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超絶に影の薄い僕は、異世界で誰にも気付かれない。  作者: 竜王零式
第二部:孤高の異世界奮闘記
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19.再会はいつも突然



 雪に染まった宗教都市デルナは荘厳である。


 日浦ひうらリョウはひたすら見惚れていた。繊細な彫刻や壁画の刻まれた建造物の数々、雑多な中にも歴史を感じさせる、趣のある街並み。どこに視線を向けてみても、旅人の心を捕らえて離さない風景が、この街にはあった。


 機能美と規模ではアルノアの方が上だが、金を払って見たいのはどちらかと問われれば、間違いなくデルナだ。さすがは観光地――いや、巡礼地として栄える街。


(ま、似たようなもんでしょ)


 日本人の少年は不遜な感想を抱きつつ、きょろきょろと視線をさまよわせて街並みを往く。


 行き交う人々は多い。たまにぶつかってしまうが、トラブルにはならない。あちらがリョウの存在に気付かないからだ。


(もうちょっと気をつけて歩かないと怪我させちゃうかな)


 リョウは気を取り直し、街の中心へ向け軽やかに歩き始めた。今の彼が本気を出せば、どんな雑踏も障害とならない。


 この街までリョウを連れて来てくれた行商人のフェルナンとは、町外れの宿屋で別れた。


 宿の主人はフェルナンの知己ちきらしいが、長いこと留守にしているらしく、宿はやや荒れていて、フェルナンは途方に暮れていた。何か力になりたいとは思ったが、来たばかりの街で何ができるわけでもない。フェルナンにも遠慮されたので、リョウは自分の目的を果たすべく、街の中心――デルナ大神殿に向かっている。


 その途中の広場で、ある像が目に止まった。


 等身大の乙女の像だ。凛々しい表情でデルナ山――スタート地点だ――の頂きを見つめている。ふと台座に刻まれた文字に目をやり、リョウは思わず吹き出した。


 ――聖女ハギワラ・カナの像――


(萩原じゃん!?)


 クラスメートの名前だった。リョウの記憶によれば、いつも陰気で目立たない、日陰者の女子。造形はそれなりに整っていたかも知れないが、いくらなんでもこの像のような美少女ではない。


 いったい何をやらかしたのかと、碑文に目を通し、リョウは思わず眉をひそめた。


 こう書いてあった。


【碑文】

 聖女ハギワラ・カナの像


 聖地の危機を救うため、その身を犠牲にした清き乙女。

 邪悪の使徒・ゼフの手により短い生涯を終える。

 その偉業と慈愛の心を忘れてはならない。

 この世が果てるまでこの名を語り継ぐことを、神々の御名みなに誓う。

 ――デルナ大神殿――


 リョウは手を合わせて黙祷した。具体的に何があったかは知らないが、彼女がもう亡くなったのは間違いない。


(待てよ。確かゼフって……)


 聞き覚えのある名前だ。確か、あのジェルビとともにデルナを治めていた神官長の名前だったはず。それが邪悪の使徒呼ばわりされている――。


 クラスメートたちと会う前に、この街で何があったのかもう少し知る必要がある。


(情報を集めるなら、やっぱりギルドかな)


 大まかな場所はフェルナンに聞いている。有り難いことに街に標識も出ていて、ギルドの建物はすぐに見つけることができた。


 中は意外と賑わっていた。張り出しの依頼は、ほかの街ではあまり見かけない討伐系がメインだ。「迷宮探索」なる胸躍る依頼もある。


 かのゼフという元神官長の話題は、ギルドの隅に腰を下ろしてすぐ聞くことができた。


 何でも、この街を乗っ取るために大神官なる人物を暗殺し、しかも魔神とやらを復活させ、あわやこの街を滅ぼすところだったらしい。ちょっと意味が分からないが、どうもその危機を救ったのがクラスメートたちだ。


 彼らはすっかり英雄扱いだった。いまはみな大神殿に住んでいるそうだが、事情通らしき男の話によると、特に政治に関わっているわけではなさそうだ。


(NAISEIやってるわけじゃないのか。もしかして誰かに利用されてる?)


 疑念が沸いたが、確かなことは噂話だけでは分からない。やはり直接会って話をしなければと、腰を上げた瞬間だった。


 ギルドにひとりの少女が入って来た。小柄で、ちょっと目を見張るような美少女だ。

 野暮ったい厚手のローブを着ているが、長い黒髪は艷やかで、整った小顔に瞳は大きく、こんな場所にひとりで居るのが心配になるような美少女。


 少女は忙しなく周囲を見渡し、リョウのいる方向で「はっ」と目を止めると、そのまま、こちらに真っ直ぐ歩いてきた。


(何だろう?)


