22.犬も歩けば……
前話の21話の最終節、ちょっと突飛過ぎたので別のシーンに差し替え。
元のロロットの話を断章4に回しました。
去年お読み頂いた方はいちおうご確認を。
デルナとアークラットの中間地点には、大きな壁が築かれている。
山間を完全に埋める、長さ十数キロ、高さ二十メートル以上の防壁。ミナドの大壁、という名がついている。この壁の向こうは、ほんの五十年ほど前まで魔境であり、ここが人の世の堺だった。
いわゆる「始まりの冒険者」たちによって魔境が制圧されてからは、人の往来もどんどん増え、壁の両側には宿場街も出来ている。リョウは昨晩、その宿の一室で一夜を明かした。
ちなみにフェルナンはこの宿ではなく、酒場で引っ掛けた酌婦と一夜を明かしたらしい。何となくそんな予感はしていたが、この若者はかなりの女好きで「腕」も確かである。昨晩、酌婦をひっかけた「手口」は、傍から見ていて呆れるよりも感心するほどだった。
「あの壁を抜けても、街までは遠いんだっけ」
「中心街まで丸一日、ってとこですかね。しばらく山道が続きますし、魔物もでやす。旦那がいりゃあ心配ないと思いますが、気を引き締めて行かねえと」
そういうフェルナンも、腰にはなかなか立派な剣を佩いている。相手がただの人間ならそれなりに戦えるそうだが、魔物相手は勝手が違う。
リョウの心配は、どちらかといえば無事に関所を抜けられるかどうか、だったのだが、そこはまるで問題なかった。フェルナンの積荷はアークラットのギルドに卸す品で、正式な手形も所持していたため、検問もあっさりとしたものだった。
ミナドの壁を抜けると、山間から一気に視界がひらける。眼下に広がるのは深い森だ。それが南東の方角へずっと続く。地平は常時、霧に埋もれて見通せない。
ただし、街道は東、山肌沿いに伸びている。山越えの悪路だ。踏み外せば、そのまま転げ落ちていくような場所もある。積雪が少ないのが救いだった。
「こんな危ない道で魔物なんか出たら大変だね」
「おかげで賊に出くわす心配も少ないんですがね」
二頭引きの荷馬車に護衛もなし。山賊が居れば襲ってくれと言っているようなものだ。ふつうなら抑止力のために十分な護衛を雇うのだが、今回は急ぎでもありそれもできない。
そもそも、魔物はこちらの戦力など考慮しない。ふつうの野生動物と違って生存本能を優先しないのだ。身の危険を顧みず、命が燃え尽きる瞬間まで立ち向かってくる。その恐ろしさは、単純な戦闘力を超越したものがある。
「どんな魔物が出るの?」
「よく聞くのは鬼蝙蝠ですかね。魔狂猿ってのも厄介です」
鬼蝙蝠は翼長1mほどの吸血コウモリ。当然ながら空を飛ぶ。魔狂猿は素早い上にパンチ力のある猿で、どちらも群れで出現するそうだ。眼下の森を住処としているが、街道まで上がってくることもままあるらしい。
「それと魔物じゃありやせんが……夏場は亜竜族もでやす」
(うへえ)
亜竜族と聞いて、リョウは身震いした。二足歩行の大蜥蜴、いわゆる獣脚類の総称だ。大小さまざまな種類がいるが、リョウが出くわしたのは1mほどの種で、固くて素早い上に群れで連携するという厄介な相手だった。
「ずっと昔は飛竜より大きいのが居たそうですね。今じゃ絶滅したって話ですが」
「それは逆に見てみたいな」
「俺らは絶対に御免です。出くわしたら一瞬で食われちまいまさ」
こんな会話が交わされてすぐのこと。
二頭引きの荷馬車に揺られながら、何となく右方の下り斜面、森の方角を見ていたリョウだが、ふと物音に気付いて後方に視線を送った。
高い日差しをチラチラと反射する何かに気付いたのだ。よくよく見れば、おそらく刃物。槍だ。
「後ろから誰か来る」
警告を発し、偵察を申し出る。どうも付かず離れず付いてくるようだ。
「賊ですかね。馬車はこのまま進めます、お気をつけて」
「うん。挟み撃ちかも。ぼくが戻るまで無茶しないで」
言い残し、素早く駆ける。悪路とは言え馬車が通れる道だ。リョウの障害にはならない。
すぐに後方の一団を確認できた。武装も背格好もちぐはぐな5人組だ。ならず者には違いないが、賊かどうかは分からない。冒険者の一団だと言われればそう見える。
どうすべきか迷っていると、ふいに視界を何かが横切った。
(なに!?)
