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超絶に影の薄い僕は、異世界で誰にも気付かれない。  作者: 竜王零式
第一部:孤高の異世界冒険譚
16/44

13.魔法業界はややこしい



 魔術師アルダールブ、と呼ばれる人々がいる。

 簡単に説明すると「すごい魔法使い」だ。


 どのくらいすごいかというと、現在アルノア領内で確認されている魔術師アルダールブは、クレイブを含めてたった4名。皇国の魔術学院にすら、50人もいない。


 明確な基準はもちろんある。ただの魔法使いと魔術師アルダールブの境界は、魔法を使うのに魔導具が必要か否か。


「じゃ、霊術エレジーが使える人も魔術師アルダールブ?」

「はは、そうとも言えるね。ただ魔法にも色々あって、我々――魔術師アルダールブが専門とするのは、魔術アルダーという魔法だ」


(要するに黒魔法と白魔法、魔法使いの呪文と僧侶の呪文、みたいなもんなんだろうけど)


 クレイブはかなり簡略化して説明してくれたが、それでもなお、リョウの頭にはほとんど入ってこなかった。一応の理解としたのは、日本のゲーム知識である。


「クレイブさんも魔術師アルダールブなんでしょ? でも、さっきは使えなかったじゃない」

「耳が痛いね。魔導具というのは、魔術アルダーを簡略化するものなんだ。例えば……」


 と、クレイブは短杖を掲げた。すぐさま先端に火が灯る。


「これを魔導具なしでやろうとすると……」


 今度は短杖をしまって、両手の指先をあれこれと動かしながら、複雑な呪文を詠唱する。

 5秒ほどを費やし、同じように火が灯った。


「やってられませんねー」

「ふふ、そうだね」


 ほかにも、魔導具を使う利点はたくさんあるらしい。例えば「魔力切れ」なる状態におちいるのを防いだり、集中力があまりいらなかったり。

 もっとも、熟練の魔術師アルダールブは、その差も克服するそうだ。クレイブは魔導具に頼りすぎて鍛錬をおこたっている、と反省混じりに語った。


 さて、なぜふたりがこんな話をしているのか。

 リョウが持つ黒塗りの筆記板の、真価を発揮させるためである。


「キミが持っている筆記板は、魔法陣や呪印を使って、簡単な魔術アルダーおこすためのものだ。ためしにこれを描いてみてくれないか」


 と、一枚の紙を取り出す。

 なにやら禍々しい図形や文様が複雑に絡み合っている。


「……これ、上からなぞっても?」

「ああ、構わないよ」


 トレースは得意だ。リョウはほんの数秒で文様を描き終え、クレイブを感心させた。


「では、それに魔力を込めよう。方法は――」


 言われるまま、筆記板に念じる。心をなるべく空にして、気力を注ぎ込むようなイメージ――。


 ぼっ!


 筆記版の上に火が灯った。リョウは思わず驚き、それと共に火が消える。


「すごいなキミは」


 クレイブが驚嘆した。


「筆記板で一日中でも筆談すると聞いていたから、魔力の高い子だろうとは思っていたけど。それにしたって、魔法陣をこうも簡単に起動させる人間はそう居ないぞ。よほど集中力と意志力が高いんだな……ひょっとしたら、霊術エレジーのほうが向いているかも知れない」


 魔術アルダー霊術エレジーは、適正に相反するものがあるという。簡単に言うと、理論派は魔術アルダー、感覚派は霊術エレジーが向いているらしいが……。


「クレイブさんは、霊術エレジーも使えるんですか?」

「使える……とは言わないだろうね。いちおう、こういうことはできるが」


 と、両掌に聖炎アピトルを灯す。エリシャほどではないが、かなり明るい色だ。


「私にできるのはここまでさ。ここから具体的な術をイメージするのに、魔術アルダーの知識が邪魔をしてしまうんだ」


 いわく、魔術アルダー霊術エレジーを両方扱える人間はとても希少で、クレイブの祖国にもひとりしか居なかったそうだ。


「キミには余計なことを教えないほうがよさそうだ。いまは魔法陣を起動できれば充分だからね」


 そうして、次にクレイブが用意したのは【暗視】の魔法陣だ。

 これから敵地へ乗り込むために必要な魔術アルダー。しかし、リョウは能力のせいで、他人が魔術アルダーを直接かけることができない。「術式の対象指定に関する根本的な問題点で、解決策はない」とクレイブ導師は語る。


