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超絶に影の薄い僕は、異世界で誰にも気付かれない。  作者: 竜王零式
第一部:孤高の異世界冒険譚
13/44

10.悪役は意外と身近にいる



 鉱山都市アルノア。


 この都市の実態は、連想されるイメージとまるで違う。

 まず広い。

 四方を山に囲まれているが、その面積が膨大だ。西の端から東の端まで、徒歩で一昼夜かかるらしい。


 その街並みは洗練されている。


 区画は整理され、道はすべて石畳が敷き詰められている。

 建物はみな無骨さを感じさせないデザインで、清潔感と統一感がある。

 趣向を凝らした噴水や、緑化した公園もあちこちにある。

 領主直轄の農地も、かなりの面積確保されている。

 しかもこの農地、りょくが相当に高く、自給自足可能な収穫がある。


(鉱山都市とは何だったのか……)


 とはいえ四方の山々からは、その名に恥じぬ良質な鉄がれる。

 それらがすべて、街で一番巨大な建造物――大工房に集まり、武具を含め様々な製品が作られている。


「アルノアの製鉄技術は世界でも指折りだ。皇国なんか足元にも及ばないよ」


 ともかく、アルノアの実態は「非常に豊かなひとつの国」である。

 それでも領主が「王」を名乗らないのは「周辺諸国からいちゃもんがつく」からだ。


「じゃあ別に、うち王国じゃなくていいよ。でも、どこにも税金とか払わないからね?」


 そんな冗談のような建前で自治を維持してる。それがアルノアだ。


「おかげで、定期的にちょっかいをかけられるけどね。戦争までいかない、小競り合いみたいなものさ。一昨年も北方騎士団の進軍があってにらみ合いになったが、武力衝突には至らなかった」


(切迫してるんだかゆるいんだか、よくわかんない国だな)


 ともあれ、町は平和そのものだ。

 皇国などでは迫害を受ける岩巨人ウェルグも、ここでは身なりがよく、堂々としている。

 リースいわく、アルノアの岩巨人ウェルグは2割が炭鉱夫で、6割が職人らしい。彼らは種族として鍛冶や彫金に適正がある。それらを重用することによって、アルノアは発展してきたわけだ。


 岩巨人ウェルグだけではない。

 アルノアではあらゆる異種族が、ほぼ差別なく、能力に応じた職を得る。


 稀人レウリィのリースもその一人だ。


「ここの領主がまだ子どものころ、誘拐されたことがあってね。たまたま居合わせて救出した。それ以来、何かと便宜を計ってもらっている……着いたぞ、ここが私の住まいだ」


(うは……)


 まさに豪邸である。

 狭い日本ではまずお目に書かれない敷地。色鮮やかな花が咲き乱れる庭園。2階建ての本宅には三十近い部屋、その尽くに豪奢な調度品が並ぶ。さらに、下手なアパートより大きい別棟がふたつ。使用人の宿舎と、物置らしい。


「「「お帰りなさいませ、リースさま」」」


 出迎えたのは総勢十数人の、見目麗しい侍女たち。年齢は様々だが、おおむね若く、しかもみな「アネットが垢抜けた」レベルの容姿だ。


「やあ、ただいま。心配をかけたね」


 侍女たちは「わっ」とかけより、それぞれリースと抱擁を交わした。

 いまのリースは薄汚れていて、ボロ雑巾のごときリョウの制服を着ているわけだが、侍女たちは気にした様子もない。みな涙して、リースの無事を喜んでいる。


 それが終わると、侍女の案内で屋敷の中を歩く。リースがなおも手を離さないため、リョウも着いていくしかない。


(てか、ここお風呂じゃん!)


 たどり着いた浴場で思わず立ち止まると、リースがこちらを振り返ってにやりと笑った。


「何を遠慮しているんだ。キミにも当然入ってもらうぞ。姿が見えないとはいえ、うす汚れたまま屋敷をうろついてもらっては困るからね。はやく服を脱ぎなさい。それとも私が脱がせてやろうか?」


 観念して衣服を脱ぎ捨てていくと、リースは眉根を寄せた。


「キミってやつは……そんな軽装で人を助けに来たのか」


(ほんとはちゃんと鎧着てたんだけど)


 走りながら脱ぎ捨てたと言ったら、どうせまた怒られるだろう。ちなみに、カバンだけは戻ってきた。討伐隊が回収したものを、リースに引き取ってもらったのだ。


「さ、入るぞ」


 なんのためらいもなく全裸になったリースが、こちらに手を差し出してくる。

 リョウは多少の葛藤を乗り越えてその手を取った。


(いや、まあ。リースだし)