 怪訝に観察していると、少女は迷いなくリョウの眼前で足を止めた。大きな黒い瞳に、リョウの姿が映り込んでいるのが見えた。


「やっと見つけた」


 少女は破顔した。目には涙が浮かんでいた。わけが分からず首を傾げていると、少女は不意にリョウの手を取った。


 リョウの手を掴んだのだ。誰にも見えないはずの、リョウの手を。


 その瞬間、リョウの全身から力が抜けた。そのまま倒れ込んでしまいそうな脱力感だ。


 気がつけば、衆目が集まっていた。少女ではなく自分に。誰にも見えないはずのリョウ自身に、無数の視線が突き刺さっていた。


 リョウは慌てて少女の手を振り払い、一目散に逃げ出した。


 見つかった。見つかってしまった。そんな絶望感が、頭の中で渦巻いていた。



 まだ幼稚園児の頃だ。


 学芸会で劇をやった。シンデレラだ。誰の悪ふざけなのか、リョウは男の子なのにシンデレラ役をやらされた。それが評判になりすぎた。


 リョウは子どもたちのみならず、近所の大人たちからも「シンデレラ」と呼ばれるようになり、事あるごとに槍玉に挙げられるようになった。そして子どもたちからは「おまえは男じゃない」と心無い罵倒をされ、いじめられるようになった。


 そんなある日。とても日差しの強い夏の日のこと。いじめっ子から逃げ回っていたリョウは、どこかのガレージに隠れた。


 と言っても、身を隠せるようなものはない。とっさに影に入っただけだけのこと。それでもいじめっ子は、リョウを目の前にしながら、気づかずどこかへ行ってしまった。


 明るい場所から、暗い場所はよく見えない。

 この事実に気付いたのが、リョウの転機になった。


 その後もリョウは色んなことを学んだ。人の視野は意外と狭いこと、歩き方によっては足音を完全に消せること。上手く呼吸を合わせて動けば、触れ合うような距離を気付かれずに横切れること。


 人の視線を集めやすい場所、場面。逆に集めにくい場所、瞬間。


 どんな風に行動すれば人の目に――あるいは意識に止まらないのか。それを、リョウは必死で学び、実践していった。自分の身を守るために。


 そうして中学に上がる頃には、自分でも制御できないほど自然に、他人の意識に留まらない生活が送れるようになっていた。


 ギルドで一斉に降り注いだ衆目。それは久方ぶりに、リョウの暗い記憶を呼び覚ましていたのだった。


(――さっきのは何だったんだ?)


 どこをどう走ったのか。


 路地裏に逃げ込み、リョウは震える手を見つめていた。確かに気温は低い。だが走り回ったせいで身体は熱く、頬もかっかと燃えている。


 それでもなお、身体の底からこみ上げる震えがあった。歯はガチガチとなっている。とっくに忘れていたトラウマによるものだけじゃない。


 さっきの少女だ。手を掴まれた途端に全身の力が抜けた。比喩でもなんでもない。何かの魔法か? 何をされようとしたんだろうか。


 そのうち、誰かの声が聞こえてきた。女の声だ。必死に何か叫んでいる。


 何事かと耳を澄ます。


「ヒューラー! 返事をして、ヒューラー!」


 リョウは吹き出した。自分を呼んでいるらしい。そっと覗き見てみると、さっきの少女だ。ちょっと発音がおかしい気もするが、なぜ自分の名前を――。


 そこで「はっ」とする。面立ちが整い過ぎて気づかなかったが、黒髪に黒い瞳。たしかに日本人だ。でも、あんな女子、クラスに居ただろうか――。


鶴来つるぎ!」


 別の呼びかける声があって、もうひとりの人物が現れた。今度は男だ。こちらは記憶にあった。


菊池きくち秀虎ひでとら!)


 リョウのクラスメートのひとり。オタクのくせにやたら社交的で成績も運動神経も良く、密かに「気に入らない」と思っていた男子。そして、彼が呼びかけた名前にも、たしかに憶えがあった。


鶴来つるぎって――鶴来ハルカか? この子が?)


