5.可愛いは正義
月明かりに照らされ、銀色の毛並みが輝いている。
数は十。
それが、泉のほとりに倒れ伏せる飛竜の死骸を、一心不乱に喰らっている。
リョウはもとより、ロロットもベルナールも、絶句してそれを眺めていた。
「……銀狼がいやがるとは」
ようやく、絞り出すように発言したのはベルナールである。
「遺品の回収は諦めるしかないわね」
ロロットの声も震えている。
「銀狼は積極的に人を襲わないそうだけど、食事を邪魔する者にまで寛容だとは思えない」
「ああ。いまのうちにずらかろう」
警戒しつつ遠ざかるふたり。その様子から、あの銀色の獣が、どれほど危険な存在かが分かる。
リョウは俄然興味がわき、少し近づいてみることにした。
オオカミだ。ただし大きい。最大で2m近くありそうだ。
その、ひときわ大きな個体が、不意にこちらを向く。他の個体より幾分、体毛がくすんで見えるが、眼光はなお鋭く、まっすぐにリョウを射抜いている気がした。
(見えてない……はずだよね?)
思わず身震いし、それ以上の接近を諦める。
気がつけばロロットたちも大分遠ざかっていたので、慌てて後を追った。
「飛竜まで群れで狩るって噂は本当だったんだな」
「まさに森の王者ね。今回は助けられたけど」
「あれ倒したのぼくなんだけどなー」
リョウはぼやいたが、ふと、あの飛竜が最後に虚空を睨んでいたのを思い出した。もしかしたらあの時すでに、銀狼に狙われていたのかも知れない。
「しかし、村の連中も人が悪いぜ。銀狼の話なんて聞かなかった」
「それについては心当たりがある。額に傷のある個体がいたでしょう?」
と、ロロットが興味深い話を語ってくれた。
なんでも、ここからずっと西の開拓地に、十年以上も人々を脅かし続ける銀狼がいるらしい。
その名を「獣王スラーグ」。
中規模の群れを率いて、開拓村を幾度も壊滅させ、まるで森の守護者の如く、人間たちの侵入を拒み続けた。
ところがごく最近、業を煮やした近隣の王が、ついに軍隊を派遣し、獣王の退治に乗り出したというのだ。
「その後の噂は聞かないけど……ひょっとしたら、さすがに追い立てられて、この辺りまで流れてきたのかも」
「それがさっきのヤツだってのか?」
「確証はないけど、特徴は一致するわね」
(あの、いちばん大きいやつかな?)
ロロットの話はリョウをわくわくさせた。額の傷とやらは、【暗視】のないリョウには分からなかったが、最後にこっちを見ていた個体で間違いない。
もちろん恐ろしくもある。
「その話が本当なら、村の連中も大変だな」
「心配ないでしょう。じきにこの山は、魔石の鉱脈として権力の管理下に入る。それが村人にとって良いかどうかは別として、少なくとも銀狼に脅かされることはないはずよ」
リョウは村の行く末に思いを馳せた。
だが一瞬のことだ。彼が考えても仕方のないことだし、集中して歩かないと足を取られてしまう。
月明かりがあるとは言え、山道を歩くには頼りない。
魔物に気付かれると厄介なので、ロロットたちは灯りを付けていない。それでも【暗視】の効果ですいすい歩いているが、裸眼のリョウはそうも行かないのだ。
(というか、身体があちこち痛んで歩きにくいな)
本当は休みたいが、それをロロットたちに告げる手段もない。
リョウは己の境遇を呪いつつ、必死に山を下るのであった。
○
ようやく村にたどり着いた時、腕時計の表示時刻は午前3時を回っていた。
三時間の時差を考慮しても、通常ならみな寝静まっている頃である。
しかし、村のあちこちに篝火が焚かれ、物々しい雰囲気だった。出歩く男たちは、みな槍や弓矢で武装している。
「何があったんだ?」
「魔物でも出たのかしら。それともさっきの銀狼?」
訝しんでいると、村の若者がこちらを見つけて駆け寄ってきた。
「よう! 飛竜はどうだった?」
一部始終を語って聞かせると、若者は悲痛な面持ちながらも、深々と頭を下げて礼を述べた。
「あんたらは村の恩人だ。末代まで語って聞かせるよ」
「それはいいが、この騒ぎはなんだ?」
若者は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「セヴランさんが殺された。いま、山道を封鎖して犯人を探してる」
一同は驚愕し、しばし二の句が告げなかった。
(嘘だ)
リョウは地面にへたり込んだ。ヴィクターの死以上の動揺が、心をかき乱していた。あの心優しい大男を、誰が? どんな理由で?