 多少の照れはあるものの、欲情の余地がないからか、罪悪感はない。別に自分が見られるわけでもないし、問題はないだろう。


 と思ったのもつかの間だった。


「さあ、リースさま。そちらのお手を」

「うん」

「リースさま。もう少しおみ足をこちらへ」

「ああ、たのむ」


 侍女が二人、ほぼ全裸に近い姿で一緒に入ってきたのだ。微笑みつつ、熱心にリースの身体を洗っている。


(なにこれ。ぼくは夢を見ているのか……)


 リョウはしばらく呆然と眺めていたが、ふと我に返り、猛然と背を向けた。

 息子が情けないことに……いや、とても立派になっている。それをなるべく意識しないように、自分も身体を洗い始めた。


(この世界にも石鹸ってあったんだな。町で見かけないから諦めてたけど……さすがに泡立ち悪いなあ)


「相変わらずお綺麗です、リースさま」

「ありがとう、キミも素敵だよ」

「まあ。リースさまったら……」


 背後のキャッキャウフフ空間から、容赦なく桃色の空気が襲ってくる。

 リョウは円周率を暗唱し始めた。

 わりかし地獄に近い時間だった。



 剣士リース・アガルタ・フォイレンは、アルノア領主ヨルド公の無二の友人として、市民に知れ渡っている。


 その身分は羨ましいの一言に尽きる。

 公的な役職はない。課せられた義務は何ひとつない。

 が、領主の別宅――迎賓館げいひんかんのようなものらしいが、そこを自由に使う権利と、領内を好き勝手に歩き回れる権利を有している。


 リースはそれを最大限活用し、気の向くままあちこちを旅し、領主に土産話を語って聞かせる。

 屋敷に居る間は、国賓のために集められという美女が、あれこれと世話を焼いてくれる。


「男の夢だよな。いや、リースは男じゃないけど」


 それがなぜ小鬼アズールに捕らえられていたのか。


「南の山里で魔石の鉱脈が発見されたというから、視察団の護衛で着いていったんだ。そうしたら奴等に襲われた」


 どうやらリョウも無関係では無かったらしい。

 囚われていたのは「ほんの一週間ほどだった」とのことだが、リョウなら一日だって耐えられない。


 リースはからからと笑っていた。


「貴重な経験だったよ。あの首魁――魔物化した小鬼アズールなんか見たのも初めてだったしね。何よりキミに会えた。私は幸運だったと思っているよ」


 ちなみにあの後、討伐隊がたどり着いた時、集落はもぬけの殻になっていたらしい。危険を感じてどこかへ逃げたのだろう。

 リョウは正直「ほっ」とした。偽善だと分かっているが、彼らがまた安住の地を見つけるのを願って止まない。


 問題は魔物化した小鬼アズールだ。

 話によると過去数百年、人が魔物化した例はない。

 だが前例がまったくないわけでもない。

 魔物化した人間――それは魔人ガウリィと呼ばれ、忌むべき存在として語り継がれている。

 伝説ゆえ眉唾だが、一人で一軍に匹敵する戦闘力を持ち、ひとたび現れれば数限りない災厄を撒き散らしたという。


魔人ガウリィが生まれるには特別な条件――というより、特殊な手段が必要だったそうだね。でも、それはとっくに失われていて、皇国の魔術学院にすら伝わっていない」


(ぼくはそんなの倒したのか。でも延髄突いて一撃だったしなー)


