十月の出来事・①
学園創立以来という歴史(というよりボロさ)だけはある講堂に、今日は特設ステージが設けられていた。
その周囲には、学園祭実行部たる生徒会が学園祭開幕メインイベントとして入念に準備した行事のため、たくさんのお客が集まっていた。
舞台には花で飾られた看板がぶる下げられている。そこには華やかさを通り越して、けばけばしい装飾文字でこう書いてあった。
『ミス清隆学園コンテスト』
毎年十月末に清隆学園高等部で行われる学園祭である『清隆祭』は、この『ミス清隆学園コンテスト』から始められる。三日間に渡って行われる清隆祭だが、途中の日付に行うと折角エントリーしていた女子が、なにかのアクシデントで出れなくなることが多いからだ。予定は未定というやつである。それならばお祭り騒ぎのこのイベントを一番最初に持ってきて、盛り上がった空気のまま清隆祭に突入しようというのが例年の流れであった。もちろん準備が間に合わなかったグループなどは、徹夜明けの酷い顔で準備を続けながら、講堂より生中継される校内放送を聞くことになる。
ちなみにコンテストの参加資格は「清隆学園高等部の生徒であること」だけである。ただ不文律として、過去に生徒会の非公然活動である(裏)投票において『学園のマドンナ』に選出されたことのある者は参加資格を失うとされていた。
もちろんそれには理由があって、『学園のマドンナ』に選出されていると、あまりにも有利すぎて誰が『ミス清隆』になるかという“賭け”が成立しないことが一つ。(ちなみに賭けの胴元が生徒会であることは公然の秘密というやつである)
もう一つは、過去に学内で二人の『学園のマドンナ』が醜く派閥争いをしたことがあり、それが学園の歴史に汚点として残されたことである。
また余談だが、大学の方ではミスコンは開催されない。そっちの理由は既婚者が参加できないのが不公平という事らしい。そのかわりに大学で開催されるのは『清隆クィーンコンテスト』である。
もちろん、そちらの方には元『学園のマドンナ』や元『ミス清隆』が上位に食い込むことが多かった。
舞台上に一人の男子が現れた。
着ている物は高等部制服の紺色ブレザーだが、ラメが照明を反射して眩しいくらいの蝶ネクタイをしていた。
知っている者は知っている、彼は生徒会庶務の高田だ。
手には蝶ネクタイと同じくらいピカピカのマイクが握られていた。
「テステス、あーあー。入ってます? 入ってますネ? (コホン) ハイ! お待たせしました。今年もこの季節がやってまいりました。まずは開会の宣言です! 生徒会長お願います!」
正面観客席最前列に設けられた特別席へ手を差し伸べるように差し出すと、呼び込みに答えるように制服をちゃんと身に着けた男子が立ち上がった。
彼に横からマイクが差し出された。迷わず取って観客席に振り返った。
「生徒会長の山田です。今年も運動の秋、食欲の秋、そして文化の秋がやってきました。早い人は春から準備にかかっていたとも聞きますが、今日から三日間が本番です。みんなの青春の輝きをここに示しましょう! それでは清隆祭、開催です!」
生徒会長の開催宣言と共にプロに頼んでいた花火が外でポンポンと上がった。会場は拍手や歓声に包まれて、その中で一礼した生徒会長は自席に戻った。
「ハイ! それでは今年の『ミス清隆学園コンテスト』を開催します。司会は私、高田が務めさせていただきます」
ハイテンションにマイクへ喋り散らす彼へ、おざなりな拍手が起こった。高田は一礼でそれにこたえた。
「ハイ! まずは今年の審査員をご紹介いたします」
スポットライトが審査員席に向けられた。正面観客席最前列にはすでに複数の男女が着いていた。
「まず最初の方は、入学以来その地位を守り続け、歴代在位記録更新中という現在の、よろしいですかみなさん、げ・ん・ざ・いの『学園のマドンナ』。佐々木さんです」
