも、いろんなことがあった。

 確かに、幸せな人生ではなかったかもしれない。

 だが、不幸一辺倒でもなかった。むしろ思い返せば、充実した人生だったのではないか。波乱万丈と言えば、聞こえもいいだろう。

 それこそ、本に記す時間がないのが惜しいくらいだ。


(まさかこんな終わり方をするとは、思ってなかったけどね)


 ロロットは自嘲しつつ、呪文を完成させる。


「【剛發ガルム】」


 肉体強化の魔法。魔法の力が全身にみなぎって、身体能力が一時的に向上する。

 そうして俊敏に短剣を拾い上げ、黒装束の喉をかっ裂いた。


「かはっ」


 血しぶきを上げ、「どう」と地面に倒れる。


(一人目。さて、何人道連れにできるかしら?)


「くそ、そいつに構うな、追え!」

「させない、【風撃オン・ドゥ】!」


 風のハンマーが、一人を打ちつけてふっ飛ばした。そして、さらに呪文を詠唱する。


「【宙域ガイラ】」


 窒息の呪文だ。詠唱も短い、優秀な殺人魔術。

 が、自ら息を止めるだけで対処できる。対象はそれを知っていたようだ。


(ち――)


 舌打ちする間も無く、横合いから斬撃が飛ぶ。

 キィン!

 間一髪、短剣で受け止める。それなりに心得はある。魔法を使う際にいつもこれみよがしに振りかざしていたのも、ただの魔導具だと錯覚させ、近接戦で意表を突くため。

 だが、相手は双剣使いだった。続けざまに二の太刀がとんできて、胸元が裂ける。


「くっ……【風撃オン・ドゥ】!」


 膝を打ちつけ、体制を崩す。そうして、喉元を突き刺して致命傷を与えた。


(二人目)


 ざっと状況を確認する。

 まだ動いているのは三人。こちらに弓を構えるクレスと、ベルナールたちを追おうとする小剣の男。


 あの岩巨人ウェルグはもう、魔法の範囲外だ。


 最初に【風撃】を受けた男はまだ倒れ伏せているが、直に起き上がるだろう。


 状況は良くない。いや、はっきりと悪い。

 しかし、ロロットは覚悟を決めていた。彼らはアネットの正体を知っている。その利用価値を知っている。どうせロクな目的ではあるまい。いまは流浪の身だが、祖国の平穏を脅かす輩は捨て置けない。


 そしてなによりも――。


(〝恩人〟のためだもの。まだまだ働かなきゃ)


 ロロットは次の呪文を唱えるべく、魔石を握る手に力を込めた。



 ベルナールはただひた走る。アネットの手を引いて。

 町はもう、目的地はもう目の前だ。

 振り返る気はなかった。このまま町まで一気に走る抜けるつもりだった。

 しかし――。


「ベルナールさん、ロロットさんが!」


 アネットの悲鳴に、思わず足が止まる。

 振り返ればロロットの姿がない。

 かと思えば、走りもせずに、最初の位置で独り戦っている。

 そのおかげなのだろう、こちらを追いすがる人影はあまりに少ない。


「ロロット、何やってる!?」


 ベルナールは怒鳴り、続いてアネットの尻を叩いた。


「走れアネット!」


 そうして、着た道を駆け戻る。力の限り全力で走る。

 だがあまりに遅い。脇腹を貫いた矢傷が原因だ。痛みを我慢したところで、どうしても体幹に不都合が生じる。


 ――冗談じゃねえ、いまさらさよならなんて無しだぜロロット!


 焦燥が募る。自分の不甲斐なさに腹が立った。あのバカ真面目が、妙な使命感を持っているのは気付いていた。


 だがまさかここまでとは。彼女が残ると知っていたら、自分も一緒に戦っていた。


 ――いや、だからか。


 ベルナールは歯ぎしりし、余計な思考を捨てた。いまはとにかく走る。ロロットの元へ。一直線に。


 しかし、立ちはだかる者があった。


「そこを退け、こぞう」


 岩巨人ウェルグの剣士だ。ベルナールより一回り大きい。腕まわりは二回りか、三回りか。構えた肉切り包丁は、冗談のような大きさだ。


「はっ、岩巨人ウェルグごときが人間の言葉しゃべってんじゃねえよ。死にたくなかったら回れ右しろ」

「くだらん辞世の句だな」


 岩巨人ウェルグは吐き捨て、大剣を無造作に薙ぎ払った。


(うお……っ!)


