第1章 第4節 苦渋の決断 後編
<1>
ベルゼブブはまさに今、戦いに身を置いている最中だった。
はじめに日本が誇る三貴子の一人である素戔嗚と対峙し、八岐大蛇を降したとされる三種の神器の一つである天叢雲剣の攻撃を防ぎ、勝利を収めた。
素戔嗚は今時珍しいほど真っ向から戦いを挑んできて、その姿に素直に賞賛したベルゼブブは、素戔嗚を殺さず生かすという選択をした。
ただただ強者との戦いを求めて戦いの場へ赴く。七つの大罪、暴食のベルゼブブとはそういう悪魔なのである。
そんなベルゼブブであったが、すぐに目の前に現れたとある神と、現在死闘を繰り広げていた。
戦い始めてから早くも1時間余りが過ぎたが、どちらかと言えばその神の方が有利に戦いを進めている。
ベルゼブブは炎を具現化させ、竜と虎を生み出して攻撃しているが、その神の放つ光の光線によって阻まれてしまっている。さらに、炎の渦を展開させてなんとかその光の光線を防いでいるという状況下だ。
(まさか、これほどの力を有していたとはな・・・。普段は公の場に姿を見せず、己を明かすことを決してしない。しかし、その力はあの天照をも凌ぐとまで言われている)
その神は堂々とした態度でベルゼブブを見つめていた。見た目はあどけなさが際立つ童顔で、身長も低い、紫色の髪が特徴的な美少年だ。しかし、その存在だけで身体が痺れるような感覚に襲われる。それほどの存在感をこの神は有している。
「噂は本当だったようだな、日本の三貴子の一人、月を司る神、月読・・・」
「なんの噂が立っているかは存じ上げませんが、我は素戔嗚の様にはいきませんよ。我は神々の中では切れ者と言われるほど頭が働きますから」
日本の三貴子の一人、月読は光の光線を放ち続けながら言葉を発した。
月読は普段、己を悟られない様に身を隠しているため、このように戦場に赴くことは本当に珍しいことだった。そのため、強さの底が知れない、日本にとっての隠し球のような存在であった。
素戔嗚が破れ、天照は不在。そんな状況下では自分が出るしかないと踏んだのだろうか。
時刻は午後の四時を指していた。それなのにも関わらず、空は暗く、上空には大きな満月が出ていた。これは、月読がより有利な戦況を作り出すために生み出した、幻の空間である。
月読は月を司る神。月読が戦うにはこれ以上ないほど整った戦場となっている。
「光よ、我が願いを叶え給うて!」
月読がある勾玉を月に掲げると、月から光の光線が発射される。光の速度は一秒で地球の赤道を七周半するほどだと科学で証明されている。その速さで多くの光の光線が飛んでくるのだから、たまったものではない。
現に、ベルゼブブの視覚を持ってもそれを捉えきれないため、炎の渦でそれを防ぐのがやっとという有様だった。至近距離での戦いなら間違いなくベルゼブブが有利だが、死角のない遠方攻撃によってそれが叶わないのが現状で、まさに穴のない布陣とでもいうべきものか。
(これが三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉か・・・)
日本が誇る三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉。
見た目はただの勾玉で、普段はなんの効力も持たない。しかし、月が出ている際は別で、本人の意思疎通によって、光を自由自在に操ることができる。
そして、その光は月を司る神である月読によってさらに威力を増して攻撃できるため、まさに月読にあるべき神器と言える。
(天叢雲剣が素戔嗚、八尺瓊勾玉が月読が保有していた。ということは最後の一つ、八咫の鏡は天照が保有しているのか・・・)
月読は訝しく思っていた。
相手は悪魔のトップ、七つの大罪、暴食のベルゼブブ。悪魔の中でも実力は大魔王サタンを越えるとも言われるほどの大悪魔だ。そんなベルゼブブが今は炎の渦に身を隠し、炎を具現化させたものをこちらへ向けてくるだけ。明らかに何かを試している。
