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清隆学園の二学期  作者: 池田 和美
7/18

十一月の出来事・①

「つ、つきあってください」

 清隆学園高等部の図書室常連の中に『学園のマドンナ』へ選ばれた程の美少女がいた。

 名前は佐々木(ささき)恵美子(えみこ)といった。

 彼女の、それを知ったら他の女子から呪殺されかねない理由だが、最近の悩みは一つだった。

 時と場所を選ばずに、告白されてしまうのである。これも彼女に特定の彼氏がいないことが分かっているためだ。

 今も、高等部の図書室で、貸出カウンター越しに一人の青年に迫られていた。

 ただ残念なことに、その男は小太りの体型に陽に焼けたことの無いような白い肌、とどめに脂性の髪という、女子にモテない要素満載の外見をしていた。たるんだ頬にはソバカスが散っており、どこが首だか分からないほどの二重顎といい、恵美子でなくても近寄られたら仰け反ってしまうようなタイプであった。

 東京で夏と冬の年二回、東京駅から臨時直行便のバスで運ばれる海辺の施設で行われる巨大イベントで見る事ができそうな人種であった。

 そんないかにもな感じのその青年は、だが上から下まで迷彩服という格好をしていた。

 紺色のブレザーが制服の高等部生徒の中で、である。彼のその度胸だけは認めたいと思う。

「ご、ごめんなさい」

 今日の当番がサボっているために、代わりとしてボランティアで図書室のカウンター業務をしていた恵美子は、パチクリと大きく一回瞬いた後に、カウンターの中から即答した。

「なぜだ!」

「私、好きな人がいるんです」

 ニッコリと聖女のような微笑みを浮かべた。

「そ、それは誰なんだ」

「この人」

 恵美子はいささかも迷わずに、隣で突然の出来事に茫然としていた図書委員会委員長の腕に、両手で抱き着いた。今日はオサゲにしていた彼女の長くのばした黒髪が相手の腕に当たった。

 度胸だけはありそうな彼は、迷彩柄のジャンパから白い軍手を取り出して、清隆学園創立以来の『武闘派』という名高い図書委員長に、それを投げつけた。

 古来から白手袋を投げるといったら、こういう意味だ。

「か、彼女をかけて、決闘を申し込む!」

「ちょ、ちょっと!」

「うむ。美しき姫君をかけて決闘なんて、王道じゃないか」

いつの間にか図書委員長の横に筋肉質の男子が現れていた。二人とは同級生の不破(ふわ)空楽(うつら)である。彼は腕組みなんかしてしたり顔で頷いていたりした。

 彼は読書と居眠り、そして(未成年なのに)アルコールをこよなく愛する少年であった。よって図書室に常連として顔を出しており、恵美子や図書委員長とは知り合いであった。

「こら待てぃ!」

「白手袋で決闘の申し込みとは、こういうシチュエーションが見られるなんて。頑張ってね」

 反対側にも別の男子が現れた。騒動がある時はいないことがないという清隆学園一の騒動屋、郷見(さとみ)弘志(ひろし)である。彼も空楽と同じようなしたり顔になっていた。

 茶色がちな長めの髪に、白い卵型の顎。そのほっぺたはつつきたくなるような柔らかさという、まるで女の子のような容姿をしているが、正真正銘の男である。しかも中身が外見を裏切って科学実験と下ネタが好きという困った存在であった。さらに付け加えるならば、秩序を重んじる図書委員長の天敵である。

「だからって…」

 図書委員長が口ごもっている間に、この二人とは『正義の三戦士(サンバカトリオ)』として学園内で有名な残りの一人、権藤(ごんどう)正美(まさよし)が背後に現れた。銀縁眼鏡をかけた一見真面目そうな男子だが、成績はともかく素行の方は悪友のせいか最近よろしくないようだ。

 彼は気安く図書委員長の肩をポンと叩いて言った。

「ここで逃げたら『男』じゃないよ」

 すかさず、そのニヤけた顔面に『武闘派』委員長の必殺技『アームストロングパンチ』が炸裂した。

「誰が男だ!」

「王子、言葉使い」

 静かな声で恵美子に注意されたのは、一年生だというのにその実務能力で図書委員長に就任した藤原(ふじわら)由美子(ゆみこ)であった。

 女子の間での呼び名が『王子』ということから想像つくと思うが、かなりのやんちゃさんだ。

 もちろん特記する必要もないかと思われるが、いちおう分類上は女という性別の中で、その風上にコソッと静かに日陰の端に、遠慮がちにもしかしたら置いてもらえるかもしれない身の上である。

 由美子は、カウンター席で恵美子に抱き着かれたまま、原因となった青年に指を突きつけた。

「オマエが誰だか知ンないけど、非常識じゃない! もう常識が無い奴らは売るほどココにいるンですからね! とっとと帰りなさいよ!」

 非常識な奴って誰よ?

