第1章 第4節 苦渋の決断 前編
<1>
織田信鷹、北條由香里を含めた6人は図書館に到着した。
今思えば不思議なことだが、大学内の校舎がほとんど崩壊しているのにもかかわらず、この図書館だけが平静を保っている。建物には傷1つついておらず、化け物たちがここに立ち入った様子もない。信鷹が気絶させられてから3時間は経つため、ここだけが無傷だというのには少々疑問が生じる。
「誰もいないし、壊れた様子もないみたいだね。隠れてやり過ごすには、やっぱり建物の中が一番だろうし・・・」
由香里は状況を整理したうえでこう言っている。信鷹には少し引っかかっていることがあった。
「由香里、この異常事態はこの大学内のみで起こっていることではない気がするんだ。人が大量に殺されていて、建物もこの図書館を除けばほぼ壊滅状態だ。そんなばかげたことが起こっているのに、救急車どころか警察の一人も来やしない。もしかしたら、これは東京全土、あるいは日本全国で巻き起こっている可能性もあるだろうな。もしかしたら、知らぬ間に戦争が始まっているとも捉えられる」
ある程度の推察はできた。それが事実だという根拠はないが、最近やたらと宗教団体が騒いでいたため、予兆があったといえばあったのである。彼らは彼らなりに世界の情勢を把握していて、それを伝えたかったのかもしれない。
馬鹿らしい話だと思っていたが、今起こっている事態を考えると、あながちでたらめではなかったのだと思ってしまう。
「俺はこの図書館でお前に会って、しばらくしたら気絶させられていた。目覚めた後、お前と弘毅のメールを見て、急いで外に出たらこの状況を知ったって感じだ」
「信鷹くんとの電話が終わった後に、ものすごい爆発音がして、その後にあたりから悲鳴が聞こえたんだ。そして、私が見たときには、背中に翼が生えたような化け物がみんなを襲っていたところだったの。現実的ではないけど、まるで悪魔みたいだった。手から光線みたいなものを出したり、口から火を噴いたり、本当に訳が分からなくなって、校内中を逃げ隠れしながらここまで来たんだ。安藤君とは中庭で合流して、そこで信鷹くんの返信を待ってて、遠くから図書館が無事なのを確認して、図書館に着いたところで信鷹くんを発見できたって流れだよ」
「やはり弓道場から電話をかけてきたのが本当の由香里だったか。これで考えがまとまったな」
「どういうこと?」
由香里は首をかしげている。信鷹は説明することにした。
「にわかには信じがたいが、空想の世界の住民だった悪魔が実在して、こうして人間界を乗っ取ろうとしている。おそらく日本だけでなく、世界中の国々でもこんなことが起こっているだろうな。そして、この校内に悪魔たちがいないのは、ほとんどの人間たちを殺したと断定したからだろう。さっきのやつは監視のためにここに残された悪魔の1人だったんだろうさ。ほんとに信じがたい話だがな。」
「じゃあ、信鷹くんを気絶させたっていう偽物の私も悪魔だったってこと?」
「いや、違うだろうな。そうだとしたら俺を気絶させてまで、一番見つかりにくい地下室に監禁しておく必要がない。むしろ即座に殺しているだろう。もしかすると、悪魔に対抗する何かがまだ存在しているのかもしれないな。結果として俺は救われたってことだからな」
「じゃあこの図書館が無事なのは?」
「これも仮説にしか過ぎないが、ここの図書館だけに結界みたいなものが張られているんだろう。だから悪魔たちは近づけなかったし、この建物も無傷だったんだ。そして俺以外のほかの人間もこの図書館に誘導するつもりだったが、その前に悪魔たちがやってきてしまったんだろうぜ。ひょっとすると、その対抗戦力てやつが神様みたいなやつなのかもしれない。おそらく、ほかにもここで監禁されている人たちはいるはずだ。そいつらは今は悪魔たちと戦っているっていうのが妥当だろう」
由香里は信じようとしているようだが、いまいち信じ切れていない様子だった。