剣道部に所属し、今年の夏の大会も都大会出場まで果たした佐々木恵美子が席から立ち上がり、客席に振り返ると一礼した。
長い髪を今日はツインテールに結んでいた。彼女の白磁のような歯が、微笑みと共に厚すぎず薄すぎない唇から覗いた。
高田の自己紹介の時とは盛り上がりが違う拍手が沸き起こった。
「次は『彼氏にしたい男子』ナンバーワン。ナンバーワンですよ。当麻先輩」
バスケ部で主将をしていた三年生、小林当麻が立ち上がると、客席から黄色い声援が飛んだ。
「とうませんぱーいい」
ハートマークが散りばめられているような声だった。
会場が納まるのを待ってから紹介が続けられた。
「そして、マドンナを守る王子。藤原図書委員長」
腕組みをして起立を拒否していた藤原由美子は、恵美子に促されてシブシブと立ち上がった。
その途端に当麻と同じように客席から黄色い声が飛んだ。
「おうじーっ」
『学園のマドンナ』である恵美子と仲が良く、いつも一緒にいる事などから由美子には『王子』という呼び名がつけられていた。ただし図書室の常連組男子からは『武闘派図書委員長』だの『拳の魔王』だの、女の子としてはいささか似合わないアダ名がつけられていたりした。
ちなみに生徒会非公然活動である(裏)投票の『学園最恐』ランキングでも堂々の一位に選出されてもいたりした。
「ハイ! そして審査委員長。審査委員長は、みなさんお馴染みの山田会長が務めさせていただきます」
生徒会長山田亜紀登が再び立ち上がると、それなりに拍手が沸き起こった。
「それではエントリーナンバー一番。ラグビー部にて汗臭い男どもの面倒を一手に引き受ける、みんなのお母さん。お母さんこと富田三奈さん」
さすがに高校生だけあって水着審査は無しである。エントリーした少女たちは、部活動などで着ているコスチュームに身を包んで現れることになっていた。
舞台上にはラグビー部部員から借りたらしいユニフォームを着て、平均よりは少々ふくよかな少女が現れた。ユニフォームが大きすぎてブカブカなため着ていると言うより被っているという方が正解かもしれなかった。高田の案内で舞台にバミられた自分の立ち位置に立った。やはり興奮しているのか、顔はだいぶ赤く染まっていた。
そんな彼女の様子を見ながら、何やらメモを取る振りをしつつ、由美子は隣に座る恵美子に話しかけた。
「なンで、あたしまで審査員なンだよ」
「だって」
口元にトレードマークの八重歯を覗かせながら恵美子は微笑んだ。
「一人だけだと心細いし」
そのミエミエな態度に溜息を一つ。
「あれ? それとも王子もエントリーしたかった?」
意外そうな顔で恵美子は訊いた。その言葉にブルブルと悪寒を感じたように小刻みに頭を振ってこたえた。
「じょーだんじゃないわ」
さすがに自分自身が二目と見られない醜女ではないぐらいの矜持は持っていたが、こんなお祭り騒ぎに出ていくほど派手な趣味でもなかった。
「だいたい図書室の準備だって終わってないのに…」
今年の図書委員会は映画の上映会をやることになっていた。スクリーンや映写機、また椅子の配置などまだまだやることが残っているのだ。本当ならば陣頭指揮を執っていたいところなのだ。何しろスタッフがいい加減で信用しきれないところが痛かった。
「それに」
恵美子が意味深なウインクを流した。
舞台上では次々とエントリーした女の子たちが客席に一礼しながら並んでいた。
「エントリーナンバー十二番。その静かな粧いは生ける花鳥風月か? 華道部より参加の岡花子さんですよ」
高田の紹介で、二人とは図書室つながりで仲の良い岡花子が舞台上に現れた。彼女は現図書委員会で副委員長の役職にも就いていた。
今日の彼女は、私生活において普段着にしている着物姿での登場となった。
清隆祭の間は展示しか予定のない華道部だが、部員は順番に会場係を和服姿で務めることになっているのだ。
