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超絶に影の薄い僕は、異世界で誰にも気付かれない。  作者: 竜王零式
第一部:孤高の異世界冒険譚
18/44

14.拳は剣より強し

今回リョウくんはお休みです。



 カオス公子誘拐の実行班は、大通りを結ぶ連絡通路で待機していた。

 本城と離宮を結ぶ最短ルートだ。通常なら、保安上の理由で大通りのみを経由し本城を目指すところなのだろうが、付近の緑化区画の影響もあって、そうするとひどく遠回りになってしまう。


 カオス本人の性格も影響している。彼は退屈な移動と無駄な時間を嫌う性質たちだった。

 また、今回の公子参城にあたり、このルートが確実に選択されるよう、内通者が働きかけてもいた。

 今朝の時点で、その予定に変更はないはずだ。


「いよいよだぞ導師。準備はいいか」

「ああ、問題ない」


 クレイブはごく短く答えた。緊張している、程度に取られていれば良いのだが。


 実行班は6名。魔術師アルダールブを含むため戦力としては充分である。それにこの襲撃にあたり、街のあちこちで騒ぎが起こる(・・・)。警備は否が応でも薄くなるはずだ。


 逃走ルートの確保も万全だった。誘拐後は廃坑を破棄し、各班のリーダーのみが知る、次のアジトへ移る。クレイブが計画の全体像を知ったのはついさきほどだが、参謀役マルレーネの手腕に舌を巻く他ない。


「来るぞ」


 伝令が、目標の到着を告げる。実行班は速やかに散った。

 ひとりだけクレイブと共に残ったのは、班のリーダーで、クレイブの護衛も努めるアジェルドという剣士だ。

 特に親しい、ということもないが、同郷ということもあってか、この一味に加わってからは目付けのように付き添っている。


「いやに緊張しているな。魔法を失敗したりせんだろうな?」

「はは、見くびらないでくれ。素手ならともかく、魔術師アルダールブが魔導具まで持って、眠りの魔術に失敗することなどないよ」


 答えつつ、クレイブは内心で冷や汗をかいている。すでに裏切っていると知ったら、この男は躊躇なく自分を殺すだろう。


(リョウはうまくやってくれただろうか)


 不安は消しても消しても沸いてくる。だがエリシャの安否が分からない以上、クレイブは計画通りに動くしかない。


 クレイブは深呼吸した。


(そうだ。何を迷っている。私がやることは変わらない)