同時に悲鳴が上がる。ならず者の一団からだ。ひとり足を踏み外したらしい。急な斜面を転がり落ちていくのがちらりと見える。
それで終わらなかった。いくつもの影が、ならず者たちに襲いかかったのだ。右手、山肌の上方から、毛むくじゃらの子どものような影。
外見は猿に酷似している。ただし腕だけが異様に長く太い。拳はまるでハンマーのよう。そして目が赤い光を放っている。
「魔物か!」
数は十を超えている。ならず者たちは必死に応戦していた。みな手練れだ。足場の悪い中で倍以上の魔物の群れを相手にしながら、堅実に反撃しているように見える。なんと、魔法使いまでいるようだ。
おそらく賊ではない。リョウはそう判断し、助太刀することにした。街道に現れる魔物は即殲滅すべし。冒険の師リースの教えでもある。
駆けつけ、猿を一匹背後から突き殺すと、左方、斜面の下からも戦いの音が聞こえてきた。
見れば、さきほど転落した男が斜面に細身の長剣をつきたて、半ば倒れ込みながら、短剣で群がる猿に応戦しているところだった。
あの体勢でよくも凌げるものだが、このままでは嬲り殺されるか転落するかどちらかだ。
考えているヒマはない。リョウは斜面を滑り降り、猿の魔物を一匹ずつ、確実に仕留めていった。動きは素早いが捉えられぬほどではなく、前後に振り回される長腕も、大工房謹製の矛の前ではリーチ不足だ。
だいいち、向こうにはこちらが見えていない。何匹いようとリョウの敵ではなかった。
さほど苦労せずに駆除が終わったころ、上方の戦いも落ち着いてきたようだ。
「レイガス、無事か!?」
「問題ない、そっちはどうだ?」
「こっちも無事だ。待ってろ、いまロープを下ろす!」
レイガス、というのはこの男の名前だろう。上背があって体格も良いが、よくよく見れば若い。ほとんど少年と言ってよかった。もしかしたらリョウより年下かもしれない。髭もない綺麗な白い肌だ。対称的に髪と瞳は真っ黒だった。
髪はともかく、真っ黒な瞳というのは初めて見た。虹彩と瞳孔の判別がまったくつかない。どこか神秘的な印象すらある。
「くっ!」
立ち上がろうとして、レイガスが顔を歪めた。足をやられたらしい。
リョウは聖炎を熾し、彼の負傷を癒やした。
レイガスはしばし呆然としていたが、仲間からロープが降ろされると、ハッと我に返って胸元で印を切った。リョウが見慣れた青炎教のものではない。
「戦神よ、感謝する」
驚くべきことに、この言葉はリョウの知るこのあたりの言語ではなかった。意味だけは自動翻訳が機能したので分かったが、明らかに響きが異なる。
(どこか遠い国の人なのかな)
そう言えば顔面の造形も異質に見える。
ともかく彼はもう大丈夫そうだ。リョウは素早く斜面を駆け上がって街道に復帰した。
レイガスの仲間たちは、ロープを引く屈強な男を除き、魔物の死骸を調べているようだった。
耳の尖った小柄な男もいる。妖鬼という異種族だ。アルノアでも何人か見かけた。まるで欧米人の少年のように見えるが、この彼が成人しているのは間違いない。
なぜなら魔導具なしで魔術を使っていたからだ。つまり魔術師。子どもなわけがない。
「アック導師、何か分かるか?」
一行の中で一番貫禄のある髭面の男が問う。それを受け、アックという名らしい妖鬼の魔術師が答える。
「支配系魔術だ。けしかけられたね」
「相手は魔法使いか。前方に居た荷馬車のやつか?」
「違うね。おそらくあの荷が狙いだ。僕たちが邪魔になると踏んだんだろうさ」
彼らの会話から事態を察し、リョウは慌てて駆け出した。猿の群れは足止め。なら今頃は――。
○
フェルナンは突如現れた一団に足止めされていた。
現れたのは三人。いずれも黒ずくめの衣装で、ご丁寧に覆面までしている。
闇に紛れるなら良い選択だが、日中は目立つ恰好だ。
「何かご用ですかね。手前はしがない行商人ですが」
返事はなく、黒装束の三人は素早く散開し、フェルナンを取り囲んだ。さすがに声を聞かせてくれるほど阿呆ではないらしい。そして動きは無駄がなく俊敏。ただの山賊とも思えない。
「旦那、出番ですぜ!」
フェルナンは大声で叫ぶと同時に御者台から飛び降り、二頭の馬の間を低い姿勢で駆け抜けた。リョウがこの場にいないことくらい分かっている。意表をつくためだった。
瞬時に黒装束の視界から消えたフェルナンが馬影から飛び出した時には、すでに長剣を抜き放ち、正面の相手に迫っている。
覆面の隙間から、眼光が驚きの色に揺れた。
(もらった!)
