十二月の出来事・①
「不破くん! ごめん!」
突然、何者かが扉の影から抱き着いてきて、不破空楽の右腕は自由を失った。
肩が凝るだけの終業式が終わったことだし、のんびりと大好きな読書と居眠りでも満喫しようかと部屋に入った直後である。
場所は清隆学園高等部C棟二階にある司書室であった。
「!」
いつもは眠たげな印象が先行する彼だが、いざという時はまるで忍者ではないかと思わせる瞬発力を持っていた。
これが本当の襲撃ならば、扉を開ける前に殺気を捉えていただろう。そして襲撃が成功する前に反撃に移っていたに違いない。
しかし今回は何もできずに、襲撃してきた相手を身長差から見おろしただけだった。
右腕には、図書委員会副委員長の岡花子が抱き着いたまま、彼の顔を見上げていた。
頬の高さで切りそろえられた黒髪が真っ白な肌と美しいコントラストをなし、まるで作られた日本人形のような印象を見る人に与える美少女である。
「やっぱり無理か」
「な、なんのはなし?」
同年代の異性に抱き着かれた高校生が動揺しない方がどうかしている。特に今は柔らかい感触を肘のあたりに感じているから尚更だった。
不破空楽、十五歳にして初めての経験だった。
もちろん彼女いない歴も十五年。
彼の鼻腔を心地よい香りが擽った。それは花子の誰よりも青い黒髪から漂ってきていた。
お年頃の女の子が発散する、若い男には刺激的で心地よい香り。それをこうも間近に官能するのも、空楽が過ごしてきた十五年間の人生で初めての経験だった。
いつもは無愛想な空楽にしても、頬が赤くなるのを止められなかった。
「これよ、これ」
花子は手にしていた少女漫画を彼に見えるように持ち上げた。
それは空楽も手に取ったことのある有名タイトルであった。彼の記憶では、異性に抱き着かれると動物に変身してしまう一族と、それに関わってしまった女子高生の話しだったはずだ。
「もしかしたら、不破くんも抱き着いたら動物に変わるかなぁ~と思って」
「知らないのかい」
空楽は、少々トーンを落として渋く聞こえるような声色に変えて言った。
「美人の前では、男はみんな“狼”になるのさ」
「きゃー」
わざとらしい黄色い悲鳴とともに花子は空楽の右腕から離れた。
名残惜しそうな顔の後ろから声がした。
「空楽が変身するとしても“ミツユビナマケモノ”じゃないのか」
「失礼だな」
振り返って声の主に抗議する。空楽に続いて司書室に入って来たのは郷見弘志だった。
柔らかい茶色がちな髪を伸ばし、卵型の頬はつつきたくなるような柔らかさをしている女顔の美少年である。
「不破くんは、いっつも居眠りしているものね」
花子がニッコリと微笑んだ。
「そういう郷見くんは“白鳥”かしら」
「あら光栄ですわ」
花子の言葉で女言葉で返す。彼女が知っているかは疑問だが、西洋では白鳥には両性具有という意味があった。学園の外で会う時には、自分が女顔であることを楽しむように、女物の服装で現れることがしょっちゅうある弘志には、ぴったりとした印象である。
「僕は?」
弘志のさらに後ろから権藤正美が訊いた。
型どおり真面目に制服を身に着け、とどめに銀縁眼鏡までかけている見かけ優等生の男子だ。
同じクラスで仲がいいという事あり、学園内では『正義の三戦士』として認知されている三人である。
「権藤くんは真面目だもの“犬”かしら」
「まずいぞ正美」
空楽は正美に振り返った。
「ハナちゃんに“狼”と同じ種族と思われてるぞ」
「しかも飼いならされていると」
弘志まで口を挟んできた。
「まあ、いいけどね」
ちょっとずれた銀縁眼鏡を直して司書室に入る。三人の中では一番背が低いが、さすがに花子よりは高かった。いちおう言い直してくれないかなと期待した眼差しを、レンズの向こうから投げかけてみた。
「そういうハナちゃんは“猫”かな?」
弘志が逆に彼女へ言った。その言葉に花子は首を傾げて、自分の人差し指をその白い頬に当てて考えた。
「ん~、そうかも。どっちかというと“猫”系かもね」
「猫は猫でも“三毛猫”かな」
空楽も花子を身長差から見おろした。
彼が“三毛猫”を選んだのは、彼女が華道部にも所属するため和装のイメージが強かったためだ。
花子はあっさりと頷いた。
「じゃあ私は“三毛猫”でいいや。コジローは?」
「コジローは…」
言いかけた空楽の横から弘志が口を挟んだ。
「コジローは“豹”じゃないか?」
その言葉に花子はポンと手を打った。