 戦斧で受け止めるが、重すぎる一撃だ。ベルナールの巨体が「ふわっ」と宙に浮いた。

 驚愕する間もなく次の一撃が飛んでくる。

 これを踏み込みつつかわし、ベルナールは果敢に突進した。


「む……!」


 意表を付かれたのか、岩巨人ウェルグの顔が驚愕に見開く。

 が、振るった斧は「つか」で受け止められ、ベルナールはそのまま押し飛ばされた。

 開いた間合いに、鉄塊が飛んでくる。それを、斧で叩き落とす。


 凄まじい打ち合いが始まった。


(この野郎、でかいくせになんて反応してやがる)


 見かけ倒しの長物など、懐に入れば終わりだと思っていたが、この岩巨人ウェルグは手練れのようだ。この鉄塊で剣術を使う。

 この分厚さでは、ふつうの剣のようにへし折ることもできない。なのに手数は、並の剣士をはるかに越える。


 正直言って分が悪い。


「こぞう、諦めろ。貴様に勝ち目はない」

「うるせえ、てめえこそさっさとそこを退きやがれ!」


 ベルナールは咆哮し、全力で斧を振るった。




 びゅっ、と風を切る音。


 クレスの一射だ。ようやく視力が回復したか。正確無比な彼の腕を信頼し、ロロットは心臓をかばうように半身を向けた。


 ずぶり。


 肩口に衝撃と激痛。こらえて、唱えていた呪文を完成させる。


「【灼弾ラグド】!」


 飛ばした火球が、駆け出していた小剣男の背に命中する。炎はまたたく間に燃え上がり、男を丸焦げにした。

 倒れた男はまだ生きているようだが、治癒魔術を施さない限り立ち上がれまい。


 だが、ロロットの傷も深い。


(三人目。でも、ここまでかしらね)


 内心ぼやきつつも、敵に向き直る。

 矢をつがえるクレスと、もう一人、曲刀を構えた男がにじり寄ってくる。


「ここはいい。おまえは娘を追え」


 クレスの言葉に従い、曲刀の男が駆け出した。止めようと動くと、脚に矢が突き刺さる。


「ぐっ!」


 ロロットは地面に膝を付いた。


「随分と手こずらせてくれたな」


 矢をつがえつつ、クレスは言った。矢尻は、ロロットの眉間をまっすぐ狙っていた。


(さすがにスキがないわね。でもここまでやれば、〝恩返し〟には十分かしら?)


 ロロットは微かに笑みを浮かべた。

 そうして、あることを思い出していた――。




 ――あなたはどうするの?


 セヴラン宅で、ロロットがその質問したあと。


 ベルナールは手紙を差し出したまま、しばらく無言だった。ロロットはそれに手を伸ばそうともしない。


 蝋封に付いた家紋が問題だった。


「こんないわくありげな物、おいそれと受け取れない」


 ベルナールは自嘲的な笑みを浮かべて手を下げた。


「なあ、ロロットねえさん。ちょいと昔話をきいてくれねえか」


「……手短にお願いするわ」

「ははっ、手間は取らせねえ。なに、馬鹿なガキんちょの話さ。そいつはちょっとした屋敷の跡取りだった。だが聞かん坊でちっとも落ち着きがねえ。いつも抜け出して町へ繰り出してた」


