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殊勝なもののけ

作者: 小林今昔

少し同性愛風味ではありますが、普通の話として読んでいただけるかと。

ひとはさみしいものでございます


こころはいとしいものでございます


そのようなこと、どうか一幕お付き合いください



【殊勝なもののけ】



その一




「はて、どうしたこと」

和尚は声を上げた。夜である


貧乏寺には小僧もいない。ただ、年老いた和尚が一人で切り盛りしている。

しなびた爺に女も寄ってくるわけがなく、その日も寂しい一人寝の最中であった。


雨漏りのする天井に

破れた障子、腐った廊下、和尚がいる寝間の向こう側は、雑草が生い茂った庭と、渡り廊下が障子一枚で区切られている。


一人身であるし、寺には誰もいなかった筈であるが。

和尚は眠い目をこすりながらもう一度障子を見た。


なにかの気配に目を覚ましてみれば、障子に

ぼんやり、と人影が映っているのである。


(ははん、もののけか)


和尚はそう思ったが、そうは口に出さないで、声をかけた。


「もうし、そこな人。もう遅い時刻であるのに、どうなさった」


すると、人影がぺこり、とお辞儀をした、ように見えた。


「はあ、ご無礼申し訳ありません。私が幾度断っても執拗に知人が呼ぶものですから重い腰を上げて、ようやっと、国から出てまいりまして。しかし慣れない旅路はいささか、つらい。疲れた体を少し休めようとして、こちらの軒先をお借りしておりましたれば、人様の寝息が聞こえまして、ご無礼かとは思いましたが人恋しさの余りこうして、寝息を聞いておったのでございます。」

「ほほう、どちらから」

「はあ、まあ、生まれは駿河でございます。まあ、方々行っておりましたので、どこからとは、もう忘れてしまいました。」


なんとも丁寧至極なもののけであるのだと和尚は思った。

般若湯の一杯位はくれてやろうかとさえ、だ。


声はか細く、年の頃合い24.5の若い男の声だった。

和尚は醜く突き出た腹を擦りながら床から抜け出す。


「さようでございましたか、なに、遠慮することはない。どうせ老いぼれ爺の拙僧がいるばかりのさびれた寺じゃ。どうぞ、こちらへきて、一杯」

慌てたように影が揺れる。


「あいや、いや、お気づかいめされるな、ただ、こうして、人のお声が聞けただけでも十分、十分」


今の私は酷い格好をしておりますから、できればこのまま


ますます、和尚は気に入った。


(殊勝なもののけだこと)


隠してあった般若湯の瓶を取り出して、割れ茶碗にゆったり注ぐと、これまた破れた障子の合間から、ことん、と茶碗を置いてやった。



そして自分にも、一杯。


寝床にあぐらをかいてすわると、どうやら困惑している人影に話しかけた。


「旅の方、ならば一杯ばかり拙僧につきあってはくれまいか。人は寂しいものよな、人のぬくもりよりも仏様の教えをと、俗世から外れて生きてきたものの、人が恋しくなるのはもう、どうしようもないものよ。これはどうしようもないものじゃ。どうかな、一杯だけでも」

「はあ、ならば」


影が笑った。ような気がした。




その二


私は、駿河の生まれの男でございます。

名前はあれども、ほかにはなにもないような男でありました。


私の家は貧しい家でございます。それに私は二男でございましたから、家にいるのも肩身がせまい。

10の頃より奉公に出かけました。初めてお勤めに入ったお店はそりゃあ、きついものでした。犬、畜生よりも酷い扱いでした。

奉公人の扱いで、お店の先行きというのは解るものですが、例にも漏れずそのお店も私が15、6の頃につぶれてしまいました。


幸い、私は馴染みの方から偉く気に入られましてね、次の奉公先もすんなりと決まりました。


出来が良かった?いえいえそんな事はございません。私は人より上手く立ち回る事などできませんから。ただ、言われた事はきちんと真心込めてさせていただくだけ、でございます。


それしかできません、というべきでしょうか。


次のお店はとても心地が良いものでした。先輩方からも優しくご指導していただいて、そりゃあ、居心地は大変結構でございました。


ただ、どうも、むず痒くなるのがそのお店のご主人の息子でございます。


いや、息子と言いましても不惑に手が届くと言うような若旦那。決して若いとは言えないお年でございます。


その息子、大層な放蕩者でございまして、そろばんを弾く頭はあるが、稼いだ先から金を使う。


使う、使う、使う。


そりゃあ、みていて、気持ちの良いような使いっぷりでございました。


息子の父親が心配して咎めても、かんらかんらと笑うのです。


「おとっつあん、金は使わなきゃならないよ。あたしゃね、使うために稼ぐんだ。どこぞの二代目と違って、稼がないのに使う、こいつは駄目だが、稼いでいるから問題ないじゃないか。使うために稼ぐ。稼ぐ気力の為にに使う。何が悪いってんだい。」

