07.十八日目~
●十八日目
今日は雨。
毎年この時期は雨季に入るらしい。つまり、これからしばらく雨続き。
しかもこの雨季が明けたら本格的な冬の到来だ。このあたりの冬は相当厳しいって話だから、備えが充分かどうか不安だ。
ただ、外がこんな調子だと炭作りは難しい。ほかにもできることは少ない。私もずっと宿にこもっていた。
今日は佐藤くんのことを書く。
日記を読み返すとほとんど彼の話がなかった。でも忘れていたわけじゃない。佐藤くんは私をふくめ、女子とあまり接点がない。でも菊池くんとは仲が良くて、彼を通じてずっと協力的に動いてもらっているから、私のほうでは特に把握していなかっただけ。
佐藤くんの【支配】は、以前チハルの【友愛】の上位互換だと話したけど、実際にはそれぞれ真逆の能力。
【友愛】は心を操る権能。操るというよりは、無理やり友だちにしてしまう、というか。対象はチハルへの敵愾心や警戒心を全て解かれ、彼女のために何かしなければ、となる。
ただし完璧じゃない。理性の強い人間や、感情を殺して利益や目的のために動ける人間は、どんなに好意を持つ相手であっても裏切れるし、殺せてしまうから。これは蓮川くんの説明。
【支配】は、人の心や意識に直接干渉できない。ただし、対象の身体を意のままに操れるし、単純な命令なら、対象の意思にかかわらず実行させられる。
たとえば、佐藤くんに「正直に答えろ」と言われたら、相手はどんなに嘘をつこうと思っても、正直に答えてしまう。おもに役立っているのはこの使い方。ただし「今あったことは忘れろ」はダメ。なので、単純に片っ端から聞いて回るのは難しい。
「俺に惚れろ」もダメ。私は「何してるの!」って憤慨したけど、検証は主に蓮川くん主導で行ったので、佐藤くんに罪はないと、菊池くんが慌てていた。
「今すぐ死ね」もダメ。もうちょっと具体的にして「持ってる剣で自分の喉を突き刺せ」もダメ。これは無理やり身体を操ろうとしても抵抗されるんだそう。いつだったかの襲撃の時は、「動くな」と「そいつを倒せ」が大活躍したらしい。個別に身体を操るより楽で効果的なんだそうだ。
そんなわけで、佐藤くんは荒事にも強いお人だ。単独行動もお手の物で、普段は街のあちこちで情報収集をしている。菊池くんの主な情報源は佐藤くんで、ふたりは私たちの中でもっともこの街やこの世界の事情に通じている。
なんで急に佐藤くんの話をしたかというと。
彼と違って、私が本当に存在を忘れている男子が居たから。
日浦涼くん。
日浦くんはいわゆるぼっちだ。クラスに仲の良い友だちはひとりも居なくて、それどころか誰かと会話しているところを見たことがない。担任の清水先生が、三者面談で彼の順番だけ忘れていた、という逸話もある。
でも、決して存在感がないわけじゃない。
いや……日本語って難しいな。確かに気配は薄いし目立たない。クラスメートの大半は彼の存在を意識せずに学校生活を送ってると思う。
でも、日浦くんの外見には目立つ要素しかない。
ほんとに日本人?ってくらい肌が透明で綺麗、しかも小顔で華奢で超美形。うちのクラスで美少女って言ったら、あかりと桧山楓さんがツートップだったけど、日浦くんは男の子でありながら、ふたりに匹敵する美貌の持ち主だ。
それなのに目立たない。なぜか視界に入らない。
そして近付こうと思っても近づけない。いつの間にか居なくなっている。意識して姿を追っていても、まばたきした一瞬で見失うこともある。でも、授業が始まるといつの間にか席についている。
しかも、月に一度の席替えでは必ず、ただの一度の例外もなく、窓際最後尾の席を確保している。ミステリアスここに極まる、みたいな感じで、「窓際の幽霊」なんて渾名がある。
そんな彼を思い出したのは、今日、ハルカがぽつりと彼の名前を口にしたから。私はそれまで日浦くんを――あんな強烈な個性の持ち主を、綺麗さっぱり忘れていた。自分でも不思議。思い出した瞬間は背筋が凍った。
慌てて【神眼】のクラス名簿を確認した。でも、日浦くんの名前は載ってなかった。当然と言えば当然で、載っていたら忘れるはずがない。
実はハルカも名簿には載っていない。彼女の権能が【神眼】をキャンセルしてしまうからだろう。
じゃあ日浦くんはなぜ?