今日は水色の涼し気な着物にあわせてリンドウの花を集めてコサージュ風の髪飾りをあしらっていた。その髪は、普段と違い後ろで結い上げられてあった。
他の参加者とは全然違う和風の気品さを漂わせており、どこからみてもまだ高校一年生に見えなかった。
もちろん花子がココに参加することは事前に二人は知っており、彼女を『ミス清隆』にするために、ささやかな権力を用いて審査員席を確保したのだ。
「うん、あれなら大丈夫ね」
落ち着いた様子の花子を見て、由美子は誰ともなく呟いてみせた。
最初に花子が『ミス清隆学園コンテスト』にエントリーしたと聞いてビックリした由美子であった。本来、彼女は喧噪よりも静寂を好むタイプと思っていたからだ。
しばらくしてから、それが華道部の先輩命令であったと知って納得した。
「そして最後。エントリーナンバー十三番。匿名希望の仮名ガブリエルさんです。その美しさは地上に舞い降りた天使か、それとも悪魔か? それを知るのは誰でもない皆さんです」
舞台上に黒いゴスロリ風のエプロンスカートを着た小悪魔のような可愛らしさをした子が登場した。身長は頭一つ分他の女子たちよりも高く、プロポーションも素晴らしいものだった。豊かな髪にはソバージュがかかり、フワリと胸元近くまで覆っていた。
「?」
学園内で見かけたことの全くない美少女の登場に、由美子と恵美子は顔を見合わせた。
美少女は、ラメを散らした黒に近い茶色い口紅をひいた唇の口角を上げて、微笑んだ。
会場のそこかしこからも「だれ?」とか「あんな子ウチにいたか?」とか観衆同士で囁きあうのが漏れ聞こえてきた。
「ハイ! さて。会場に揃った花々には一度退場していただいて、次からはアピールタイムです」
エントリーナンバー一番の三奈を残して出場者たちがはけた。
「王子。今の誰だったか分かった?」
観衆の注目が出場者に移ったのを見計らって、恵美子ははっきりと声に出して訊いた。
「わかンないわ。誰か先輩?」
「さあ」
再び首を捻る恵美子。
「まあまあ、二人とも」
当麻の向こう側から生徒会長が振り返った。
「いまは審査の方に集中して下さいよ」
生徒会長に注意されて、慌てて前に向き直った。
「僕の得意技は、ヤカンで水をかけることです」
舞台では、一人称が「僕」であるラグビー部マネージャが、大きなヤカンを持って立っていた。
タックルやスクラムなど激しいぶつかり合いが多いラグビー部らしいアイテムである。よく試合中にタックルをくらって脳震盪を起こして気絶した選手に、ベンチからヤカンを持って駆け付けたコーチなどが、頭から水をかけて正気を取り戻させるなど、ラグビーの試合ではよく見る光景である。
その再現とばかりに、三奈は舞台上に寝そべったラグビー部一年生へ、その中身を遠慮なくかけた。
「ぶべら、熱湯じゃ~!!!」
熱い飛沫を振り払うようにしながら、かけられた本人が湯気の尾を引きつつ駆け出した。
もちろん会場は大爆笑である。
「ひどいことするなあ」
ふと声がかけられた気がして二人は振り返った。
二人が座る審査員席のすぐ後ろの観客席に、銀縁眼鏡をかけた見知った顔が、いつの間にかに座っていた。
「おまえ…」
権藤正美を見つけて由美子はあたりを確認した。
「何を企んでる」
「たくら…」
正美の眼鏡が十人前の顔からずり落ちた。それを人差し指で戻しながら怒りを抑えた声で言い返してきた。
「失礼な。いくら僕らだって、学園祭の間くらいは別行動だよ」
「だいたい会場設営の方はどうなってンだよ」
図書室を臨時の映画館にする作業員の中に、図書室常連組として彼も入っていたはずである。
「それはツカチンが指揮を執ってる」
「あいつが?」
常連組の中で一番身長が高く且つ胴囲が一番大きくて、まるで相撲取りのような少年を脳裏に思い浮かべた。
「だから一人でミスコン見物を…」
「本当か?」
由美子はわざとらしく辺りを窺う振りをした。