 お前が言う?

 なんて囁き声があたりで交わされているような気がした。

「俺は秋田(あきた)不二夫(ふじお)。清隆大学の文学部に在籍している。そして、あのSMCに所属していると言えばわかるかな?」

 秋田の堂々とした名乗りにSMCってなんだろうと、その場にいた一同が顔を見合わせた。

「もしかして…」

 弘志が恐る恐る口を開いた。

「セイリュウ・ミリタリ・コーポレーションのこと?」

 そうだとばかりに秋田が胸を張った。

「なンじゃそれ」

「説明しよう。SMCとは清隆大学の数あるサークルの中で、唯一大学当局から公認されたエアーソフトガン愛好会の別称である」

「あー。つまり戦争ごっこが好きな、イカれた連中なわけね」

 由美子の身も蓋もないセリフに、秋田は額に青筋を立てた。

「何を言う。平和ボケの進んだこの日本において、日夜鍛錬を怠らず、一朝事が起きたらすぐさま役に立てるよう、そう心がけているだけではないか」

「そう本気で思っているなら防衛大学に行けばよかったじゃない」

 由美子の容赦ない言葉に、秋田の額から血管の切れるブチッという音がした。

「まあまあ」

 彼が爆発する直前に、二人の間に怪しげな微笑みを浮かべた弘志が入り込んだ。

「秋田先輩もマドンナに振られたショックで冷静になれないんでしょうけど、落ち着いてくださいよ」

 先輩と持ち上げられたからか、大声を出す直前で矛をおさめた。

 その様子を見てから、さらに自分の微笑みに怪しさを付け加えて弘志は言った。

「夏の一〇〇対一〇〇大会にオレも参加させてもらいました。いやあ、凄かったですねえ」

 おべっかのような事を言われて「そ、そうか?」なんて胸を張っている秋田だが、よく弘志の言葉を聞いてほしい。決して彼自身や、そのSMC自体が凄いと言っているわけではなかった。図書室常連の連中から『詐欺師』と呼ばれる彼の面目躍如だ。

 それに気が付かない秋田は、満更でもない様子で胸を張っていた。相手の様子を観察しながら喋っている弘志の表情がいやらしい笑いへと変化した。

「マドンナをかけての勝負、受けましょう。先輩もSMCに所属しているくらいですから、射撃には自信あるんでしょ」

 差し上げた人差し指を、まるでトリガーを絞るようにピコピコと折り曲げてみせた。

「ちょ…」

 勝手に話しを進める弘志を止めようと、由美子は口を開きかけた。しかし腕を掴んだままの恵美子に、その腕を引っ張られて遮られてしまった。

 秋田はそれでも威厳を保とうとしているのか、丸い顔の眉を顰めた。

「というと?」

「決闘はエアガンで決着をつけましょうよ」

「いいだろう」

 秋田は勿体づけるように腕組みをした。

 清隆学園の校則には決闘条項と呼ばれる項目があった。生徒間で何か揉め事が起こる度に『決闘』と呼ばれるスポーツで勝負を行いその勝敗で解決をはかるのがこの学園の伝統であった。これに関しては幼年部(附属幼稚園)から初等部(附属小学校)、中等部(附属中学校)、高等部(附属高校)、清隆大学、さらに大学院まで一貫していた。ちなみに勝負に対して非公然にトトカルチョが行われるのも伝統であった。

 一学期に行われた『ある勝負』や、先々月自分がやるはめになった『とんでもない勝負』のせいで、決闘条項に良い印象がない由美子は眉を顰めた。

「競技はなんだ?」

「射撃場で的当てなんてSMCらしくもない」

 芝居がかって首を横に振りながら弘志は言った。

「サバイバルゲームでつけましょう」

「いいだろう」

 渋々と承諾する演技をしながら秋田は腕を組みなおした。だが俳優としての才能は弘志に分があるようで、内心はミエミエであった。

(得意なサバゲで『決闘』ならば、勝ったも同然)

