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清隆学園の二学期  作者: 池田 和美
3/18

西部の出来事

 ●S-1 とある西部の町


 風が荒野を吹きわたっていた。

 時代は、銃と暴力がものを言っていた頃である。

 ところはどこかと訊かれれば、開拓時代の亜米利加西部である事は一目瞭然。

 お約束通り、カサカサとタンブルウィードが音を立てて、乾燥しきった町の通りを横断していったりしていた。

 その名前も無いような町の真ん中に、大きめの酒場が建っていた。だいぶ風化している看板は、かろうじて<コーモーディア>と読めた。

 そのテーブルが並べられた店内の一角で、一人の男が酒瓶に埋もれるように座っていた。

 テーブルへ無秩序に並べられたビンに銘柄などの統一性は無かった。

 どうやら酒ならば何でもいいようだ。

 どれも半分以上に減っており、乱雑に両端へ寄せられていた。

 ビンの代わりにテーブルの真ん中を占めているのは、拍車をつけたままのボロいカウボーイブーツに包まれた足であった。

 お行儀の悪いこの男は、椅子の背もたれに寄りかかって、顔にカウボーイハットをのせて隠していた。両腰には、これ見よがしにピースメーカをぶちこんだガンベルトを巻いている。いわゆる二丁拳銃というやつだ。その二丁とも白いグリップで揃えてあり、握る部分に羽を広げた白鳥が彫刻されていた。

 どうやら男は、呑気に昼寝を楽しんでいるらしい。その証拠に腹の上で組まれた両手が、呼吸とともに静かに上下していた。

 そんなノンビリとしている男を、カウンタから見ていた酒場のマスタは顔をしかめた。

 男はこの宿屋も兼ねた<コーモーディア>の宿泊客なのだが、そのマスタの表情の渋さから、払いの方があまり良くないのが見て取れた。

 マスタは自分の定位置であるカウンタから店内に回り込んで、昼寝を続ける男に近づいた。

 両腰のピースメーカが視界に入って及び腰になった。

「ダンナ。払いはちゃんとしていただけるんで?」

「ああ」

 カウボーイハットの下から小蠅を追い払うような声で男が答えた。

 その声質はアウトロな衣装とはだいぶ印象が違って、どことなく音域の高い少年的な響きを持っていた。

 とすると、第一印象よりもだいぶ歳の若い客ということだ。

 しばらく男が見てもいないのに、揉み手をしながら愛想笑いをしていたマスタであった。しかし芳しい反応が見られないと分かるや、諦めたように溜息をついて、屈めていた腰をのばした。

 その時だった。

 複数の男たちが静かに表から入口のスイングドアを開けて入ってきた。その数は三人であった。

 もちろん西部であるから、どの男も腰には拳銃をぶる下げている。各々が所在なさげに店内を見回し、その中の一人が昼寝を楽しんでいる男に気が付いた。

 ポンと隣に立っていた男の肩に手を置いて合図をし、顎をしゃくった。その合図で全員が昼寝をしている男を振り返った。

 昼寝を邪魔しないようにだろうか、慎重に腰を落として近づいてきた。

 真ん中の男が顎をわずかに振って、両サイドの男に包囲するように無言で指示を出した。

 男たちの誰もがギラギラと殺気立っており、今にも昼寝をしている男に飛び掛かりそうだ。

 荒事が起きそうな雰囲気で、端の方をモップがけしていた女が息を呑む。連鎖反応のように、マスタは半ば腰を抜かしながらカウンタへ戻っていった。

「おい」

 殺気立った男たちの中で、真ん中に立っていた男が、昼寝中の男へ声をかけた。

「しつこいな。払いはするって言っているだろう」

 どうやら話し相手が変わったことに、まだ気が付いていないようだ。

「パライソってのは、お前か?」

「はあ?」

 そこでやっと昼寝を邪魔された男は声色を変えた。

 のんびりとした動作で自分の帽子を被りなおし、相手を眩しそうに見上げた。

 声をかけてきた銀縁眼鏡をかけて頭をこざっぱりとした真面目そうな面影の男を、訝しげに見上げた。どうやら相手に心当たりが無いようだ。

 だが余裕を持ったまま、再び両手を腹の上で組みなおした。

「誰だ? あんた」

「誰だっていいだろう」

 ちょっと棒読みでガンマンの扮装をした男は凄みを見せた。

優男(グッドフェロウ)・パライソってのは、お前か?」

「さあて」

 曖昧に答えた男は、確かに優男と呼ばれていいような顔だちをしていた。声質のとおりまだ年齢は少年を脱した程度の者であるようだ。ふっくらしたホッペにアーモンド形の目、薄い唇に整った顎のライン。ドレスに着替えたら女と呼んでもいいぐらいの美形であった。

「そうだったら、どうするんだ?」

 優男は真ん中の男から、左右の男たちへ視線を巡らせた。右側の男は、まるで背中に棒を入れたように真っ直ぐな姿勢をしており、左側の男は、見るからにヌボーとした曖昧な表情を見せていた。

 男たちは相手がいくら二丁拳銃だろうと、一回の射撃で全員が撃たれないように間隔を開けて立っていた。

 昼寝から覚めた男の目がそのまま三人の腰に走った。もちろんそこには全弾装填済みの拳銃がホルスタにぶちこんであった。

 自分が不利な体勢だというのに男は、全然動じた風ではなかった。

 それどころか、まだ余裕さえ感じさせた。

 それほど人生という物を達観しているわけでもなしにこうした態度がとれるのも、荒野を渡ってきた凄腕のガンマンなのだからであろうか?

 そうでなければ、自分自身が置かれた状況も判断できないという、途方もない痴れ者という他はないだろう。

 真ん中の男は、懐から擦り切れた紙を取り出した。

 そこには似顔絵が描いてあった。絵自体は椅子から立ち上がろうともしない男に結構似ていた。その似顔絵の下に数字が書き込んであった。

「これはお前のことだよな」

「どれどれ」

 自分の顎を撫でながら優男は身を乗り出し、その手配書を読み上げた。

「『パライソ・優男・ジョンソン』詐欺・強盗・殺人・脱獄の罪で手配。賞金は生きて捕らえた者に金貨一〇〇枚。死体では五〇枚。ふうん。この前よりも金額が上がったような気がするな」

「じゃあ、やっぱりお前がパライソなんだな」

 再度訊ねられても、のんびりとした態度のままで、テーブルの上から一本の酒瓶を取り上げた。

 その呑気な様子には恐れ入る。なにせ取り囲んだ男たちが今にも銃をぶっ放しそうな雰囲気なのにも構わずに、飲酒を再開するというように見えるのだ。

「そうかもね」

 気安く答えたパライソと呼ばれた男は、その言葉が相手に届いた瞬間に、手に取った酒瓶を素早く床に叩きつけた。

 派手な音を立てて酒瓶は割れた。だが起きた現象はそれだけでは無かった。割れた酒瓶からは濛々とした白煙が沸き上がり、店内は何も見えなくなった。

「うお」

 視界を遮られたのに驚いたのか、煙幕で見えなくなった店内に二、三発の発砲音が響いた。

「待て!」

 鋭い声が飛んだ。

「撃つな! 味方に当たるぞ」

 真ん中でパライソと話していた男の声が白煙の中で響いた。と同時にガラスの割れる派手な音がした。

 町の通りでは突然の発砲音に通行人たちが酒場を振り返った。

 その視線が集中する中、クロスした腕で顔を庇って、酒場の窓を破ったパライソが転がり出てきた。

 荒事が始まる予感に、農夫やら店主らしい町民たちが、身近な遮蔽物を求めて右往左往した。

 パライソは地面に受け身を取って立ち上がると、ちょうど通りかかった女にウインクを一発決めてから、一目散に走りだした。

 その頃になって、やっと店から男たちが通りに出てきた。もちろん男たちの手には抜かれた銃が握られていた。

 三人はそれぞれてんでバラバラな方向を眩しそうに見回した。慌てて外に出たため、太陽の明るさで物がはっきりと見えなかったらしい。しかしそれも目が慣れればすぐに解決する問題だ。

 すぐに三人揃って、背中を見せて一目散に走る彼を見つけた。

「まちやがれ!」

 そんな騒ぎが始まった町の中で<コーモーディア>向かいの酒場に風変わりな客がいた。

 通りに面した露店の席に座り、店で一番濃い蒸留酒をチビチビとやっていた男と、その向かいで甲斐甲斐しく給仕を務めている女の二人組である。

 特に男の風体は変わっていた。長目の髪を後ろで一つに縛り、無精髭は生やし放題。そしてここら辺では見たことも聞いたこともないような服装をしていた。

 学の無い者どころか、少しばかり知識のある者でもその服装の正体を正確に答えられないかもしれない。

 それは日本の着物だったのだ。

 この西部にサムライとは、アルセーヌ・ルパンと銭形平治の共演ほど妙な取り合わせだが、時代的には日本は丁度明治維新がなされ、海外への渡航も可能になってきた頃だから、なんら問題はない。

 そんなサムライのお酌をしていた女の方も変わった風体をしていた。

 地味な色のケープを頭から被るようにしていて、そのケープから覗く腕は、だいぶ日焼けが進んだような赤銅色であった。

 頬の高さで揃えられた髪といい、顔に描かれた赤や白の化粧といい、地元の者ならば先住民ソー族の娘だということがわかる。白人が幅をきかす町に、先住民の、しかも女が平気な顔をして座っているなんていうことは、普段なら考えられないことだった。

 だが女は平然とそこにいるのが当たり前のような顔をして席に着いていた。

 ショットグラスで酒を口にしていた男は<コーモーディア>での騒ぎにもまったく動じる様子を見せなかった。

 ゆっくりと酒を味わいながら、追手の三人がパライソの背中を追いかけ始めてから、やっとグラスをテーブルへ置いた。

「おやじ」

 妙な訛りのある発音で店の中へ声をかけた。

「払いはここに置くぞ」

 まだ店内から誰も出てくる前に、男は席を立ちあがり、椅子の背もたれにかけた三度笠を被って顎ひもを締めた。そして傍らに置いていた棒状の物を手に取った。

 それはまさしく一振りの日本刀であった。

 男の支度が終わるのを待って、向かいの女も席を立った。

 まったく地味な民族衣装に身を包んだ彼女は、横の席に立てかけてあったウインチェスターライフルを手に取った。



 ●S-2 タイトルバック


 ここで口笛とギターを使ったテーマソングが流れ始めた。

 砂埃が舞う中を一心不乱に走る色男がアップになった。


 卑怯者…パライソ・優男・ジョンソン


 どこかの荒野を馬に揺られる男装の麗人。

 彼女は上から下まで銀糸で彩られた黒いコスチュームで固めていた。


 悪役…キース・百合・エンジェル


 そして外套を肩にまわし三度笠で表情を隠した男が、お供である先住民の女を引き連れて、日本刀を片手に歩きだした。


 主人公…名無しの男(サムライ)


 そしてタイトル。



『夕陽の決闘』



 ●S-3 開拓地の家


 優男の行く末も気になるが、ここで場面は転換する。

 酒場<コーモーディア>からそう離れていない、別の土地でのことである。

 乾燥した大地に抵抗するように農地が存在した。その真ん中に一軒の農家が建っていた。

 いまその扉を叩く拳があった。

 返事がある前に、その拳の主が遠慮なしに扉を開いてドカドカと乱入した。

「な、なんなんだ」

 このバラックのような家の主だろうか、男が粗末な椅子から立ち上がった。

 家主の家族であろう、部屋の反対側では女が男の子を両手で抱きしめて、身を縮こまらせた。

 闖入(ちんにゅう)してきたのは、背の低いやけに痩せた男と、一粒も埃を被っていないような黒い服装に身を包んだ人物だった。

「おまえは…」

 痩せた男に見覚えがあったのだろう、家主は他に何も置いていないテーブルの上から、それだけは散らかしてあった拳銃を手にしようと身体を乗り出した。

 銃声が素早く二回室内に響き、テーブルの上の拳銃がクルクルと回って、闖入者の方の床へと落ちた。

 痩せた男が撃ったのではなかった。その後ろの黒装束の人物が、銃口から立ち上る硝煙を、形の良い唇からの息で吹き散らした。

 服装と同じ黒いカウボーイハットがずれたことで、その人物の貌が露わになった。

 それは絶世の美女と呼んでいいほどの女であった。

 豊かな金髪が上から下までの黒装束にマッチしており、不敵にニヤリと微笑んだ血のような唇から、可愛らしさも感じられる八重歯が覗いた。

「いけねえな」

 女は透明な声に似合わない乱暴な口調で言った。

「昔の友人が遥々やってきたっていうのに、銃に頼ろうとしちゃあ」

「先生の言う通りだ」

 勝負に勝った顔の痩せた男が、黒装束の女ガンマンを半分だけ振り返った。

 彼女は帽子から靴まで男物で揃えている割には洒落者らしく、右肩に銀糸で百合の刺繍の入った上着を着ていた。

「いっつもアンタは俺に銃をちらつかせて追っ払ってくれたが、今日は勝手が違うんだぜ」

「だいぶ腕利きのようだな」

 ゴクリと唾を飲み込んでから自分の銃を確認した家主は、相手を見極めようとして目を細めて女ガンマンを見た。

 右肩の刺繍が嫌でも目に飛び込んでくる。

「おまえも西部に生きるんだったら先生の噂ぐれえ耳に入れたことがあんだろう」

「まさか『キース・百合(リリィ)・エンジェル』か?」

 自分の名前を言い当てられたことが嬉しかったのか、片方の頬で嗤ったエンジェルは、手にした銃をクルクルと回すと、これまた黒革で作られたホルスタに収めた。

「で、俺も西部の男だから、めんどくせえ挨拶は抜きだ。話しは早く済まそうや。大佐の隠した金貨はどこだ?」

 驚愕の表情を隠そうとしない家主に、痩せた男は直球で訊いた。

「大佐の金貨?」

 家主は視線をずらした。

「しらねえな」

 その答えに痩せた男は激しい舌打ちをしてみせた。家主がこちらに向くのを待って、とても下卑た嗤いを浮かべてみせた。

「俺とお前は同じ騎兵隊の釜の飯を食った仲じゃないか。だからシラ切ろうったって、俺には自分のたなごころを指すように、わかるんだぜ」

 痩せた男は少し芝居がかった様子で両腕を広げた。

「あの日。俺らの部隊は列車強盗を追って、ここいらまでやってきた。そしたらあの待ち伏せだ。絶体絶命のピンチだったが、部隊はなんとか戦況を立て直して、強盗団を壊滅させた。けどよ、俺らの部隊も大損害。生き残ったのは一握りの者だけだった。大佐はあの戦いで引退し、部隊もバラバラになった」

