第1章 第2節 災厄な狂乱の開幕 前編
<1>
「たとえ貴方がどこにいようとも、私は必ず会いにいきます。だから待っていてください。忘れないでください。貴方のために生きることが、わたくしのすべてなのですから・・・」
(・・・君は誰だ?)
「わたくしはこの世を救いしもの。世界の平穏を心から愛するもの」
(待ってくれ・・・君は一体)
「すぐに会えますよ。世界の理に誓って・・・」
<2>
「ここ・・・は?」
おもむろに目を覚ますと、目の前には見慣れない天井が見えていた。なにかおかしな夢を見ていたような気もするが、どうにもおぼろげにしか思い出せない。
この世には、不思議なことは確かに存在している。怪奇現象、自然現象、謎の異生物などもそのカテゴリーに含まれるが、自分の場合はそんなものではない。
ごくたまにだが、先ほどの夢のように、そのときはまるで現実なのではないかと思わせるようなリアルな状況下でいるはずなのに、実際夢から覚めるとその程度の記憶しか残ってないのである。多少なりともこの程度の夢をみたんだなくらいには覚えててもいいはずなのだが。
「とりあえず起きるか。ていうか、何で寝てたんだっけ」
体を起こしてあたりを見渡してみると、そこが病院のベットなのだということはすぐに分かった。窓から見える景色から、まさに俺の通う白豪大学の中庭で生徒たちが楽しそうにおしゃべりしているのが見て取れる。白豪高校のすぐ隣には、多くの患者に対応できるほどの大きな総合病院がある。そういった点から、自分の居場所は特定できたのだが、いまいち状況がのみこめない。
「ていうか、なんで俺は病院のベットなんかにいるんだろうか」
その時、ドアの空く音が聞こえた。そこには見慣れた顔が二つこちらを見ていた。
「信鷹、目を覚ましたんだな!まったく、心配させやがって!」
それが俺の親友安藤弘毅なのだと認知した瞬間、もう一人が自分の胸に抱きついてくる。
「信鷹くん!よかった、本当によかった。私、もう目を覚ましてくれないんじゃないかと思って」
髪からは彼女がいつも使っているシャンプーのにおいがした。体が震えていて、涙を流しているのもわかる。
「由香里、心配かけたみたいだな。悪かったよ」
「全く、羨ましいを通り越して、もはや微笑ましい限りだよ」
フッと笑いながらそういう安藤にも手を上げて悪かったと伝える。
<3>
「ところで、おれはなんで病院のベットにいるんだ?由香里と別れた後に、自動販売機かどこかでコーヒーを買おうかとしたところまでは覚えてるんだが、お前ら何か知らないか?」
それを聞いた瞬間、二人は目を見開いた。相当驚いたのか、二人とも悪いものでも見たかのように俺を見つめてくる。なにかおかしなことでも言ったのだろうか。
「お前、何にも覚えてないのか?その後何が起こったのかも」
「起こった?何が起こったっていうんだよ。」
ずっと驚いている様子だった由香里が口を開く。
「その後、白豪大学周辺で例の騒音が起こったんだよ。何人かの生徒は信鷹くんみたいに倒れて病院に運ばれてきたんだけど、とくに外傷はなかったみたい。本当にすごい音だったのに、死者、負傷者はゼロだったんだって。今までの事件もそうだけど、直接的な被害は交通機関に被害をもたらしている程度だし、まだ最悪の事態には至っていないっていうし。なんか不思議だよね」
全く覚えがないが、とりあえず状況は把握することができた。おそらくその騒音にやられて意識を失ったのだろう。問題はなぜその時の記憶がないのかだが、その瞬間にすぐ気絶してしまった可能性もあるし、あまり気にしないことにした。
「だけどなぜかお前だけ意識が戻らなかったんだ。医者のほうも原因はわからないようで、様子を見るしかないって感じでさ。信鷹、お前1週間近く目を覚まさなかったんだぞ」
驚いた。俺は結構すごい状況におかれていたらしい。身体を確認しても外傷はないし、特に体調が悪いわけでもない。なぜそんなに意識が戻らなかったのかが不思議なくらいだ。
「1週間も眠ってたのか。そんなことになっていたなんてな。心配かけて悪かったよ」