 全身のオーラでそう宣言している態度であった。

 しかし、いやらしい笑いを必死に隠しながら、弘志はもっともらしく訊ねた。

「でも、先輩も相手が女子一人だと物足りなくありませんか?」

「ん?」

 そこで初めて決闘の相手である由美子に気が付いたような顔をする秋田。

「それもそうだな」

「夏の大会に参加したぐらいですから、オレも結構好きなんですよ、サバゲ」

 弘志の指がまたピコピコと曲げられた。

「こちらで…」ぱっと振り返ると、事の成り行きを遠巻きに見守っていた常連の連中が、まるで打ち合わせをしてあったかのように黙って挙手した。それを眺めただけで弘志は秋田に向き直った。「八人用意します。そちらも、そのぐらいの戦力は集められますよね?」

「二〇人は固いが、そちらがそれしか集まらないのなら、それに合わせよう」

「場所は、高等部と大学の中間ということで、中等部の旧校舎でどうでしょう?」

「異論はないな」

「いつやります?」

「こちらはいつでもいいが、そっちの準備時間が必要じゃないのか?」

「そうですねえ」

 弘志は迷う振りなんかして視線を床と天井に彷徨わせた。

「次の日曜日でどうです?」

「いいだろう」

「で、レギュレーションはどうしますか?」

「オタクたちがSMCのメンバーに当てられるわけがない。好きにすればいいだろう。ちなみに我らは東京マ〇イの電動ガンを、ほとんど無改造(ノーマル)で使用しているがな」

「じゃあBB弾が発射できれば、なんでもアリですね」

 弘志は念を押した。

「それで勝てる気がするならばな。ただし、こちらが勝ったら間違いなくマドンナとデートしてもらうぞ」

「どんな威力でも文句なしですよ」

 弘志からの再度の念押しに、しつこいと言わんばかりの秋田。

「当たらなければどうということはない」

 この池〇秀一お決まりのセリフ。一度は使ってみたかった言葉の一つであった。


「どうすんのよ」

 尊大に胸を張っていた秋田にお帰りしてもらい、その気配が無くなりしなに由美子は抑え込んだ声で弘志を睨んだ。

「え? いまの話し聞いてなかった?」

 ひょうひょうと答える弘志。

「ちょっと!」

 図書室だから大きな声を上げないようにしつつ、由美子はいまだに抱き着いていた恵美子の手を振り払って立ち上がった。

 今度は自分が弘志の手を取った。

「当番おねがいよ」

 目だけでカウンターを振り返って業務命令を下すと、そのままグイッと弘志を引っ張った。

「あれ~」

 まるで時代劇で代官に手籠めにされそうになる町娘のような声を上げて、そのまま引かれていく弘志。二人はそのままカウンターの奥にある扉から、隣の司書室へ移動した。

 他の常連組もぞろぞろと着いてきた。

 蔵書整理用の大テーブルの横まで引っ張り、ここならば声を荒げていいだろうと判断したのか、由美子は弘志を放して振り返った。

「どういうつもりよ!」

「だから」ニコニコといつもの笑顔に戻った弘志は、身長差から由美子を見おろして言った。「サバゲで決着をつけようという話しなんだが」

「どうして勝手に、そういう事にしちゃうわけ?」

 相手の形の良い眉が、キリキリと顰められるのを見た弘志は、安心させるように微笑みの質を変えた。

「姐さんも見たでしょ? あの格好」

「?」

「あんな戦闘服で高等部まで乗り込んでくるヤツだよ? コジローがはっきり断ったって、ストーカになって纏わりつくと思わない?」

 弘志の彼らしくない正論に、言葉を詰まらせる由美子。

 ちなみに二人の会話に出てきたコジローとは、剣道部に所属する恵美子の愛称だ。剣道+苗字の佐々木ということで、巌流島で有名な剣豪からつけられた。

「イヤな事件も多いし。な?」

 最後の「な」は公聴していた周囲の常連組に向けての呼びかけだった。すると常連組どもが「昼夜時間関係なしに押し寄せてくるらしいよ」「殺人事件とかあったし」「しかも関係ない人が犠牲になったとか」等々、わざとらしい世間話を始めた。

