6.チート対決は案外つまらない
アネットは、自分が不幸だとは思っていなかった。
母親は自分を産んですぐ亡くなったらしい。
父は母親の名をそのまま娘に与えた。
「名前を考えるのが面倒だったからな」
いつしか父はうそぶいたものだが、本当の理由は、実の肉親に会った時、すぐに気付いてもらえるから、というものだった。
この事実を知った時。
最初は、父を恨みもした。自分の境遇に嘆き、悲劇のヒロインを気取ってみたりもした。
でも、父はずっと優しかったし、村のみなも、誰も彼も親切で、暮らしについても特に不満はなかった。
アネットはあっさりと反抗期を終え、育ててくれた父のため、温かい村人たちのために懸命に働いた。それが、彼らにできる唯一の恩返しだと思ったから。
「強く生きて。どんな事があっても、頑張っていればきっといいことがあるから」
それが、母が娘に送った言葉だったそうだ。
故郷を遠く離れて、辺境の山里で人生を終えた。その言葉の重みを、アネットに推し量ることはできない。
だが、母はアネットを産んでくれた。命をかけて、自分をこの世に産み落としてくれた。
それを思えば、滅多なことで泣き言など言えないのだった。
むろん、強がりには違いない。
父を殺され、心はもうぐちゃぐちゃだし、密かに憧れていた剣士が死んだと聞かされ、絶望の淵に追いやられた。
でも、助けてくれる人たちがいる。妖精さんも居てくれる。
何よりも彼らの足手まといにならないため、呑気に嘆いてなど居られなかった。
いまはただ、走る。
後ろから追いすがる銀狼の群れから逃れるために。
「【精霊煌】!」
高らかなロロットの声。
同時に、周囲が真昼のように照らされる。
「く……さすがに二度目は効果が薄いか」
目潰しの魔法だ。最初は見事に群れをひるませ、脇を抜けることができたが、そう何度も通じるわけではないらしい。
銀狼たちはまだ追ってくる。どんどん、距離が縮まってくる。
「振り返るんじゃねえアネット、前を見て走れ!」
「は、はいっ!」
ベルナールが怒鳴る。
アネットは歯を食いしばって駆けた。山ぐらしで体力には自信がある。走るだけなら、いつまでだって続けてみせる。
しかし、体力が尽きる前に追いつかれるだろう。
「ちょっと長い呪文を使うわ。ベルナール、背中を貸して!」
「おう!」
返事を待たず飛びつくロロットを背中で受け止め、そのまま背負って走る。
ロロットは右手に短剣を握りしめ、左手に輝く石を手にして、ほどなく呪文を完成させた。
「【焔陣】!」
ごおっ、と音がして、巨大な炎の壁が出現した。さしもの銀狼も、それに阻まれて足が止まる。
ただ一体を除いて。
炎の中から躍り出た大きな影が、アネットを捉えて引き倒した。
「アネット!?」
ベルナールはすぐさま動く。背のロロットを半ば放り投げ、斧を構えて、アネットにのしかかる獣に突進する。
しかし、ベルナールが斧を振り上げる前に、銀狼は「ひょい」と後ろに飛び退いた。
額の傷が動く。かすかに、目を見開いたように見えた。
ベルナールも訝しみつつ、アネットをかばうように立つ。
炎壁はまだ赤々と燃え上がり、周囲を照らしている。
額傷の銀狼が、ひとつ、高らかに吠え声を上げた。
○
(――は?)
リョウは驚愕に固まっていた。
しっかり狙いを定め、喉元に突き出した槍が空を切った。
額傷の銀狼は確かに、リョウの攻撃を避けたのだ。
「どういうこと? ぼくが見えてるの!?」
焦りのまま叫ぶ。
しかし、額傷の銀狼は低い姿勢でうなったまま動かない。見据えているのは、正面のベルナールか。
(もう一度だ)
素早く間合いを詰め、今度は眉間を狙って突き出す。
ひょい。
これも、いとも簡単に躱されてしまう。
「まだだっ!」
リョウはがむしゃらに槍を突き出し続けた。しかし当たらない。もはやまぐれや偶然ではない。この獣は、たしかにリョウの攻撃を感知して避けている――。
「この野郎っ!」
リョウだけではない。怒号と共に放たれたベルナールの一撃も、銀狼は難なく躱した。
そしてお返しとばかりに、ベルナールに飛びかかる。
「ぐ!」
鋭い爪撃を受け、ベルナールの腕に血線が刻まれた。
追撃を阻むため、リョウは渾身の突き。これも外れる。
ロロットが叫んだ。
「構わないでベルナール、いまのうちに逃げるの!」
「妖精さん、頑張って!」
アネットの声が重なった。紛れもない声援。彼女は、リョウの奮闘に気付いている。気付いてくれている。
途端、リョウの中から湧き上がる何かがあった。
「任せて! だからいまは逃げて!」
叫んで、銀狼に掴みかかる。
(とっ捕まえて押さえ込んでやる!)