 鶴来ハルカ。リョウの記憶にある限り、ごつい黒縁眼鏡にもっさりした三つ編みの、垢抜けない日陰女子だ。確かに素地は良さそうだったが――。


「急にどうしたんだよ、鶴来。ひとりで街に出たら危ないだろ」


 菊池の隣には、これまた見目麗しい美女が侍っている。こちらは異世界人だ。服装から察するに、聖柱教セラ・クティルの神官戦士だろうか。


 鶴来ハルカは菊池に一瞥くれただけで何も答えず、大声でこう叫んだ。


「ヒューラー、出てこないとあなたの黒歴史を暴露する! 〝沈黙のアサシン、忍び寄る刃はいかなる敵も――」

「わーわー! なぜそれを!」


 考える間もなく、リョウは飛び出していた。鶴来ハルカはその姿をすぐ補足し、笑顔で駆け寄ってきた。


「ヒューラー!」


 そしてそのまま、満面の笑みでリョウの胸に飛び込んできた。途端に、全身の力が抜け落ちる。


(何なんだいったい……)


 鶴来ハルカの小さな身体を何とか支えつつ、明らかに己に向けられた菊池秀虎の、刺すような視線を受け、リョウは混乱したまま天を仰いだ。


 事態の把握はそれなりに大変だった。


 菊池はリョウを憶えていたようだが、今の今まで異世界には来ていないと思っていたそうだし、鶴来ハルカは言葉少なく的を得ないため、彼女の説明とリョウの話から菊池が推論を披露するまで、リョウはさっぱり事態を飲み込めなかった。


 簡単に説明すると、鶴来ハルカにはいかなる異能の影響も及ばないらしい。


 クラス全員が持っているチート能力――「権能」も、この世界の魔法も。とにかく彼女はあらゆる異能をキャンセルしてしまう。それが鶴来ハルカの「権能」なのだ。


 リョウも例外ではなく、ハルカだけはリョウの姿を見ることができる。そしてハルカに触れられている間、リョウの「誰にも気付かれない」という権能は効力を失い、万人の目に止まり、ふつうに話ができるようになる。


 さらに、リョウが転移特典だと思っていた「肉体の強化」は、菊池秀虎の【統率】という権能のおかげで、これもハルカに触れている間は効力を発揮しない。力が抜けたように感じたのはこのためだった。この状態だと、自動翻訳も機能せず、霊術エレジーも使えないことがわかった。


 リョウは内心、かなり渋い顔をしていた。あらゆる異能を退けてしまうということは当然、転移魔法も退けるのだろう。元の世界に帰る方法があるかもしれない、という話は、今は控えた方が良さそうだ。


 そのあたりの情報交換が一通り終わり、リョウがひとまず納得したころ、菊池がいぶかしげにこう尋ねた。


「それで、ふたりはどういう関係なんだ?」


 リョウには答えようがない。学校では誓って何の接点もなかった。ただのクラスメート、以上の関係ではないはずなのだが。


「わたしとヒューラーは将来を誓いあった仲」


 ハルカは臆面もなくのたまった。「は!?」という、菊池とリョウの声が重なった。ハルカは「ああ」と何かを思い出したように言葉を続けた。


「ゲームの話。わたしと彼の操るキャラクターが、〝ソード&マジック〟というネットゲーム内で結婚している」


「――〝カナル〟さんだったのか!」


 リョウは途端に満面の笑みを浮かべて、ハルカの手を両手で握った。


 カナル。正確には「遙カナル劔」というキャラクター・ネームの、ごつい巨人族の戦士だ。最初、漢字が読めなかったのでカタカナの部分だけを抜き出して呼んでいたが、特に訂正されなかったのでそのままである。


 そしてリョウのキャラクター名は「沈黙のヒューラー」。沈黙というわりにやたらチャットが速いことで、ゲーム内では有名なランカーだった。


 キャラクターの外見は可愛らしい美少女で、100%リョウの好みを反映している。「遙カナル劔」とは性別逆転カップルだったわけだが、当然、リョウにそんな意識はない。リアルでも知り合いだったなんていま知ったし、ゲーム内でも特に浮いた関係ではなかった。ネットゲーム内の結婚などそういうものである。


「気付いてたなら言ってくれたら良かったのに」

「学校で話しかけるのは迷惑かと思って」

「カナルさんなら大歓迎だよ。いやーでも、お互い無事でよかったね!」


 こんな調子で、和気あいあいと話し込むふたりを、神官戦士の娘が咳払いで制した。何ごとか喋ったが、ハルカに触れたままのリョウには分からない。文字の勉強をした際に、文法はある程度マスターしたつもりだったが、さすがに話し言葉は勝手が違う。