 一気に喋って喉が渇いたのか、痩せた男はしきりに唇を嘗めた。

「そこからがおかしな話しが始まる。雀の涙ほどしか出なかった退職金に比べて、大佐の豪華な暮らし。お前もなぜかこんな農場を買うことができた。他にもうまい目を見たらしい羽振りのいい奴が二、三人いやがる」

 痩せた男は眼光を鋭くして家主に身を乗り出した。

「あの時、列車からぶんどられた金貨は、強盗団全員がおっちんで、行方不明ってことになったが…」

 痩せた男の目が光った。

「本当はそうじゃないんだろ」

「なんのことかな」

 家主は恍けた声を上げた。ただそれが知らんぷりを決め込んでいるだけだというのは、目線を合わせようとしないその態度でバレバレであった。

「いけねえなぁ」

 痩せた男は、床から拾った家主の銃を、小屋の片隅で抱き合って丸く震えている家主の家族に向けた。

 少しでも庇えるように、女が一層男の子を自分の体の中心へ抱き込んだ。

「いけねえなぁ」

 痩せた男はもう一度言った。

「俺も西部の男だ。女子供に手を出さない仁義ぐらいはある。だが、ちいっとばかし不思議なことに、拾った銃が暴発することだって、たまにはあるんだぜ」

「待て」

 家主は家族を守るために両手を大きく振って、関心を自分に向けさせた。

「コッパーだ」

 悲鳴のような声を上げる家主。

「お前も知っているだろ。部隊の出納はコッパーの野郎がやってた」

「制服の背中に、籠手の刺繍を入れて自慢してた奴か」

「そうだ」

 まるで寒さに震えるように家主は小刻みにうなずいた。

「今も奴は大佐の財産管理をやっているんだ。俺の所にもたまに来て、口止め料を少々置いて行ってくれる。どうやらあの時の金貨は、今もどこかに隠してあって、手元の金が無くなると取りに行っているらしい」

「なんで俺が仲間に入ってないんだよ。俺だって、あの時の生き残りだぜ」

 痩せた男の眉が寄せられた。

「おまえは…、そのう…」

 家主は言い淀んだが、痩せた男が銃を構えなおすと、血を吐くのではないかという勢いで告白した。

「おまえは口が軽いから仲間に入れないって、大佐が」

「ほお」

 痩せた男がつまらなそうに銃口を下に向けた。

「俺が言ったんじゃねえ、大佐が言ったんだ。それに俺は金貨がどこに隠してあるかさえ知らねえ。本当だ」

「ほおほお」

 男は納得がいったように何度もうなずいてみせた。

 その時だった。女の腕から男の子が飛び出して、銃を握る痩せた男の腕に嚙みついた。

「ぎゃあ」

 痩せた男の油断もあっただろうが、情けない悲鳴を上げると、手にしていた銃を床に落とした。それを男の子はすかさず拾って、銃口を痩せた男に向けようとした。

 痩せた男の後ろから銃声が響き、誰にも触れられていないのに、男の子の身体は後ろに吹き飛んだ。

「!!!」

 女が声にならない悲鳴を上げた。家族が撃たれたことで、家主は痩せた男に組み付こうと飛び掛かった。

 それが同士撃ちの心配をしなければいけない間合いだというのに、再びエンジェルの銃が火を噴いた。

「ぐうう」

 声を潜めて悲鳴を上げたような、そんなくぐもった声を上げて、家主は男の子の上に覆いかぶさるように倒れた。

「いやああ!!!」

 家主も撃たれたのを見て、女は髪を振り乱しながら、赤い血で床を汚し始めた二人の身体に飛びついた。

 それを冷たく見おろしていたエンジェルは、女にも銃口を向けて引き金を引いた。

 とたんに室内に静寂が戻ってきた。

「馬鹿なガキだ」

 噛まれた箇所をさすりながら痩せた男は、折り重なったかつての同僚とその家族を見おろした。

「なんだ、見逃すつもりだったのか?」

 三人を撃ったエンジェルは罪悪感を感じさせない声で痩せた男に訊いた。

「いや」

 ちょっと戸惑った様子を見せてから、痩せた男は吐き捨てるように言った。

「秘密を知っている者は一人でも少ない方がいいからな」

 そう言ったことで気が楽になったのか、痩せた男はもう折り重なった三人を見ようとしなかった。

 振り返った彼の視界に、抜いたままになっているエンジェルの銃口が飛び込んできた。

「おいおい、先生。冗談はやめましょうや」

 おどけてみせる痩せた男に、片頬だけで嗤ってみせた。

 エンジェルはその表情のまま引き金を引いた。

「な、なんで…」

 自分の腹にめり込んだ鉛弾が信じられない様子で、痩せた男は血を吐きながらエンジェルに訊いた。

「秘密を知っている者は一人でも少ない方がいいんだろ。いま、お前がそう言ったじゃないか」

 うずくまるように倒れた痩せた男に、エンジェルは追い打ちをかけるように言った。

「それに、銃に弾が一発だけ残ってしまっていたからな」

 その声が、痩せた男が聞いた最後の言葉になった。



 ●S-4 酒場<コーモーディア>


 女ガンマン、エンジェルが冷酷さを見せつけていた頃、優男を見失った男たちは、キョロキョロとしながら町を一周したところだった。

 それを見て道の反対側にある酒場から、黒づくめの服装をした男が指笛を吹いた。

 リーダ格の銀縁眼鏡の男は悠然と振り返った。他の二人はそうもいかなくて銃を抜きつつ腰を落として振り返った。

 その殺気立った態度に、撃たれちゃたまらないとばかりに両手を上げる黒づくめの男。その高いシルクハットといい、その男の職業が葬儀屋であることは間違いなかった。

 葬儀屋はニヤリと笑うと、自分の向かいにある酒場<コーモーディア>に向かって顎をしゃくった。

「?」

 銃を抜いた二人が訝しげな顔をした。それを見てわかるだろとばかりに右肩だけ竦めて見せる葬儀屋。

 銀縁眼鏡の男はそれだけで分かったのか、手を振って礼を示すと、再び<コーモーディア>の中へと入っていった。他の二人も銃を収めつつ後に続いた。

「さてと」

 葬儀屋は自分の店に積んである棺桶のストックを確認するために回れ右をした。


 店内に入ると、カウンタに立つ主人と、三人の女しかいなかった。

 夕方になれば客も集まろうというものだが、外はまだ充分に陽は高かった。

 一瞬三人は「葬儀屋に騙されたか」という顔になったが、慎重に店内を見回した。

 その視線がカウンタ横から上にのびる階段で止まった。この階段から上は女たちの仕事場というわけだ。

「おい」

 リーダ格の銀縁眼鏡の男が、背筋の真っ直ぐした男に顎をしゃくった。男は階段を抜き足差し足で登り始めた。

 ヌボーとした表情の男はカウンタ内の物陰に潜んでいないか、腰を落として探り始めた。

「ねえさんがたや」

 下卑た嗤いを張り付けてリーダ格が女の一人に近づいた。赤い羽根帽子を被った小柄な女は勝気そうな表情で彼を睨み返していた。

「いまココにネズミが一匹逃げ込んで来なかったか?」

「さあてな」

 羽根帽子に大時代的なフレアドレスといった格好をしている割には男言葉で女は答えた。

「いま三匹揃って潜り込んできたのは見ていたがね」

「そうかい。じゃあ、ちょっくら調べさせてもらうぞ」

 言いしなリーダ格の男はフレアスカートを思いっきり捲り上げた。だが女は少しも動じることなく、スカートの下のパンタレットが丸見えになっても両腰に当てた腕をピクリとも動かさなかった。

「まさか…」

 隣に立つ同じくらいの背をした女が恫喝の響きを含ませて訊ねた。

「あたしにもするつもりじゃないだろうね」

「い、いや」

 自分からやっておいて顔を赤くした男は、それでも微笑んでいる三人目の前に移動した。

 ニコやかな微笑みを見て首を捻った。

「?」

 わけが分からないまま微笑み続ける女の前で、首を捻り続ける男。だが心当たりはなかったらしい、カウンタの上に張り出している二階の屋内バルコニを振り仰ぐと、ちょうど顔を出した姿勢のいい方の仲間に声をかけた。

「上はどうだ?」

「猫の子一匹おまへん」

「そうか」

 次にカウンタ内を捜索しているもう一人の仲間に振り返った。

「そっちはどうだ」

 もうちょっとという意味だろう、声をかけられた男はニヘラと笑った。顎をしゃくるので見ると、カウンタの床に落とし戸があり、そこが怪しいと考えているようだ。もし床下に隠れているなら、下から察せられないようにと、リーダ格の男は人差し指を唇に当てつつ、抜き足差し足でそこへ近寄った。

 その間に二階を探索し終えた男が降りてきた。男は何気なく三人の女に目を移した。

「あ!」

 目が合った途端にウインクをした三人目に向けて拳銃を向ける。しかし相手は一動作でドレスを脱ぎ捨てて、男へ布の塊となったそれを投げつけた。

 視界を遮られているにも関わらず男が引き金を引いた。

 突然の発砲音に仲間の二人が振り返った。

 ドレスを投げつけた人物は、出入口とカウンターの間に相手がいたために外へ走ることが出来ず、破れたままの窓へまた走った。

「やつだ!」

 リーダ格の声でもう一人も銃を店内に向けた。

 そこには二丁拳銃を下げたパライソがいた。無防備で撃たれるのが好みではなかったようで、手近なテーブルを蹴り倒すと、その向こうに身を潜めた。

「きゃあああ」

 始まってしまった銃撃戦に、女たちが外へ逃げ出す。カウンタに立っていた主人は逃げそびれて、酒樽と壁の隙間へ逃げ込んだ。

「やろう! 勝てると思ってんのか!」

 カウンタに身を潜めたリーダ格が声をかけた。

「こっちにゃ三人。おまえは一人だろうが!」

「どうだかね」

 テーブルに隠れたパライソは、顔に残った化粧品を首に巻いたスカーフで拭いながら、元気よく答えた。

「どうしやす?」

 姿勢のいい男がリーダ格に訊ねた。リーダ格は周囲を観察した。酒樽にグラス類、それに目の前の頑丈そうなカウンタ。

「大丈夫だ見てみろこのカウンタを。こんなんじゃヤツの銃じゃ撃ちぬけネエ。んでこっちの銃なら向こうのテーブルを撃ちぬける」

「そうじゃなく」

 困った顔をして見せる仲間に、質問の意味が分からないという顔をしてみせる。

「このまま殺しちまったら賞金が半分にしかならねえ」

「仕方ねえだろ、向こうが死にたいって言ってんだからよ」

「まてまて」

 カウンタの中での会話は、パライソにも聞こえていたらしい。呑気な調子で戦場の反対側から口を挟んできた。

「せっかくの金貨一〇〇枚を五〇にって、損得勘定おかしいだろ」

「死体なら逆らわねえからな! それとも降参するか?」

「生きてりゃ自分の足で歩くから、運ぶのが楽だぜ」

「こっちにゃ三人いるんだ。運ぶなんてわけがねえ」

「あ、そう」

 それまでの呑気な受け答えとは違って、冷酷な響きを伴った声にパライソは切り替えた。

「なら死ねよ」

 その途端、連続する発射音と共にカウンタの腰板が砕かれた。もちろんそれを楯にしていた男たちにも鉛弾が横殴りに降り注いだ。

 硝煙が立ち込めた店内には棒立ちしているパライソがいた。両手にはあの白鳥が彫刻された二丁のピースメーカが握られていた。

 コック&ドロウからのスリップシューティングである。両手だとファニングで連射速度を上げることができるが、片手だけでこれを成し遂げるには充分な修練を必要とした。

 一発撃って反動で銃口が上がった時に次弾用にハンマを親指にかけてコッキング、そして標的に銃口を向けながら引き金を絞り発射、そして再び銃口が跳ね上がり…、の繰り返しだ。

 パライソはこれを両手でこなすことで、それこそマシンガン並みの連射を得意としていた。

 テンポよく、銃の引き金を絞ったら、発射の反動で跳ね上がる銃口を目標に戻しながらハンマを親指でコッキング、それが終わり次第再度引き金を絞る。それを左右左右とカスタネットを操るように、まるで音楽を奏でるように。

