20.信じるものは人それぞれ
魔術を使うには、さまざまな方法がある。
リョウのように魔法陣を使うのが一つ。魔力を込められるなら誰にでも扱えるが、熾せるのは簡単な術に限る。
もう少し複雑な魔術は、魔導具を用いれば比較的容易に使うことができる。
ただし、基本的な詠唱や印を切る所作、その他もろもろの諸注意など、修得すべき知識・技術は多い。ハードルはなかなか高く、扱えるのはごくわずかの限られた人間だけ。
リョウはクレイブ導師の助言で、魔術の勉強はしていないが、菊池に言わせればそれほど難しくはないらしい。魔法使いが希少なのは、この世界の人々が、勉学に馴染みがなさすぎるためだろう、と語る。
「確かに憶えなきゃいけないことは多い」と菊池。
「でも、PCを扱うようなものさ。半分以上は慣れだな。この剣みたいに高性能な魔導具だと、それもある程度簡略化できる」
神官戦士たちが使う訓練場での一幕だ。
菊池が手に持つ「魔剣」を振るって呪文を唱えると、刀身が炎に包まれた。切りつけた標的が激しく燃え上がる。【灼劔】という魔術。
さらに、剣を突きつけて詠唱。今度はバレーボール大の火の玉が射出され、標的に当って爆発。粉々の消し炭にした。リョウにもおなじみの【灼弾】だ。
「あと、こんなこともできる」
今度は違う呪文を詠唱。見た目に異変はなかったが、菊池が「さっ」と剣を振るうと、標的が何の抵抗もなく両断された。切り口は驚くほど鋭い。
「刃の表面の粒子を細かく振動させているらしい。岩だろうが鋼鉄だろうかこの通りだよ」
(振動剣!)
SFなどで登場する架空兵器だ。まさかファンタジーな異世界でお目にかかれるとは思わなかった。
リョウは感激して拍手したが、今は「見えない」ことを思い出し、筆記版に文字を書いた。
「〝魔法剣士じゃん、カッコいい!〟」
剣を振るう菊池の身体には良質な筋肉がついていて、動きも見事なものだ。その上、強力な魔術まで使うとなれば、ちょっとやそっとの危険はものともしないだろう。
だが菊池の反応はやや微妙なものだった。いわく、この力はほとんど「魔剣」のおかで、それもクラスメートの蓮川清彦が作ったものだ。彼は【魔王】という、魔法に特化した権能を持っていて、仲間内でもっとも成長著しく、でたらめな存在になっているらしい。
「魔導具を作れる人材そのものが希少なのに、これほどの魔剣を作ってしまうとは、鬼才を通り越して人外ですよ」
と、神殿お抱えの魔術師が呆れていたそうだ。
それにしたって、権能のおかげだろう。菊池は事実上、他者に優越する権能を持たない。その中でこれほどの力を得たのだから、賞賛されてしかるべきだとリョウは思う。
伝えると、菊池はさわやかにはにかんだ。
「おまえに言われると悪い気はしない」
聞けば他のクラスメートも、何らかの魔法を修得しているという。
霧島優美、佐藤英二、稲見鳴子、尚武紀子の四人が、蓮川謹製の魔導具を譲り受け、簡単な補助魔術を。
そして天野ゆりあ、光丸有沙のギャルふたりは、リョウと同じく霊術を修得しているそうだ。どうしても魔導具が扱えなかったからだそうだが、その代わり驚異的な早さで聖炎を――しかもほぼ純白に近いものを発し、天野に至っては高難度霊術【祝福】まで使えるようになったらしい。
(何てこった。ギャルと霊術は相性がいいのか)
何と言うか。「この世界のお坊さんたちに申し訳ない気がする」とリョウが発言すると、菊池はつぼにハマったのか大笑いしていた。
菊池が言うには、大神殿にも霊術が使えない神官は多く、逆に、僧職にない使い手もいて、治療院を開業していたりするそうだ。
リョウの知っている僧侶はみな使えたから、これは意外な事実だった。
「むしろ使える方が少数派みたいだな。霊術は才能が要る」
確かに。クレイブ導師も、下手に合理的な思考能力があると、霊術の妨げになると言っていた気がする。
ということはつまり――。
「〝ぼくって実はバカなのかな?〟」
真剣に聞いたのに、菊池は大笑いした。イラっとしたので「膝カックン」をお見舞いしたが、菊池は地面に転がってもなお、しばらく笑い続けていた。
○
デルナ二日目の朝は、凄まじい疲労感とともに始まった。