彼女が問題にしているのは、正美と仲良しの二人、郷見弘志と不破空楽のことである。
学業優秀、品行方正で真面目な正美は(とりあえず)置いておくとして、弘志はパッと見で女の子のような綺麗な少年だったが、中身は『科学部の火薬庫』と呼ばれるほどの危険人物であったし、空楽は読書と居眠り、そして何よりもアルコールを愛しているという問題児であった。
何かと気が合うのかこの三人は『正義の三戦士』として、いつも事件の渦中、いや渦中どころではない、言わば“芯”に存在していた。
特に騒動屋の弘志は由美子の天敵ともいえる人物であった。先月のちょっとした事件以来、由美子から半径一メートル以内の空間に立ち入りを禁止したほどである。
正美はつまらなそうに眼鏡を取ると、ハンカチでレンズを拭ってかけなおした。
「弘志は部活とか同好会とか、十七個も首を突っ込んでいるらしくて、校舎の中を本当にアチコチ駆け回っているし、空楽はホラ」
指さされて振り返ってみれば、なぜか舞台上に噂をしていた筋肉質の少年の姿があった。
「次はエントリーナンバー十二番の岡さん。アピールタイムは何をしていただけるんですか?」
「今日は、初秋らしく山茶花の一輪挿しを、投げ込みで」
司会の高田はいささか不躾な様子で、和服で膝をついて腰を落としている花子へマイクを向けていた。
そのマイクに向かってニッコリ微笑んだ花子は、左手に持った白い可憐な花をつけた枝を、植木鋏で枝元を斜めに整えて、舞台上に敷いた風呂敷へ余分な箇所を落とした。
「なにやってンだよ、あのバカ」
「ハナちゃんのアシスタントだろ」
いつもの不機嫌そうな表情のまま、空楽は手に持っていた柿の実を頭の上に乗せた。
「?」
訝しむ暇もなく、そのまま花子に向かって直立不動の姿勢を取った。
「はあ?」
さらに会場の一同があっけに取られている間にも、花子は余分な枝を落としてバランスを良くすることに余念がなかった。
「そうだ権藤くん。この次の人が誰だか知ってる?」
恵美子が訊いた。返答が遅れたので振り返ってみると、正美は首を横に振っていた。
「なんでも、生徒会が送り込んだ刺客らしいよ」
生徒会長の方を窺いながら正美は告げた。心なしか生徒会長の肩が動いたような気がする。聞かれたかなと不安になった時、会場が歓声に包まれた。
「凄いものを見させていただきました。エントリーナンバー十二番、岡さんの投げ込みによる山茶花の一輪挿しでした。彼女とアシスタントさんに、もう一度の拍手を」
司会の高田の言葉に、会場が再び沸くような拍手を二人へ送った。空楽はアシスタントらしく舞台の床に広げられた風呂敷を、切り飛ばした枝を落とさないように丸めながら片付けていた。その中に、なぜか山茶花の枝が貫通した柿を放り込んで一緒にまとめていた。
「さて、最後になりました」
空楽が舞台袖にはけるのを待って高田はマイクのスイッチを入れなおした。
「エントリーナンバー十三番のガブリエルさんです」
高田が紹介すると同時に舞台上の照明が抑えられ、中央にスポットライトが集められた。
その光の輪の中に、足音を感じさせない足取りで話題の人物はやって来た。
あいかわらず黒いゴスロリ衣装のままの彼女は、用意されたスタンドマイクの前で一礼すると、ポケットから銀色の物を取り出した。
音叉であった。
自分の頭で叩いて発振させると、俯いて軸を耳に差し込んだ。音を取っているのだろう。二回三回と鼻を響かせて音程を確認していた。
目を閉じたままの美しい顔を上げると、そこから何がしらの威圧感のような物が会場へ広まっていった。
会場が感じていたのは『美』そのものであったのかもしれなかった。
ある程度の静寂が戻ってくるのを待ち、瞼を開いてうっすらと微笑んだ。
そして口紅がひかれた唇が開かれた。
Amazing grace,how sweet the sound,
That saved a wreck like me.