 ある日のことだ。

 町で自分とそっくりのガキに出会った。

 まったく、鏡で映したようにうり二つだった。

 自分と似たやつは憎たらしいって言うが、ふたりは違った。妙に気があって、すぐに仲良くなった。


 違ったのは生まれだけだ。

 片方は金持ちで、自由な暮らしに憧れてた。

 もう片方は貧乏で、贅沢な暮らしに憧れていた。

 どっちが言い出したかは憶えてねえ。ちょいとした出来心さ。

 入れ替わってみよう、ってことになった。

 すると、お互い結構うまくいくじゃねえか。調子に乗っちまって、そんなことを何度も繰り返していた。


 ……そのうち、貧乏な方のガキが、金持ちの屋敷で殺されちまった。くだらねえお家騒動の巻き添えさ。

 残った方は復讐を誓った。そしてそれを遂行した。


 だが心残りがあった。

 身重の女が一人、復讐の巻き添えをくって追い出される羽目になったんだ。

 それだけがずっと気がかりだった。

 記憶の面影だけを頼りに、ずっと探し続けて――。


「ようやく見つけた。この村でな」

「……」

「アネットは俺の妹だ。あの子の母親は俺のせいで死んだ。俺のわがままのせいでおっ死ぬ羽目になった。アネットだけは幸せにしてやりてえ。頼む、力を貸してくれ」


 とても真摯な、澄んだ眼差し。

 それに対するロロットの答えは、あまりに突拍子もないものだった。


「私を皇妃さまにしてくれるなら、考えてもいいわ」


 ベルナールは目を丸くして唖然とした。そのまま、しばらく口をかなかった。


「どうしたの。そのくらい、あなたなら簡単でしょう?」


 ベルナールは心底困ったように、頭をかきむしった。


「そいつぁ無茶だぜロロット。俺はもう死んだことになってる。いまさら城に戻ったって、誰が相手にするっつーんだ」

「誰でも相手をするわ。皇都を揺るがす大ニュースになるわね。15年前に死んだはずの第一皇子が、実は生きていて、諸国漫遊の旅に出ていた――」

「やめろやめろ。俺はもうごめんなんだ、そういうごたごたは」

「そう。どちらにせよ、その手紙は受け取れないわ。自分で渡したらどう?」

「待て、これならどうだ?」


 と、ベルナールが見せたのは指輪である。彼のごつい指には少し小さな……そう、まるで子どもがするような指輪。

 手紙に封印を押したものだ。


「いくらでも悪事が思いつく魔法の品だぜ。あんたなら、いい換金先を知ってるんじゃねえのか?」

「私を何だと思っているのかしら。そんなもの要らないし、報酬ならもう頂いたわ」

「へ?」

「何してるの、早く。一緒に探しましょう、あなたの妹を」


 きょとん、とするベルナールを捨て置き、ロロットは出口へ向かう。

 その背に声がかかった。


「なあ、皇妃じゃなきゃダメか?」


 ベルナールは破顔して、後ろ頭をかきながらこう言った。


「適度な屋敷の奥方になら、してやれると思うんだが」


 今度はロロットが「ぽかん」と口を開けて固まって。

 それから笑った。腹を抱えて笑い続けた。


 笑い過ぎて、涙まで出てきて――。




(あの時の、あいつの顔ったら)


 知らず、ロロットは満面の笑みを浮かべていた。


 自由になってからも、何人もの男に組み敷かれてきた。望んだ夜もあれば、望まぬ夜もあった。女が一人で生きて行くには辛い世の中だ。自分が不幸だとは思わなかったし、それが当然だと思っていた。


 だがまさか、人生ただ一度のプロポーズが、あんなかたちになるとは思いもしなかった。


「魔導具がフェイクだったとはな」


 クレスが不意に、感心したように言った。


「参考までに教えてくれるか? 本当の魔導具はどこに隠し持っている?」

「ふふ、答えたら見逃してくれるの?」

「あんたは思ったより腕が立つし、見てくれも上等だ。仲間になってくれるなら歓迎するぞ。いい仕事を紹介できる」

美人局つつもたせでもやらせるつもり?」

「もっと実のある仕事だ。危険はあるがな」


 クレスは油断なく弓を構えている。

 ロロットはにっこりと笑って答えた。


「お断りするわ。もっと条件の良いお勤め先があるの」


 クレスの眉間に皺が寄った。


「天国か、それとも地獄か。現世より良い場所とは思えんが」

「あなたには分からないわ。女には、命より大事なものが結構あるのよ」

「そうか、残念だ」


 告げて、クレスは弓を引き絞った。

 ロロットは柔らかに微笑んだまま、静かに目を閉じる。


 本来なら、ただ使い潰されるだけだった人生に、誰かが光を当ててくれた。


 ひとりは、成長したロロットの姿を満足げにながめ、穏やかに旅立った。

 もうひとりは、ロロットを救うきっかけになった行動を悔やみ、その罪を背負い続けている。

 ならば、それを救うのはロロットの役目だ。


(私はもう充分。好き勝手生きて、やるべきことはやった。あとはどうか――)


 ――どうか、神よ。あの兄妹きょうだいに幸せな結末を。


「さよならだ、ロロット」


 ぎりり、と弓が音を立てる。


 闇に抱かれ、その時をひたすら待つ。


 ぷつっ。


 ロロットは、何か糸が切れるような音を聞いた。



 ――ガキンッ!