「あのおっさんが殺された? 誰に?」
「分からん。アネットも行方不明なんだ」
(アネットまで)
ぐ、と歯を食いしばり、リョウは立ち上がった。なら一刻も早く探してあげないと。だが当然ながら、心当たりなどない。
そのうち、何人かの村人が集まってきて、ロロットたちを取り囲んだ。みな口々に冒険者たちを讃え、死者に哀悼の意を表した。
だが、中には剣呑な者もいる。
「ひょっとして、あんたらが殺したんじゃないだろうな?」
「おい、何てことを言うんだ!?」
「考えても見ろ、この村にセヴランを殺すようなヤツがいてたまるか。よそ者の仕業に決まってるだろ。死んだとか言ってるが、他の仲間が隠れ潜んで、俺たちを狙ってるかも知れん」
リョウは思わず、その男を殴りつけようとした。実行できなかったのは、腕を振り上げた瞬間に、全身に激痛が走ったからだ。激闘の爪痕が思ったよりも深い。身体をひねるのも辛い状態だった。
「まさかそんな……」
「いや、だがしかし……」
どよめきと不信が、村人たちに伝播していくのが分かった。
意外なことに、ベルナールは無言で押し黙っている。見れば、ロロットが彼の腰のベルトを掴み、待ったをかけていた。その表情は険しく、何事か考え込んでいるように見える。
「あんたには脳みそがないのかい!」
意外なところから援護の声が上がった。長老のイオナ婆さんだ。
「飛竜が激しく吠えるのを聞いてなかったのかい! この人たちは確かに役目を全うしたんだよ、村のために、命をかけてね。それを……この、バチ当たりが!」
腰の曲がった小さな身体から、村中に響き渡る怒声を轟かせ、イオナ老は杖を振り上げ、不信を述べた男を何度も打ち据えた。
打ち据えられた男よりも、老婆の健康を案じた村人たちによって、ひとまずその場が収まった頃、村長のアルマンが騒ぎを聞きつけてやって来た。
「村の者が失礼をした、申し訳ない。ともかく、おふたりはお疲れだろう。わが館でゆっくり休んでくだされ」
「それなんだがな、アルマンさん」
ベルナールが真剣な表情で言った。
「今晩はセヴランの家を使わせちゃくれねえか。アネットが戻ってくるかも知れねえだろ」
「死人が出た家ですぞ」
アルマンはとんでもない、とばかりに引き下がったが、ここでもイオナ老の援護射撃があった。
「あれは元々あたしの旦那が建てた家さ。アルマンの許可なんか居るもんか、好きに使いな」
「恩に着るぜ、婆さん」
ベルナールは優しげに微笑んだ。普段の彼からは想像も付かない……しかし自然で柔らかい笑み。
「私は、アルマン氏のご厄介になるわ」
ロロットは宣言し、別れ際、意味ありげな視線をベルナールに送った。ベルナールは小さく頷いた。
(なんか通じ合っちゃってるなあ)
リョウはどちらに着いていくか迷い、ベルナールを選んだ。
アネットの部屋でいかがわしいことをしないか見張るためだった。
セヴラン宅に入ってしばらくすると、イオナ老とその孫娘が、炊き出しの残り物を持ってやって来た。
残り物――というのは方便だろう。明らかに腕によりをかけたと見られるシチューやステーキは、この3日間では見なかった、豪華なものだ。
リョウはスキを伺いつつパクついた。
(美味しい!)