「いよいよだぞ」


 アジェルドが告げた。公子の乗る馬車が見えてきたのだ。

 護衛は、斧槍と鎧兜で武装した歩兵が5。騎馬が2だ。


「行けるか?」

「造作もない」


 クレイブは短く答え、呪文の詠唱を開始する。

 祖国では、少なくとも王侯の護衛に魔道士がつくのは当然だった。が、この辺境の国ではそうではない。魔術アルダーに対し何の備えもない連中を眠らせるのは容易い。


「【誘夜霧リュシリス】」


 ぼうっ、と淡く光る霧が馬車を覆う。途端に、護衛の者共がばたばたと倒れていく。

 一瞬だけこらえた者もひとりだけ居た。しかし、結局全員がクレイブの魔法の餌食となり、その場に倒れ伏せた。


「すばらしい腕だ」


 アジェルドはにやりと頬を釣り上げた。散っていた4人が速やかに公子の身柄を確保する。

 死者をひとりも出さなかったことに、クレイブは安堵した。


「成功だな。これからどうする?」

「ああ。こうする」


 ずぶり、と。

 クレイブの胸に熱い痛みが走った。

 見れば、いつの間に抜き放ったのか、アジェルドの長剣が自分の胸を貫いている。


「な……っ!」

「ご苦労だ、導師。あとはあの世でゆっくりしろ」


 どさ、と身体が崩れる。クレイブの意識は急速に暗く落ちていった。


 だが。


 完全な暗闇に落ちる刹那、巨大な人影が視界を横切った。

 それはどうやら、青炎教カピストリアの僧侶であるらしかった。



 アジェルド・ウィンガルドは歴戦の剣士である。

 かの「剣士の国」――聖王国に生まれ、物心つくころにはすでに剣術を学んでいた。

 人種的な限界からか。母国で上を目指すことはできなかったが、各地を流浪しつつ研鑽を積んだ剣術は、そこらの小国なら充分、指南役の声がかかる腕前だ。


 アジェルドはそんな役職で満足できなかった。

 さらなる名声。歴史をひっくり返すような名声を望んでいた。自分にはその資格があると思っていたのだ。


 しかし――。


「ぐべっ!」


 いきなり横合いから衝撃を受け、アジェルドは激しく壁に身を打ちつけた。

 気を失わずに済んだのは、鍛え抜かれた肉体ゆえだろう。そうでなければ四肢が千切れ飛んでいたかも知れない。

 冗談でもなんでもなく、飛竜ドムラスの尾撃よりよほど強力だった。


「きさま……何者だ!」


 長剣を構え直し、突如現れた敵に誰何すいかする。青炎教カピストリアの僧衣をまとった、大柄な男である。


「見て分かりませんか。わが宗派もまだまだ知名度が足りない」


 青炎教カピストリアの僧侶――アルフレッド神父は飄々と答えた。むろん、身に寸鉄も帯びていない。鍛え抜かれた肉体と、その表面を薄く覆う透明な聖炎アピトルが、彼の武器であり鎧だ。

 それはアジェルドにとってあまりにも非常識だった。


「ふざけるなっ!」


 アジェルドは長剣を突き出した。鋭い突き。

 アルフレッドはものともせず直進。

 かるく手を添えて刃をそらし、アジェルドの懐に一挙に入り込むと、胸甲に「とん」とてのひらを押し当てた。


 どんっ!


 一瞬遅れて強烈な音。再びアジェルドの身体がふっとんだ。見えない力が鎧を貫通し、全身を強烈に打つ。凄まじい衝撃だった。


「くっ……」


 遠のく意識をつなぎとめ、アジェルドは剣を杖代わりに立ち上がった。


「ほう……まだ立ちますか」


 アルフレッドは嘆息し、不意に視線をそらした。


 そこでは、妖魔バヌトゥの少女が、クレイブの胸にすがりついて泣きじゃくっていた。それはかすかに上下していて、傷口は完全にふさがっている。


 視線を追ったアジェルドはぎりりと歯ぎしりし、大声を張り上げた。


「みな集まれ、こいつらを始末する!」


 返事はない。誰が駆けつける様子もない。ちらりと通りに目をやれば、すでに護衛の衛士たちが起き上がり、仲間たちを拘束している。衛士の人数も増えている。増援があったようだ。


 アルフレッドは詩でも朗読するようにこう言った。


「神はすべてをお許しになります。つまり、私があなたを罰することも」

「抜かせ!」


 アジェルドは長剣を振り払った。今度は油断のない剣さばきだ。相手が素手の人間という意識を捨て、魔物に相対する覚悟で剣を振るう。


「むう」


 さしものアルフレッドも、おいそれと間合いを詰められない。

 それを見てとったのか、アジェルドは一瞬のスキをついて駆け出した。


(まともに相手をしていられるか。ここは撤退だ!)