「誰にも見えない。もしくは認識されない。それが彼の権能」
とハルカが言っていた。確信を持っているらしい。初日、最後に教室を出たのはハルカだったそうだけど、彼女にはしっかり見えていたそうだ。窓際最後尾の指定席で、穏やかに寝息を立てている日浦くんが。
その際、菊池くん、佐藤くん、田村さん、紀子が一緒だったけど、「寝ている人は置いていくの?」と尋ねたハルカを、四人とも怪訝な目で見ていたそう。菊池くんが「もう誰も残ってないよ」と言ったので、仕方なく、黒板に大きな矢印を残して出てきたのだとか。
そして外に出てすぐ、教室に戻れないと知って絶叫したらしい。菊池くんと佐藤くんが大騒ぎしてたのは憶えてるけど……ハルカの悲鳴は私も聞いてみたかった。不謹慎だな私。
そう言えば、二日目に山頂で透視をお願いしてきたのもハルカだった。そして、折れたほうきの柄を見て、日浦くんも教室から出てきたと気付いたらしい。
それからずっと、日浦くんのことを気にしていたみたい。誰にも話さないまま。
水臭いな、もっと早く言ってくれれば……なんて思ったけど、確かに教えてもらってもどうすることもできない。ハルカの話が事実なら、私たちが日浦くんを探し出すのはほぼ不可能だ。クラス名簿に名前がない以上、生死も判別できない。
いざ元の世界に帰るとなった時、それがネックになる可能性もある。ハルカは多くを語らないけど、きっとそういうつもりで黙っていたのだろう。
こんなことを言っていた。
「彼が見えるのはわたしだけ。だからひとりで探す」
私は憤慨して、少し強い口調で反論した。ハルカをひとりにするなんて考えられない。彼女が日浦くんを探すというなら、私は必ず協力するつもりだった。みんなだって――。
でも、ハルカは首を横に振って。
「あなたはこれ以上何も背負わなくていい」と言った。
私は、その場では泣くのをこらえたけど、惨めさと不甲斐なさで何も喋れなかった。ハルカは最後に「彼の話は誰にもしないで」と告げた。
あれからまだ彼女と話せてない。どう言ったらいいかもまとまらない。
このまま放っておけば、ハルカは本当にひとりで日浦くんを探しに行きかねない。それだけは何としても引き止めるつもり。でも、どうやって彼女を説得すればいいのか、私には分からない。
きっとハルカにとって日浦くんは大切な人なんだ。田村さんにとっての平松くん。私にとっての菊池くん。そして菊池くんにとっての――。
ハルカの薬は本当によく効く。彼女の有用性は、きっとみんな理解している。やっぱりみんなにも話して、日浦くんのことをよく考えるべきだ。
よし。方針は決まった。この件について書くのはこれでおしまい。
今日はみんなもずっと宿にこもっていたようだ。これ幸い、というか、私は普段あまり話ができない人たちと話してまわった。
萩原さんは、秘密を貫くことにしたみたい。紫波さんには「やっぱり話せない」と伝えたけど、特に不満げな様子もなく、あれから何も言ってこない。
稲見さんとは食料問題について話しあった。
実は私の【神眼】、食べられる山菜とか野草とかの選別も可能なんだけど、山に出かけて集めまわっておけばよかった。保存食作りは、ミコと、ハルカも一緒になって続けていたらしいけど、充分な量とは言えない。
雨が止んだら狩りに出る必要もあるかも、と話した。これは恥ずかしながら盲点だった。そう言えばお肉については、私は何も考えていなかった。