だがこれも、あっさり躱されてしまった。
しかも、敵はしっかりリョウの方を向いている。
「恩に着るぜ、妖精さんよ。死ぬんじゃねえぞ!」
ベルナールが物騒な言葉を吐き、ためらうアネットの手を引く。
彼らの姿はすぐ、闇の中に見えなくなった。
リョウは乾いた笑い声を上げた。
「はは、足止めは任せてよ。もちろん、倒しちゃっても構わんのだろう?」
芝居がかった台詞で己を奮い立たせる。そうでもしないと平静を保てない。
銀狼が飛びかかった。
リョウのすぐ横の空間だ。とっさに石突きで殴りつける。しかし、体が空中にあるにも関わらず、銀狼は身を捩らせてこの攻撃を躱した。
今度は、着地と共に反撃がくる。
リョウは後ろに倒れ込んでそれを避けた。
いや。
避けた、と思っていたのだが、地面を転がって間合いをとる最中、左腕に激痛が走った。
見れば制服の袖がペラペラに裂け、中から血が滲んでいる。
「このワン公、カウンターとってきやがった……」
再び、芝居がかった台詞を吐く。
手詰まりだった。
低い姿勢で周囲を警戒する様子を見るに、向こうはこちらが見えているわけではない。
しかし、見えない何かの存在を確信し、頭を使って攻撃を加えてくる。
そして、なぜかこちらの攻撃は当たらない。
(もしかしてこいつもチート持ちか? 危険察知とか絶対回避、みたいな?)
絶望的な回答だった。ゲームなら、魔法的な手段で対抗できるかもしれないが、あいにくリョウには物理的な攻撃手段しかない。
そうして無駄な攻撃を続けるうち、いずれ敵はリョウを捉えるだろう。
いや、相手はカウンターをあわせてくる。次の攻撃こそが、リョウの最後の一撃となるかもしれない。
「完全に詰んでるじゃん……」
ふと、赤々と周囲を照らす炎の壁が目に入る。
さっきより背が低くなっている。時間切れが近いのだろう。そうしたら、ほかの銀狼たちもなだれ込んでくる。
(ぼくの命もそこまでか……いや)
いますぐここから逃げてしまえばいい。
村に戻って休息をとり、それからゆっくりと町へ降りて情報収取に励み、スタート地点の街を目指せばいい。
どうせ、ほんの数日顔をあわせただけの赤の他人だ。
彼らのために命を張る義務は、リョウにはない。
「でも、お願いされちゃったしなあ……」
リョウは自然と、両頬を吊り上げていた。
なぜかは知らないが、愉快でたまらない。
腹はもう決まっていた。何が何でも、アネットたちの後を追わせる気はなかった。
獣王スラーグは、かつてない危険に晒されていた。
見えない敵がいる。
いや、それだけなら銀狼の障害にならない。彼らは耳も鼻もよく利く。そして何より俊敏で賢い。
西の森を追い立てられた際も、仲間の誰一人欠けることなく窮地を脱した。いままでだって、そうやって何度も群れを守ってきた。それがスラーグの誇りだった。
加えて、スラーグには持って生まれた異能があった。
自動回避。
スラーグは己に対する攻撃を、無意識に回避できる。なぜかは知らない。だが、その能力が、彼を今日まで生き永らえさせてきた。
しかし、今回の敵はあまりに異質だ。
気配も痕跡も何もない。たどれる臭いも足音も、足跡すら見えない。
だが確かに存在し、攻撃してくるのだ。
おそらく、さきほど愚鈍な飛竜を仕留めていたのも、これに違いない。
飛竜は愚鈍ではあるが、強敵である。
それを、この見えない敵は、いとも簡単に骸としたのだ。
スラーグは仲間たちに警告を発し、独りきりでこの難敵に立ち向かうことにした。
息をつくヒマもなかった。
己の命を奪うであろう、致命的な一撃が、止むこと無く飛んでくる。すべてが急所を狙っている。能力がそれを伝えている。
しかし、それはスラーグにとっても好都合だった。
攻撃が飛んでくる方向から、敵の居場所にあたりを付け、間隙を縫って攻撃を繰り出す。すると、スラーグは確かな手応えを感じた。
全身の血が沸き立つようだった。
やがて、おぼろげながら敵の幻像が浮かび上がる。
おそらく人間だ。
なにか妖しげな術を使って姿を消しているのか。小賢しい人間らしい戦法だ。
得物は長い棒状の物だ。これも人間が良く使う、鉄の臭いがする鋭い物。
そういえば、この額に傷を付けたのも人間だった。
後にも先にも、スラーグに傷を追わせたのはあれだけだったが、あれは何を思ったのか、スラーグにトドメを刺さず、手当てしたばかりか、しばらくあれこれと世話をしてくれた。
あれとともにいろんな場所を旅した。
そうしていろんな人間に出会った。害あるものもいれば、そうでないものもいた。銀狼と同じだ。皆お互いに支え合い、大事なものを守るために戦う。
――この敵にも、守るべきものがあるのだろうか。
知らぬ間に、スラーグは愉快な気分になっていた。
――いいだろう、ならオレを倒してみろ。オレも貴様を倒して、仲間を守ってみせる!