「アネット!」


 アルフレッドが鋭く叫ぶ。


 一瞬遅れて「びゅっ」という音。

 矢羽根が風を切る音だ。反応する間もなく、アジェルドの脚に直撃。

 そのまま、アジェルドは地面を転がった。


 矢の主は可憐な少女。アネットである。「ほっ」と胸をなでおろし、すぐさま次の矢をつがえたが、アルフレッドが「す」と手をあげて制した。


「お仲間はみな捕らわれたようですよ。あなたも観念したらどうです?」


 アジェルドは答えず、「ぐ」と奥歯を噛み締めた。

 すると、いきなり血泡を吹き、白目を向いて痙攣しはじめた。


「毒か」


 アルフレッドは霊術エレジーで治療を試みたが、遅かった。

 剣士アジェルドは何も明かさぬまま、潔く散った。


「思った以上に面倒な手合てあいだ」


 思わず顔をしかめ、背後を振り返る。

 クレイブが意識を取り戻していた。アネットとエリシャに支えられ、ふらふらと身を起こす。


「あなたは? リースの手のものか?」

「似たようなものです。エリシャさまを保護させてもらった手前、首をつっこんだだけですが」

「あなたがエリシャを? ではリョウは?」


 クレイブの問いに、エリシャとアネットは悲痛に顔を歪める。


「その彼を助けたいのです」


 アルフレッドが事情を説明する。

 弟子のアネットを探してアルノアへやって来たこと。

 彼女にあずけていたペンダントの反応が、聖柱教セラ・クティルの神殿で途絶えたこと。

 そして逃げ出してきたエリシャを保護し、彼女に言われるままリースを訪ねたら、そこでアネットと再会したこと。彼女がリョウにペンダントを預けていたということ。

 リースがすぐに手を回したが、神殿はすでにもぬけの殻だったこと。


「お兄さんはわたしをかばって、炎の壁にかこまれて……」


 エリシャが泣きながら言った。


「なんということだ……」


 クレイブは頭をかかえた。リョウという少年を侮っていた。いや、話には聞いていたが、本当の意味では理解していなかった。


 まさか、彼がエリシャを救うために己を犠牲にするとは……。


 いますぐにでも助けてやりたい。しかし、アジェルドが死んだいま、彼らのアジトを知る手立てはないのだ。


 計画の概要を説明しつつ、クレイブの胸中の不安がさらに大きくなった。


「ところで、リースはどこに?」

「本物の公子の護衛です。変装して、大通りを徒歩で進んでいるはずですよ」


 クレイブは目を見開いた。


「いけない、その手は読まれている。あちらの最高戦力を相手どることになるぞ」


 脳裏をよぎるのは、眼前の神父に劣らない体格の若い男。

 リョウの同郷。拳一つですべてを砕く、紫波雄人の不敵な横顔だった。



 アルノアの街を東西に横切る大通りを、ふたりの侍女が歩いている。


 フードを目深にかぶり、表情はうかがい知れない。しかし、どちらもすらりとして姿勢がよく、育ちの良さが伺える。


 両脇と前後を、帯剣した身なりの良い男たちが囲んでいた。貴人の使いであろうか。侍女たちは仲睦まじく手を握り合っていて、行き交う人々が時たま、微笑ましく目を止めている。


「腹がきついぞ。まだ歩かねばならんのか」


 そのうちの片方が、いやに凛とした声で言った。


「中央大路に出るまでは我慢しなさい」


 もう片方の声は、滅多に耳にできないような美声だ。涼やかで可憐、そしてしっかりと芯の通った声。


「はっ、我慢強いことだな。オレより苦しそうだぞ」

「はしたない言葉使いはやめなさい。あなたは女の子ですよ」


 凛とした声の侍女は、ぷるぷると身体を震わせて笑った。


 もちろん、カオス公子とリースのふたりである。どちらも女性ではないが、胸に詰め物をし、コルセットをきつくしぼって、無理やり女性らしい身体のラインを作り上げている。おかげでただ歩くのも辛い状況だが、その甲斐あって、ふたりとも外形だけなら美女と見紛う容姿だった。