 大きな火花がとんだ。

 大剣を受けたベルナールの斧が上げた悲鳴だ。刃はぼろぼろに欠け、いくつも亀裂が走っている。


(まずいな……もうあと一撃もたねえ)


「いつまで続けるつもりだ。このままでは死ぬぞ」

「そっちこそ何のつもりだ。俺を殺すのが怖いのか? お遊びなら他所でやってろ」

「それはこちらの台詞だ。早くそこを退け、もとより貴様の命など興味はない」

「そうは行くかってんだ。アネットは俺の宝だ。てめえなんぞに指一本触れさせねえ」

「強情なやつだ」


 岩巨人ウェルグの大剣が、初めて突きを放った。


(しめた!)


 鉄塊の側すり抜け、巨人の小手に向け斧を振り上げる。

 が、巨人は向こうからも間合いを詰め、ベルナールの腹に蹴りを放った。


「ぐふっ!?」


 完全に意表をつかれ、ベルナールは吹っ飛んだ。しかも、取り落とした斧を、巨人が容赦なく粉々に叩き割った。


「ちっ……」


 うめきつつ身を起こすと、後方から別の敵が現れている。曲刀を構えた男だ。


(万事休す、か……)


 内心で諦観しつつも、拳を構えて起き上がる。


(すまねえな、ロロット。バカなことに巻き込んじまって。あの世で会ったら、またよろしく頼むぜ)


 ふと笑う。

 満足だ。きっと時間は十分に稼いだろう。アネットは無事逃げ切り、町で第二の、幸せな人生を始めるはずだ。


 だから、あとは消化試合のようなもの。

 ベルナールは歩み寄ってくる曲刀の男に狙いを定め、渾身の拳を振り抜いた。


「おっと」


 だが難なく避けられ、反撃がくる。

 それを右手の小手で受け止め、無理やり距離を詰めてつかみかかる。

 すると、男はひょいと身をかがめてベルナールを腰にのせ、そのまま投げ飛ばしてしまった。


「元気なやつだな。そろそろ寝ろ」


 曲刀を振り上げる。ベルナールはうまく身体を抑えられて動けない。


「やめて!」


 制止の声があがった。

 信じがたい声だった。神に祈りつつそちらを見やると、やはり立っていたのは――。


「ありがたい、そっちから来てくれるとは」


 アネットだった。


「何してんだアネット!」


 ベルナールは怒鳴った。しかし、さらに言葉を続けようとして、逆に怒鳴り返された。


「約束したもん!」


(約束だ?)


 ベルナールは唖然とした。何の話だ? 記憶にない……いや、確か。


「最初の日! 一緒に町を案内してくれるって、約束したもん!」


(ああ……)


「だから一緒じゃなきゃダメなの! あなたたちを犠牲にして生き残っても、私はちっとも嬉しくない!」


(ああ、そうだよなあ。あんたの娘だもんなあ、アネット)