 それにより狙いは少々甘くなるが、二丁合わせて一つの目標に対して、一秒間に五発の射撃密度を実現できた。

 カウンタの中で無傷だったのは、カウンタと自身の身体との間に酒樽を置いていた酒場の主人ぐらいなものだった。

「ううう」

 それでもリーダ格の男は即死していなかった。ただ撃たれた反動で床に転がったことで、その手元からは銃は失われていた。

「よう。死にそこなったな」

 視界に影がかかって、男は視線を上に移動させた。

 そこに優男の憎々しいまでの余裕ある微笑みがあった。

「すぐに、お仲間のトコへ送ってやるぜ」

 手にしたピースメーカをコッキングすると、銃口を床に転がる男に向けた。

「動くな」

 突然、三人目の声が響いた。顔を強ばらせたパライソが振り向こうとしたが、背中を突かれて背筋をのばしただけで動けなくなった。

「おっと? 何事かな?」

 体を硬直させたまま、声だけは気安い調子で背後の人物に話しかけた。

「もしかして、あんたもオレの賞金目当てかな?」

「この距離だ。拙者が短筒が不得意でも外しはせん」

 床から見上げている男の視界に、奇妙な風体をした新しい登場人物が入った。

 それは<コーモーディア>の向かいの店で吞んでいたサムライであった。彼は腰だめに構えたものをパライソの背中に密着させていた。

「ひぅ」

 新たな修羅場の予感に、酒場の主人が息を呑んだ。

 緊張と殺気が交差する一瞬。

 しかしパライソは両肩を落とすと、素直に手にしていた銃をカウンタに置いた。

「これでいいか?」

 諦めがついたのか、再び不敵な微笑みを浮かべたパライソは、前を向いたまま両手を上げた。

 無事にこの場面が過ぎ去ると思えないのか、撃たれた男と一緒に、サムライを床から見上げる酒場の主人が生唾を飲み込んでいた。

「よかろう、トト」

 サムライが声をかけると、酒場でサムライに酌をしていた先住民ソー族の娘がやってきて、パライソの銃を回収した。さらにガンベルトまで外してしまう。

「ゆっくりと両手をおろせ」

「はいよ」

 パライソは言われたとおりにした。するとトトと呼ばれた娘がロープで彼をグルグル巻きにした。

「気が済んだかい?」

 もう撃たれることはないだろうと、パライソは体を回転させて相手の顔を見た。

「恐い顔すんなよ」

 パライソは目の前のサムライにも、いい加減な微笑みしか見せなかった。

「ふむ」

 相手が完全に戦闘不能となった事を確認したサムライは、手にしていた酒瓶に口をつけた。左手に持った納刀したままの刀と、いま口をつけている右手の酒瓶。どうやらパライソはまんまと一本取られたようだ。酒瓶の口を背中に押し付けて銃口と錯覚させられたようだ。

「あ、ずっるいの」

 それに気が付いたパライソは、当然の反応をした。自由な両足で反撃しようと前蹴りを繰り出したのだ。

 だがその攻撃はあっさりと納刀したままの刀にブロックされ、逆に柄頭を鳩尾あたりに叩きこまれてしまった。

「げ」

 身を二つに折ってしまったパライソに、サムライは手刀の追撃を喰らわそうと右手を上げた。

「わかった。わかったって」

 二撃、三撃と喰らううちに降参の意思を示した。

「トト」

 彼をグルグル巻きにしているロープの端を握っている連れに声をかける。トトはロープを遠慮気味に引っ張った。パライソはその意思に逆らわないように歩き出した。

「おやじ」

「へい」

 突然声をかけられて酒場の主人は顔を上げた。

「酒代だ」

 カウンタの上にコインをピンと弾いた。

「それと、その男を手当てしてやんな」

 風が店内に吹き込んだと思った時には、明るい外の光の中へサムライの影は溶け込んでいた。



 ●S-5 保安官事務所


 土埃だらけの町の中心に、バラックとそう大して変わらない建物があった。これがこの町の保安官事務所である。

 保安官は最初、異国の服装をした男と先住民の女という異様な取り合わせに困惑したものの、賞金首であるパライソが連行されて来たことで、態度を軟化させた。

 さっそく事務所の金庫から金貨一〇〇枚が数えられ、小さな麻袋へと詰められた。

 サムライは背後にトトを立たせたまま保安官の机に金貨をぶちまけ、一枚ずつ丁寧に数えながら積み上げた。一〇枚の山が一〇できて誤魔化しが無いことを確認すると、その麻袋へ金貨を戻し、自分の懐へとしまった。

「もう行くのか?」

 懐の具合を確認していたサムライに保安官は訊いた。

「長居しても無駄であろう」

 それきりサムライは口を閉ざし、未練など露ほど感じさせない様子で立ち上がった。

「よ、ダンナ」

 そのサムライの背中でパライソは陽気なほどに保安官に訊ねた。二一世紀と違い町の保安官事務所はとても狭い。サムライが賞金を受け取った机のすぐ後ろは、もう床から天井まで届く鉄格子を填めた留置場である。

「オレはこれからどうなるんだ?」

 これから近所でピクニックといった、とても鉄格子を両手で掴んでいるとは思えない調子だった。

「もちろん、この町での賞金首への待遇は一つに決まっておる」

 口髭を生やした保安官は、これで落ちなかった女はいないと自負する素晴らしいウインクを飛ばしながら、自分の首に手を当てた。

 つまり縛り首である。

「ちょっちょ、ちょっと待った!」

 顔色を変えたパライソは悲鳴を上げた。

「オレには裁判を受ける権利があるんじゃねえの?」

 本当ならば巡回裁判の判事がやってくるまで、この鉄格子の中で退屈な時間を過ごし、判決が下るまでは食事も含めて命拾いできるはずだ。

「この町ではな…」

 ニヤリと嗤って保安官。

「俺が法律なんだ」

(決まったぜ)と保安官は自画自賛。なにせ痩せた土地である。無法者にタダ飯を食わせる予算があるなら、一発でも銃弾を購入することに税金を使う方が有効だ。

 そして死体はタダ飯を食わない事は常識だ。



 ●S-6 町の中央広場


 刑はさっそく執行されることになった。

 昼飯の時間にかかっていたこともある。ちょうどいい食後の余興として、パライソは保安官事務所の前に引っ立てられた。

 そこはまるで屋外ステージのような粗末な木の台がこしらえてあった。いつも演壇として町長選挙や巡回裁判の場所として色々と利用されており、そして刑場としても使われるのだった。

 舞台上で俳優がシナリオを読み上げるように、保安官が手配書を朗々と読み上げ、パライソがどんな悪者かを語り出した。

 最初は何事かと遠くから見ていた町民たちも、お尋ね者の公開処刑が始まると分かると、テレビもラジオもない時代のことである、娯楽としてわんさかと集まってきた。

 その中には賞金を横取りされる形となった、あの三人組の生き残った一人も混じっていた。

 彼は痛々しくも顔へ斜めに包帯を巻いて、その上から眼鏡をかけていた。土埃で色が茶色く変わり始めている包帯には血が滲んでいた。

「こいつを俺たちはどうすればいい」

 手配書を読み上げた保安官は、観客を煽動(せんどう)するように訊ねた。

「殺せ!」

「吊るせ!」

 男たちが声を上げ、女たちは黙って、ただし興味深そうに見上げていた。

「弁解はあるか?」

 それが義務であるかのように、一応保安官はパライソに訊ねた。

 後ろ手に縛られたパライソは、胸を張って俳優のように言い返した。

「シク・センペル・ティラニス」

 その意味不明の言葉に、彼を吊るす縄を準備していた保安官助手ですら手を止めた。

「こいつ、なんて言ったんだ?」

 自分の無知を周囲に悟られにように、処刑前の懺悔(ざんげ)を聞くために駆け付けた神父に、保安官は小さな声で訊いた。

「ラテン語ですな」

 痩せて顔にかけた眼鏡が特徴の神父が事も無げに答えた。

「意味はですな『暴君はかくのごとし』。大統領を撃った男が、劇場の舞台で言った言葉と同じですな」

「そんな余計な智慧があったら、まともな道もあったろうに」

 保安官は一瞬だけ感心し、そして神父と並んで罪人の前に立った。

「言い残したいことは?」

 神父は胸に聖書を抱きしめて訊いた。

「まったく無いね」

 パライソは観念しているのか、それとも現状を認識していないかのように、晴れやかに言った。

「目隠しを」

 保安官が粗末な頭巾を助手に持ってこさせた。だがそれを見てパライソは渋い顔をした。

「そんな汚れた袋を被されたんじゃ、オレの美貌がもったいない」

「じゃあナシでいいのか」

「ああ」

 そう応じると見物人すら驚いたことに、自分からすすんで台の端まで歩いて行った。

 神父が祈りの言葉を唱え始める。保安官は面倒臭そうに彼の首へ縄をかけた。台を半円状に囲んだ見物人たちは処刑の瞬間を期待して、興奮した声をあげた。

「じゃあ、地獄の大将によろしくな」

 保安官がパライソの背中を押した。

 すべての体重が縄にかかる瞬間、イレギュラーな事が起きた。

 鋭い銃声。

 駆け込んでくる一騎のガンマン。

 周囲にまき散らされる火の点いた爆竹。

 切断された縄。

 そして乱射される銃。

 以上のことがほど同時に起こり、見物人どころか台上の保安官たちも、爆竹でたたらを踏むことになった。

 頭から落下し始めていたパライソの身体は、ちょうど死刑台の真下に飛び込んできたガンマンに受け止められた。馬には落下してきた位置関係のまま、荷物のように俯せで横向きに鞍へ乗せられた。

 ただならぬパニックから、ようやく立ち直ろうと保安官は銃を抜いて仁王立ちになった。その足元へボロい毛布のようなマントで姿を隠したガンマンは、手にした二丁拳銃を乱射して威嚇した。

 その白い素材に白鳥の彫刻をした握りのピースメーカから発射された銃弾を避けるために、保安官は足をもつれさせて無様に台上へ転がった。

 目深にかぶったカウボーイハットで顔すら隠したガンマンは、颯爽と馬に踵を入れて、全速力で町の外へと走り出した。

 その後ろを民族的な意匠をしたマントをはためかせた小さな人影が操る馬が追いかけていった。

 あまりの鮮やかな手口に、町からは追手がかからなかった。



 ●S-7 荒野に立つ岩山の日陰


 数刻後。

 そこには三頭の馬が所在なさげに立っていた。

 脇ではトトが小さな焚火で湯を沸かしており、少し離れた所でマント代わりのボロ布を脱ぎ捨てたサムライが、パライソを縛っている縄を解いていた。

「いやあ、今回もうまく行ったな」

 もうちょっとで地獄行きだった身とは思えないほどの軽い調子で、パライソは助けてくれたサムライに笑いかけた。

「ふん」

 つまらなそうにサムライは仕事を終えると、焚火のそばへ移動してトトが用意した飲み物を受け取った。

「なんだよ。仕事がうまく行った割には冴えない顔だなあ」

 パライソはその横に腰を下ろした。黙ってサムライは彼の二丁拳銃用のガンベルトを差し出した。

「お、すまんな」

 パライソは自分の腰へ愛用品を戻した。

「まさか賞金首と、そいつを狙っている賞金稼ぎがグルとは、呑気な町の連中じゃ思いつかないだろうよ」

 つまりパライソにかかった賞金を騙し取る、賞金首詐欺といった手口なのだった。

「さてと。サムライ出せよ」

 パライソが手を出すと、渋々といった様子でサムライは懐から賞金が入った小袋を取り出した。

「たしか金貨一〇〇枚だったよな」

 金貨を手にして下卑た嗤いに表情を変えるパライソ。

「オレとあんたで公平に分けるのが約束だったよな。ただオレの方が命の危険があるからプラス一〇枚。それにオレの拳銃を使ったから、使用料金でプラス一〇枚。ほらよ、あんたの取り分の三〇枚だ」