 ならば自分で使うしかない、というわけだ。


「さっきと同じだ。結果をイメージせず、ただ魔力を注ぎ込むことだけを考えるんだ」


 言われるまま、魔法陣を記した筆記版に魔力を注ぐ。

 ぽうっ、と目頭が熱くなる。同時に視界に違和感。

 だが、魔術アルダーが成功したかどうかは分からない。すでに日は昇っていて、もともと視界が明るいからだ。


「少し待ってくれ」


 クレイブが呪文を詠唱し、宙にあれこれと印を描く。


「【深影ミラ】」


 その魔術アルダーが完成すると、リョウの視界が一斉にモノクロに変わった。


「わかるかい? 私たちの周囲はいま、真っ暗闇になっている。一切の光を寄せ付けない、真の暗闇だ」


(へえ……赤外線カメラの映像みたい)


 感動しつつ、筆記版に返事を書く。


「見えます。白黒ですけど」

「大成功だ。キミは本当にすごいな」


 クレイブが魔法を解き、破顔する。世辞なのだろうが、手放しに褒められ、リョウも悪い気はしない。


「役に立ちそうな魔法陣をいくつか渡しておこう」


 数枚の用紙を受け取る。むかしのゲームに登場した「魔法のスクロール」というのも、こういったものだったのだろうか。


「この魔法陣、そのままじゃ使えないんですか?」

「ああ。ただの紙にただのインクで書いたものだからね」


 いわく、特殊な加工を施した紙に、これまた特殊なインクを使って記せば、使い捨ての魔法陣を作ることができるらしい。

 だが、コストも馬鹿にならないし、そもそも魔法陣を起動できるような人間は、すぐに何らかの魔法を修得してしまう。魔導具が発明された今では、すたれた技術だという。


「前もって書いておけるという利点はあるんだが……アルノアでは材料も揃わない。不便だと思うが、それで我慢してくれ」

「とんでもない。これで充分ですよ」


 言葉どおり、リョウは満足……というより、わくわくしていた。やはりファンタジーな世界に来た以上は、魔法を使って活躍したいものである。


「この筆記版で、【灼弾ラグド】っての使えます?」

「いいや。あれはちょっと複雑でね。平面の魔法陣ではおこせない」


 筆記版で使えるのはあくまで初級の魔術アルダーのみらしい。

 リョウはがっかりした。やはりそう甘くはない。魔法を使って活躍するには、本腰を入れて、魔術アルダーなり霊術エレジーなりを学ぶ必要があるだろう。


 だが。

 それはひとまず後回しだ。リョウにはやるべきことがある。


 アネットのことはリースに任せてある。彼女はリョウのことをとても心配していて、お守り代わりにとペンダントを預けてくれた。

 でも、リョウのほうは特に心配してない。リースにまかせておけば大丈夫だし、アネットは案外しっかりものだ。まさかまたさらわれたりはしないだろう。


 だからあとは、もうひとりのお姫さまを救い出すだけ。

 可能なのは、おそらくリョウしかない。


「では、行こうか」

「はい」


 クレイブに促され、リョウは強く頷き返した。



 やってきたのは街の西外れ。

 山裾やますその廃坑である。人影はなく、坑道の入り口はすべて塞がれている。


「賊に悪用されるのを防ぐためだろうね。無駄だったようだが」


 クレイブが皮肉げに笑い、とある岩肌の前で立ち止まった。


「幻術だ。ここが入り口になっている。そのまま着いてきてくれ。あとは、会話禁止で行こう。キミの筆記版に浮かぶ文字は、傍からみると異様だからね」


 リョウが筆記版に字を書くと、他人にはそこだけ浮かび上がって見えるらしい。筆記版を持ったまま筆談できるのは楽だが、こういうところで仇になる。


(了解です、と)


 返事代わりにクレイブの肩を叩くと、岩肌の中に何の演出もなく「すっ」と入って行く。多少「ぎょっ」としたが、リョウもすぐ後に続く。


(ゲームの隠し通路ってこんな感じなんだろうな)