一晩中ハルカに抱き枕にされていたからだろう。これまで、どれだけ【統率】の恩恵を受けていたのか、痛感できる目覚めだった。
当の鶴来ハルカ本人は、目覚めた時には居なかった。昨晩はまったく気にならなかった彼女の残り香で、リョウはしばらく悶々としたが、彼女と今後どう関わったらいいか考えると、気分はどん底に沈んだ。
しかし思い悩むヒマもなく、菊池がハルカを伴ってやってきた。大神殿の最高責任者に挨拶をしよう、ということだった。
手早く朝の準備を済ませ、昨日と同じく、ハルカと手を繋いで神殿内を歩き、最高責任者の、神官長クアランという人物と面会した。リョウはハルカの顔をまともに見れなかった。ただ、昨日あれほどはしゃいでいた彼女は、今日は一言も喋らなかった。
「厄介な問題です」
と、神官長クアランなる人物は言った。中肉中背、初老の紳士。途中まで話を聞いていなかったが、リョウのことを菊池と話していたようだ。
リョウの「誰にも見えない、気付かれない」という権能が問題らしい。
というのも、デルナ大神殿は「司法神ゼーラ」という、神々の中でも特に位の高い光明神を祀っている。この神には、神話において絶対的に対立する悪神がいる。
それが「混沌神ミラ」という邪神で、創世神話では、ほか二柱の悪神と結託し、一度は世界を滅ぼしたという。
この邪神の特徴として聖典にも記されているのが、「影の化身で、誰にもその姿を捉えられない」というもの。つまりリョウの権能は、かの邪神と同等のもので、信徒には到底受け入れ難い、邪悪な力なのだ。
もちろん、聖典と言えど神話伝承の類。言わば教えを伝えるための方便だと、クアランは言う。
しかし、聖柱教の信徒は、幼少より混沌神の悪名を教え聞かされている。三つ子の魂百まで、というやつだ。リョウの存在を理性で許せても、心の底で燻る敵意は、なかなか消せるものではない。
それが良からぬ摩擦を生むのは必至。ゆえにクアランとしては、リョウを大神殿に迎え入れることはできない、という話だった。
「何とかなりませんか?」
菊池は食い下がっていたが、ようやく事情を把握したリョウがこう発言した。
「この街に滞在するのは問題ないんでしょう?」
「ええ、それはもちろん。我らもそこまで把握できませんし。あなたの場合は特にね」
「ならぼくも異存はないです。もともと、春になったらアルノアに戻る予定だったし」
「何を言ってる、日浦!」
声を荒げる菊池をなだめ、ひとまずその場を退出。菊池の執務室に場所を移し、彼を説得することにした。
「ここは日本じゃないんだ。よその宗教とか常識と喧嘩しちゃダメだよ」
「ただの迷信だぞ?」
「ぼくらだって、電車の中で煙草吸ってるやつがいたらぶん殴りたくなるだろ?」
「全然違う話だ」
「同じだよ。彼らにとって、ぼくはそういう存在なんだ。それが街を救った英雄と同列に扱われるんだよ? 電車の中で煙草吸うような奴が議員になったら、ワイドショーが大騒ぎするだろ」
リョウはしばらく、菊池をあれこれとなだめた。説得に使った論法は、ほとんどリースの受け売りだったが、それなりに効果はあったらしい。
「心配要らないよ。街で暮らすあてはあるし、ぼくもひとりの方が気楽だから」
「……春になったらアルノアに戻る、ってのは本気なのか?」
リョウは答えに窮した。アネットとのことだけではない。この街に来たそもそもの目的を、そろそろ話さねばならない、と思ったからだった。
だが、ハルカの前では話せない。あれこれと理由をつけて菊池とふたりで訓練場に移動、冒頭の一幕に繋がるのだった。
訓練場での一幕のあと、リョウは、デルナにやってきた本当の理由を打ち明けた。
「元の世界に帰れるかもしれない」
菊池は最初、驚きに目を輝かせていたが、詳しい話を聞くにしたがって、やはり真剣な表情になっていった。リョウが提案する方法では、ハルカは帰れない。それを、わざわざ言わずとも察したのだろう。
「この話は、まだみんなには内緒にして。特に鶴来さんには」
菊池はしばらく無言で何ごとか考え込み、「いいや」と口を開いた。
「みんなには話す。でも鶴来にはおまえから話したほうがいいだろうな」
「でも、気まずい雰囲気にならない?」