男の名前は吉三郎と言いまして、目鼻、顔立ちもどことなく役者顔のいい男、おまけにその年になっても女遊びがたたって女房の一人もいやしない。


こいつは町の女どもが騒ぐ筈です。


私はしがない奉公人でございましたが、どうやらうまがあったものか、年の離れた吉三郎のお供で遊郭やお座敷に連れていかれる事が多くなりました。


私は根が臆病者でございますから、一夜で何両ものお金が費えていくのが空恐ろしいとさえ思いました。一朱銀さえ、節制していれば四人家族が当分は食べていけたのですから、それが何両、となると。



おい、安吉、今夜もついておいで


いえ、旦那様、私はもう。ご勘弁くださいまし


何をいうのだね、お前と言うやつは殊勝な男さね。そういうところが気に入っているのだけれども。



逃げ腰の私の首ねっこをふんずかまえて、彼はかんらかんらと笑うのでした。





その三


ある夜のことでございました。

いつものように、吉三郎が私を誘いました。いつもと違うのはにやにやとしたお顔です。


「お前さん、男はまだかえ」

「は、と申しますと」

「なにって、」


そこで吉三郎は私の耳に手をあてて、こっそりと呟いたのです。


男の味を知っているかと聞いているのだよ。


その時の私の顔ったら、と後々吉三郎は笑います。


まるでおばけをみたようだった。


自分で言うのもなんですが、私はウブでございます。おなご、というものも理解をしていないのに、男、です。


寝耳に水でございました。


「いや、私は」

「そうだろうね、お前の顔を見ていたら、すぐにわかるよ。なら、今日は陰間茶屋でも繰り出そうか。またあれはあれで乙なもの」

「いや、いや、そんな、そんな、男と」

「おや、武将だって衆道は多い。武士の道は男の道、坊さんもそうさ。おくゆかしい遊びじゃあ、ないか」


笑いながら吉三郎はつるりと私の腰を撫で上げました。


男のお尻の、奥にはね、極楽に行ける場所があるのだよ


そう、ささやく吉三郎の顔、それは、そこを知っている、いや、知りつくしたような顔をしていました。


色気、といいますか。


私はぼんやりとみておりました。


ああ、その顔は、きっと、女をみる目つきだったのでしょう。


自然、吉三郎と私はねんごろな関係になりました。


もしかすると、あちらは最初からそのつもりだったのかもしれません。

そうだとすれば、なんと計算高い男に私は捕まってしまったのでしょう。



その四


有体にいうならば、吉三郎の体は熟していた。焚きつめた香の匂いが彼からはした。


無駄のない体はふくよかな女性よりも、なにか卑猥な物を連想してしまうような、そんな、体をしていました。

夏の暑い日に、お店の物置などで私は吉三郎に挑みかかります、着物の裾を捲りあげて、張りのある尻をまさぐります。

あの部分に指をそえて、ぐりぐりと指で遊んでやれば、着物の袖を噛んで声を出すのを我慢している男がいる。


美しい、のだと思いました。

それから夢中になりました。


吉三郎も、それは同じことだったと思います。

あれほど酷かった女遊びも男遊びもぴたり、と止まったからであります。


私と共にいる事が多くなった。


「それで、どうなったのかね」


和尚は少し黙った影に問いかけた。


「…はあ、まあ、私は、奉公人でございますから…」

「ははあ、他の者が贔屓をしていると咎めたのだね」

「ええ、まあ、身の程知らずでございました。」


なにを、と和尚は唸った。


「好いたものを構うのは仕方がないことだ」

「それは当人同士のこと、他の者にとってはやるせないこと」

「お前様は、殊勝すぎるよ」


はは、と影が揺れる。

性分でございますから。


「それで、どうなったのかね」


たまらずにもう一度問う。


影は、茶碗を持ち上げて、いただきます、と言った。


ごくり、ごくり、ごくり、


その音とともに


しゃあ、しゃあ、しゃあ、


妙な音がする。


目を凝らしてみれば、影の周りから水が、噴き出している。


漏れているのだ。


和尚はごくりと喉が鳴った。


かたん、と茶碗を置いた影は、こうなりまして、と揺れた。



「はあ、もう、行かなくてはなりますまい。夜のうちに」


どうも、ごちそうさまでした。旅の疲れも取れましたと影は立ち上がって消えた。


暫く経ってから、おそるおそる和尚が障子をあけてみれば、きちんと置かれた茶碗と


水浸しになった廊下、そんな物が今の出来事を教えてくれているようだった。




その五


朝、和尚はある一つの墓石の前で足を止めた。


風に煽られでもしたのか、ごろんと仰向けに倒れていた。


数か月前に亡くなった若者の弔いが思い出される。


井戸に、身を投げたらしい。


わん、わん、と泣いていたお店の旦那


(ああ、そういうことか)


と、合点が言った。


国とは、黄泉の国だったのではないか。


そして、行く、というのは。


和尚はため息をついた。


「…葬式の準備をせねばなるまいなあ。」


風が、揺れた。



【殊勝なもののけ】完




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