 中はモノクロの坑道だ。なんでも、さっきクレイブが使ったような暗闇の魔法が、永続的に掛かっているらしい。道順を憶えているか、暗視でも使えなければ抜けられない迷路だ。


(こういうエリアもダンジョンRPGだと定番だよね)


 緊張感のないことを考えているリョウだが、足場はかなり悪い。【暗視】がなければ転げ回ってしまうだろう。


 坑道は複雑に入り組んでいる。いちおう、道順は前もって聞いているし、地図にも記してあるが、気を抜けばすぐ迷いそうだ。


「ようやく着いた」


 独り言のように、クレイブが言った。だだっ広いホールのような空間で、来た道以外にも、たくさんの分かれ道が伸びている。


 うちのひとつに扉がついていた。

 クレイブがリズムカルにノックする。


 コンコンコン。

 コンコンコン。

 コンコンコンコン、コンコンコン――。


(――三三七拍子!)


 リョウが思わず吹き出していると、カチャリと音がして扉が開いた。特定のリズムで外れる魔法の鍵が掛かっているらしい。


(日本人なら大抵の人が外しちゃうだろうなー)


 呆れつつ中に入ると、これまでと違って壁が煉瓦になった。床もモザイク模樣のタイルが敷き詰められている。かつての鉱夫たちの憩いの場だろうか。


「遅かったな」


 声をかけてきたのは、神経質に眉目を歪めた壮年男。見覚えがある。昨晩、公園の管理小屋にいた男だ。


「すまない、アジェルド。ほかのみなは?」

「もう集まっているぞ。急ごう」


 移動した先は広間だった。中心に円卓があって、十数人の人物が席に着く。

 周りには、ぽつぽつと護衛らしき屈強な男たちが立つ。中には、紫波しわ雄人ゆうとの姿もある。


(紫波先輩……!)


 ごくり、と喉が鳴る。クレイブの話では、武器だけなく、ファイアー・ボールの魔法すら拳で粉砕してしまうらしい。間違いなく一番の要注意人物だ。


(気付かれてない……よね?)


 恐る恐る、側を通り過ぎる。紫波はリョウに何の感心も払わなかった。やはり見えてないらしい。リョウは安堵のあまり、少しだけ漏らしそうになった。

 そんな中、クレイブとアジェルドは、円卓の空席に並んで座った。


「そろいましたな」


 しゃがれた声で、恰幅の良い老齢の男が告げた。着ているのは聖柱教セラ・クティルの法衣。


(こいつがボスか)


 リョウは法衣の男を睨みつけた。前もってクレイブから聞いている。名前はジェルビ。デルナで「神官長」という職にあった男で、カオス公子の身柄を盾に、ヨルド公に聖地奪還を迫ろうとしているらしい。

 エリシャをさらった張本人でもある。


「では、マルレーネ師。説明をお願いする」


 ジェルビが促すと、隣席の人物が立ち上がった。上質な光沢を放つ、デザインの凝ったローブを身にまとう赤毛の美女。これも聞いている。クレイブと同じく魔術師アルダールブで、この一味の参謀的役割を担う女性。


「……昨晩はちょっとした不手際があったようですが」


 マルレーネはクレイブとアジェルドを一瞥し、やや口唇を尖らせた。そうしていると、最初の印象よりだいぶ若く見える。


「計画に変更はありません。予定通り、本日決行いたします。僭越ながら、確認のためもう一度、概要をご説明いたしますので、どうかご確認ください」


 と、よく通る声で語りだした。


 円卓の中心にあるのはアルノア市街地の詳細な地図だ。それと、マルレーネの説明を聞きつつ、リョウは表情を険しくした。


(おとりから連携の合図から……かなり凝ってるな。これ、たぶん成功する)


 計画の一部は前もって聞いていたし、すでにリースが手を回しているはずだが、それはクレイブが担当する部分だけで、全体像は予想以上に規模が大きかった。


 阻止するには、衛士たちを引き入れ、この場を抑えるのが理想だったのだろう。

 しかし、それではエリシャが助けられない。


(早く見つけてあげないと。決行まであまり時間もないし)