「汝はまだこんなことを続けるのですか?それならこちらから手の内を明かすとしましょうか」
「光線よ、我が願いを叶え給うて!」
その時、今までの光の光線が形を変えて、大きな剣のような形に変形した。そして、その光剣はすぐさまベルゼブブに向かって直進していく。光剣はただ衝突するのではなく、人が刀を振るうように斬りかかり、炎の渦を一瞬にして消し去った。
「まさか形の変形だけでなく、攻撃も自由自在とはな・・・」
ベルゼブブは素直に感心していた。おそらく炎の応用だけではこの神には敵わない。
素戔嗚が前衛タイプだとするなら、この月読は後衛タイプ。こちらも遠方攻撃によって場を有利に持ち込まなければならない。炎を具現化させてもその数には限界があるため、致命打にはならないのだ。
「次、行きますよ。光剣よ、我が願いを叶え給うて!」
そんな光剣が次はボールのような丸い形に変形した。変形した光玉がまるで雨粒のように大量に降り注がんと準備態勢に入っている。炎の渦の展開には時間がかかり、まして光玉は光の速度で向かってくるため、もはや対処のしようのない状況。
ベルゼブブはその場を動かない。
(勝負を捨てましたか。まぁ、この場合ではそうなるのも仕方のないことです)
月読は勝利を確信していた。雨粒のように散り散りになった光玉を避けられる術のない今の状況下からの対処法が思い当たらなかったからである。
しかし、月読が見たのは微笑したベルゼブブだった。
ベルゼブブは素直に嬉しかったのだ。
冥界では大魔王サタンの命によって、天界や人間界の一切の干渉の禁止、冥界での戦闘禁止など、この計画をより有利に進めるための政策が成されてきた。
毎日死んだ魚のような目をして、毎日退屈な日々を過ごしてきたベルゼブブだったが、今は自分を全力で倒そうと必死で向かってくる敵がいる。生死を賭けた、狂乱と言う名の戦いがそこにはある。今の現状とこれからの戦いに胸を高ぶらせ、いつか自分を越えた存在に出会えるかもしれない。
ベルゼブブとは、そういう悪魔なのだ。
「月読、一応礼を言っておこう・・・」
ベルゼブブはもう一度微笑し、こう言った。
「俺も久方ぶりに本領を見せることができる!」
すると、ベルゼブブの背中に生えた大きな羽から大量のハエが姿を現し、すぐさま攻撃態勢に入った。大小様々なハエ達が意思があるかのように、自分達の役割分担を始め、布陣を形成していく。それがたった数秒で行われたのだから、月読も目を丸くしてその光景を眺めるしかなかった。
(そうか、汝には二つ名がありましたね)
ベルゼブブには二つ名があった。
一つは七つの大罪、暴食のベルゼブブ。
そして、もう一つは・・・。
<2>
俺、織田信鷹と北條由香里は図書館から外へ出た。俺の推測では図書館が一番安全地帯ではあったのだが、敵の策略に引っかかり、図書館内はある怪物の血の従者たちの占領下に置かれてしまった。
もちろん外に出るリスクも大きいのは確かであるし、血の従者たちを図書館に紛れ込ませた親玉もおそらく外で待ち構えている。それでも、より生きる可能性のある方に二人は賭けて前へと歩みだした。二人で生き延びるために。
「おや、やって出てこられたようですねぇ」
案の定、そいつは図書館を出て目の前にあるベンチに腰を下ろし、こちらを見つめていた。
想定内だったとはいえ、いないという一番都合のいい可能性は失われた。由香里は怯えるように俺の手を強く握りしめる。
「やっぱりお前か、吸血鬼」
「できれば今風に格好良くヴァンパイアとでも呼んでもらいたいものですねぇ。その呼び名はわたしの好みではありませんのでねぇ」
ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべているこの怪物は、人間の生き血を好み、血を吸った人間をも血の従者に変えてしまうとされる、フランケンシュタインに並んで世界中でもその名を馳せる怪物、その名も吸血鬼。ヴァンパイアというのは、ヨーロッパにルーツがあり、その名で呼ばれることもある。死人が蘇ることで生まれた怪物とされ、不死の存在とも言われる。
ヤクザのような風貌に細身の体、髪は黒髪のオールバックで全身を黒服でまとい、マントを掛けている。顔色は青ざめていて、鋭い八重歯から血が垂れている。二次創作で描かれてきたものと瓜二つの姿に少し唖然とさせる。
「この図書館だけはどうしても破壊できませんでしたのでねぇ。貴方たちをこちらまでおびき寄せるために色々と策を講じさせていただいたのですよ」
「大体の事情はわかっているつもりだ。この図書館には神の誰かが張った結界のようなものがあり、その結界はかなり強力なもので悪魔たちが近づくことができなかった。そのため、悪魔側は人間を血の従者にすることのできるお前をこちらに派遣し、図書館を破壊するのではなく、誘導する形で図書館の人間たちを殺し、そして血の従者にしたってところだろ。血の従者が結界の防衛網を破れたのは、血の従者にされてからまだ日が浅いため、人間味がまだまだ残った状態だったからカウントされなかったんだ。だから同じヴァンパイアのお前は近づけなかった。そうだろ?」
ヴァンパイアは驚いた顔をし、再び気色の悪い笑みを浮かべた。あまりの分析力に関心を隠せなかったのである。
「ブラボー!まさかそこまでお見通しだとは驚きましたねぇ。やはり貴方には卓越した何かがあるのでしょう。これは本当に加護の持ち主かもしれませんねぇ」
加護とはなんだと疑問に思った矢先、ヴァンパイアはいきなりマントを翻し、そこからコウモリを出現させ、こちらに放ってきた。ざっと10匹くらいはいるだろうか。
「信鷹くん、危ない!」
由香里は俺を突き放した。起き上がると、コウモリたちは由香里に襲いかかっていた。由香里はなんとかコウモリを追っ払おうとするが、一向に離れない。
「由香里から離れろ、この糞コウモリがぁ!」
バックから殺虫剤を取り出し、コウモリに向けて放つ。そして小型化させたテニスラケットを取り出し、弱ったコウモリに向けてガットの部分をぶつける。ガットには強力な電気を伝せるように改造してあるので、コウモリはすぐに瀕死した。
俺はなんでも口に出す性格上、多くの人間たちをを敵に回しているため、時々集団に絡まれたりすることがある。そんなやつらに対応するため、普段から様法にかからない程度の様々な武器を持参していた。もちろん本人はこんなことのために使うとは思いにもやらなかったが。
「由香里、無事か!」
由香里は地べたに倒れて気を失っていた 。特に目立った外傷はない。どうやら無事のようだった。
俺は少し安堵し、そしてヴァンパイアに敵意の目を向ける。
「なんの宣言もなしにいきなり不意打ちとは随分と卑怯な真似をするじゃねーか。怪物がただの人間に対して大人気ないんじゃないのか?」
「私にとってそれは褒め言葉ですよ、少年。それにしてもますます怪しいですねぇ。機転の利いた適材適所な対応力、瞬時に状況判断できる頭の良さ、そしてそれらを可能にするほど優れた身体能力。人間にしてはあっぱれと言うべきほどの超人さです。神の加護がその間に宿っていても何ら不思議じゃありません」
加護という言葉を先程から連呼しているため、それが気になって仕方がない。神と悪魔が実在している以上、人間にも何か常識はずれな力が宿っていたりするのもなのだろうか。
由香里は気絶してしまったため、このままこの化け物から逃げ切ることは奇跡に等しい。少しでも時間を稼いでこの状況を打破するだけの策を講じなければならない。二人で生き延びるために。
とりあえずは、ヴァンパイアから情報を書き出すと同時に、時間を稼ぐことにした。
「さっきから加護がどうとか言ってるがそれはなんなんだ。人間に宿ってる神様の贈り物かなんかなのかよ?」
