21.噂を信じちゃいけないよ
デルナの上空を、ふたつの人影が飛び回っている。
すでにこの街の日常となった風景である。待ち行く人々はちらりと視線を送るだけで、特に騒ぎ立てたりはしない。しばしば、温かい笑顔とともに手を振る者がいるだけだった。
(いや、おかしいでしょ。どうなってんのこの街?)
リョウは戦々恐々と物陰に身を潜め、様子を伺っていた。空飛ぶふたつの人影は、ともに知人だ。向こうが知っているかは知らないが、少なくとも日の半分を同じ教室で過ごしてきた学友である。
そして今もっとも、リョウが恐れているふたりでもあった。
ひとりは霧島優美。あらゆるものを見通せるという【神眼】の持ち主。リョウの姿も捉えられるかもしれない。
もうひとりは、いわゆる「魔女」の恰好でほうきに乗っている。
尚武紀子。あらゆる物体を思念で操る【念力】の使い手。対峙すればリョウなどひとたまりもないだろう。
「っていうか霧島さん、前より美人になった? 尚武さんも驚くほどスリムに……いやでも勘違いしすぎでしょ。あんな恰好してる人、この世界で見たことないよ……」
街角の噂話に耳を傾けてみれば、あのふたりは定期的にああして街を見回るのだという。ならばリョウとは無関係、とは考えにくい。おそらく彼女たちが冒険から戻ったのは今日。それなのにああして見回っているということは緊急事態だ。つまり、リョウを探している可能性が高い。
「見えてない、のかな?」
頭上を素通りしていくふたりを見て、ひとまず胸をなでおろす。
昨晩は例の宿を脱したあと、その辺の宿屋に侵入して一夜を明かした。都合二日分の疲労のためか、目覚めたのは日もだいぶ高くなってからだった。
しばらく身動ぎもせずに、昨晩の出来事を整理した。
状況からして、何者かが組織的にリョウを貶めようとしている、そう考えられる。
もちろん大神殿の勢力だろう。だが、全員が加担していると考えるのは総計だ。
昨日は菊池も疑ったが、冷静に考えれば彼にはメリットがない。リョウの印象からも、ハルカの話を聞く限りでも、クラスメートをまず第一に信用し、それを守り活用することに思考と労力を費やしているフシがある。
いくらリョウの権能が宗教的にまずいからといって、早々と切り捨てるとは思えない。
それから、逃げてしまったのはまずかった。
さすがにまだ街の噂話には上っていないが、あの状況からだとリョウは、何の罪もない侍女を暴行のすえ殺害し、しかも神官戦士に手傷を追わせて逃亡した、ということになる。されてしまう。
だから昨晩すべきだったのは、逃げずにその場に残り、現場の状況をつぶさに観察することだった。どうせリョウに気付ける者などいないのだ。
セラフィーネの真意も確かめねばならなかった。彼女が最初に部屋に来た時、返事をせずに動きを観察するのが最善だったし、倒してしまったあとも、逃げずに彼女を付け回し、何らかの陰謀に加担していたかどうか探ることもできたはずだ。
(何もかも遅いんだけど)
もちろん、すでにクラスメートたちも事件を知ってるだろう。その上で自分を信じてもらえる自信は、リョウにはなかった。これまでロクに口を聞いたこともなかった連中だ。
ハルカだけは例外だし、彼女に誤解されるのは耐えられないが、下手に接触すると迷惑をかける。この陰謀を企てたものが、ふたりの接触を予想し、罠を張っているかもしれない。
というわけで、溜め息しかでない状況なのだった。
とにかく情報がいる。リョウは昨晩逃げ出した町外れの宿に舞い戻っていた。周辺は神官戦士の指揮のもと、多数の僧兵が固めている。それを物ともせず内部に侵入。
侍女たちの姿はすでになく、内部はすっかり荒らされていた。神殿の者どもが各部屋をつぶさに検めたのだろう。