スラーグは集中力を高め、低い姿勢で攻撃に備えた。
彼の異能も絶対ではない。長引けば危険だ。
だが決着は、それほど先でもなかろう。そう、確信していた。
(ダメだ、やっぱ全然あたらない)
リョウは肩で息をしていた。
何度か惜しい場面もあったが、深追いするとカウンターがくる。
それを避けるため、突いてすぐ引くまでを一呼吸で行う。リョウは知る由もないが、槍術の基本ではあった。
そうやって、何度か敵のカウンターをかいくぐった。少なくとも直撃はない。ただし、体力はどんどん浪費されていく。
もう長くは動けない。覚悟を決めるしかない。
リョウはカバンから彫刻刀のセットを取り出した。すべて取り出して手に持つ。
(全部避けてみろよ。当たっても大したことないけど、なっ!)
ケースを投げつけた。
予想に反して、スラーグはぴくりともしない。
(こっちは少し痛いぞ!)
今度は彫刻刀を投げる。スラーグは大きな動きなく、身を捩らせるだけで躱し続けた。
そして最後の一投を避けると同時に、こちらへ一直線に飛びかかってきた。
(今だっ!)
狙いはここだ。カウンターの、そのまたカウンター。
飛びかかる体影の、中心を狙って突き出す。
スラーグは空中で身をかがめた。
穂先が頭をかすめ、雄々しく立った耳を切り裂く。
ほぼ同時に、左腕に激痛が走った。獣の牙が、ついにリョウを捉えたのだ。
「ぐぅ!」
スラーグは左腕に噛み付いたまま、リョウを引き倒した。恐るべき力。瞬時に体がひっくり返り、無様に地面に叩きつけられる。
気がつけば、上にのしかかられ、身動きが取れなくなっていた。
「……ここまでかー」
リョウは大きく息を吐いた。身じろぎひとつできない。身体はとうに限界だった。そして気力も、吐き出す息とともに潰えた。
見れば、いつの間にかほかの銀狼たちも、リョウを取り囲んでいる。
炎はもはや壁ではなく、ちろちろとした残り火で。
それもすぐに消えた。
周囲が暗闇に閉ざされる。リョウはゆっくりと目を閉じた。
――時間、稼げたかな?