「いいえ、誰にでも宿っているわけではありませんよ。選ばれし人間だけに宿り、その力が解放された時、その人間は神にも等しい力を発揮することができるとまで言われているのです。まさに我々悪魔サイドの天敵となる人間たちのことですねぇ」
意外にもヴァンパイアはすぐにそのことを明かした。何も考えずに話しているのか、それとも話したところでどうせ殺すのだから関係ないと思って話しているのか。よし、さらに突き詰めるか。
「けど今までの歴史ではそんなでたらめな力のことなんて一切記述されていない。神や悪魔だって想像上の存在だとされていた。けど、神や悪魔がこうして実在していたということは、過去の歴史で伝えられてきたものは真実だった可能性もあったってことだ。それなら神の加護が伝わっていてもおかしくはないはずだ。」
「神の加護は普段は神々の主であるゼウスによってその力は封印されているのですよ。ありきたりな力が解放されて世界のバランスが崩れてしまうのを恐れているのでしょうねぇ。それでも神の加護を持たせた人間を生み出したのは、おそらく我々悪魔たちへの警戒があったからでしょう。人間界は大いに利用価値のある世界ですからねぇ。そう考え征服しようとした悪魔へのせめてもの対抗心からくるものだったと考えるべきものです」
それなら話も繋がる。確かに、普段から封印されているものなのだとしたら、その加護を解放しないまま生涯を平穏に送っていてもなんら不思議じゃない。この世界に伝わっていないのにも納得がいく。
「さっき誰にでもあるわけじゃないって言ったな。神が勝手にオプションとしてつけたってことなのか?」
「いいえ、勝手にというわけではないでしょうねぇ。人間にも生まれつき才能のあるなしがあるでしょう?才能とは神が才能を与えるに値するものにその力を宿してこの世に誕生させているのですよ。もちろんその生まれつきの資質が遺伝していくため、その子供や孫も優れている場合が多いのです。しかし、神の加護はその中でも特に優れた人間たちにしか与えられないものだと我々悪魔側は推測しています。おそらく二十人もいないのではないでしょうか?だから、我々はこの世で偉大な功績を残している人物たちを中心に抹消し、その危険物質を排除しているのです。才能の中の才能の持ち主ですからねぇ。今でも世界中のメディア達の中心になっているような人物が怪しいと踏んだわけですよ」
納得した。ということは、世界の有名人達が中心に狙われていて、その身を危険にさらしていることになる。神々の主人であるゼウスはとっくに封印を解いているだろうし、神の加護を解放させた人間達が今でも悪魔達と戦っているのかもしれない。
にわかには信じがたいが、このヴァンパイアが嘘をついているように見えなかった。俺には相手の心理を読み取ることで、嘘か本当かを判別できる能力があるため、それは間違いないと考察していた。
「そんな凄いやつらが加護を持っているのだとしたら、俺は違うだろうが。俺はごく普通の大学生だし、そんなものになれるものならとっくになれてるはずだ」
非日常を好む俺にとって、そんな生き方ができたならどれほど楽しいだろうか。
例えば世界的歌手にでもなって世界を飛び回るような生活を送ったとしよう。他の人とは違う、自分ならではの人生を送ることができる。しかしそうなっていないのは、自分にはそれだけの才能はないと思い込んでいた。
「貴方がそう思い込んでいるだけで、実際にはとてつもない才をお持ちなのでしょうねぇ。しかし、これだけ普通の生活を送っていたら、気づかないのも無理はありません。今回はラッキーでしたねぇ」
そんな力を持っているのならばすぐにでも使って、目の前のこいつを叩き潰してやりたいところだが、そんな様子もない。何か発動させるための条件みたいなものがあるのだろうか。そこばかりはどうしようもなかった。