リョウにあてがわれた部屋も、家具がすべてひっくり返され、ひどい有様だった。現場の保存、という概念がないらしい。昨晩は着込むヒマがなくて持ち出せなかった鎧も、とうに押収されているらしかった。
「まいったなー。着心地良くて気に入ってたのに」
ぼやいていると、外から言い争う声が聞こえてきた。聞き覚えのある声も混じっている。窓から覗き見ると、見覚えのある逞しい若者が、僧兵に取り囲まれているのが見えた。
リョウをデルナまで送り届けてくれた、行商人のフェルナンだった。
「ちょっ!」
慌てて階下へ駆け下り、外に出る。言い合う僧兵たちとフェルナンの傍らにつけ、彼らの様子を観察した。
どうも事情はこうだ。
遠間からフェルナンが宿の様子を伺っていたところ、僧兵が不審に思って取り囲み事情聴取。
フェルナンは、この宿の元の主の知り合いで、何か騒ぎがあったようなので様子を見に来た、と説明。それに対し、僧兵たちがしつこく尋問している、といった様子。
さすがに問答無用で拘束、とはならないようだが、かなり険悪なムードだ。リョウが固唾を呑んで見守っていると、やや遅れてやってきた神官戦士がこう尋ねた。
「おいきさま。もしやヒウラ・リョウの知人か?」
リョウはぎくりとした。
フェルナンはにやりと笑って答えた。
「おう、あの人を知ってるのか。そうともよ、俺らぁリョウの旦那のお友達だ。この街の英雄さんのお仲間だぞ。分かったらさっさと道を開けやがれ」
「拘束しろ」
(フェルナンさん~!)
肩を落とすヒマもない。リョウはすぐさま行動した。筆記版を取り出し「目を閉じて」と記述、それを見たフェルナンが「旦那!」と叫ぶと、僧兵たちが一斉にこちらを向く。
そこで強烈な【精霊煌】を発動。ひるむ僧兵たちをかき分けてフェルナンの手をつかみ、一目散に駆けた。
「旦那、どこに行くんで?」
「〝とにかく今は走って〟」
「逃げるんですね? ならこっちでさ!」
フェルナンの誘導に従ってひた走る。
状況がどんどん悪くなっていくような気がして、リョウは内心で頭を抱えていた。
○
やってきたのは街中の静かな一角だ。看板からして飲み屋街のようだが、真っ昼間から明けている店もなく、賑わうのはもう少し日が傾いてからだろう。
その中の、妙に若い女性が多い宿の一室で、ふたりは腰を落ち着けた。どういう場所かはだいたいわかったので、リョウはあえて聞かなかった。
ひとまず事情を説明すると、フェルナンは深々と溜め息を吐いてからこう言った。
「やっちまいましたね、旦那」
「〝ぼくは何もしてないよ〟」
思わず言い返したが、フェルナンはやれやれと首を横に振る。
「そりゃあそうでしょう。何もしてないのに逃げちまったのが問題なんでさ」
返す言葉もなかった。そして、事態はリョウが思っていたより深刻だった。
聖柱教、特にゼーラ神の信徒たちの、混沌神に対する忌避感は凄まじいものだ。
その影響で、かの皇国の魔術学院ですら、姿を消したり気配を殺したりといった魔術を軒並み禁呪としているほど。
リョウの存在を快く思わない信徒は、大神殿に腐るほどいるだろう。今回の事件で「それ見たことか」と一斉に敵意を燃え上がらせているはず。
フェルナンが言うには、それでも事件発覚前に自らクラスメートに報告していれば、連携も取れたかも知れないが、今からでは遅い。いくら街の英雄と言えど、一度火が着いた信徒たちの怒りを前に、リョウの濡れ衣を晴らすのは難しいだろう、とのことだった。
「フェルナンさんは何とも思わないの?」
「俺らは生まれも育ちもアルノアですからね。お国柄かもしれやせんが、腹の足しにもならねえ神の教えなんぞより、俺らの命を救ってくれた旦那のほうを信じまさぁ」