 ベルナールはかすかに笑った。狩人の村についた初日、彼女を見てもしやと思った。どうしても話がしたくて、まるで初心な小僧のような会話をしてしまったかもしれない。


 だが、そんなことはどうでもいいのだ。アネットにとっても、ベルナールにとっても。

 ベルナールは彼女に生きていて欲しいし、彼女は自分を死なせたくないという。

 なら、とるべき道は一つしかない。


 アネットは男をにらみつけ、怒鳴った。


「着いていくから! 言うこと聞くから、これ以上、彼に酷いことしないで!」

「いい子だ。さあ、こっちへ」


 曲刀の男が手を差し出す。

 きゅっと口唇を結び、アネットは手を取った。


「くそ……」


 ベルナールは歯噛みして、己の無力を呪う。

 アネットは柔らかに破顔して言った。


「私は大丈夫だよ。だって生きてればきっと、良いことがあるから」

「……いや。ここでおしまいだ」


 不穏な気配で空気が震える。


「何?」

「あぶねえっ!」


 ベルナールはとっさにアネットを引き倒す。

 ごお、と鉄塊が通り過ぎた。


「あ?」


 その途中にいた曲刀の男は、間抜けな顔のまま、身体をふたつに割られて死んだ。

 岩巨人ウェルグは味方の男ごと、アネットを叩き切ろうとしたのだ。


「まだだ」


 再び鉄塊が振るわれる。

 ベルナールはアネットをかばった。

 そして肩口から、大きく切り裂かれた。


「ベルナールさん!?」


 アネットの悲鳴。幸い彼女は無事なようだ。


 だがベルナールはついに、致命傷を負ってしまった。


「てめえ……どういうつもりだ?」


 力なく地面に崩れ落ち、ベルナールはうめく。アネットの身柄が狙いではなかったのか?


 岩巨人ウェルグは鼻を鳴らした。


「どうもこうもない。オレは最初からそのつもりだ。こやつらはくだらんことを考えていたがな……だからこそ、その娘はこの世にいてはいかんのだ」

「勝手なこと言ってんじゃねえ。この子には何の罪もねえ」

「同感だな。だが周りが放っておかん。哀れなことだ」


 岩巨人ウェルグは大剣を振り上げた。

 そして、一瞬だけ黙祷したようだ。


「これは正義だ。迷わず旅立て。さらばだ」


 大剣が、勢い良く振り下ろされ――。


 ――なかった。


 ぼきぼきぃっ!

 いきなり爽快な異音とともに、岩巨人ウェルグの身体が「く」の字に折れ曲がった。

 途方もない衝撃が、彼の横合いから肋骨あばらに突き刺さったのが分かる。その衝撃のまま、岩巨人ウェルグはもんぞりうって地面を転がった。


「――!?」


 驚愕に凍りつく空気の中、誰の耳にも届かない、ごく陽気な声が、空気を震わせた。


「あー、いまのめっちゃスッキリした」


 もちろんリョウだった。

 全速力の助走のまま、何の遠慮もなく放ったドロップキックだった。間違いなく、リョウにできる最高威力の攻撃だ。


 それでも、岩巨人ウェルグは身を起こし、立ち上がろうとしている。敵ながらあっぱれだった。


「でも……」


 ちらり、と横を見る。

 ベルナールはヒドい怪我だ。もうじきやってくるロロットの魔法で何とかなるだろうか?


 そしてアネットだ。


 アネットが泣き叫んでいる。顔を涙と鼻水でびしょびしょにして、悲しんでいる。

 リョウは怒りをみなぎらせて岩巨人ウェルグを睨んだ。


「これがあんたの正義? ぼくの知ってる全次元共通の常識と大分違うよ」


 そしてくるりと槍を回し「ピタ」と石づきを向けて構えた。


「知らないならいま覚えろ。『可愛いが正義』だっ!」


 突進。

 岩巨人ウェルグにくらべてあまりにも小さい、それこそ小人のような身体が、全力で大地を踏みしめ、全体重を石突きに乗せて、胸の中心を打ち据える。


 どんっ!


 凄まじい手応え。全身があまねく喝采する反動。リョウは確信した。これまでで最高の一撃だ。


 岩巨人ウェルグは雷に打たれたように全身を震わせ、仰向けに倒れた。

 リョウの勝利だった。


(いや、完全不意打ちで勝負も何もないけどさ)


 天を仰いで、リョウはしばらく荒い息をついた。

(っていうか「は」を「が」に変えるだけで物凄い暴論になるな。でも「力こそが正義!」とか厨二病っぽいのよりは共感できるか)


 正義とは言葉だ。

 ただの抽象名詞である。実態のない、千差万別、変幻自在の言葉。その定義を論じるのに意味はない。


 でも、時に人は言葉にすがりたくなる。例えば、自分の言動に疑問を持った時などに。

 この巨人はどうだったのだろう?