「さてと、おしゃべりはこの辺にしましょうかねぇ。貴方なりに色々考えての時間稼ぎだったのでしょうし、これ以上時間の浪費は我々の主人の好みではないのでねぇ。それに、色々仕込んだ私の策略を披露する必要もありますから。」
最後の言葉が妙に引っかかったが、時間がない。行動に移すことにしよう。
「俺が時間稼ぎをすることを見切っていたのは最初から分かっていたさ。それでも少し時間が稼げればよかったんだ。思いのほかお前がベラベラと喋ってくれたお陰でこっちも準備が整った。それを今から見せてやるよ。」
俺は鏡を取り出し、角度をつけてそれを傾けた。鏡によって反射した光がヴァンパイアの身体に誤差もなく直撃する。
次の瞬間、ヴァンパイアの胸のあたりが焼けていた。
「ぐぁぁぁ、これは日光かぁ!」
ヴァンパイアは苦しんでその場に立ち尽くしている。胸のあたりはチリチリと焼けて、ヴァンパイア自身も非常に苦しそうな表情を浮かべている。
「ヴァンパイアの弱点くらい、人間界では当たり前の知識として浸透しているんだよ。その内の一つが直射日光だ。十字架やニンニク、聖水はあいにく持ち合わせてなかったからな。お前と話している間に、ずっと日陰から動かないお前をどうやって倒すかを考えていた。そこでこの原理を思いついたってわけだ」
鏡には日光を反射させる性質を持つ。うまく目的地へ反射させるためには入射角と反射角を等しくさせ、その鏡の傾きまで計算しなければならない。その性質を利用し、日陰にいるヴァンパイアまで光をあてることができた。
「お前は不死だからこの程度ではやられないだろうが、俺はお前を倒すことより優先すべきことがある。悪いが、ずらからせてもらうぞ」
すぐさま気絶した由香里の元へ向かう。
しかし、ヴァンパイアは苦しみながらも笑っていた。自分が仕組んだ策略の本命をここで晒すことができる。そして、今自分を人間ながらも苦しみに追いやった少年の絶望の顔を見ることができると。
(わたしの弱点を的確についたことは素直に賞賛しますが貴方はまだ何も分かっていない。そもそもこんなに悪魔たちが徘徊している中で、あの図書館にいる以外に人間達が助かる道なんてありえないのですよ。つまりは・・・)
次の瞬間、俺は気絶したはずの由香里に殴られ、遠くに飛ばされていた。一体何が起きたのかわからない。
ヴァンパイアは望み通りの表情をしている信鷹を見ながら、薄っすらと笑い、心の中で呟いた。
(チェックメイトですねぇ・・・)
<3>
ニーケは苦戦を強いられていた。
フランケンシュタインは聖剣ですぐに倒せたものの、もう一人の老人を倒せず、むしろ押されているという状態だ。見た目はどこかの教皇様かと思わせるような、凛とした感じの老人。見た目はただの人間にしか見えない。
(この老人は一体何者なのだ。一刻も早く織田信鷹を救わねばならぬというのに)
ニーケは先ほどから老人が使う謎の能力に翻弄されていた。ありとあらゆるものを言葉にしただけで変化させてしまう。ニーケが攻撃を仕掛けた際も、対象物と自分を入れ替えて攻撃を避けている。
「変幻自在、か・・・」
ニーケがそう口にした瞬間、その老人が珍しくその言葉に応えてきた。
「人間界に戻る日が来ようとはいかようにも思わなかったが、神というのはここまで貧弱なのかや?わしはまだ力の半分もお主に披露していないのだがな」
老人はさらに言葉を付け加える。
「それに、あの少年のことなら手遅れだと思うぞい。ヴァンパイアは曲がりなりにも七つの大罪の悪魔の配下。いくらその少年が優れようとも、加護を解放できていない状態では勝つことは不可能じゃ。すぐにでも殺されるじゃろうな」
「まだ分からんさ。仮にもあのアテナ様が認めた少年だ。ヴァンパイアごときに翻弄されはしまい。それに、アテナ様がここに到着されれば状況は大きく覆る。ここに到着されるのも時間の問題っ!」
「待たせましたね、ニーケ。あとはお任せを!」
言葉半端で現れたのは、ニーケの仕える主であり、守護の女神アテナだった。
その老人は薄ら笑みを浮かべる。