 あっという間に金貨の半分以上を小袋に戻し、パライソはそれを自分のポケットに仕舞った。

「ふん」

 一つ大きな息を吐いたサムライは、鼻の穴を広げてから懐より自分の財布を取り出した。パライソが地面に積んだ自分の取り分をそこへ入れた。

「トト」

 その重くなった財布を、惜しげもなく差し出した。先程から焚火の始末を始めていたソー族の娘が不思議そうに振り返った。

「そなたが持っておれ」

 トトは黙ってうなずき、それを受け取った。

「その女がどれだけ気に入っているかは知らないが…」

 パライソはトトを藪睨みしながらサムライに言った。

「オレなら自分のサイフを預けたりしないがな」

「先に次の町へ行っておれ」

 荷物をまとめたトトに不愛想ながらそう命じ、サムライは消えた焚火の向こうに座るパライソを見た。

「金さえあれば拙者が死んでも困ることはなかろう」

「そんなに信用してんのか」

 まったく理解できないとばかりにパライソ。

 その不快な視線を受けつつも、サムライは立ち上がり刀を手に取った。

 トトが操る馬からこちらが岩山に邪魔されて見えなくなったことを確認すると、改めてパライソを振り返った。

「今回で、もう最後だ」

「ちょ、ちょっと待てよ」

 パライソは軽薄な笑顔を浮かべた。

「オレとあんたで、今までうまくやって来たじゃないか」

「それも、これまでだ」

「ふざけるな」

 手にしていたコップを横に投げ捨てると、パライソは立ち上がった。

「ここで勝負をつけるか?」

「よかろう」

 左手に持った愛刀の感触を確認しながらサムライは言った。

「だが、おぬし。弾のない短筒で拙者に勝てるのか」

「え?」

 慌ててガンベルトを見るパライソ。そういえば救出の際にサムライが乱射してから、銃に弾の補給をしていなかった。

 もしかしたら一発ぐらいは残っているかもしれないが、確認を怠っていた。

 彼が銃に手をかける前に、間合いを詰めたサムライは、空いている右手でパライソを殴り飛ばした。

 隙を見せていた彼は突然の打撃に足をよろめかせ、しおしおとその場にへたりこんだ。

「おぬしのような輩を簡単に斬ることはできるが、刀が穢れるだけだ。見逃してやる」

 殴られた頬を押さえて虚脱状態のままのパライソを残して、サムライは馬に跨った。

 もう一頭の手綱も取る。

「ちょっと待てよ。こんなところに置いて行かれたら、干上がっちまう!」

「もし神仏に慈悲があるならば、生き残ることができよう。それとも、やはり拙者の手にかかりたいのか?」

「いやいやいやいや」

 慌てて体中で否定するパライソ。それを冷たい目で見おろしていたサムライは、最後の一瞥(いちべつ)をくれた後、はっきりと言った。

「ぐっとらっく」

「豚に噛まれて死んじまえ!」

 パライソは、ただ茫然と去っていくサムライの後姿を見送った。

 しばらくは戻ってくるかと待っていたが、どこかで見ているハゲタカの鳴き声が空しく響いただけだった。

「ちくしょう」

 パライソは周囲を見回した。

 ある物と言えば消えた焚火に、いまさっき投げ捨てたカップ。無いよりはマシかと、いちおう拾い上げた。

 そこで覚悟が決まったのか、パライソはドスンと乱暴に座った。

 まずは武器の手入れからである。

 敵は人間だけではない。山猫だってここら辺では人を襲う猛獣なのだ。

 銃の中はやはり空っぽだった。銃身に沿うようについているエジェクタを使って、空薬莢を捨てた。

 普段ならベルトに装飾のようについているはずの予備の弾薬すら周到に抜かれていた。

「あいつも細かいな」

 しばし独りごちてから、パライソは右のブーツに取り掛かった。きつめのソレをひっくり返りながら脱ぐと、逆さにして振った。カラコロと石が入っているような音がして、しばらくするとコロンと取って置きの一発が中から転がり落ちてきた。

 それを念を込めるように、確実に右の銃へ装填した。

「よし」

 あとは歩くだけだ。



 ●S-8 荒野


 太陽の方向で東西南北を確認すると、パライソは歩き出した。

 灼熱の荒野。野生のバッファローですら渇死する事がある過酷な環境である。

 しかし彼は、喉に渇きを覚えると、地面をある程度掘った。ちゃんと見当をつけて掘っていたと見えて、まるで痩せたジャガイモのような球根を掘り当てた。

 それを落ちている石で細かく叩き潰し、その繊維質の残骸を握りしめた。

 潰したそれを頭上に掲げて、口に向かって親指を立てると、繊維質から搾り取られた水分が、その指を伝って流れ始めた。

 貴重な水分を一滴も零さないように口に含んだ。

 しばらく歩くと、地平線に一筋の煙が上がっていた。

 どうやらサムライが今夜の寝る準備を始めたようだ。

 馬で移動するにしても、普段はそんなに速度を上げたりしないので、追いつくことができたのだ。

 渇死しないように水を得る方法をパライソが知っているとは思わなかったのかもしれない。

 陽が沈むまで慎重に近づき、その野営地に辿り着いたのは、星が瞬くようになってからであった。

 月は早めに沈んでしまった。星明りだけで遠くから確認してみると、大きめの岩陰に黒い影があった。

 消えた焚火に、その側で毛布にくるまっている一人分の人影。大きさから間違いなくサムライである。どうやらトトとは合流しそびれたのか、彼女の姿は見えなかった。

 いったん岩の間へ横になって身体を休める。襲撃するなら夜明け直前が一番成功しやすいことを経験的に知っていた。優男と呼ばれるような外見だが、彼だって無法者の一人なのだ。

 頃合いを見て、周囲に罠が仕掛けられていないか確認しつつ、パライソは横たわっているサムライに近づいた。

 暗い星明りでも特徴的な顔つきが毛布の隙間から突き出されているのがわかった。

 ただ驚いたことに、あれほど慎重に近づいたつもりだったのに、サムライの双眸(そうぼう)はしっかりと見開かれていた。

「よう、ひさしぶり」

「ひさしぶりだな。一日経っていないようだが」

 どのくらい前から気が付いていたのだろう。とりあえずパライソは銃口をサムライに押し付けた。

「なんだ? 弾の無い短筒で凄んでも恐くはないぞ」

 のんびりと上体を起こすサムライに、凄みのある笑顔を見せてから、パライソは岩の上に乗っていた小さな石へ銃口を移した。

 朝日が昇ってきたので、そんな細かい物を狙うことに難しいことはなかった。

 パライソは取って置きのはずの一発で、その小石を打ち抜いてみせた。

「残念だな。弾はしっかりと込めてあるぜ」

 弾け飛んだ石にサムライは驚いた顔をしてみせた。

「どうやったんだ」

「まあ秘密ってやつだよ」

 硝煙が収まらない銃口を再びサムライに向けて、パライソは微笑みの種類を変えた。

「荷物は全部置いて行きな」

「ふむ」

 ちょっと悩んだように無精髭を撫でるサムライ。

「刀もか?」

「今やりあおうってんなら無駄だぜ」

 確かに、どんなにサムライが凄腕でも、銃口を向けられた状態から無傷に反撃は難しいと言えた。しかも向こうは中腰とはいえ立っているし、こちらはまだ半分毛布の中である。サムライにはパライソの銃に、あと何発の弾が残されているか判断できなかった。

「刀もか」

 至極残念そうにサムライは言った。

 日本刀は武士の魂である。西部のガンマンであるパライソにはそれが理解できなかった。

 刀を取り上げて、これ見よがしに鞍へ結びつけると、荷物を奪ったパライソは馬に跨った。

 振り返ると、三度笠だけで心細そうにサムライが立っていた。

「もし神に慈悲があるならば、生き残ることができるさ。それとも今オレに撃ち殺されたいかい?」

「…」

 サムライは黙って肩をすくめた。

 パライソは高らかに笑い声を上げた。それを悔しそうに聞いていたサムライが嫌々口を開いた。

「なんと送り出すんだったか? ああ『豚に噛まれて死んじまえ』だったか」

「あばよ」

 パライソは笑いながら馬を進めた。その影が視界の中でだいぶ小さくなり、拳銃の射程から外れた頃、サムライもトボトボとその後をつくように歩き出した。


 荒野をトボトボと歩くサムライの行く手に入道雲が現れた。

 どうやら荒野はこれから嵐になるようだ。

 風が吹き出したと思った途端、それは視界を奪う砂嵐に変わった。すぐに世界を砂色で染めたように、なんにも見えなくなった。

 サムライが気が付くと、前方に何かの影があった。

 取り敢えず風よけになるかと思い、迷わずその黒い物体に近付いてみた。

 それは馬車であった。

 駅馬車などで使われる相当大きな物であったが、馬は一頭も繋がれていなかった。

 よく見れば、そこかしこに真新しい着弾痕があった。

 どうやら無法者に襲われた後の駅馬車のようだ。馬は馬車を捨てて逃げ去ったのか、それとも無法者に奪われたのか。御者や客はどうなったのであろうか。サムライには分からなかった。

 こんな砂嵐の中では人探しなどできそうもなかった。

 サムライは外よりマシであろうと、馬車の扉を開いた。

 床に少年が仰向けに転がっていた。まだあどけなさが残る目には、自分の身に起きたことを未だ信じられないとばかりに見開かれていた。

 その眉間には銃創がはっきりと刻まれており、口元からも血が流れだしていた。

「南無妙法蓮華経」

 サムライが手を合わせ瞼を下ろしてやった。

 車内にはもう一つの人影があった。

 後部座席にだいぶ斜めになって座っている男であった。

 サムライは最初その男も死んでいると思ったが、彼の気配で呻き声を上げたので、生きていることが分かった。

「どうした」

 サムライは男の横に座った。

「襲われたんだ。五人組だった」

 力のない声で男は答えた。

「横になった方が楽か?」

「あ、ああ」

 サムライは腰を浮かすと、まずは少年の亡骸を寄せて自分の立つ位置を確保し、男に手を貸して柔らかい座席に横たわらせてやった。

「ここいらの無法者は、騎兵隊が掃除したはずなんだが」

 男は苦しそうに言った。

「まあ、食い詰めた者は増えることがあっても、減ることはまず無いだろう」

 サムライは彼にしては饒舌に受け答えした。

 じっと男を横たえる時に差し出した自分の右手を見る。そこにはベットリと血がついていた。

「へへ、情けない。お宝が待っているっていうのによぉ」

「お宝?」

 サムライの眉がピクリと動いた。

「ああ、お宝さ…。お前さん…みたいのでも…遊んで暮らせるほど…金貨を埋めてあるんだ」

 男の声が急激に細くなっていった。

「ちくしょう…。ここまでか…」

 男は哀しそうに声を振り絞った。

「お前さんに…、頼みがある…」

「拙者に出来ることならば」

「ホワイトスプリング…教会に、俺の…娘が…る。あの子に…届けて欲し…。全部…じゃなくていいんだ。あの娘…暮らしていけるだけで…。あとは…お前さんの取り分で…いいから」

「わかった。ホワイトスプリングの教会だな」

「ああ…、ああ…」

 男はガクガクと何度もうなずいた。

「お宝は…」

 とうとう男は今際の際を迎えたらしい。唇が何度も空振りした。

「…墓地の…に」

 サムライは慌てて口元に耳を当てたが、しっかりと聞き取れなかったようだ。残念な顔をすると、被っていた三度笠を外し、手を合わせた。

 風の音に彼の唱える題目が混じった。それが終わるのを待っていたわけではないだろうが、砂嵐はそれから程なく止んだ。

 男とは反対側の座席に座り天候が安定するのを待っていたサムライは、馬が近づく気配に顔を上げた。

 破れた窓から見ると、今朝方別れの挨拶をしたパライソであった

 どうやら砂嵐に巻かれて道を見失ったようだ。

「なんだこりゃ」

 パライソは周囲を見回した。すぐにここで何があったのかを理解したようだ。

「よう」

 サムライが窓越しに声をかけると、ギクリとして振り返った。

「なんだ、あんたか」

 咄嗟に腰の銃へやった手を外して、パライソは中途半端な微笑みを見せた。

「あんたがやったのか」

「そんなわけなかろう」

 サムライは答えが分かり切っているのに訊いたパライソに、ちょっとだけ声を荒くしてみせた。

 そして迷ってから訊ねた。

「少しばかり手を貸す気があるか?」

「あんたも、たいがいお人好しだな」

 パライソは腰にやった手を外して微笑んだ。

 このまま自然が痕跡を片付けるのに任せても、荒野のド真ん中である。誰が困るわけでもないが、サムライは馬車からそう離れていないところに穴を掘りだした。

 パライソは車内から死体を引きずり出(し、まだ金目の物が残っていないか探)す役である。

 一つは小さい穴。これは床に倒れていた少年の分である。

 もう一つは自分の背丈と同じぐらいの穴。これは座席で亡くなった男の分である。

 もう一つ穴を掘るかどうか悩んでいると、何やらパライソが声を上げていた。

「おい! おい! しっかりしろよ!」

 どうやらすでに亡くなったと思っていたが、まだ早かったようだ。せめてもの慈悲に、パライソが水筒の水で顔を拭ってやったことで、意識をしばし取り戻したようだ。

 パライソは熱心に彼の口元へ耳を寄せていたが、やがてがっくりと男の全身から力が抜けた。

 今度こそ黄泉路へ旅立ったようだ。

「なんと言っておった?」

「なんでも、お宝を届けてくれだとか」

「拙者の聞いた話しと同じだな」

「なんでも墓に金貨を埋めたとか」

「らしいな」

「でも墓地の名前だけ聞いてもな」

「拙者が聞いたのは墓碑銘だけだが…」

 何気ない様子でサムライが呟くと、パライソは呆けたように彼の顔を見た。

 しばし見つめあった。

 どちらともなく右腕を突き出すと、握手より親愛を示すためか、肘同士で深く組み合わせた。

「相棒! やっぱりオレたちは二人で組んでなんぼのもんだよなあ」

「ああ」

 サムライに笑いかけるパライソの目は、口元と違って全然緩んでいなかった。どこの墓地だけ分かっていてもお宝は見つけにくいが、墓碑銘まで分かれば掘り返すのは簡単だと、その目が語っていた。

