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清隆学園の二学期  作者: 池田 和美
14/18

幕間・⑨

 暗い色をした雲が、町に蓋をするようにかかっていた。

 蓋をされる方の町もコンクリートの暗色。

 日没から時間が経っているため、遠くのビルで点滅する航空機衝突灯以外に目を引く物は無い。後は東京のスモッグで見にくくなった星空を真似たかのような町の明かりがパラパラとあるのみだ。

 テレビを点ければ季節柄派手な装飾を施した街並みを見る事が出来るが、この病室から見える風景には一切の華やかさがなかった。

 気象予報によれば、もしかすると今夜は降雪があるとか無いとか。もし雪が降れば何年かぶりのホワイトクリスマスになると、同じ番組で言っていたような気がする。

 窓から侵入する冷気が無いようにと、景色を見ていたその女性はカーテンを慎重に戻した。

 中年を少しだけ通り過ぎた年齢であろう。ただ彼女の身に降りかかった不幸が、彼女の表情から明るさを奪っている。そんな印象の女性。

 その時、天井に取り付けられた放送機材に、電源が入れられたような気配があった。

「七時五十分になりました。面会終了十分前です。面会者は八時までに退出して下さい」

 無機質な院内放送が今日の終わりを告げていた。

「ごめんね、トール」

 ベッドサイドに椅子を置いた制服姿の女子高生が残念そうに言った。

 今年最後の図書委員会業務を終わらせた藤原(ふじわら)由美子(ゆみこ)である。彼女は、その足で後輩のお見舞いに来ていた。

 由美子は今の放送を聞いて手に持っていたマンガを閉じた。

 それは清隆学園に複数あるマンガ研究部が、月一に合同発行しているコピー誌であった。

 この入院患者も、かつて中等部のマン研からここへ投稿していた常連だった。

 ベッドサイドからその内容を読ませてもらっていた入院患者、池上(いけがみ)(とおる)は酸素吸入マスクで覆われた顔をぎこちなく微笑ませた。

 その様子に由美子はさらに心を痛ませる。

 もう彼女は声を出す力すらも、ほとんど無いのだ。

 病名は肋膜腫、しかも重度に進行していた。

 現代の発達した医学ですらサジを投げ出すような難病の一つだ。

 それは人間の胸にある肺を納めている肋膜という皮にできる癌の一種であり、根絶治療は今のところない。

 彼女には、夏の一時期回復の兆しのような物があったが、現時点では絶望的な延命治療が続けられていた。

「ありがとう。家まで送りましょう」

 窓辺から彼女の後ろへ移動していた女性、透の母親が声をかけてくれた。

 最近の由美子は、週末にこうして面会時間ギリギリまで、この病室にお見舞いへ来るのが当たり前になっていた。

 透の母親は、そんな由美子が帰宅しやすいように、この病院から車で彼女の自宅前まで送ってくれるようになっていた。

「また来るからね」

 透にウインク一つを投げかけ、由美子は自分のバッグを手にした。

 ふと、あと何回来られるのだろうかと忌まわしい考えが、不安と一緒に頭をよぎったが、慌ててその考えを追い出した。

 手に持っていたコピー誌は、ベッドサイドにあるテーブルに置いた。

「こンな物で本当にいいの?」

 今日はクリスマスである。

 どんなプレゼントが欲しいか由美子が訊ねたら、迷わずに透がリクエストしたのがこれだったのだ。

 透はゆっくりとした瞬きと微笑みで肯定を表現した。

「じゃあ、また来週ね」

 二人は透の布団を直すと、連れだって部屋を出て行った。

 やっと透は顔の筋肉から緊張を解いた。

 ゆっくりと胸の内側から灼けるような痛みが頬や目元にのぼってきた。先程までの穏やかな表情は吹き消されたように無くなった。

 コピー誌を横になって読んだだけである。ページをめくることすら由美子にやってもらわなければならなかった。

 ただそれだけのことでも、透に残された体力はほとんど使い果たされていた。

 彼女は夢うつつに看護師の夜の巡回を感じた気がした。

 それから、どれくらい時間が経ったのだろうか?