「これが伝説の女神様か。なんともわし好みな端正な顔立ちじゃわい。こりゃあ、少しは楽しめそうかのう」
「ふん、面白そうなことしてるじゃない」
次に現れたのは、日本に訪れていた女神ミネルヴァと、その契約者のレベッカだった。二人はミネルヴァの意思疎通を頼りにアテナを探している最中だった。
「お姉様、ご無事でなによりです!」
「ミネルヴァ、貴方こそ。それに契約者の方も」
「初めまして、アテナ様。レベッカって呼んでくれていいわよ。それよりもまずは、あのお爺さんを止めたろうがよさそうかしら?」
ニーケは呆然とその様子を見ていたが、レベッカの言葉に頷き、再び老人と対峙した。
「さすがにこの状況は不利じゃのう。場が悪いため引かせてもらおうか。また、会うこともあるじゃろうて」
そういうと、老人は一瞬にしてその場から消え去った。一瞬のことだったので、四人は追うことができなかった。
「結局何者だったのでしょうかあの老人は。」
アテナの言葉にレベッカとミネルヴァは同意する。すると、慌ててニーケが駆け寄ってくる。
「アテナ様、大変申し訳ありません。図書館にいたはずの織田信鷹は現在、ヴァンパイアと交戦中の模様で、大変危険な状態にあるとのことでした。すぐさま救援に向かったのですが、あの老人に翻弄されて迎えませんでした。急いで向かいましょう!」
「ノブタカ?もしかしてアテナ様の契約者かしら?向かわなければならないということは、まだ加護が開放されていないのでしょう?だとしたらまずい状況よね」
「神の加護がない以上、今はただの人間。いくら悪魔サイドにおける下級の悪魔だとしても逃げ切るのは無理でしょう。おそらく、現在あの建物の近くにいるはずです。私の意思疎通能力でわずかに神の力を感じ取れました。お姉様、私とレベッカもお手伝いいたします」
アテナは焦っていた。しかし、行動に移さなければ何も始まらない。アテナは強く決意を固め、そして決心した。
「頼みます!マスターは私の大切なお方。何としても救い出したいのです!」
こうして四人はすぐさま信鷹の元へと向かった。信鷹がまだ生きていることを願って。
(マスターお願いです。どうか、生きて・・・)
<4>
ベルゼブブと月読は一斉に攻撃を始めた。ベルゼブブは大量のハエを、そして月読は大量の光玉を浴びせた。ハエと光玉は互いにぶつかり合って、消滅していく。
普通に考えれば光の速さで動く光玉が有利に思えるが、ベルゼブブの羽から無限にハエたちが飛び出してきて、それぞれのハエが攻守の役割をしっかりと果たしているため、ベルゼブブには攻撃が当たらない。むしろ、光玉の速度に対応しているハエたちの方が異常であり、ハエ1匹が光玉1つとほぼ同じくらいの力を宿している。
状況にはほぼ互角かと思われたが、だんだんとベルゼブブの方に有利に傾き始めた。こうして対面している間もベルゼブブのハエたちは数を増やしていくのに対して、月読の光玉は一度の攻撃で決まった数しか放出できていない。
「どうやら八尺瓊勾玉から繰り出せる光の攻撃には規則性があるため、そこからの応用はできないようだな・・・。では、こちらから攻めさせてもらうとしようか・・・」
ベルゼブブは大量のハエ達と共に少しずつ前進して月読の元へ近づいていく。状況は大きくひっくり返ろうとしていた。
(これが蝿の王、ベルゼブブですか。従えてるハエ達もただのハエではなさそうです。しかし、このままでは・・・)
その時、光玉の攻撃が止まった。八尺瓊勾玉には規則性があり、無限にその力を扱うことはできない。いずれ効力が切れる時が訪れるが、それが今訪れてしまった。
「終わりだ、なかなかに楽しめたぞ、月読・・・」
一瞬でその場を移動したベルゼブブは、一気に月読の懐へ潜り込む。
「まだです!光玉よ、我が願いを叶え給うて!」
しかし遅かった。
ベルゼブブの拳が月読の顔にクリーンヒットし、月読は殴り飛ばされた。地面にめり込まれた月読はそのまま動かなくなった。
