十月の出来事・③
三日間も続いたバカ騒ぎ『清隆祭』も、終業の校内放送『蛍の光』で終わりとなる。
生徒たちは放送と同時に校舎から追い出される。
散らかした校内は、一日休んで生徒が疲れを(教員の方がもっと疲れているかもしれないが)癒してから片付けるという事になっていた。
そういった理由で、基本的に校舎内は立ち入り禁止となるが、敷地内すべてがそうではなかった。
毎年、翌日が休みという好条件もあり、生徒会主催の後夜祭がテニスコート裏の駐車場で行われることになっていた。
アスファルトに白線が引かれたそこには、盆踊りで見られるような櫓のようなステージが組まれていた。そのステージには、普段どこに仕舞ってあるのだろうかと思いたくなるほどの巨大なスピーカが備え付けられていた。
これも東京都のはずなのに、学園の周囲が田畑や雑木林に囲まれているという好条件(?)によるものだ。
もちろん参加は強制ではない。しかし生徒の間で人気がある有志バンドが登場するということで、結構な人数が会場に集まっていた。
それに毎年、大トリにはシークレットゲストとして本物の芸能人を迎えることも、人手が集まる理由だったりした。
生徒の中の猛者はそのまま徹夜で騒ぎ続けてしまうというのが、もう清隆祭の(悪しき)伝統という物になっているぐらいだ。
そんな熱病に罹ってまだ完治していないような熱気を引きずった群衆の中を、人混みが流れるままに歩いてきた少年がいた。
銀縁眼鏡をかけていかにも真面目そうな外見をしている。一年三組が開いたオバケ屋敷では「おまえは真面目すぎるから脅かす役には向かん」という理由で受付係しかできなかった権藤正美である。
自分が参加した自主制作映画や、鉄道研究部がD棟二階廊下に広げたNゲージ大レイアウトなど、彼は彼なりに清隆祭を楽しむことができた。
楽しむことが出来たからこそ一抹の寂しさが残り、いつもは派手な事が苦手な彼も後夜祭に顔を出す気になったのだ。
アスファルトの上には工事などで使う特大のブルーシートが広げてあって観客席とされていた。
そこに仲の良いクラスメイトを発見して正美は大層驚いた。
平らなだけの観客席なので、そのままごろ寝を始める上級生などがいる中で、背筋を真っ直ぐ伸ばして四角く正座した男子生徒がいた。周囲の雰囲気にあまりにもそぐわないので、誰かとよく見てみたらいつもつるんでいる不破空楽だったのである。
「やあ」
「よお」
隣に座って声をかけると、気軽に声がかえってきた。
「空楽が後夜祭に参加するなんて思わなかったな」
「そうか?」
彼は片方の眉を上げてみせた。
「だって空楽ってば『今日は疲れたから、とっとと帰って一杯やって寝るか』というタイプかと」
この筋肉質の同級生は、その姿に似合わず読書と居眠り、そして何よりもアルコールを愛する未成年なのであった。(未成年の飲酒はいけません!)
空楽は、正美の自分に対するイメージに苦笑いをかえした。
「俺だって、楽しかった学際を名残惜しむことだってする。これでも高校生なんだから」
「よーう」
そこへ後ろから声がかけられた。二人して振り返ると、一年生にして科学部総帥の座に着いている御門明実であった。
「二人だけとは珍しい。飲むかい?」
明実の言葉に、秘書役なのか、いつも付き従ってる女子生徒が紙コップに入った黒い液体を二つ差し出した。小さな泡が立っているところを見ると、炭酸飲料であるようだ。
「ありがとう」
「うむ、いただこう」
二人して同時に口をつけると、正美はしかめっ面に、空楽は明るい表情に変わった。
何か言いたげな正美を制して空楽。
「随分と『うまい』コーラだな。おかわりはあるのか?」
「そりゃ、たんまりと」
明実が半分振り返ると、後ろに控えていた女子がいたずらっ子のような笑いを顔に張り付かせて大きいペットボトルを差し上げた。中身は二人がいま飲んだものと同じであるようだ。
「未成年は…」
「いいではないか」
正美の言葉を明実も遮りながらそこに腰を落とした。紙コップも抱えていた女子が甲斐甲斐しく彼の分を新しく注いで差し出した。
正美の指摘通り、一見ただのコーラであったが、半分ぐらいは別の物が混ぜてあるようだ。
「で? もう一匹はどうした?」
もう一匹とは、この二人とはクラスメイトで仲良しの郷見弘志のことである。見た目はまともながら性格や思考はまったくの問題児であり、なにかと話題を提供する人物であった。学園内では三人揃って『正義の三戦士』として有名なのだ。
「あいつならば」
フンと鼻を鳴らして空楽は答えた。
「藤原さんに連れて行かれたぞ」
図書室常連の弘志と、図書委員会委員長藤原由美子は寄ると触るとケンカが絶えない仲であった。これも非常識な弘志が常識人である由美子の神経を逆なですることが原因であることが多かった。
「弘志の貞操の危機だな」
明実がそう言えば正美は
「黙って手籠めにされる弘志じゃないと思うけど」
と、だいぶ呂律が怪しくなった声で感想を漏らした。(彼は弱いのだ)