「他に手がかりは無いのかな」

 パライソは男の身体を探り始めた。

「あまり良い趣味ではないぞ」

 死体漁りが良くないのに、洋の東西はなかった。

「ちぇ。地図くらい持ってろってんだ」

 パライソは男が着ていた“背中に籠手の刺繍”が入った服を脱がせはじめた。

「おぬし、何を考えておる」

「これって騎兵隊の制服だろ。何かの役に立つかもしんねえ」

「そんなことをして、バチが当たっても知らんぞ」

 パライソの気が済んだところで、サムライは男の両腕を持ち上げた。パライソは男の両足である。そのままサムライが掘った墓穴に、その男の亡骸を放り込んだ。

 墓石に適当な石など無かったので、馬車の羽目板を引きはがして、少年の分とお揃いで立ててやった。

 二人は自分の馬に跨った。

 こうして馬首を並べるのが、随分久しぶりに思えた。

 サムライは自分の馬に括り付けてあった刀を取り上げると、いったん抜いて異常がないかを確認しはじめた。それを呆れるように見ていたパライソが訪ねた。

「まず、どこへ行く」

「次の町だ」

 サムライは迷わず言った。そこではトトが待っているはずだ。

「あんな女、いくらでもいるだろうに」

 パライソが呆れた声を上げたが、サムライは黙って手綱を握っていた。



 ●S-9 次の町


 二つの影は荒野を横切り、次の町へと辿り着いた。

 次の町と言っても先日パライソが処刑されそうになった町とそう大して変わらない。やはり通りに面して数件の店が構えられ、全体がどこか砂埃にまぶされたような印象だった。

 荒野から町に入るのに検問があるわけでもない。二人は馬首を並べたまま町の大通りへ進入していった。

 それを酒場のテラスから見ている人影があった。

 上品にグラスで果実酒を飲んでいるその人物は、容赦なく一家皆殺しどころか雇い主すら手にかけた『キース・百合・エンジェル』であった。

 金貨の隠し場所を知っている人物の足取りが、この町へ向かう駅馬車で途切れて、ヤケ酒と洒落こんでいたのだ。

 最初は興味なさそうに通りを行く二人を見ていたエンジェルだったが、片方が羽織っているマントが風でめくれ、その下に刺繍の入った騎兵隊の制服を着ていることが分かると、目の色が変わった。

「あの男がコッパーか」

 写真などまだまだ一般化される前の時代である。彼女が誤解するのも仕方がないことと言えた。

 コンビを組みなおした二人は、町で一番大きな酒場へと辿り着いた。水飲み場へ馬を繋いでやると、疲れていたのか馬たちはゴクゴクと水を飲み始めた。

 その胴を労わる意味で撫でてやってから、二人は店の入り口に向かった。



 ●S-10 新しい酒場


 二人してスイングドアを開けて入店すると、酒場には他に客はいないようだった。

「やっぱり、あんたの金を持ち逃げしたんじゃねえのか」

 パライソは表面的に気の毒そうな顔をしてみせるが、サムライは気にした風ではなく、ただ淡々と答えた。

「それはそれでいい結果だ」

「はぁ?」

 パライソはカウンタに着きながら、サムライを振り返った。

「どこまでお人好しなんだ」

 二人分のコインをカウンタに置きながら、パライソは目についた酒瓶を指さした。

 金に細かい彼の事だ。お宝を掘り返していざ分け前というときに、また不公平な条件を突きつけるための口実にするのだろう。払いを渋る気は全然見せなかった。

 パライソの指を見て、不愛想にニコリともしない酒場のマスタが、黙ったままグラスを準備した。

「あの娘も、拙者のような者に付きまとっていては、いずれ不幸になるであろう」

「は?」

「あんた」

 二人の会話を遮るように、グラスを置きながら口を挟んできた。マスタはサムライの異貌を遠慮なくジロジロ見て、見事に生やした口髭の下から声を捻り出した。

「見かけない顔だな」

「まあ、旅人って奴よ」

 会話を邪魔されたのに、不快感を全く外に出さずにパライソが気安く答えた。

「何でもいいが、面倒だけはごめんだぜ」

「拙者のどこが悪いのか、見当がつかん」

 余所者=やっかいごとという図式なのだろう。サムライはマイペースに無愛想であった。横に座る、女顔に満面の愛想笑いを浮かべるパライソを無視して、マスタはサムライに訊いた。

「先住民でもないし、メキシカンでもない。どこの者だ?」

「この店では、酒は呑まれる客を選ぶのか」

 サムライも無愛想だがマスタもそれに輪をかけた無愛想であった。口数が少ないわりに厳しい言葉が行き交った。

「いや」

 しかし、その受け答えのどこが気に入ったのか分からないが、それまでの仏頂面から一転し、目じりを下げたマスタは、もう一杯グラスに酒を注いだ。

「酒は客を選ばねえ。俺からのおごりだ」

 その男同士の会話を、パライソはちょっと凍った表情で聞いていた。どうやら争いごとに発展しないと理解したところで、いつもの笑顔を取り戻した。

 酒を注ぎ終えてカウンタの端へマスタが引っ込んだのを確認してから、口調だけ厳しくしてサムライに囁いた。

「前々から言っているが、あんたは目立ちやすいんだから、気を付けてくれ」

「何をだ?」

 不思議そうに訊き返してくる。これがハッタリで言っているならまだしも、素で言っているのだからやりにくい。パライソは余所行きの笑顔のまま、ちょいちょいと指でマスタを再び呼んだ。

 お代わりかと酒瓶を手にしてやってくるマスタに、明るい声で尋ねた。

「この町に、昨日あたりかな、先住民の女がやって来たと思うんだが」

「先住民の女?」

 眉を顰めるマスタに畳みかけるようにしてパライソは言葉を繋いだ。

「詳しく言うならソー族で、ライフルを肩にかけていたと思うんだが」

「あんたら、あの女の連れか?」

 訊き返してくる微妙なニュアンスが、なぜか非難するもののような気がして、パライソは愛想笑いを作り直した。

「いや、連れというか、まあ知り合いというか…」

「簡単に言え。あの女の敵なのか味方なのか」

 今にもカウンタの下から銃が出てきそうな語気の強さだ。

「味方だ」

 なんと誤魔化そうと冷や汗をかいているパライソの横で、サムライがあっさりと言った。

「なにがあった?」

「うちは、どちらかというと先住民お断わりな店なんだ。金はあると言って宿を取ろうとするから、うちの常連客と言い争いになってな」

「ふん」

 サムライは店内へ視線を巡らせた。西部の酒場らしく弾痕が一つもないというのは噓になるが、その中に真新しい物は見当たらなかった。

「喧嘩になりそうだったから、ちょうど通りかかった騎兵隊の兵隊さんに引き取ってもらったよ」

「騎兵隊?」

「おや? あんたもそうじゃないのかい」

 マスタはパライソの服を見て訊いた。

「いや、オレはもう引退した身なんだ」

 すらすらとデマカセが出てくるところは、詐欺で賞金首になった経歴が物を言っていた。

「なんだ、この町に騎兵隊の営舎があんのか」

「しばらく前に土地をめぐって諍いがあったんでな」

 それが月並みの砂嵐のような物だというような程度でマスタは言った。

「騎兵隊が常駐するようになって、もう半年になるか」

「じゃあ挨拶をしに顔を出さなきゃならないか」

 トトが心配であろうサムライの横顔を盗み見ながらパライソは訊いた。

「部隊の指揮官はどんな人だ?」

「なんでも大英帝国の退役軍人だとかで、名前はキャンベル大佐。だいぶ娘好きで有名だ」

 その言葉を全部聞かないうちに、サムライは席を立ち、傍らに置いた刀を手に取った。

「おいおい」

 後ろを見ずに歩き出す彼を慌てて追いかけながら、パライソはマスタに別れの挨拶を飛ばした。

 サムライには酒場の入り口で追いついた。

「なんだよ、そんなにあの女が大事か?」

 不思議そうにパライソは訊いた。

「金を預けて野放しにしたかと思えば、捕まったら助けに行く。だいぶ自分勝手だな、あんた」

「自分勝手とおぬしに言われる筋合いはない」

 厳しい目で睨みつけてからサムライは自分の馬へ歩き出した。

「それに、おぬしの首にかかった縄を撃ち抜くのは、あの娘の仕事であった」

「わかったよ」

 自分の首に縄の感触が戻って来たのか、パライソは大声を上げた。

「オレも行くからよ。今度また首に縄がかかった時は助けてもらうぜ」

「ふん」

 馬の手綱を取ったサムライの腕を再び押さえつけるようにして掴むと、内緒話をするようにパライソは言った。

「でも、騎兵隊の営舎に行ったら、喋りはオレに任せてもらうぜ」

「?」

「適材適所ってやつだ」

 そう言った直後に、まるで少女のような晴れやかな笑顔でウインクをしてみせる。これだからサムライは彼を信用しきれないのだった。



 ●S-11 騎兵隊営舎


 町からそう遠く離れていない場所に小高い丘があった。その上に周囲の荒野を睥睨するように要塞が造られていた。

 ただ要塞と言っても高さだけはある粗末な木の壁で、バラックのような複数の小屋を囲っただけなのだが。

 高い壁沿いには見張り台が複数建てられており、そこには青い制服に黄色いハンカチーフを巻いた兵隊が立って死角を作らないように見張りに立っていた。

 町側に唯一作られた門には、太い丸太を組み合わせて造られた格子状の門扉がしつらえてあったが、陽が高い今は開いたままとなっていた。

 埃っぽい道を二人で馬首を並べて進み、正面から堂々と近づいていく。不時の訪問者として見張り台から連絡が行ったのであろう、その制服に埃一つ付けていない金髪の伊達男が、門の所で二人を出迎えた。

「こんにちは」

 にこやかにパライソが馬上から挨拶した。

「この地に騎兵隊がいるって聞いたもので、懐かしさに寄ってみました」

 そう言いつつ自分のマントを少しめくって見せる。もちろんその下には駅馬車で亡くなった男から剥いだ制服を着ていた。

 ただ背中には派手な刺繍が施されているし、着ている服だって上着だけである。上下青色で揃っている本物の騎兵隊とは違い、ズボンは自前の物だ。

 自分が兵隊であると身分詐称するにはちょっと無理があるが、退役者で通す分には問題がない恰好であろう。

「おお、にいさん。あたしたちの部隊ん要塞にようこそ」

 パライソが無駄に弁舌を振るわなくても、その出迎えた兵隊は、そう誤解してくれたようだった。

「だいぶ若いが、どこに居たんだ?」

「北だ」

 さすがに曖昧にならざるおえない。馬脚が現れる前に鞍から飛び降り、その兵隊と握手を交わす。

「北ちゅうと、第十六騎兵隊かいな? そら若いのに苦労したんどすね」

 ちょっと気の毒そうな顔をして見せる相手に合わせて、沈痛な顔をしてみせる。

「まあ、色々と。オレはパライソ」

「あたしはルロイ・パーカ中尉どす。お連れんかたは?」

「東の国から来た異邦人だ。オレはサムライって呼んでる」

「…」

 サムライも話しを合わせるという約束を思い出したのか、馬を降りて中尉と握手を交わした。

「ええと、さっそくだが部隊の指揮官に挨拶だけでも済ましておきたい。どちらにおられる?」

「大佐は」

 ニヤリと中尉は下卑た嗤いを浮かべた。

「お楽しみん最中どす。お会いになるかどうか分かりまへんで」

 今すぐに走り出したい欲求にかられたが、後ろからパライソに腕を掴まれた。

「それじゃあ、しばらく待っていないとダメかな?」

「ちゃう」

 気安い調子で中尉は首を縦に振ってみせた。

「新しい玩具を自慢したがるんが夫人の癖そやしな」

「?」

 言っている意味が分からず、二人は顔を見あわせた。


 馬を部隊の厩舎に預け、二人は要塞の中心にある木造の建物に案内された。寂れた教会ほどの広さしかないそこには、ささやかな事務室と、その奥に指揮官の執務室や私室が備わっているようだ。

 数人の兵隊がつまらなそうに書類を捌いている事務室を抜け、鼻毛を気にしている副官が座る執務室前室に着いた頃、その奥の扉の向こうから嬌声(きょうせい)のような、女が上げる放蕩な声が聞こえてきた。

 再び顔つきが変わったサムライの腕を掴みなおして、パライソは副官にも愛想笑いを振りまいた。

 中尉は部屋から漏れる声にも関わらず扉をノックした。

「入りたまえ」

 嬌声に負けない音量で、錆びついた声が聞こえてきた。

 扉を開けた中尉が招き入れてくれた。その間にもサムライはどう抜刀し、どう逃げ出すかを考えていた。

 中尉の肩を押しながら入室すると、そこに白いドレスを着た美人が困ったように立っていた。

「やっぱり似合う」

 すぐ横で甲高い声がしたので振り返ると、年配の女性が両手を合わせて感激した声を上げていた。

 こんな急造の執務室にしては、まともな調度に着いている初老の男性も、満足そうにパイプをくゆらせていた。

「?」

 殺気立っていた自分がバカらしくなり、サムライは改めて室内を見回した。

「キモサベ!」

 白いドレスの女性が嬉しそうにサムライの傍らに駆け寄り、彼の腕を取った。

 そこまで近づいて、やっと彼はその着飾った女性がトトだということに気が付いた。

「これは?」

 パライソは笑っている初老の男性に恐る恐る訊ねた。

「おや、その娘の知り合いかね」

 どこまでも陽気に、その初老の男性は訊き返してきた。

「すまないねえ。うちのワイフには、若い娘を着替えさせて愉しむという、ちょっと変わった趣味があるんだ」

「いいじゃないですか、あなた。よくお似合いですよ」

 どうやら扉の向こうまで聞こえていた嬌声のような声は、この年配の女性が発していたらしい。

 中尉はまったく動じた様子を見せずに、その執務机に着いていた初老の男性に耳打ちをした。

 この要塞では毎度のことなのかもしれない。

「君が第十六騎兵隊からきた者か」

 初老の男性が立ち上がると、陽気な様子をまったく崩さずにパライソに手を差し出した。

「この騎兵隊の指揮官のキャンベルだ。階級は大佐になる。こちらはワイフのケリィ」

「こんにちは」

 英国淑女がするように、指揮官の妻君は膝をちょっと屈めて挨拶をした。

「これは丁寧に」

 パライソは帽子を取って大佐と握手を交わし、片膝をついて淑女の手の甲へキスをした。

「君は珍しい格好をしているね。東亜細亜で従軍の経験があるが、そんな私でも見たことが無い」

 大佐はサムライの顔を覗き込んだ。アジア人に握手の習慣が無いことを知っているのか、無理にそれを求めようとしなかった。

「で、君は何のためにココへ?」

 大佐に見つめられてパライソは答えに窮した。今更トトを救いに来たというのも、おかしな話しになりそうである。トトは着せ替え人形のように指揮官夫人の玩具にされたようだが、酷い扱いを受けたようには見えない。話しの整合性を咄嗟に考えながら、パライソは自分の唇を嘗めた。