「ここは、相手の土俵に上がることになるけど、はっきりと判る形で決着を着けてやれば、向こうも未練を持たずに、すっぱりと諦める事ができると…」

「オマエ…」

 もっともらしく続く弘志のセリフを、由美子の声が遮った。その弘志を見る目が据わっていた。

「ただバカ騒ぎがしたいだけだろ」

 一旦硬直した弘志が声を張り上げた。

「と、とんでもない! オレはみんなのアイドルであるところのコジローを守ろうと!」

 激高した風を装って弘志が声を上げた。

「ねえ」

 司書室まで着いてきた当事者であるところの恵美子が口を開いた。

「王子は何で反対なの?」

 王子とは女子の間で流行ってる由美子の呼び名である。

「こいつらのバカ騒ぎにつきあってたら、キリが無いからよ」

 常連組を睥睨するように睨んでから、いつもの表情に戻って由美子は言い切った。

「でも、私は王子に守って欲しいな」

 恵美子が突然見せた乙女目線に、同性であるはずの由美子は声を失った。美人は得である。

「大丈夫。姐さんは総大将としてドッシリと本陣に構えてくれればいいから」

 ノートのコピーを頼むような気安さの弘志。

「もし負けたら…」

 不安げな由美子に、誰もが一目惚れするような笑顔で恵美子が言った。

「そしたら、私が自分の手で『始末』するわ」

 佐々木恵美子。女だてらに剣道部のエースという肩書は伊達ではない。笑顔の割にそう言った『始末』の範疇には、役立たずだったという事になる弘志たち常連組も含まれているような硬い声だった。

「も、もちろん負けるわけないよな? な!」

「お、おう」

 手を挙げた常連組たちが腰の抜けた声で返事をした。

「ところで…」信用していない目つきのまま、由美子は腕を組んで訊ねた。「サバゲってなによ」

 その場にいた男子が一斉にコケた。

「これだよ、これ」

 すかさず正美が司書室に置きっぱなしにしていた自分の荷物から大判サイズの雑誌を取り出した。

 表紙は迷彩服を着たねえちゃん(グラビアモデル)が営業用の笑顔で軍用ライフルを構えていた。

「?」

 渡されてパラパラとめくる。その雑誌はエアーソフトガンを使ったサバイバルゲームを楽しむ愛好家向けの月刊誌だった。今月の新製品からバトルフィールド情報、戦術からエアーソフトガン取扱店の広告までが纏められていた。

 図書委員長だけに、本屋を一般生徒よりはチェックする由美子は、雑誌コーナで見かけたことがあった。

 ざっと斜め読みで内容を把握したようだ。正美に雑誌を返しながら軽い調子で彼女は言った。

「なンだ。やっぱり戦争ゴッコのことじゃない」

 その途端に、再び男子どもがコケた。

「藤原さん、その単語禁止」

 情けない感じで表情が崩れた正美に、フンと鼻を鳴らしてみせた。

「うちの弟もたまに部屋でパンパン撃っているもの。どうして男って、こンなもの好きなのかしら?」

「さあ」

 同意を求められて曖昧な笑顔で返す恵美子。

「で? オマエらやったことあンの? その『さばげー』とやら」

「まあ男の子だからね」

 雑誌を片付けている正美の代わりに弘志がこたえた。

「たまに学校裏の雑木林でやったりしてるよ」

 清隆学園にはまだ敷地に余裕があり、利用されていない土地は古き良き武蔵野の原を残した雑木林となっていた。高等部も他道府県より進学してきた生徒のために寮を持っているが、校舎とその寮の間にも雑木林は広がっていた。そこならば小さいグループで遊ぶに充分楽しめる広さを持っていた。

 もちろん大学の方へ足を延ばせば、もっと広い区画が手つかずのままだ。

「ほらウチのガッコって戦争中は軍事基地だったでしょ。だから当時のタコツボとかが残っていたりして、結構遊べるんだ」

 正美が得意そうに振り返った。清隆学園の敷地には、戦争中に首都防空のために陸海軍合同の航空基地が設けられていた。サイパンから富士山を目標に飛来したB二九は、偏西風で加速し、普通の戦闘機では追いつけない速度で東京へ爆撃を繰り返した。それを迎え撃つための戦闘機基地の一つがココだったのだ。その証拠に大学の方には当時の掩体壕や、本土決戦に備えた地下司令部跡が今でも残っていた。そういう施設は、好き者たちがガレージに改造したりして有効に活用していた。