デルナへの道中、季節外れの大熊に出くわした。つまり冬眠し損ねた凶暴な個体で、しかも狩人の里のものより数段大きかった。フェルナンは死を覚悟したそうだが、【斬撃強化】が運よく発動してくれたおかげで、一刀の元に切り伏せることができた。
それもあってか、フェルナンは年上で身体付きもはるかにたくましいのに、リョウに対して敬意を払い続けてくれている。有り難いことで、リョウは胸が熱くなり、目尻に涙を浮かべた。
「まあ、そう深刻にならなくても大丈夫でさ」
リョウの姿が見えたわけでも無いだろうに、フェルナンは朗らかに笑って言った。彼も巻き込んでしまったわけだが、その点を謝罪すると逆に恐縮されてしまった。
それから宿の者に用意してもらった食事を平らげ、今後について相談したが、ほとぼりが冷めるまで街を離れるのがいいだろう、とフェルナン。
クラスメートを頼らないのか、とは聞かれなかった。旅の途中に散々「みんなきっとぼくのことなんか憶えてないだろうな」などと語ったからだろう。微妙に心が痛む気遣いだった。
フェルナンはちょうどこのあと、東にある街に出かける予定だったらしい。日程が繰り上がるが、明日にでも出立し、そのままそこで春まで待とう、と提案された。
「護衛をまだ手配してませんでしたが、旦那が一緒なら必要ありやせん。俺らはすぐにでも発てますが、どうします?」
その案を熟考する前に、部屋に近づく複数の足音があった。
人数はおそらく三人。ひとつはこの宿の女主人のものだ。さっきも食事を運んできてくれたので間違いない。
ほかの二人が異質である。履物が硬いし、歩き方も違う。まるで戦闘態勢だ。
「フェルナン、ちょっと良いかい?」
ノックと当時に女主人の声。フェルナンも気付いたのだろう。表情に険がある。
「大丈夫でさ。旦那は大人しくしててくだせえ」
小声で告げ、フェルナンはさっと入り口横に移動。「入んな」と返事した。
扉が開き、まず入ってきたのは奇妙なとんがり帽子を被った、やはり風変わりなローブを着た娘だった。見知った姿とシルエットがだいぶ違う。
同時に後ろから声。
「ノリコ、右」
とんがり帽子の娘に掴みかかろうとしたフェルナンが、一睨みされて固まった。頭を激しく振っているが、両手と胸から下は微動だにしない。
「な、なんだこりゃあ、身体が動かねえ!」
「暴れない方が良いよ、首を痛めちゃうから」
とんがり帽子の娘が告げる。ほぼ同時に、二人目が入室した。少し切れ長の目をした、冷たい印象の美人。野暮ったい神官服を着ているが、やはり記憶にある姿より数段、女らしさが増したようだ。
(霧島さん、尚武さん!)
リョウがもっとも会いたくなかった二人だった。
【神眼】の霧島優美は、部屋をざっと見渡してこう言った。
「あなたがフェルナンさん?」
「だから何だってんだ、くそっ!」
「ヒウラ・リョウという少年をご存知?」
「んなもん知るか! 俺らに何しやがった?」
「嘘」
霧島優美は即座に断定。無表情にフェルナンを眺めて言葉を続ける。
「分かりやすくて助かります。彼はどこに?」
「知らねえっつってんだろ、自分で探せ!」
フェルナンはもがくふりをしつつ、リョウのいる方向を見て首を振った。あくまでリョウをかばうつもりらしい。
「ふぅん? この部屋にいるのね」
霧島優美はそれ以上フェルナンに構わず、もう一度部屋を見渡した。
「困ったな。本当に見えない。日浦くん、そこに居るんでしょう? 早く出てこないと、この人がどうなっても知らないよ?」
「旦那、逃げてくだせえ!」
フェルナンの悲痛な叫びを聞き届け、リョウは深々と息を吐いた。
「〝ここだよ〟」
宙空に浮かび上がった日本語に、二人の娘は息を呑んだ。同時に、フェルナンががくりと肩を落とす。
「〝その人がどうにかなったら、ぼくは何するか分からないよ〟」
「〝よく考えて行動した方がいいと思う〟」