 とくにリースの侍女姿は麗しく、護衛についた男たちの胸を無闇に高鳴らせている。


 カオスも上機嫌だった。


「屈辱的な変装だが、おまえのそんな姿が見られるなら安いものだ」


 と、女装に応じているあたり、この少年も妙なところで素直だった。


 ふと、通りに大きな人だかりがあって、一行の行く手を遮った。

 事情をさぐらせると、行き交う馬車同士が接触して片方が転倒、双方の言い合いから喧嘩になり、衛士たちを巻き込んだ騒動に発展しているらしい。


「まずいな。奴等の陽動か」


 カオスが真っ先に聡い意見を述べ、周囲の地図を頭に思い浮かべる。


「このまま人の群れを突っ切るのが最善だと思うが」

「いえ、こんな騒動の中をわざわざ行くなど危険です。あちらの手のものが紛れ込んでいるかもしれません」

「オレ……私の命が狙いならそうかも知れんが。奴等の狙いは私の身柄だろう? 生きたまま連れ去る必要があるなら、人気のない路地に誘い込む必要がある」


 つまり、そのための陽動だということだ。

 しかし、リースは首を横に振る。


「キミの命そのものが狙いだという可能性を捨ててはいけない。仮にそんな連中が混じっていた場合、この通りは相手にとって絶好の場所だ」


 いくら可能性が低くても、死んでしまったらおしまいだ。

 本来なら参城そのものを取りやめたいところだが、そうなるとカオスの――場合によってはヨルド公の立場すら危うくなる。

 クレイブのことも気がかりだった。エリシャがすでに敵の手を脱した以上、あからさまな警戒は彼の身を危険に晒すことになる。


 ゆえに、リースとしても苦肉の策であった。


「こんなこともあろうかと、前もって安全を確保させているルートがあります。そこを通りましょう」


 リースが手を引くと、カオスは素直に応じた。

 やってきたのはやたら人通りのない裏道だ。今朝一番で、あらゆる手段を講じて秘密裏に人の行き来を制限させている場所だった。


「目につくものはすべて我らが手のものです。行きましょう」


 カオスは再び頭の中で地図を思い浮かべる。一見袋小路だが、陸橋をくぐって宿屋の裏口を抜ければ、正面から大通りに復帰する。

 リースの話によれば、こんなルートをいくつか設定してあるらしい。


「なるほど考えたな」


 カオスは感心し、真剣なリースの横顔を一瞥する。正面を見据える金色の瞳が、ふと疑念に揺らいだ。


「誰だ?」


 正面に。

 いつの間にか大柄な男が立っていた。妙な色合いの金髪だった。根本が黒い。

 狭い通りを吹き抜ける風が、目深に被ったフードを払う。


「そっちがカオス公子か」


 男が言った。悠然とこちらに歩み寄る様はスキだらけで、そして自信に満ちあふれている。


「人違いだろう。私は見ての通りただの侍女だ」


 カオスが答える。男は笑った。


「そうか。おれは紫波しわ雄人ゆうとってんだ。しばらくの間よろしくな」


 そして「シュッ」と拳を突き出した。


 その瞬間、轟音と共に空気が炸裂し、カオスたちは衝撃に吹き飛ばされた。


「なあっ!?」


 それは誰が上げた声だったのか。

 気がつけば、カオスは地面に転がっていた。見上げた視界に映ったのは、壊れた人形のようにきりもみしながら吹っ飛ぶ護衛の男。

 それが最後であったらしい。紫波と名乗った男の他に、立っている人影はなかった。


「一緒に来いよ、公子さま。大人しくしてれば悪いようにはしないぜ」


 やはり悠然と歩み寄る紫波に戦慄しつつ、カオスは飛び退く。倒れ伏せる護衛の剣を拾って構えをとった。


「おお? 様になってるじゃねえか」


 愉快げに笑い、紫波はまるで警戒していない。

 カオスは震える脚を叱咤しつつ、じりじりと後退した。眼前の敵は無手だ。が、自分が倒せる相手でないのは間違いない。


 その時、視界の端で「ぴくり」と動きがあった。カオスはにやりと笑った。


「あまりオレを侮ると死ぬぞ」

「いいぜ、やってみろよ。できたら褒めてやる」

「馬鹿め」


 吐き捨て、カオスは斬りかかった。

 意図的に身体の中心をずらし、右半身を狙って剣を振るう。紫波は難なく避けた。それなりの剣速だったが、しっかりと目で追っている。

 それがゆえに、本命に対して完全に背を向けた。


(いまだ、リース!)