「う……ぐぐ……」


 視線を向けると、どうやらまだ意識があるようだ。呆れた体力である。さて、どうしようか――。


「【灼弾ラグド】」


 背後からトドメが飛んでくる。火球はすぐさま燃え上がり、敵の命を終わらせた。


「ロロット……」


 やってくる女魔法使いを、リョウは悲しく見やった。結局クレスにトドメをさしたのもロロットで、リョウは弓の弦をハサミで切り、腰の小剣を奪いつつ殴り倒しただけだった。ロロットは躊躇なく、彼の喉をかっさいていた。


「ベルナールさん! ベルナールさん!」


 アネットは叫び続けている。もうさっきからずっと。おそらく、岩巨人ウェルグが倒されたのも気付いていない。


「……」


 ロロットはベルナールの容態を見るなり、悲痛に表情を歪めたが、すぐに治癒魔術の詠唱を開始した。


(治るかな。治るよね。ここまで来たんだし。主人公補正あるでしょ)


 リョウもただ祈る。

 名も知らぬこの世界の神に。故郷の神と仏に。全時空のあまねく高次元存在に。

 どうか、この勇者を助けてあげてください――。


「アネット……アネット、か?」


 不意にベルナールが、何か熱にうなされたようにうめいた。


「そうだよ。私、アネットだよ」


 アネットが涙声で答える。ベルナールの大きな手が、彼女の頬を優しく撫でた。その目は、まるで焦点が合っていない。


「はは……ちっとも変わってねえ。あんたは相変わらず綺麗だ」

「ベルナールさん? ベルナールさん!」


 がくん、と。

 ベルナールの手が落ちた。アネットは慌ててその手を抱きしめ、ロロットを見やる。


「……」


 ロロットは首を横に振った。彼女はすでに呪文の詠唱を止め、反対の手を握りしめていた。


「そんな……あんまりよ……こんなのってないよ!」


 アネットは叫ぶ。

 その時、ベルナールの目に光が戻ったように見えた。

 穏やかに破顔して、彼はこう言った。


「いいんだ、アネット。俺はひでえことをした。決して許されねえことだ。これは報いだ。だから、気に病むことはねえ。それよりどうか、どうか幸せに……うぐっ!」

「ベルナールさんっ!」


 抱きしめた手が力が失うのが分かる。アネットは必死でつなぎとめる。頬に押し当てたまま、呼びかけ続ける。


 ふっ、と。彼の目が再び焦点を失った。


「……許してくれ、アネット。許してくれ、ベルナール……ああ、なんだ。迎えに来てくれたのか。おまえは相変わらず心配性だなあ……」


 そして事切れた。


 アネットが泣きわめく中、ロロットは沈痛な表情で、天を仰いで黙祷した。

 それから、ベルナールの目元にそっと手を当ててまぶたを閉じ、泣きじゃくるアネットの背を撫でやりながら、嗚咽混じりにこう言う。


「テオドール。それが彼の――あなたのお兄さんの本当の名前よ。よく憶えておきなさい」

「テオドール……兄さん」


 アネットはしばらく呆然としていたが、不意に何かを悟ったように、口元を「きゅっ」と引き締め、ベルナールの遺体を背負って立ち上がった。


「アネット、何を……」

「町へ行くんです。兄さんと一緒に。約束、したから」


 巨漢の身体は、華奢なアネットにはあまりにも大きすぎた。

 何度も転びそうになりながら、それでも一歩一歩、大地を踏みしめて歩く。


「……」


 ロロットが無言で、それに手を貸した。うなずき合い、両脇に身体を潜り込ませ、ふたりで背負って歩く。


 その歩みを、リョウはただ見守っていた。

 ベルナールはきっと、己の役目をまっとうした。命を燃やし尽くして成し遂げた。

 共に戦うこともできなかった自分が、この英傑に触れるのは冒涜だと思った。


 だから歯を食いしばって、手に持つ槍に力を込める。


 彼らの歩みを邪魔するものがまだいるというなら、何に変えても排除する。排除して見せる。


 視界の向こうでは、ようやく上った朝日に照らされ、町の影が急速に縮まっていく。

 そこまでの距離はもう、いくばくもなかった。



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