渾身の突き。だが長剣は空を切った。いや、標的が眼前から消え失せていた。
フェルナンは舌打ちし、体を流したまま前方に飛び退く。
間一髪、背後で鋭い何かが空を切る音。
そのまま地面を転がって素早く立ち上がれば、両の手にそれぞれ短刀を構えた黒装束が迫っている。
させじと長剣を払って牽制し、正眼にかまえて距離を取った。
相手もひとまず追撃を止め、すきの無い構えでこちらを伺う。背後からはすでに得物を抜き放った残るふたりが迫り、再度こちらを包囲しようとしている。
「臆病なこった。ひとりじゃ無理だからお仲間を待とうってか?」
じりじりと後退しながら挑発。何ごとか応じてくれたらスキも作れるかと思ったが、やはり返事はない。思った以上の手練だ。こちらを確実に追い込むつもりなのだろう。
フェルナンは覚悟を決め、前方の一点突破を目論む。
しかし、踏み込んだ瞬間に右肩に熱。短刀に切り裂かれた。咄嗟に飛び退いて追撃を躱すが、相手は血飛沫の中をさらに突っ込んでくる。させじと長剣を払えば、限界まで沈み込んだ姿勢でかいくぐり、一瞬で眼前に迫った。
「くっ!」
喉元めがけて突き出された攻撃を、フェルナンは右腕で防いだ。骨を貫く衝撃と激痛をこらえ、剣を振るって反撃。
黒装束はいとも簡単に半身を反らして避け、トドメの一撃を振るった。今度こそ、こちらの喉笛を掻き切る一撃。
が、それがフェルナンを捉えることはなかった。より早く、相手が横合いから攻撃を受けて吹っ飛んだからだ。
見えない一撃。この場でその正体に気付いたのはフェルナンだけだった。
(旦那、遅すぎですぜ!)
むろん、歓喜のあまり援軍の存在を知らせるほど、フェルナンは愚かではない。
「そこまでだ。おいたが過ぎたな」
痛みを堪えて不敵な笑みを見せ、大仰に剣を薙ぎ払ってみせる。やや遅れて、右方に回り込んでいた影が声も上げずに崩れ落ちた。
「魔法使いか!?」
正面でうずくまる黒装束が狼狽のあまり叫ぶ。なんと女の声である。
フェルナンは驚きを隠し、なおも不敵な笑みを浮かべ続ける。
「おうよ、死にたくなかったらそこを動くな。おい、てめえもだ!」
正面の女に剣を突きつけ、左方の黒装束に怒鳴りつける。だが、ちょうど斜面のふちに立っていた黒装束は逡巡すらしなかったようだ。すぐさま宙に身を投げ出し、斜面を滑り落ちるようにして逃走した。
「〝飛び降り自殺?〟」
宙空に文字が浮かび上がる。むろんリョウだ。
「いえ、あの様子だと生きてますね。事情はこいつらに聞きましょうか」
「あんた、誰と喋ってるんだい?」
剣を突きつけられた女が訝しげに問う。フェルナンは鼻を鳴らしてこう答えた。
「俺らの守護霊さ」
(適当なこと言っちゃって)
リョウは呆れながら聖炎を起動する。純白の光にあてられてフェルナンの傷が癒えると、黒装束の女はうなり、観念したように肩を落とした。
「治癒魔法まで……最初っから三人でなんとかなる相手じゃなかったね。好きにしな」
リョウとフェルナンはお言葉に甘えることにして、手早く二人を拘束した。そして気絶したままの男を路上に放置し、女だけを荷馬車に放り込む。そのまま旅を再開した。
「男は放っておいて大丈夫でしょう。これ以上荷が増えるのも面倒ですしね」
「そうだね。後ろから来る人たちに押し付けちゃおう」
「どんなやつらだったんで?」
「それが――」
後方での一部始終を伝えると、フェルナンは襲撃の件で女を問い詰めた。覆面は取っていない。そのほうが口の滑りが良くなるはず、との判断だった。
そのおかげかどうか、女は拍子抜けするほどあっさりと返答した。
「魔物をけしかけたのは外部の協力者さ。そいつの仕事はそれだけで、あとのことは分からないね」
リョウはにわかに警戒を強めた。つまりまだ敵が残っているということだ。
ところが、フェルナンはもう危険はないと判断した。