 実感はないが、あれも恐ろしい敵だったのだろう。事実、リースは手も足も出なかったそうだ。


「ともかく、伝説が事実なら、魔人ガウリィは決して自然発生するようなものじゃない。誰かが、何らかの目的で作り出したんだ。そのどちらも、いまは見当もつかないがね」


 首魁の死体は、討伐隊が持ち帰った。あれこれ調べているらしいが、アルノアは魔法後進国なので、詳しいことは分からないだろう、とリースは語った。


 さて、リョウはしばらく、屋敷に留まることを決めた。リースから文字を習うためだ。

 リースは快諾した。それから、ほぼ一日中リョウに付き添い、文字だけでなく様々なことを教えてくれる。


 リョウも習得した文字を駆使し、日本のことなどを語った。

 リースがもっとも興味を示したのは、リョウが異世界から来たことでも、そこに空を飛ぶ乗り物や、大量破壊兵器があることでもない。

 義務教育という制度である。


「権力者はふつう、庶民が知識を得るのを嫌うんだ。無学なほうが、言うことを聞かせやすいからね」

「でも、学があったほうが生産性も上がるし、治安も良くならない?」

「そういう環境が、キミの故郷では整っていた、ということだろうね。ともかく、アルノアで一足飛びに実現できる制度ではないな。だが、とても魅力的な制度だ」


 そんな会話をかわしつつ、日々は過ぎていく。

 ある日、リースが奇妙なものを持ってきた。黒塗りの、30cm×20cmほどの板と、ペンのようなもののセットだ。


(なんかペンタブみたいだな)


「知り合いの魔術師アルダールブに譲ってもらった。これなら、紙もインクも気にせず使えるぞ」


 ペンで板をなぞって見ると、白い軌跡が浮かび上がった。板に手を当てて念じると、元に戻る。

 魔力を使用するアイテムらしい。


(ぼくに魔力なんてあったのか)


 感動したが、魔力はふつうの人間なら誰にでもあるそうだ。稀人レウリィだけは例外とのことで、リースはこの類のアイテムが一切使えない。羨ましがられてしまった。


 ある時は、大工房の試作品とやらを持ってきた。柄の部分まで金属を用いた、鋭い槍だ。

 振るってみると、ほど良い重量で扱いやすい。穂先の切れ味も抜群だった。


「気に入ったのならもらってくれ。なに、遠慮は要らない。キミは命の恩人だからな」


 ありがたく頂戴することにした。


 屋敷での暮らしはおおむね平穏である。

 食事も美味。温かい寝床もあり、風呂まで入れる。


 もっとも、風呂に入るときは必ずリースが一緒で、ということは半裸の侍女が一緒である。

 何とかできないかとリースに申し出ると、


「私が入る時以外は閉めてしまうからね。開き直って楽しみたまえよ。男の夢だろう?」


 にやけられてしまった。


 そのせいかどうかは知らないが、生まれて初めて夢精をした。

 死にたくなったが、汚れた下着をそのままにもして置けず、リースに相談したら大笑いされた。

 そしてあろうことか汚した下着の臭いを嗅いで「うん、何の臭いもないな。このまま洗濯に出しても気付かれまい」とほざいた。


 リョウは猛然と下着を奪い取り、自分で洗濯した。

 以来、適当に自分で処理しているが、リースは心配しているのか面白がっているのか、


「宿舎の風呂でも覗いてきたらどうだ。手出しするのはマズいが、見るだけなら構わんだろう」


 という。リョウはやらなかった。もはや良心ではない。意地だ。


 リースとふたりで、ちょっとした冒険に出ることもあった。

 街道沿いに出没する魔物を退治しに行ったのだが、正体は金牙虎ベアルーグという、このあたりには生息しない猛獣で、それを操って人攫いをしていた一味を捕らえ、事件は解決した。


「キミの呪いを解く方法が分かったぞ」


 リースの口車に乗せられ、火竜山というダンジョンへ行ったこともあった。

 最深部で待ち構えていたのはドラゴンだ。

 この世界では魔竜ドムーグというらしい。一言で説明するなら、獰猛なブラキオサウルスに翼を付けたような怪獣だ。


 つまりデカすぎる。

 あんなものをどうやって倒せというのだろう。飛竜ドムラスごときで得意になっていた自分が恥ずかしくなった。


 だが、伝説では倒した人間が居たらしい。それも二人も。


(確かにイカれた馬鹿野郎だよ。無理ゲーだろこれ)


「なに、倒す必要はない。噂ではやつの背後に宝物庫の入り口があるらしい。そこにあらゆる呪いを解くという神器があるんだ。さあ、行って来い!」

「無理無理無理!」


 あれに近づくとかあり得ない。リョウは涙ながらに拒否したが、リースが許してくれなかったので、恐る恐る、時間をかけ、魔竜ドムーグの背後に回った。

 確かに、岩肌に扉がある。それに手をかけた時、背後から恐るべき気配がした。


 とっさに飛び退いたリョウの目に映ったのは、扉に向かって放たれた炎だ。魔竜ドムーグのブレス攻撃だった。


(死ぬってこれぇええ!)