 だがハルカには分かるらしく、神官戦士の娘と流暢に会話していた。


「っていうか、カナルさん。この世界の言葉が分かるの?」

「勉強した。英語より簡単」

「すごくない!?」


 妙な対抗心を燃やしたリョウは、この機会に自動翻訳なしで話し言葉をマスターする決意を固めた。


「とにかく神殿に移動しようか」と菊池。「積もる話もあるだろうし。俺もまだまだ聞きたいことがある」


 そういうわけで、一行はデルナ大神殿に移動した。数々の彫刻に彩られた、これまた荘厳な建物だった。下品なきらびやかさはなく、ただひたすらに圧倒される美しさ。


 その一室で腰を落ち着け、菊池とリョウは本格的な情報交換をした。


 菊池の「執務室」らしい。彼は大神殿で「統率者」なる役職にあり、そろって聖者・聖女認定されたクラスメートたちの活動を統括しているという。途中まで付き添っていた神官戦士の娘は、彼専属の護衛とのことだが、菊池のはからいでいったん退室した。


 リョウの話を、菊池は興味深そうに聞いていた。特に飛竜ドムラスに乗って空を飛んだという話や、その後の狩人の里での一件、火竜山の魔竜ドムーグの話などには興奮していた。リョウのノートも「貴重な情報だ」と、借用を依頼。もちろん、リョウは快諾した。


 アルノアの一件は、カオス公子のこともあるため細部はぼかしたが、あのジェルビという神官長は、クラスメートたちとも因縁のある相手だった。アルノアで良からぬ画策をしているらしい、という情報だけ耳に入っていたそうだが、リョウの話で不安がひとつ消えたと、菊池は喜んでいた。


 紫波の話もした。喧嘩別れでもしたのかと思っていたが、どうやらそんなことはなく、菊池もほかのみなも、彼には言葉に尽くせないほど世話になったという。紫波の無事を心から喜んでいた。


 そして、クラスメートたちのこれまでの動向。


 彼らがチート能力――権能を使って好き放題しているのでは、というリョウの心配は杞憂だった。彼らは至って真面目に、それも良心的に異世界生活を送っている。人々の支持を集めているのは単純にその結果であり、やはり政治には直接関わっていない。


 例の国境の戦闘も、相手方――ラグランス軍の一方的な進軍だったそうで、事情を聞けば避けようがないものだ。その中でよく被害を抑えたと言っていい。


 生き残っているメンバーとそれぞれの動向についても説明を受けた。


 まず菊池秀虎。


 彼は基本的に大神殿を動かず、みなの動きをチェックしつつ、情報を集めている。剣術の修練を積み、魔導具を用いた魔術アルダーもいくつか修め、それなりに戦闘力はあるが、荒事に関わらせないよう、みなに止められている。


 賢明な判断だとリョウも思う。彼の【統率】が無くなれば、みな大変な思いをするだろうから。


 次に、霧島きりしま優美ゆみ


 クラス委員のクール系女子だ。権能は【神眼】。透視も遠視もなんでもござれのスカウター能力で、菊池と同じく重要な存在なので、普段は大神殿を動かないが、ちょうど今朝方から、どうしても彼女の力が必要な「冒険」に出かけている。


 尚武しょうぶ紀子のりこ


 リョウの記憶では地味な文学少女。だがこの世界では、どんな重い物体も思い通りに動かす、超強力な権能【念力】を有し、空まで自由に飛び回り、最強女子の名をほしいままにしているらしい。彼女も「冒険」に出て不在。


 天野あまのゆりあ。


 たしか東欧系のクォーターだったか。華々しく色気たっぷりの美女。権能は【再生】。エリシャと同じような能力で、「癒やしの御手」の聖女として引っ張りだこらしい。ただ、今日はやはり「冒険」に出て不在。


 光丸みつまる有沙ありさ


 クラスではいつも騒がしかった、いわゆるギャル。【錬成】という権能で、大抵の装備品を、まったく無の状態から作り出せる。衣類に限らず、鎧や武器まで。そして彼女も、今日は珍しく「冒険」に出ている。


 穂村ほむら一輝かずてる


 権能は【不死】。何があっても絶対に死なず、負傷はまたたく間に再生するらしい。そう言えば学校では「不死鳥フェニックス」と渾名されていた。思い出して吹き出したリョウに、菊池が「分かるか、笑うよな?」と同調し、しばらくふたりで大笑いしていた。