料理人はおそらく、この「孫娘」だろう。おっとりした腰の重そうな婦人だ。
(この人が孫? イオナ婆ちゃんって何歳なんだろ……)
この村の主食であるイモのボイルも、アネットが作るものより数段美味しかった。さすがに年季が違う。
「飛竜退治は、あたしらの悲願だったのさ」
食事が一段落すると、イオナ老の昔語りが始まった。
孫娘が「始まると長いんだよ。適当に聞き流してね」と茶々を入れたりしたが、少なくともリョウにとっては興味深い話だ。
曰く、あの泉は昔、村人たちにとって聖地のようなものだったらしい。
村も今より高所にあったそうだ。そこに、ある日突然飛竜がやってきた。
多くの村人が死傷した。イオナ老の親兄弟も犠牲になったらしい。
それで、いまの場所まで落ち延びた。以来、村の古老たちは、あの飛竜への恨みを忘れたことがなかった。
「それからしばらくしてからだったかね。セヴランの父親が村に流れてきたんだ。どこぞで学者をやってたっていう、ひょろい男だったけど、そいつがジャガイモの栽培を始めたのさ。村はおかげで生き返った。あんたらは、それ以来の英雄だよ。この老いぼれにできることなら、なんでも言っておくれ」
「なら、アネットについて聞かせてくれねえか。あの子は、この村の人間じゃないな?」
突然、思いもよらないことをベルナールが口にした。
イオナ老は一瞬、大きく目を見張ったあと、笑ってこう答えた。
「あれだけ器量良しなら気付くかね。あたしらとはまるで違う人種だ。その通りだよ、あの子の母親は、山で倒れてたのを、セヴランが拾ってきたのさ。その時はもう身重だったがね……出産には耐えられなかった」
老婆は遠い目で、昔の日々に思いを馳せているようだった。
「アネットは知ってるのか?」
「そりゃ、薄々は勘付いてるだろうさ。可哀想な子だよ。あたしも何とかしてやりたいが……」
言葉を濁す老婆に、ベルナールは「にかっ」と笑ってこう言った。
「任せろ。俺が絶対に助けてやる」
「あの子の魅力にやられちまったのかい? 男ってのは本当にどうしようもないね」
老婆が茶々を入れると、ベルナールは照れたように頭を掻いた。
「そんなんじゃねえや。罪滅ぼしみてえなもんだ。俺は、あの子の大切な人を助けられなかった」
ヴィクターのことを言っているのだろうか。台詞の後半は、驚くほど真剣な声と表情だった。
(ベルちゃんがカッコよく見える……)
リョウが不遜な感想を抱いているうち、イオナ老と孫娘は帰って行った。
しばらくすると、ベルナールは手紙のようなものを書き始めた。
この世界の……少なくともこの村の識字率は無いに等しい。
学校など無いのだから当然か、と納得もしていたリョウは、少々驚いてしまった。
(ベルナールって字が書けるんだな……だめだ、全然読めないや)
自動翻訳は音声にのみ有効らしい。筆談のために文字を学ぼうと思っていたが、この案は破棄するしかなさそうだ。誰にも教えてもらえない以上、書物などで自力で学ぶしかないが、その書物が読めないのでは話にならない。
(結局ずっとぼっちなのかな……)
暗澹としつつ、ふと自分の格好を眺めた。
制服はもうぼろぼろだった。穴だらけで袖は裂け、泥に塗れて見れたものじゃない。
気になって身体を確認してみると、あちこち痣だらけだった。擦り傷も無数にある。さっきから妙に熱っぽいのも、傷口から雑菌が入ったからだろうか。
(回復もしてもらえないんだよな。薬とか処置の方法も勉強しないと)
深々とため息を付く。
と、ちょうどその時、戸口を叩く音がした。
「私よ。開けて頂戴」
ロロットだった。さっきよりも少し小奇麗な、だが完璧に旅装を整えた格好で、戸口に立っていた。
「何があった?」
「ひとまず中へ」
ロロットは周囲を探りつつ中へ入り、驚くべき情報を口にした。
「魔石の件が漏れている。しかも、アルマンたちは鉱脈を独占するつもりよ」
ベルナールは舌打ちした。
「どこから漏れた、ってのも愚問か。セヴランを殺したのはヤツらだな?」
「直接は聞かなかったけど、おそらくね。私たちの身も危ない。夜が明ける前に町へ向かうべきだわ」
「アネットはどうする?」
ロロットは眉根を寄せて押し黙った。