「蝿の王、か。久しぶりにその名が自分にあったことを思い出した・・・。月読よ、お前の強さに敬意を評し、素戔嗚同様その身は生かしておこう・・・」
そうして、ベルゼブブがその場を立ち去ろうかと思った矢先、身体が震え上がるような強い気を感じた。
そこまで遠くはない。しかし、今戦った素戔嗚や月読にはない圧倒的なまでの気。ベルゼブブの興味をそそるには十分だった。
(これは面白いものが見られそうだな・・・)
ベルゼブブは再び戦場へと駆けていく。
<5>
俺は自分の身に何が起きたのか整理できないでいた。身体中から感じる痛みと意識がはっきりしない中で見える彼女の姿。そして、そんな彼女の隣に立つヴァンパイア。意識が朦朧とする中で、一つの結論に至った。
(あれは、由香里じゃ、ない、のか・・・)
その時、由香里の姿が別のものへと変貌していく。なんの冗談だと一瞬目を疑う。しかし、今起きていることは現実であり、真実なのだ。
「全く、こんな演技をさせられたこのあたしの気持ちを考えなさいよ!いくらご主人様に黙認されたことだったとしても、本当にダルかったんだから。まぁでも、なかなかに楽しめたわ」
「申し訳ありませんオセ様。しかし、わたし目の提案がご主人に伝わり、それに最も適任だったのがオセ様でしたものですから。しかし、本当に素晴らしい演技力で、わたしは感心しておりましたよ」
由香里に化けていたものの正体は、色黒で黄緑の髪が存在感を醸し出す美女だった。
その名は、旧約聖書に伝わるソロモン七二柱の一人、オセ。その能力は人間の姿を変化させることのできる能力とされ、その能力を与えられた人間は本人でも気づかず、まるでその人のように振る舞うことになるとされる恐ろしい能力である。
以前、旧約聖書に目を通した時、偶々オセのことを読んでいたため、そのことを知っていた。しかし、気がかりなことがあった。
俺は立ち上がり、オセに問いかける。
「お前の能力は人間を変化させる能力であって、自分自身にはできないはずだ。俺は少なからず心理能力には長けているから、ある程度の仕草で違和感を感じることができる。でも、今回はそれができなかった。つまり、お前の能力はお前自身にも有効だったってことになる。一体どういうことだ!」
「それって人間界の書物かなんかに記述されてたことでしょ?確かにあなたの言ったことは正しいけど、それでも解明されてない能力があったってなんら不思議じゃないじゃない?あたしの能力はあたし自身にも有効なのよ、お分かりかしら?」
ごもっともだった。人間界にだって多くのタブーが存在し、隠蔽されている。だとしたら、今までは架空の存在だと思われていた悪魔たちにも隠蔽された情報が存在していることは言うまでもないことだ。
そして、俺は一番確かめたかった事実を突き詰める。
「俺の彼女は、由香里は、どこだ・・・」
ヴァンパイアは笑いを抑えきれなかったのか、大声で笑いだした。
「あはははははははは!本当に何も気づいていないのですか貴方は。いや、むしろ気づいててわたしに問い直しているのでしょうねぇ」
「もういいだろ、種明かしをしてやりなさい。どうせこの坊やはすぐ殺すんだし」
「それもそうですねぇ・・・」
何度も見た気色の悪い笑みを浮かべたヴァンパイアはずっと言いたげだったかのように語りだした。
「貴方の彼女さんは貴方と図書館で再開した頃にはすでにオセ様と入れ替わっていたのですよ。彼女がフランケンシュタインに先ほど真っ二つに殺された少年とほかの少女たちが逃げ隠れしていたところを我がご主人様の部隊が襲ったのですよ。彼女さん以外の少女たちを先に血の従者にし、少年はあえて殺さず気絶させました。彼女さんも血の従者にしようと思ったのですが、我々のご主人が彼女を欲しいと言いだしたものですから、彼女は現在他の悪魔たちに運ばれ、我がご主人の元へ連行されている最中でしょうねぇ」