「ノリコ」
ぼそり、と霧島優美。何の合図だったのか、尚武紀子は青ざめた顔で首を横に振った。
だがそれでわかった。【神眼】も【念力】も、リョウを対象とできない。
「何をするっていうの?」
眉間に縦皺を寄せ、霧島。以前とはまるで別人だ。眼力が増したというか。睨まれただけで大事なところが縮みがってしまいそうな。
だが、いまさらその程度の眼光で怯むリョウでもない。こんな脅しを受けて、怒っているのはこちらも同じだった。
「〝霧島さん次第じゃないかな。とりあえず彼を放したら?〟」
「私たちに襲いかかろうとしたから拘束した。正当防衛だと思うけど?」
「〝殺気満々で踏み込んできたのはそっちじゃないか〟」
「こんないかがわしいお店、警戒して当然よ。こんなところで何をしてるの? ハルカに申し訳ないって思わないの?」
「〝鶴来さんは関係ないだろ〟」
「旦那、なに話してるんです? 俺らにも分かるように話しちゃもらえませんか?」
にわかに高まりかけた緊張が、フェルナンの言葉でややほぐれた。
「あの、日浦くん」と、恐る恐る尚武紀子。「この世界の言葉が読み書きできるんだよね? ボクたちも読めるから、そっちでいいよ」
「いつからボクっ娘に!?」
リョウは驚き、ついそのまま日本語で記した。尚武紀子はそれを見るなり顔を真っ赤にし、わたわたと手を振った。
「違うの、これは違くて!」
「日浦くん、それ突っ込んじゃダメだよ……」
何とも言えない空気が漂う。おかげで緊張は一気に解けた。
同時にフェルナンの拘束も解けたようだ。気が抜けたように首を鳴らしてこう言った。
「とりあえず座んな、お嬢さんがた」
気を取り直し、腰を落ち着けて情報を交換する。
まず昨晩の出来事を詳細に話した。そして、この宿に潜むことになった経緯。フェルナンはまったくの無関係だと言うところは強調した。おかげで、フェルナンと例の宿の元の主人が知り合いだと知られたが、それは仕方がないだろう。
ちなみに宿の元の主人の末路について、フェルナンはすでに聞き及んでいたらしい。リョウはつい謝罪したが、
「自業自得でさ。奴隷ったって命はあるんだ。ご同胞は死んじまったんでしょう? 秤にもかかりませんや」
と、あっさりしたものだった。
大神殿の状況も説明してもらった。まず、ただ一人の目撃者となるセラフィーネの証言はこうだ。
「部屋に入ったら侍女が死んでいました。リョウさまに説明を求めたところ、自殺した、と。嘘だと思いました。とっさに斬りつけて戦闘状態に入り……あとは昏倒してしまったので分かりません」
何の脚色もない、リョウの記憶通りの証言だった。リョウの話を嘘だと思った理由については、
「浅慮でした。証拠は何もありません。思い返せば彼は逃げる様子もなく、まずは落ち着いて話をすべきでした」
と語ったらしい。これは神官長クアランに対する証言だが、菊池も聞いていたため間違いないとのこと。
だが、問題は神官たちの一部が騒ぎ立てていることだ。それも、これまでクラスメートたちに協力的だった――特に若い者が多いという。
昨晩、すぐに宿に駆け込んで来たのも「有志」で宿の護衛に当たろうとしていた連中らしい。その中には、リョウの犯行を見た、と証言する者までいたという。誰が見たのか聞いても名乗り上げる者はおらず、ただリョウに対する不信だけが広まっている状況。
大神殿としては、事実があやふやなまま、事件を公にしない方針で、箝口令まで敷いたそうだが、噂が広まるのは避けようがない段階に来ている。
つまりこういう噂だ。英雄の同胞を語る、憎むべき混沌神の化身が、罪なき少女を無残に殺し、今なお街に潜伏している――。
「〝デマが伝播する過程って異世界でも同じなんだね〟」
リョウが他人ごとのように感想を述べると、霧島優美はやや眉間をひくつかせた。