 リョウは転げながら脱し、九死に一生を得た。


「いまのは惜しかった。もう一度だ」

「完全に気付かれてるじゃん! 絶対ヤだよ!」


 結局、リースに散々罵られながら、何の収穫もなく逃げ帰った。


 リョウの存在は誰にも明かされていない。

 一度、領主に紹介されそうになったが、断固拒否した。単純に「目立ちたくない」と思ったからだが、リースは別の可能性に思い至ったようだ。


「確かに、見えない者がそこに居るというのは、不安を掻き立てるものだからね。キミもこれまで色々あったのだろう」


 最初あまりピンとこなかったが、確かにそんなものかもしれない。


 目に見えない。声もしないし物音も立てない。気配も痕跡も何も無く、だが確かにそこにいる。

 そんな存在は、大多数の人間にとって不気味でしかないのだろう。

 そう考えると、リースがいかに貴重な人間か分かる。


(ぼくは運が良かったな)


 いきなり異世界に飛ばされ、運が良いもないのだが、死んでしまったクラスメートもいる。

 リョウはまだ生きているし、何よりリースのような友も得られた。


(ん? 友?)


 そこで、全身が打ち震えるのを感じた。


 友。友だち。


 もしかしたら、物心ついて初めてできた友だちかも知れない。


「ぼくらは友だちなんだろうか」


 リースにたずねたら怒られた。


「信じられん。キミは今まで、私を何だと思っていたんだ」


 その後、あれこれと罵詈雑言を浴びせられた。リョウはそれを、涙ながらに聞いていた。


 嬉し泣きだった。


 はじめて、この世界に来て良かったと思った。



 そうして、三ヶ月あまりが過ぎた。


 文字にも熟達し、ちょっと難しい書物からも知識を得られるようになった。

 日々鍛錬を積んでいたおかげで、槍術もかなり上達した。小剣を使った受け流しも、リースの手ほどきで習得した。


 毎日が充実していた。


 ただ、目的を忘れたわけではない。

 スタート地点の「デルナ」を目指す、という目的である。

 そこへ行けば、クラスメートとも合流できるだろうし、元の世界に帰るヒントが見つかるかもしれない。


(でも、ねえ……)


 リョウはデルナ出立に二の足を踏んでいる。

 ここが居心地が良い、というのもある。

 しかし些細な理由だ。一番大きな理由は、デルナ方面がキナ臭くなっているからだった。


「もともと、あそこは聖柱教セラ・クティルの聖地なんだ」


 と、リース。


「それが、キミがこの世界にやって来たという時期を境に、政変を起こしている。政治の中心にあった神官たちが軒並み放逐されてしまったんだ。一部はアルノアにも流れて来ているよ。ヨルド――領主に聖地の奪還を要請している」

「みんなは無事なのかな?」

「それが……新たに政治の中心に座ったのが、どこから来たとも知れぬ異人の集団だそうだ。おそらく、キミの〝くらすめいと〟だろうね」


(NAISEIやってるのかよ……)


 リョウはこの時点で頭を抱えていたのだが、ごく最近、もっと嫌になる噂が聞こえてきた。


「国境の軍集団と戦闘になったらしい。5千の騎兵を落とし穴にはめて一網打尽にしたとか。あり得ない話だ」


 リースは呆れ顔で語ったが、創作物ではよくある話だ。

 クラスメートの誰かが、それを可能にするチート能力を有しているのかもしれない。


(何してんだか……世界征服でもするつもりか?)


 それとも、誰かに利用されているか。

 どちらせよ、あまり関わりたくないというのが本音だ。


「まだ情報が錯綜している。領主も事を構える気は無いようだし、当分は安心していい。だが、この街にも聖柱教セラ・クティルの信者は多い。情勢が悪化するようなら、キミに仲裁を頼むかも知れない」


(仲裁ねえ)