魔物を操れるような魔法使いはよほど高位の魔術師か、そうでなければ呪術の使い手だ。前者だったら最初から一人で襲撃するだろうし、後者だとしたら差し迫った脅威ではない。呪術は準備に時間がかかるからだ。
どちらにせよ、魔法使いがただの山賊行為に手を貸すとも思えない。彼らにはもっと良い働き口がいくらでもある。フェルナンの最大の疑問点はそこだった。
「なぜ俺らを狙う?」
「目的は剣だよ」
「剣?」
「その荷に混じってるはずさ」
荷を確かめると、確かにあった。古めかしい黒塗りの鞘に収まった長剣だ。飾り気もない無骨なものだが、よく見れば金色の文字のようなものが刻まれている。
フェルナンは何気なく鞘走らせようとしたが、剣はびくともしない。錆びついて抜けなくなってしまったのか。とんだ骨董品である。
こんな剣を仕入れた記憶はないから、何者かが道中で忍び込ませたのだろう。人知れずミナドの大壁を越えさせるのが狙いだったのかもしれない。
「こいつを渡せば俺らはもう狙われねえのかい?」
覆面の奥で、微かに虹彩が揺れたのが分かった。
「確約は出来ないね。あんたはあたしらを知っちまった」
「ふぅん?」
物騒な物言いだったが、フェルナンは動じた様子もなく長剣をもてあそび、興味を失ったように荷台に放り投げた。
リョウが拾って確認する。やはり抜けない。引っかかるとかいう次元ではなく、剣と鞘が初めから一体だったような具合だ。よもや長剣に見せかけた鈍器なのだろうか。
造りは頑丈で、破壊力はそれなりにありそうだ。黒塗りの鞘は木材ではない。まさかとは思うが、質感はカーボン素材に酷似している。
「ま、街に着いたら剣と一緒に開放してやらあ。窮屈かも知れんがしばらく我慢してくんな」
「……あんた、もしかして馬鹿なのかい?」
「賢いあんたはこういう時どうするんだ?」
しばらく返答はなかった。覆面のせいで表情の変化は伺えない。が、視線は忙しなく彷徨っていた。どうすべきか熟考しているのだろう。リョウもフェルナンも注意を払いつつも、彼女をそれ以上問い詰めようとはしなかった。
この黒塗りの長剣が、ただの骨董品でないのは明らかだった。ふたりとも興味がないこともないが、面倒事に首を突っ込みたくないというのが本心だ。
やがて、女が重々しく口を開いた。
「気を利かせてもらって悪いけど、このまま戻ってもあたしは殺されちまう」
「そりゃ災難だな。でも俺らにゃ関係ねえ」
「あんた、お金は好きかい?」
「もちろん大好きだが、命の方が大事なんでな」
「嘘だね。そんな男が〝こっち側〟に一人でくるもんか」
フェルナンは肩をすくめた。
「まあ、言うだけ言ってみろ。俺らに何をさせたい?」
「あんたの用事が済んでからでいい。あたしを大壁の向こうに連れてってくれ。ギルモア金貨百枚でどうだい?」
と、彼らがこんな話をしているころ、後方ではまた別の会合があった。
置き去りにした黒装束の男とレイガスたちである。
「明らかに戦闘の跡だ」
妖鬼の魔術師、アックが示すまでもなかった。地面には血痕があり、複数の真新しい足跡が乱れ付いている。斜面には何者かが滑り落ちた跡も残っていた。状況からして、荷馬車の男が複数の襲撃者を撃退したようだ。
それだけなら、荷馬車の男の腕っ節を褒め称えるだけだ。が、アックはこの場で己にしか分からない不自然さを感じ取っていた。
魔力の流れが妙なのだ。まるで、誰かが魔法を使ったあと、その痕跡だけを無理やり消し去ったような――。
「いったい何があったのだろうね」
アックのつぶやきは、同行者たちに正しく理解されなかった。
「まあ、詳しい話はこいつに聞くしかないな」
気絶したままの黒装束の男は面白い方法で拘束されていた。後ろ手に回した両手の親指同士だけを紐で結んでいたのだ。目立った外傷がないのも不自然だ。どちらもリョウの不精が理由だが、アックは言い知れぬ不気味さを感じていた。