でも、稲見さんや男子たちは早くから色々考えていたみたいで、狩りの対象と主な狩場のチェックはしているそうだ。菊池くんがまとめて資料を作っていた。
それによると、なんとあの飛竜という怪物も、部位によっては美味らしい。私はちょっと遠慮したいけど。
狩りに出るとなれば、稲見さんと紀子、義経くんなんかが主なメンバーになるだろうか。紫波さんはなんていうか……ほとんど消し飛ばしてしまうし、ミコが行くと炭しか残らないだろうし。
義経くんが言うには、萩原さんがいちばん向いているそうだ。彼女の権能なら、血抜き?をする必要がないから。これには反対だ。萩原さんには今後も一切、力を使ってほしくない。
そう言えば、今日は久しぶりに義経くんとミコの夫婦漫才が見れた。教室では日常の風景だったけど、今となっては懐かしい。ふたりもあの頃の勢いが無くなっていた。少し大人になったのか、それとも少し距離が遠くなったのか、逆に近くなったのか。私には判断がつかない。
藤堂くんは、今日はほとんど砦の方に行っていたみたい。向こうは相変わらずだった。蓮川くんからは「心配は無用」という短い伝言。もしかしたらもう何か掴んでいるのかも。藤堂くんもうっすらと勘付いている様子だけど、教えてはくれなかった。
何か事情があるのだろう。蓮川くんに任せておけば大丈夫なはず。
それよりも向こうでは大ニュースがあった。
光丸さんが、今度こそ服以外を錬成したのだ。
しかも武器。槍とか剣を錬成できるようになったらしい。いちおう鎧もできるらしいけど、まだ細部が不完全で実用に耐えないのだとか。
とにかくこのニュースに義経くんが大狂乱。「すぐに日本刀を作らせろ」と、戻ってきたばかりの藤堂くんを無理やり砦に行かせた。藤堂くんも意外と付き合いがいい。私なら断る。
それで、やっぱり無理だったみたい。藤堂くんが持ち帰ってきたのは、樹脂製の玩具だった。「今はそれで我慢しな」と光丸さんからの伝言つき。義経くんがそれを悲しそうに構えたので、みんなで大爆笑した。
これは書こうかどうか悩んだけど。
今日は、初めて菊池くんの方から求められた。
率直に嬉しかった。すごく。
これ以上書くと後日見返して悶絶するに決まってるので、このくらいにしておく。
雨はまだ降り続いている。気分は憂鬱になりがちだけど、今日はこの世界に来てからいちばんゆっくり過ごせた気がする。
今日くらいは早めに休もうと思う。いま一応、宿の周囲をくまなく見渡したけど、特に危険は感じられない。
また明日。いい日でありますように。おやすみなさい。
●十九日目
何か大変なことが起きている。
いまはまだお昼だ。みんなで昼食をとったばかり。
その時に、北の空で大きな発光現象が起きた。
みたこともない現象。光の柱のようなものが、地面から天を突き抜けてゆらゆらとうごめいていた。街の上空から私の【神眼】で見ても何も分からない。
ただ、砦の方角だった。
しばらくすると消えたけど、街も騒然としていた。すぐにクアランさんを訪ねたけど、彼にも何もわからないらしい。すぐに北の方角へ向けて調査隊を出すと言っていた。
まずい、と私は思った。アルさんの軍団と神官戦士団が戦闘になるかもしれないから。
菊池くんも同じことを思ったらしい。自分たちが行く、と提言して了承をもらった。
すぐに藤堂くんに飛んでもらった。三十分くらい前のことだ。まだ戻ってない。
あと一時間待って戻ってこなかったら、私と紀子で調査しにいくつもり。
菊池くんは反対しているけど、こればっかりは譲る気はない。
とにかく藤堂くん、早く戻ってきて!