 ちなみに穂村は、魔剣ならぬ「魔斧」とやらに魅入られ、ストーカーされているという。「何それ怖い」とリョウは思ったが、見てからのお楽しみとのことで、菊池は詳細を語ってくれなかった。


「あいつも、霧島たちと冒険に出てるんだ」

「どこに行ってるの?」


 菊池は「あー」と声を出し、それから答えにくそうにこう言った。


「いちおう極秘任務なんだよ。日浦を信用してないわけじゃないが、全て終わってから話す。許してくれ」


 と頭まで下げたので、リョウは「いやいや」と首を振った。別にそこまで知りたいとは思わない。菊池もハルカも心配している様子はないし、それほど危険でもないのだろう。


 蓮川はすかわ清彦きよひこ武田たけだ義経よしつね高橋たかはし緋美子ひみこ、そして藤堂とうどう久志ひさしは、皇国を目指して旅に出た。世界の中心地とやらで情報を集めるためだ。すでに領内には入っていて、いまは首都を目指す途上。


 だがこのうち、藤堂だけは定期的に帰ってくるらしい。彼の権能は【転移】。自分ひとりだけに限るが、行ったことのある場所に瞬間移動できる。藤堂はそれで、蓮川たちのパーティと、居残り組との連絡役をしている。


 佐藤さとう英二えいじ稲見いなみ鳴子なるこ赤川あかがわ智晴ちはるの三人は、そろって西方に出かけている。シャガールなどの都市で情報収集に勤しみつつ、最近きな臭いと噂の、ヴァレンス帝国の動向を探っているそうだ。


「俺たちの近状はこんなところかな」と菊池がひとまず話を締める。リョウは表情を曇らせた。


「それじゃ、ほかのみんなは……」

「ああ。残念だけど」


 しばしの沈黙。菊池が溜め息を吐くように口を開く。


「こんな状況であいつが居てくれたら……ってやつばっかり、真っ先に死んだよ。いちばん恨み節を言いたいのは平松ひらまつだな。あいつさえ生きてれば、俺たちはもっと上手くやれた。田村も鳴沢も萩原も死なずにすんだ」


 ひどく疲れた表情だった。リョウは思わず菊池の肩を叩き、労をねぎらう。


 菊池の手が重なる。小さく震えていた。ちょっと「気に入らない」と思っていた爽やかオタクの印象は、綺麗に消えて無くなった。そこに居たのは、苦悩しながらもみなをまとめてきた、ひとりの立派な(リーダー)だった。


 と。男子ふたりが感傷にひたっていると、ハルカがどこか冷めた声で告げた。


「わたしは?」


「ああ、悪い。というか俺が紹介していいのか?」


 ハルカがこくり、と頷いたので、菊池はどこかやりにくそうに語りだした。


 鶴来ハルカ。


 彼女の権能の詳細は、実は不明。霧島優美の【神眼】で見通せないからだ。だが今のところ、クラスメート全員の権能と、デルナで知り得る全ての魔法を完全に退けることが分かっている。


 この神殿の地下に封じられていたという「魔神」との戦いでは、彼女の権能が勝敗を決した。それもあって、ハルカはもっとも人々の尊崇を集めていて、ほとんど現人神のような扱いを受けている。


「それから、鶴来は薬術リョールに詳しくて――色んな薬を調合してくれるんだ。よく効くからみんな助かってるよ」


 リョウは感心し、あとで色々教授してもらおう、と思った。通常なら誰にも気付かれないリョウにも役立つ知識のはずだ。


 それから、神殿の人たちにも知らせて歓迎会をやろう、と提言されたので、リョウは固辞した。ガラじゃないし、冒険組が戻ってからでもいいだろう、と。


 ならせめて美味しいものでも食べにいこう、と、三人で街に繰り出すことになった。何人か護衛もついてきて、最初は落ち着かなかったが、すぐ慣れた。


 菊池の案内でデルナを観光しつつ、ちょっと豪奢なレストランで食事をした。帰りは行きと別ルートで観光して、大神殿に戻ったのはすっかり日も暮れてからだった。


 ちなみにこの間、リョウはずっとハルカと手を繋いでいた。彼女が左利きなのをいいことに、食事中もずっと。筆談から解放された、同郷の人間とのお喋りが、これほど楽しいとは思わなかったのだ。


 学校に居た時から、もっとみんなと話をすべきだったかも知れない。


 両親とも。


 ふとそんなことを考えて涙してしまい、やはり涙目のふたりに肩を叩かれたり背を撫でられたりする、という一幕もあった。


 そんなわけなので、リョウがようやくハルカの手を離したのは、入浴の時だった。ハルカは「一緒に入ろう」と平然と提案したが、リョウも固辞したし、菊池や周囲の神官たちも頑として阻止した。