無理もない。俺も自分がむちゃくちゃなことを言っていることくらいはわかっていた。
しかし、由香里が言っていた化け物の風貌、そして弘毅を殺した大男。大男は宙に浮いた状態でこちらに向かっていた。そして、人を一瞬で切り殺すには相当な腕力がいる。いくらその大男が腕力に優れているといっても、それは人間の常識をはるかに超えていた。
信鷹にはとてもじゃないが、それが人間だとはおもえなかった。悪魔だと仮定するなら、それも合致する。
「さっきの大男は俺の推測だが、フランケンシュタインとでもいうべきものだろうな」
「フランケンシュタインってあの怪物の?」
「そう、2次創作でもよくみられるやつだ。巨漢で生命力にあふれてて、力が強いツギハギの大男さ。作品内の存在だけだと認知されていたが、あいつを見ていたら不思議とそう思ってな」
「確かにそうだね。もし信鷹くんの仮説が正しいんだとしたら、この図書館にいるのが一番安全ってことになるよね」
ほかの弓道部員もさっきから一言も話していないが、状況の整理をしているように見える。一応いきさつだけでも理解してもらえたのだろうか。
「とりあえず、地下室に行ってみよう。ほかにも助かった人たちがいるはずだ。弘毅のためにも俺たちは絶対に生き残らなきゃな」
「信鷹くんは凄いね。こんな状況下でもとっても冷静沈着に見えるよ」
安藤弘毅という親友を失った織田信鷹だったが、内心はとても落ち着いていた。
今まで当たり前の日常を嫌い、何か日常に変化を求めながら生活を送っていた信鷹にとって、まさに今の状況はそれに比例している。
しかし、非日常が訪れて喜んでいるのではなく、それは命というものの価値、そして人生を生きるというあたりまえの幸せを噛みしめ、新たな人生に向かって突き進もうとする心情の表れだった。
弘毅の分まで生きる、そして弘毅の死んでまで守ろうとしたものを最後まで守り抜く。悲しみよりも、今の信鷹にはそういった向上心が先行していた。
「ま、弘毅のことで色々と思うことがあったからな」
由香里は信鷹が自然と安藤のことを弘毅と呼んでいることに気付いていた。信鷹の性格や過去を知っている由香里だからこそ分かるのだが、あの瞬間までは信鷹は安藤弘毅という人物に完全に心を開いていなかったのかもしれない。
(君にとって、本当の意味での親友ができたってことなんだね・・・)
信鷹には未だにどこか壁があるように感じる。それでも、本当の意味での親友ができたということは、安藤弘毅という人間は、彼の中の壁を少しだけ飛び越えたということだろう。
「それじゃあいこっか、信鷹くん」
この恐ろしい状況でも保ち続ける冷静沈着さ、状況を把握し多くの情報量を解析できる分析力、何より物怖じしない勇敢さを持ち合わせている。
親友の死を乗り越え、目の前の自分を救うために尽力する信鷹の姿を見て、自身の考えは自信から確信に変わっていた。
(もう少し信鷹くんという人間を知る必要がありかも)
そんな思いを胸に抱いて、由香里は地下室へと向かった。
<2>
信鷹たちは図書館のいたるところを探し回ったが、人は見当たらなかった。それどころか、もっと悪い状況下に立たされていた。
「ほかの弓道部員がいなくなった?」
「うん。図書館の地下室から、別行動になったでしょ?一応メールで状況報告をしてたんだけど、急に連絡が取れなくなって。最後に届いたメールがこれなんだけど」
信鷹はその最後にメールを見て驚愕した。
「アナタタチモチノジュウシャ・・・二」
貴方たちも血の従者に。今までの悪魔たちの仮説が正しいとなると、血を好む怪物といえば、あいつしかいない。もしかしたら、あの弓道部たちはあの時点で血の従者にされていて、俺たちに近づいていた可能性も無きにしも非ずなのだ。
「由香里、あの弓道部員たちに何か違和感を感じなかったか?首筋を歯で嚙みつかれた後とか、顔色が妙に悪かったとか」