まるで本物の天使が歌っているかのような済んだ歌声が会場に流れ始めた。
マイクを使用していないのに声量は充分あり、照明が落とされた会場は、神の恩寵が授けられた場のように静まりかえっていた。
「なに?」
曲名が分からなかったらしい正美が由美子の背中に訊ねた。
あまりの美声に舞台へ向いていた由美子は、一瞬無視しようかと考えてから口を開いた。
「アメイジング・グレースよ」
由美子の答える声に、どこからか「シッ」と咎めるような短い声がかけられた。
全てを無伴奏で歌い切り、会場に最後の一小節の残響が消える頃。歌手は深々とお辞儀をしてショウの終了を示した。
「ありがとうございました。エントリーナンバー十三番、ガブリエルさんの歌でした」
静まり返った中に、平静を取り戻そうと妙に上ずった高田の声が響いた。
しばらくしてからざわめきが戻って来た。
「それではアピールタイムを終了させていただきまして、投票とさせていただきます。いいですか会場にお越しの皆さん。皆さんに配られた投票用紙が各一点。審査員の方々が各一〇点をお持ちになっております。投票は審査員席脇に合計四つの投票箱を用意させていただきました。皆さんの一票が『ミス清隆』を決めます。一人でも多くの方に投票していただけるように、お願い申し上げます。また月々の分割手数料は…」
高田の途切れぬ呼びかけが会場に響いていた。
しかし、いま聴いた歌声に感動した観客たちの口々に評するざわめきが、壁に天井に反響して「ワーン」という音となり、その音に飲み込まれて高田の声はほとんどの耳に届いていなかった。
票の集計が終わるまで、出場者も審査員も休憩となった。
舞台に置かれた椅子に腰かけたまま、花子は困ったように微笑んでいた。複数の男子が手にスマホを持ち撮影の許可を求めて取り囲んでいるのだ。
その人垣の一部がグラリと崩れるように割れた。
「おら。撮影時間終了!」
そう言い切って由美子がレンズを向ける男子を掻き分け、それでも動かない奴には拳をめり込ませてやってきた。
「おねえさん」
見るからに心細い表情をしていた花子に明るさが戻って来た。
「ほら、他の娘のところにも行けよな」
そう睨んだだけで『学園最恐』の肩書を恐れた者どもが散っていった。
「大変だったね」
由美子の言葉に大きなため息をついた。
「先輩の命令じゃなかったら絶対に断ってたわ」
「そう?」
望遠レンズを装備した一眼レフで遠くから花子の表情を狙う気配に鋭い視線を送りながら由美子。
「けっこう本気で狙ってるんじゃないの? ミス清隆」
「まさかあ」
どこか困ったような微笑みを見せる花子へ、由美子はクスリと小さく含み笑いをしてみせた。
「人気、集まっているみたいよ」
「そう?」
ちょっと弱々しい瞬き。
「でもほら。私の次に歌を唄った人が、一番注目されていたみたいだけど」
「ヴッ」
由美子は大げさにたじろいでみせた。
「大丈夫。コジローと審査員特権で応援したからね」
『コジロー』とは恵美子の呼び名である。苗字の佐々木と剣道の腕前から、有名な剣豪から名づけられた。
「ありがとう」
ごく和風な微笑みで花子はこたえた。
「でも…」
二人の視線が自然と隣の空席へ流された。
あの匿名希望の人物が座っているはずの椅子なのだが、休憩が始まってすぐに、どこかへ消えていた。
どうやら生徒会長と何やら話し込んでいた様子である。先程の正美が言った「生徒会の刺客」という言葉もあり、何やら陰謀めいた物を由美子は感じないわけでもなかった。
「ハイ! それでは集計結果が出たようです」
司会者役の高田が舞台に駆け戻って来た。その後を生徒会長と一緒に謎の美少女が続いた。
ゆったりと花子の横に座る彼女を見ていると、生徒会長が話しかけてきた。
「藤原委員長。いいかな?」
「なんですか?」