「ならないよ。鶴来はそんなやつじゃない。ネットゲームで結婚までしたんだろ?」
ぐ、と言い返せないでいると、菊池はさらにこういう。
「それに、鶴来が一人で残るわけじゃない。俺も残るし、きっと霧島も残る。ひょっとしら尚武も残るかもな。あいつらは仲が良いから」
それでも、帰れるやつは早く帰った方がいい。淡々と語る菊池を、リョウは感動をもって見つめた。
「それとな。自分で気付いてないわけじゃないんだろ? 誤魔化し切るつもりだったんだろうけどな」
ぎくりと心臓が跳ねる。何を言っているかは分かる。リョウは他人が使う魔術の対象にできない。これは魔術の術式に起因する、根本的な問題点だ。転移魔術も同じで、解決策はないと、クレイブ導師から聞かされている。
つまりリョウもまた、この方法で元の世界に帰ることはできないのだ。
「忠告だ。そういうのは大抵いい結果を産まない。俺たちがそうだった。自分が我慢して秘密を呑み込んで、そうして結局、ほかの誰かが犠牲になる。その時に後悔するのはおまえだぞ」
なんと返していいか分からず、リョウは黙り込んだ。
しばらくすると、菊池が「ふっ」と笑ってこう言った。
「なに、深刻にならなくてもいい。これはまだ話してなかったが――」
いわく、まだこの世界に来て間もないころ、あるダンジョンで権能が使えなくなる、という事態が起こったらしい。経験した蓮川によると、再現は難しいが原理は説明できる、とのこと。
「つまりおまえも鶴来も充分、帰れる可能性があるってことだ。雲を掴むよりはマシな話だろ?」
実にさわやかな笑顔で、菊池は言った。こいつは漢だと、リョウは思った。自分が女なら惚れていたかもしれない。
それはともかく、実は転移魔術による帰還の可能性は、【魔王】蓮川によって提示されていたそうだ。ただ、転移魔術は禁呪であり、その知識は一般的な魔術社会では失われていて、蓮川にも足がかりすら掴めない。
彼が皇国に旅立ったのは、かの国の魔術学院なら、転移魔術について何か分かるかも、と思ったから、それも理由の一つだったそうだ。
それがアルノアという近場で手に入るなら、蓮川たちを呼び戻すことも考えなくては、と菊池は語った。
「どっちにしろ、詳しい話は霧島たちが戻ってからだな。できれば西方組も……まあ、それまでは日浦もこの街にいてくれよ」
もちろん、とリョウは答えた。初めてクラスの一員として迎え入れてもらえたような、そんな気がしていた。
○
転移による帰還についてリョウから聞かされたハルカは、予想に反して嬉しそうだった。笑顔まで見せていた。
「カナルさんは帰れないかも知れないんだよ?」
と確認を取ると、小首を傾げて「ヒューラーも一緒でしょう?」と言う。
「いや、それはそうだけど」
「ならどこでも同じ」
きっぱりとハルカは言った。リョウはこの時すでに嫌な予感がしていたが、それは見事に的中した。
菊池が「おまえのことだからどうせあてなんてないんだろ」と言い、以前クラスメートが使っていた宿を住処としてあてがうことが決まり、そこまで案内すると、護衛の神官戦士たちと一緒に神殿を出る段になった時だ。
「わたしもヒューラーと一緒に暮らす」
と、ハルカがすっかり身支度を整えて現れたのだ。
これにはみな慌てた。大慌てだ。執務中の神官長クアランまで駆けつけ、必死でハルカを説得した。
なにせ彼女は現人神だ。街の危機を救ったから、というだけでなく、ハルカの権能はリョウと対極にあって、聖柱教でもっとも神聖なものとされているらしい。大神殿としては、出ていってもらっては困るのだった。
しかし、神官たちと違って、菊池は諦観の表情だった。こうと決めた鶴来ハルカを説得するのが何よりも難しいことを、この場の誰よりも理解していた。
「神官長。ここは諦めて、日浦を受け入れるしかないんじゃないかな」
「いや、しかし……」
困り果てたクアランの代わりに、リョウが説得にあたった。情けないことに、アネットを説得した時と似たような言い方だった。自分ひとりなら権能でどうとでもなる、でも誰かを守るのは難しい。何かあったら困るから、ハルカには安全な場所に居て欲しい。
「わたしはヒューラーと一緒にいられるなら死んでもいい」