ベルナールは言った。
「犯行を目撃してたかもしれねえ。ヤツらはアネットも狙ってるはずだ」
「気持ちは分かるけど、探している余裕はない。彼らもただの娘を殺すまではしないでしょう。とにかく一刻も早く町へ向かうべきよ。ギルドに報告して人を出して貰えば、アネットも助けられるかも知れない」
「そうだな。あんたの言うことは正しい」
ベルナールはやけに冷淡に告げ、手紙の続きを書き始めた。
「何をしてるの、急いで。私が抜け出したのを気付かれたら……」
まくし立てるロロットを尻目に、ベルナールはやけに丁寧に手紙を便箋に入れ、蝋封を施した。封印は、何やらご大層な紋章である。
それを、ロロットに手渡す。
「町についたら、南の教会の、アルフレッドって神父に渡してくれ。渡すだけでいい」
ロロットは「ごくり」と喉を鳴らした。
「あなたはどうするの?」
ロロットが問いかけた。ベルナールの答えを聞く前に、リョウは家を飛び出していた。
(あんな包囲網の中を、アネットがひとりで逃げ回ってる? あり得ない。ロロットの話が本当なら――)
心当たりがあった。
この村で朝を迎えた初日、リョウは隅々まで探索し尽くしていた。誰にも見つからないのを良いことに、アルマン邸も隅から隅まで。
地下室があった。
何に使うのやら、鎖やら手枷やらが散らかる牢獄のような石室だ。誰かを監禁するには絶好の場所――。
「ほらね」
石室の入り口で、居眠りをする男がいる。番人だろうか。
以前は開け放たれていた入り口に、閂と錠前が掛かっている。中に誰かが居るのは間違いないし、それが誰かは、リョウにとって明らかだった。
鍵はすぐ見つかった。番人の足元に落ちていたのだ。錠前に合わせると難なく開いた。某ホラーゲームのような回りくどい展開がなかったので、リョウは心底安堵した。
部屋に入ると、真っ暗で何も見えない。だが、確かに人の気配がある。
ペンライトを灯す。
部屋をぐるりと確認すると、隅で怯える尋ね人の姿を発見した。
「アネット!」
急いで駆け寄る。猿ぐつわを噛まされ、後ろ手に縛られているが、怪我をした様子はない。
「助けに来たよ」
声をかけつつ猿ぐつわを外すと、アネットが大声で叫んた。
「助けて! 誰か、助けて――っ!」
「だ、ダメだよアネット!」
リョウは慌てて口を塞いだ。冷や汗を書きつつ後ろを確認すると、番人は爆睡したままだ。
が、アネットはなおも「もごもご」と暴れている。
「暴れないでって……もおっ、柔らかくって良い匂いがするなあっ!」
リョウは悶々とするDT力を鋼の精神で押さえ込み、後ろ手の縄をハサミで切断した。
すると「ふっ」とアネットが大人しくなった。
恐る恐る手を放すと、アネットは眩いばかりに微笑んだ。
――彼女の手元を照らしていたペンライトに向かって。
「あなたは誰? もしかして妖精さん? 私を助けてくれるの?」
リョウは「がくん」と肩を落としたが、ふと思いついて、ペンライトをチカチカと明滅させた。
すると、アネットは再び嬉々として語りかけた。ペンライトに向かって。
「やっぱり! お父さんがむかし話してくれたの、いい子にしてたら森の妖精が助けてくれるって。あなたがそうなのね?」
(もしかして、これでコミニケーションが取れたりする?)
ためしに、ペンライトで大きく矢印を描いてみる。出口の方向だ。
「早く逃げろって言うのね? 分かったわ!」
アネットは「ふんす」と胸元で握りこぶしを作った。
(天使か)
あまりもの可愛さに悶絶していると、どたどたと物音が聞こえてくる。
アネットの叫び声を聞きつけて誰かがやってきたらしい。
「ちっ」
リョウは舌打ちしてペンライトを消し、槍を構えて部屋の隅に下がった。「あっ」と、アネットの残念そうな声が漏れる。
それを申し訳なく一瞥してから、入り口を睨む。
(誰だろうと一突きに――できるのか? ぼくに)
もしかしたら、人を殺してしまうかも知れない。
意識しだすと手の震えが止まらなくなった。創作物の先人たちは、これを乗り越えて英雄になっていった。だが――。
「無理だ」
リョウは早々に音を上げ、槍を逆さに構えた。
無理に覚悟を決めるより、心を平静に保つべきだと判断したのだ。