 消灯時間も過ぎて主だった照明が消され、誘導灯の緑色した光と夜の闇が支配した中、かすかな音がした。

 部屋には、庭にある外灯の明かりがカーテンごしに差し込んでいた。と、そこにまるで影絵のように人影が現れた。

 透の病室のベランダに面した窓が、音を立てないようにゆっくりと開かれた。あるかないかの夜風のせいか、はたまた暖かい空調の効いた室内の空気が外へ逃げようとしたのか、カーテンがわずかにはためいた。

 そのおかげで、その何者かの人影が侵入して来たのが分かった。

 病室に外の冷気が入らないように、すぐに閉める。

 その人物は、彼女のベッドサイドに足音を殺して近づくと、上着のポケットから何やら小さな包みを取り出し、由美子が置いて行ったコピー誌の上に置いた。

 一応左右を確認してから、その人物は足音を殺したまま立ち去ろうとした。

 上着に何か引っかかりを感じて、その人物は動きを止めた。

 ベッドの金具にでも絡まったのかと手を伸ばすと、そこは細い指に掴まれていた。

 小さくギョッとした動きを見せてから、その人物はベッドサイドの明かりのスイッチを入れた。

「あ、起きてたんだ。それとも起こしちゃった?」

 小さな光が室内に反射する明るさで、侵入者の正体が分かった。

 服装は、落ち着いた赤色と深い緑、そして白色という三色の“クリスマス迷彩”の戦闘服に、同じ配色のコンバットキャップ。鼻の下には短くて白いチョビ髭という異様な出立(いでたち)である。

 両方の眉にもお約束の白い綿を貼り付けていたが、その顔は意外に若いようだ。先程まで居た由美子と同じくらいな年頃の少年であった。

 少年の質問に、透は血色の悪い顔に柔らかい表情を取り戻して、小さく頭を振った。

 すぐ彼が行ってしまわないと悟ったのか、ゆっくりと手を放した。

「私はサンタクロース。良い子にささやかなプレゼントを持って来たんだよ」

 わざと作った声で、お決まりのセリフを少年が言った。

 だがその格好は、トナカイに乗ってくる西洋の聖人というより、歴史に大きく名を遺した独裁者の方に近かった。

 少年はコピー誌の上に置いた小さな紙袋を持ち上げた。途端に鼻の下のつけ髭がハラリと落ちた。

 慌てて拾って貼り付けなおそうとするが、ノリがダメになったらしく、何度やっても貼り付かなかった。

 諦めてそれをポケットに放り込んでから、少年は長い指を紙袋へ丁寧に差し入れた。

 そこから人差し指と中指で、透明ビニールに挟み込んだ物を取り出した。透の小指の爪ほどもない桜色をした、小さな貝殻であった。

 透の目がうれしさで丸くなる。

 彼の事だから、夏に行った海辺から取って来た物かもしれなかった。

 ベッドの上で上体すら起こせなくなった今、あの夏の日は夢だったかもしれないと、思い始めていた。

 彼女が、いや誰でもいい誰かが、見ていなくても、まだアソコにはあの時見た風景は残っているのだろうか?