「コジローも猫系だもんね」
「猫は猫でも、より戦闘種族か」
コジローとは、図書室常連組の一人である佐々木恵美子のことだ。剣道部に所属していて、なかなかの腕前らしい。夏の都大会にも顔を出したとか。もちろん呼び名の由来は、苗字と剣道から、あの巌流島の戦いで有名な剣豪からである。
また、彼女は生徒会の非公然活動の一つである(裏)投票において次点を大きく引き離して『学園のマドンナ』に選出されたほどの美貌と、それに見合った無敵のスタイルを持っていた。
彼女と剣道で対峙したことのある空楽が納得した顔になった。
牙と美。“豹”とはよく言い現わしている。
「じゃあ、ねえさんは?」
花子は再び三人に訊いた。
ねえさんと呼んでも本当に血の繋がりがある姉妹の事ではない。一人っ子の花子に姉と呼ばれる存在はこの世でただ一人。現図書委員会委員長で『拳の魔王』の称号をこの三人が与えた同級生、藤原由美子のことである。
姐御肌で面倒見が良いのだが、言う事をきかない男子生徒に対して、しばしば必殺パンチで命令することがきっかけでそう名付けられた。
現在、学園内では『学園開闢以来の武闘派委員長』とも言われているのは、悪乗りした三人が無い事無い事(有る事無い事ではない)言いふらしたからだ。
「『百獣の王』という事で“ライオン”?」
と正美。
「あらゆる障害を踏みつぶして進むから長鼻目象科の“アフリカゾウ”じゃないの?」
これは弘志だ。
しばらく首を捻っていた空楽はポツリと言った。
「“ネッシー”じゃないのか?」
司書室の窓際に吊るされたままの風鈴がチリーンと鳴った。
「あ、ひっどいの」
「それ最高!」
「その破壊力は未知数なのだ!」
「奴はすでに既知生物の範囲を超えている」
(笑×3)
気が付くと三人の後ろから「まるで藤原由美子が指を鳴らすような音」が響いていた。
「必殺ア~ムストロ~ングパ~ンチ!!!」
バキッズガッドゴン。
「いてて、お茶目な冗談じゃないか」
いつの間にか現れていた由美子に、遠慮も手加減も無しに後頭部をはたかれた三人は、それぞれが殴られたあたりを撫でつつ振り返った。
「口を開けばバカなことばっかし。いいかげンにしろよな」
「王子、言葉使い」
後ろから“豹”と称された恵美子が注意する。由美子は女子の間では「王子」と呼ばれていた。それには理由があるらしいのだが、男子には詳しく説明がなされてなかった。
清隆学園の七不思議に数えてもいいかもしれない。いや、由美子の存在自体が七不思議と呼べるかもしれないのだが。
「誰が七不思議だって?」
由美子が口の中でブツブツ言っていた空楽に迫った。空楽が慌てて両手で口を塞いで「言わ猿」のポーズになった。
「自覚が無いらしい」
「なンだって」
その横でボソついた弘志にも由美子は迫った。
「なんにも」
弘志も慌てて空楽と同じ「言わ猿」のポーズを取った。
「王子ったら照れてぇ」
恵美子が後ろから背中をツンツンした。彼女に殺気がこもった視線で振り返った。
恵美子も慌てて「言わ猿」のポーズになった。
見れば正美も花子も、何も言っていないのに「言わ猿」のポーズになっていた。
「よ~」
タイミングが悪いのか、生物部の佐藤がそこに顔を出した。廊下から開きっ放しになっていた司書室の扉をくぐって入ってくる。
一同の微妙な沈黙に周囲を見回した。
「どうしたの?」
「なんでもないわよ」
面白くなさそうに言い、由美子は弘志へ八つ当たりのボディブローをもう一発くらわしてから、よいしょと自分のバッグを蔵書整理用の大テーブルに置いた。
「おーイタそ」
いちおう同情の顔を見せてから、佐藤は女子たちの方へ向いた。
「それより今日の予定はどうなっているのかと思って」
「今日の予定?」
不思議そうに由美子は聞き返した。
「そ。今日は楽しいクリスマス。なんか企画が上がってんじゃないの?」
由美子は男子に振り返った。その表情に意を得た正美が、残念そうに首を横に振った。
「やんないの?」
佐藤の意外そうな言葉に、空楽がすまなそうに手を挙げた。
「うちは敬虔な仏教徒なんだ」
「僕は唯物論者」
これは正美である。なぜ紀元一世紀に捕まった中東の犯罪者である男の誕生日を、わざわざ極東の人間が祝ってやらなければならないんだと、言いたそうな顔になっている。
「残念。オレは日本神道」
すがるような佐藤の視線を受けた弘志がトドメをさした。
「今日ぐらいは、そんなこと忘れてさあ」
佐藤の懐柔に三人とも首を横に振った。