「ええと、オレた…、私たちは旅の途中なのです。そうしたら町で、騎兵隊がここいらに駐屯しているという話しを聞きまして。ええと、その。ただ通りすぎるのも何か無作法者のようですし、挨拶だけでもと」

「旅、とは?」

 まったく疑っていない目で大佐に見つめられても、外面に少しも動揺を見せないのは、詐欺師の面目躍如といったところか。

「墓参りですよ。墓参り。ほら、その。大統領もあんなことになっちまったご時勢ですから、ちょっと郷愁のような、昔のことを考える事がありましてね。ですから昔の仲間の墓参りに出かけたわけです。彼は道中のボディガードというわけです」

 パライソは背中にかいた冷や汗を悟られないようにか、笑顔でサムライの肩を軽く叩いた。

「おおそうか。第十六騎兵隊の事件は私も覚えているよ。それで墓参り。成程なあ。若いのに君は偉いな」

 しきりに感心する大佐に愛想笑いを三人揃って並べる。その表情を崩さずに、口先だけで発音したような囁き声でサムライはパライソに訊いた。

「その騎兵隊とやらの事件とは何だ?」

「オレが知っているわけないだろ」

 ニコニコと大佐の方へ笑顔を放射しながらパライソが答えた。サムライは表情を崩さないようにしながらも、呆れて相方の顔を見た。

「そういうことなら歓迎しよう。長旅の途中でよく寄ってくれた。だがなにより前線の基地であるゆえ、大したもてなしはできないが、今夜ぐらいは枕を高くして眠っていってくれたまえ」

「もう終わりですの?」

 夫人は残念そうにトトを見た。

「あ~」

 夫人の言葉に大佐は言いにくそうに言葉を繋いだ。

「もしよろしければ、そちらの娘さんには、もうしばらくワイフの道楽に付き合ってもらえると嬉しいのだが」

 その言葉にトトは泣きそうな顔になって二人を見た。

 二人はお互いの顔を見合わせた。

 サムライの顔が変に歪んでいた。どうやら笑いをこらえているらしい。

 パライソが言った。

「お付き合いしてあげなさい」


 丘に建つ要塞にも夕暮れが迫ってきた。

 日暮れと同時に要塞の入り口である丸太格子の門扉は閉められるはずである。その少し前から。夕闇を求めるような速度で、ロバの連なりがやって来た。

 先頭の手綱を取っているのは二人にトトの消息を教えた酒場のマスタであった。

 ロバの背には、酒や肴になりそうな食材が乗っている。そして後ろの二頭には、着飾った女が二人ほど、荷物の間に腰をかけて同乗していた。酒と女。軍隊が駐留するところには昔から欠かせない物である。

 もちろん当番の者は飲酒どころか居眠りも禁止なので、これらに用は無い。かと言って非番に当たった者は、連れだって町へそれらを求めて繰り出してしまうので、もうここには居ないはずだった。

 彼女らの狙いは、当番の者でも非番の者でもなく、営舎で待機任務についている連中のサイフなのだ。

 慣れているのか門の所で出迎えた兵隊は、その一行に夜の間だけ臨時の酒場となる食堂の方へ、顎をしゃくっただけで通した。最後のロバの尻尾が通過してから門扉が降りた。

 あらかじめ下ごしらえをしていたとみえて、酒も肴も次々に食堂のテーブルへ並べられていった。

 もちろん兵隊たちはマスタに声をかけながらそれらを手にしていく。払いは後に給料から天引きのようだ。

 それを喜んだのは兵隊たちだけでなく、パライソもであった。兵隊たちに混じってグラスになみなみと酒を注ぐ。彼の分の払いは誰がするのか、そんなことはお構いなしだ。

「揃いも揃ってバカ騒ぎが好きであるな」

 席を共にするサムライはつまらなそうに言った。トトの姿はまだ無かった。まだ夫人の玩具にされているのだろう。

「どこも兵隊なんて、こんなものだろう」

 その喧噪がまるで音楽のように聞こえるらしいパライソは上機嫌で言った。

「お、見ろよ」

 パライソが着物の裾を掴むので、何事が起きたのかと思えば、外で準備していた女たちが入って来たところだった。

 一人は真っ赤で派手な粧いで、口紅までまるで血のような色をしていた。

 もう一人は、その女とは対極に、黒い服に暗めの化粧をしていた。

 だが肌の張りや艶などで、赤い女は無理をして若作りをしているのが丸分かりであり、逆に黒い女は静かに微笑んでいるだけでも、若さで弾けそうな肉体をしていることが分かった。

 兵隊たちは次々に黒い女へ声をかけるが、ある者は容赦のない平手打ちで、ある者は曖昧な微笑みだけで断られてしまう。

「♪~」

 パライソは指笛を吹いて二人の女を振り向かせた。その内の一人が、マントを着けていない彼の背中に気を取られた。

「最高だな、あの女」

「そうか?」

 酔いも手伝っているのかだいぶ陽気な相方に、サムライは素っ気なくこたえた。

「拙者は、もう少し慎ましい女性が好みだ」

「あんたはトトと乳繰りあってろよ」

 パライソは黒い女にウインクを飛ばしながら口悪く言い切った。その言い草に眉を顰めたサムライの鼻腔を、花の香りのようなものが擽った。

 顔を上げれば黒い女が二人のテーブルにやってきて、パライソの顎に細く長い指を伸ばしているところだった。

「こんばんは」

 とても甘く囁くような声を出してきた。

「あなたは他の兵隊さんとは違うみたいね」

「まあな。オレはそんじょそこらの兵隊とは違うんだ」

 本人は格好いい切り返しをしたつもりだが、鼻の下が伸びきっただらしのない顔では、その正反対の感想しか出てきそうもなかった。

「それは…」

 思わせぶりに黒い女は、パライソの下半身へ目をやってから、改めて彼の目を見た。

「どういう意味なのかしら」

「いろんな意味さ」

「外で待っているわね」

 もうひとしきりパライソの顎を撫でた黒い女は、ブーイングを飛ばす兵隊たちに手を振りながら、食堂の裏手に消えていった。

「じゃあ、そういうことだから」

 そそくさとパライソはグラスを空にすると、その後を追って行った。

「ちっ」

 サムライはつまらなそうに舌を鳴らした。

 食堂の建物から出ると、外はまったく夜の闇になっていた。裏口から漏れる明かりの中で、目が夜に慣れていないためにパライソはキョロキョロとあたりを見回した。

「こっちよ」

 一方から声をかけられて、いそいそとそちらへ足を運ぶ。ちょっと前屈みなのは男の都合というやつだ。

 しかし行けども行けども女の姿は無かった。

「おかしいな…」

 パライソはちょっと残念そうに腰をのばした。

 食堂からだいぶ離れてしまった。あたりにある建物と言えば、まるで納屋のような造りの小屋があるだけである。

「しくったかな?」

「何してるの? こっちよ」

 引き返そうと思った時、その小屋の方から声がかかった。目を細めてよく見てみれば、小屋の扉が薄く開いているではないか。どうやら女はその中で待っているようだ。

「うえへへ」

 パライソの顔がだらしないものになった。とても人には見せられない顔だ。涎を拭うような仕草をすると、彼は足をその小屋に向けた。



 ●S-12 小さな小屋


「子猫ちゃん。まった?」

 だらしのない顔のままパライソは、その小屋へと足を踏み入れた。

 強烈なボディブロウにアッパーカットが続いた。

 突然の打撃に、為す術もなく地面が剝き出しの小屋の中へ転がってしまう。

「な、なんだ?」

 その問いに答えず、襲撃者は倒れているパライソの腹を何度も蹴りつけた。

「げげえ」

 せっかく呑んだ酒も、胃液と共に吐き出してしまった。

「そろそろいいか」

 冷たい調子で女の声がして、マッチを擦る音の後に小屋が明るくなった。その小さな火は平行移動して、ランタンが灯され、小屋の中は一層明るくなった。

「な、なんだ、おめえは?」

 そこに黒いドレスを着た女はいなかった。化粧の名残が少し頬のあたりに残っていたが、そこに居たのは黒い男装をした女、つまり『キース・百合・エンジェル』であった。

 狙っているお宝のヒントを持つ人物が騎兵隊の営舎に入っていったので、一計を案じて侵入して来たのだ。

 彼女の足元に乱雑に脱ぎ捨てられた黒いドレスが山となっていた。それが先程まで彼を誘っていた女の正体だとパライソも気が付いた。

「ふざけんな」

 パライソの右手が腰の銃にかかった。が、抜いたと思った途端に、その右手には尖ったブーツの爪先が食い込んでいた。

 エンジェルの見事な前蹴りで地面に落ちた銃には見向きもしないで、パライソはすかさず左の銃を抜いた。

 しかしエンジェルは、まるでダンスのようなステップをみせると、最初に放った蹴りの反動を利用して、パライソの左手の銃も蹴り飛ばしてしまった。

「あぐ」

 手首に変な力がかかったのか、右手で左手首を押さえる。その間にエンジェルは銃を抜くと、パライソの眉間に押し当てた。

「な、なんでしょうか?」

 いちおう言葉遣いに気を付けてみた。

「しらばっくれるなよ、コッパー」

 先程までの色っぽい表情が嘘のように、片頬だけで嗤ってみせる。

「金貨のありかはどこだ」

「さて?」

 この人物も同じ目的であると悟ったパライソは、とりあえず知らない振りをするつもりだった。

「コッパーさんよ」

 激しい舌打ちをしてエンジェルは首を横に振った。

「お互い長生きはしたいだろ」

「ま、まあ」

 曖昧に答えるパライソに、彼をコッパーと思い込んでいるエンジェルはグリップで彼を殴りつけた。

「ごぶ」

 金属の塊である拳銃で殴られれば口の中も切れる。パライソは地面に血を吐いた。

「おまえさんが金貨の在処を知っているって、ネタは上がっているんだ。それをチイとばっかり聞きたくてな」

「人に物を訊ねるにしちゃ、乱暴なスケだな」

 顎をさすりながらパライソは、せめてもの反撃とばかりに軽口をきいた。

「質問じゃねえんだ、これは」

 ニヤリと嗤ったエンジェルは、再び銃把でパライソを殴った。

「拷問ってやつよ」

 そのまま自分の言葉に興奮したかのように、エンジェルはパライソを殴り続けた。腕が疲れたら今度は蹴りを腹に叩きこんだ。最初の内は急所を庇うような動作をしていたパライソだが、時間が進むにつれて動きが止まった。

「もういいか」

 こちらも蹴り疲れて肩で息をするようになったエンジェルは、彼の胸倉を掴むと強引に立たせた。

 ぐいっと引き寄せて顔を覗き込んだ。

「いま死ぬのがいいのか? それとも金貨の場所を吐いちまった方がいいのか? 比べるまでもないだろ。もし素直に吐くなら墓掘りの手伝いくらいはさせてやるぜ」

「…」

「ああ?」

 なにかボソボソと言ったパライソに大声を被せた。

「勘弁してくれ…」

 ボロボロのパライソは力なくそう言っていた。

「おう。だったら金貨の場所を教えろ」

 パライソが再びボソついた。その唇に耳を寄せていたエンジェルの表情が明るくなった。

 その時、小屋の扉が乱暴に開けられた。

 振り返ると、そこに異貌の男が立っていた。

 やっぱりパライソが女にもてるなんて変だ、と気が付いたサムライであった。後を着けようとしたのだが、暗闇で見失ってしまって、今まで要塞内部を虱潰しに捜していたのだ。

 だがこの時の行動は、ココには敵しかいないという認識を持っていたエンジェルの方が早かった。

 掴み上げていたパライソの身体を投げつけ、それを受け止めるためによろついたサムライの脇を駆け抜ける。そこで綺麗な回し蹴りを放って二人の身体を小屋の奥へ蹴りこんでから腰の銃を乱射し、扉にも回し蹴りをかまして乱暴に閉めた。