ついと手招きされたので舞台袖に着いていった。
「高等部女子に一番人気がある男子は、小林先輩だということは知っていると思うが」
スタッフが走り回っているそこで生徒会長は振り返った。
「高等部女子に一番人気がある女子は、藤原委員長。あなただ」
遠慮気味に生徒会長は言葉を続けた。
「準ミス清隆に当選のお祝いの花束を渡す役をやってほしいんだ。ミス清隆に渡す役は小林先輩に、すでに頼んである。女子に人気が高いあなたにやっていただけると、このミスコンも、良い形でしめることができると思うのだが」
由美子は生徒会長の顔を覗き込んでみた。そこには笑顔が張り付けてあったが、まるで区議会議員選挙での街頭演説時に見せる政治家のソレに近かった。
なにか怪しげな雰囲気を感じながらも、由美子は承諾することにした。その仕事を断るコレといった理由が無かったからだ。
「会長はこちらへ。花束贈呈の方はこちらの席に」
スタッフの女子に舞台上のパイプ椅子を指定され、由美子はそこで発表&表彰式が始まるのを待った。
観客席の方へ視線をやると、先程まで由美子が座っていた席には、ちゃっかり正美が恵美子と並んで座っていた。
「それでは発表します」
舞台の照明が落とされ、スポットライトの光の輪がグルグルと会場全体を走り回った。音響装置から録音のドラムロールが鳴り、一瞬スポットライトが消された。
「今年のミス清隆コンテスト、優勝者は。エントリーナンバー十三番! ガブリエルさん!」
会場のすべての明かりが彼女に集中した。
彼女は感激のあまり座っていた椅子から立ち上がって顔を手で覆い、瞳にクリスタルガラスのような物を浮かばせた。
会場係に案内されて舞台中央へ。
そこで落ち着いたのか会場へ向けて手を振り始めた。
その背中越しに審査員席でがっかりした表情を隠さない二人が、同時に由美子の視界に入った。
「準優勝はエントリーナンバー十二番、華道部の岡花子さん。三位はラグビー部マネージャ富田三奈さんでした」
その両脇に二人が案内される。二人とも喜んではいるが微妙に笑顔がぎこちなかった。
「それでは入賞者に花束が贈呈されます」
由美子に脇から花束が差し出された。見るとスタッフの女子である。横の当麻に用意された物の半分ぐらいの大きさだった。これを渡せばいいようだ。
生徒会長の要請通り、由美子が渡す相手は準ミスに選ばれた花子である。会場から声をかけられる当麻を真ん中に、右に由美子、反対の三位の娘に花束を渡すのは生徒会長自身であった。
「はい、ハナちゃん。おめでとう」
「ありがとう、おねえさん」
花子は満面の笑みで受け取った。
「ちょっと残念だったわね」
「うん。でも敵わないかな」
二人して当麻から花束を受け取っている彼女に視線を移した。
彼女の目線だけがこちらを向いた。その目尻が下げられ、口元が皮肉っぽく歪んだ。
「あ~っ」
由美子は表彰式ということを忘れて、彼女を指さして大声を上げた。由美子の脳裏で、ある人物がよく見せる皮肉っぽい嗤いと、彼女が見せた今の笑顔が完全に一致していたのだ。
彼女は花束の下で、由美子にだけ見えるようにして唇に人差し指を当てた。
由美子はズカズカと歩み寄ると、問答無用とばかりに彼女を殴り倒した。
突然の図書委員長の乱心に、会場係の男子たちがあらゆる所から湧いて出てきて、由美子に押し寄せた。
そのまま由美子は両手両足を抑え込まれると、何を叫ぼうが耳を貸して貰えぬまま、清隆祭の間は風紀委員会が治安維持のために詰所としているD棟小会議室へと連行されていった。
由美子のアダ名に『ミス清隆学園に勝った女』というのが加わったのは、その日の午後からだった。
数刻後、生徒会室。
そこには生徒会長山田と、ミスコンの司会をしていた高田、そして不思議な恰好をした人物の三人がいた。