「んじゃ、ゴーカン?」
「うわ。でも相手が藤原さんじゃシャレにならない」
今世紀最強の剛腕委員長と噂される由美子である。その理由は言う事を聴かない男子に対して容赦なくその右拳を振るうからである。ついたアダナが『拳の魔王』。
そこまで方向性が変な方に進んだところで、まばらな拍手で話しが遮られた。ステージで演奏していた一年生バンドが演奏を終えたようだ。
あまり練習時間が無かったとみえて、お世辞にも上手と言えないレベルであった。しかし正美も空楽も日本人、その努力は褒めたたえようと拍手に加わった。
「次の演奏は『ZENO』になります」
放送部の女子が、次に演奏するバンドを、あまりやる気がなさそうな声で紹介した。
暗転した舞台ではチューニングしているらしい物音だけが聞こえていた。それもじきにひそまり、舞台は暗黙に包まれた。
何もパフォーマンスが始まる様子がないので、観客席に雑談が戻って来た。
「今年の科学部は、『かくへいき』を製造したってホント」
正美が銀縁眼鏡の位置を直しながら訊いた。
「なに? それは本当か?」
空楽まで身を乗り出した。
「造るわけなかろー」
普通の日本人とは違った容姿の明実が苦笑いをした。彼は自称『道産子とスロバキアとのハーフでチャキチャキの江戸っ子』なのだ。
「造ったのは『核兵器の模型』じゃ」
「模型と言いつつ『実際に爆発させることができます』とかじゃないだろうな」
冗談めかした口調で空楽が重ねて訊いた。
…。
沈黙に振り返ってみれば、明実も秘書役の女子も明後日の方向を向いていた。
「おい、まさか…」
突然、周囲は光に包まれた。
幸い核爆発ではなかった。圧倒的な光量がステージから投げかけられたのだ。
その逆光の中に四人分の影があった。
会場の全員が呆気に取られている間に光量は絞られ、何とかステージ上が観察できるようになった。
四人は、まるで金属のような光沢を持っているエナメルドレスに身を固めた少女たちであった。
「…」
誰かが呻き声のような物を発しかけた途端に、そのプラスチックファッションのバンドは圧倒的な演奏を始めた。その熱奏するメンバーに、正美も空楽も、そして化学室に入り浸っていることが多い明実ですら見覚えがあったので、腰を抜かすぐらい驚いた。
玄人裸足のその演奏は、耳に響くハードロックであった。曲目はとあるアニメ(死後の世界で天使と思われる生徒会長とドンパチする奴)のオープニングを編曲したもののようだ。
ギンギンに鳴る楽器に負けないような、とても良く通る声で、舞台中央に立つボーカルが歌い出した。
あっという間に観客たちは総立ちになり、両手を上げてリズムに合わせて歓喜の声を上げていた。
「あぐ」
喉の奥が鳴った。そんな表現が似合う音が正美の口から漏れた。熱狂する周囲から取り残されて、正美、空楽そして明実とその秘書役の女子の四人が茫然と座ったままだった。
「はー」
空楽は感心した声を漏らした。明実に至っては、その知能の高さに似合わずに、口をポカンと開けたままだ。
ジャーンと余韻がまだステージから抜けきらない内に、四人の方から呼びかけがあった。
「『ZENO』の演奏を聴いてくれて、ありがとおっ!!!」
MCはてっきりフロントがするのかと思ったら、コーラス用のマイクを引き寄せたキーボーダが始めた。
ボーカルの向かって左に立ち、目まぐるしいまでの運指でキーボードを演奏していたのは、いつもは物静かな図書委員会副委員長として、また華道部の時は和風美人として、高原に咲くエーデルワイスのような存在の岡花子であった。
その鬼気迫る演奏は、普段の彼女から全く想像できない物だった。
今の彼女は、いつもの制服姿でも、華道部の時の和服でもなく、金属質の光沢を持つ黒い素材でできたマーメイドスタイルのタイトワンピースを身に着けており、肘まである黒のロンググローブで白い肌を隠していた。
いつもは日本人形を連想させる美貌も、衣装に合わせて紫色のシャドウとリップが目立つ化粧がされていた。
頬の高さで切りそろえられているはずの誰よりも青い黒髪は、エクステンションで盛ったのか、長い三つ編みが一本、左肩から胸の前へと垂れていた。
「メンバー紹介するね。サックスのYUMIKO!」
花子は両手を使って右端を示した。紹介されたプレイヤは、ひとしきりサックスで流れるようなストリングスを吹くと、一礼した。
顔を上げて観客たちが期待を持った眼差しで見ていることに気が付くと、困ったようにキーボーダに振り向いた。どうやら何か発言するつもりは無いようだ。
花子とはフロントのボーカルを挟んで、メロディラインをアルトサックスで熱演していたのは、さっき観客席で三人が冗談のネタにしていた由美子であった。
彼女は黒く光るフラワードレスに、同じ光沢のサイハイブーツで身を固めていた。メイクも黒いシャドウを入れ、口紅までブラックであった。