「そしてあたしが由香里に変身して、目覚めた坊やの親友から情報を聞き出して、みんなで図書館に向かっていることを聞いたってわけ。ちなみに、人間に変身したあたしは一切合財普通の人間と同じだから、結界の効力は成さないのよ。まあ、元々の腕力はそのままだけどね」
オセはさらに付け加えて、
「そしたら坊やが神の加護の持ち主かもしれないほど優秀だったし、偶々化けてた彼女があんたの彼女だったんだから笑っちゃったわよ。これは利用するしかないと考えて、ヴァンパイアが策を講じたのよ。貴方をどん底に叩きのめしてから、じわじわ殺していく計画をね」
「由香里に化けて、あんたにとって由香里がどれほど大切な人なのか、そしてあんたが本当に神の加護を得ている人間なのかをしっかり確かめる必要があった。だから少しあんたを泳がせて、情報収集に徹したのよ。そこで、どちらの確信も得たことで、血の従者達を向かわせて、あんたが外へ出るように誘導させたってわけ。すべての種明かしをして、あんたを絶望させるためにね」
自分はただただ泳がされていた。雰囲気から何まで由香里そのままであったし、全く警戒していなかった。俺は単に情報のみを与えて、後は奴らのシナリオ通りに進めてしまったということだ。
そして説明を聞いて分かったことは、とにかく由香里が悪魔サイドの連中に拉致されたということだ。弘毅も単なる見世物のために、あんな殺され方をされたということでもある。
「いやはや滑稽でしたよほんと。わたしには男を血の従者にする趣味はありませんし、しばらく生かしておいたら、彼女さんに変身していたオセ様を庇って自分が死ぬのですから。本当に馬鹿としか言いようがありませんよねぇ」
俺の心は怒りと絶望に支配されていた。元々自分が図書館で気絶していた頃に、全てを失っていたのと相違ないのだから。
悔しい、悔しい、悔しい、悔しい。
助けられなかった。自分の大切なものを。
結局のところ、自分は何もできていない。ただただ悪魔たちに翻弄されていただけだ。
「由香里は、どうなるんだ・・・」
「わたしのご主人は美しいものが好きなお方でしてねぇ。そのものを拉致しては自分の召使いとして働かせているのですよ。もちろん人間も例外ではありませんし、歳をとったり使い物にならなくなった場合は切り捨てる消耗品のようなものですねぇ。ですから、死にはしないんじゃないでしょうか?まぁでも、死ぬよりも辛い目に遭わされているかもしれませんが」
「そうか・・・」
黙ってそのやりとりを聞いていたオセは信鷹から違和感を感じた。全身を襲うほどの強い気が満ち満ちている感じ。普通の人間にこんな気は出せない。
(なんなのこの気は。他にも神の加護の持ち主と出会ったことはあるけど、こんな強い気は初めてだわ)
「では、そろそろチェックメイトのお時間です。最後は綺麗に殺してあげますから安心してくださいねぇ。では、さようなら、少年・・・」
そう言ってヴァンパイアは長い爪に魔力を込めて、信鷹に斬りかかった。信鷹に対抗する様子はない。しかし、どんどんその気は強く広大になっていく。
「ヴァンパイア、待ちなさい!その坊やはとっくに力を解放して!!!」
時すでに遅し。
オセが見たのは、ヴァンパイアが信鷹に一瞬のうちに殴られて、二百メートル先まで飛ばされ、壁に叩きつけられているところだった。
信鷹の身体からは目に見えるほどの気が放出され、雰囲気もどこか変化した様子だった。信鷹の目に、オセはゾクリとする。
俺は冷静に、語り出した。
「つまりは、お前らをぶっ飛ばして、そのご主人様ってやつの居場所を暴いて、由香里を救出すればいいってことだよな。簡単なことじゃねえか。とりあえずは、そうだな」
神の加護を解放させたその男はオセの前に立ち塞がる。右手をパーにして、その手をオセに、ヴァンパイアに、そしてこれから戦うであろう悪魔たちに向けて腕を突き出す。
「お前ら悪魔に本当の地獄ってやつを教えてやるか」