「あなたが逃げたりなんかせず、すぐに菊池くんに報告していれば、ここまで酷い状況にならなかったの。分かってるの?」
おっしゃるとおりなのだが、リョウは妙にカチンと来て反論した。
「〝あの状況で、自分の命を守るために最善の行動をしたつもりだけど?〟」
「あなたね――!」
「ユミちゃん、落ち着いて!」
慌てて紀子が割って入った。優美は眉間にシワを寄せつつ言った。
「とにかく。菊池くんから伝言がある。私たちの総意だと思って聞いて」
いわく。
大神殿はひどい騒ぎになっている。事件の真相がつかめるまで、クラスメートたちも大手を振ってリョウと接触できない。不便をかけるが、しばらくひとりで凌いでくれ。
ちなみに。独自に調査するなら止めはしないが、まず自分の命を最優先に行動してくれ、とのことだった。
「〝みんなはぼくを信じてるの?〟」
「ボク――私は信じるよ!」
「〝尚武さん、無理しなくていいよ。ボクでいいじゃない。可愛いと思う〟」
「日浦くんなんて嫌いだー!」
「あんたたち……」
眉間を抑えて、優美。
「菊池くんは信じるも信じないもないって言ってたわ。太陽は東から昇って西に沈むものだろう?って」
リョウはぐさっと胸が痛んだ。なんと漢らしい言葉だろう。自分は昨日、真っ先に彼を疑ってしまったと言うのに。
「私はどっちかというと、ハルカの話を信じてる。あの子に〝何をしてもいい〟とまで言わせて手出ししなかった人が――」
「〝待って待って待って、何で知ってるの、やめて!〟」
しばらく、そんなとりとめのない脱線が続く。やがてフェルナンがぽつりとこう言った。
「いや。やっぱいいもんだ、同郷の馴染みってのは。ねえ、旦那?」
しん、と静まり返ってしまった。学校ではろくすっぽ口も聞かなかった面子だが、この異郷にあってごく自然に会話が進む。フェルナンの言う通りだな、とリョウは思った。
それからまた色々と話し合い、結局、リョウはフェルナンとともに東の街へ行くことにした。
アークラットという名の有名な街で、別名「迷宮都市」。近郊に大規模なダンジョンがあり、各地からやってきた冒険者たちの拠点として賑わっているそうだ。
(アツい、これぞ異世界生活!)
「何を考えているかだいたい分かるけど、危ないことはしないでね?」
と、優美に釘を刺された。
アークラットはここから二日ほどの距離にある。紀子の権能で空を飛べば数時間で着くそうだが、目立つと意味がないということで却下。無難に陸路を行くことになった。
その代わり、と言おうか。
「日浦くん、お墓参りはまだだよね? これから一緒に行こうよ」
と紀子。
当然、クラスメートの墓だ。デルナ山の山頂にあると菊池から聞いてはいたが、積雪でとても徒歩で行ける状態じゃないということで、諦めていた。
だが空からならひとっ飛びだという。一も二もなくお願いした。
リョウは【念力】で直接飛ばせないので、宿のベッドを拝借してその上に乗った。空飛ぶベッドである。
(むかしこんなゲームやったなー)
ベッドによる空の旅は、凄すぎて感動のメーターが振り切れた。リョウはただぼけっとして、絶対これ夢だよな、などと考えていた。
もちろんそんなことはなく、頬に突き刺さる冷気も、四肢の感覚も、相変わらずこの異世界が現実だと証明し続けている。
山頂に着くと、深く降り積もった雪を、紀子がすべて【念力】で除去した。
現れたのは全部で十五人分の墓標。
そのひとりひとりに、リョウは手を合わせた。もちろん、ほとんど口を聞いたこともない。だが全員、顔も名前も声も性格も、よく憶えていた。個性的なクラスだった。
平松真司には、都合二度目のお別れだった。
「菊池が文句言ってたよ。死ぬの早すぎだって」