 が、こうして証拠の品が手元に来れば安心できる。

 まだアソコには風景はあるのだと。

 彼は彼女によく見えるように差し出した。

「サンタのおじさんのプレゼント、気に入ってくれたかな?」

 彼女は小さく頷いた。

「じゃあ、まだ世界中の子供たちが待っているから、もうそろそろ行かなくっちゃ」

 透が喜んでくれたことに目尻を下げて、少年はプレゼントを紙袋に戻し、再びコピー誌の上に置いた。

 透の右手が再び素早く伸びて彼の上着の袖を掴んだ。

 病身の彼女にそんな力は残されていないはずだが、痛みを感じるほどの力に少年はギョッとした表情になった。

 死力という言葉があるが、それと似たような物なのかもしれない。

「ど、どうしたんだい」

 作り声の演技を忘れずに少年は訊いた。

「おねがい…」

 溜息が音になったような声が透の唇から漏れた。

 少年の驚きは増していた。努力してそれを表に出さないようにしたが、透には分かってしまったかもしれない。

 彼も知っていた。彼女の病状はもう末期的で、今まで生きながらえていること事態が、すでに奇跡の部類に入ることを。

 それなのに、こんなに強い力で掴まえ、小さい声ながらも喋っている。

 医学的にはできないはずだった。いや、この瞬間まで彼もそういった事はできないだろうと思っていた。

 しかし現実として彼女はそうしていた。

「きっと、これが最後だから…」

 少年はその腕を振り払うことなどせずに、ゆっくりと枕元にしゃがみ込んだ。

「もう会えなくなるから…」

 酸素吸入マスク越しだったが、耳を近づけなくても彼女が言っていることは確かに聞き取れた。

 少年は掴まれていない方の手を使い、丁寧な仕草で彼女の酸素吸入マスクを外した。

 透はゆっくりと瞼を閉じた。

 ベッドサイドの明かりが消され、闇に包まれた病室で人影が枕元に近付いた。

 そっと唇の触れ合う音がした。


「オマエ、不法侵入って言葉知ってる?」

 外灯を伝って地上に下りてきた郷見(さとみ)弘志(ひろし)は、夜の闇の向こうから、そう声をかけられて身構えた。

 黙って立っていれば女の子に間違えられる細めの顔が、緊張で強張っていた。

 声をかけた人物が、ゆっくりと外灯の明かりの輪の中に入ってきた。

 それは藤原由美子であった。

「姐さん、どうして…」

 ビックリしてみせる弘志は、変な三色に塗り分けられた迷彩服姿であった。

「あたしゃそこまでバカじゃないよ」

 腕組みしてみせて顎をしゃくる。その示した先に、機嫌の悪そうな顔をした不破(ふわ)空楽(うつら)が立っていた。

 アルコールと読書、そして居眠りをこよなく愛する空楽にしてみたら、こんな雪の降りそうな夜中に連れ出される事は、不本意に違いない。

 ちなみに空楽は、由美子たちと同級生で高校一年、どこを切っても未成年である。そして記憶違いでなければ、未成年の飲酒は違法だったはずだ。

「寒いからって、途中で仕事投げ出そうとしやがって」

 見れば空楽の左頬あたりに<まるで由美子に逆らって殴られたような>青痣ができていた。

「あ、ひっどいの」

「不法侵入はれっきとした罪だけどな」

「それを言うなら傷害も罪だ」

 ボソついた空楽に、黙っていろと睨みをきかせてから、由美子は弘志に振り返った。

「かわりにといっちゃなンだけど。お礼にこれから夕食でもどお?」

「オレは日本神道の人だよ」

 そらっとぼけてあさっての方向を見上げる弘志。

「だからハロウィンもイースターも、もちろんクリスマスも関係ないの」

「だから、ただの夕食会。不破も来るだろ」

 頑固に言い張る弘志に、いつもとは違って柔らかく言い返した。ついでに敬虔な仏教徒の空楽にも振り返って、由美子は確認した。

「酒は出るのか?」

「未成年でしょうが!」

 クワッと牙を瞬時に剝いてから思い直した。

「まあ、今日ぐらいは、いっか。シャンパンぐらいなら問題ないでしょ」

「うむ。ではご同道しよう」

 無駄に偉そうに腕を組む空楽。まるで演劇の漫才のようなやり取りであった。

 しかし二人は反応の無い弘志へ、心配そうに顔を向けた。

 弘志はぼうっと建物の上の方を見上げたままだった。

 その頬に細やかな白い粉が舞い降りて、彼の体温で瞬く間もなく溶けた。

「うへえ。寒いと思ったら降ってきたよ、雪」

 空楽が首を竦めてわざとらしくおどけた声を上げた。

「ほれ、行くよ」

 彼女は彼の右手をまるで腕を組むように掴まえると、夜も客待ちのタクシーがいるはずの、正面入口がある方へ歩き出した。


幕間・9 おしまい

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