どうせ相手にはこちらが見えていない。
意識外から側頭部への一撃。これで気絶させる。やるべきことを明確にし、心と身体を準備する。
段々と、集中力が研ぎ澄まされていく。全身の痛みも和らいだ気がする。
(いい感じ。まずは一撃。外れても、もう一撃。大丈夫、ぼくならやれる――)
「アネット、無事か!」
しかし、駆け込んできたのは見知った巨漢の斧戦士だった。
リョウはすんでのところで槍を止めた。
「ベルナールさん!」
「よかった、怪我は無さそうだな。もう大丈夫だ」
少女に駆け寄るベルナールに続き、ロロットが入ってくる。
女魔法使いは部屋をざっと見渡し、それから背後を鋭く睨んだ。
「これはどういうことかしら、アルマンさん?」
それを受け、苦虫を噛み潰したような顔で佇む初老の男。村長のアルマンだ。
「知られてしまったからには仕方ない。あんたらには消えてもらう」
(悪役らしい台詞だな)
「最初からそのつもりだったでしょうに。でも、あなたにできるかしら?」
ロロットが嘲笑すると、アルマンは扉を閉めた。ほぼ間をおかず「がこん」と閂がハマる。
「しまった!」
リョウは青ざめたが、ロロットの声は平然としていた。
「仕方ないわね。どうせ死ぬなら教えてちょうだい。アネットをどうするつもり?」
鉄格子のハマった覗き穴から、アルマンの声が答えた。
「その子には良い値が付いてる。引き取ってもらうのさ」
「なるほど。人攫いにまで手を染めてたってわけ。女子供の失踪もあなたの仕業?」
「村のためだ、仕方ない。飢饉のたびに、どこでもやっていたことだ」
「ならどうして、飛竜退治の依頼なんか出したの? 報酬もバカにならないでしょう」
「私は反対だったんだ。だが村の総意だ、止められん。ならせめて、失敗を祈るしかないだろう」
(腐ってるなー)
リョウはアルマンの悪党ぶりに呆れ返っていた。どっちにしろ、冒険者たちを生かして帰す気はなかったようだ。
「これは確認なのだけど。セヴランを殺したのはあなたね?」
「あのわからず屋が、領主に報告するなどとほざいたからだ!」
いきなり、アルマンは声を荒げた。
「しかも魔石の件まで公にすると言い出した。言語道断だ。村人全員、こんな貧乏ぐらしから脱却するチャンスだというのに……だが殺す気はなかった、あれは不幸な事故なんだ」
「ものは言いようね。最後にもうひとつだけ教えてもらえるかしら?」
「なんだ?」
「どうして私たちが、こんな扉ひとつ破れないと思ったの?」
ロロットが台詞を言い終わるのと、ベルナールが扉を叩き割るのは同時だった。
「なあっ!?」
驚き後ずさるアルマンをかばうように、ふたりの男が槍を構えて進み出る。
「逃がすかって」
リョウはそれをすんなりかいくぐって、アルマンの顔面に全力の拳を叩き込んだ。
アルマンは「ぐへ」と声を出したきり倒れ伏せ、そのまま気絶した。
人を殴ったのは生まれて始めてだった。しかし、拳も心もちっとも痛まなかった。
振り返れば、さっき進み出た男たちは、すでに倒れ伏せている。どうやらロロットが魔法で眠らせたらしい。
「こいつは殺していいんだよな?」
ベルナールが、アルマンをつま先で小突きつつ、物騒なことを言った。
「ダメよ、この件の首謀者として町の衛兵に突き出す。そうじゃないと、私たちが嫌疑をかけられるから」
「ちっ、命拾いしたな」
ベルナールはアルマンを蹴飛ばした。ついでにリョウも蹴っておいた。
「えいっ」
なんとアネットまで蹴りを入れていた。とても可愛らしいキックだった。
その時、外からけたたましい声が聞こえてきた。
「犯人がいたぞー!」
「やっぱり冒険者だ!」
「アルマンの屋敷だ、急げ!」
「絶対に逃すな、二人とも殺せー!」
上の階にあがって外を確認したリョウは、「うわ」と声が漏れた。
すっかり殺気立った村人たちが、得物を手に屋敷を囲みつつあったからだ。
「どうする?」
「私が説明します、おふたりは悪くないって!」
アネットは力説したが、冒険者の二人は揃って首を横に振った。
「効果があるとは思えないわね。アルマンの息がどこまでかかっているか分からない」
「ああ。いったん火が着いた庶民はおっかねえからな。逃げるが勝ちだ」