 リョウは計画の詳細を余すところなくメモした。あとでリースに渡すつもりだが、間に合うかどうか。

 それから、参加者の細かい質問にマルレーネが答えるかたちで会議が進み、話がまとまったようだ。


「では、おのおの方。よろしく頼みましたぞ」


 ジェルビが宣言し、円卓は散開した。

 リョウの仕事はここからである。


「頼んだぞ」


 ごく小さな声で、クレイブがつぶやく。リョウは彼の肩を叩いて返事をし、広間を後にするジェルビを追った。


 なんのことはない。発想はアネットの時と同じである。


(ぼくにステータス欄があったら、職業クラスは絶対ストーカーだな)


 ジェルビが行くのは、クレイブから聞いていた道順ではない。ただ、来た道のように暗闇の魔法はかかってないようだ。地図に記しながら後を追う。


 やがて、地下水路に出た。臭いが酷い。下水道だろうか。


(アルノアってこんな場所もあったんだな)


 鼻が曲がりそうな臭いだ。我慢しながら、二時間ほど歩いただろうか。

 はしごがあった。

 そこを上ると、大きな建物の敷地内に出た。裏庭のようだ。

 そびえ立つ白亜の建造物には見覚えがある。たしか、聖柱教セラ・クティルの施設だ。


「お帰りなさいませ、ジェルビさま」


 若い僧侶が出迎え、ジェルビの上衣を受け取った。そして、新しい上衣を手渡す。

 それを着込みながら、ジェルビは早足で歩く。


「参城する。風呂の用意をしろ」

「ご用意はできています。ただその前に、聖女さまにお会いいただけますか」

「何かあったのか?」

「まだ食事を採られていないのです。水も……このままでは衰弱してしまいます」

「……仕方がない」


 ジェルビは吐き捨てる。どうやら「聖女さま」とやらのところへ向かうようだ。


(どうする? ほっといて神殿を探索するか?)


 逡巡し、結局ジェルビをつけることにする。時間も惜しいが、ここにエリシャが居ると決まったわけじゃない。どちらにせよ、ジェルビの近くにいるのが一番、情報も集まりやすいはず。


「聖女さま。ジェルビです」


 とある部屋の扉をノックしたジェルビは、やけに慇懃な態度だった。聖女さまというのは、よほど位の高い人物らしい。


「失礼。入らせていただきます」


 返事のないのに業を煮やし、ジェルビが扉を開ける。

 部屋の中には誰も居なかった。


 ――いや。

 部屋の隅で、膝を抱えてうずくまる小さな人影があった。

 よく見覚えのある少女だった。


「エリシャ!」

「聖女さま。そのようなところに……」


 ジェルビが苦渋の表情で告げ、エリシャに歩み寄った。


(聖女さま? エリシャが?)