「ぼくが困るんだよ。カナルさんが死んだら、誰とEXダンジョン攻略したらいいの?」
ゲームの話だった。自分でも「なに言ってるんだろう」と思ったが、予想外に効果的だった。ハルカは「うー」と眉根を寄せて唸ったあと、「毎日会いに行く」と言い残して神殿内に引き下がった。
菊池がしばらく、信じられないものを見るような目でリョウを見ていた。
案内された宿は、なんとフェルナンと初日に訪れた、街外れの宿だった。すでにフェルナンの姿はなかったが、菊池からこの宿の元の主人との因縁を聞かされた。
それによると、宿の主人は人身売買に手を染めていて、クラスメートの鳴沢詩織も犠牲になりかけたらしい。その時は救い出したが、罪人として囚われた主人の密告で、クラスメートのほとんどの情報が敵側――碑文にも刻まれていたゼフという神官長の元に渡り、そのおかげで結局、鳴沢詩織は命を落とすことになった。
宿の主人はすでに法の裁きをうけて奴隷の身分に落とされ、騎士団領に追放されたそうだ。
(うへ。フェルナンさんになんて言おう)
リョウは気まずい思いで話を聞いていたが、その間にも、菊池が手配した人足が忙しなく動き、あっという間に宿を片付けた。
さらに知人の商会に手配してもらったという、年若い侍女数人と、護衛の神官戦士をつけてくれた。初日に会ったあの娘だ。
「セラフィーネと申します。本日よりヒウラ・リョウさま専属の護衛となります、どうぞお見知り置きを」
優雅な姿勢で一礼するセラフィーネは、神官戦士の井出達がこの上なく似合う麗人だ。歳は十八。つまり地球年齢で二十歳ごろ。目鼻立ちは紛うことなき美女だが、化粧っ気は微塵もなく、立ち姿は堂々として武人らしい。
「よろしくお願いします。でもぼくはこうだから、護衛なんていらないよ。気楽にしてくれて構わないから」
伝えると、「そうもいきません。仕事ですから」との返事。真面目そうな人柄だ。ちょっと苦手だな、とリョウは思った。
セラフィーネは一階の管理室らしき部屋を自室と定めて、そこを拠点に宿全体の警戒に当たるらしい。リョウの護衛、というよりも侍女たちの護衛だ。おかげで息苦しい展開はなさそうだった。
「何かあったらいつでも知らせてくれ。セラを寄越してもいいし、執務室まで直に来てくれてもいい。どうせ日浦は誰にも見つからないからな」
悪い笑みで言い残し、菊池は大神殿に戻っていった。
侍女は5人。やや年長のエレナという吊り目の娘の指揮できびきびと動き、食事の支度をした。ひとりだけ、痩せぎすのマセルという娘がやたら緊張していて、失敗が多かったのか、何度もエレナに怒鳴られていた。
その後は、特に何ごともなく夜もふけた。
リョウは三階――最上階の角部屋を自室とした。自分で選んだわけではない。警備上の理由でこの部屋が最善だからと、セラフィーネに半ば押し込まれたのだった。
特に異論はなかった。その部屋からは街が一望できた。ちょうど、今晩は明るい月が出ていて、雪を被ったデルナの街を綺麗に照らし出していた。
部屋の明かりを落としてそれをぼーっと眺めながら、これまでの冒険をあれこれと思い出し、どれほど時間が過ぎただろうか。
微かに、この部屋に向かってくる足音が聞こえた。
気のせいではない。確かに聞こえる。しかも、忍ぶような足運び。リョウは警戒した。すぐに筆記版を手に取り、【暗視】の魔術を使う。
かちゃり、と。ノックもなしに扉が開いた。現れたのは、マセルと言う名の痩せぎすの侍女だ。着ているのは薄手の夜着で、ところどころ無理やり引き裂かれていた。しかも、頬は殴られたように腫れている。
異様な雰囲気に息を呑む。マセルの眼は血走っていた。手には短剣を握っていた。呼び止める間もなく、それを振り上げ、リョウが就寝する予定のベッドに襲いかかった。
唖然とする他なかった。マセルは声も上げずに休みなくベッドを滅多刺しにした。それから、荒く息を吐きながら周囲を見渡し、二度三度、深呼吸した。
そして自分の喉に短剣を突きつけた。
「はあっ!?」
変な声が出た。マセルが床に倒れ伏せる音で、リョウは正気に戻り、彼女に駆け寄って聖炎を起動した。
だがダメだった。リョウの霊術は届かず、マセルは死んだ。
(なにこれ、どういうこと!?)