 さらにすぐに追って来られないように、近くにあった木の棒でつっかえ棒までした。

 エンジェルが乱射した銃弾は、幸い二人に当たることはなかった。一発が屋内を照らしていたランタンに命中し、地面にそれを叩き落とした。

 ランタンは地面で完全に割れ、油を零すと火がそこへ移った。

 突然明るさが変わって、パライソは目を開いた。

「大丈夫か」

「なんだ、あんたか」

 へへへと自嘲気味な表情をしてみせた。

「たまにいい話があると、こんな様だ」

「死体漁りはバチが当たると申したであろう」

「かもな」

 サムライは火事になりそうな火の勢いに、避難しようとパライソへ肩を貸して立ち上がらせた。

 しかし扉に手をかけてもびくともしなかった。

 エンジェルが扉にかました木の棒が、ちょうど閂のように扉に作用していた。

「これはマズいのではないか?」

「かもな」

 小屋の中に何か無いかと見回してみれば、そこには不愛想な木箱が積み上げられているだけである。

「おい」

「なんだ」

 嫌な予感がして、英語の読み書きが苦手なサムライは、頭脳労働担当の相方に訊いた。

「この箱には、なんて書いてあるんだ?」

「DYNAMITE。つまり爆薬だな」


 …。


「火を消せ!」

「どうやって!」

「なんとかしろ!」

 二人は着ていた上着を脱ぐと、バンバンと火を叩き始めた。だが日頃の行いが悪いせいだろうか、火の勢いは衰えるどころか、かえって増しているように見えた。

 火の一端が木箱を炙り始めた。

「だめか…」

 パライソがまず手を止め、相方も地面に胡坐をかいた。

「往生際が悪いのはみっともなかろう」

 パライソは緊張のあまり白く変わった顔をサムライの方へ向けた。

「こんな時だから秘密はナシにしようや。オレが男に聞いた墓地の名前は、シルバーグースだ」

「『シルバーグース墓地』か」

 観念した顔になったサムライは無精髭を撫でた。

「拙者が聞いた墓碑銘は『ハリー・ロングボゥ』だ」

 サムライが告白した瞬間に、木箱が火花を吹きだした。パライソは地面に飛び込むように伏せ、サムライもその体勢にならった。



 ●S-13 火災現場


 小屋で火事が起きている様子は、要塞の壁沿いに設けられた見張り台からも確認できた。火事の直前に聞こえた銃声と共に、報告は大佐に届けられた。

 ただ、そこに爆薬が保管してあることは騎兵隊の誰もが知っていることであり、消火活動というより右往左往する者の方が多かった。

 屋根まで火が回った頃、大音響を響かせて小屋は空気の入れすぎた風船のように破裂した。

 その爆発の威力は、一番近くの要塞外壁をも吹き飛ばし、その音は離れた町で寝入っていた町民たちを叩き起こすには充分な物だった。

 爆風に、ある者は地面に叩きつけられ、ある者は吹き飛ばされた。

 そんな中を一つの黒い影が駆け抜け、損傷した外壁から荒野へ逃げ出していった。放火犯であろうその影を確認した者は少なかった。

 なぜなら要塞内に馬の嘶きが満ちていたからである。

 厩舎の中で火事に怯えて暴れる馬たちが、(くびき)を外して脱走したのだ。といっても閉じられた空間である要塞内に逃げる場所なんて無い。爆風のせいであちこちに飛び火した中を、馬たちは興奮したまま走り回った。

 その馬たちに、消火活動をしようとする者と、右往左往する者が巻き込まれたので一層パニックは広がっていた。

 走り回る一騎に人影が取り付くと、見事な手綱さばきで馬首を巡らせた。そのまま火災の横を駆け抜けて、先程外壁から脱出した人物を追うように走り始めた。

 兵隊たちは要塞内に燃え広がったそこかしこの炎に、井戸から汲み上げた水をバケツリレーして消火しようと奮闘していた。

 その上下左右が混乱した中を、地味な民族衣装のケープで身体を覆った小さな影が跨った駒が走り抜けた。その人物は、もう一騎の手綱も引いていた。

 一人と二頭は爆心地に走りこんだ。

 あまりの爆発に燃えるものが無くなったそこには炎が残っていなかった。そこに少し着物の裾を焦がしたサムライが、胡坐をかいて無精髭を撫でていた。

 爆発という物は上方へ向かう性質がある。半端な位置で立っているよりも、際で伏せている方が安全な時もあった。

 今回も偶然であろうか。そういった条件が彼に良い方向へ作用したようだ。

 サムライは近づいてきた一騎に跨ると、先に外壁から出ていった影を追うために馬首を巡らせた。手綱を短く持つと、手元に余らせた分をまるで鞭のように馬へ入れて全速力で走り出した。



 ●S-14 捨てられた町


 駒が一騎、廃墟となった町を進んでいた。

 この間までの内戦で戦場にでもなったのであろう、町に人の気配はまるでなかった。

 容赦のない太陽に焦がされた廃墟たち。それを眩しすぎる風景のように目を細めながら、男は周囲を見回した。

 酒場<コーモーディア>でパライソに手配書を突きつけた眼鏡の男である。

 仲間二人を打ち殺したパライソが絞首刑になるところを見てやろうと、彼はあの時広場に居た。しかし彼が見たのは、絞首台からまんまと逃げだすパライソの姿であった。

 やはり仲間の仇討ちは自らの手で行わなければならない。そう考えた男は、荒野に消えたパライソを追って馬を走らせたのだ。

 広大な荒野に入られては手がかりが全く無くなる、わけでもない。人間が生きていくために必要な水や食料を入手する方法も限られるので、必然としてどこかの町に寄らなければならなくなる。よって大雑把な方向の見当さえ間違えなければ、その足取りを追うことは不可能ではない。そして男はそうやってパライソの足取りを追っていた。

「ふうう」

 強烈な陽差しに喉の渇きを覚えた。

 廃墟となっても井戸などの設備は残されている可能性は充分に高い。気を付けなければいけないのは、軍が撤退する時に、そこへ毒を放り込んでいる時がある事だ。

 井戸はカラカラと回る風車で汲み上げられていることが多い。遠くから見えるそれは、見回せばすぐに見つける事ができるはずだった。

「!」

 こんな廃墟に人の気配を感じて、男は呻き声のような物を上げそうになった。

 井戸の周りに何やらガラクタを集めている人影があった。

 その脇には樽を割ったような水場があり、水を飲み終えた馬が一頭、呆れたようにその作業を見守っているようだ。

「?」

 こんな所で人間に会えたからといって、気軽に近づいてはいけない。それが無法者である確率の方が高いからだ。

 男は廃墟の影で馬から降り、不用意に嘶かないように安心させるため馬の肩を叩いてやりながら、慎重に目だけを出して観察した。

 廃墟のどこから持ってきたのかバスタブを地面に直接置き、その周りにはツイタテが並べられていた。

 その正体不明の者は、馬に向かって語り掛けていた。

「そんな変な物を見るような顔をするなよ」

 その陽気な声に男は聞き覚えがあった。間違いなく彼が捜していた男『パライソ・優男・ジョンソン』だ。

「どんな時も身だしなみは大切にしろって、死んだバアサンの遺言なんだからさ」

 適当な手桶でバスタブに水を張っていく。どうやらこの廃墟の中で行水と洒落込む様子だ。

 もちろん行水するのに服を着たままでは入れない。全部脱いでさらに腰に巻いたガンベルトだって外さなければならないし、銃だって濡らすわけにいかないから手元から放さなければならないはずだ。

 それは仲間の仇を討ちたい男にとって絶好のチャンスと言えた。なにせ反撃の心配をする必要が無いのだ。

 男は紙巻きタバコを取り出すと、マッチを廃墟の壁に擦りつけて着火し、うまそうに煙をくゆらせ始めた。ここはじっと好機を待てばいいのだ。

 見る間に用意は終わったらしい。どこで拾ってきたかわからないが、液体石鹼をバスタブに張った水に溶かしこみ、柄付きブラシでかき回して泡立てた。

「うん、ばっちり!」

 自画自賛したパライソは、これまたどこからか拾ってきたツイタテを引き寄せて目隠しとすると、布ずれの音を立て始めた。

 清潔と思えない上着やズボンがバサリバサリと内側からツイタテにかけられた。もちろんその中には、あの羽を広げた白鳥が彫刻されたグリップが覗く二丁拳銃を収めたガンベルトもあった。

「もういいだろう」

 いつも横にいた仲間たちに話しかける癖がこんな時にも出た。男はタバコを指で握りつぶして火を消すと、そこらへんに残りを投げ捨てた。

 銃を抜いてから、慎重に足音を立てないようにゆっくりと近づき始めた。

「♪~」

 ツイタテの向こうから鼻歌が流れてくる。男はツイタテに銃口を向けた。

(待てよ)

 引き金を引く前に思い止まった。

(確実に、あのニヤケ顔に鉛弾をブチこまなければな。それに嗤いものにするのもよさそうだ)

 苦労してここまで追ってきたのに、最後の最後に焦って逃したら仲間に申し訳が立たない。男はゆっくりと、そこだけツイタテの間隔が広く取られていた『入口』から姿をさらした。

「???」

 首まで泡に埋もれていたパライソは、これまた拾い物らしい歯ブラシで歯を磨いている途中だった。突然視界に男が銃を構えたまま現れたので、彼の動きが止まった。

「よう」

 男はパライソに笑いかけた。

 パライソは相手を刺激しないように、ゆっくりと歯ブラシを口から引き抜いて、泡の混じるバスタブで口を漱いだ。

 口から吐き出した水が彼の身体を覆っていた泡の一部を消し去り、男とは思えないほどの白い肌を外気にさらした。だが胸の膨らみなど一切無いので、男が見ていてもつまらないものだった。

「こんにちは。ええと? どなたでしたっけ?」

「おいおい、俺を忘れたのか?」

 チラチラと銃口を見せびらかすように揺らしながら、男が訊いた。

「すまないが、そこだと影になって顔が見えないんだ。ちょっと横にずれてくれるか?」

 仕方なさそうに男は少しだけ右にずれてやった。光の具合がわずかに変わり、パライソからも男の顔がはっきりと見えるようになった。

「ええと、確かオレの賞金目当ての三人組だったな。お仲間はどうした?」

 こんな時だというのに酒場<コーモーディア>で出会った時と同じく余裕のある態度でパライソが訊いた。

「ちょっと先に行ってるぜ」

 男の方も後は引き金を絞るだけなので余裕を持っていた。銃口は間違いなくパライソの心臓に狙いが向いていた。

「なんだ、置いて行かれたのか。薄情なお仲間なんだな」

「いや待っているはずだぜ、おまえの事を。地獄の入口でな」

「おいおい」

 泡の中で肩をすくめる仕草をしてみせる。

「そんな物に頼ったら、折角の賞金が半分になっちまうぜ」

「もう、そういった話じゃなくなったんだよ」

 男の殺気が高まり右手に力が込められた。

 その刹那、銃声が廃墟に響き渡った。

 男は信じられない物を見るような顔で、パライソを見おろしていた。そしてゆっくりと振り返った。

 ツイタテにかけられたガンベルトから硝煙が上がっていた。よく見れば、ガンベルトに収められたままのピースメーカの銃口はこちらを向いており、その引き金にヒモが括り付けられていた。ヒモのもう一方の先は泡だらけのバスタブに消えていた。

 男はもう半回転してパライソに向き直った。彼が得意そうな顔をしてヒモを両手で握っているのを見ると、そのままバタリと地面に倒れた。

 パライソが男に声をかけて横に移動させたのは、こういう罠が仕掛けてあったからなのだ。死神の足音を聞きながら、男は自分の不覚を悟った。

「まあ、風呂に入るにしろ無防備というわけにゃいかんからな」

 パライソが馬に話しかけているらしい声が、男がこの世で認識した最期の物だった。



 ●S-15 シルバーグース墓地


 砂埃だらけの荒野。そこが他と違う場所になったのは、町の水源から離れた方角にあったという、単純な理由であった。

 枯れ木が二、三本だけ、カラスやハゲタカが止まるために存在するかのように残された低い丘。

 そこがシルバーグース墓地であった。

 その一角を、一人の男が両手を使って掘っていた。

 強かに生き残った『パライソ・優男・ジョンソン』である。なにより悪運だけは強い男だった。

 陽に焼けた地面に軽い火傷を負いながらも一心不乱に素手で掘っていた。

 その目は欲望に染まっており、近くでカラスが鳴き声を上げても振り向かないほどだ。

 なにもパライソは墓掘りの仕事をしているわけではない。その証拠に、彼の前に一つの墓石が立っており、そこには「ハリー・ロングボゥ。ここに眠る」と刻まれていた。

 陽はだいぶ傾いてきたとはいえ、まだまだ高い。こんな昼間から堂々と墓荒らしとは、彼の度胸も半端なかった。もしかすると夜の方が、かえって度胸がいるのかもしれないが。

 この時間に彼が発掘作業に勤しんでいる理由は単純だ。騎兵隊の要塞でサムライに墓碑銘を聞いてから、あらゆる障害を全速力で越えて、辿り着いたのが今だからである。

 荒野とさして変わらない環境に、ひいひいと顎を上げて動かす手が鈍くなった。

 それを待っていたかのように、彼の傍らにシャベルが突き立てられた。

 突然現れた影にパライソは面を上げた。

 そこにサムライが立っていた。右手には仕方なさそうにピースメーカが握られており、銃口が真っ直ぐと向けられていた。

「動くな」

 何か言おうと息を吸っただけで制された。

「恐い顔すんなよ」

 身体を硬直させたまま、声だけは気安い調子で話しかける。

「この距離だ。拙者が短筒が不得意でも外しはせん」

 いつかと同じセリフをサムライは口にした。

「拙者は短筒などには頼りたくないのだが」

「あんたにしちゃ賢明な判断じゃネエか」

 目の前でハンマがコッキングされた拳銃をどうにかしても、遠くからライフルで狙われているような錯覚を得て、パライソは周囲を見回した。

 人の首にかかった縄を撃ち抜けるなら、人体に当てるなど容易なはずだ。

「いつも思うんだが。あんた、オレを始末しようとする時は、あの娘を遠ざけるのな」

「わざわざ、あの娘の目を汚す必要はない」

(つまりトトをここまで連れて来てはいないということか)