「……」
目覚めた黒装束の男は黙秘した。焦れたアックが忠告する。
「あんたが街道で山賊行為を働いたのは間違いない。しかも魔物をけしかけるという忌むべき手段まで使って。我々はギルドの規定に乗っ取り、この場で断罪する権限があるが?」
「殺すなら殺せ。何も話す気はない」
一同は顔を見合わせて肩をすくめた。
ただ一人、険しい表情で黒装束を睨んでいたのはレイガスである。
「ひとつだけ教えろ。ユーディットはどこにいる?」
一瞬、男の表情が明らかに変わった。それから絞り出すような返答。
「聞いてどうする?」
「もちろん殺す。おまえら全員、一人残らず」
黒装束の男は小気味よく笑った。
「そうか、頑張れよ小僧」
「どこにいるかと聞いている」
「自分で探せ。それくらいできんようでは、おまえの望みは叶わんぞ」
「――なら死ね」
止める間もなく、誰の目にも止まらぬ狂刃の煌めきが、黒装束の首を刎ね飛ばした。成人したての若者とはとても思えぬ剣閃だ。
呆気に取られる仲間たちを尻目に、レイガスは目をつむって何言か呟いた。
まるで、神に感謝の祈りでも捧げているかのようだった。
○
アークラット郊外に口を開ける大迷宮は、内部に古代文明の遺跡と大量の魔石を擁する、黒地以北地域で最大のダンジョンだ。その大半が人類未踏の魔神窟。アークラットはこの大迷宮を探索する冒険者の拠点として起こり、発展した。
成立からわずか四十年。まだ若い都市だが、規模人口ともに宗教都市デルナをはるかに凌ぎ、今なお広がり続けている。
行き交う人々も様々で、今や冒険者は少数派に過ぎない。ただし、明確な統治機構が存在しないため、街並みは無秩序でさながら迷路、大通りから一歩でも外れたら、陽の光の届かないスラム街となる。
それでも、ギルドや自警団、物好きな冒険者やヒマを持て余した魔術師などが睨みを利かせているため、治安はそれほど悪くないという。が、石畳もまばらな路上は生ゴミや糞尿に塗れており、不衛生どころの話ではない。
というか臭い。
冬場にこれだけ臭うのだから、夏場はもっと恐ろしいことになるだろう。
こんな街に長居は無用だ。フェルナンを送り届けるという目的を果たした今、本来ならすぐにでもデルナにとって返したいところだが、ひとつ頭の痛い問題が残っている。
道中で拾った怪しげな剣と、黒装束の女である。
「伝説の剣?」
「あんたも聞いたことがあるだろ。勇者と英雄王のおとぎ話さ」
黒装束の女――ティリスが明かしたのは、にわかに信じがたい話だった。
太古の昔。この大地を滅ぼさんとした魔竜がいた。
その名を竜王ジャークノート。古代の文明を一夜にして滅ぼし、人々に圧制を敷いた邪悪の化身。これを滅ぼすため、神々が二人の超人にそれぞれ剣を与えた。
勇者ヴィシュナスに「守護の剣」を。
英雄王アルドリアに「栄光の剣」を。
二柱の英雄神は見事、竜王を打ち倒して世界に平和を取り戻した。細部は違えど、世界各地で語り継がれる伝説だ。
リョウもゆく先々で耳にした。ありがちな話だとさほど気にもとめていなかったが、フェルナンにしても同じだったようだ。
「これがその剣だって?」
「言いたいことは分かるけど、おとぎ話が本当かどうか、これが本物かどうかは問題じゃないよ」
少なくともこの剣は、それを本物だと信じる国家が第一級の国宝としていたものだという。
ガイラント、という国だ。ギルモア大皇国の南方――大陸最高峰イシュカンドリュテ山のふもとに座し、勇者ヴィシュナスの末裔を声高に喧伝する国家である。
きしくも皇国の王家も勇者の末裔を名乗っていて、この二国はお互いの正当性を巡って永く相争ってきた。
その正当性を強力に担保するのが、この黒塗りの剣というわけだ。