由香里は驚いたように言った。
「そういえば、ハンドクリームを余分に塗っていたし、首筋もフードみたいなので隠してた。それは信鷹くんもみてたよね?後は頷いたりしてただけだったし・・・。あれ?そういえば、私あの子達の声全く聞いてない・・・えっ!」
悪い予感が的中した。すべて仕組まれていたことだった。おそらくこの図書館の結界は悪魔たちを近づかせないように作られた結界で、血の従者となった人間たちはそれにカウントされないのだろう。唯一の防壁網を破るための準備まで、悪魔たちは進めていたのだ。
だとしたら、ほぼゾンビのような状態になった血の従者たちが、ここに残されていた人々も取り込んだに違いない。
血の従者はどこに・・・。
その時だった。
「信鷹くん!あれ見て!」
由香里が指さす方向を見ると、さっきまで一緒にいた弓道部員が二階に立っていた。彼女たちの目は赤い血で染まっていて、顔色は悪い。もう装う必要もないと判断されたのだろう。
「カレラモ、チノジュウシャヘ!!!」
そう叫ぶと、たくさんの人々が一斉に押し寄せてきた。ざっと百人くらいはいるだろうか。
とにかく、この場にいては危険なことには間違いない。
「由香里、逃げるぞ」
「え、でも、外には悪魔たちがいるんでしょ?そんな中外に出ちゃったりでもしたら!」
言いたいことは分かる。きっと、こいつらの主人は外で俺たちを待っている。この白豪大学で唯一の防壁網を破った頭のいいやつが。俺たちも血の従者にしてやろうと。
「それでも行くしかない。どのみちここにいてもあいつらの格好の餌だ。だったら少しでも生きる可能性のあるほうを取捨選択するしかない」
「でも!!!」
「俺が守る!たとえこの命が潰えたとしても、由香里だけは必ず生かしてみせる。弘毅が殺されたときに誓ったんだ。自分が大切だと思うものは命に代えても守り抜くって」
「信鷹、くん・・・」
「こんなんでも一応お前の彼氏なんだ。ちょっとは信頼してくれよ。悪魔たちがいるように、その対抗戦力たちだっているんだ。きっと俺たちを助けてくれるに違いないさ。絶望に浸るのは、その先の希望に打ちのめされた時だ。二人で絶対に生き延びような」
織田信鷹にとって、北条由香里という少女がいかに大切な存在だということが、ここで改めて感じられた。
その事実を確認できただけでも嬉しかったのだが、今の高揚はそれの比じゃない。天にも昇る気持ちというのは、まさに今の状況を指すのだろう。
これから起こそうとしていることに、思わず由香里はニヤけてしまった。
しかし、今はまだその時ではない。自分は自分の役割をしっかり果たさねばならない。
「それじゃあ、約束して。絶対に生き残るって、そして・・・」
由香里はなんだかもじもじしながら言い出した。
「信鷹くんの方から、キス、してほしいな!」
動揺していた。今までにない感情だった。胸が締め付けられるようなこの感じ。とても新鮮だったのには相違ない。
俺は笑ってそれに応えた。
「ああ、お天道様に誓ってな」
2人で手をつなぎながら駆け出した。新たなる試練に立ち向かうために。
<3>
「あらかたは片付いたか」
ニーケは白豪大学内の悪魔たちの撃退に追われていたが、それがようやく落ち着いて安堵していた。
しかし、そんな余裕はどうやらなさそうだ。
「ニーケ様、あれをご覧ください!」
結界を固め、守りの兵を置いていたはずの図書館からただならぬ魔力を感じ、それが具現化されて妙な霧となって表れていた。
(まさか、あの結界を破ったとでもいうのか。だとすれば高位に位置する悪魔が来たという事になる。そんなことより、織田信鷹が危ない!)
「今すぐ向かうぞ!このまま彼を死なせてはアテナ様に会わせる顔がない」
ニーケたちは急いで向かおうとしたが、そこには信鷹が追い払ったフランケンと、謎の老人がそこに立ちはだかっていた。
「くっ!そう簡単にはいかぬか」
2組は共に対峙する。