アネットたちは逃げ切れるだろうか。
そういえば今頃、クラスのみんなはどうしてるかな。
父さんや母さんも。
「もう一度だけ、会いたかったなあ……」
ふ、と。
のしかかる圧力が消えた。
不思議に思って目を開けると、暗がりの中、スラーグがこちらを見つめている。
その口元が、不敵につり上がったように見えた。
ウォオオオ……ン。
スラーグは天高く吠えた。合わせて、周囲の銀狼も吠える。
月灯りの中、銀色の獣たちが一斉に天に吠える光景は、あまりにも幻想的で美しかった。
ほどなく、群れは走り去った。アネットたちが逃げた先とは真逆の方向だった。
「オレの勝ちだこぞう。てめえの肉は不味そうだから見逃してやる――ってとこかな」
妙に愉快な気分になって、リョウは笑った。
笑っていると、今度は涙がこみ上げてきて、止まらなくなった。
「生きててよかったよお……」
そうしてひとしきりいろんな水分を垂れ流したあと、左手の手当てをした。
噛まれたり引っかかれたりと、肘から先はずたぼろだった。ただ、幸いなことに骨にも筋にも異常はなさそうだ。
制服をハサミで切り裂いて止血帯を作り、それを巻きつける。出血はそれなりだが、すぐに死ぬほどでもないだろう。
左手を握りしめ、痛みに耐えられるのを確かめると、「よし」と気合を入れて立ち上がった。
そして、全身に鞭打って、アネットたちの後を追った。
ここまで来たら是が非でも、彼らを見届けるつもりだった。
○
先に限界を訴えたのは、意外にもロロットである。
アネットはまだ少し余裕があった。
しかし、誤差の範囲だ。このまま走り続ければ、十分と持たずに動けなくなるだろう。
「仕方ねえ、少し休むか」
「あなたの怪我も問題よ。見せて」
ロロットの声調が思ったよりしっかりしていたので、アネットは感銘を受けた。おそらく、ロロットはベルナールを気遣って休息を提案している。
彼女の見立て通り、ベルナールの傷はそれなりに深手だった。魔石をいくつか消費し完全に傷口を塞ぐと、続いて全員に回復魔法を施した。疲労が取れ、身体に活力が戻ってくる。
「魔石も残り少ない。もう無茶はできないわ。十分警戒しながら進みましょう」
それとなく周囲を気遣い、その場その場で冷静に対処する。素敵な人だな、とアネットは思った。自分も、いずれこんな女性になれるだろうか。
ロロットの言葉どおり、一行は警戒しつつ残りの行程を進む。なるべく静かに、無駄口も聞かずに。
銀狼は追ってこないようだ。
(妖精さん、大丈夫かな)
アネットはたびたび振り返った。とても心配だった。いますぐ、そこでチカチカと光って見せて欲しかった。
だが、そんなわがままを言っている状況でもない。
(きっと無事よ。ううん、いまも側に居てくれてるわ)
そう自分に言い聞かせ、ただひたすらに歩いた。
やがて、ほんのりと東の空が白ずみ始めた頃。
一行はようやく、街道の合流地点に到達した。
「見憶えがある場所ね。町はこっちの方角。日が登りきる頃には着くはずよ」
「もう一息だな。アネット、辛くねえか?」
「大丈夫です。頑張りましょう!」
アネットは元気よく答えた。
ベルナールは、道中あれこれと自分を気遣ってくれていた。
最初に会った時は怖い人かと思っていたが、ただの印象に過ぎないと分かる。
とても優しい人だ。
いまもごく自然に手を引いてもらっているが、アネットも特に違和感なく、それにつかまっていた。
(お父さんみたい)
まだまだ若そうな巨漢には不本意な感想かも知れないが、温かくて大きな手だ。つかまっていると安心する。
時折、ロロットがちらりと視線を送ってくる。
(遠慮したほうがいいのかな?)
とも思うが、ロロットの目に不穏なものはない。むしろ、温かく見守ってくれているような――。
「とまって」
不意にロロットが声を上げた。
両側が切り立った、視界の悪い場所だ。
「どうした?」
「待ち伏せをするには絶好の場所だわ。念のため備えておきましょう」
そう言って、魔石を握る。
使ったのは飛び道具をそらす防壁の魔法と、簡単な対魔術結界である。効果時間はそれほど長くないが、最低でもあそこを抜けるまでは持つだろう。
「いいわ。行きましょう」
慎重に、警戒しつつ、切り立った崖の間を通り抜ける。
結局何事もなく、その場所をはるか後方にみやって始めて、一同は一息ついた。
「ふう、驚かせやがって。何もねえじゃねえか」
「念のため、と言ったでしょう。備えはしておくものよ」
にわかに言い合いを始めたふたりを見て、アネットは思わず笑った。
「おふたりって、とても仲が良いんですね」
茶化してやると、ロロットは強い口調で反論する。
「とんでもない。一週間前に初めて会ったばかりよ。町に着いたらお別れだし、あとは二度と会うこともないわ」
「おいおい、そりゃねえぜロロット姐さん。十年は面倒みてくれるんじゃねえのか?」