彼を喰らった飛竜は冒険者たちが仕留めた。その報告も兼ねて、ほかのクラスメートよりやや長い追悼だった。
「平松くんと仲良かったの?」
「〝いや。ちょうど喰われるところ見ちゃって〟」
「そう……」
優美の反応に少し違和感を憶えたが、問いただす間もなく雲行きが怪しくなった。山頂の猛吹雪にさらされる前に、三人は宿に戻った。
「忘れるところだった。ハルカが、あなたを見つけたら証拠に何かもらって来て、って」
(証拠って……)
いわく、そうじゃないと自分が探しに行くといって聞かなかったらしい。それならと、リョウは左手の時計をほどいて優美に手渡した。
「〝ずっと着けてたからわかると思う。ぼくの宝物だから、大事にしてって伝えて〟」
すると、優美はこの日初めて満面の笑みを見せた。思わずどきりとするような笑顔。
「うん、必ず伝えておく」
ふたりを見送ったリョウは晴れ晴れとしていた。これから世間は、彼を貶める噂で蔓延するだろう。だが関係なかった。自分を信じてくれる仲間たちがいる。これほど心強いことがあるだろうか。
彼らのためにも、己の無実を晴らさねばなるまい。
だがまずはフェルナンの安全を確保しなければ。彼を無事にアークラットまで送り届けたら、またデルナに取って返し、持てる力を駆使して真相の究明にあたるつもりだった。
すべて解決したら、みんなを誘ってダンジョンに潜るのもいい。どちらにせよ、これからは楽しくなりそうだ。
リョウは期待に胸を膨らませ、大きく背伸びをするのだった。
○
優美と紀子は街中をひとっ飛びし、大神殿の正門前に降り立った。
本来なら、彼女らに充てがわれた部屋のバルコニーに直接降りたいところだが、神殿側からの要請で、なるべく正規の出入り口を使うように言われているのだ。
この街――この世界にやってきて間もないころ、大神殿の政変が起こった。その影響で人員が不足し、筆頭神官長という臨時職に就いたクアランが、外部から優秀な神官たちを集めているのだ。
そうした「新人」たちの中には優美たちに懐疑的な目を向ける人間も多いため、余計な反感を買わぬようにと協議した結果だった。
「……そろそろ潮時かも知れないけど」
優美はぼそりと独り言ちた。これまでは神殿とも上手く付き合ってこれたが、これからも上手くいくとは限らない。いや、リョウの件を考えれば、すでに悪い予兆はある。彼の伝手でアルノアに移るのも考慮すべきかもしれない。
と。
礼拝堂の軒をくぐる際、冒険者らしき一団と出くわした。知らない顔だ。
咄嗟に【神眼】で情報を確認してしまうのは癖のようなものだ。この世界では、誰がいきなり襲い掛かってくるか分からない。プライバシーの侵害かも知れないが、必要な処置だと優美は思っている。
もっとも、大半が無価値な情報で、優美もその場限りで忘れてしまうのだが――。
この時は違った。
「……!」
「ユミちゃん、どうしたの?」
不意に立ち止まった優美に、紀子は怪訝に問いかけた。優美は答えず、冒険者の一団に道を譲り、彼らが通り過ぎるのをじっと見守っていた。いや、正しくはその中の一人――傷だらけの板金鎧に身を包んだ男を。
それから、顔見知りの神官をつかまえて話を聞いた。
「彼らですか? 神官長さまに要請があっていらしたそうです。何でも、大事な剣を盗まれたとか」
「剣?」
「はい。この世にふたつとない代物だから、捜索に力を貸して欲しいと」
「あの人たち、何か視えた?」
紀子が不安げに問う。優美は渋い表情で答えた。
「権能持ちが居たわ。私たち以外で初めてよ」
その声も、どこか緊張に震えている。すぐに踵を返し、足早に礼拝堂を歩く。この緊急事態を一刻も早く仲間たちに伝えるために。
渇いた足音が妙に耳に残った。まるで誰かが嘲笑しているようだと、優美は愚にもつかないことを考えていた。