 正直、彼らがリョウの言葉に耳を貸すとは思えない。というか、存在を忘れられている自信がある。


 それでも、クラスメートたちがアルノアの脅威となるなら、自分が何とかしなければ、という想いもある。


「ぼくはどうするべきかな?」

「キミが自分で決めるべきだ。どちらにせよ、自分のためになる決断をしなさい。誰かのためではなく、キミ自身のためになる決断を」

「それが分かんないから困ってるんだけどなー」

「ふふ、存分に悩むといい。それが人の人たる所以ゆえんだよ」

「リースはたまにジジくさいよね」

「キミの三倍は生きているからね」


 美人はそう言って、得意げに笑うのだった。


 そんなある日のことだ。

 屋敷に来客があった。

 それは先触れもなくいきなりやってきた。侍女から客人の名を告げられたリースは顔を青くし、あれこれと指示を飛ばし始めた。


「誰が来たの?」

「カオス公子――領主の息子だ。厄介な相手だよ」


 リースにしてはやけに簡潔な返答だったので、興味をひかれて様子を伺っていると、リースは大真面目な顔でこんなことを言った。


「どうせ何を言っても立ち会うつもりだろうから、これだけは言っておく。決して下手な真似をするな。どんなに腹が立っても、歯を食いしばって堪えるんだ。いいね?」


 物騒な忠告に頷く間もなく、慌ただしく駆け込んできたものがいる。


「リース、ここにいたか!」


 それは少年だった。せいぜい小学生か中学生くらいの、だがやけに横柄な少年。

 彼はリースを見るなりあからさまに顔を歪めた。


「なんだおまえ。まだ女になってないのか」

「お久しぶりです、わか


 リースは片膝をついて頭を垂れた。カオス公子はつまらなそうに手を振り、ふいにしゃがみこんでリースの顔を覗き込んだ。


「せめて化粧なりすれば可愛げがあるものを。そのままではいつまで経っても妃にしてやれんぞ」


(なっ……!)


「ありがたいお言葉ですが、わか。そのお話はお断りしたはずです」

「おまえの意志など知ったことか。オレが妃にすると言っている。さっさと女にならんか」


 カオス公子は呆れ顔で立ち上がった。まるで「そんなことも分からないのか」と言いたげな顔だった。


 リョウは早くも「イラッ」とした。


「それはともかく、お戻りになっていたとは存じませんでした」

「当然だ。今日戻ったばかりだぞ」

「それで、本日はどういったご用件で?」

「用などあるか。強いて言うなら、おまえが女になったかどうか確認しにきたのだ」

「では、まずお城へお戻りなさいませ。お父上もお待ちかねでしょう」

「リースきさま、このオレに指図するつもりか?」


 カオスは腰元の小剣を抜き放った。「ひっ」と、周囲から悲鳴があがる。

 リョウはそれほど動じなかった。この距離でカオスが何をしようと、剣士リースが傷つくことはない。リョウが何の手出しをしなくても、だ。


(でも胸糞悪いな。ぶん殴ったらダメなんだろうか)


「申し訳ございません」


 リースは深々と頭を下げた。

 カオスはしばらくそれをじっと眺め、憮然とした顔で剣をおさめた。


「まあいい、今日のところは許してやる」

「寛大なご配慮、感謝致します」


 場はひとまず収まったが、リョウの怒りはふつふつと高まっていた。この少年が領主の息子だというなら、リースのお陰でこの世に生まれてきたようなものだ。

 その恩人に、どんな名分で、こんな仕打ちができるのというのか。


(王侯貴族ってこんなもんなのかな。でも領主さまはふつうに良い人だったしなあ……)


 城にはリースにくっついて何度か行ったことがある。そこでは領主をはじめみな、リースに礼を尽くしていた。


 やはりこの少年が特別なのだろうか。


「リース、オレは少し疲れた。慰労の席を用意しろ」

「はい。ただいま準備させております」

「ふん、手回しのいいやつめ。気に入らん」


(ほんと何なのこいつ……)


 場所を食堂に移し、普段は見かけない豪奢なメニューが並べられた。

 カオス公子はそれを食い散らかし、横柄に文句を垂れながら、一方的に語りだした。


 彼は約一年の間、各地を巡っていたらしい。

 一昨年あったという北方騎士団とのいざこざの顛末を、近隣諸国に報告するためだ。もっとも、きちんと物が分かる使者は同行していて、公子は「お飾り」だったのだが、本人は旅を満喫したようだ。


「そうだ、忘れていた。帰り道で良い拾い物をした。おまえにも見せてやる。おい、あれを連れてこい!」


 カオスが従者に申し付けると、ほどなくして着飾った少女がやって来た。

 おどおどして落ち着きがないが、この屋敷の侍女たちを凌ぐほどの美貌だ。まるでリョウの理想をそのままかたちにしたような美少女――。


(ん? っていうかこの子――!)


「紹介しよう。オレの妃となる女だ。さあ、おまえも挨拶しろ」


 カオスが呼びかけると、少女は「きゅっ」と口唇を結び、意を決したように叫んだ。


「そんなの嫌よ、誰か助けて! 私は結婚なんて望んでない!」


 よく知っている声だった。

 というか、アネットだった。



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