一時間経った。藤堂くんはまだ戻らない。【神眼】のクラス名簿に変化はないけど、これ以上は待てない。出発する。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
ぱたん、と日記が閉じられた。
それに目を通していた人物は、珍しく眉間にシワを寄せて言った。
「最後の日付は三日前だね。手がかりは何も記されてない」
蓮川清彦だ。口調は至極おだやかなものだが、苛立ちは隠しきれない。細身の身体全体から怒気のようなものが発せられて、空気をビリビリ震わせている気がした。
あの蓮川が怒っている。赤川智晴は初めて目にする恐怖に絶句していた。
ふと見れば、天野ゆりあ、光丸有沙、藤堂久志も固唾を呑んでいる。
日記にある通り、霧島優美と尚武紀子が三日前に砦に発ったのなら、いま彼らと合流してないのは異常事態だ。宿にはなんら争いの跡はなく、忽然とみなの姿だけが消えている。
「本当に厄介だ。こんな事態は想定してなかった」
淡々と蓮川。表情はどんどん険しくなる。つれて、みなの息苦しさも増した。
「で、どうすんの?」
この空気の中、あくび混じりに発言したのは穂村一輝。分厚い筋肉は服の上から見て分かるほど弛緩し、緊張感は微塵も感じられない。
蓮川は妙な威圧感を発したまま、やはり穏やかな口調で答えた。
「探すしかないね。せめて委員長だけでもいてくれたら良かったんだが」
「魔法で何とかならんの?」
と、藤堂。北の砦での問題はすでに解決し、彼は一足先にいったん街に戻ったのだが、その時にはすでにみな居なかった。昨日の出来事だ。途方にくれたが、デルナには明るくない。すぐ蓮川たちのもとに戻り、彼らを引き連れて戻って来たわけだ。
「残念がら、この状況は如何ともしがたいね」
「んだよ、使えねーな」
藤堂の言いざまに苦言を呈したのは光丸。
「はぁ? アンタがいつまでもグズグズしてっからこうなってるんでしょうが」
「アリサ、いいすぎ」
かたわらの天野が即座に諌めた。
しばしの沈黙。藤堂とて自覚はあるが、そもそも彼の帰還が遅れたのは砦のゴタゴタのせいなので、ほかのメンバーも強くは言えない。光丸もそれ以上なにも言わず、いったん息を呑んで押し黙った。
のち、穂村がぼそりと一言。
「トモハル、なんか知らない?」
「おどりゃあ誰がトモハルじゃ、ぶちまわすでぇ」
チハルは反射的に言い返した。男子の間では彼女をそう呼ぶのが流行っている。ついついツッコミを入れてしまうが、それが半ば様式美と化していることに、チハルは大いに不満だった。
気を取り直して質問に答える。
「ほうじゃねぇ、神殿の人らなら何ぞ知りよるんじゃない? ここら、スカスカで人もおらんけん、あても無う探し回るよっかマシじゃあ思うけど……」
「トモハル、日本語でOK」
「広島弁は日本古来の言語じゃドカス! あと誰がトモハルじゃ!」
「わかったわかった。神殿な。行こっか」
穂村は即決。すぐ部屋の出口に向かうが、蓮川が肩をつかんで引き止めた。
「待ってくれ。行く面子も選別しないと。少し考える時間を――」
「考えても仕方ないでしょ。あとここで分断、まずいんじゃない?」
「いや、でも。天野さんも光丸さんも危険――」
「オレらが、守る。だろ?」
あまりにも軽々しく、さっぱりした口調。発した穂村は相変わらず、いまにもあくびしそうな態度。
それでも蓮川は反論を封じられた。一瞬息を呑み、深く深く息を吐く。
「了解だ、イッキ。行こう。みんなもよろしく頼む」
そして【魔王】は先陣を切って歩き出した。
「イッキとか言うなし」
舌打ちして穂村が続く。
「人をトモハルとかゆーとるからじゃ、このわやくちゃフェニックスが」
チハルが横にならぶ。穂村が彼女の頬をむにむにと弄んだ。
「ねーご主人様、いまのゆりあにもやって♪」
小走りに天野が続く。
「アタシが行っても平気かな?」
不安げに光丸。
「いけるっしょ。勇者と魔王が一緒なんだぜぇ?」
藤堂は光丸の尻を叩いた。すぐに足蹴りが返ってくる。じゃれ合いはそれで終わり、ふたりもすぐ後に続いた。
広島弁添削、切に希望します。