「と、言うわけよ。アネット、悪いけど、あなたにも着いてきてもらうわ」
ロロットが告げると、アネットは神妙な顔で頷いた。
「このおっさんも連れてくのか?」
「暴れられると面倒よ。置いていきましょう。彼はどのみち逃れられないわ」
ともかく、冒険はまだ続くようだ。
(まだ休めないのか……)
リョウは項垂れたが、すぐに気合を入れ直した。
彼らと別れて村に残る、という選択肢は、なぜか思い浮かばなかった。
○
なんとか裏口からアルマン邸を脱した一行だったが、そのあと途方に暮れていた。
村の入り口付近が、大人数で抑えられていたからだ。
やはりみな、槍や弓矢で武装している。どちらも、数があればあるほど効果を発揮する武器だ。
ベルナールは早々に自分の手に負えないと判断した。
「魔法でなんとかならねえか?」
「殺していいなら可能よ」
「そんなのダメです!」
アネットが強く抗議したが、もともとロロットにその気はない。
リョウならあるいは、全員を叩き伏せることができるかも知れない。だが時間がかかるし、騒ぎにはなるだろう。
加えて言うなら、体力が持つかどうか怪しい。ただでさえ歩くのも辛い状態なのだ。
どうしようか悩んでいると、アネットから提案があった。
「裏山の向こうに、村の人が知らない抜け道があるんです。峠道が街道に続いてます。そこへ行きましょう」
ロロットとベルナールは顔を見合わせた。
「ま、行くだけ行ってみようや」
「そうね。ここに留まるのも危険だし」
こうして、一行はアネットの先導で峠道を目指した。
途中、アネットが思い出したように囁いた。
「妖精さん、まだいる?」
彼女のすぐ側を歩いていたリョウは「ビクッ」とした。まるで自分にだけ聞こえるような声量だったからだ。
「やっぱりもう消えちゃったのかな? お礼、言えなかったなあ……」
「ん? 何か言ったかアネット」
「なんでもないですっ」
訝しむベルナールにばたばたと手を振って答えるが、そのあと、アネットは明らかに気落ちしていた。
(あまり酷使すると電池がな……でも、ちょっとだけなら)
リョウは光量のつまみを最小限にして、アネットの前でチカチカさせた。
「妖精さん!」
アネットは「ぱあ」と満面の笑みを浮かべた。
半ば無意識に、ペンライトを自分の真ん前に持ってくると、アネットは可憐な笑みをまっすぐリョウに向け、こう言った。
「ありがと、妖精さん。これからも守ってね」
(何だこの気持ちは……ぼくは死んでしまうのだろうか)
高鳴る胸を押さえつつ、リョウは思わず後ずさった。
鼓動が痛いくらいに早く、息苦しかったが、同時に心が急速に、温かいもので満たされていった。
今日一日の奮闘が、やっと報われた。そんな想いだった。
「驚いた。これはきっと光霊ね」
「光霊?」
「純粋な魔力の塊とか、羽虫が魔物化したものだとか言われているけど……私も実物を見るのは初めてよ」
なんだか冒険者たちに魔物扱いされはじめたので、リョウはペンライトを消した。
「あっ……消えちゃった」
また、アネットが残念そうな声を漏らしたので、リョウは心を痛めた。
すると、ロロットがこんなことを言う。
「アネット。光霊……妖精さんは、きっと魔力を使って光っているのよ。とても疲れるはずだわ」
「そうなんだ……。妖精さん、ごめんね。わがまま言わないから、ずっと側に居てね」
「神さまありがと――!!」
リョウは絶叫した。冗談抜きで、生まれて初めて神に感謝した瞬間だった。
そんなこんなで気力をみなぎらせ、険しい山道を行くこと数十分。
ようやく、アネットの言う「峠道」に出た。
「あそこです。あの峠を越えたら、あとは坂道の突き当りが街道に――」
駆け出そうとしたアネットの手を、ベルナールが強く掴んだ。
怪訝に振り返ると、巨漢は押し黙り、人差し指を口元に当てている。
その理由はリョウにもすぐ分かった。
峠のてっぺんにうごめく影がある。
それは何体もの獣の群れ。月明かりを受け、銀色に輝く。
「銀狼……!」
ロロットが小さくうめいた。
くすんだ毛並みの大きな個体もいる。額の傷は、今度はリョウの目にもよく見えた。
そして鋭い眼光が、まっすぐこちらを捉えているのが分かった。