「宗教問題だからこそ譲れないね」
「じゃあ男はいいや。女は?」
佐藤は『学園のマドンナ』である恵美子を振り返った。
彼もまた彼女の心棒者なのだ。
恵美子は申し訳なさそうに、両手で佐藤を拝むようにして、苦笑いをした。口元にトレードマークの八重歯が覗く。
「わたし、おとうさんと約束しちゃったもの」
「うちは家族揃って教会に行くの」
その隣の、日本人形のような静けさを身に纏う花子が、これまたすまなそうに微笑んだ。
「なんだ、じゃあいいや」
他の女子へ誘いをかけるためだろうか、諦めの早い態度で佐藤は司書室を出て行った。
「なンで私にゃ訊かない」
腕組みをして、面白くない顔のままの由美子が、閉められた扉へ言った。
「それが自然かと」
「なンですって」
ポロッと多い一言を口にしてしまった正美に、振り向きざまにパンチを浴びせる由美子。
「佐藤くんは、遠慮したんだよ」
妙な含み笑いで恵美子が近づいてきた。
「王子を郷見くんから取っちゃ悪いもん。ねー」
恵美子が振り返ると、弘志はとても苦い顔になっていた。由美子も同じ顔になっている。なぜだか知らないが彼女は二人がカップルになることがいいと本気で考えている節があり、事あるごとにこうした発言をしていた。
もちろん秩序を重んじる由美子と、生来の騒動屋である弘志が仲良くできるわけがない。それどころか由美子は彼を天敵認定して、半径一メートル以内に近付くことを禁止している程だ。
「だいたい、オマエら本当にいいのかよ」
由美子は一人で夢見る恵美子を放っておいて、三人に訊いた。
「?」
素で不思議がる三人の唐変木に、怒りを感じたのか明後日の方向を向いて由美子が腕組みした。
「ほら、コジローは『学園のマドンナ』だし、ハナちゃんは『準ミス清隆』だし」
「姐さんは『拳の魔王』だし」
余計な茶々を入れをした弘志へボディブロウを入れておいて、まず正美へ焦点を合わせた。
「僕、今日は家で食事当番なんだよね」
「はい?」
一瞬、彼が言っていることが理解できなくて、由美子から素っ頓狂な声が出た。
「マ…、母親も働いているから、ご飯作る人いなくてさ、ウチ」
「あ、共働き」
納得したように頷く恵美子。
「まあ今日は仕込んでおいたローストビーフと、あとブッシュ・ド・ノエルでも…。どうしたの?」
みるみると顔が青ざめていく恵美子の顔を、正美は心配そうにのぞき込んだ。
男子高校生である正美が、家の夕食を用意すると聞いて想像したのが、近所の総菜屋で買ったコロッケなどだろうなと思っていたなんて口が裂けても言えなかった。しかも口から出てきた献立が献立である。
「ろうすとびいふ?」
弘志が不思議そうに訊ねた。
「竈も無しに作れるの?」
「一般的なご家庭の台所でも簡単だよ?」
正美の方は、なぜ身構えるのか分からないようだ。
「豪勢じゃないか。なんかパーティか?」
横から空楽が訊いた。
「うん。母親の仕事仲間とか担当の人とか来る予定」
「パーティ…。権藤くんの手料理で、パーティ…」
さらに女子たちの絶句が深まった。
「たくさん来るから少し増えても大丈夫だよ。来る?」
そんな空気を察せられなかったのか、正美がとてもいい笑顔で室内のみんなを誘った。
「いや。俺はとても忙しいんだ」
わずかにも残念そうな顔をせずに、空楽が言った。
「残念だが、ご母堂にはよろしく伝えておいてくれ」
「オマエが忙しい?」
話しの流れを変えようとしたのか、由美子が空楽へ訝しげな顔を向けた。
「どうせオマエなんか、笑いながら泣いてオニギリを頬張るぐらいしか用事がないだろ」
「なぜそれを…」
今度は空楽が絶句した。
「で?」
固まった空楽を置いておいて、由美子は弘志に向き直った。
「オマエは?」
騒動屋の弘志が、こんな国民的イベントの日に静かなはずが無かった。
「オレ?」
弘志は自分を指差してからちょっとの間だけ天井を見て、いつもの掴みどころのない笑顔を向けた。
「オレはあれだよ。襲来する赤い服を着た不審人物を迎撃して地球を守るという…。あ、信じてないな」
聞いていた由美子が、話の途中であからさまに溜息をついて肩を落としたのが、気に入らなかったようだ。
「正直に言えば殴らないから」
「なぐってからいわないでほしい…」
鳩尾を押さえながら床へ崩れ落ちていく弘志。
「じゃあ、このメンバーでは今年が最後なんだぁ」
恵美子が残念そうに言った。
「せっかく王子と郷見くんの仲が進展するかと思ったのにぃ」