 混乱し、事態を見守る。

 ジェルビはごく自然な、温かい笑みでエリシャの手をとり、諭すようにこう言った。


「ああ、聖女さま。このように震えて……まだ食事をされてないと聞きましたよ。このままではお体に障ります」

「……放って置いて」


 かすれた声で、エリシャは言った。それはリョウの記憶からかけ離れた、力のないものだった。

 衰弱している、という話は本当らしい。


「そうはいきません。御身はまさしく希望。いずれ人々を導く偉大なお方です。どうかご自重を――」

「わたしじゃなくて、わたしの力でしょ? そんなの知らない、生まれつきだもの。好きでこんな身体に生まれたわけじゃない」

「……それが神々の意志なのです。苦しむ人々を救うべく、神々が地上に遣わしたのが、〝癒やしの御手〟たるあなたなのです」

「どうでもいい。それより、ご主人に会わせて」


 ジェルビの笑みが歪んだ。


「まだ、あのような男のことを考えておられるのですか。忌々しい幼児性愛者め――!」


 どんっ、と。エリシャはジェルビを突き飛ばした。


「ご主人の悪口は許さない」

「ああ、お可哀そうに」


 ジェルビは憐憫の眼差しで漏らした。おそらく本心だろう。本心からエリシャをあわれんでいるのが、リョウには何となくわかった。


 ジェルビは、睨むエリシャに怯むことなく、再び彼女の手を取った。


「仕方がない。わたくしごときの聖炎アピトルを御身に注ぐこと、どうかお許しあれ」


 ぽうっ、とジェルビの手に光が灯る。なかなか明るい色だ。

 ともなって、エリシャの血色が多少よくなった。体力を回復させたのだろう。


「お邪魔をしました。ジェルビはこれで失礼いたします。ですが、どうかお食事を。霊術エレジーばかりでは、もういくらももちません」

「……」


 返事のないエリシャを悲しげに見つめ、ジェルビは退室した。


 リョウもあとに続く。窓は打ちつけられ、完全に塞がれていた。神殿内をよく探索し、脱出路を確保せねばなるまい。

 部屋を出ると、ジェルビは見張りと思しき男に声をかけた。


「このままでは一日も保つまい。何としてでも食事をして頂くのだ」

「ですが、毒見役をつけてもお口に入れていただけないのです」

「多少強引な手段でも構わん。あの御方おかたは、デルナで失墜した我々の権威を立て直すためにも必要なのだ。くれぐれも死なせるようなことがあってはならん」


 早口で吐き捨て、ジェルビは去っていった。リョウはそれを白けた目で見送った。


(結局そういう方向? ほんと大人って汚いよね)


 迷いは消えた。確かにクレイブは鬼畜な幼児性愛者かもしれないが、エリシャを幸せにできる男だ。少なくとも、ここに居るよりは。


 それにこの様子では、クレイブが目的を達してもエリシャを返すつもりはないようだ。むしろ、口封じにクレイブを殺してしまうかもしれない。


(させますかって)


 リョウはひとまず最短のルートを定め、エリシャの部屋に戻った。

 この神殿は、幸いリースの屋敷にもほど近い。

 エリシャの速力なら半時間もかからないだろう。一旦外に出てしまえばこっちのものだ。

 もっとも、エリシャが万全の状態なら、だが……。


(まずは食事してもらって。体力を回復しないと)


 だが部屋に戻ると、付き人の僧侶がいた。何とか食事をさせようと頑張っているらしい。

 さじから顔をそむけ続けるエリシャに、僧侶が肩を落とした一瞬を見計らい、リョウはエリシャにしか見えない角度で筆記版を掲げた。


 描いたのはごく簡単な漫画である。エリシャに見立てた人型が、リョウに見立てた人型を治癒している絵。

 次のコマでは、自分が「任せて」とばかりに胸を叩いている絵。

 最後のコマで、エリシャに食事をするよう促した。


(同じてつは踏まないよ。でもこの絵で分かってくれるかな)


 不安に思う間もなく、エリシャの表情が「ぱあ」と明るくなるのがわかった。

 そしてエリシャは、僧侶から皿とさじをふんだくり、かき込むように食事を始めた。


「おお、天上の神々よ……!」


 僧侶が大げさに感嘆し、胸元で印を切った。

 お行儀悪く食事をする少女の前で、身なりのいい僧侶が、恍惚と祈りを捧げている光景は、かなりシュールだった。

 やがて、食事をすべて平らげたエリシャは、僧侶に皿を突き返してこう告げた。


「足りない。もっと持ってきて」

「は、はい。ただいま!」


 僧侶はすぐに部屋を飛び出していった。

 それを見て、にんまりと笑うエリシャ。


「天使のお兄さん、助けにきてくれてありがとう」


 リョウも「にへら」とだらしなく笑った。天使はこの子だと思うのだが、どうやって伝えようか。


「でも、いい加減に文字を勉強したほうがいいよ。わたしだって読み書きできるのに」


 がくり、と肩が落ちた。

 それから、脱出ルートを地図に示し、計画を話し合いながら、エリシャの胃腸と体調が安定するのを待った。


 気になっていたので、彼女の高待遇の理由も訪ねた。


 エリシャの力は、どうもただの霊術エレジーではないらしい。

 なんでも「上級霊術」という、ふつうの人間には修得できない霊術のひとつで、一般の治癒魔法と違い、欠損部位や損傷臓器の完全再生が可能だそうだ。


(○ディとかベ○マじゃん。最強だな)


