断章4.理外れの愚者の王
もともと前21話の最終節だったやつです。
別のエピソードと差し替えてあります。22話前書きにも記しましたが余裕があればご確認を。
迷宮都市の町外れに、風変わりな一軒家がある。
地上に生えているのは枯れ果てた巨木だ。それを利用して造られた家。
ただし中は綺麗にくり抜かれ、てっぺんは煙突の如く開いている。いや、紛れもなく煙突だ。その証拠に、もくもくと煙が吹き出ている。
入り口の扉は、木の根元に斜めについてる。開くと、いきなり階段。
螺旋状の深いものだ。煙はその底から出てくるらしい。下っていけば、そのうち広いホールに降り立つ。
煙を上げていたのは、大の大人が三人がかりでやっと一抱えできそうなほど、大きな壷。炭火にかけられ煮立っているようだが、特に匂いはない。
「誰だい?」
奥の暗闇から声がした。まるで少年のような声。
ただし言葉はこのあたりの公用語――グラニア語ではない。もっと古い時代の、今では話者も少なくなった言葉。
来客は同じ言葉で返答した。
「ロザリア・ゼニス・ローズワルトです。先触れはあったかと思いますが」
「ああ。そう言えばそんな話をしていたな。どうぞ、入って。明かりは必要かい?」
「いいえ、お構いなく」
来客――ロザリアは短杖を掲げて呪文を唱えた。【暗視】の魔術が完成し、この「穴ぐら」の様子をつぶさに視界に捉える。だが単眼で見渡せる範囲は狭い。
ふいに眼帯に隠された傷が疼き、ロザリアは反射的に手で抑えた。
彼女の人生の大半をともにしてきた、頼りになる相棒は失われた。魔術の師から貰ったもので、一点ものだ。その師もとうに死んだ。この先の人生は、この無粋な眼帯と共に過ごさねばならない。
「どうしたの、早く。私は忙しいんだ」
「失礼を」
とくに苛立った様子もない、平坦な声に謝罪を返し、その方向に進む。
足を浮かせて長椅子に腰掛けていたのは、ほんの子どもだ。
少年だろうか。大仰なターバンにやや隠れた大きな目が、さらに好奇心に見開き、爛々とロザリアを捉えている。ゆったりしたローブは年季が入っていて、少年にはまるで似合わない。
思わず口元をほころばせかけ、ロザリアは表情を引き締めた。外見がどうあれ、眼前の人物は生ける伝説である。無礼があってはならない。
「人間の女性はいつもそうだ」
少年は口唇をとがらせた。
「まるで子猫でも愛でるような目で私を見る」
「重ね重ね、ご無礼をお許し下さい」
「いいよ。キミはマシなほうだ。少なくとも侮蔑がこもっていない」
「高名な大賢者を前にそんな心構えができるほど、肝は座っておりません」
「そんなものになったつもりはないけどね。さ、そこに座って」
促されるまま、いつの間にか出現した椅子に腰掛ける。
「探しものは何だい?」
「人を。ユーディット・フリッツという男を」
「ふぅん。報酬は?」
「わが命を」
少年はわずかに目を細めた。
「寿命なら十年。聞いているよね?」
「はい、構いません」
「なら頼みは聞けないな。キミがこの場で死んでしまう」
ロザリアは息を呑んだ。
「ほかの物なら、魔竜の牙か魔神の角か、魔人の生き血か。古代種の真眼、でもいいけど」
「いいえ。どれも、私には用意できません……」
歯噛みしつつ答える。少年は困り顔でこう告げた。
「ふむ。ならばこうしよう。報酬はキミの身体の一部。だが私が提供するのは場だけだ。やってみるかい?」
「はい。お願いします」
ロザリアは即答した。考えている暇はない。他に手はないのだ。十年も持たぬ身体なら、いまさら何が失われても構わない。
「そう。なら行くよ」
少年が告げた瞬間だった。
周辺の景色が一変した。少年も長椅子も、部屋も地面も何もかもが消え失せ、虚空に己の身体だけが――。
いや、身体すらない。ただ無限に広がる星々の瞬きの中に、己の意識だけが漂っている。
(これは――!)
ロザリアは恐慌しかけた。が、何かが背中を……支えたような気がする。
「心構えがなっていないぞ、ロザリア・ゼニス・ローズワルト。まがい物とは言え魔術を志したのならば、根源に至らずとも、それを見つめる意思は持て」
何やら厳しい言葉。いや、言葉ではない。概念か。ロザリアの意識に直接、強制的な理解を植え付けていく。
「探求は力。力は意識。意識は眼。眼が汝の手だ、ロザリア・ゼニス・ローズワルト。探すがいい。時は無限にある」
それからどれくらいの時が過ぎたのか。
途方もない一瞬に光りをつかみ、ロザリアはすっと目を開いた。
「意外と早かったね。キミはなかなか見込みがある」
眼前に、うっすらと笑みを浮かべる少年の顔があった。長椅子から降り立ち、ロザリアの顔を覗き込んでいたらしい。
「有り難いお言葉です」
言葉を返すと、さらににっこりと微笑む。無邪気な笑顔。思わず撫でたくなるような。
「不遜だぞ、ロザリア・ゼニス・ローズワルト。探し物は見つかったかい?」
「はい、導師。ここから西、聖地デルナの地に」
「なんだ、近所じゃないか」
少年はあからさまに呆れた顔で告げた。
「自分の足で探せただろうに。キミも勿体無いことをしたな」
「いいえ。とても勉強になりました。根源に至る道筋を見つけられたように思います」
「そう、それは良かった。でもこれじゃあ報酬をもらいすぎだ。ひとついいことを教えてあげるよ。デルナに行く前に、もう少しアークラットにとどまるといい。そうだな、二日でいい」
「なぜです?」
「キミにとって大事な出会いがあるからさ。キミをよく知っている人だ」
ロザリアは怪訝に目を細めたが、大賢者の言葉を疑うべくもない。ローブの裾をつまんで優雅に一礼した。
「感謝を。偉大なる愚者の王」
「いいよ。それより、もしあの世でリーンハルト・グイン・ローズワルトにあったらよろしく言っておいてくれ」
「――わが師をご存知なのですか!」
「知っているとも。五十年ほど前にここへやって来た。運命の女性を探していると言うから、故郷に戻って静かに暮らせと助言してやった。報告に来る人間は滅多に居ないが、捜し物が来たのは初めてだよ。彼の望み通り自由に生きなさい、ロザリア・ゼニス・ローズワルト」
その言葉を最後に。
少年は目の前から消え失せた。いや、さきほどの部屋そのものが無くなっていた。
ロザリアが立っていたのは、枯れ果てた巨木の前である。もう煙は出ていない。木の根元にも、入り口らしきものはない。
ふと、眼帯の奥に違和感がある。
恐る恐る外すと、広がる視界。およそ十五年ぶりの、色鮮やかな世界。それもすぐに涙で滲んだ。
不治の病も身体の一部に含まれるのだろうか、と。あふれる想いの片隅で、ロザリア・ゼニス・ローズワルト――魔法使いロロットはほんの一瞬、そんなことを思った。