混乱している間に、また誰かの足音。今度は忍ぶ様子はない。大急ぎで駆け寄ってくる。
「リョウさま、セラフィーネです。失礼します」
早口で声がして、すぐに扉が開いた。セラフィーネは息を呑んで立ち尽くす。少し間を置き、焦ったように叫んだ。
「リョウさま、おいでになりますか! お返事を、リョウさま!」
「〝ここだよ〟」
筆記版に文字を記すと、セラフィーネは「ほっ」と胸を撫で下ろしたようだった。
「これはどういう事態です?」
声をかけつつ、リョウに近寄ってくる。そんなのはこっちが教えて欲しい、と思いつつも、筆記版に返事を記す。
「分からない。急に入って来てベッドを滅多刺しにして……それから自分で喉を」
「そうですか……」
セラフィーネは訝しげに眉をひそめ、一瞬、腰を沈めた。
ただのカン、というほかない。
リョウはとっさに飛び退いた。眼前の空間を何かが煌めき、鋭く切り裂いたのがわかった。
見れば、セラフィーネが抜刀している。遅れて、リョウの左腕が血飛沫を噴いた。
「浅いか!」
セラフィーネは舌打ちし、筆記版の文字を追うように再び斬撃。リョウは床を転がりながら脱し、文字を消す。
訳がわからない。だが真意を問いただそうとすれば、それを目印に斬撃が飛んでくるのは確実だった。麗しい神官戦士の目には、明らかな殺気が宿っている。
リョウの位置を見失ったのだろう。セラフィーネは剣を小刻みに振り回しながら、部屋の入り口まで後退し、塞ぐように仁王立ちになった。
「逃げ場はありませんよ。ご観念ください」
(……最初からぼくの命が狙いだった?)
リョウは舌打ちしながらも、心を落ち着けて聖炎を起動。【自己再生】で傷を癒やす。そのまま全身に纏った聖炎で肉体を強化。意識を研ぎすませていく。
この神官戦士を倒すのは容易い。しかし、その後はどうすればいい? 彼女個人の暴走か。それにしては今日手配したばかりの侍女が連携しているのが気にかかる。マセルの自殺は、明らかにリョウをハメるためのものだ。
(どこまでグルだ? まさか菊池も? カナルさんの目が届かないところで、ぼくを消そうとしてる?)
冗談じゃない。久々に全身に怒りが満ちていくのを、リョウは必死でこらえた。怒りは聖炎を濁らせ、魔力を無為に発散する。そして判断力を著しく鈍らせる。
何度か深く息を吐き、心を落ち着かせる。
(とにかく、まずは荷物をまとめないと)
リョウは手早く装備を整え、荷物をまとめた。この宿にはもう居られない。結局一晩と過ごせなかったが、何か自分らしくて、逆に清々しかった。
準備が終わると、槍を構えてセラフィーネに向き直る。
さすがに構えにスキはない。が、こちらが補足されていればの話。何か使命感をもってリョウと対峙しているのかもしれないが、考えが甘すぎる。彼女を殺すのは、率直に言って蚊を叩き潰すより遥かに簡単だ。
(いや、でもさすがにな)
くるりと槍を回す。何も殺す必要はないだろう。石突きの先に意識を集中。【打撃強化】。霊術の完成と同時に、リョウは鋭く踏み込んだ。
「がふっ!」
みぞおちを強烈に突かれ、セラフィーネの身体が吹っ飛ぶ。一瞬で意識を失ったらしく、長剣を取り落とし、廊下にだらりと倒れ込んだ。
「弱いよ、神官戦士」
リョウは吐き捨て、階下に向かう。
ところが、駆け上がる複数の足音。どう聞いても侍女のものではない。硬いブーツで踏み均す音、伴って鎖帷子がこすれる音。
(おいおい……)
知らぬ間に増援が潜んで居たらしい。部屋に戻って窓の外を見てみれば、宿の出入り口付近はすでに固められている。
リョウの決断は早かった。
すぐに窓から飛び降りた。【統率】と霊術、二重の【肉体強化】を持ってしても、落下の衝撃は足腰を軋ませた。リョウは【自己再生】しつつ、ダッシュで宿を離れた。
追っ手は無かった。あったところで、日浦リョウという存在を見つけられるはずもなかった。