 正美が言っているタコツボというのは、個人用の塹壕である。これも本土決戦を見据えて当時掘られた物だった。もちろん半世紀以上の年月で、自然と埋まってしまったり、ゴミの投棄場所になった物も多くなっていた。だが戦争ゴッコに使うぐらいなら楽しめる程度に残っていた。

「オマエもそのクチか?」

 正美から弘志に視線を移した。

「オレは正美ほどじゃないけど、誘われればね」

「見かけたことないンだけど」

「だいたい夜戦、しかもハンドガン戦だし」

「?」

「ええと」

 由美子に分かりやすく翻訳しなければならないようだ。面倒に感じながら唇を舌で湿らせた。

「夜に、ピストルだけで、戦争ゴッコしてるんだ」

「夜にンなことやってンのかよ」

「夜だからだよ」

「だがしかし」二人の会話に横から空楽が口を挟んだ。「夜にドンパチをしていると、不思議な事に出くわすことがある」

「?」

 意味が分からずにキョトンとした顔になる由美子。

「一〇対一〇で対戦しているのに、いつの間にか相手の人数が一一人になってたり、な」

「それって…」

 嫌な予感がして由美子が絶句していると、空楽は人差し指を立てた。

「それか両チームの中間に、白いユラユラとした人影が立っていたりする。そこにBB弾を撃ち込んでも、不思議と貫通するばかりで…」

「わぁあああああああああ」

 聞きたくないとばかりに両耳を塞いだ。彼女の意外な反応に、今度は弘志が笑顔を変化させた。

「ああ、オレも多摩川の川っぺりで夜戦やってたら、水面から白い手だけが差し出されたことが…」

「いやあああ」

 顔色を白く変えた恵美子までも表情を硬くした。トトトと小走りに由美子に駆け寄って、二人して身を寄せ合った。

「僕の時は、水面上に立つ髪の長い女の人だったなあ」正美が天井を見上げて自分の経験を口にした。「そこは結構な淵になっていて深いはずなのに、足首まで見えたんだよ」

「「ひぃいいい」」

 由美子と恵美子は抱き合ったまま仰け反ってしまった。

「ふっ」その様子を面白そうに見ていた空楽は、一旦組んでいた腕を解くと、再び人差し指を立てて言った。「その手の話しなら、とっておきがあるぞ」

 その自信たっぷりな様子に全員の視線が集まった。

「俺の知り合いの話しなんだが」と前置きをした。

「その知り合い…。仮名(かめい)を池田和美としよう。その池田というバカが夜戦に出かけようとすると、決まって商店街の端にある、今にも潰れそうなボロい木造住宅の前を、人のよさそうなお婆さんがホウキで掃き掃除しているんだそうだ。池田も調子がいいヤツだから『こんばんは』とか声をかけて、お婆さんも『こんばんは』と答えるということが何回もあった。ところが、そのお婆さんは、夕方に通りがかっても、ゲームを終わらせて深夜に通りがかっても、決まって同じ所を掃いているんだそうな」

「『レレレのおばあさん』か?」

 茶化すように合いの手を入れる弘志に、黙っていろとばかりに空楽は手を振った。

「不思議に思った池田は、自分の母親に訊いたんだそうだ。『おかあさん。商店街の端にいるお婆さんって、いつもホウキで道を掃いてるね』って。そしたら『あら、あなたにも見えるの?』と」

 聴衆の反応が如何ほどの物か見るためか、空楽は一旦言葉を切った。司書室は静まり返って(しわぶき)も無かった。

「『あのお婆さん、とっくに亡くなっているのよ。それなのに夕方から深夜にかけて道を掃いているのよね。自分じゃ死んだのを気が付いていないみたいなの。その筋の人に相談しようかって話しもあるんだけど、ああいうのってお金がかかるって言うじゃない。だから害が無いならそのままにしておこうって町内会で決まったのよ』」