「じゃあ折角だから、六社明神で二年参りぐらいはみんなでしようか」
正美の提案に、司書室にいた全員がお互いの顔を見合わせた。
「だめだ」
にべもなく空楽が言う。
「うちは紅白の後、年越しするまでの間は、家族が揃って祈願する時間なんだ。二年参りには行けない」
「その後は?」
弘志の質問に、空楽は即答した。
「朝まで呑み明かす」
らしいと言えばあまりにもそれらしい不破家の習慣に、一同は呆れた溜息をついた。
「じゃあ二年参りの後、みんなで空楽んちで新年会というのはどうだろう」
弘志は、空楽ではなく、みんなに確認する様に訊いた。
「OK」
「いいんじゃない」
「別にいいけど」
みんながそれぞれに賛成する。
「それならば空楽が仲間はずれということも無いしな」
「なにを勝手に」
弘志のあまりの態度に空楽が絶句した。
「じゃあ、大晦日の夜九時ごろ。F中駅前フォー〇スのバルコニーあたりで集合ということで」
「早くない?」
由美子は弘志に訊き返した。
「いんや。六社さまは毎年すんごい混むんだ。そのくらいに行かないと、お賽銭箱に辿り着く前に年が明けちゃうよ」
自信たっぷりの弘志。もしかしたら毎年二年参りに出かけているのかもしれない。
「新年だからそれなりの格好をしてくるように。それと激寒いから厚着だけじゃなく、少しアルコールを含んでくるといいよ」
「あたりまえじゃないの」
アルコール云々は置いておいて、言わずものがなの弘志のセリフに由美子は眉を顰めた。
「あ、でも岡さん」
「は? はい?」
いきなり話しを振られて花子はキョトンとした顔になった。
「なに?」
「和服はよしたほうがいいと思うよ」
「なぜです?」
「新年会で、空楽んち行ってから眠くなっても、和服だと色々大変でしょ」
弘志のまともな意見に、由美子が向こうで「なぜこの気配りがいつもされないんだ」とか呟いていた。
「そうだな。弘志の言う通り」
その横で空楽が腕組みをした。
「脱がせるのも大変だからな」
途端に赤くなった花子は下を向き、恵美子も頬を染めて口元へ拳をあてた。
「?」
自分の言葉が引き起こした妙な反応に、空楽は話しの分からない顔になった。
「気分が悪くなっても、介抱するのがたいへ…」
そこへ由美子の鉄拳が炸裂した。
「???」
「おまえさ」
まだ話しが分からない顔になっている空楽に、弘志は言った。
「一月のラブホテルにゃ、着付師が必ずいるとかいう類の話しと、同レベルだぞ」
「あ」
「まったくもう」
心なしか襟元を直して恵美子は一旦空楽を睨み付けた。
「じゃあ、今日のお昼どうする?」
クリスマスイブに用事があっても今が忙しいわけではないだろう、という問いかけであった。
「あたしゃどこかで済ませるつもりだったが」
「僕はお弁当持ってきちゃった」
「私はつき合えるけど」
「では、ご同道しよう」
「お昼済ませられて、権藤くんのお弁当が持ち込めるところ…」
「まあ、選択肢は少ないわな」
「カウンター当番はどうするの?」
「だれか図書委員来てないの?」
「いま席に着いてるの、ユキちゃんだよ」
「じゃあ任せて、昼を食べてきてから交代するか」
「マスターがナポリタンを新しく開発したとか」
「ホント? じゃあ決まり?」
「悪い。本当に忙しいんだ」
昼食はいつもの喫茶店<コーモーディア>ででもと話しが纏まりかけたところに、弘志の言葉が割り込んだ。
「え?」
「ホント、じゃ急いでるから」
そう言い捨てて自分のバッグを取り、そそくさと司書室を出て行った。
「つきあい悪いわね」
「あらあ。やっぱり王子ったら、気になるの?」
「そうじゃなくて」
思うところがあるのか、うーんと顔をしかめる由美子に、空楽が告げた。
「藤原さん、皺になるよ」
「そうだ不破。オマエさあ…。なに床に寝てンだよ」
由美子は床に伸びている空楽を見おろして言った。
あまりの速さで繰り出されたため、パンチを放った本人すら自覚がなかったようだ。
「頼みごとがあるンだけど」
「ひとにものをたのむしせいじゃないよな」
腹を撫でつつ上げた抗議の声は、全部平仮名に聞こえた。そんな空楽の様子に構わずに、由美子は弘志が消えた司書室の扉に顎をしゃくった。
それで意味が分かったのか、空楽が嫌な顔をした。
「一本つけようか?」
由美子の言葉に、空楽は跪くと頭を垂れた。
「御意にございます、お屋形さま」
「わかったら、早よ行け」
そう由美子が命じた時には、どこにも空楽の姿は無かった。