 パライソはそう判断した。

「おいおい。先に来て掘っただけで裏切者扱いか?」

「おぬし、一人で抜け駆けしたではないか」

 どうやら要塞での爆発後、とっととここにやって来たことが気に入らないようだ。

「じゃあコンビは解散か?」

「そういうことになるな」

「で?」

 片方の肩を竦めてみせて確認してみた。

「そのハジキでオレを撃つつもりかい」

「ふう」

 溜息で頬を膨らませてサムライ。

「こんな物では無粋…」

 彼が言い切る前に、鋭い銃声と、金属同士がぶつかり合う硬い音が響いた。サムライの手の中から銃がすっぽ抜け、埃だらけの地面に落ちた。

 それを隙と取ったパライソが、その落ちた銃を拾い上げようとするが、続く銃声に動きを止められた。

 二人の目の前で、その銃はフレームに受けた衝撃に耐えられずに、歪んだ鉄の塊となった。

 それにパライソは気付いた。ハンマをコッキングしたピースメーカを地面に落としたら、間違いなく暴発するはずだ。それが無かったということは、最初からこの銃には弾が込められていなかったのだ。

 ゆっくりと、申し合わせたように二人して顔を上げた。

 二人の間に何かが投げ入れられた。

 投げ込んできたのは『キース・百合・エンジェル』であった。

 先程見回した時に人影が無かったが、どうやら偶然か故意か、丘の影で見えなかったようだ。

 彼女に握られた銃は硝煙をくゆらせていた。

「ふ」

 彼女が二人の間に投げ込んだのも、シャベルであった。

「二人で穴を掘るのに喧嘩になっていたようだからな、取り合いにならないように、もう一本シャベル貸すぜ」

 サムライとパライソは顔を見合わせて同時に肩をすくめた。こんな時だからこそ呼吸が合ってしまうのは、長くコンビを組んでいたからか。

 男二人が道具を使って掘り出すと、流石に仕事は早く進み、陽が傾き始めた頃にはハリー・ロングボゥの棺桶は掘り返されていた。

「おまえら下がってろ」

 作業の間に弾の補充をしていたエンジェルが、二人を一歩下がらせた。充分に離れたと判断したところで棺桶に取り付き、その蓋に手をかけた。

 一仕事を終えて休憩するという調子で、葉巻に火を点けながらサムライとパライソはそれぞれ距離を取った。

「どういうことだ」

 眼球に血をほとばらさせエンジェルが振り返った。今にも銃を乱射しそうな様子に、恐る恐るパライソは首を伸ばし、墓穴の中の暴かれた棺桶を覗き込んだ。

 そこにはボロを纏った男の死体が納まっていた。

 パライソも素早くサムライを振り返った。

 サムライは心底おかしそうに笑い出した。

「なにがおかしい」

 エンジェルは銃口を彼に向けた。

「話しを最後まで聞かんと、無駄な労働をすることになる」

「これはなんだ」

「ハリーさんだろ。墓石が読めないのか?」

 離れた位置からパライソが訊いた。

「あんたが、この名前を言ったんじゃないか」

「まあ、色々あったからな。拙者とおぬしの間には」

「予防線というわけだ」

 サムライの足元に一発発射して、エンジェルは言葉鋭く訊いた。

「本当はどこに隠してある」

 その問いを予想していた様子で、サムライは手にした大きめの石を振った。

「この裏に記した。本当だ」

「それを、お寄越し」

「そう、それだ」

 サムライはそう指摘しつつ、字を書いた面が裏になるように、二人の反対側に放り投げた。

「ここは三人とも金貨を独り占めしたい者同士、公平に決闘でカタをつけようではないか」

「本気で言っているの?」

 エンジェルは刀を左手で提げている他は丸腰に見えるサムライに、疑うような目を向けた。

 さりげなく距離を取っていたパライソは二丁拳銃だが、この異国の男には、他にもう武器は無いように思えた。

「このままでは三すくみであろう。日を改めても、おそらく殺し合いになるのは変わらん。だとしたら今この場で決着をつけるのが分かりやすくて良い」

 どうやら一番不利に見えるサムライは納得の様子である。

「それに場所も丁度いいぜ」

 パライソも陽気に言った。

「墓場なら、片付けるのに手間が省けていいや」

 確かに、この先に埋葬する予定があるかのように、すでに墓場には墓穴がいくつも掘ってあった。その墓穴の端に立って、この男は自分だけ生き残る気が満々のようだ。

「いいだろう」

 エンジェルは自分の銃に残された段数を計算しながら、二人が同時に視界へ入る位置にと移動し始めた。

 刀しか持たないサムライ。

 二丁拳銃のパライソ。

 すでに一発使ってしまったエンジェル。

 風が三人の間を走り抜けた。その緊張感は人間だけが感じているのではなく、鳥たちにも伝染したらしい。カラスがまるで断末魔のような声で大きく一声鳴いた。

 それが合図だったというわけでもないだろうが、サムライは手にしていた吸いかけの葉巻を投げ捨てると、左手に提げた刀の柄に右手をかけ、ゆっくりと移動を開始した。

 二人の敵を中心にするような円軌道で、墓石の間を行く。最初は歩いていたが、段々と速度を上げて、最後は全速力になっていた。

 撃ち合いには自信があるが、どう戦いを挑んでくるか分からないという恐怖からか、エンジェルがサムライに向かって発砲した。

 それは二人の間にある墓石の一つに弾かれた。

 パライソはその銃声と共に傍らの墓穴に飛び込んだ。そして慎重にホルスタに入れっぱなしの二丁拳銃を確かめていた。間違いない。全弾装填済みである。

 一対一ならば敵わないかもしれないが、彼には勝機が見えていた。

 酒場<コーモーディア>で三人の賞金稼ぎに喰らわせた連射技術が彼にはあった。二丁拳銃で行うその射撃密度は、軍隊で使うガトリングガンに匹敵するほどだった。

 一人一人ならばその技術が活かせないかもしれないが、サムライがエンジェルに斬りかかった瞬間ならば、その技術が意味を持つ。彼はその瞬間に、二人同時に穴だらけにしてやろうと考えた。

 最初は刀一本で銃を持つ自分に挑むなんて無謀な男もいたものだと、嵩をくくっていたエンジェルであったが、こうしてサムライと向き合って全くの誤解であったことを思い知った。

 拳銃弾では撃ち抜けない墓石の間を高速移動するサムライを、狙い撃ちにするどころか足止めすることすらできないではないか。

 しかも、この男を倒しても後一人倒さなければならない。それまで弾を節約をしなければならない。もちろん腰のガンベルトには予備の弾が差してあるが、新たに装填している隙があるかどうか分からなかった。

 彼女は慎重に銃口を移動させた。

「そういうことか」

 エンジェルには自分を中心として進むサムライの円軌道の意味がようやく分かった。傾いてきた陽が、視界を赤と影の黒の二色に変えていた。

 地平に近付いた陽が彼女から見て逆光となり、これでは正確な射撃など難しくて出来やしない。サムライはその夕陽の中で、進行方向を自分に向けた。

 その影が大きくなってくる恐怖に、弾を節約しなければならないという計算が吹き飛んだ。地上の陽炎でゆらめく真っ赤な夕陽の中から、接近する黒い影に向けてエンジェルは引き金を絞った。

 距離も狙いも、逆光であろうとも必殺の一撃だった。

 飛んで行った鉛弾は、だが鋭い音を立てて跳弾した。

 サムライの影と重なったため彼女には見えなかったのだが、二人の間には墓石がもう一列だけ残っていたのだ。彼女が放った必殺の一弾は、その墓石の縁を削っただけだった。

「やろう!」

 その墓石を踏み台にして、高く舞い上がったサムライを追って、銃を差し上げながら最後までエンジェルは諦めなかった。

(いまだ!)

 それを見ていたパライソは、夕陽の中でそう確信した。

 彼の視界の中では、彼がそう望んだ通りサムライがエンジェルに斬りかかっていた。

 それまでエンジェルの狙撃を恐れて、墓穴に隠れていたパライソであった。しかし勝利を確信した今は、墓穴から這い出して仁王立ちとなり、左右の二丁拳銃を抜いていた。

「くらえ!」

 テンポよく、銃の引き金を絞ったら、発射の反動で跳ね上がる銃口を目標に戻しながらハンマを親指でコッキング、それが終わり次第再度引き金を絞る。左右左右とカスタネットを操るように、まるで音楽を奏でるように。

 重なった二人の影が、目標を外れて落ちた弾が巻き起こした土煙で見えにくくなった。

 彼は勝利を確信していた。

 土煙が納まると、彼の狙い通りユラリと人影が地面に倒れた。

「!?」

 その向こうから、膝をついていた人影が立ち上がった。

 左手に鞘。そして右手には抜身の日本刀。頬には誰かの弾が掠めたのか、うっすらと血の筋が滲んでいた。

 だが、それだけだった。

 サムライは、エンジェルに斬りかかりながら、パライソが二丁拳銃で見境なしに撃ち込んでくることを予想していたのだ。よって彼との射線に彼女の身体を入れていたのだ。

 それをパライソが悟ったのは、サムライが鞘を投げ捨ててこちらに走り出した時だった。

 一旦エンジェルの所で足を止め、その口元に左手を当てて息を確認してから、手の中で返した刀を両手持ちにして駆け込んできた。

「ちくしょう!」

 パライソはサムライに向けて引き金を引いた。左のピースメーカのハンマが落ち、無情にも金属音だけを響かせる。そして右のピースメーカも同じ音を立てた。

 勝利を確信していた彼は、全弾を発射してしまっていたのだ。

 大上段から斬りかかってくるサムライに、せめてもの抵抗とばかりピースメーカを頭上で交差させて受け止めようとした。

「じぇい」

 端から聞いているとマヌケな気合と共に、サムライの刀は振り下ろされた。

 キンという涼し気な音を立てて二本の銃身が地面へと落ちた。


 夕陽が墓場に長い影を作っていた。

 そこに一騎の馬がトボトボとやってきた。

 それに跨っているのはソー族の女であった。

 想い人が心配になったのであろう、まるで泣きそうな表情であった。

 果たして、想い人は如何に?

 近くでカラスたちが大騒ぎしている。それは出来立てのご馳走、つまり死体があるということだった。

 夕陽が落ち切ろうとするその丘に、彼女の想い人はいた。


 後日、ホワイトスプリングの教会に、使い切れないほどの金貨が届けられたという。



 ●エンディング


 場面は暗転し、口笛とギターを使ったテーマソングが流れ始めた。

 オールアップ直後だろうか、リラックスした俳優のところへ、画面のこちらからマイクが向けられた。


 図書委員会制作『夕陽の決闘』キャスト

「それぞれ何か一言を」


 サムライ…不破(ふわ)空楽(うつら)

「また、つまらないものを斬ってしまった」


 パライソ・優男・ジョンソン…郷見(さとみ)弘志(ひろし)

「おれに全然似合わない役で、憤慨ものだよ」

 画面の外から、いや似合いすぎの役だからと声がかかる。


 キース・百合・エンジェル…佐々木(ささき)恵美子(えみこ)

 「どう? 悪役らしく出来てた?」


 ソー族の女、トト…(おか)花子(はなこ)

「はう。トト嘘つかない(笑)」


 賞金稼ぎの男・他…権藤(ごんどう)正美(まさよし)

「ええと、メインキャストじゃないのに、意外と出番が多くて大変でした」


 賞金稼ぎの手下その1、特殊効果担当…御門(みかど)明実(あきざね)

「もっと爆発シーンは派手な方がよかったか? だが予算の関係でな」

 保安官…十塚(とつか)圭太郎(けいたろう)

「いや、ほら。僕は手伝っただけですから」

 賞金稼ぎの手下その2…松田(まつだ)有紀(ありよし)

「郷見はん、アドリブ大すぎどす」

 教悔師…左右田(そうだ)(まさる)

「信じなさい。さすれば救われる」


 エキストラ、スタッフ…清隆学園の皆さま



 総指揮、総監督…藤原(ふじわら)由美子(ゆみこ)

「まったく。最初は展示をやるつもりだったのに、なんで映画になっちゃったのよ。二度と映画なんかやらないから。スケジュールどおりには進まないし、肩は凝るし、予算は足りなくなるし、それと…(以下長すぎるため割愛)」


 曲が終わり、画面は生徒昇降口前で整列する関係者たちを、まるで記念撮影するかのように収めた画で止まった。

 その途端に、全員が口々に好き勝手なことを怒鳴り出した。

「いゃっほー」「終わりだあこのやろー」「ぶあんざい」「終わったあー」「沖田くん」「カントクのおーばかやろお」「もー映画なんかやんねーぜえ!」「わあお」「くあー」

 そして黒くなった画面に、筆記体の文字が白抜きで現れた。


 Fin


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