その人物は先程まで行われていた『ミス清隆学園コンテスト』の優勝者が着ていたゴスロリファッションを身に纏っていたが、何かが違った。
まったく身体の起伏が無くなっているのだ。
髪も豊かな黒髪でなく、少し長めの茶色がかった物に変化しており、なにより受賞の感動で涙した瞳の色さえも違った。
その答えは、その人物の前のテーブルにあった。白い柔らかそうな素材のパットが二つ、花柄のブラジャーや豊かな黒髪を演出したウィグと、コンタクトケースが散らかしてあった。
「あ~、肩凝った」
メイク落としを含ませたコットンシートで顔を拭いながら、パイプ椅子の上で胡坐をかいたその人物は、今まで使っていた高い声ではなく、幾分か低い自分本来の声でくつろいだ様子で言った。
その声は、普通の基準からすれば高いボーイソプラノといったものだったが、間違いなく男の物だった。
「ご苦労さまでした郷見くん。約束の通り報酬は科学部の予算に組み込んでおくよ」
「ああ、そっちはよろしく」
スカートの下に自分の制服のズボンを履きつつ、その人物は疲れた笑顔を生徒会長に向けた。慣れた手つきで黒い衣装を脱ぎ、さっさと男子用制服に着替えた。
そこには今年のミス清隆はすでにいなかった。代わって存在するのは『科学部の火薬庫』こと郷見弘志であった。
彼は自分の外見が女の子に見えないことはない事を利用して、実は女装が得意だった。この事実は学園内の一部の人間にしか知られていなかった。
それよりも、怪しげな発明品を科学部の活動と称して制作し、しかも作動実験には失敗して爆発事故を起こしている方が有名なのだった。
「しかし会長も考えましたね」
まるで太鼓持ちのような軽さで高田は言った。
「『ミス清隆コンテスト』裏トトカルチョの元締めとして儲けるだけじゃなく、優勝候補の岡さんを準ミスに落として大穴でもう一儲けとは」
「生徒会の運用だってボランティアだけでは回らないのだよ」
人差し指を立てる生徒会長。
「それに郷見くんが協力者になってくれなかったら、この計画はオジャンになっていただろう」
「科学部も色々といりようで、予算があることにこしたことはないからね」
「一番の障害と思われた藤原委員長も…」
「そうですね会長。まさかいきなり殴ってくるとは」
「まあ、そのおかげで姐さんは今頃、風紀委員にコッテリと油を搾られていて、真相の究明は後回し、と」
弘志と生徒会長は顔を見合わせるとクツクツと笑い始めた。それが段々と大きな哄笑に変わっていった。
まったくそれは時代劇によくある「代官と悪徳商人」のやり取りの様であった。
「そういうことだったのかい」
生徒会室に、まるで地獄の底から聞こえてくるような声が響いた。
「なにやつ?」
ついそうこたえつつ、室内にいた三人は声がした方向を振り返った。
いつの間にか生徒会室の入口が開かれていた。
そこに少し埃っぽくなった由美子が腕組みをして立っていた。後ろには和装のままの花子と学ランを着た男子が一人いた。学ランの男子は光明寺三郎風紀委員長である。風紀委員長自ら服飾規定違反のような気がするが、清隆学園高等部ではこちらの服も第二種制服として認められている格好である。その風紀委員長の右目の周りには、なぜか丸い青痣ができていた。
突然の闖入者に弘志の腰が浮いた。
「ね、姐さん、なぜココに?」
「話しは扉越しに聞かせてもらった」
由美子は遠慮なく右拳をつくり、反対の手を添えるとボキボキと指を鳴らし始めた。
「やーっぱり、オマエの悪だくみだったのかい」
「姐さん、風紀委員会は?」
後ろの風紀委員長の顔を気にしながら弘志は訊いた。それに由美子は迫力のある微笑みでこたえた。その先を質問するのがためらわれた瞬間に、由美子は弘志との距離を詰めた。
「ちょ、ちょっとまってよ。オレがなにか悪いことした?」
「はあ?」