 リースの館よりも広い浴場で汗を流し、神殿の方で用意された平服に着替えると、ほのかに湯気を纏ったハルカに「いい男になった」とからかわれた。「カナルさんもね」と返すと、勘違いされたらしく「もっと鍛えて大きくなって」と言われた。


 ゲームのキャラクターじゃなくてハルカ本人が美少女だと言いたかったのだが、訂正するのが面倒なので捨て置いた。



 問題はそのあとだった。


 あてがわれた部屋で物思いにふけっていると、ハルカがひとりで訪ねてきたのだ。しかも枕を持って。


「話し足りなくて」


 さすがにまずいと思ったが、引き止める間もなくするりと侵入されたので、仕方なく話に付き合うことにした。


 ベッドは天蓋つきで、五人は同時に横になれるほど広いものだ。もちろん部屋はそれ以上に広々としていて、ゆったりしたソファーもあったが、ハルカは何のためらいもなくベッドの上に「ちょこん」と座り、隣を「ばしばし」と叩いた。


「いやダメでしょ」

「ゲームでヒューラーがストーカーにあった話をみんなにしてもいい?」

「それは勘弁してください……」


 仕方なく、ベッドの上で向かい合い、他愛のない話に花を咲かせた。それ事態は楽しかった。主にゲームでの思い出話だが、もともと、妙にウマが合うから結婚までしてペアボーナスを付け、ほぼずっと一緒にプレイしていたのだ。そんな相手との会話が楽しくないはずがない。


 だからと言って、この状況は安心できない。何よりも自分を見つめるハルカの目だ。アネットにそっくりだった。


(まいったなぁ……)


 リョウは会話を楽しみつつも、きゅうきゅうと胃がきしむのを感じていた。アネットという宇宙レベルの美少女の話はしたが、婚約の話まではしていない。気恥ずかしいし、自慢するみたいで嫌だったからだ。


 だが話しておくべきかもしれない。意を決しかけた頃、ハルカがうとうとし始めた。リョウはほっとして、「無理しないで、もう寝よう。ぼくはソファーで寝るから」と腰を上げかけた。


 がしっ。腕を掴まれた。途端に全身の力が抜けて腰が落ちる。「一緒に寝る」とハルカ。

 リョウは冗談めかして「襲っちゃうよ?」と告げた。


「構わない」


 とハルカは言った。


「ヒューラーになら何をされてもいい」


 リョウはその場に平伏した。平伏して、アネットとのことを白状した。だから、ハルカとはそういう関係になれない、と。


 しばらく無言の時が流れた。ちらりと顔を上げると、ハルカはびっくりするほど無表情だった。リョウは再び平伏した。針のむしろにでも座らされている気分だった。


 もうしばらくすると、「仕方ない」と、ハルカは小さなつつみを取り出した。入っていたのは丸薬だ。


「なにこれ?」

「気分が落ち着く薬。飲んで」


 よく分からぬまま、拒否することもできずに従う。

 飲んでしまってから急に不安になった。


「この薬、本当に大丈夫なやつ?」


「ふふ」ハルカはせせら笑った。「実は媚薬」


 ぶーっ、とリョウは吹き出した。だがもう遅い。丸薬はとっくに胃袋に到達しているだろう。


「何てもの飲ませたの!」

「冗談。ヒューラーは可愛い」


 ハルカはふわっと微笑んだ。とても可憐な笑顔。


 だが不思議と、リョウの心が高鳴ることはなかった。それどころか次第に心が落ち着いていくのが分かる。


「これで一緒に寝れる?」と問われたので、リョウは観念した。邪念も動揺も綺麗さっぱり消え失せていて、何とかなりそうな自信もあった。


 ハルカはリョウの腕枕で、すぐに寝息を立て始めた。安心しきった表情。不思議な気分だ。まるで猫か何かに懐かれているような。


 だがしばらくすると、ハルカが「つー」と涙を流し始めた。「ごめんなさい、カナ」とつぶやく声も聞こえる。


 リョウは胸が締め付けられた。死んでしまった萩原香菜のことだとすぐわかった。この超然とした少女にも、悩みや不安や葛藤が、当然あるのだ。


 それが癒せるなら、いくらでも抱き枕になろうと思った。リョウは自分が寝入るまでずっと、ハルカの背や頭を撫でてやっていた。



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