「正確には今日で6日目だけどな。まぁ、お前が無事ならそれでいいんだよ。」
そういうと安藤はカバンをとりだし、帰る準備を始め出した。
「大学は明日から講義が再開するらしいから、来れるなら明日から来いよ。俺は用事があるから帰ることにするわ」
「え、安藤くん今日は大丈夫だってさっき言ってなかった?」
「ま、俺にも色々あるのさ。じゃあな〜」
そう言うとさっさと帰ってしまった。あいつなりの気遣いなのだろうが、由香里は気づいていない様子だった。あとでメールしておこう。
由香里にも随分と心配をかけてしまった。弓道の大会はあの日から6日経ったということであれば、日時は過ぎていないだろう。それだけは避けられて良かったといえる。
「由香里、弓道の大会絶対見に行くよ。色々心配もさせちまったみたいだしな。俺が倒れてる間もちゃんと練習してたんだろ?」
「うん、最初は集中できなかったんだけど、友達に怒られちゃってさ。信鷹くんが起きたときにいい報告ができるように頑張らなきゃダメって。それからはすごく調子よくて、明後日の大会も頑張れそう!」
「そうか、それは楽しみだな」
いろいろ思うところはあるが、今回は由香里のために何かしてあげたいって思った。これは好きって感情なのだろうか?よくわからないが、由香里が俺にとって大切なものなのは間違いない。
「信鷹くん、私頑張るから!」
唇が重なっているのを感じた。口と口が触れ合うだけのキスだったが、それが妙に心地よく感じられる。今までにない感情を胸に秘めて、その由香里の気持ちに応えるように重ねていく。
キスを終えると由香里は後ろを向いて早足で帰ってしまった。そのとき、メールが一通届いたので確認してみる。
「今日はありがとう。勇気もらえたから、私もっと頑張れる!もっともっと頑張って、信鷹くんにふさわしい女性になってみせるから。それじゃあ、また明日!」
「まったく、敵わないなぁ由香里には・・・」
退屈な人生だと思っていたが、この瞬間だけは悪く
なかったと思う。
<4>
「目覚めたようですね。思ったより早くて安心しました。流石は我がマスターです」
「あの少年が契約者の方ですか。ちょっと頼りなさそうな印象を受けますね」
「わたくしの目に狂いはありません。あのお方なら必ずやこれから起こる世界の狂乱にも立ち向かっていけるとわたくしは確信しているのですよ、ニーケ」
「アテナ様がおっしゃるのなら間違いはないのでしょうが、悪魔サイドはこちらに出向く準備を着々と進めているという情報が入ってきています。おそらく、早くても明日には」
「わかっています。こちらもなかなか契約者を見つけ出せていないのが現状ですし、7大罪の悪魔たちが動きだすと考えると、早急に事を進めねばならないでしょうね」
「アテナ様はゼウス様にこの密書の報告に。私はあの少年の護衛に付きます」
「頼みましたよ、ニーケ」
どれだけ急いでも明日の夕方。その前に悪魔サイドが攻め込んできたときは多くの被害者が出てしまう。その間に人間界に攻め込んでこないことを祈るしかない。
「マスターなら大丈夫だと信じておりますよ」
アテナは早急にゼウスのもとへと向かった。
<5>
「予定通り、人間界の全土に悪魔たちを向かわせる。神の加護を持つ人間を特定できない以上、皆殺しで構わん。神共の妨害が入る前に片づけてしまえ」
「おぉーーーーー!」
悪魔たちの歓声とともに恐ろしき計画の幕が開く。およそ千年にわたって計画されてきた、世界最悪の悲劇が。
「ベルゼブブ、主導権はお前に預ける。一番のねらい目は日本だ。今は忌まわしき天照がいないという情報が入った。お前はそこに向かえ」
「承諾した・・・」
その悪魔たちを束ねる魔王は高笑いをしながら、これからの計画に胸を躍らせた。長い間バランスを保ってきた3世界の関係が崩れ去るのを想像しながら。
「戦乱、いや狂乱だな。吾輩の夢がようやく叶うというものよ」
ベルゼブブは魔王からの命を遂行するため準備を進めた。
「このままうまくいけばいいがな・・・狂乱」