迫力の籠った眉を顰める声に、室内にいた三人は首をすくめた。
「この期に及んで、言い訳する?」
「だってオレ、な~んにも悪い事してないぜ」
「なにが悪い事してないだよ。充分に悪い事じゃない」
拳を固めた由美子が近づいたので、慌てて弘志は脱ぎ散らかしたコスチュームのあたりから、一枚のチラシを拾い上げた。
それは今回のミスコンを宣伝するチラシであった。
「ほら、よく読んでよ」
弘志は由美子に向かってチラシの一部分を指さした。
「?」
つい引き込まれて由美子は差し出されたソレを手に取った。
弘志が指さした箇所に、まるで生命保険の約款のような細かい字で参加資格が書いてあった。
『参加資格は清隆学園高等部の生徒であること』
「ほらね」
だいぶ冷や汗を隠した声で弘志。逃げ出そうと腰を浮かせている生徒会長に振り返り、念を押した。
「この参加資格以外で、他に条文化されていないルールは? 生徒会長ありましたっけ?」
「そうだな。慣例として、過去に『学園のマドンナ』に選出されたことの無い者という規定があるだけだな」
「ほ、ほらあ」
ニッコリと表情の上に笑顔を張り付けて弘志は言い切った。
「どこにも女子に限定するとか、男子禁止って書いてないでしょ。オレが『ミス清隆』に選出されたのは結果であって、作為の物ではないんだからさ」
「たしかにそうね」
後ろから由美子の手元を覗き込んでいた花子も、弘志がする必死の弁明に同意した。
「ハナちゃんはいいの? コイツが失格になったら『ミス清隆』はハナちゃんなのよ」
「ん~」
人差し指を自分の卵型の顎に当てて、ちょっとだけ考えた花子は笑顔で言った。
「わたし『準ミス』でいいかも」
「さすがハナちゃん太っ腹。それに比べて姐さんは太い腹」
先程の高田のように、まるで太鼓持ちのような様子で弘志は追従の笑みを浮かべた。
「だれがなンだって?」
「それに」
イタズラを思いついたように下から弘志は由美子へ視線をやった。
「ここで姐さんが、今回のミスコンに不正がありましたって言っても、誰が得するの? 厳正な審査をした審査員や、一般投票をしてくれた多数の観客をがっかりさせるだけだよ。しかもチェックしていたはずの監査委員会からも恨まれるだろうし」
教職員会議と生徒会、そしてそれらを監視している監査委員会が微妙な権力のバランスを取って学生自治が成されていることになっている清隆学園である。そのぐらいの認識が無ければ一年生にして委員会の切り盛りなどできようがない。もし権力の柱の一つである監査委員会のチェック機能に問題があるとされれば、大問題に発展することは、由美子にも容易に想像がついた。
「ね。大きな政治問題にするより、最大の被害者であるハナちゃんが『いい』って言ってくれてんだから、ここはこの場所にいる者の心に仕舞って、無かったことに。ね、風紀委員長もそう思うでしょ」
向こうで仕方なさそうに、うなずく気配がした。
「仕方がないわね」
人殺しができそうな眼力で弘志を睨んでいたが、由美子は振り上げていた拳をおろした。
「そのかわりに…」
花子が彼女の後ろから言った。
「一つだけお願いきいてくれる?」
静かな微笑みに、だが弘志は眉を顰めた声を上げた。
「え~っ」
すぐ至近の視線に態度を柔らかく戻して言った。
「願いの種類によるよ。これが生身で空を飛べとか、マリアナ海溝に素潜りしろってんだったら、すぐには無理だし」
「『すぐには』って。絶対無理じゃないんだ」
花子の呟きにニヤリとしてみせる弘志。
「オレが進化して空が飛べるようになる三億六千万年後にやってあげる」
「なにバカなこと言ってンのよ」
由美子の鉄拳が弘志を黙らせた。
「イテテ…。で、願いって?」
「それはね」
珍しく花子は含み笑いをしてみせた。
その笑みは、イギリス文学に出てくる有名な消える猫にそっくりの性質を持っていた。