 沈黙に包まれた司書室へ、空楽の声が静かに流れた。

「それで?」

 聞きたくないがオチまで聞かないと人間というのは収まらないようだ。顔色が完全に変わってしまった由美子が恐る恐る訊いた。

「残念ながら話しはここまでだ。池田の実家が隣町に引っ越してしまったから、それからどうなったかは分からないらしい」

「ンだよ」

「だが」憤慨して何かまくしたてようとした由美子の声に空楽は自分の言葉を被せた。「今でも、そのバアさんは道を掃いているのかもしれない」

「やーん」

 恵美子が由美子に抱き着きなおした。

「そういう話しなら…」

 ニタリと細いフレームのトンボ眼鏡をかけた少年が一歩前に出た。身長は弘志と同じぐらいと高く、細面の顔は知的で神経質そうなまで痩せていた。

「マサちゃん」

 そのインテリ風の少年へ弘志は場所を譲るように後ずさった。

「ふっふっふっ」

 起伏の無い含み笑いのような物で肩を上下に揺らしていた。彼は左右田(そうだ)(まさる)。仲間内から『ブラック・プリースト』の異名を授けられている図書室常連の一人だ。なぜそんな異名がついているのかというと、清隆学園高等部において第二種制服と規定された黒い学ランを着ているだけではない。某教団の敬虔な信者のくせに、この手の話しに詳しいからである。

 黒い学ランの第三ボタンまで外しており、その下に着た黒いワイシャツに白いネクタイを締めていた。そのネクタイに黄色いマークがプリントされていたが、それが彼が属する教団のマークであるようだ。

「なにかな? マサちゃん」

 陰気な優の微笑みに、腰の引けた弘志が訊いた。

「ボクも一つ、とある実話をしよう」

 歌手であり俳優である某タレントに似ているという顔を歪めるように、片方の頬だけで嗤ってみせた。

「これもボクの知り合いの話しなんだが…。そうだな仮名を同じく池田としようじゃないか。池田がとある夜戦に参加した時の話しだ。その夜戦は公園で五対五で行われていた。だが人数が少ないので、池田一人を獲物に見立てて全員が狩人になるという変則ルール『フォックスハンティング』をやっていた時だ。池田が植え込みに何者かの気配を感じてフルオートでマシンガンを撃ち込むと『痛い!』と、なぜかズボンを下着ごと膝まで下ろして下半身を丸出しにした男が…」

「それは撃ち込まずに黙って覗き込むのが正解だったね」

 女の子に間違えられるほどの面をしているのに下ネタが大好きな弘志が腕組みをして、なぜか何度も頷いていた。

「すると続いて、地面に四つん這いになっていた者が立ち上がったという。これまた、なぜかズボンを下着ごと膝まで下ろして下半身を剥き出しにした男だったという…」

「うわあ」

 チョコレートと思って口にした物が生レバーだったような顔になって、弘志が嫌そうに顔を歪めた。

「その筋のハッテン場かよ」

「?」

 由美子が恵美子の顔を見た。どうやら話しが分からないようだ。

「??」

 なにか言い出したいのを堪えている様子で、由美子の顔を見つめ返す恵美子。こちらは(何で、この話しが分からないの?)と言いたげだった。

「???」

 しばらく首を捻っていた由美子だったが、突然「GYA」と奇妙な悲鳴のような物を上げると、問答無用とばかりに弘志と優を殴り倒した。

「そういう話しは禁止だコラ!」

「あいてて」

 大して痛くなさそうに頬を撫でながら弘志は床から立ち上がると、なぜか由美子にウインクを決めてから常連組に振り返った。

「まあ、バカな話しは置いておいて」向こうで、お前が言うなとか言っているような気がしたが続ける。「『学園のマドンナ』を我こそが守るという猛者は誰だ?」

 その問いかけに、先程挙手をした全員が再び手を挙げた。

「空楽に正美、ツカチン、ユキちゃんにマサちゃん、それに御門か」

 頭数を数え直して、それに自分と由美子を加えた。ちょうど秋田と約束した八人だった。

「なんだったらヒカルでも呼んでこようかいの」

 常連組の中から、背の高い日本人離れをした容姿の少年が口を開いた。

 彼は御門(みかど)明実(あきざね)。高校一年生にして数々のパテントを持ち、大人たちから「明日のノーベル賞受賞者のその候補」と目されている天才である。弱小部である化学部や生物部、天文部などを統合し『科学部』を創設して自ら初代総帥の座についていた。

 その日本人離れした容姿には理由があって『道産子とスロバキアの混血でチャキチャキの江戸っ子』という血筋のなせる業らしい。なお言っていることがおかしいような気がするが、気にしてはいけない。一事が万事この調子なのだ。

「ヒカルちゃん入れたら洒落にならんだろうが」

 明実の提案を即座に却下する弘志。どうやら二人に共通した知り合いで、そういった危ない人物がいるようだ。

 明実から由美子に振り返った弘志は、彼女に訊ねた。

「これから練習でもする?」

「練習?」


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