 内心で叫ぶと同時に、倒れ伏せていたリースが恐るべき速さで跳ね起き、紫波の背中に斬りかかった。必殺の間合い。カオスはほくそ笑んだ。


 だが。


 バキン、と音を立て、リースの剣が真っ二つに折れ飛んだ。紫波が何かしたわけではない。ただ、剣が彼の身体の触れただけ――。


「邪魔だ」


 紫波が無造作に拳を振るう。それがリースの身体に触れる前に、また爆発。リースの華奢な身体が吹き飛び、今度こそ動きを止めた。


「きさまあああ!」


 カオスが剣を振り上げて突進する。殺気を込め、切り下ろす。

 だが紫波が「しゅっ」と拳を突き出すと、剣は砕け散ってしまった。

 呆然と立ち尽くすカオス。紫波は肩をすくめてこう言った。


「武器だろうが空気だろうが、好きなもんを好きなように殴る蹴るできる、それがおれの能力だ。相手が悪かったな」


 す、と紫波の手がカオスの頭に触れた。その瞬間、頭をかき混ぜられたような衝撃があって、カオスはあっという間に意識を失った。


「さて。さっさと逃げるか」


 紫波は昏倒したカオスを肩に担ぎ、路地を抜けようと歩き出した。


「待ちなさい」


 その背中に声がかかる。振り向くと、いつの間にか立っていたのは僧侶である。僧衣は青炎教カピストリアのものだ。


「坊さんの説教なんか聞いてるヒマはねえぞ」

「いいえ。あなたに聞きたいことがあるだけですよ。もちろん、公子さまは置いていってもらいますが」


 アルフレッド神父である。いつの間にやら、後方には弓を構えたアネットの姿もある。


「リョウくんの関係者か」


 紫波は溜め息をつき、カオス公子を地面に降ろした。


「話が早くて助かります。彼はどこです?」

「あいつのことは諦めろ。もともとこっちの世界の人間じゃねえ。おれが一緒に連れて帰る」

「それはリョウが決めることよ!」


 アネットが怒鳴った。アルフレッドは思わず肩をすくめる。弟子の怒声を聞くのは初めてだった。


「彼女の言う通りです。あなたもこんな犯罪に加担せず、リョウと一緒に我々に協力していただけませんか? 異界に渡る方法など見当もつきませんが、これでも何かと顔が利くんです。お力になれるかもしれません」


「断る」


 紫波は構えを取った。


「一度受けた仕事は投げ出さねえ主義だ。やるならさっさとケリつけようぜ」

「仕方ありませんね」


 アルフレッドも構えを取った。軽く腰を落とし、両掌をゆらりとかかげる。


 紫波の表情が変わった。

 この僧侶は「デキる」相手だ。「手加減」ができるかどうか。


「腕の一本はふっとばすぜ。恨むなよ」


 吐き捨て、勢い良く地面を蹴る。

 驚異的な速さの踏み込みだった。反射的にアネットが放った矢が空をきったかと思えば、紫波はすでにアルフレッドの眼前に迫っていた。


 どぉん!


 ものすごい音がして、両者が弾かれるように間合いを取った。双方ともに、驚愕に目を見開いている。


「何をしやがった、クソ坊主」

「それはこちらの台詞です。魔術アルダーでもないようですが?」


 紫波は再び突進した。問答は無用。しかし、突き出した拳は、初撃と同じく見えない壁に阻まれる。

 二度目のスキを、アルフレッドは見逃さなかった。一瞬にして紫波の懐に潜り込み、肘を突き出して体当たりする。


 どん!


 強烈な踏み込みの音と共に、紫波の身体が宙に浮いた。しかし手応えが妙だ。ありすぎるのだ、あまりにも。


 驚くべきことに、紫波はダメージを負った様子もなく、ふわりと地面に降り立つと、再び間合いを詰めてきた。


 振るわれた拳を、今度は手を添えていなし、アルフレッドは紫波の顎先めがけて拳を突き出す。カウンターだ。が、この一撃もやはり、手応えがありすぎる。

 紫波は大きく上体をそらして吹き飛んだが、やはり何のダメージもなさそうだった。


 しかし、驚いているのは紫波も同じだった。


「何の手品だクソ坊主。てめえの拳はダイヤモンドか何かか?」

「おっしゃる意味が分かりかねますね」


 飄々と答えつつも、アルフレッドは戦慄している。紫波はどうやら、相手の攻撃に対して、受けた身体で反撃しているらしい。おそらく、聖炎アピトルの加護がなければ拳が砕け散っている。


「手加減は無しだ。てめえは殺す」


 紫波は拳を握り込み、思い切り振り抜いた。


 どぉん!