「いったいどれだけの値が付くんだろうね。あたしの見立てじゃ、金貨百枚どころじゃないと思うよ」
この情報と引き換えに、ティリスは己の保護を願い出た。正確には、彼女をミナドの大壁の向こうに送り届けることを。
「何も一生守ってくれなんて無茶は言わないよ。壁の向こう側にさえ出れりゃ、あとは自分でなんとかするさ」
「なら壁の向こうも一人で行けばいいじゃねえか」
「それができたら頼んでないよ」
と、ティリスは胸元に刻まれた奴隷紋を晒した。
「あたし一人じゃあの壁を越えられないのさ。誰かに〝ご主人様〟になってもらわなきゃね」
「……逃亡奴隷じゃ、どのみち長くねえぞ」
「構わないさ。デルナに会いたいやつが居るんだ。一目見れたらいつ死んでもいいよ」
フェルナンはその場での即答を避け、街に到着してからリョウと二人で話し合った。
「正直、剣と一緒に放り出すのが最善だと思いやす。剣もあの女も危険すぎまさあ。ただ、この剣を市井に流しちまうのも問題です」
「どういうこと?」
「下手すりゃ大きな戦になりやす」
この理屈は、さほど深く考えなくても分かった。仮にこの宝剣が皇国に渡った場合、皇国側はこれ幸いと自らの正当性を主張するだろう。ガイラント側は決して許さないはずだ。武力衝突に発展するのは想像に難くない。
だが、所詮は他国の問題。皇国もガイラントも、アルノアからは遠く離れている。フェルナンが何を危惧しているのが、リョウは正直ピンと来なかった。
「旦那は黒地をご存知で?」
「魔物がたくさんいるんだっけ。アルノアの何倍も広い土地だと聞いてるけど」
「あそこの魔物が人里に大挙して押し寄せてこないのは、皇国の軍隊が定期的に間引いてるからです。ガイラントと戦争なんてことになりゃ、そんな余力も無くなります」
もちろん、だからといって皇国が自国の防衛を疎かにしたりはしないだろう。ただし、他の黒地周辺諸国――特に皇国とは正反対の方向にあたるアルノアの被害は甚大なものとなる。
「皇国って世界最強なんでしょ? ガイラントって国にもあっさり勝っちゃったりするんじゃない?」
「とんでもねえ。そりゃ世界を知らねえ連中が適当に言ってるんです。皇国より幅利かせてる大国なんざいくらでもあります。こと軍事面に限りゃ、ガイラントは一番やべえ。あいつらは女子供も馬上で槍やら弓やら使う戦闘民族なんです。下手すりゃ皇国の方が滅んじまいまさ」
ここまで一気に言ってのけたフェルナンの剣幕で、リョウはようやく事態の深刻さを理解した。
「……こいつあ俺らの手に余ります。あの女を無事に大壁の向こうに連れてくのも、この剣をどうにかするのも、俺ら一人じゃ無理だ」
「でも、どうにかしたいと思ってる?」
リョウが問うと、フェルナンはおもむろに地面に両膝を着いた。
「勝手な言い分だってのは分かってます。でもどうか、あと少しだけ旦那の力を貸してくだせえ」
彼が言い終わらぬうちに、リョウはその場に腰を下ろした。ただでさえ年上の彼に丁寧な態度を取り続けられて恐縮していたのに、頭が高すぎるのは居心地が悪い。
何となく、彼と出会えて良かったと思った。今日出会ったばかりの赤の他人――しかも自分を殺そうとした相手のために頭を下げられる人間はそうはいまい。
「〝ひとつだけ条件があるんだけど〟」
筆記版を見せると、フェルナンは怪訝に顔を上げた。
「なんです?」
「この剣、ぼくがもらっていい?」
その言葉をどう受け取ったのか。徐々に頬を緩めるフェルナンを見ながら、リョウは内心で雄叫びを上げていた。
――伝説の剣、ゲット!
と。
ギグノスという種族は「とり夫」さんから許可頂いて拝借しました。
詳細は以下PIXIVのページで。
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=32966000