黒いセミロングであるはずの髪もキラキラ光るラメを散らして飾っていた。顔の輪郭を際立たせるためか、赤いリボンで前髪を押さえてオデコを全開にしていた。
「Do…」
つい正美が呟いてしまった。
たしかに黒い丸みの帯びたエナメルドレスに、胸元で銀色に大きく光る星形のアクセサリときては、某有名アニメで戦争後半に量産型が出てくるモビルスーツに(たった三分で主人公に全滅させられるぐらい)似ている格好と言えた。
「ドラム! KOJIRO!」
中央の一段高い位置に組まれたドラムセットに座っているのは『学園のマドンナ』として全男子憧れの美少女、佐々木恵美子であった。
恵美子はジャーンとハイハットを叩くと立ち上がり、自分もコーラス用のマイクを引き寄せた。
「みんなノッてくれてありがとう。まだ上手じゃないけど、最後まで頑張ります!」
確かに今の演奏では、エイトビートに二種類のブリッジを混ぜるのがやっとの様子だった。普段の彼女は剣道部のエースとして活躍している身なので、バンド練習に割ける時間が少なかったのであろう。
ドラムがイマイチの分は、花子がキーボードのリズム機能をフル活用して補っていた。
恵美子は他の三人とは違って白い光沢を放つバルーンスカートと硬そうなパフスリーブを持つセパレートドレスであった。ひょっこり顔を出しているオヘソが可愛いアクセントであった。
他のメンバーが黒系統のファッションなので、後ろにいるのにも関わらず、目立って見えた。
長い髪はいつもよくしているように、ポニーテールにしていた。その髪の房には赤いリボンが巻き込まれてアクセントとなっていた。
「KOJIROでした。そしてボーカル&ギター。MIHIRO!」
MIHIROと紹介された美少女は、ジャーンと抱えていたギターを鳴らすと、一礼して引っ込んだ。
どうやら由美子と同じように何か言うつもりは無いようだ。
その見知らぬ美少女は、白のロングドレスの上に、黒いエナメルドレスを重ね着していた。先程までの熱唱を終えてホッとしているのだろう、極上の微笑みを浮かべていた。
肩から提げているフライングVが、まるでお洒落なポシェットのように見えるから不思議だ。
観客の中でそれが誰であるか分かる者はほとんどいなかった。もしかしたら校外からメンバーをスカウトしてきたのかもしれないと思い始めていた。
頭は、まるで墨で描いたようなどこまでも闇色のロングヘアで、後ろの方で二つに結んであるのだが、右側の束はステージに触るのではないかと思うぐらい長く、左側の束は肩の高さまでの三つ編みに結ってあり、そこへ金色のリボンが螺旋状に編み込まれていた。
顔だちは他の三人と比べて遜色なく、その控えめなチークで化粧された頬は、許される事なら指先でつつきたくなるほど、柔らかそうであった。
「そして最後にキーボードのあたし。ASTAROTH! よろしくね!」
そこで観客全員の思考が揃った。
(なぜ一人だけ悪魔の名前?)
「練習もろくに出来なかったけど、一生懸命やるから」
花子の呼びかけに、先程のナンバーで盛り上がっていた観衆は声を上げてこたえた。
「だからレパートリが少なくて、次が最後の曲です。もし、この先も応援してくれるなら、ファンレターはKOJIROのとこまでね!」
メンバー紹介が終わると、観客たちはまた拍手でこたえた。
次の演奏を待ちわびるようなその反応に、舞台は暗転し、真ん中に立つ美少女だけがスポットライトで浮かび上がった。
「そういえばバンドやるって言ってたけど。なかなかのモノじゃない。でも、弘志はどこに居るんだろう?」
正美が静かになっていく観客席で呟いた。花子たっての希望で、弘志もバンドに参加しているはずであった。
「まだわからんのか」
苦々しい声で空楽。
「は?」
首を捻る正美に、空楽はステージで一人照明を浴びる美少女へ顎を振った。
「え? まさか…」
正美が絶句するのと同時に、寂しげな旋律が流れ始めた。それに合わせたかのように、泣き声のようにちょっと擦れさせた声で、ガールズバンド鉄板の有名なバラードを彼女は歌い出した。
その姿も声も、まったくプロの域に入っている女性ボーカルであった。
「そ、そんな…」
夏に未来の約束を友だちとするという歌詞が流れている後夜祭会場で、正美は地面が崩れていくような感覚を味わっていた。
バラード終了と共にすぅっと照明が落とされ、名残惜しそうに続けられていた後奏も、最後の残響を残して終了した。
会場は盛大な拍手に包まれた。
そして花子の希望通り『ZENO』は学園内での話題をさらった。
急造バンドの割に演奏技術が高かったこともあるが、謎のボーカルが誰であったかも話題になったことは言うまでもない。色々飛び交ったウワサの中には『あれは科学部が作った三D映像だった』などというものすらあった。
それからしばらくの間、図書室常連のたまり場になっている司書室において、なぜか優先的に弘志だけが、花子が淹れる特級といえるお茶を飲ませてもらっていたのは、まぎれもない事実だった。
十月の出来事・おしまい