 また爆発。空気が炸裂したのだ。その衝撃があたりを震わせる。まともに喰らったら全身に衝撃をうけ、一瞬で意識を刈り取られるだろう。


 だが、アルフレッドは霊術エレジーで作り出した盾でそれを防いだ。恐るべき一撃だが予備動作は大ぶりだ。対処の余地はある。


「はあん? ようやくわかったぜ。魔法で見えない盾でも作ってやがるな?」

「それがわかったところでどうなります?」

「どうにでもできるぜ。さよならだ」


 紫波は不敵に笑って、再び大ぶりの拳。空気が爆発する。霊術エレジーの盾が、衝撃を受け止める。

 そこに、紫波はするどく踏み込み、見えない盾に向かって拳を振るった。


(――何!?)


 途端、アルフレッドの全身を衝撃が走った。「盾」が壊れた反動だ。練り込んだ魔力が暴発して、身体が一瞬だけ硬直する。


 そこに、紫波の追撃。彼の拳が初めて、アルフレッドの身体を直に捉えた。


 ぱぁん!


 渇いた音を立て、アルフレッドの左肩がはじけ飛んだ。腕が千切れ飛び、回転しつつ宙を舞う。吹き出した血飛沫が、瞬く間にあたりを血の海に変えた。


「神父さま!」


 アネットが射撃。矢はしっかりと紫波の身体を捉えたが、当たると同時に粉々に割れ飛んだ。


「動かないほうが良いぜ、坊さん。そこの姉ちゃんも、そのままじっとしてろ」

「ダメよ。その娘も殺しなさい」


 ふいに、女の声。いつの間にか、豪奢なローブを着た赤毛の女が現れていた。

 紫波は顔をしかめて言い返した。


「やなこった。無駄な殺しはやらねえ約束だぜ」

「なら私がやります。あなたは公子を連れて先に行って」

「その瞬間におれが敵にまわるぜ。それでいいのか?」


 赤毛の女――マルレーネは眉根を寄せて舌打ちした。


「分かったわ。でも、これだけは許してもらいます」


 マルレーネは開いた両手を振るい、呪文を詠唱する。魔導具では発動できない高等魔術。そしてこの魔力の働き――。


(精神を壊すつもりか。アネットだけは――)


 アルフレッドは精神を集中させ、【祝福】の用意をする。魔法に対する抵抗力を飛躍的に高める霊術エレジーだ。


 だが、マルレーネの詠唱の方が早かった。


「【月惑煌リュナリス】」


 魔術アルダーが完成する。もともとは知性の低い動物を操り人形にする魔法。人間に使えば対象の記憶をぐちゃぐちゃに壊してしまう――。


「【無幻イル・ス】!」


 別の声が轟き、周囲の魔力をかき乱した。これも高等魔術。反魔法結界によって、マルレーネの魔術アルダーは無効化された。


 現れたのはクレイブ導師とエリシャだった。妖魔バヌトゥの少女はすぐにアルフレッドに駆け寄り、「癒やしの御手」を発動させた。

 神々しい光が、見る見るうちにアルフレッドの腕を再生させていく。


「……本当にツイてないわ、私」


 マルレーネは吐息した。その傍らには、公子を担いだ紫波の姿がある。


「上々じゃねえか。これで連中に足引っ張られることもねえ」

「そう言えばそうね。準備はいい?」


 紫波が頷くと同時に、いつのまに取り出したのか、マルレーネの左手で魔石が強烈に光った。

 かと思えば、一瞬の後には、彼らの姿は綺麗さっぱり消え失せていた。


「転移魔術だ。禁呪だぞ」


 うめくようにクレイブが言った。


「好都合です」


 アルフレッドが答える。


「あれは追跡が容易い。私にまかせてもらえますか」

「あなたはいったい何者なんだ?」

「見ての通り、ただの神父ですよ」


 飄々とした答え。クレイブの表情が、よりいっそう険しくなった。




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