「約束した憶えはない。だいたいね、私はあなたより年下なの。姐さん姐さんしつこいったら」
「あんたも〝ぼうや〟って言ってたじゃねえか」
「あなたが妙に若作りなのが悪いんでしょう!?」
アネットはこらえきれず笑い声を上げた。
ベルナールはバツが悪そうに後ろ頭をかき、ロロットは憮然と腕を組んでいた。
――うん、決めた。
お似合いのふたりになおも茶々を入れつつ、アネットは思った。
(私も冒険者になろう。それで、色んな人を助けて。いい感じの男の子と恋に落ちて――)
「おい、大丈夫か?」
むふふ、と妙な笑みを浮かべるアネットを心配するベルナール。
アネットは笑って誤魔化し、元気よく街道を行く。
やがて、東の空に来光が輝くころ。
長く影を伸ばす町の外壁が見えてきた。
「見てきましたよ!」
はしゃぎながら駆け出すアネット。
今度はベルナールも止めない。
ロロットと顔を見合わせ、お互いに微笑み合って――。
「あぶねえロロット!」
――ベルナールはロロットを突き飛ばした。
ずぶり、と鈍い音がした。
起き上がったロロットがまず見たのは、ベルナールの腹部を貫通する矢と。
「ベルナールさん!」
悲鳴を上げて駆け寄るアネットと。
「女、その短剣を捨てろ」
物陰から続々と現れた、黒装束の一団だった。
5、6……8人か。
みな思い思いの武器を持ち、素早くロロットたちを取り囲む。
中でも異質な人影がある。
身長2mはゆうに超えるであろう、丸太のような腕をした大男だ。四肢のバランスがおかしい。腕の長さに対して、あまりにも足が短い……いや、上半身に対して下半身が小さいのか。
特徴的な体型だった。人間ではない。
(岩巨人……)
祖国において忌むべき種族とされている、山の民だった。
おあつらえ向きに、手に持つのは成人男性ほどはあろうかという大剣だ。どんな強靭な肉体を持つ戦士も、あれの一振りでただの肉塊となるだろう。
「短剣を捨てろと言っている。早くしろ」
だが、もっとも戦慄したのはこの男だ。
弓を構え、じりじりとにじり寄ってくる、中肉中背の男。この声。この姿勢。間違いない。
「てめえ、クレス。生きてたのか……」
地面に片膝をつき、ベルナールがうめいた。
そう。覆面で顔を隠してはいるが、それは共に飛竜退治に赴いた……そして、そこで死んだはずの、弓使いクレスに間違いなかった。
(そう言えば、弓と胸当てが千切れているのを見ただけだったわね)
なぜ生きていたのに姿を消したのか。
どうして、いまになってこうして現れたのか。
愚問だと思った。だが想像どおりなら、対処の余地がある。
ロロットは短剣を握りしめたまま「す」と立ち上がった。
「取引きしましょう」
「取引きだと?」
クレスの声が反問する。
「そう、取引き。私たちは鉱脈の場所を知っている。見逃してくれるなら教えてあげるわ」
「あんたは勘違いをしている。魔石なんぞどうでもいい。俺たちの望みはその娘の身柄だ」
クレスはアネットを指し示した。
「アネットを?」
「そうだ。あんたらの命に興味はない。その娘を置いてだまって消えろ。そうすれば見逃してやる」
「誰がてめえの言うことなんか――」
「ベルナール、黙って!」
ロロットは声を張り上げ、ベルナールを制する。
そうして、再びクレスに語りかけた。
「魅力的なお誘いね。でも、良かったら教えて頂けるかしら。どうしてこの子にそんなに固執するの? こんな大勢で取り囲んでまで」
「知ったら生きてはおれんぞ。それでもいいのか?」
嘲笑混じりの質問が返ってきた。いや、これは脅しだろう。
ロロットはしばらく目をつむり、それからベルナールとアネットを返り見た。
「生きていれば明日があるわ。いまは従いましょう」
「てめえ、ロロット――!」
「いいの、ベルナールさん! 私は大丈夫だから、言うとおりにしましょう」
アネットは決意に満ちた目で黒装束をにらみ、両手を広げて進み出た。
「逃げも隠れもしないわ。その代わり、この人たちに手出ししないと約束して!」
クレスはそれを一瞥し、再びロロットに視線を戻す。
「これが最後だぞ。短剣を捨てろ、ロロット」
ロロットは嘲笑を浮かべ、短剣を地面に放り投げた。
すると、クレスは満足げにうなずき、こう告げた。
「よし。殺せ」
「約束が違――!」
アネットが怒号を発した瞬間、朗々とした声が、ごく短い呪文を読み上げた。
「【精霊煌】!」
途端に周囲を強光が焼いた。その場の全員――術者のロロットと、あらかじめ予期していたベルナールを除いた全員が、一時的に視界を奪われた。
「今よ、走って!」
ベルナールはとっさにアネットを小脇に抱え、黒装束の二人を容赦なく叩き割った。
そうして囲みを突破すると、あとは脇目も振らずに全速力で駆けた。
ロロットは走らなかった。
ただ魔石を握りしめ、次の呪文を朗々と唱えていた――。