 リョウが日本のゲーム知識を持ち出して感心していると、エリシャは表情を曇らせた。


「わたしはそれしかできないの。霊術エレジーなんて習ったこともないのに。でも、聖柱教セラ・クティルでは特別みたい」


 物心ついたときから、そのせいで色んな人に利用され、ひどい目に合ってきたらしい。小鬼アズールの集落で「秘密にして」と言っていたのもそのためだ。


 しかし、アルノアで暮らすようになってから、仲良くなった近所の子どもが事故で大怪我をした。

 その子どもを救うために力を使ったのだが、ジェルビはどこからかそれを聞きつけたようだ。


「あの人は同じ目をしてる。わたしを利用しようとする人の目。ご主人は違うの。わたしの力を知っても、そんなの無いみたいに接してくれた」


 そればかりか、エリシャのために財産と故郷を捨てたらしい。だから一生かけて恩返しをするのだと、エリシャは力説した。


「じゃ、早く元気な顔を見せて安心させないとね」

「うん!」


 まばゆいばかりの笑みを見て、リョウは少し考え改めた。この歳の差カップルが再会したあかつきには、必ず例のテンプレを叫んでやろう、と。


(いや、ここに教会を建てよう、のほうがいいか……)


 どうでもいいことを考えていると、さっきの僧侶が食事を持って戻って来た。

 再び食事を始めるエリシャを見守る僧侶の、すぐ後ろで、リョウは筆記版に魔力を込めた。


 描かれていたのは【宙域ガイラ】の魔法陣。クレイブの説明から察するに、範囲内の空気から酸素を排斥する魔術アルダーだ。


 酸素のまったく無い空気で呼吸するとどうなるか。

 小学校の理科の時間に、教師が雑談交じりに語ったのを憶えていた。


(違和感を感じる前に、脳が活動を停止して昏倒するはず。上手くいってくれよ……)


 自分はしっかりと息を止めつつ見守る。

 ほんの数秒で、僧侶は意識を失った。すぐに魔術アルダーを切る。このまま続けると死んでしまう。

 僧侶が息をしているのを確かめ、リョウは安堵の息をついた。


 そして、胸元のペンダントを握りしめて祈った。


「力を貸して、アネット」


 それから、部屋の外にいた見張りを同様に気絶させ、相変わらず足音も立てずに機敏に動くエリシャを、頼もしく思いながら、次々とルートをクリアしていく。

 思った以上に簡単に、入り口の礼拝堂にたどり着いた。

 あとは全速力で駆け抜けるだけだ。


「何があっても立ち止まらないで。道に出たら左に走って」


 その方向に、リースの屋敷がある。


「うん」


 頷くエリシャを、先に走らせる。それから、リョウも周囲を伺いながら走る。

 入り口に差し掛かった時だった。


 ぼおっ!


 いきなり、眼前に炎の壁が出現した。


(ぬわっ!?)


 リョウはたたらを踏んで立ち止まった。危うく丸焦げになるところだった。

 だが、回り込もうとして、四方が完全に炎に囲まれているのがわかった。


「天使のお兄さん!」


 炎の向こうから、エリシャの声。リョウは筆記版に文字を書き、その方向に投げ飛ばした。


「〝ぼくに構うな、走れ!〟」


 それを見てくれたのかどうか。エリシャの気配が遠ざかっていくのが、何となくわかった。


(あんな台詞、真面目に吐く日がくるとはなー)


 周囲をごうごうと囲む炎を見つつ、ぼけっとそんなことを思う。おそらくエリシャを捕らえようとして使った魔術アルダーだろう。だが、彼女の足が早すぎて失敗した。

 たしか【焔陣ゾーラ】と言ったか。銀狼ルナーグの時にロロットが使った魔術アルダーだ。時間が立てば自然と消えるはず。それを待って逃げればいい。


 が、それはあまりにも甘い考えだった。

 なぜかどんどん、呼吸が苦しくなっていく。意識が朦朧としていく。


(あ、これやばい。一酸化炭素中毒――)


 思い至ったのとほぼ同時に、リョウは地面に倒れ伏せた。


「ようやく運が向いてきたのかしら、私にも」


 遠のく意識の中、そんな声が聞こえた気がした。



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